おとつい、アメトークを見ながら、「平成ノブシコブシ・吉村は、全学連の映画に出たらハマると思う」ってツイッターに記したんですけどさ。
彼については、以前にも三田明とからめて記したことがあり、どこか平成という時代にそぐわない、アナクロな雰囲気をまとってる気がしてたんだよね。─情熱的なアジテーターであり、独断専行型の闘士として組織を率いるいっぽう、活動家仲間の複数の女とも肉体関係を持つなどエネルギッシュに過ごしていたが、あるきっかけで失脚し、ほかの組織やかつての仲間たちからも追われる身となって、場末の路地裏で襲撃されて命を落とす─のような。
そもそもお笑い芸人の世界ってのが、そうした設定と相通じており、左翼だろうが右翼だろうが政治家の世界ともかぶってくる。
近年ますます島田紳助の言動は横暴になっていると聞くが、彼がTV界の実力者として君臨し、番組で引き立てた者たちはいずれも売れて人気者となっていることも否定しがたい事実。そしてそれは、かつての田中角栄や、いまの小沢一郎が子飼いの配下をたくさん従えて、よっしゃよっしゃとモチ代を配って面倒を見ることと同じ構造だ。
角栄の時代から現在にいたる自民党、さらに新進党やら民主党やらの権力闘争の様子は、興味ある方はほかでご覧いただくとして、裏切りや内通や口封じの変死までゴロゴロしているその歴史の中で、比較的筋を通し、実力によって押しも押されもせぬ内閣官房長官・党幹事長にまで上り詰めた政治家が、野中広務(のなかひろむ・85)である。お笑い界ではネプチューン名倉が演じたっけか。
すでに政治家としては引退しているが、最近では、内閣官房機密費の中から、マスコミ対策として政治評論家などに現金を配ったことを一部暴露したのが記憶に新しい、その野中がきのう、早稲田大学のアジアセミナーで「中国を語る」と題して講演を行ったのを、見に出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/3f7ff1fe5bbbba9279695af17caab116.jpg)
TV画面を写したような画像ですって??
そうなんだよ、現役の学生よりもオラのような早大に縁もゆかりもないおやじまで詰めかける大盛況のため、地下の講堂に入りきれない聴衆は6階の一般教室でモニター越しのご対面となった。
序盤で語った略歴によると、出身の京都府で町議からのたたき上げ。町議→府議のころは、共産党・社会党を与党とする28年間の蜷川長期府政の真っただ中で、役所の労働組合が強く、共産党の組織強化のためか、課長以上の私用電話代まで役所の経費で。それに一歩も引かず、後の自民党府政では副知事として、多くの慣行をやめさせた。
地方自治での豊富な経験から、竹下登に請われて58歳にして衆院議員となって以降(1983年)、中央政界では異例の短期間で実力者としてにらみをきかす存在に。小沢一郎、小泉純一郎、麻生太郎らとは激しく対立するいっぽう、従軍経験などからも戦争絶対反対で、中国などとのパイプ作りに尽力した。
訪中時、南京虐殺記念館を訪れた一行の中で、一人の一般老人が南京市に入るなり胸をおさえて倒れた。同行の医師の介抱により意識を回復した彼の語るところによれば、南京陥落の際下士官として、地下壕に150人ほどの女性・子どもがいるのを発見、手をくだす必要もないだろうと上官に報告したところ、「何を言っている。そういう中に便衣隊が交じっているんだ」と言われ、150人を皆殺しにせざるを得なかった。以来、罪の意識にさいなまれてきたが、南京市に入って我慢できなくなった─と。
30万人は誇張かもしれない。日本軍と国民党と共産党の三つどもえの混乱で、確かめるすべはないが、残虐な行為が行われたことには違いない。その後も訪れており、中国の政治家も、私(野中)が「30万人」と明記された碑のところへは決して献花しないことを理解してくれている。
石原(慎太郎)くんが中国に対して侮蔑的な発言を繰り返すのは苦々しいが、彼は朝貢文化について研究したこともあり、まったく無知なわけではない。三月に一度ほど、石原くん亀井(静香)くんと私で会食もするので、北京五輪の開会式に友好都市でありオリンピック招致もしている東京都知事の彼が行かないのはまずいから、なんとか話して行くようにはからった。
─といったような講演のあと、質疑に入って、いきなり朝日新聞の記者が質問したのにも面食らったが、通常大学で行われる講演での質疑とはかけ離れたレベルの低い、中には「日本人を拉致する北朝鮮とも仲良くできますか?できるはずがない!」とか自分の意見をまくし立てるジジイもいたりして。
ああ、政治とは、こういうことでもあったかと。
思想信条というより、利害が対立し、歩み寄る余地がないようなことにも、突破口を見つけ、融和を図っていかなければならない。かつての自民党は、党内で派閥抗争としてそれが行われ、右から左まで党内に幅があったことが、国政や外交についても一定の効用をもったともいえよう。
それが近年、自民のほか、民主党、国民新党、みんなの党、たちあがれ日本などと四分五裂して、海外の要人とコツコツ信頼関係を積み上げることができそうもない現状に、なるほど小泉純一郎は「ぶっ壊した」のかと。
旧自民系ながらも原発と距離を置き始めている輩からは、「壊して、たたき売る」ところまで視界に入っているのかも分からない。
彼については、以前にも三田明とからめて記したことがあり、どこか平成という時代にそぐわない、アナクロな雰囲気をまとってる気がしてたんだよね。─情熱的なアジテーターであり、独断専行型の闘士として組織を率いるいっぽう、活動家仲間の複数の女とも肉体関係を持つなどエネルギッシュに過ごしていたが、あるきっかけで失脚し、ほかの組織やかつての仲間たちからも追われる身となって、場末の路地裏で襲撃されて命を落とす─のような。
そもそもお笑い芸人の世界ってのが、そうした設定と相通じており、左翼だろうが右翼だろうが政治家の世界ともかぶってくる。
近年ますます島田紳助の言動は横暴になっていると聞くが、彼がTV界の実力者として君臨し、番組で引き立てた者たちはいずれも売れて人気者となっていることも否定しがたい事実。そしてそれは、かつての田中角栄や、いまの小沢一郎が子飼いの配下をたくさん従えて、よっしゃよっしゃとモチ代を配って面倒を見ることと同じ構造だ。
角栄の時代から現在にいたる自民党、さらに新進党やら民主党やらの権力闘争の様子は、興味ある方はほかでご覧いただくとして、裏切りや内通や口封じの変死までゴロゴロしているその歴史の中で、比較的筋を通し、実力によって押しも押されもせぬ内閣官房長官・党幹事長にまで上り詰めた政治家が、野中広務(のなかひろむ・85)である。お笑い界ではネプチューン名倉が演じたっけか。
すでに政治家としては引退しているが、最近では、内閣官房機密費の中から、マスコミ対策として政治評論家などに現金を配ったことを一部暴露したのが記憶に新しい、その野中がきのう、早稲田大学のアジアセミナーで「中国を語る」と題して講演を行ったのを、見に出かけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/cd/3f7ff1fe5bbbba9279695af17caab116.jpg)
TV画面を写したような画像ですって??
そうなんだよ、現役の学生よりもオラのような早大に縁もゆかりもないおやじまで詰めかける大盛況のため、地下の講堂に入りきれない聴衆は6階の一般教室でモニター越しのご対面となった。
序盤で語った略歴によると、出身の京都府で町議からのたたき上げ。町議→府議のころは、共産党・社会党を与党とする28年間の蜷川長期府政の真っただ中で、役所の労働組合が強く、共産党の組織強化のためか、課長以上の私用電話代まで役所の経費で。それに一歩も引かず、後の自民党府政では副知事として、多くの慣行をやめさせた。
地方自治での豊富な経験から、竹下登に請われて58歳にして衆院議員となって以降(1983年)、中央政界では異例の短期間で実力者としてにらみをきかす存在に。小沢一郎、小泉純一郎、麻生太郎らとは激しく対立するいっぽう、従軍経験などからも戦争絶対反対で、中国などとのパイプ作りに尽力した。
訪中時、南京虐殺記念館を訪れた一行の中で、一人の一般老人が南京市に入るなり胸をおさえて倒れた。同行の医師の介抱により意識を回復した彼の語るところによれば、南京陥落の際下士官として、地下壕に150人ほどの女性・子どもがいるのを発見、手をくだす必要もないだろうと上官に報告したところ、「何を言っている。そういう中に便衣隊が交じっているんだ」と言われ、150人を皆殺しにせざるを得なかった。以来、罪の意識にさいなまれてきたが、南京市に入って我慢できなくなった─と。
30万人は誇張かもしれない。日本軍と国民党と共産党の三つどもえの混乱で、確かめるすべはないが、残虐な行為が行われたことには違いない。その後も訪れており、中国の政治家も、私(野中)が「30万人」と明記された碑のところへは決して献花しないことを理解してくれている。
石原(慎太郎)くんが中国に対して侮蔑的な発言を繰り返すのは苦々しいが、彼は朝貢文化について研究したこともあり、まったく無知なわけではない。三月に一度ほど、石原くん亀井(静香)くんと私で会食もするので、北京五輪の開会式に友好都市でありオリンピック招致もしている東京都知事の彼が行かないのはまずいから、なんとか話して行くようにはからった。
─といったような講演のあと、質疑に入って、いきなり朝日新聞の記者が質問したのにも面食らったが、通常大学で行われる講演での質疑とはかけ離れたレベルの低い、中には「日本人を拉致する北朝鮮とも仲良くできますか?できるはずがない!」とか自分の意見をまくし立てるジジイもいたりして。
ああ、政治とは、こういうことでもあったかと。
思想信条というより、利害が対立し、歩み寄る余地がないようなことにも、突破口を見つけ、融和を図っていかなければならない。かつての自民党は、党内で派閥抗争としてそれが行われ、右から左まで党内に幅があったことが、国政や外交についても一定の効用をもったともいえよう。
それが近年、自民のほか、民主党、国民新党、みんなの党、たちあがれ日本などと四分五裂して、海外の要人とコツコツ信頼関係を積み上げることができそうもない現状に、なるほど小泉純一郎は「ぶっ壊した」のかと。
旧自民系ながらも原発と距離を置き始めている輩からは、「壊して、たたき売る」ところまで視界に入っているのかも分からない。