マガジンひとり(ご訪問ありがとうございます。年内に閉鎖を予定しています)

書肆マガジンひとりとしての小規模な同人活動を継続します。

Top 20 Hits of 2010

2010-12-31 22:52:48 | 音楽
1. "空洞です" ゆらゆら帝国 (2007 - 空洞です)
2. "Sprawl II (Mountains Beyond Mountains)" Arcade Fire (2010 - The Suburbs)
3. "Fuck You" Cee Lo Green (2010 - Single)
4. "Runaway" Kanye Weat & Pusha T (2010 - Single)
5. "Boyfriend" Best Coast (2010 - Crazy for You)
6. "I Only Know (What I Know Now)" James Blake (2010 - Klavierwerke EP)
7. "Tightrope (feat. Big Boi)" Janelle Monáe (2010 - The ArchAndroid)
8. "IRM" Charlotte Gainsbourg (2009 - IRM)
9. "King Hummingbird" JJ Grey and Mofro (2010 - Georgia Warhouse)
10. "Tighten Up" The Black Keys (2010 - Brothers)
11. "Bicycle" Memory Tapes (2009 - Seek Magic)
12. "Rill Rill" Sleigh Bells (2010 - Treats)
13. "Odessa" Caribou (2010 - Swim)
14. "Candy Shoppe" Emeralds (2010 - Does It Look Like I'm Here?)
15. "Destroyer of the Void" Blitzen Trapper (2010 - Destroyer of the Void)
16. "O.N.E" Yeasayer (2010 - Odd Blood)
17. "Nothin' On You (feat. Bruno Mars)" B.o.B (2010 - B.o.B Presents: The Adventures of Bobby Ray)
18. "Little People (Black City)" Matthew Dear (2010 - Black City)
19. "Tragedy" Peter Wolf & Shelby Lynne (2010 - Midnight Souvenirs)
20. "The Glow" RJD2 (2010 - The Colossus)



君はにっしーを見たか!!??

─なんて、そんな力むほどのことじゃないんですけど、オラとしては久しぶりに紅白歌合戦を見たので。知らなかったよ、受け答えとか、全部、西島隆弘くんがしている、リーダー格だったのか─AAA(トリプルエー)なるダンス&ヴォーカル・グループの。
まあ、にっしーは、かわいいよ、つやつやした唇、脚があんまし長くないところまで。
しかし、悲しいくらい、音楽の印象はゼロだね。直前に出ていたアンジェラ・アキとかいう人は、自分で作ってるっぽい弾き語りなのだが、悪いけど、才能なさそう。
思うに、さだまさしや松山千春は、嫌いですよ、嫌いですよ、嫌いですよ、オラ嫌いだけど、作詞作曲の才能は、あったね、これらの人たちより、ぜんぜん。
といって、NHKの音楽やお笑いがひどいのは仕方ないとして、恒例のダウンタウンらによる《笑ってはいけない》を見ても─。

「松本ォ~、アウトォ~、浜田ァ~、アウトォ~」

学芸会レベルの紅白歌合戦よりはマシである。にしても、「仁支川峰子」って??
西川峰子が改名してたなんて、初耳だよ。そんなくだらない知識を、覚えたくはないが、中村雅俊にしたところで、梅宮辰夫にしたところで、もしオラに家族がいて、子どもと一緒に見てるとしたら、ポカンとしないかね、彼らは。
過去の蓄積に、あぐらをかいている場合ではないと思うのだが、わが国は。
保守化・硬直化する社会システムの中で育つ若者・子どもは、旧弊をくつがえしてまでわれわれに訴える言葉を持つことができない。
新しい音楽が、聞こえてこない。
─いや、そうでもない、わりと、いい曲が多かった気がするんだけどね、2010年は。
いくつか昨年以前の曲もまぎれ込ませたが、今年の曲に限ったとしても、1960~70年代とは比べられないにしても、捨てたものではない。
いまだに媒体が力を握っていて(と誰もが思い込んでいて)音楽の才能がないにもかかわらず媒体に身を魂を売ることで世に出た人たちが作詞作曲したり歌を歌っている、どこかの国はともかく、音楽の歴史は、歩みを止めたわけではない。
「歌詞」とか「アルバム」とか「著作権」とかまで、過去のものとするような、斬新な試みもあちこちでみられる。
そんな中、1位の「空洞です」は、従来の流れにも沿った、正攻法の「歌」である。力のある。
映画『愛のむきだし』で用いられた。4時間にもおよぶ、その映画の内容を、4分45秒に凝縮したかのよう。
聞いていると、西島隆弘くんが満島ひかりさんに向かって「ごめん。君を見てると、どうしても勃っちゃうんだ」と言った、その愛のかけがえなさが脳裏をよぎって、涙さえ誘う。音楽も、かけがえないものだ。
2度と来ない時間を捧げるのだから。
来年も、それにふさわしい音楽との出会いを期待しましょう。それではみなさん、来てくれてどうもありがとう、よいお年を!!
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どんぶらこっこ~~忘れられないニュースの光景

2010-12-29 23:34:53 | Weblog
↑土台を侵食された家屋は傾き始めたとたん、アッという間に流れの中に、ゴウ音とともに落ち込んだ(1974年9月2日・午前8時22分)。↓濁流にさらわれた家屋は中央へ押し流され、水没寸前に(同午前8時30分)



すっこっこ~~

大変。全国の人の目の前で、家が次々と川に流されてゆく。
何十年分の忘年会を重ねたとしても、このときの光景を忘れることはないでしょう。1974(昭和49)年9月、台風16号が接近して降り続いた大雨で、多摩川が増水して堤防が決壊、19戸の住宅が濁流のモクズと消えたとき、オラは小学4年生。わたし生まれてないんですけど─という方も、まあお聞きください。
詳しい状況は↓の当時の雑誌記事をご覧いただくとして、その中に、避難命令が出たときは、まさか家ごと流されるなんて想像もしないので、よほどの貴重品以外は全部家に残してきて、失われてしまった─という記述があるでしょう。
この3年後の1977年、『岸辺のアルバム』という連ドラで、脚本家の山田太一が盛り込んだそうな。本堤防そばの建売住宅に住む杉浦直樹と八千草薫の夫婦が主人公で、理想の主婦像とされた八千草が近所に住む竹脇無我と不倫するエピソードも衝撃的だったと聞くが、堤防決壊の直前、どうにかアルバム5冊を家から持ち出す彼ら。「歴史の記憶」さえあれば、家族は再建できると考えて。
多摩川水害の2年後、ドラマの1年前の1976年、同じようなサラリーマン家庭のオラん家も、東京都渋谷区の8坪のネコのひたいのような土地に家を新築して、横浜の公団団地から、意気揚々と引っ越しただ。
そして、あれこれあって、父母が首をくくったその家を、たたき売って五反田のマンションを買った、精神科入院中であった2000年のオラ。
家財道具はほとんど放ったらかし。アルバムも。オラ1992年から自活していたので、小5以降の学校などで撮った写真は自分で保管していたが、両親それぞれの若き日のアルバム、結婚写真、一人息子が生まれて撮りまくった、幼き日のオラのアルバムも、もはや取り返しがつかない。
いや、アルバムのことは、当時、かすかに念頭にはあったのだが、それらをきちんとより分けられるような精神状態じゃなかったんだよね。もし、それらの写真を、いま、見ることができたら、涙が滝のように止まらないと思う。
1998年から99年にかけ、オラん家も濁流に流されたのだ。



↑マンガ家のつげ義春さんは、この当時、決壊場所の4㌔ほど上流の調布市のアパートに住んでいたとのことで、戦後のドサクサで住み着いた朝鮮人集落の老人たちが、増水を機に立ち退かざるをえなくなったこととからめて「近所の景色」という短編を描いた。



19年前に買った建売住宅だった…
「駅に近いし、眺めはいいし、住宅地としては一級地と思っていたんですがねぇ…。守ってくれるはずの堤防が、こんなにもろく崩れるとは考えてもみなかったですよ」
新築中の家屋を濁流にさらわれた岩井健三さん(当時47・興亜火災海上)は、あきらめ切れぬ表情でいう。
「いまになって考えてみれば、河川敷にグラウンドとか公園をつくったりして、川の機能を人工的に変えたことが、影響したのかなあ、と思うんですよ」
人間の力によって、おとなしい姿に変えさせられていた多摩川は、いったん、キバをむき出しにすると、失われた領分を取り戻すかのように、すさまじい勢いで、河川敷を崩し、堤防を破壊し、新興住宅地の土地を削り取ったのである。
右岸から300㍍ほどのびている宿河原セキにあふれた水が、セキの突端と左岸を結ぶ旧堤防を崩し、さらに幅40㍍の河川敷をこえて高さ6㍍の堤防を突き崩し始めた。
そして、9月1日午後11時55分、土台を削り取られた那須義高さん(当時76)の家が、ごう音とともに濁流の中に消えたのを手始めに、3日の昼までに19戸が流出、倒壊したのである。
那須さんと同居していた娘ムコの小西信一さん(当時42・松屋デパート)は、「午後6時に緊急避難命令が出て、身の回りのものを持って避難したんですが、せいぜい床上に浸水する程度だと思っていたんですよ。10時半ごろ現地へ行ってみて、浸水というより、土地の侵食ということがわかり、もう家は助からないと思いました。せめて少しでも家財道具を出そうと思ったんですが、危険だというので、中へは一歩も入れませんでした」

◆借金を返し終わったばかり
家を失った人たちは、貴重品と身の回りのものを持って着のみ着のまま避難したため、家とともに家財道具のほとんどすべてを失ってしまった。
伊藤芳男さん(当時49・いすゞ自動車)も、家ごと失うなんて予想もしなかったと、力なく語る。
「衣類やふとんを2階へ上げておけば、だいじょうぶと考えて、軽い気持ちで避難したんですが…。昭和30(1955)年に購入した建売住宅だったんです。子どもの勉強部屋用にと、6年前に立てた別棟もろとも流されてしまって…。建売の公庫融資も昨年で返済、増築分の支払いもちょうど終わったところでした。19年間、愛着をかけてきたものが、すべてなくなってしまいました」
マイホームを流出した家族の大半は、伊藤さんと同じように昭和30年2月、小田急電鉄が売り出した建売住宅を買った人たちだった。世帯主のほとんどがサラリーマン、年齢も40代後半から50代前半に集中している。30歳前後に、「自分の家を持ちたい」という夢を実現し、文字通りのマイホームを営営と築いてきた人たちであった。井上義彦さん(当時55・東海自動車)は、「ここのみなさんが、たいていそうであるように、ウチも、43(1968)年に建売住宅を壊し、新築したんです。費用のうち半分ぐらいは返済したんですが、会社からの融資分が残ってます。家そのものはあきらめもつきますが、人から見ればつまらないものでも、自分の歴史になるものを失ったのがいちばん残念ですね。海外旅行のフィルムとか、オヤジの勲章とか、ゴルフのカップとか…。それと、11月に結婚する娘の嫁入り道具が流されてしまいまして、娘も残念がっていますよ」
アルバム、研究用の資料、思い出のレコード、ピアノ、それぞれ自分自身の人生の記録をきざみ込んだ“大事な品”を、被災者は家とともに失ったのである。

◆補償問題をめぐって訴訟も
被災者の会を発足させ、その世話人として、狛江市などとの交渉にあたっている横山十四男さんの妻・理子さん(当時47)は、「多摩川の自然を守る会」の事務局長として、「自然保護運動が、かえって今度の決壊を招いた、などという批判はもってのほか。自然保護といっても放置したまま、というのではありません。適切な管理があってこそ、自然が保護されるわけで、管理のずさんさをタナにあげて、一方的に私たちを非難するのは、マトはずれ」と憤る。
いっぽう、理子さんは、町内でも世話役的存在で、被災者についても、「みんな一緒に越してきた仲間なんですよ。19年間も一緒に暮らしてきて、おたがいに欠点も知りつくしている。『遠くの親戚より近くの他人』っていうように、みんな親戚以上の付き合いをしている人たちばかりです。今後も連帯を強くしていきたいですね」
被災者の収容先である狛江市福祉会館でも、大部屋のなかで、全員が家族のように和気あいあいとした雰囲気で、流出物の確認に行くのに協力しあったり、見舞いの品を分けたりしていた。「従前の生活に戻ること」を目的として、被災者は、団結していくことを確認している。狛江市当局を窓口に、緊急の課題として当面の住居の確保を申し入れ、18世帯が都営住宅と都住宅供給公社の団地に入居した。補償問題については、「土地は元通りに復旧する」という建設省の方針が決まっただけで、これから、といったところ。堤防決壊の原因を中心に、訴訟にまで発展する可能性もある。
「人災か天災か」と災害のたびに繰り返されるが、今回の決壊が首都の住宅地で起こっただけに、反響は大きい。被災者側の要求と、それに対応する行政側の姿勢は、河川近くの住民だけでなく、全国的な注目を集めることになろう。 ─(中山記者、アサヒグラフ1974年9月20日号、画像も)



↑旧堤防を突き崩した激流は、河川敷を侵食し、しだいに本堤防に迫っていく(1日午後5時・左側)。雨があがった後も、濁流の勢いはおとろえず、住宅の土台を削っていく(9月2日正午・右側)。



↑ライトを浴びて浮かび上がった不気味な濁流。警視庁、消防庁、自衛隊、必死の護岸作業は夜を徹して行なわれ、かろうじて2戸の流出を防いだ。対岸の灯は川崎市(4日午後8時)



↑たけだけしく堤防や住宅地をえぐって蛇行する濁流(4日)。9月6日朝、堤防とセキを結ぶ“仮締め切り”作業が成功、流れは本流に戻った



↑水かさが減って、表面をあらわした中州に、打ち砕かれた家屋が流れ着く。営々と築いてきたマイホームが無残な姿をさらす



↑狛江市猪方の多摩川河畔に建てられた「多摩川決壊の碑」。(この画像のみ東京新聞2010年2月13日)

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ジャケットでいくのさ - 帰ってきた夜の銀狐

2010-12-22 22:57:31 | 音楽
iTunesプレイリスト <夜の銀狐2> 127分
1. "User to a Carrier, By the Sister" Clue to Kalo (2008 - Lily Perdida)



2. "Do You Really Want to Hurt Me" Culture Club (1982 - Kissing to Be Clever)



3. "Time" Clifford Brown & Max Roach (1956 - At Basin Street)



4. "そんな女のひとりごと" 増位山太志郎 (1977 - ムード歌謡全曲集)



5. "Always" Erasure (1994 - Total Pop! - The First 40 Hits)



6. "Ghosts" Albert Ayler (1964 - Ghosts)



7. "Mr. Sponge's Groovy Oscillations" The Amorphous Androgynous (2008 - The Peppermint Tree and the Seeds of Superconciousness)



8. "星降る街角" 敏いとうとハッピー&ブルー (1972 - 魅惑のカクテル・ナイト~ムード・コーラスをあなたに~)



9. "Midsummer Sun" Our Theory (2006 - 須永辰緒の夜ジャズ No.5)



10. "A Girl Like You" Edwyn Collins (1994 - A Casual Introduction 1981/2001)



11. "How Do You Want It" 2Pac (1996 - All Eyez On Me)



12. "SAND BEIGE~砂漠へ~" 中森明菜 (1985 - Best)



13. "Don't Look Back" Them (1965 - The Best of Van Morrison Volume Two)



14. "Come and Play in the Milky Night" Stereolab (1999 - Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night)



15. "EVIL CAR" ゆらゆら帝国 (1998 - 3×3×3)



16. "The Human Abstract" David Axelrod (1969 - Songs of Experience)



17. "Good-Bye" Frank Sinatra (1958 - Sings for Only the Lonely)



18. "柳ヶ瀬ブルース" 美川憲一 (1966 - 美川憲一全曲集ベスト18)



19. "Tainted Love" Soft Cell (1981 - The Singles)



20. "Será El Amor" Los Zafiros (60年代半ば - Los Zafiros Story)



21. "Lost Someone" James Brown (1963 - Live at the Apollo)



22. "東京たそがれ" ザ・ピーナッツ (1963 - ザ・ピーナッツ・シングルス 恋のバカンス)



23. "Haupe" Duke Ellington (1959 - Anatomy of a Murder)



24. "Before We Begin" Broadcast (2003 - Haha Sound)



25. "夜の銀狐" 斉条史朗 (1969 - ムード歌謡全曲集)



26. "Israel Nights" The Tubby Hayes Orchestra (1964 - 須永辰緒の夜ジャズ No.2)



27. "J'arrive" Jacques Brel (1968 - Infiniment)



28. "Till the End of the Day" The Kinks (1965 - The Ultimate Collection)



29. "ラリラリ東京" 三浦正弘とアロハ・ブラザーズ (1968 - 幻の名盤解放歌集 ポリドール編 お願い入れて)



30. "Cry Me a River" Julie London (1955 - Cry Me a River)

夜の銀狐(中山大三郎/中川博之)
淋しくないかい うわべの恋は
こころをかくして 踊っていても
ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
信じておくれよ
ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
愛しているのさ
ほしくはないかい 女としての
静かなしあわせ ほしくはないかい

泣きたくないかい 一人の部屋の
灯りをまさぐる 夜更けの時間
ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
ドレスが泣いてる
ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
くちびるむなしい
小さなマンション おまえのために
さがしておいたよ 二人で住みたい

ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
信じておくれよ
ソーロ・グリス・デ・ラ・ノーチェ
愛しているのさ
きれいな服もすてきだけれど
似合うと思うよ エプロン姿


きっと、この歌の主人公は、中小企業とか特殊法人の社長・役員なのでわ。そして、談合や脱税などで蓄財することにより、これと見込んだホステスなどの夜の女を、二号・愛人として「小さなマンション」に囲おうという算段なのだろう。
お聞きいただければ分かると思うが、どう見ても正妻を迎える雰囲気ではない。闇夜の空気。
ま、どうでもいいんだけどね、長期入院から復職した当時(2001年)のオラを、ことに飲み会にしばしば誘ってくれた、『暗黒街の弾痕』の記事で触れた、例の労組の元役員の人の十八番(おはこ)だったんだよ、カラオケで。
上手な歌いぶりだったですね、実感がこもって。ほら、当人も離婚経験があって、同じバツイチの酒場の女を見込んで、愛人にしたうえ小料理屋の店を持たせたという。その女に、手をあげたこともあるという。
おもしろい歌ではある。そして、わが国の音楽を洋楽と無理なくつなげられる、貴重なテーマでもある。
以前にそのテーマで、2006年11月に「夜の銀狐」という記事で選曲した際は、肝心の「夜の銀狐」の歌そのものは選ばなかったんだよね(↓リスト)。そこで、この際、「ジャケットでいくのさ」で大々的にやってみようと。
この30曲の冒頭に置くには、1のClue to Kaloはやや弱く、前回の「伊勢佐木町ブルース」がはるかに強いが、ジャケがね…これを使いたかったんだよね。
いっぽう、前回に引き続き選んだ「星降る街角」(8)は、このたびはオリジナルの古い録音で、リード・ヴォーカルも例のカマっぽい人ではないし、イントロの「♪ウォンチュー!!」とのかけ声も入っていないが、パーカッシヴなアレンジがなかなか渋いです。22の「東京たそがれ」も、後に「ウナ セラ ディ東京」と改題されて再録されたバージョンよりアレンジが秀逸だけれども、いずれにせよ新旧のバージョンともアイチューンに収めてもいいと思えるほどの佳曲。
このテーマでまた、数年して機会があればやってみたい。



iTunesプレイリスト <夜の銀狐> 74分
1. "伊勢佐木町ブルース" 青江三奈 '68
2. "待っている女(ニューバージョン)" 五木ひろし '02
3. "Lie To Me" Depeche Mode '84
4. "まぼろしのブルース" 勝彩也 '72
5. "なみだ恋" 八代亜紀 '73
6. "The Nights Of Skopje" Dusko Goykovich '66
7. "星降る街角" 敏いとうとハッピー&ブルー '77
8. "柳ヶ瀬ブルース" 美川憲一 '66
9. "Save Me - Part 1 & 2" Brian Auger & The Trinity '67
10. "あなたのブルース" 矢吹健 '68
11. "ラブユー東京" 黒沢明とロス・プリモス '66
12. "Time (Clock Of The Heart)" Culture Club '82
13. "そんな女のひとりごと" 増位山太志郎 '77
14. "Israel Nights" The Tubby Hayes Orchestra '64
15. "Till The End Of The Day" The Kinks '65
16. "バス・ストップ" 平浩二 '72
17. "グッド・ナイト・ベイビー" ザ・キングトーンズ '68
18. "L.A. Woman" The Doors '71
19. "Darn That Dream" Joe Wilder '56
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旧作探訪#115 『近松物語』

2010-12-16 23:11:33 | 映画(映画館)
@早稲田松竹、溝口健二監督(1954年・日本)
大映の看板・長谷川一夫を初めて起用して近松の「姦通もの」を制作するにあたり、脚本、セット、音楽など完璧を期した、溝口健二の作劇術が冴え渡る最高傑作の一つ。
「大経師(だいきょうじ)」とも称され、隆盛を極める経師屋で、ふとした偶然が重なって不義密通の嫌疑をかけられた内儀・おさん(香川京子)と、手代・茂兵衛(長谷川一夫)。逃避行を余儀なくされるも、追手を振り切れないと知った二人は心中を決意する。しかし琵琶湖での入水間際、茂兵衛によるおさんへの積年の心情吐露が、二人を固い絆で結びつけ、苛酷な道行きへといざなう─。



ブログには再録していないが、以前ツイッターに「わたしのブログでは、たとえ大川隆法関連の画像だとしても、画像の補正は必ず行ないます」と記したことが。
ええ仕事しまっせ。オラの故・母ぁーちゃんは「経師屋の娘」。
もと、写経や経文の表装を職とした「経師」が転じて、書画の表装=巻物や掛軸や屏風や=をしたり、ふすまや障子を貼ったり、ひいては家屋の内装やリフォームを手がける職人を指す。
前にも述べたが、母の長兄は家業を継いで、次兄もまた同じ職で独立。内装中心で一時は住み込みの職人までいた長兄のほうが商才はあるが、次兄は本来の掛軸や屏風の仕事に優れ、貴重な文化財の補修で実績も。
オラの両親が相次いで自殺して、どうにもならなくなっちゃったどん底の時期に手を差し延べて奔走してくれたのが、その人です。いま76歳で、夫婦ともわりと元気。
はたして祖父より前の代には、どこらへんから経師屋だったのかは確かめたことがないが、この映画を見て、その職が、単なる職人・商人というのにとどまらない、僧侶や貴族や武士や、権力階級とも大いにつながりのあることを知った。
わけがわからないことが書かれた、一枚の紙。それを、たいそうな表装でもったいつける↓ことにより、「田舎ザムライに高く売りつけることができる─」。
「大経師」の主人・以春(いしゅん)は、ほかにも独占的に受注できる特殊な利権を握っており、そうしてたんまり溜め込んだ金で、自分より30も若い美貌の後妻=おさん=をもらって、さらにはお玉という奉公人にも手を出そうと狙う。「家を持たせてやる」とか言って。
お金のためおさんを嫁がせた実家の跡継ぎである兄は、おさんに借金を申し込んで、それが引き金となっておさんが大変な苦労を背負い込んだというのに、「お稽古ごと」などにうつつをぬかす愚か者だし、茂兵衛の同僚たちも一癖も二癖もある者ばかり。そのあたり、やや図式的で、主人公の純愛を称揚せんがため技巧に走った感もあり、『雨月物語』や『山椒大夫』ほど心がゆさぶられはしなかった。傑作には違いないが。
ところで、今週の早稲田松竹、2本立てで併映されているのは溝口の戦前の『残菊物語』。2年ほど前に見たばかりなので、今回は見なかったんですが、オラ歌舞伎を見たことないし、死ぬまで見ないと思うが、『残菊物語』の劇中劇としての歌舞伎はすごいと思った。
海老蔵も、その映画の主人公みたいにドサ回りして芸を磨いてから復帰すればいいんじゃないかね。小林麻央が映画のヒロイン=お徳のように振る舞えるかは分からないが。さらに、マスコミが狂ったように報じるのも、『近松物語』から読み解くことが可能だ。どうってことない書画も、たいそうな表装でもったいつければ「田舎ザムライに売りつけることができる」。
田舎ザムライ=われわれ。マスコミ・芸能界は、これまで海老蔵と小林麻央に少なからず先行投資してきた。いざとなったら、あることないことバッシングしまくって、【いじめエンターテインメント】をわれわれに見せるため。いまが、いざという時であり、マスコミは先行投資を回収しているつもりなのだろう。
大経師ではないが、ブレジネフ書記長とか、金正日総書記とか、共産圏では【書記や秘書】を意味する職務のトップが、そのまま最高権力者である場合が多い。すなわち自由社会のわが国でも、言葉を、情報を左右できる(と誰もが思い込んでいる)マスコミこそ、われわれがくつがえすべき最高権力にほかならない。

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旧作探訪#113 『NICO ICON』

2010-12-06 22:34:25 | 映画(レンタルその他)
Nico Icon@VHSビデオ、スザンネ・オフテリンガー監督(1995年ドイツ)
「私たちはパスポートなんて持つべきじゃない。『死を思え(メメント・モリ)』の反対で、バカげてるわ。誰それがどこで生まれたかなんて、いったい誰が気にするっていうの?」
アンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガール』をはじめとする映画に出演し、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの伝説的1stアルバムで歌うなど、ウォーホルの“ファクトリー”の花形的存在だったニコ。
1938年10月16日にドイツのケルンでクリスタ・パフゲンとして生まれた彼女は、ニューヨークでウォーホルと会うまでに、既にヨーロッパで十分刺激的な人生を送っていた。
─パリコレのキャトウォークを歩き、VOGUE、ELLEの表紙を飾るファッション・モデルとして─フェリーニの『甘い生活』にも端役で顔を出し─『太陽がいっぱい』のロケで出会ったアラン・ドロンの子どもを産んだ母として─ロンドンで「I'm Not Sayin'」なるシングル盤を吹き込んだ歌手として─そして、そのシングル盤のB面で伴奏したブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)のガール・フレンドとして─。
ボブ・ディランとの出会いにより音楽の世界に引き込まれ、ルー・リードと、ジョン・ケイルと、ジャクソン・ブラウンと、そしてドアーズのジム・モリソンと出会うニコ。「彼は私が恋した初めての男だった。だって彼は私の容姿と心に愛情を示してくれたから。だけど私たちは愛の成就のため、あまりに酒を飲みすぎ、あまりにドラッグをやりすぎた。それが私たちの難点だった」。
やがて自分でも曲を作り始めた彼女は、ジョン・ケイルのプロデュースのもと『Marble Index』『Desertshore』『The End』という一連の傑作アルバムをリリース。ヨーロッパに渡って映画監督フィリップ・ガレルと出会ったのも同じころで、2人は『内なる傷痕』や『孤高』といった映画を制作するとともに、虚無的な生き方もつのらせ、ヘロインに溺れてゆく。
ニコは彼女をヘロイン中毒から助けようとしたマネージャーの尽力によりコンサート活動を再開し、東京にも2度訪れている。だが1988年7月、スペインのイビサ島で自転車に乗って転倒、脳出血のため49歳で世を去った。ハシシを買いに行く途上だったとされる。
このドキュメンタリー作品は、世界が最も強烈な激動を味わった1960年代から80年代にかけて、自分が自分であることを探し続けた真のボヘミアンであるニコを、関係者の証言や生前の映像を元に描いたものである。ニコと同じケルン出身のオフテリンガー監督はこう語る。「ニコは、単に人から美しいと思われるだけの存在から、独自のやり方で自分自身を表現できる人間になるまで、多大なステップアップを踏んでいった人だと思う。そしてそれこそが、私が彼女に興味を持ってやまない理由でした。人がいかに自分自身を鍛え、今ある姿からほんとうに自分がなりたい自分に変われるか、ということに」。



あ~~酒が飲みたい─酒が。
本来きのう、この映画の記事をやるはずだったのだが、同じことなんだよ。オラは日曜月曜と2日連続の休肝日を設けているので。
2日間飲めないのは長く感じる。土曜の25時から火曜の17時まで飲まないとすると、48時間ではなく、64時間も飲まずにいなければならない。が、老いても1日でも長くおいしく飲み食いするため、我慢するのだ。



《ぬか漬けのきゅうりは生のきゅうりに戻れない》─吾妻ひでおさんは、あれから一滴も飲んでおらず、健康を取り戻したようなのだが、きゅうりはぬか漬けにしなくても、やがてしなびる。
誰もが老い、いずれは死ぬ。子どものころなんてさあ、朝から元気いっぱいで、酒も薬物も必要とせず、夜にはぐっすり眠れたのに。



酒は涙かため息か─あるいは《進化したナメクジ》が、下等動物のままでいれば楽に生きられ楽に死ねたろうに─とこぼすグチのようなものか。
東京新聞の最終面に『わが街わが友』という、著名人が短期連載を引き継いでゆくコラムが載っており、たいていは成功者の自慢だが、あの乙武クンの連載は一風変わっていて、彼に対する認識を改めさせられた。彼が太陽のように明るいのは、人間の命に限りがあることを分かった上でのことだったんですね。
逆に、黙っていてもチヤホヤされる、何ひとつ欠けることのない美女に生まれついたニコは、生きながらにして常に死の匂いを振りまく、まるで死が親友であるかのよう。だが、その音楽は、不思議と優しい。
この映画は、以前のチェット・ベイカーの映画と同様、劇的とか感動を誘うとかではないけれども、一人の人間が背負った業がまざまざと描かれ、その光=まったく独自な音楽=と、影=酒や薬物浸りの暮らし=が、分かちがたい運命だったということが、静かに伝わってきます。
─と書いているうちに、酒が飲める時間が、少し近づいてきた。

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