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旧作探訪#2『シャイン』

2007-05-27 20:54:58 | 映画(レンタルその他)

レンタルにて、スコット・ヒックス監督(1995年)。
オーストラリア出身のピアニスト、デビッド・ヘルフゴットDavid Helfgott(青年期ノア・テイラー、成人後ジェフリー・ラッシュ)は、6歳の頃から父ピーター(アーミン・ミューラー=スタール)の厳しい英才教育を受け各地のコンクールで頭角を現す。高圧的に父権をふりかざしてデビッドの言うことに耳を貸さない父の望みは、デビッドが高度な技巧を必要とする情熱的な大曲・ラフマニノフのピアノ協奏曲3番を弾きこなすようになること。
やがて父を振り切ってロンドン王立音楽学院に留学したデビッドはますます才能に磨きをかけ演奏会も成功させるのだが、徐々に精神に変調をきたし始め、10年間も演奏活動を休止して療養することを余儀なくされる。
しかし絶望とかすかな希望の間でゆれ動いていた彼の前に年上の温かい女性ギリアン(リン・レットグレイヴ)が現れ、彼は本格的な復帰に向けて小さなスタートを切る…。
ジェフリー・ラッシュが1996年のアカデミー主演男優賞を受賞。

ギターならば左手でコードを押さえて右手でかき鳴らす、それはまだなんとか手に負えるかもしれないが、ピアノともなると両手の指を駆使してまったく常人の想像のおよばないような超絶技巧を…いずれ「鍵盤ヒーローズ」って企画もやりたいですね。
しかし『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』でもつくづく感じたのだが、クラシックの演奏家は昔に作曲された曲を複雑な楽譜から生の音楽として再現するのが仕事じゃないですか。他人の思いを伝えるような「役者」でなければならないし、かといって多くの聴衆に訴えかけるためには「自分」というものを失うわけにもいかない。精神の平衡を保って長く活動していくことはたいへんに厳しい道なのではないだろうか。
ひょんなことから下掲のチラシを入手して、デビッド・ヘルフゴット氏がこの7月に6回の来日公演を行うことを知ったのだが、『シャイン』がヒットしたことにより96年あたりから世界50都市でツアーを行い、日本にも97年~01年と5年連続で来日しているらしい。
ロック系なら作詞作曲による印税収入も見込めるし、スターになれば金も女もウッハウハ、しかし市場の小さいクラシックCDの演奏印税などたかが知れていそう、また音楽大好きなオラですら客層の俗物臭キツそうなクラシックのコンサートにはさすがに二の足を踏んでしまうくらいだし、多くのクラシック演奏家の人生は経済的には報われることの少ない地道な旅芸人のような感じなのかもしれない。


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犬として豚として

2007-05-13 00:56:50 | Bibliomania

『のらくろ總攻擊』『のらくろ決死隊長』『のらくろ武勇談』田河水泡(講談社)
海をへだてた豚の大國から、とつぜん戰爭をしかけられた猛犬軍將兵は、のらくろを先頭に敵前上陸に成功!つぎつぎに敵の陣地を攻め落とし、さいごに豚京城(とんきんじやう)を總攻擊する物語(總攻擊)。
豚京城が陷落してから、なほも抵抗する豚軍をつゐげき、前進また前進、敵が難攻不落とたのむ豚縣城(とんけんじやう)にせまつた!この時のらくろは決死隊長となつて、めざましい大はたらき!!(決死隊長)。
將校斥候として敵陣深く突入して大手柄を立てたのらくろが遂にトンガラ山で名誉の負傷し心ならずも野戰病院に送られる。そこへ蛸の八ちやん一行の慰問隊が來る(武勇談)。

ジョン・レノンが亡くなった年にさ、ポール・マッカートニーが来日公演を行うことになってたじゃないですか。ところが入国の際に大麻不法所持で逮捕されてブタ箱へ、さらに強制送還された後、逆ギレしたポールはその年のニュー・アルバムに「フローズン・ジャップ」なる曲を入れた…
今から思えばポール・マッカートニーは1942年生まれ、第二次大戦の真っ最中である。ビートルズのメンバーの育ったリバプールは港町、たぶん軍隊あがりのたちの悪い与太者もいたであろうし、傷痍軍人などもごろごろいたことでしょう。
ポールくらいの年の英米人の時代背景や育った環境からしてみたら、日本人などは「極悪なサル」として刷り込まれていたかもしれない。
当の日本人は、漫画の中で自分たちを犬として描いてました。中国人→豚、朝鮮人→羊、ロシア人→熊。
初期は親もなければ家もない野良犬黒吉の間抜けだが愛敬のある兵隊生活を描くユーモア漫画だったのが、彼が出世するにつれ笑いよりも筋立てに重きが置かれるようになり、ここでは大規模な戦争を描く三部作の本格ストーリー漫画となっている。
そこには当然のことながら忠君愛国や勤勉節約などを当時の子供たちに教育しようという意図もうかがえるものの、これほど国策に沿った人気漫画ですら「時局がら不適切」とのことで、三部作の後は退役して大陸開拓の冒険に出かける話をもって終了となっている。
三部作では上画像のような見開きによるダイナミックな描写が多く使われ、当時の子供(オラの父親とか)を血湧き肉おどらせるとともに、戦後のマンガ隆盛の一助ともなったことでしょう。
上画像での台詞はのらくろ「なんだこんな安普請のトーチカ叩きつぶしちまへ」
猛犬軍「コラ貴様!捕虜だ」
豚軍「私も捕虜になりたいある」
…おいおいおいおい捕虜になりたいわけねぇーじゃん!…「南京虐殺はなかった。従軍慰安婦はなかった」と言い張るクサレ右翼の皆様がたも「石井部隊」の鬼畜の所業は否定できまい。中国人捕虜を「丸太」と呼びさまざまな人体実験を行った…
戦前の地図とか見ると、そんなオラですら「こんなにたくさんの植民地を全部失っちゃってもったいねえよな」と思う。
現在では経済力が世界で2番目の大国だが、当時はまだまだ欧米列強の尻馬に乗ってこつこつと戦争に勝って領土を増やしてきた、その妄想のストーリーには少し無理があった。
インドネシアなどに無理やり拡大せんでも「満州国」だった場所にも石油資源は後に見つかってるらしい、しかしもう終わった話。
「豚として描かれた」中国ではさんざん屈辱を味わった末、抗日戦争によって国家のアイデンティティーが成立したという、逆に現在ではアフリカの独裁政権に援助してシンパを増やそうとするなど彼らのほうに無理が目立ってきつつある。
開国このかた戦争をし続けてきた日本が60年間戦争をしなかったことの意味は重い。
このことをこれからもおりおり考えてゆきたい。


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旧作探訪#1『ドニー・ダーコ』

2007-05-09 23:54:30 | 映画(レンタルその他)

レンタルにて、リチャード・ケリー監督(2001年)。
~あと28日6時間42分12秒。目を覚ませ!世界の裏側(リバース)はすぐそこにある!
郊外の町に住む情緒不安定のドニー・ダーコ17歳(ジェイク・ギレンホール)。飛行機のエンジンが家に落ちて以来、彼の前に銀色のウサギが現れる。
ウサギが告げる「28:06:42:12」、転校生の美少女、住人の信奉を得るインチキ自己啓発講師、ホーキング博士の宇宙・時間理論、近所に住む世捨て人の老婆、地下室の扉…。彼をとりまくすべてが「あのこと」を告げている。28日後の世界で彼を待っているのは一体何なのか…。

この年になってエロマンガを必要とする人生ってのはどんなもんでっしゃろ、いやオラやけど…
「現実の世界では決して得られない自己愛の充足」でしょうか。
そして、80年代に送るはずだった、失われた青春をよみがえらせようとする空しいあがき。
この映画も80年代を背景としていて、当時の主にイギリスのややナルシスティックな雰囲気のヒット曲がいくつか使われており、とても妄想度の高い作風。
「The Killing Moon」エコー&ザ・バニーメン
「Head Over Heels」ティアーズ・フォー・フィアーズ
「Notorious」デュラン・デュラン
「Love Will Tear Us Apart」ジョイ・ディヴィジョン
「Under The Milky Way」ザ・チャーチ
そして、サプライズのある結末と重なってくるティアーズ・フォー・フィアーズの「マッド・ワールド」~これだけカバー・バージョン~「♪きのう僕が死んだ夢を見た…」
実は02年夏のロードショー公開時に見ており結末を知っていたため、ムード感覚を主に楽しんでみようと再見してみたのだが、かなり食い足りない。
このテの映画に没入するには年をとり過ぎたもよう。主人公は若い頃のダスティン・ホフマンにちと風貌似ているように思われるのだが、60年代と比べて80年代はなにもかも商業化されて若者が自閉的になっていきやすい時代だったですね。
『E.T.』で子役スターとなり、酒と麻薬におぼれた時期を乗り越えて製作会社も設立し、この映画では製作総指揮を買って出て出演もしているドリュー・バリモア、なかなか大したスーパー女優だ…

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有名

2007-05-07 22:42:11 | メディア・芸能

「金も学歴も力もねェ弱者が、優位な“何者”かになるのは大変だ。ほとんどの奴が不本意な単純作業が日常。だが、チャンスはある。人脈を利用して上へ昇るチャンスが…」
『闇金ウシジマくん』の「ギャル汚くん」編で、渋谷センター街を舞台にイベサーを組織して成り上がろうとするジュンって男の台詞やけど…闇金を警察に告発して示談金を得ようとしたり、幹部のメンバーの強姦が元でヤクザに恐喝されたり、さまざまな無理が一挙にほころんで、大きなイベントで喝采を浴びた直後、完全な破滅を迎えてしまう。
殺されてしまうのだ。
そんなに無理を重ねてまで“何者”かになりたいだろうか。
そして、そうした欲望を世界一肥大させた国アメリカで、さらに極端な結末を迎えた元プレイメイトで女優のアンナ・ニコル・スミス。故郷のテキサスで17歳のときフライドチキン店の同僚と結婚して1児をもうける。
離婚して子供を母親に預け、ヒューストンに出てトップレスバーのダンサーとして勤めはじめ、豊胸手術を受け、プレイボーイ誌に写真を送る。26歳のときに89歳の石油王ハワード・マーシャルII世と結婚、夫の死後は遺産をめぐって夫の親族と泥沼の法廷闘争、その渦中で本人が39歳で謎めいた急死。
残されたアンナの生まれたばかりの愛娘の父親には、3人の男性が名乗りを上げたという。DNA鑑定の結果、自分が父親とわかった男は、報道陣の前でガッツポーズ!

…オラ最近、日本では知名度の低いミュージシャンやイラストレーターの情報を得るため、ウィキペディアやアンサーズといったネット辞書の英語版で調べることが多いんだけど、ためしにAnna Nicole Smithで引いてみたら、そうしたマイナーなアーティストの何十倍もの文章量で微に入り細をうがって記述されているのね、いや英語読めないけど。
彼女は確かに“何者”かになった…しかしもう生きてない。
下画像は最初の夫とのポートレート、こんただぽっちゃりした田舎娘が「マリリン・モンローになりたい」と思ってしまった、その夢はちょっと違った形で実現した、悪意と中傷にまみれたグロテスクなマリリン・モンロー。
そういえば、パティ・スミスって女性パンク歌手、デビュー曲その名も「しょんべん工場」で「♪あたしは“何者”かになってみせる!ニューヨークへ行ってビッグになる!ここへは戻らない!」なんて歌ってた…ってか詩を朗読してた…
そのパティ・スミスも今や60歳で、今度の新作はカバー曲集だという…あれほどまでに「あたしは他の誰とも似ていない!誰とも違う!」と主張していたパティ・スミスがカバー曲集ですよ…
これが「年をとって円くなる」ってことなんでしょうか。


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タウトウ朝日新聞ヲ止メルノ記

2007-05-04 20:59:46 | 読書
日本の歴史をよみなおす (全)

筑摩書房

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『日本の歴史をよみなおす(全)』網野善彦(ちくま学芸文庫)
日本が農業中心社会だったというイメージはなぜ作られたのか。商工業者や芸能民はどうして賤視されるようになっていったのか。現代社会の祖型を形づくった、文明史的大転換期・中世。そこに新しい光をあて農村を中心とした均質な日本社会像に疑義を呈してきた著者が、貨幣経済、階級と差別、権力と信仰、女性の地位、多様な民俗社会に対する文字・資料のありようなど、日本中世の真実とその多彩な横顔をいきいきと平明に語る。ロングセラーを続編と合わせて文庫化。

短大などでの講演を文章に起こした体なので、たいへん平易で読みやすいのにもかかわらず4ヶ月ほど要してしまった、読み始めの頃に鈴木紗理奈の「やっぱエリートよりストリートでしょう」発言があったのが印象的。
本書ではさまざまな交換の行われる場所、市場の立つ場所、無縁の場所として「道・河原」に着目されてるのですね。
そして「百姓=農民」ではなく、海運業、鍛冶、金融などによる収入を主として生活している者も、武士が文書で管理する名目上「百姓」としてあつかわれたこと。
そうしたストリートで生きる人々、あるいは女性、あるいは被差別階級の人々などにも救いの手をもたらそうとして新しい教義を発展させた浄土宗・日蓮宗といった鎌倉仏教は、自由経済における個人の欲望の追及を正当化する側面を持つキリスト教のプロテスタントの動きとも比較できるかもしれない。
最後のほうの興味深いくだり~「15・16世紀ころの商人、廻船人たちの動きは“倭寇”のように列島外の地域とも結びついており、東南アジアから南アメリカにいたる広いネットワークができつつあったのですが、これに対して織田信長のように、各地の戦国大名や地域小国家を併合して“日本国”をもう一度再統一しようという動きが出てくるわけです。この動きが商業に高い価値を置く“重商主義”的な宗教と真っ向からぶつかったのが、一向一揆と信長の衝突です。キリスト教と秀吉・家康の対決の根底にあるのも同じ対立だと考えられますが、“日本国”を再統一しようということになると、どうしても土地を基礎とした課税方式を取ることになり、古代からの“農本主義”の伝統が、ここで再び生き返ってくることになります。
秀吉は御前帳という名目で、全国の大名から検地帳を天皇に提出させ、石高制にもとづく年貢~租税を徴収する方式を固めようとします。家康も同様ですが、こういう農業、土地中心に“日本国”を固めていこうとするやり方と、海を土台にして商業や流通のネットワークをつくり、日本列島の外にまで広がる貿易のネットワークをつくっていこうとするような動きとが、ここで真っ向から対決することになったのです。
この衝突は、たいへんな流血の末、結局、前者の路線~信長・秀吉・家康の路線の勝利に終わり、後者の勢力の海のネットワークはあちこちで断ち切られて、海を国境とする“日本国”という統一体がふたたびできあがります。
これが近世の国家なのですが、この国家の下で、商工業に高い価値を置く重商主義的な思想は、社会の表面には出なくなり、農本主義のたてまえが主要な潮流になっていきます。その中で百姓=農民という思いこみが、しだいに社会に浸透していくことになるのです」
このようなこと、会社員×個人事業主あるいは定住志向×放浪志向とかに置き換えてみれば、いやこじつけで無理に置き換えてみんでも現代社会にも共通のテーマかもしれんね。

ところでオラは、27歳でひとり暮らしを始めたときから、長期入院の時期を除いて欠かさず宅配で購読してきた朝日新聞を4月いっぱいでやめました。
週刊朝日が不用意な見出しをつけて安倍晋三に謝罪広告を出す破目におちいったことや、朝日と大きなつながりのある高野連の特待制度をめぐる一連の醜態、むかつくことは数え切れないほどあれど、やはり直接のきっかけになったのはテレビ朝日が江原啓之の『オーラの泉』を土曜のゴールデンに進出させたことですね。
“あるある”の捏造とか大騒ぎになったのによ、占いやオカルトが野放しなのにはどうにも我慢ならねえぜ。人々の結びつきが希薄になってきている現代社会で、権力が人々を家畜化するためには、さぞかし好都合な存在なのであろう。
広告主には頭が上がらず、さらに政府からは許認可権でがんじがらめに縛られたマスコミ業界、それでもなお就職人気は高いのだそうな。楽天もあんなにまでしてTBSを欲しがっちゃって。
それにしても手取りの給料が16万で家賃が8万だったときにもなんとかやりくりして購読料を払っていたような忠実な読者を失ってしまったんだぜ、そのうち沈没船の運命を辿るのでわ…
いしいひさいちさんの連載マンガが見られなくなるのはとても残念だし、手塚治虫文化賞関連の記事もちょっと惜しい。
しかし飯島愛になら惜別の言葉を贈りたくもなるが、20代から年収1千万円に達するような朝日の記者の行く末などどうなろうと知ったことではない。

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