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"The RCA Story" 170 minutes -LPレコードの3枚組ボックスセットという体裁-
**Side A (28 min.)
1. "Three O'Clock in the Morning" Paul Whiteman & His Orchestra (1922)
2. "My Blue Heaven" Gene Austin (1927)
3. "Blue Yodel (T for Texas)" Jimmie Rodgers (1927)
4. "Stein Song (University of Maine)" Rudy Vallee & His Connecticut Yankees (1930)
5. "Tumbling Tumbleweeds" Sons of the Pioneers (1934)
6. "Sing, Sing, Sing (With a Swing) Parts 1 & 2" Benny Goodman & His Orchestra (1937)
7. "Frenesi" Artie Shaw & His Orchestra (1940)
**Side B (29 min.)
1. "Take the 'A' Train" Duke Ellington & His Orchestra (1941)
2. "American Patrol" Glenn Miller Orchestra (1942)
3. "Stormy Weather" Lena Horne (1942)
4. "William Tell Overture" Spike Jones & His City Slickers (1948)
5. "Dukas: L'apprenti sorcier" Arturo Toscanini; NBC Symphony Orchestra (1950)
6. "Mambo No. 5" Perez Prado (1950)
7. "Slowpoke" Pee Wee King (1951)
燃やすと有害物質を生む、塩化ビニールでできた黒いレコード盤。その中には、音楽の神話が詰まっている。
せいぜいが100年をさかのぼれば見えてくる神話。歌われたり演奏されたりした音楽が1回限りで消えてしまわない、記録されて何度でも再生されるようになったとき、それが始まった。
蓄音機なるものは一般に発明王エジソンの手になるとされるが、彼の発明した円筒形の記録装置は情報量からもあつかい易さからも広く実用化されるにいたらず、19世紀終わりにエミール・ベルリナーが改良して作った円盤形の「グラモフォン」を待たねばならなかった。
ベルリナーが蓄音機を開発し商業化するために作った会社を母体として、1901年に「ビクタートーキングマシン」社が設立され、同社は木製キャビネットの中にターンテーブルとホーンが一体化された蓄音機を流行させるほか、音楽の入ったレコード盤そのものも商品化する。
さらに1929年にはアメリカ有数の電器メーカーRCA(Radio Corporation of America)に買収され、RCAビクターとして、コロムビアと並ぶ全米2大レコード会社のひとつとなり音楽文化を牽引した。
合衆国の音楽は、19世紀のうちに急増したヨーロッパからの移民によって母国の民謡やクラシック音楽を受け継いだものが親しまれていたが、アフリカ由来の音楽を禁止されていた黒人奴隷たちも、奴隷制度が廃止されるのと前後して、黒人霊歌やブルースなど独特な音楽を広めつつあった。
しかし、初期のレコード音楽では、そうした黒人音楽が商品化されることはほとんどなく、ジャズの要素が希薄な、単なるお行儀のよいワルツとしか聞こえないA-1のポール・ホワイトマンをして「ジャズ王」と名乗らせるようなものでしかなかった。
一方、南部の白人の間で歌われた民謡が、ブルースなど黒人音楽のフィーリングを取り入れる傾向にRCAビクターはいち早く着目し、ジミー・ロジャース(A-3)などに録音させた音源が、後々カントリー&ウエスタンやロックなどの発展に大きく寄与するのだが、それらも萌芽期には商業性とは無縁な音楽としてあつかわれたのである。
やがて1929年にアメリカから起こって世界を巻き込んだ大恐慌がおさまるにつれ、ベニー・グッドマンなどを中心としてスイング・ジャズの一大ブームが巻き起こり、1940年代にはピークを迎えた。この頃のレコードは片面に4分しか入らず、落とすと壊れる78回転のSPレコードで、グッドマンの8分におよぶ意欲的なA-6も曲の途中でレコードを裏返し、針を落とし直さねばならなかった。
**Side C (29 min.)
1. "Papa Loves Mambo" Perry Como (1954)
2. "River of No Return" Marilyn Monroe (1954)
3. "Heartbreak Hotel" Elvis Presley (1956)
4. "Banana Boat (Day-O)" Harry Belafonte (1956)
5. "Canadian Sunset" Hugo Winterhalter & His Orchestra (1956)
6. "Sometimes I Feel Like a Motherless Child" Marian Anderson (1956)
7. "Dvořák: Symphony #9 in E minor, op. 95, From The New World - I. Adagio, Allegro molto" Fritz Reiner; Chicago Symphony Orchestra (1957)
8. "Hong Kong Mambo" Tito Puente (1958)
**Side D (25 min.)
1. "Peter Gunn" Henry Mancini (1958)
2. "Don't You Know" Della Reese (1959)
3. "Can't Help Falling in Love" Elvis Presley (1961)
4. "Breaking Up Is Hard to Do" Neil Sedaka (1962)
5. "Having a Party" Sam Cooke (1962)
6. "500 Miles away from Home" Bobby Bare (1963)
7. "Java" Al Hirt (1964)
8. "Yakety Axe" Chet Atkins (1965)
9. "Do-Re-Mi" Julie Andrews, Charmian Carr, Nicholas Hammond (1965)
マイクから直接レコード原盤を刻んでいたレコーディングは、やがて第二次大戦中に開発されたテープレコーダーが用いられるようになり、1948年には片面に30分近く入れられ、軽くて壊れにくい33回転のLPレコードがコロムビアから発売され、RCAも45回転のシングル盤を販促してレコード産業は活況を呈する。
RCAはストコフスキーやトスカニーニらの人気指揮者と契約しており、さらにクラシックを家庭向けにわかりやすく聞かせるアーサー・フィードラーのボストン・ポップスも人気を集め、もっとくだけたものでは台所用品を楽器に見立てたりウガイやシャックリの音で名曲を演奏した「冗談音楽」のスパイク・ジョーンズ(B-4)がいる。
舞台のミュージカルや、映画のトーキー化につれてそれを映画化したミュージカル映画もLPレコードを売るにはうってつけで、RCAからも『南太平洋』や『サウンド・オブ・ミュージック』(D-9)が大ベストセラーとなった。
この頃にはビング・クロスビーやフランク・シナトラなど映画やレコードで歌を聞かせるスター歌手の存在がドル箱として影響力を増し、オーケストラやビッグバンドが中心となっていた音楽界に風穴を開けつつあった。
中でも決定的だったのは、黒人音楽がレイス・ミュージックと呼ばれ白人聴衆には届かなかった時代にあって、黒人のように歌い、生々しいセクシーさを漂わせるエルヴィス・プレスリーが、独立系のサン・レコードから大手のRCAに引き抜かれて全米にセンセーションをもたらしたことである。C-1のペリー・コモのいかにも人畜無害なのに対し、C-3のプレスリーの活力みなぎる歌いぶりは革命的といえよう。
しかし同じ時代、ハリー・ベラフォンテ(C-3)もカリプソのブームを巻き起こして、RCAは《ロックンロールとカリプソを制した》などとも称され、ロックンロールが一過性の流行現象としか捉えられていなかったことがうかがわれる。
**Side E (30 min.)
1. "Somebody to Love" Jefferson Airplane (1967)
2. "Everybody's Talkin'" Nilsson (1968)
3. "Suspicious Minds" Elvis Presley (1969)
4. "Rain" José Feliciano (1969)
5. "To Be Young, Gifted and Black" Nina Simone (1969)
6. "Joanne" Michael Nesmith & The First National Band (1970)
7. "American Salute (When Johnny Comes Marching Home)" Arthur Fiedler & Boston Pops Orchestra (1971)
8. "Kiss and Angel Good Mornin'" Charley Pride (1971)
9. "Rocky Mountain High" John Denver (1972)
**Side F (31 min.)
1. "Honky Tonk Heroes" Waylon Jennings (1973)
2. "Jolene" Dolly Parton (1973)
3. "Feelings" Morris Albert (1975)
4. "Golden Years" David Bowie (1975)
5. "My Home's in Alabama" Alabama (1980)
6. "Kiss on My List" Daryl Hall & John Oates (1980)
7. "Jessie's Girl" Rick Springfield (1981)
8. "Here Comes the Rain Again" Eurythmics (1983)
プレスリーが兵役に就いたことなどで、いったんロックは退潮に向かうものの、ティーンエージャー層を中心として音楽に対する需要は増すばかりで、バート・バカラックやフィル・スペクターらユダヤ系の作曲家・プロデューサーが底流を支え、1964年には英国のビートルズが旋風を巻き起こして、音楽をめぐる風景を一変させた。
ロックは一過性の現象ではなく、もっと本質的な革命で、公民権運動やベトナム反戦運動など政治課題にも波及し、全世界的な影響をもたらした。と同時に、古き良きアメリカの家庭向けにマーケティングされたRCAレコードの音楽も、終焉を迎えつつあったのかもしれない。
同社は伝統的にカントリー音楽に力を入れ、ナッシュヴィルに拠点を設けて多くの成果を残したが、プレスリーの人気が沈静化するにつれRCA全体としても徐々に活気を失い、1986年には親会社の経営不振からBMGに買収され、レコード会社・レーベルとしての特色は拡散してゆく。いま現在その音源はソニー・ミュージックに属している。
また同社が50年代に手がけた貢献に、レコード盤の溝は1本なのに、針を通して左右のスピーカーからは別々の音が聞こえて、よりリアルな音楽を楽しむことができるステレオ再生のレコードがある。同社はそれを "Living Stereo" との商標で売り出した。
ステレオ。それは私のような70年代前半の子どもにとって、中産家庭の象徴。音楽そのものより、それを再生するレコード・プレーヤーと左右のスピーカーが木製のキャビネットに収まって、親戚や友人宅の居間にドーンと鎮座ましましてる家電製品をステレオと呼んだ。その頃私の家ではポータブルのレコード・プレーヤーで音楽を聞いていた。レコードも、ソノシートとか。
逆に今は、大きさが豊かさを表すとは単純にいえない。住むところのない者も、何千曲も入るデジタル・プレーヤーを普通に持ってる。金融危機を経て、大銀行や自動車メーカーが米政府の救済を仰ぐ形となり、ハリウッド映画さえ単純にわれわれの憧れを集めているとはいえないものに。
これ以上豊かになりようがないというとき、音楽にはいったいどのような役割が求められるのでしょうか–