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書肆マガジンひとりとしての小規模な同人活動を継続します。

2007年間TOP20

2007-12-31 18:24:50 | 音楽

1. "千の風になって" 秋川雅史 (2006)
2. "蒼い鳥" フジファブリック (2007)
3. "Barra Barra" Rachid Taha (2000)
4. "Rehab" Amy Winehouse (2006)
5. "Four Winds" Bright Eyes (2007)
6. "Cellphone's Dead" Beck (2006)
7. "Weird Fishes/Arpeggi" Radiohead (2007)
8. "D.A.N.C.E." Justice (2007)
9. "Direct Hit" Art Brut (2007)
10. "Diamond Heart" Marissa Nadler (2006)

11. "Young Folks" Peter Bjorn and John (2006)
12. "Silently" Blonde Redhead (2007)
13. "All My Friends" LCD Soundsystem (2007)
14. "Phantom Limb" The Shins (2006)
15. "It's All True" Tracey Thorn (2007)
16. "My Rights Versus Yours" The New Pornographers (2007)
17. "Pick Up the Pieces" Money Mark (2007)
18. "Boy With a Coin" Iron & Wine (2007)
19. "ゴールデンタイム" 和田アキ子 (2007)
20. "Impossible Germany" Wilco (2007)





年間トップは創価学会!!
ぎゃあああっっっ

…というか日本人によるワンツーフィニッシュというのは、洋楽を聴くようになってからは記憶にない。快挙なのであるが、日本の音楽のほとんどをゲロと思うオラにしてもこの2曲のよさにはあらがえなかった。
まあ両親の墓の前では泣きたい気持ちになるけどな、オラは……作者不詳の詩をもとにした「千の風になって」は葬式だの法事だのでメシ食ってる既存の仏教にとっては脅威かもしれないが、そのぶん新しい宗教や霊感商法・スピリチュアルの類とは馴染みやすい。
このことは音楽と宗教とがその成り立ちを同じくしており、また人々にとって果たす役割も共通しているということを示しているのではないだろうか。
新しい宗教は、既存の宗教や支配体制に対する抗議・異議申し立てであるとともに、既存の宗教や民間伝承・占いなどからいろいろな要素を寄せ集めてでっちあげられたものでもある。
ユダヤ教→キリスト教→イスラム教あるいはカトリックとプロテスタントあるいは既成仏教と鎌倉仏教あるいはさまざまな新興宗教・マルチ商法…
同じように、新しい音楽の動きは常に古い主流音楽に対する反発を含んでいたし、またさまざまな既成音楽や民俗要素を取り込んで成り立ったものでもある。
ロックの誕生はまさにその典型と言えるかもしれないし、中でもボブ・ディランやレッド・ツェッペリンのような教祖タイプの場合はさまざまな要素をパクって神話や魔術のようにファンを支配しようとする傾向が見られる。
もちろんオラは宗教の、人を支配→人を食いものに→継続的に金儲け、というビジネスの側面に嫌悪を覚えるし、音楽にはできるだけそうあってほしくない。
芸を見せてみんなを楽しませたあと投げ銭してください、というような存在であってほしい。
そしてまた今年はそんなふうに辻音楽師というかフォーク・民俗要素をうまい具合に取り込んだミュージシャン、バンドの存在が目立った。ブライト・アイズ、シンズ、ピーター・ビョルン&ジョン、アイアン&ワインなど、またチャートでは惜しくも漏れたがブルース・スプリングスティーン、リチャード・トンプソン、ジョニ・ミッチェル、PJハーヴェイら大物の新作にもそうしたおもむきが感じられた。
そんな中でウィルコの「Impossible Germany」がだんだんと順位を下げてようやく20位に落ち着いたのだがローリングストーン誌の年間チャートではさらに低い71位となっていたようである。そこまで低いとも思わんけど、なんとなく正統派のポップスの土俵で勝負することを避けてる曲という気がするのよね。
「オルタナティブ=別の・他の」というようなことが、ウィルコの場合にはなんとなく競争を避けて閉じこもる、レイディオヘッドの場合には自信をもって価値観を提示してゆさぶりをかける、のような微妙に異なった意味合いになってる気が。
やっぱりM-1グランプリの漫才師もフィギュアスケートの選手も、笑いがすべっても転んじゃってもカッコいいじゃないですか。体重別とか関係ない無差別の土俵で、4分間にすべてを注ぎ込んで誰にもわかる芸で競い合う姿はいさぎよくて立派。
音楽にもそういうポップス!という太い幹があったうえでいろんな花を咲かせてほしいと切に思う。
しかしまああれですよ、同誌の年間チャートを見て買い求めた曲にOkkervil Riverの「Our Life Is Not a Movie or Maybe」という曲があってタイトルにどっきり。
映画星取表のときに、実在人物を描いた映画に対して「もうちょっとエロ・グロ・バイオレンスでもいいのでわ」とわなにごとか!みたいに他の人を批判したじゃないですか。そういう他人を攻撃しないではいられない自分の卑しい心根をずばり見透かされたように思えて…「われわれの人生は映画ではない、でもひょっとしたら」
16位の「わたしの権利VSあなたの」ってタイトルもすげえけどな…ほんとうにポップスってすごい。
さてみなさん、こんただ性格のねじ曲がったオラのブログを訪問していただいてありがとうございました。来年も来てね!よいお年を。


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2007年の映画・星取表

2007-12-29 16:14:07 | 映画(映画館)

★★★★★
魂萌え!(阪本順治)試写会
善き人のためのソナタ(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク)
ツォツィ(ギャヴィン・フッド)試写会
ゆれる(西川美和)旧作
ロニー ~MODSとROCKが恋した男~(ルパート・ウィリアムズ&ジェイムズ・マッキー)
TOKKO -特攻-(リサ・モリモト)
4分間のピアニスト(クリス・クラウス)
HOUSE(大林宣彦)旧作
泥の河(小栗康平)旧作
ペルセポリス(マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー)

★★★★
麦の穂をゆらす風(ケン・ローチ)
ドリームガールズ(ビル・コンドン)試写会
デ ジャ ヴュ(ダニエル・シュミット)旧作
リトル・ミス・サンシャイン(ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ハリス)
エンロン 巨大企業はいかにして崩壊したのか?(アレックス・ギブニー)
素粒子(オスカー・レーラー)
檸檬のころ(岩田ユキ)
蛇イチゴ(西川美和)旧作
赤い文化住宅の初子(タナダユキ)
ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習(ラリー・チャールズ)
歌謡曲だよ、人生は(オムニバス)
夕凪の街 桜の国(佐々部清)試写会
大日本人(松本人志)
Academyアカデミー(ギャヴィン・ヤングス)
ジェイムズ聖地へ行く(ラアナン・アレクサンドロヴィッチ)
アズールとアスマール(ミッシェル・オスロ)
ヒロシマナガサキ(スティーヴン・オカザキ)
This is BOSSA NOVA(パウロ・チアゴ)
シッコ(マイケル・ムーア)
ロンドン・コーリング/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー(ジュリアン・テンプル)
赤線地帯(溝口健二)旧作
トランシルヴァニア(トニー・ガトリフ)
キサラギ(佐藤祐市)
錨を上げて(ジョージ・シドニー)旧作

★★★
PASSION MANIACSマニアの受難~MOONRIDERS THE MOVIE(白井康彦)
マジシャンズ(ソン・イルゴン)
チョムスキーとメディア(マーク・アクバー&ピーター・ウィントニック)
パラダイス・ナウ(ハニ・アブ・アサド)
春のめざめ(アレクサンドル・ペトロフ)
低開発の記憶~メモリアス(トマス・グティエレス・アレア)旧作
ボルベール<帰郷>(ペドロ・アルモドバル)
あるスキャンダルの覚え書き(リチャード・エアー)
幸せの絆(ウーラン・ターナ)
そして、デブノーの森で(ロベルト・アンドゥ)
六ヶ所村ラプソディー(鎌仲ひとみ)
祇園囃子(溝口健二)旧作
花の夢~ある中国残留婦人(東志津)
マルクス兄弟デパート騒動(チャールズ・ライスナー)旧作
onceダブリンの街角で(ジョン・カーニー)
いのちの食べかた(ニコラウス・ゲイハルター)
バタアシ金魚(松岡錠司)旧作
理髪店主のかなしみ(廣木隆一)旧作
中国の植物学者の娘たち(ダイ・シージエ)
ベティ・ペイジ(メアリー・ハロン)

★★
合唱ができるまで(マリー=クロード・トレユ)
ROUGH CUT & READY DUBBED(ダム・ショウ&ハーサン・シャー)旧作
KILL YOUR IDOLS(S・A・クレーリー)
ミックステープ(ウォルター・ベル)
ロング・アイド・ジーザスを探して(アンドリュー・ダグラス)
香水 ある人殺しの物語(トム・ティクヴァ)試写会
9.11-8.15日本心中(大浦信行)
loudQUIETloud: A Film about the Pixies(スティーヴン・カンター&マシュー・カルキン)
ポートレイツ・オブ・ジャマイカン・ミュージック(ピエール・マーク・シムニン)
LOVEDEATH(北村龍平)
スクリーミング・マスターピース(アリ・アレクサンダー&イルギス・マグヌッソン)試写会
アキ・カウリスマキ・ミーツ・ロケンロール(アキ・カウリスマキ)旧作
ナビゲーター ~ある鉄道員の物語(ケン・ローチ)旧作
小平(ティン・インナン)旧作
童貞。をプロデュース(松江哲明)
ハダカの城(柴田誠)
カルラのリスト(マルセル・シュプバッハ)試写会
観察~永遠に君を見つめて(横井健司)
ホッテントットエプロン-スケッチ(七里圭)


マリー・アントワネット(ソフィア・コッポラ)
さくらん(蜷川実花)試写会
アル・グリーン(ロバート・マッジ)旧作
不機嫌な男たち(ミン・ビョングク)
女・前田弘二監督特集(前田弘二)
みづうみ(安達正軌)
人間椅子(佐藤圭作)
ルネッサンス(クリスチャン・ヴォルクマン)
街のあかり(アキ・カウリスマキ)
アフロ・パンク(ジェイムズ・スプーナー)
ヒミコさん(藤原章)
ロビンソンの庭(山本政志)旧作
チャプター27(ジャレット・シェファー)試写会
イッツ・ア・ニューデイ(梅沢利之)

途中退席
自虐の詩(堤幸彦)試写会


オラは映画が嫌いだ~~!!
スターウォーズが嫌いだ!パイレーツ・オブ・カリビアンが嫌いだ!三丁目の夕日が嫌いだ!ホステルなんて、1000万円もらったって見たくねえ。
映画というのは、ひとつにはこうである…東京国際映画祭のレッドカーペット(上画像)
映画というのはまた、もうひとつにはこうである…若くて戦争を知らない監督が、神風特攻隊の生き残りの人を探し出して取材し、死んでいった人の声なき声に耳かたむける…
そして、おおかたの人にとっては映画というのは前者のようなものがすべてであり、後者のような映画はほとんどその存在を知られることはない。
真実よりもウソが勝つ、地味で良心的な作品よりも派手で悪徳な作品が勝つ、それが映画というものであり、オラはそういう映画のありかたを嫌いである。
先日の『ベティ・ペイジ』という映画について「劇的な展開があるわけではないが、歴史の真実の手ざわりが印象的」と書いたところ、トラックバックしてきた他の映画ブログの人は「もうちょっとエロ・グロ・バイオレンスでもよかったかも」などと書いていた。
ああ、オラと根本的に考え方を異にする人なんでんなあ…まあいろんな考えの人がいるから人間って面白いんでっしゃろけど。
真実を追究することより、派手で刺激の強いウソを求める……正業に就いてる人は年に1本も見に行けない映画なんてものを100本も200本も見に行ってうつつをぬかしてるのでそんなふうに「洗脳」されてしまった。その果ては、先日の新聞の片隅で小さく報じられた、オーシャンズ11を見て「泥棒ってカッコいい」と思って強盗をはたらいた少年。
そりゃあ幸福の科学の総裁も、大金をかけて布教アニメを製作・全国公開して子どものうちから家畜化しちゃえ!と思いまっしゃろ。ほとんどビョーキ=SICKO。
まあそんなようなわけで、今年の映画界は悪貨が良貨を駆逐しつつあるのか、新しい作品に心ゆさぶるものが少なかったですね。
しかしそんな中でも『善き人のためのソナタ』『素粒子』『4分間のピアニスト』と、ドイツ映画の健闘がわずかな光をともしてくれました。

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歌謡曲100選

2007-12-27 19:33:03 | 音楽
1. 「リンゴの唄」 並木路子、霧島昇 (サトウハチロー/万城目正) 1946
2. 「夜のプラットホーム」 二葉あき子 (奥野椰子夫/服部良一) 1947
3. 「東京ブギウギ」 笠置シヅ子 (鈴木勝/服部良一) 1948
4. 「湯の町エレジー」 近江俊郎 (野村俊夫/古賀政男) 1948
5. 「銀座カンカン娘」 高峰秀子 (佐伯孝夫/服部良一) 1949
6. 「青い山脈」 藤山一郎、奈良光枝 (西條八十/服部良一) 1949
7. 「買物ブギー」 笠置シヅ子 (村雨まさを/服部良一) 1950
8. 「星影の小径」 小畑実 (矢野亮/利根一郎) 1950
9. 「越後獅子の唄」 美空ひばり (西條八十/万城目正) 1950
10. 「上海帰りのリル」 津村謙 (東條寿三郎/渡久地政信) 1951

11. 「お祭りマンボ」 美空ひばり (原六朗) 1952
12. 「雪の降る町を」 高英男 (内村直也/中田喜直) 1953
13. 「お富さん」 春日八郎 (山崎正/渡久地政信) 1954
14. 「別れの一本杉」 春日八郎 (高野公男/船村徹) 1955
15. 「月がとっても青いから」 菅原都々子 (清水みのる/陸奥明) 1955
16. 「リンゴ村から」 三橋美智也 (矢野亮/林伊佐緒) 1956
17. 「ここに幸あり」 大津美子 (高橋掬太郎/飯田三郎) 1956
18. 「有楽町で逢いましょう」 フランク永井 (佐伯孝夫/吉田正) 1957
19. 「東京だョおっ母さん」 島倉千代子 (野村俊夫/船村徹) 1957
20. 「嵐を呼ぶ男」 石原裕次郎 (井上梅次/大森盛太郎) 1958

21. 「黒い花びら」 水原弘 (永六輔/中村八大) 1959
22. 「潮来笠」 橋幸夫 (佐伯孝夫/吉田正) 1960
23. 「達者でナ」 三橋美智也 (横井弘/中野忠晴) 1960
24. 「さすらい」 小林旭 (西沢爽/狛林正一) 1960
25. 「アカシアの雨がやむとき」 西田佐知子 (水木かおる/藤原秀行) 1960
26. 「月の法善寺横町」 藤島桓夫 (十二村哲/飯田景応) 1960
27. 「こりゃシャクだった」 クレイジーキャッツ (青島幸男/萩原哲晶) 1961
28. 「上を向いて歩こう」 坂本九 (永六輔/中村八大) 1961
29. 「東京ドドンパ娘」 渡辺マリ (宮川哲夫/鈴木庸一) 1961
30. 「浪曲子守唄」 一節太郎 (越純平) 1963

31. 「見上げてごらん夜の星を」 坂本九 (永六輔/いずみたく) 1963
32. 「高校三年生」 舟木一夫 (丘灯至夫/遠藤実) 1963
33. 「ウナセラディ東京」 ザ・ピーナッツ (岩谷時子/宮川泰) 1964
34. 「アンコ椿は恋の花」 都はるみ (星野哲郎/市川昭介) 1964
35. 「函館の女」 北島三郎 (星野哲郎/島津伸男) 1965
36. 「愛して愛して愛しちゃったのよ」 和田弘とマヒナスターズ、田代美代子 (浜口庫之助) 1965
37. 「夕陽が泣いている」 ザ・スパイダース (浜口庫之助) 1966
38. 「君といつまでも」 加山雄三 (岩谷時子/弾厚作) 1966
39. 「霧氷」 橋幸夫 (宮川哲夫/利根一郎) 1966
40. 「星のフラメンコ」 西郷輝彦 (浜口庫之助) 1966

41. 「恋のフーガ」 ザ・ピーナッツ (なかにし礼/すぎやまこういち) 1967
42. 「ブルー・シャトウ」 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (橋本淳/井上忠夫) 1967
43. 「ブルー・ライト・ヨコハマ」 いしだあゆみ (橋本淳/筒美京平) 1968
44. 「恋の季節」 ピンキーとキラーズ (岩谷時子/いずみたく) 1968
45. 「伊勢佐木町ブルース」 青江三奈 (川内康範/鈴木庸一) 1968
46. 「あなたのブルース」 矢吹健 (藤本卓也) 1968
47. 「港町ブルース」 森進一 (深津武志/猪俣公章) 1969
48. 「真夜中のギター」 千賀かほる (吉岡治/河村利夫) 1969
49. 「長崎は今日も雨だった」 内山田洋とクール・ファイブ (永田貴子/彩木雅夫) 1969
50. 「夜明けのスキャット」 由紀さおり (山上路夫/いずみたく) 1969


51. 「圭子の夢は夜ひらく」 藤圭子 (石坂まさを/曽根幸明) 1970
52. 「よこはま・たそがれ」 五木ひろし (山口洋子/平尾昌晃) 1971
53. 「また逢う日まで」 尾崎紀世彦 (阿久悠/筒美京平) 1971
54. 「喝采」 ちあきなおみ (吉田旺/中村泰士) 1972
55. 「女のみち」 宮史郎とぴんからトリオ (宮史郎/並木ひろし) 1972
56. 「雨」 三善英史 (千家和也/浜圭介) 1972
57. 「瀬戸の花嫁」 小柳ルミ子 (山上路夫/平尾昌晃) 1972
58. 「個人授業」 フィンガー5 (阿久悠/都倉俊一) 1973
59. 「あなた」 小坂明子 (小坂明子) 1973
60. 「なみだの操」 殿さまキングス (千家和也/彩木雅夫) 1973

61. 「なみだ恋」 八代亜紀 (悠木圭子/鈴木淳) 1973
62. 「ふれあい」 中村雅俊 (山川啓介/いずみたく) 1974
63. 「積木の部屋」 布施明 (有馬三恵子/川口真) 1974
64. 「古い日記」 和田アキ子 (安井かずみ/馬飼野康二) 1974
65. 「ロマンス」 岩崎宏美 (阿久悠/筒美京平) 1975
66. 「千曲川」 五木ひろし (山口洋子/猪俣公章) 1975
67. 「時の過ぎゆくままに」 沢田研二 (阿久悠/大野克夫) 1975
68. 「春一番」 キャンディーズ (穂口雄右) 1976
69. 「矢切りの渡し」 ちあきなおみ (石本美由起/船村徹) 1976
70. 「あばよ」 研ナオコ (中島みゆき) 1976

71. 「横須賀ストーリー」 山口百恵 (阿木耀子/宇崎竜童) 1976
72. 「すきま風」 杉良太郎 (いではく/遠藤実) 1976
73. 「ウォンテッド(指名手配)」 ピンク・レディー (阿久悠/都倉俊一) 1977
74. 「津軽海峡・冬景色」 石川さゆり (阿久悠/三木たかし) 1977
75. 「北国の春」 千昌夫 (いではく/遠藤実) 1977
76. 「ガンダーラ」 ゴダイゴ (山上路夫、奈良橋陽子/タケカワユキヒデ) 1978
77. 「いい日旅立ち」 山口百恵 (谷村新司) 1978
78. 「ブルースカイブルー」 西城秀樹 (阿久悠/馬飼野康二) 1978
79. 「異邦人」 久保田早紀 (久保田早紀) 1979
80. 「私はピアノ」 サザンオールスターズ (桑田佳祐) 1980

81. 「スニーカーぶる~す」 近藤真彦 (松本隆/筒美京平) 1980
82. 「恋人よ」 五輪真弓 (五輪真弓) 1980
83. 「帰ってこいよ」 松村和子 (平山忠夫/一代のぼる) 1980
84. 「青い珊瑚礁」 松田聖子 (三浦徳子/小田裕一郎) 1980
85. 「大阪しぐれ」 都はるみ (吉岡治/市川昭介) 1980
86. 「セカンド・ラブ」 中森明菜 (来生えつこ/来生たかお) 1982
87. 「ワインレッドの心」 安全地帯 (井上陽水/玉置浩二) 1984
88. 「時の流れに身をまかせ」 テレサ・テン (荒木とよひさ/三木たかし) 1986
89. 「木枯しに抱かれて」 小泉今日子 (高見沢俊彦) 1986
90. 「ガラスの十代」 光GENJI (飛鳥涼) 1987

91. 「TATTOO」 中森明菜 (森由里子/関根安里) 1988
92. 「抱きしめてTONIGHT」 田原俊彦 (橋本淳/筒美京平) 1988
93. 「嵐の素顔」 工藤静香 (三浦徳子/後藤次利) 1989
94. 「青春」 森高千里 (森高千里/斉藤英夫) 1990
95. 「さよならイエスタデイ」 TUBE (前田亘輝/春畑道哉) 1991
96. 「クリスマスキャロルの頃には」 稲垣潤一 (秋元康/三井誠) 1992
97. 「シングルベッド」 シャ乱Q (つんく/はたけ) 1994
98. 「恋しさと せつなさと 心強さと」 篠原涼子 with t. komuro (小室哲哉) 1994
99. 「CAN YOU CELEBRATE?」 安室奈美恵 (小室哲哉) 1997
100. 「LOVEマシーン」 モーニング娘。 (つんく) 1999


おっととっと冬だぜ。毎日寒いですな。拘置所刑務所はなお寒かろ……さあ中高年ウンチクひけらかしタ~~イム!!
18歳くらいのときミュージック・マガジンが大々的に取り上げてナイジェリアの「ジュジュ」と呼ばれる音楽が話題を呼んだのだけど、そこで使われるトーキング・ドラムといううねるように鳴る変わった打楽器に似た音色をオラ子どもの頃にTVの歌謡曲で聞いた覚えあったなあ。「瀬戸の花嫁」のパーカッション…。
やはり子どもの頃、殿さまキングスは歌で売れる前は音楽を用いたお笑いをやっていて、宮路おさむがこぶしをころころ転がして「マサチューセッツ」を歌う、というネタがあった。
いや「ビー・ジーズが演歌に似てる」んじゃなくて「演歌がビー・ジーズに似てる」んでしょ。あと頭脳警察のPANTAってやつ、あんなもんは「下手くそな三橋美智也」に過ぎねーぜ。ロックでもパンクでもねえ。

…まあそんなこんなで音楽について語り出すと止まらなくなるんですが、そんな歌謡曲の流れを一まとめにして100曲を選んでみようという。
オラのiTunesにどうしても入れたくない歌・歌手は除外されてるので、歪曲されて美化された歴史に過ぎないけれども、ミュージック・マガジン12月号の選んだ100曲よりは断然カッコよく一応の筋は通っているという自負あります。
約1ヵ月間せっせと音源を集め、ああでもないこうでもないと取捨選択して、いよいよきのうの夜に6時間かけて1曲目から100曲目までぶっ通しで聴いた!!…圧巻。

痛みに耐えてよくがんばった!!感動した!!
がんばったのはオラでなくて音楽にたずさわった人たち、そして「痛み」というのは戦争に負けたこと…全国の都市を空爆され、原子爆弾まで落とされてこてんぱんに負けた焼け野原。
戦後しばらく進駐軍向けの英語のラジオ放送が一般家庭でも当たり前のように聞かれ、アメリカの贅沢な音楽もたくさん流入。一方日本のラジオ放送では人気番組の上位を浪花節の番組が占めるという現象も。岸田秀さん流に言うなら「アメリカに屈服してそれを受け入れる自我と、あくまでもアメリカを排撃し自分の殻に閉じこもる自我に分裂」ってところでしょうか。どうしても入れる気にならなかった歌というのは、それを象徴するような気がする洋楽のカバー曲と浪花節傾向の強い歌手。

前者には「テネシー・ワルツ」「ラストダンスは私に」「黒ネコのタンゴ」「ヤング・マン」など規模の大きなヒット曲があり、後者には村田英雄・三波春夫・水前寺清子・細川たかしなど有力歌手がいるが、やっぱり「洋楽と混ぜて聞く」という前提のオラのiTunesではお引取りいただくしかなかった。
しかし選ばれた曲にも世界各地の音楽がさまざまな形で血肉化されている~ブギウギ、ジャズ、カントリー&ウエスタン、ロカビリー、ハワイアン、ルンバ、マンボ、タンゴ、シャンソン~節操なくなんでも取り込む雑食性がこの時期の歌謡曲の大きな魅力ともなっている。

やがて昭和40年代、アメリカやイギリスではビートルズの出現とともに、他人の作った曲を歌う歌手という存在はだんだんと過去のものとなってゆきつつあったが、日本では高度経済成長を成し遂げオリンピックや万博を開催した世相のなか、ラジオや映画に代わって娯楽の中心となったテレビ、そこでは一家団欒の家族に向けた歌番組やバラエティ番組に欠かせない存在として、歌手の存在感はむしろ高まっていたかもしれない。

時代の空気を巧みに切り取って、そんな歌手たちに曲を提供する作詞家・作曲家も、かつてはレコード会社に専属していたが作詞の阿久悠、作曲の筒美京平といった人気作家がフリーの立場で曲を量産するようになっていき、また吉田拓郎や小椋佳など自作自演系のミュージシャンが歌謡曲歌手に曲を提供することも増えていった。

さて筒美京平という人物は日本ポップス史上最高の作曲家とされることも多いが、はたしてそれは本当だろうか。たしかに「ブルー・ライト・ヨコハマ」や「ロマンス」は素晴らしい曲ではある。しかし彼は一般のリスナーには当時入手のむずかしかった洋楽のレコードを買い漁り、そこから作曲・編曲のアイデアをたくさん盗用することでも知られており「パクリの筒美」の異名をとったことも。後年の「たそがれマイ・ラブ」や「19:00の街」は初めから終わりまで完全に盗作であるし、そういう予断をもって聞くためもあるがオリジナルの曲にしても洋楽と混ぜて聞いたときにどこか不自然で作為的な構築性を感じさせる。服部良一や浜口庫之助のような「天然の美」とどこか異なり、平気で盗作するような人間であるということが曲の隙間に表れてしまっているのだ。
1979年にレコード大賞をさらった「魅せられて」が、なにやらヒューザーの耐震偽装マンションのように感じられると言ったら言い過ぎだろうか。

そして、それ以降の時代に歌謡曲の質を大幅に低下させたのがジャニーズ事務所および作詞の秋元康という存在であろう。昭和53(1978)年に『ザ・ベストテン』の放映が始まり人気番組となったことで、それまで以上にヒットチャートに注目が集まることとなった。オリコンというベンチャー企業がレコード売り上げ枚数の推計を調査して毎週のヒットチャートとして公表するようになったのは昭和43年頃のようである。ジャニー喜多川および秋元はこのオリコンの影響力に着目し、広告代理店的な発想のもと自ら手がけた実力皆無アイドル歌手のシングル盤レコードをTV番組で宣伝して発売日に買わせることによって毎週かわるがわる初登場1位を占拠した。

たとえば1970年代には誰もが知る山本リンダの「狙いうち」にしたところで売り上げは推計18万枚で最高14位に過ぎない。ところが80年代にはアイドル歌手特定のファンのみにしか知られない曲が同じくらい、あるいはそれ以下の売り上げ枚数で1週間のみ1位に、ということが頻繁に起こるようになった。
別にジャニーと秋元だけのせいではない。そういう時代の流れでもあった。しかしこうした「コピーライター的に刺激を強く言葉を単純化」「大勢を敵に回しても一部を支配して金儲け」「小さな労力で大きな成果を」というような商売のやり方は確実に人の心をむしばんだであろうし、霊感商法や後年のバブル経済、インターネット時代にかえってリテラシー低下するなどの現象の前ぶれとさえ言えるかもしれない。

歌は世に連れ、世は歌に連れ…十代の美空ひばりの驚異的な歌唱力による「越後獅子の唄」からは溝口健二監督の『山椒大夫』のような光景が浮かんでくる。阿久悠の作詞による「北の宿から」や「津軽海峡・冬景色」からはよくある2時間ドラマのような光景が浮かんでくる。秋元康の作詞による歌からは「世界まるごとハウマッチ」やら「オーラの泉」のような光景が…もはやドラマですらない。美空ひばりにしても中期の「悲しい酒」や「柔」ではドスの利いた押しつけがましい歌い方をするようになっており、晩年はいくらか改善されたが最後に秋元康を起用することになったのもなにかの必然というものか。

昭和が終わって美空ひばりも去り、バブル経済は破裂したが90年代に入ってCDの売り上げはしばらく活況が続き、沈滞する歌謡曲に代わってJ-POPがその中心を担うようになったものの、出てくるミュージシャンはみんなジャニーズ事務所や秋元康のやり方を予習している世代。オラにとって期待を感じさせるような存在はほぼいない。モーニング娘。─♪にっぽんの未来は世界がうらやむ─を聴きながら、日本沈没を見届けるのもまたオツなもの。

しかしながら、選曲しているときは日本人って(少なくとも音楽に関しては)つくづくどうしようもねえなあ、と思ってたんだけど、通して聴いてみるとそんなに捨てたもんでもないような。日本人が嫌いでも「北国の春」は好きっていう中国人も少なくないそうで、その「北国の春」~「ガンダーラ」~「いい日旅立ち」~「ブルースカイブルー」~「異邦人」と続くあたりの汎アジア的な叙情性と雄大なスケール感には心ゆさぶられる。
また「青い珊瑚礁」~「大阪しぐれ」~「セカンド・ラブ」と続くところの松田聖子・都はるみ・中森明菜による三者三様の個性が輝く歌唱も素晴らしい。
光がプリズムを通過して7色に分解される、その7色がここにずらり並んだ100曲で、プリズム=日本人固有の民族性。100曲を聴くことによって日本人のうそいつわりない本当の民族性というものと直面することになる。それは意外なほど新鮮な体験であった。

さてそんなようにますますオラを音楽漬けにさせるきっかけを与えてくれて、久しぶりに購読したミュージック・マガジンに感謝したいのではあるが、なにやら表紙イラスト(下掲)を見ても〝渋谷系な雑誌〟になっちゃってるみたい…。

西城秀樹さんというのはこんな無味無臭なカッコよさと違うのよ、もっと朝鮮系の血のたぎる泥臭いカッコよさなんですよ。昔は河村要助さんや吉田カツさんの表紙イラストで硬派な音楽雑誌。八つ当たりみたいな毒舌があっても筋はきちんと通す雑誌として信頼していた。それがいつの間にやら軟弱で消費志向な雑誌に…「セーラー服を脱がさないで」を選んどいて、アイドル歌謡の質を飛躍的に下げた、でも好きだった…なんてコメント目にしたくねえ。日和見すんな!!

しかし80年代当時には米英以外の世界のポップス、ワールド・ミュージックを熱意をもって紹介する唯一の雑誌でもあった。
このたび歌謡曲を集中的に聴いてみてまず感じるのは、どの時期にも女性歌手のパワーが男性歌手を圧倒しているということ。この女性優位の現象は米英以外の世界のポップスの傾向でもあり、ワールド・ミュージックとしての歌謡曲、ということを考えさせるとともに、米英のロックやパンクはなんだかんだ言ってもけっこう男社会なんだなあと再認識。

日本の音楽の中でワールド・ミュージック指向の人を特に魅了するのが沖縄民謡ですが、その要素を含んだ「お富さん」のハイブリッドなカッコよさは時代を超えているという発見も。
志村けんさんは「変なおじさん」でも「ハイサイおじさん」を用いていたが、「お富さん」も石野陽子との「ゴゴ5時の夫婦」のコントの中で使っていた。♪エ~ッサオ~のところでブリッジの体勢で腰をゆっさゆっさゆさぶるのには、歌を知らない子どもたちも大爆笑。

他にも100曲には選ばなかったものの「愛と死をみつめて」が、志村けん・田代まさし・松本典子演じるじいさんばあさんと孫娘のコントで。
志村─「♪じいさん…甘えてばかりで、ごめんね。ばあさんはとってもさみしかったの…
ジジ・ジジジジジジ・じいさん…甘えてばかりで…ごめんなんしょ…
ババ・バババババババ・ババババババババババババ………」
田代─「おい!おまえ変なもん食ったんじゃねえのかあ??」
変なものをやっていたのは田代さんのほうだったという。
─あはは、うふふ、え~へへのお~ほほでだっふんだ!!ぼ~くらの合い言葉はだっふんだ!!そ~れではみ~なさん…本日は長文にお付き合いいただいて、どうもありがとあんした。


※追記(2010-5-25)─100選の選曲から「君恋し」(フランク永井、1961年)を除外して「湯の町エレジー」を追加しました。
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『ペルセポリス』

2007-12-25 23:12:32 | 映画(映画館)
Persepolis@マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー監督(2007年フランス)
1978年、イラン。9歳の少女マルジャン(愛称マルジ)はパパとママ、大好きなおばあちゃんに囲まれて、幸せに暮らしていた。しかし革命が起きた後、学校は男女別々、女子はヴェール着用などの法律が制定され、翌年にはイラクとの戦争が勃発、人々は“風紀取り締まり警察”や空襲におびえて暮らすようになっていた。それでも恐れを知らぬマルジは“PUNK IS NOT DED”のジャケットを着て街に繰り出したり、校長先生に意見したり。大胆なマルジの身を案ずる両親は、この混乱を避けて娘をウィーンに留学させることにする。
ティーンエイジャーのマルジはウィーンで仲間たちと楽しい日々を送っていた。いつの間にか大人へと大変身し、恋もする。しかし次第に、西欧文化とイスラム文化とのはざまで悩むようになり、自由を手放してでも帰国することを決意する。
再び家族の元に戻ったマルジは、さまざまな社会の矛盾や制約の中でたくましく成長していく…自分らしさとおばあちゃんの言葉「いつも公明正大であれ」を忘れずに…。

昨春に萩尾望都さんがジュンク堂で行った催しで原作マンガ本を紹介しており、そのとき買ったままつん読状態になっていたのを、映画が作られたことを知って遅まきながら読み始め、日本マンガとの表現方法の違いと重たい題材に戸惑いながらも上巻の半分くらいまで読み進めて今年の映画鑑賞の最後はぜひこの作品で、と決めた。
昨年の最後は『硫黄島からの手紙』で、時代は違えど戦時中の日本と80年代のイランに共通するのが一部の勢力による圧倒的な支配、言論統制、抵抗者への容赦ない迫害、そして戦争。
マルジの一家はわりと経済的に恵まれており自由開明な家風だが、パーレビ王政の時代から身内や知人には逮捕され拷問された者がぞろぞろ。その一人だった優しいアヌーシュおじさんは王政が倒れていっとき釈放されるものの宗教革命の下、再び逮捕されてそのまま帰らぬ人に。
最近イスラム教の西欧文明への異議申し立てとしての価値観に少し関心を抱いてるのだけど、やっぱりこれまであらゆる宗教の名の下に行われてきた数知れない蛮行には嫌悪感を抱かざるをえない。
オラ神様なんて信じてないけどさ、もし神がいるとしたら多様性こそが神の意志でしょう、動物も植物もありとあらゆる形をもって生きている。そしてエロマンガについて書くときにも念頭にあることやけど、近親相姦においては奇形の発生する確率が高まる。生物はなるべく遠い遺伝形質が結ばれて多様性を確保し、環境が激変してもしぶとく生き残れるように運命づけられている。
それなのに宗教のやつらというのは、人々が価値観を一つに統一するべきであるとぬけぬけと主張し、逆らう者は神の名を借りて殺すこともいとわない。
それは「洗脳」であり「支配」だ…マルジのおばあちゃんはマルジに語る「恐れが人から良心を失わせ、恐れが人を卑怯にもさせる」…戦時中の日本や80年代のイランで起こったことは「恐怖による支配」…しかし暴力などによるハードな支配は人間の尊厳まで奪うことはできない。
曲りなりにも民主国家である日本にとってさらに警戒しなければならないのは長い時間をかけて心理的・物理的な快楽の習慣づけによって行われるソフトな支配ではないだろうか。
いったん洗脳された者は麻原彰晃の風呂の残り湯を喜々として飲み、オールバックの占星術女の説教に涙を流す。
いわば自分の意志で「精神的売春婦」になってしまう…ほら、知らず知らずのうちに自民党が、創価学会が、みのもんたが、石原軍団が、SMAPが、あなたの心に…。
タリバンの神学生がわれわれから異様に見えるのと同じように、海外の人から見てバレーボールの国際試合の前にど下手なボーカル・グループが歌を歌う光景が異様でないとどうして言えよう。
…悪い癖でいつものようにオラのほうこそ説教臭くなってしまいましたね。この映画ではもっとさりげないユーモアと、独特な絵柄(リアルな絵柄あるいは実写でないのは特殊な世界の特殊な物語と受け取られてしまうのを避けるためだとか)によって、どこの誰にでも当てはまる成長物語として親近感をもって受け止めることができます。
また原作では、イラン(ペルシャ)とアラブの因縁の歴史や背後でうごめく欧米諸国の関係など、物語の背景も詳しく説明されているのでずっぽし浸って続きを読んでみたい。
しかし蛇足になるけどどうしても書いておきたいのは、共産党のビラをマンションの郵便受けに投函した人が、東京高裁の二審で逆転有罪になったじゃないですか。
小さな事件でっけど「自由」ということからすると怖ろしい事件でっせ、共産党の宿敵・公明党ももはや当然のように政権与党に居座っとるしのお。別に共産党支持ではないが成り行きを見届けないと。

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