The Perks of Being a Wallflower@早稲田松竹、監督・脚本・原作:スティーヴン・チョボスキー、出演:ローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラー、2012年アメリカ
1999年に刊行され『ライ麦畑でつかまえて』の再来と絶賛された青春小説を作者自ら映画化。
チャーリーは、小説家志望の16歳。入学初日にスクールカースト最下層として位置付けられてしまった高校では、ひっそりと息を潜めてやり過ごすことに注力していたが、そんな「壁の花」チャーリーの生活が、「特別席」で眩しいほど輝く、陽気でクレイジーなパトリック、美しく奔放なサム兄妹との出会いにより一変する。
初めて知る友情、そして恋。世界は無限に広がっていくように思えた。が、チャーリーがひた隠しにする、過去のある事件をきっかけに、彼らの青春の日々は、思わぬ方向へと転がり始めることに–
ただ生きているだけで心がときめき、ただ生きているだけで心が痛む、思春期の甘く苦い日々を、『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』のローガン・ラーマン、『ハリー・ポッター』シリーズ卒業後、初の大役となるエマ・ワトソンらハリウッド有望株がみずみずしく演じ切る。
ザ・スミス、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、XTC、デビッド・ボウイらの名曲や、映画『ロッキー・ホラー・ショー』、文芸作品『アラバマ物語』『路上』など、 80年代後半~90年代初頭の若者を取り巻くカルチャーの数々も見逃せない。

韓国には「社会人になってからできた友だちは真の友とはいえない」なる格言があると聞く。
辛辣すぎる気もするが、社会に出ると、何かにつけお金の裏付けがあるのかが問われ、利害や打算を抜きにした人間関係が成り立ちにくいには違いない。
ナニワ金融道の警官たちがハマるマルチ商法のエピソードで、「わしらの商売は客の人間関係を根こそぎ刈り取って現金に替えてしまうんや。通った後にはぺんぺん草すら生えへん」と語る枷木など、その究極の姿で、ウシジマくんの最新エピソードもマルチ商法を扱っている様子だが、私が思うに、大学における人間関係というのは、少々その匂い(=マルチ商法的な)が交じってくるようにも。
偏見ですかね。高卒ゆえの。
私が通った都立高校の3年間は、甘くて苦く、そして今に至るまで決定的な影響をもたらした。
高1時、内気でひねくれた私にも、本やマンガや音楽を通じて何人かの友だちが。
最初に付き合っていた永田と村松、そして千野や奥村や山岸らと交遊が広がるにつれ、永田と私は村松をハブることに。
やがて高2でクラスが分かれても、私は永田たちの書道クラスへ出向いてチャートを見せたり、一緒に帰ったりしていた。その楽しい日々は、夏から初秋にかけ、私が同性の千野にメロメロに恋してしまうことで終わりを告げる。今度は私がハブられたのだ。

ハブられる。本来シャイで、友だちのできにくい者が、わずかな友だちから見放されてしまう。
どんな気持ちか分かるかい?
この映画は、そこを見事に描いてますね。きゅんきゅんしてしまいました。
友情と恋とが絡んだ人間関係に惑い、どうしていいか分からない、しかし時に至福に包まれるチャーリーの姿は、まったく当時の私そのもの。
人は、自分という枠を大きく超える存在に出会う時、好きになるという反応しかできない。私の場合は、たまたまそれが男だったのだ。
このことは、私の逃避的な性格に拍車をかけ、疎外と混迷の就職生活へとつながってゆくことに。
まるで韓国の格言のように本当の友に出会えなかった20年間の会社員時代も、私の傍には常に音楽があった。
先日、久しぶりで、高2~高3のクラスで孤立していた私に手を差し伸べてくれた旧友2人と会うことができたのだが、その付き合いも音楽が取り持ってくれたようなものだ。
映画の中で「何? この完璧な音楽!!」としてチャーリーら3人をハイにさせる、デビッド・ボウイの "Heroes" 。
私はその歌詞を、卒業アルバムに記した。千野のところにはロキシー・ミュージックの "More Than This" が記されていた。
この時、既にハブられて時間が経っていたが、私と千野の間には魂の交歓があったと信じている。
それは今も私の胸の奥で熱を発し続けている–
1999年に刊行され『ライ麦畑でつかまえて』の再来と絶賛された青春小説を作者自ら映画化。
チャーリーは、小説家志望の16歳。入学初日にスクールカースト最下層として位置付けられてしまった高校では、ひっそりと息を潜めてやり過ごすことに注力していたが、そんな「壁の花」チャーリーの生活が、「特別席」で眩しいほど輝く、陽気でクレイジーなパトリック、美しく奔放なサム兄妹との出会いにより一変する。
初めて知る友情、そして恋。世界は無限に広がっていくように思えた。が、チャーリーがひた隠しにする、過去のある事件をきっかけに、彼らの青春の日々は、思わぬ方向へと転がり始めることに–
ただ生きているだけで心がときめき、ただ生きているだけで心が痛む、思春期の甘く苦い日々を、『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』のローガン・ラーマン、『ハリー・ポッター』シリーズ卒業後、初の大役となるエマ・ワトソンらハリウッド有望株がみずみずしく演じ切る。
ザ・スミス、デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ、XTC、デビッド・ボウイらの名曲や、映画『ロッキー・ホラー・ショー』、文芸作品『アラバマ物語』『路上』など、 80年代後半~90年代初頭の若者を取り巻くカルチャーの数々も見逃せない。

韓国には「社会人になってからできた友だちは真の友とはいえない」なる格言があると聞く。
辛辣すぎる気もするが、社会に出ると、何かにつけお金の裏付けがあるのかが問われ、利害や打算を抜きにした人間関係が成り立ちにくいには違いない。
ナニワ金融道の警官たちがハマるマルチ商法のエピソードで、「わしらの商売は客の人間関係を根こそぎ刈り取って現金に替えてしまうんや。通った後にはぺんぺん草すら生えへん」と語る枷木など、その究極の姿で、ウシジマくんの最新エピソードもマルチ商法を扱っている様子だが、私が思うに、大学における人間関係というのは、少々その匂い(=マルチ商法的な)が交じってくるようにも。
偏見ですかね。高卒ゆえの。
私が通った都立高校の3年間は、甘くて苦く、そして今に至るまで決定的な影響をもたらした。
高1時、内気でひねくれた私にも、本やマンガや音楽を通じて何人かの友だちが。
最初に付き合っていた永田と村松、そして千野や奥村や山岸らと交遊が広がるにつれ、永田と私は村松をハブることに。
やがて高2でクラスが分かれても、私は永田たちの書道クラスへ出向いてチャートを見せたり、一緒に帰ったりしていた。その楽しい日々は、夏から初秋にかけ、私が同性の千野にメロメロに恋してしまうことで終わりを告げる。今度は私がハブられたのだ。

ハブられる。本来シャイで、友だちのできにくい者が、わずかな友だちから見放されてしまう。
どんな気持ちか分かるかい?
この映画は、そこを見事に描いてますね。きゅんきゅんしてしまいました。
友情と恋とが絡んだ人間関係に惑い、どうしていいか分からない、しかし時に至福に包まれるチャーリーの姿は、まったく当時の私そのもの。
人は、自分という枠を大きく超える存在に出会う時、好きになるという反応しかできない。私の場合は、たまたまそれが男だったのだ。
このことは、私の逃避的な性格に拍車をかけ、疎外と混迷の就職生活へとつながってゆくことに。
まるで韓国の格言のように本当の友に出会えなかった20年間の会社員時代も、私の傍には常に音楽があった。
先日、久しぶりで、高2~高3のクラスで孤立していた私に手を差し伸べてくれた旧友2人と会うことができたのだが、その付き合いも音楽が取り持ってくれたようなものだ。
映画の中で「何? この完璧な音楽!!」としてチャーリーら3人をハイにさせる、デビッド・ボウイの "Heroes" 。
私はその歌詞を、卒業アルバムに記した。千野のところにはロキシー・ミュージックの "More Than This" が記されていた。
この時、既にハブられて時間が経っていたが、私と千野の間には魂の交歓があったと信じている。
それは今も私の胸の奥で熱を発し続けている–
