マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

YAWARAの実際

2010-06-17 02:05:31 | マンガ
『YAWARA!』浦沢直樹(小学館・全29巻のコミックスほか)
1986年から93年までビッグコミックスピリッツ誌に連載され、作中での時系列も主人公・猪熊柔(いのくまやわら)が高2の86年から88年のソウル五輪を経て92年のバルセロナ五輪に出場するまでを描く柔道マンガ。祖父の滋悟郎より幼いころから柔道の指導を受けて育った柔は、公式戦に出場したことがなかったが、路上でひったくり犯を巴投げする姿をスポーツ新聞記者の松田に目撃される。松田はやがて柔が世界を制し、日本中を熱狂させるのではないかと直感するのだが、ソウル五輪で女子柔道が公開競技として採用されるにあたり、滋悟郎も二言目には「金メダル、国民栄誉賞ぢゃ!!」と柔を叱咤し、乗馬やテニスで天才の名をほしいままにしていたお嬢様の本阿弥さやかをライバルとして柔道に誘い込むことまでする。当の柔は、恋愛にあこがれ、さやかのコーチを務める風祭にほのかな恋心をいだく普通の高校生に過ぎなかったのだが─。
公式戦に出場し、圧倒的な強さを見せるにつれ、柔を取り巻く世界は変わってゆき、カナダの強豪ジョディ・ロックウェルは猪熊宅までやって来て終生のライバルとなるし、柔道部のない三葉女子短大に進学しても、そこで友人となった伊東富士子はプリマ・バレリーナへの夢を絶たれた過去から、柔がソウル五輪で優勝するよう熱心に応援する。
ソウル五輪の無差別級に出場した柔は、ロックウェルを痛めつけて勝ち上がったソ連のテレシコワと決勝で対戦し、敵討ちをするような血気に走った柔道で優勝はするのだが、内心では行方知れずの父・虎滋郎やそれを探して母・玉緒も不在がちだったり家族がバラバラなのは自分のせいだと思い込んで柔道をやめようとしていた。そんな柔を柔道へ引き戻そうと富士子は初心者ばかりの柔道部を立ち上げて、ついには自ら柔とともに世界選手権に出場するまでに上達する。
やがて虎滋郎がライバルさやかのコーチを務めていることを知ってショックを受け、再び柔道をやめようとする柔なのだが、娘・柔を常に遠くから見守ってきた虎滋郎は、同じように常に柔を見守り声援を送る松田記者が柔の復帰の鍵を握ると見込んでいたのだった─。



6人だっけ、7人だっけ、日本の女を犯しちゃったカバキの事件のときは「とにかく、うらやましいってことですよ」と発言し、マイケル・ジャクソンが小児ワイセツで巨額の賠償金を払わせられたときも「俺が親なら子どもをマイケルのところに行かせますね」と発言した会社の同僚Nくんが、高校でラグビー部、大学ではヨット部に属していたことは前にも記したが、彼は会社に入ってもヨット競技を続けており、会社のヨット部選手としてアジア大会の代表候補になったりもしていた。
企業スポーツとわいえ、その会社では野球部以外は勤務のあつかいも普通の社員となんら変わらなかったと思う。フルタイムで勤務し、飲み会とかでもわりと付き合いのよかったNくん。一定量以上の酒が入ると、どんな状況でも熟睡してしまう「寝上戸」で、われわれ同僚が抱きかかえて運ばなければならず、身長は175cmほどに過ぎない彼の、その重いこと。鉄のかたまりを運んでいるようだった。
あの肉体なら、賢明な彼はそんなこと実行しないけれども、女を組み敷いて無理やり犯すことは可能でしょうし、そこらの暴漢と喧嘩などしても滅多に負けないのではないだろうか。スポーツというのは、結局のところ、そういうものである。健全な肉体に健全な精神が─なんていうきれいごとよりも、実益があるので厳しい練習にも耐えられるし、理不尽なしごきに耐え抜いた者が会社組織に就職するにあたって有利なのは当然だったろう。少なくとも日本経済がバブルでイケイケのころは。
それはYAWARAというマンガが描かれ、アニメ化もされて女子柔道が注目を集めたころでもあった。浦沢直樹にとって、最初の大ヒット作であるYAWARAは、恋や友情、ライバルとの熱戦などエンターテインメント要素をテンコ盛りにして読者の心をわしづかみにできるかどうか試みる実験作でもあったと聞くが、むしろその実験の成否は、48㌔以下級の普通の女の子・猪熊柔が78㌔超級とかの大きな選手をぶん投げることにリアリティを持たせられるかということにこそかかっていたろう。
それは一応成功している。しかし、それをもたらしたのは、厳しい練習や格闘技の試合を描ききる表現力というよりは、周囲の人物の造形にこそあると言ってよく、ことに松田記者、花園くん、ジョディ・ロックウェル、伊東富士子といった暑苦しい人物像が魅力的で、汗の匂いが伝わってくるかのようでもあるし、ほかのささいな登場人物まで、どの人物をとってみても主人公として人間ドラマを成立させうるほど手抜きなく造形されている。どの登場人物にも見せ場があり、じーんとするほど生き生き描かれるのだ。



29冊の、どの巻にも2~3ヵ所は涙を誘う場面、笑いを誘う場面がそれぞれ用意されており、その配置はクライマックスのバルセロナ五輪へとらせん状に高まる。初期のみに顔を見せた人物、アイドルの錦森くんや不良の須藤くんも最後に再び現れて、それぞれの人生を歩んでゆくのだが、その中心に置かれた肝心カナメの猪熊柔については、娯楽作品の主人公としてはともかく、リアルな人物像としては有無を言わせぬほどの説得力というまでには至らない。
それは仕方がない。スポーツは、まして格闘技は勝たなければ意味がない。柔道に対して、強い目的意識を持ってもいない柔が連戦連勝。それも実施されないはずの無差別級を「タマランチ会長」を動かして実施させてまでも頂点に立つ。現実においては、最重量のクラスの選手が勝つに決まっているので、オリンピックで実施されなくなったほか、無差別級は世界選手権においても形骸化しつつある。
本家の日本人だけがこだわっている、現実を無視した理念=柔よく剛を制す。かつて山口香選手は「女三四郎」と呼ばれたが、このマンガが話題となってから現れた田村亮子選手は「ヤワラちゃん」と呼ばれ、ご本人も髪型など意識したと記憶する。が、バルセロナ五輪に出場した彼女は惜しくも優勝を逸した。次のアトランタ五輪でも。決勝で彼女を破ったのは北朝鮮のケー・スンヒ選手で、当時ケー選手は国内の無差別級の大会で勝ったなどとも報じられ、その後は階級を上げて世界選手権で連覇したりしている。田村、後に谷亮子選手がシドニー、アテネ両五輪で優勝したのは立派だが、そもそも格闘技の軽い階級は、体のでっかい白人などは選手層が薄いと思われるし、重い階級で銀や銅メダルの選手のほうが強いはずなのに、軽い階級の金メダルを、たとえば走高跳やマラソンの金メダルと同列にあつかえるだろうか─。



無差別級=たとえば全日本選手権での「吉田VS.金野」とか、総合格闘技とか、大相撲とか、おそらく異常に詳しい人が大勢いると思うのでお任せするとして、現実問題、やっぱスポーツってのは、勝つためにやってるんだろう、いや試合で勝つこともあるが、人生で勝ち組になろうとして。
オラは会社を辞めてしまったので、先のNくんのその後は知らないが、おそらく今ごろは管理職になっているだろうし、結婚して子どもの2~3人もいるだろう。あの頃は明らかに、就職ではスポーツをやっている者は有利だったし、マンガの中の猪熊柔も引く手あまたで旅行代理店を選ぶし、谷亮子もトヨタに勤務して、プロ野球選手と結婚して、今度は参議院か─。

─イチロー選手が3安打と活躍しました。試合は敗れました。
─女子体操でオリンピックに出場した●●選手が、またもや覚醒剤を使用したとして逮捕されました。
─元Jリーグの●●選手が、女性に乱暴したとして、逮捕されました。
─大相撲の大関・琴光喜や親方数人を含め65人が、野球賭博に関わっていたとして上申書を提出しました。

Nくんの鉄の肉体には、オラの2倍の燃費がかかるし、彼はカバキをうらやましいと言える心の持ち主だ。ヨット競技をやりつつまっとうに就職できた彼はともかく、世界中が一つの夢を追うサッカーW杯ともなれば、それだけに専念できる予備軍が何万人とかの単位でいなければ出場すらおぼつかない。それは、代表チームが勝てばうれしい。うれしいけれども、自分の生活に直接の関係はない。それでもなお彼らにがんばってほしいと願うのであれば、あなたはこれからも上記のようなニュースを聞き続けなければならない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« えげれす巷談 | トップ | サラ金の人びと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

マンガ」カテゴリの最新記事