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マガジンひとり

自分なりの記録

港町ブルース

2007-09-17 00:12:50 | 読書
近代ヤクザ肯定論―山口組の90年
宮崎 学
筑摩書房

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『近代ヤクザ肯定論~山口組の90年』宮崎学(筑摩書房)
神戸港の沖仲仕の群れから生まれた小さな組が、やがて田岡一雄という傑出した才覚の持ち主を三代目組長と仰ぎ、表裏一体のシノギとビジネスを通じて全国に名だたる4万人の大組織に育ってゆく、その歴史と実像を描きつくす…。
米騒動から敗戦まで初期山口組の勃興と衰退~闇市の混沌の中から憂国の窮民アウトローとして再出発~港湾の荷役労働を牛耳ることを皮切りに地元の顔役として勢力を伸ばしてゆく様子~労働者の慰安も兼ねて手がけるようになった芸能興行が、やがて美空ひばりやプロレスを抱えてビッグ・ビジネスとなる~高度成長の裏面史として全国制覇を果たし、その戦闘力を支えたのは被差別・在日コリアン社会だった~持ちつ持たれつだった警察がやがて国家権力の一元化のため暴力団を壊滅させようとローラー作戦を展開・暴対法制定~現場のシノギのあり方やビジネス様式の変化・バブル経済に伴い、任侠道が滅び去って単なる広域暴力団に変質してゆく現在まで…。

以前に自分のブログを英訳ソフトにかけて読んでみたとき「中山秀征が俊敏に狡猾に立ち回って芸能界を生き残る…」の「俊敏に狡猾に」の部分が“nimbly, cunningly”と訳されていて、ハハァ英語ってのはカッコいいなあ、などと…
それと同時に、漢字の象形文字としてのパワーも感じざるをえない、「狡猾」って二文字ともケモノヘンで、なんだかそういうケダモノっぽい生命エネルギーとか平然と他人を食い物にしたり殺したりする性質をよく伝えている。
防衛大学で軍人マインドを学んでそれを全面的にビジネスに応用し、労働者の生き血をすすりながら巨万の富を得た折口雅博の経営するのはグッドウィルだが、もうひとつの人材派遣大手・フルキャストが法で禁じられた港湾労働に日雇い派遣を行っていたのがバレて業務停止処分をくらったことが報じられた。
港湾労働や建設労働は非常に仕事がきつく、また常に危険と隣り合わせで労務災害が起こることが多いため、いざ事故が起こった場合に人的管理や金銭的補償の責任の所在が不明確になりがちな人材派遣・偽装請負に対しては厳しく規制の網をかぶせていく必要が論じられている。
またそれ以外にも最近は「偏差値秀才がヤクザ者の生き方をパクッている」ゆえにもたらされるさまざまな気持ち悪いニュースが絶え間なく報じられ、胸くそ悪いことこのうえない。
本書を読むと、本来のヤクザ者が近代の資本化・情報化社会の中でどのように培われ、また必要悪として存在し、戦中戦後の混乱やバブル経済においてパワーエリートと混交してだんだんと役割を終えようとしているその激動の姿が余すところなく描かれて圧巻である。

「日本におけるこの頃までの労働者の問題は、そのような近代的・階級的な(労働組合運動の)対応だけで解決したのか、ということをいいたいのである。
そこには何重もの問題があった。
前にも述べたように、元来貨物取扱量の波動が大きく激しいのが港湾運送の宿命である。いきなりたくさんの仕事が集中したかと思うと、まったく仕事がない日が続いたりする。それに合わせて投下する労働力を調整しなければならない。そこで、下請を何重にも使って、必要なときにだけ労働力を調達することになる。このために零細企業がたくさんできて、互いに競争することになる。
この競争の中にありながら、元請や上位の下請から下へ下へと押しつけられてくるリスクやロスをなんとか減らそうとして、下位下請企業は、仕事が集中したときには貧民街やドヤなどの底辺社会から安価な臨時労働力をかきあつめて対処する。そして、荒くれ者やならず者を少なからず含むこれらの下層労働者を管理するために、しばしば威力や暴力を用いなければならなかったのである。
これは“前近代的”“暴力支配”と指弾したからといって解決できるものではなかった」

「ラッキー・ルチアーノらアメリカ合衆国の港湾ギャングも、もともとは共同社会型ギャングだった。彼らは、ルチアーノらの場合はイタリア系移民の共同社会に、別の場合にはユダヤ系の共同社会にという具合に、被差別のエスニックな地域コミュニティに根ざした共同社会型アウトローだったのだ。
そして、やがて、近代的な法人運営の方法を身につけて、スラムの狭い共同社会から広い利益社会へと出ていって、全国的シンジケートを形成していったのである。
日本のヤクザは、それより20年以上遅れたルチアーノ以前の状態にあった。だがひとり、田岡一雄のみがすでに目覚めており、利益社会型ヤクザに向かって大股で歩き出していたのである。先駆的パタンセッターであっただけに、その創業者利益は大きかった。ここにおいて田岡・山口組は、近代ヤクザの首位に躍り出たのだ。
ヤクザは共同社会型から利益社会型へと進化する。しかし実は、純粋な利益社会型ヤクザというものはありえないのである。そうなったら、もはやヤクザではないのである。別の団体ないし結社に変化してしまう。そして、田岡が目指した利益社会型ヤクザが成立しえたのは、実は日本の近代社会が、純粋な利益社会というものをつくりだそうとはせず、むしろなんらかの共同社会の要素をもった利益社会こそが基本型になっていたからなのであった」

「田岡一雄は、東京進出を推進するにあたって、児玉誉士夫を通じて縁組みをして傘下に入れた東声会を足がかりにするとともに、もうひとつ児玉ルートとは別のルートも使って手を講じていた。それは、田中清玄のルートであった。
田中清玄とは何者か。
祖父は会津藩筆頭家老だったというから、佐幕派没落士族の家に生まれたわけだ。東京帝大文学部哲学科を中退して、当時“武装共産党”と呼ばれた日本共産党中央執行委員長となる。1930(昭和5)年、大立ち回りの末逮捕され入獄。獄中で、母が切腹をもって諫死したことを知って、転向。1941年出獄後、三島・龍沢寺の山本玄峰老師について参禅。1945年、横浜港の顔役・藤木幸太郎の紹介で人夫口入れ業・神中組を始め、ついで造船請負業・湘南重工業を始めた。戦後は、太平洋石油、国際エネルギーコンサルタンツなどを設立し、石油開発で政商的活動をしていた。
田中清玄はインドネシアで石油開発利権をめぐって政治活動を展開し、スカルノ打倒運動を援助していたため、スカルノの人脈で利権を漁っていた岸信介らと対立した。そして安保闘争のときには、全学連委員長・唐牛健太郎らに資金提供をおこなって、全学連の安保反対運動をみずからの反・岸運動に利用しようとしたりした。このときの田中の反・岸は、単に政治的な対立ではない。もっと深いところで思想的な対立が根底にあった。田中は、岸信介の権力的・官僚的エンジニアリングの思想が嫌いだったのだ。
当然、岸にくっついている児玉誉士夫や笹川良一とは全面的に対立していた。戦中に満州や上海で特務機関を運営して、軍需物資獲得を通じて巨万の富を築き、戦後その“児玉機関”資産の一部を鳩山一郎・河野一郎らに提供して政界の黒幕となったという児玉誉士夫の経歴からしても、ある意味では田中清玄と対照的である。田中は“児玉は聞いただけで虫唾が走る。こいつは本当の悪党だ”と語っていた。田中が尊敬していた右翼は、農本主義右翼の橘孝三郎と行動右翼の三上卓だけだった。
そんな田中清玄に田岡一雄が結びついたのは、政治的・経済的な利害からというよりも、思想的なとまではいえないにしても、人間としての肌合いにおいて、惹かれるところがあったからのようだ。田岡は明言していないが、児玉誉士夫や笹川良一が嫌いで、田中清玄のような系統のほうが好きだったはずだ。当時を知る山口組幹部も、そうだったようだ、と証言している」

「(1980年前後から)素人がゲーム賭博や風俗店の経営に手を出してくるという、このような傾向は、社会の境界が流動化しはじめたことを示していた。それは表と裏、クリーンとダーティ、シノギとビジネスを分ける境界線がはっきりと引けなくなってきたということである。しかも、それはヤクザが表の社会、クリーンな領域、ビジネスに手を出してくるということ…<前に見たヤクザの企業社会・全体社会への進出>…と同時に、市民のほうが非合法、ダーティな領域、ヤクザのシノギの手段だったものに手を出してくるというかたちで、両方から進んでいったのだ。
素人がゲーム賭博の経営に手を出すようになっていったのと対照的に、バブルの頃になると、博徒が博奕をやらなくなってしまった。なぜか。ほかでもない。ビジネスの世界のほうが、バブル経済によって、すっかり博奕化して、そこでもっと大がかりなギャンブルができるから、わざわざ賭場に行く必要がなくなったからだ。カジノ経済がカジノを駆逐していったというわけである。それだけでなく、ヤクザのメンタリティが変わってしまって、博奕が大衆社会のギャンブルに変わってしまったのだ。古典的な手本引きのカルタのような正統のギャンブルをやるものがほとんどいなくなって、公営ギャンブルのノミヤをやるという量的な拡大を求める博奕のやりかたになってきてしまったのだ。
こうして、それまで底辺社会、下層社会、被差別社会、周縁社会を社会的基盤としながら、それらを出身とする男たちの“哀愁の共同体”として組織されていた近代ヤクザは、その社会的基盤を失っていったのである。
これを日本社会全体の現象として見るならば、高度成長から70年代の列島改造を経て、日本社会が、きわめて平坦な社会、スーパーフラットな社会になってしまったということである。そして、ヤクザというものは、そのようなフラットな社会では生きていけないものなのである。異なった階級や階層の接続面や接続点においてあらわれる差異・断絶・疎隔を利用して、そこにあるラグ(時間的隙間)やギャップ(空間的隙間)に棲息してきたのが近代ヤクザなのである。階級や階層が依然として存在しながらも、それら相互が、ラグもギャップもない滑らかな表面でつながれてフラットにされてしまったら、ヤクザが生きていける余地がなくなってくるのである。
そうなったら、もはやヤクザは全体社会に浮遊するしかない。そのようにして社会的基盤を失った近代ヤクザは、別種の社会的存在に変わっていくしかなかったのである」

…というようにかいつまんで引用させていただいたが、本書を通読してみるとその魅力は部分的なところではなく、それぞれ労働運動の、芸能・スポーツ興行の、自民党の、被差別・在日コリアンの裏面史としても読めるさまざまな記述が全体として関連し、相互に影響を与え、その流れの中から山口組の存在が照らされ浮かび上がる、歴史的な迫力の感覚である。
ぜひご一読をお奨めしたい労作であるが、論評的にではなく、一遍の壮大な映画を見るような気持ちで接するのがふさわしい書物のように感じられる。
というのもオラそもそも「きつい労働」の経験がない、サラリーマン時代もぬるま湯のような公共企業で、お百姓が中腰で田植え、とか港湾や建設現場での力仕事、とか30分でも務まりそうにない。
そうした労働者を束ねたり、賭場や売春を開帳して仕切ったり、薬物や拳銃を売りさばいたり、倒産の整理・債権取り立て・手形パクリ・不動産や保険のブローカー・総会屋・政党ゴロなどなど…とてもじゃないが手に負えるものではない、遠くからおそるおそる『ナニワ金融道』や『闇金ウシジマくん』を見ているだけで十分。
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厚かましく生きる

2007-09-02 13:08:31 | 読書

『独身手当~給与明細でわかるトンデモ「公務員」の実態』若林亜紀(東洋経済新報社)
「独身手当」…40歳で独身だともらえます。
「出世困難手当」…部課長に出世できない川崎市職員がもらえます。
「セクハラ手当」…06年のセクハラ判決の3分の1はお役所関係とのこと、泣き寝入りせずに裁判を起こせるだけまし?…
その他にもカラ残業・カラ出張、官製談合、天下り、キャリアとノンキャリアの違いなどなど、厚生労働省系の特殊法人に勤務経験のある著者が調査した、公務員のあきれるばかりの厚遇ぶりが浮き彫りにするニッポンの論点!(いしいひさいち氏のマンガを9点収録)

最近の報道で、厚生労働省・九州厚生局の、松嶋賢前局長が縁戚関係にある社会福祉法人・枚方療育園の理事長からたびたび高級車や現金を受け取り、この福祉法人は国から多額の補助金や融資を受けていたことが明るみに。
少し前には、奈良市の市役所職員で団体幹部も務める中川昌史という男が5年間にわたって病気休暇・休職を繰り返して8日しか出勤しておらず、その間にも妻の経営する建設会社が奈良市の公共工事を受注できるよう口利きのためたびたびポルシェに乗って市役所を訪れ、恫喝まがいの言動におよぶこともあったという。
ヤクザも顔負けの公務員天国にっぽん…以下、本書の中でも特に腹立たしい部分をちょっと引用してみる。

「元労働省事務次官の清水傳雄氏は、天下り先づくりの天才である。
東大法学部を卒業して1959年に入省、1989年に職業安定局長に就くと、つぶれそうだった天下り団体にじゃぶじゃぶと予算をつけて再生し、さらに2つの天下り団体をつくった。そして官僚ポストのトップである事務次官にまで昇りつめ、4年後に退官したあと、きっちりその3つの団体を天下りして回った。
まず再生したのは雇用促進事業団だった。炭鉱離職者の就職援護をしていた同団体は歴史的な役割を終え、官僚の天下り先という以外に存在意義がなくなりつつあった。そこで氏は雇用促進事業団に“勤労者福祉のために”豪華リゾートホテルをつくらせることにした。国会での予算獲得に成功し、国から建設費455億円を引き出した。さらにホテルの運営を手伝うという勤労者リフレッシュ事業振興財団もつくった。また、労働省のOBに頼まれ、外国人労働者を研修生という名目で中小企業に斡旋するアイム・ジャパンという団体の設立許可に力を尽くした。日本では技能や資力のない外国人労働者の受け入れは禁止されている中、アイム・ジャパンはなかば合法的・独占的に未熟練外国人労働者を仲介できることになり、莫大な利益を上げる。
清水氏は1993年に労働省を事務次官で退官すると、さっそく雇用促進事業団の理事長に天下り、5年で役員報酬と退職金を1億5千万円ほど手にする。
それからアイム・ジャパンの特別顧問に天下り、1年で推定2000万円をもらった後、1999年にリフレッシュ事業振興財団の理事長に天下り、5年で1億5千万円の報酬を得る。今は別の団体の会長を務めている。リゾートホテルは巨額の赤字を出して閉鎖し、アイム・ジャパンの事業では研修生逃亡などトラブルが続出(トラブルどころか現代の奴隷制度とでも呼べるほどのひどい状態)しているが、清水氏が責任を問われたことはない」

…いかがでしょうか、まあ公務員に限った話ではないのだけどね…こないだカウンター式の飲み屋で居合わせた騒がしい客がこうのたまっていた「賄賂と横領、それがオレの成り上がる手段」
仕事にはそういう側面も付きまとうでしょう、オラあんまりがつがつするのいやだし仕事よりは趣味に生きたかったし、とてもじゃないが一般企業のサラリーマンは務まりそうになかったので高卒で半官半民の公益企業に就職しちゃいました。
まあそこの会社にしてみても普通の民間企業よりは楽ちんでしたでしょうが、それと比べても驚くようにべらぼうな公務員の実態が本書にはいっぱい。
ただまあ、よく「民間は暇なときを基準にして職員を少なく配置し、公務員は忙しいときを基準にして職員を多めに配置する」のようなことが言われているが、医療とか警察とか消防とか忙しいときに人手が足りなかったらたいへんなことになるでしょう、人口密度の薄い地方の公共サービスとかね、資本主義的な採算性のみの観点からは論じられない。
まあそれはそうと、本書を読んで気になるのはまるで学生の研究リポートのように味も素っ気もない文章で、いしいひさいちさんのマンガ以外の部分はユーモアに乏しい。
どうも著者の人生経験がやや不足気味、そして清潔な正義感のみに偏っており、この著者でなければならないような独自の批評性が感じられないのだ。
これから先、主に公務員関係の問題をあつかうフリーのジャーナリストとしてやっていくとのことなのだが、はたしてこんな芸のない文章で長くメシを食っていけるのか他人事ながらちょっと心配。
それに活字が大っきくて行間もすっかすか、あっという間に読めてしまう本書が1500円(税別)もする、これもまた一種のお役所仕事じゃあございませんこと?

独身手当―給与明細でわかるトンデモ「公務員」の実態
若林 亜紀,いしい ひさいち
東洋経済新報社

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