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世界の音楽 — ウクライナ

2024-04-18 17:30:53 | 世界の音楽
2020年のコロナ禍に際してアメリカのネット右翼ははほぼ反ワクチン・反マスク一色であったのに対し、日本のネトウヨはいまだにツイッターのアカウント名に注射器アイコンを付けて接種回数を誇っている者もいるくらいワクチン盲信。という風に一色で塗り固められているうちはまだよくて、コロナ禍の長期化と各国の金融緩和~株バブルとインフレ、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ地区住民の虐殺などと続いて、細かな分断と囲い込み、ヘイトの蔓延と政治的混乱はとどまるところを知らない。トランプは大統領再選されるのかもしれないが、れっきとした犯罪者であるし、本人も共和党も支持者も言動が支離滅裂になってきて、いくら米国の経済が強いといっても文明国としては既に崩壊していると思う。

テキサス州などで独立の動きがあって内戦になるとかではなく、散発的な暴力が続き、ますますヘイトが煽られて果てしなく分断が進む。私の子どものころ南北ベトナム、東西ドイツなど分断されていた国がやがて統合される様子を見てきたが、これからはもう大きな統合はなく、政治的には米国主導、経済的には中国主導、ウクライナも中東も日本含む東アジアもずっと両にらみの緊張状態が続き、水面下で人間の家畜化と家畜管理システムの精度強化が続いていくに違いない。



Pinchos Jassinowsky / K'dusho (Na'aritzkho) (1919)
ピンチョス・ジャシノフスキー(1886-1954)、キエフ郊外で生まれ、早くから美声の持ち主として知られ、サンクトペテルブルクの帝国音楽院に入学すると学生時代に当地のシナゴーグ合唱団副指揮者を務める。1916年に米国に移住、20年から亡くなるまでの34年間マンハッタンユダヤ人センターのカンター(ユダヤ教会音楽の詠唱者)として活動。


Kosenko: 24 Children's Pieces, Op. 25 - 15. Lullaby (1936)



Kapustin: Piano Concerto #2, Op. 14 – 1. Allegro molto (1974)
ニコライ・カプースチン、現在はロシア軍に占領されているドネツィク州出身、父はベラルーシ、母はロシア人で当人も14歳以降はモスクワに住みロシアの作曲家とみなされる。クラシックとジャズを融合させた作風で、華麗な技巧を要するピアノ曲を得意とする。



Цукор Біла Смерть / Велика ріка Хєнь-Юань (The Great Hen-Yuan' River) (1990)
スヴィトラーナ・ニアニオ/オクリメンコという名の女性歌手による世にも美しい音楽。当初はカセットのみで流通、近年ソーシャルメディアの普及に伴って好事家の話題となり、ウクライナ戦争の米ドキュメンタリー番組でも使用された。



Julian Kytasty / Black Sea Winds (2001)



Valentyn Silvestrov / Postlude No. 3 (2002, composed 1982)
ヴァレンティン・シルヴェストロフ、1937年キエフ出身、前衛的な作風で名を馳せたが「私の音楽は既存の音楽への反応であり反響なのです」と語るようなノスタルジックな作風に転向、74年にソ連作曲家同盟から除名され、現在はエストニアのペルト、ポーランドのグレツキらと並ぶポピュラーな評価を獲得している。 



Flёur / Формалин (2003)



Drudkh / Glare of Autumn (2004)
「芳醇なアコースティックオープナーFadingから時を超えた広大なウクライナの森へと連れて行かれる。そこでは自然が魅惑的であると同時に容赦ないものでもある。ノスタルジックで悲しい叙事詩が彼らの持ち味(Metal Observer)」。東欧ブラックメタルの有力グループ。ギターのローマン・サエンコが以前属したグループ「ヘイト・フォレスト」が国家社会主義ブラックメタル(NSBM)シーンに関与していたとして、ドルドフもそうなのではないかと非難を浴びた。



Христина Соловій (Khrystyna Soloviy) / Тримай (2015)


Zwyntar / Мексиканець (2018)

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ポーランドの50曲

2024-03-04 12:13:42 | 世界の音楽
受け売りや知ったかぶりでも何度もやり直して改善するのが当ブログのモットー。2017年にRate Your Musicを利用し始め、RYMのポーランド人ユーザーは自国の音楽紹介に熱心で、それまで知らなかったチェスワフ・ネーメンやズビグニエフ・プライスネルなどの名曲を教わり、国別音楽紹介のやり方が定まっていなかった2019年頃に20曲ほどでポーランドを記事化。当時の印象から今なら50曲は軽いだろうと思ったのだが…

RYMユーザーから教わった同国の主要なアーティストは米英のオルタナティブ/インディーロックを小粒にした感じが多く、かつ80年代から時代が下るにつれその傾向が強まる。英語圏で成功したキャラクター商品であれば、人口3700万の独自言語圏で同じことをやればポジション確保して食っていける。そういう閉鎖的で利己的な匂いがする(これをもっと強めればゲロ以下のJ-popになる)。既にiTunesから削除してしまった曲、一度も加えたことがなくこれからも聞かないであろう曲をポーランドではビッグネームだからということでかき集めてどうにか50。モットーが空しい。

1) Chopin: Etude #3 in E, Op. 10/3, "Tristesse" (1832)
2) Chopin: Impromptu #4 in C-sharp minor, Op. 66, "Fantaisie-Impromptu" (1835)
3) Wieniawski: Scherzo-tarantelle, Op. 16 (1855)
4) Paderewski: Miscellanea, Op. 16 - 4. Nocturne (1894)
5) Karłowicz: Symphony in E minor, Op. 7, "Odrodzenie" (Rebirth) - 4. Allegro maestoso - Allegro ben moderato - Meno mosso - Allegro ben moderato - Allegro vivo (1902)
6) Szymanowski: Variations on a Polish Folk Theme, Op. 10 - Var. 5. Andantino (1904)
7) Lutosławski: Concerto for Orchestra – 1. Intrada (1954)



8) Penderecki: Threnody for the Victims of Hiroshima (1961)



9) Krzysztof Komeda / Cul-de-sac (1966)
本名クシシュトフ・トルチンスキ、医師とジャズ音楽両方を志したので大学卒業後に芸名としてコメダを名乗る。コメダ・クインテット名義による65年のアルバムAstigmaticは欧州ジャズの最も重要な作品の一つとされる。『ローズマリーの赤ちゃん』などポランスキー作品の映画音楽でも知られる。68年米国でのパーティーの最中に無頼派作家マレク・フラスコに崖から突き落とされ、昏睡状態のまま翌年死去。37歳。



11) Ewa Demarczyk / Karuzela z madonnami (1967)
12) Skaldowie / Wszystko mi mówi, że mnie ktoś pokochał (1968)
13) Czesław Niemen / Bema pamięci żałobny – rapsod (1970)
14) Breakout / Kiedy byłem marym chłopcem (1971)
15) Marek Grechuta & Anawa / Dni, których nie znamy (1971)
16) Tadeusz Woźniak Zegarmistrz światła (1972)
17) Mira Kubasińska & Breakout / Wielki ogień (1973)



18) Tomasz Stańko Quintet / Boratka & Flute's Ballad (1973)
ヨーロッパのジャズってあまり必要ないなと思い↑のコメダも映画音楽から選んでいるが、これは白人ジャズらしくない、マイルスOn the CornerやHハンコック70年代の系統の長尺曲として退屈させない優れもの。

19) Górecki: Symphony #3, Op. 36, "Symphony of Sorrowful Songs" - 2. Lento e largo – Tranquillissimo (1976)
20) Maanam / Szare miraże (1980)
21) Perfect / Nie płacz Ewka (1981)
22) Brygada Kryzys Centrala (1982)
23) Lady Pank / Wciąż bardziej obcy (1983)
24) Republika / Nowe sytuacje (1983)
25) Klaus Mitffoch / Jezu jak się cieszę (1984)
26) Anna Jurksztowicz / Stan pogody (1986)



27) Siekiera / Nowa Aleksandria (1986)
ポーランド語で斧を意味するシエキエラは80年代半ばの短期間しか活動しなかったがキリング・ジョークの影響を受けた攻撃的なサウンドにより同国のポストパンクを代表する評価を受けている。

28) Dezerter / Spytaj milicjanta (1987)
29) Kult / Arahja (1988)
30) Bielizna / Stefan (1989)
31) Jacek Kaczmarski / Sen Katarzyny II (1989)
32) Kobranocka / Kocham cię jak Irlandię (1990)



33) Zbigniew Preisner / Les marionnettes (1991)
正式な音楽教育を受けずにクラシック系の、多くは映画音楽を手がける異才ズビグニエフ・プライスネル。セザール賞作曲賞を2度受賞。デビッド・ギルモアのソロ・アルバムでオーケストレーションを担当。

34) Renata Przemyk / Babę zesłał Bóg (1991)
35) Księżyc / Verlaine, Pt. 1 (1996)
36) Pidżama Porno / Ezoteryczny Poznań (1997)
37) Myslovitz / Długość dźwieku samotności (1999)
38) The Cracow Klezmer Band / Aide Jano (2000)
39) Paktofonika / Jestem bogiem (2000)
40) Lenny Valentino / Trujące kwiaty (2001)
41) Warsaw Village Band (Kapela ze Wsi Warszawa) / U mojej matecki (2001)
42) Skalpel / Sculpture (2004)
43) Świetliki i Linda / Filandia (2005)
44) Lunatic Soul / Adrift (2008)
45) Stachursky / Dosko (2009)
46) Łona i Webber / To nic nie znaczy (2011)
47) Riverside / The Depth of Self-Delusion (2013)
48) Sławomir / Miłość w Zakopanem (2017)
49) Dawid Podsiadło / Let You Down (2022)


50) czubibubi / Anime Dziefczynka (2022)
落ちぶれ帝国臣民のネトウヨ化、指針になるのは日本のアニメ、という構図が米国や東欧はじめ一部の国々にみられるようなのだが、それらしき音楽の歌詞や背景を網羅的に調べたわけでなく、私の偏見による妄想かも分らない。


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ポルトガルの50曲

2024-02-23 16:30:07 | 世界の音楽
【ファドはポルトガルに打ち寄せる海の波の音】
ファドはポルトガルを代表する音楽として知られる。だが民謡と言ってよいかどうかは疑問がある。しかし現代の都市大衆歌謡と定義づけるにはいささか歴史が古すぎ、起源が定かでない。
ポルトガルの首都のリスボンに、アルファーマという地区がある。この貧しい一画がファドの故郷だと思い込んでいるポルトガル人は多いようだ。それにしてもファドはリスボンの内側から生まれて来たというよりも、15世紀このかた海外に広く船で出て行ったポルトガル人の流浪の暮らしを映し出す歌だと、誰しも認める。中には、遠い島に送られた囚人の望郷の念がファドに歌われたという人もいるが、囚人の歌が一般の人に共感され広まるものだろうか。
ファドを作ったのはポルトガルではなくブラジルだというのが、ブラジルの学者たちの間では定説だ。ポルトガル人はそれを認めたがらないが、大いにあり得ると思う。アレン・ダニエルーは、マレイ系文化の影響は無視できない、とし、ジャワやカンボディアやビルマの古典芸術がポルトガル音楽の影響のもとにファドと非常に近い音楽(クロンチョンなどを指す?)を生み出していると指摘する。ケルト人の影響を指摘する説さえある。
いずれにせよ、ファドはポルトガル人が海外進出の結果として異文化との出会いの中で生み出した混血音楽、と見てよかろう。
フアドはリスボンだけのものではない。この国の北のほうにあるコインブラという町は、1290年に創立されたヨーロッパ最古の大学を持つ歴史的な文化都市だが、この町の学生たちは、黒いマントを羽織り、ギターなどを弾きながら合唱して、石畳の道を練り歩く風習があった。その歌は恋人に捧げるセレナーデだ。それがコインブラのファド。従ってリスボンのファドが人生の苦しみを訴える調子をもつものが多いのに対しコインブラのファドは明るいラヴ・ソングで、テノールの男性が歌う。 ─(ミュージック・マガジン1994増刊『ミュージック・ガイドブック』より中村とうようの記述)



1) Amália Rodrigues / Uma casa portuguesa (1953)
2) António dos Santos / Partir é morrer um pouco (1961)
3) Alfredo Marceneiro / O Amor é água que corre (1961)
4) Adriano Correia de Oliveira / Trova do vento que passa (1963)
5) Amália Rodrigues / Estranha forma de vida (1964)
6) João Ferreira-Rosa / Embuçado (1965)
7) Maria Teresa de Noronha / Fado das horas (1966)
8) Carlos Paredes / Canção verdes anos (1967)
9) Quarteto 1111 / Todo o mundo e ninguém (1970)



10) Amália Rodrigues / Gaivota (1970)
不世出のファディスタ、アマーリアが49歳のときにリリースした名盤Com que voz。12の歌によりポルトガルの風景と人びとに命を吹き込み、ファドを刷新。



11) José Afonso / Grândola, vila morena (1971)
1933~74年と長期にわたったエスタード・ノヴォと呼ばれる独裁政権時代、音楽は比喩や象徴を通して自由・平等・民主主義について主張する手段として左翼レジスタンスによって広く利用された。 多くの作曲家や歌手が有名になり、政治警察によって迫害され、ホゼ・アフォンゾ、パウロ・デ・カルヴァーリョ、セルジオ・ゴディーニョ、ジョゼ・マリオ・ブランコ、マヌエル・フレイレ、ファウスト(グループ)など中には逮捕や追放された者もいる。 彼らの音楽はポルトガルの民俗要素と欧大陸におけるシンガーソングライターの伝統に基づき、「政治に介入・抗議する」意味からムジカ・ジ・インテルベンサオと総称されるように。

判事の父と小学校教師の母を持ち、アンゴラやマカオなど旧植民地滞在も経たホゼ・アフォンゾはポルトガルのルーツ・リバイバルを主導した、ムジカ・ジ・インテルベンサオの代表格。左翼的な活動のため教職の解雇や逮捕・懲役を経験。このGrândola, vila morenaは1974年のカーネーション革命においてクーデター勢力と国民を鼓舞するテーマとなる。82年に筋萎縮性側索硬化症を発症し、87年に57歳で死去。

12) José Mário Branco / Mudam-se os tempos, mudam-se as vontades (1971)
13) Sérgio Godinho / A noite passada (1972)
14) Paulo de Carvalho / E depois do adeus (1974)



15) Banda do Casaco / Morgadinha dos canibais (1976)
バンダ・ド・カサコは1974~84年に活動したフォーク・グループ。ポルトガルの民俗要素とプログレッシブ・ロックを融合し、社会批判を含む風刺的な歌詞と合せ現代の都市化とポルトガルの農村の歴史を交錯させるというユニークなアプローチ。

16) Carlos do Carmo / Lisboa, menina e moça (1976)
17) Fausto / Como um sonho acordado (1982)
18) António Variações / Canção de engate (1984)
19) GNR / Dunas (1985)



20) Rui Veloso / Porto Côvo (1986)
同国のロックの父と称されるルイ・ヴェローゾ。「政治的な要素がなくなり社会的な側面がポルトガルのポップスに入ってきた。ルイ・ヴェローゾで私たちは聴くのをやめポルトガルで作られた音楽を感じて踊り始めた」と評される。96年にホルヘ・パルマらとスーパーグループ「リオ・グランデ」に参加 (31)。

21) Mler Ife Dada / Zuvi Zeva Novi (1987)
22) Rádio Macau / O anzol (1987)
23) Sétima Legião / Por quem não esqueci (1989)



24) Madredeus / O pastor (1990)
25) Jorge Palma / Frágil (1991)
26) Resistência / Nasce selvagem (1991)
27) Mão Morta / Budapeste (1992)
28) Dulce Pontes / Canção do mar (1993)
29) Pedro Abrunhosa & Os Bandemónio / Tudo o que eu te dou (1994)
30) Quinta do Bill / A única das amantes (1996)
31) Rio Grande / Postal dos correios (1996)
32) Clã / Problema de expressão (1997)
33) Ornatos Violeta / Ouvi dizer (1999)
34) Mariza / Oiça lá ó Senhor Vinho (2001)



35) Sérgio Godinho / Lisboa que amanhece (with Caetano Veloso) (2003)
86年の曲をカエターノ・ヴェローゾとのデュエットにより再演。反ファシストの家庭に生まれたセルジオ・ゴディーニョは青年時代、独裁と兵役を避けるためジュネーブ・パリ・アムステルダム・バンクーバーなど世界各地で音楽・演劇・心理学などを学び創作を志す。革命成就後に帰国、ムジカ・ジ・インテルベンサオの系統で最も長期にわたって人気と名声を持続。

36) Humanos / Quero é viver (2004)



37) The Gift / Fácil de entender (2006)
38) B Fachada / Tempo para Cantar (2009)
39) Diabo na Cruz / Os loucos estão certos (2009)
40) Deolinda / Um contra o outro (2010)
41) Dead Combo / Esse olhar que era só teu (2011)
42) Carminho / Lágrimas do céu (2012)
43) Ana Moura / Desfado (2012)
44) António Zambujo / Pica do 7 (2015)
45) Capitão Fausto / Amanhã tou melhor (2016)



46) Bruno Pernadas / Anywhere in Spacetime (2016)
トータスやフアナ・モリーナといった一時「音響派」と呼ばれた系統の音作り、かつ日本の青葉市子のようにRate Your Musicで持ち上げられるタイプの作風。実力あると思うが1曲選ぶとなると決め手に欠ける。

47) Samuel Úria / É preciso que eu diminua (2016) 
48) Gaiteiros de Lisboa / Roncos do diabo (2017)
49) Salvador Sobral / Amar pelos dois (2017)
ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト2017にポルトガル代表として参加、同国に初めての優勝をもたらす。甘口のポップスでポルトガル色は希薄。



50) Toy / Coração não tem idade (Vou beijar) (2017)
ピンバ(Pimba)と呼ばれるポルカやクンビアと似たアップテンポで、歌詞に性的な比喩の多い、90年代に人気沸騰した労働者階級向けジャンルにおける近年の代表的ヒット曲。


※番外(外すに忍びない曲とクラシック)
Bomtempo: Requiem à la mémoire de L. de Camoes, Op. 23 – Sanctus (1820)
António Calvário / Mocidade mocidade (1977)
Manuela Moura Guedes / Foram cardos, foram prosas (1981)
Lena d'Água / Demagogia (1982)
Rão Kyao / Fado bailado (1983)
Nuno Canavarro / Untitled (track 9) (1988)
Três Tristes Tigres / O mundo a meus pés (1993)
Expensive Soul / O amor é mágico (2010)
Ricardo Ribeiro / Fadinho Alentejano (2016)
Bernardo Sassetti / Simplemente Maria (2019)
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世界の音楽 — フィリピン

2024-02-14 18:26:44 | 世界の音楽
ランズデールが考案した「心理作戦」の別のものでは、フィリピンの田舎で信じられていたアスワングという神話上の吸血鬼が利用された。政府軍が、フク団の占拠しているある場所を取り返したいとする。すると、心理戦部隊が近くの町に入り、フク団が潜伏している山岳地域にはアスワングが住んでいるとの噂を流す。町のフク団シンパにこの噂が浸透しそれが山にも伝わるのを待って、2日ほどしたら、部隊はフク団が通る道で待ち伏せ攻撃をしかける。フク団の斥候が通り過ぎるのを確認して、気がつかれないようにして最後の一人を捕まえる。そしてこの兵士の首に吸血鬼に襲われたかのように穴を二つ開け、血が抜けるまで逆さに吊るしておくのである。血が抜けると遺体を道に置いておく。他のフイリピン人と同じくらい迷信深いフク団がこの血を吸われた仲間を発見すれば、この部隊はこの地から逃げ出していってくれるのである。 ─(ウィリアム・ブルム『アメリカ侵略全史』の項目「フィリピン アメリカの最も古い植民地」より)



Rogelio de la Rosa / Dahil Sa Iyo (Because of You) (1938)
フィリピンの伝統的な音楽は、同国が地方それぞれ別の言語を持つことや、100年にわたるアメリカナイゼーションのため受け継がれることが難しくなっている。そんなアメリカ化を象徴する甘いメロディーを持つこの曲は在米フィリピン人コミュニティーで今も人気があり、贅沢な生活ぶりで知られるイメルダ・マルコス元大統領夫人のお気に入りでもあるという。
※ジャケは1964年に米国でリリースされたカバー・バージョンのシングル



Freddie Aguilar / Anak (1977)
フレディ・アギラーはフィリピンのミュージシャンとして最も世界的に高名な存在。成長して悪い道へ進もうとする息子へ呼びかける内容のAnakは同国のコンクールで優勝後に大ヒット、やがて日本・香港・マレーシア・ヨーロッパの一部などでもヒットし、訳詩を付けてのカバーも盛んに行われた(日本では杉田二郎のカバーが原曲を上回るヒットに)。音楽的には米英のフォークロックの影響を受けつつ自国の伝統精神を音楽で受け継ごうとするピノイロックの系統に属し、貧困のため売春せざるをえない少女、ミンダナオ島におけるキリスト教とイスラム教の衝突など社会的政治的テーマにも取り組んだ。80年代にはマルコス政権に対する抗議の一環として独立闘争時代に作られた愛国歌Bayan Koを集会などで歌い、1986年のピープルパワー革命に至る機運を高める。

Anakが日本でヒットした翌年、共通するテーマながら死ぬほど気持ち悪い歌詞のさだまさし「親父の一番長い日」が12インチシングルとして異例のオリコン1位。ザ・ベストテンの始まった70年代終り、文化的経済的没落の因子は日本のあちこちに見られるようになっていた。言語化できた人は誰もいなかったが。



CLIPPER / BOY (1978)
女1男4の姉弟グループとして活動していたのを日本に呼び寄せ、都倉俊一作曲で長男デニスのボーイソプラノが美しいこの曲などシングル4作・アルバム1作をリリース。BOYは都倉のユニット「ウインズ」としてセルフカバーも。



Jose Mari Chan / Beautiful Girl (1989)



Eraserheads / Ang Huling El Bimbo (1995)



Christian Bautista / The Way You Look at Me (2004)



Jennylyn Mercado / Sa Aking Panaginip (2005)
同国のトップ女優で歌手としても活躍。トライアスロンや格闘技をたしなみ、子どもの頃の被虐待経験から女性の権利や反暴力についても積極的に発言。



Charice / Pyramid (feat. Iyaz) (2010)



Up Dharma Down / Tadhana (2012)
現状同国で最も人気のあるオルタナティブ系のポップグループ。この代表曲はSpotify再生回数が2億超となっており、韓国のK-popがそうであるように、1980~90年代のソウル・ヒップホップ・ディーバ系・シンセポップ・日本のシティポップなどの要素を公約数的に集めたレトロかつ凡庸(※必須条件)な曲であることが、教育や消費やインターネットを通じて分断と囲い込みが完了してしまったポストモダンにおけるヒットの公式なのではないか。



Juan Karlos / Buwan (2018)
これも1億5千万回と聞かれているが、前項のような東アジア的なマーケティングというよりは北米のインディーロックに近い作風。


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世界の音楽 — イスラエル

2024-01-05 17:45:48 | 世界の音楽
のちに見るように、シオニストたちは、それまで民族としての同胞感情などまったく抱いていなかった各地のユダヤ人、ユダヤ教徒の諸集団のもとでヨーロッパ式の民族感情を創り出し、普及させるばかりか、彼らに共通の言語さえ整えてやらねばなりませんでした。そして、アフリカ、オーストラリア、南北アメリカにおけるヨーロッパの植民地をお手本とし、実際の移民をともなう入植地を西アジアの一郭に築く場合でも、ヨーロッパ諸国のナショナリズムとは異なり、世界中に散らばった種々雑多な人間集団のなかから入植者を養成せねばなりませんでした。しかし20世紀初頭の時点で、世界のユダヤ人、ユダヤ教徒の大部分は、自分たちがヨーロッパ的な意味における「民族(nation)」や「人種(race)」を構成しているなどとは、つゆほども考えておらず、むしろそれは、反ユダヤ主義の旗幟を鮮明にする人々に特有の考え方だったのです。

(中略)ポグロム(ユダヤ人を狙って行われる集団的な暴力・殺戮を指すロシア語)をつうじて多くのロシアユダヤ人が感じた衝撃、怒り、苛立ちは、組織的な暴力行使も辞さない非合法の急進的党派の方へますます彼らを引き寄せていきます。すでに当時のロシアの反体制運動には多くのユダヤ人が参加していましたが、ある時期以降、とりわけユダヤ人の組織であることを前面に押し出す運動も組織されるようになりました(社会主義運動「ブンド」、ポグロムに対する自衛を目的とする諸集団、そしてシオニズムの諸派)。19世紀末、 ロシアの反体制派のあいだに浸透した虚無主義の空気と人間の生命に対する軽視は、今日のわれわれの世界にも重くのしかかるテロリズムの温床となります。論者によっては、中東におけるテロリズムや、マンハッタンのツイン・タワーへの大がかりな攻撃まで含めて、テロ行為の全歴史を19世紀ロシアのイデオロギー的遺産とみなす人もいるほどです。

(中略)シオニズムのイデオロギーと実践は、必然的に、また本質的に領土拡張主義であった。シオニズムを実現するには、まず、入植者集団を養成してパレスティナの地に送り込む必要があった。それぞれの入植地の住民は、生活を始めるや否や、自分たちがいかに孤立無援で脆い存在であるかを深刻に思い知らされ、そして当然の流れとして、自分たちの周囲に新しいユダヤ人入植地が築かれることを望んだ。それによって旧来の入植地はたしかにより「安全」になるが、同時に新しい入植地が「前線」となり、今度は自分たちを守ってくれる「新しい」入植地を必要とするようになる。「六日戦争」の後、ゴラン高原とイスラエルの周囲にイスラエルの入植地が拡張していったのは、これとまったく同じ論理によるものであった。 ─(ヤコヴ・M・ラブキン/イスラエルとは何か/平凡社新書2012・原著2010)




Shlomo Artzi / Unknown Beauty (1972)
イスラエル国防軍は1950年代からレハコット・ツヴァイヨット(陸軍アンサンブル)と呼ばれる演奏グループを運営してきた(現在は廃止)。技能を持つ下士官から成り、オリジナル曲を準備して基地や野戦地を巡回慰問する。イスラエルで最も人気のある歌手や楽曲はこのシステムから生まれ、シュロモ・アルツィもその一人。中東らしさの薄い、ダン・フォーゲルバーグやケニー・ロギンスといった米シンガーソングライターに近い作風だが驚異的な創作力で佳曲多数。私は愛聴しているがヘブライ語のため国外であまり聞かれていない様子。



Ilanit / Ey Sham (1973)
地理的にアジアに属するイスラエルはアラブ諸国との対立もあってさまざまな分野でヨーロッパの一員に迎えられている。ユーロヴィジョン・ソング・コンテストには73年のこの曲で初参加して4位、78年にはイツァール・コーエンの歌うA-Ba-Ni-Biで初優勝(3番目のユーチューブ参照してください)。これに先立つ70年には日本のヤマハの世界歌謡祭でヘドバとダビデ「ナオミの夢」が優勝、「日本のみで売れた洋楽」の代表例に。



Chava Alberstein / At Telchi Basade (Walk in the Meadow) (1975)



Shlomo Artzi / Suddenly When You Didn't Come (1979)



Minimal Compact / When I Go (1985)


Ofra Haza / Im Nin’alu (1988)
パレスチナにはイスラエル建国以前からイエメン系ユダヤ人のコミュニティーが存在し、1920年代にヨーロッパから移民してきたユダヤ人はイエメン系の民謡を好み、それらを西欧化することで初期のシオニスト民謡が生まれた。テルアビブの貧しいハティクバ地区で育ったイエメン難民の女性オフラ・ハザは、代表曲Im Nin’aluなどでイエメン系民謡のリメイクを行い、この曲は米英のクラブシーンで取り上げられ国際的ヒットとなる。イギー・ポップ、ルー・リード(いずれもユダヤ系)らと共演するもエイズによる合併症のため2000年42歳で死去。



Itzhak Perlman / Theme From Schindler's List (1993)
イスラエルは世界有数の演奏家・指揮者を輩出し、特にヴァイオリンはこのイツァーク・パールマンはじめピンカス・ズーカーマン、ギル・シャハム、シュロモ・ミンツら錚々たる顔ぶれ。イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団やカメラータ楽団などオーケストラも多く、高度な専門技能を持つロシア移民やナチによる迫害から逃れた難民の受け皿になることが創設の動機の一つであったという。



Dana International / Diva (English Radio Version) (1998)
ドラァグクイーンとして芸能活動を始めた歌手による、イスラエルにとって3度目のユーロヴィジョン・ソング・コンテスト優勝曲。70年代の優勝曲と比べイスラエルらしさが希薄で凡庸なダンスポップ。



Keren Ann / Que n'ai-je ? (2004)



Ravid Plotnik / כל הזמן הזה (2017)
非常に人気があるとのことで、よくできているが特に抜きんでているわけではないヒップホップ調のオルタナティブ。


イスラエルの音楽は、国家アイデンティティを確立するため不可欠な存在として、ヘブライ語の歌や公共の歌(シラ・ベツィブル)が入植初期から体制側によって奨励され支援されてきた。各地からのユダヤ人移民はそれぞれの音楽の伝統を持ち込み、それらの融合によってイスラエル独自の音楽が形成されていった。ロシア民謡、東欧のクレズマー音楽、アラブの音楽、イエメン系ユダヤ人の音楽などであり、1960年代からは米英のロックや主流ポップスが大きな影響を持つ。

1967年の六日戦争はイスラエルの政治・外交的な地位だけでなく(それまでは社会主義的な政策により東側諸国と協調していたが、占領を恒久化したり後に核武装したことから西側諸国の保守政権や白人優越主義勢力からお手本とされるように)、同国の文化にとっても転換点となる。経済活動が活発化し、経済成長率が戦前の1%から13%に上昇。劇場が2倍に増え、レストランやナイトクラブやディスコも急増。欧米の音楽家の公演が増え、イスラエル側からも欧米マーケットで聞かれるよう目指す動きが始まる。こうした交流と多様化が進展したことで、中東の音楽らしい独自色は次第に薄れていく。



ヘブライ語の歌による国民の統合という要求により、ロック音楽が主流となってもそれらがセックス・ドラッグ・若者の怒りや閉塞感といったカウンター・カルチャーの要素を扱うことはほとんどなかった。1990年代に民営化されるまで同国のラジオ局・テレビ局はすべて国営。代表的なスターは髪をきちんと整え、兵役を経た模範的な若者であった。

こうした状況に変化をもたらした一人がアビブ・ゲフェンである(4番目のユーチューブ参照してください)。厚化粧のドラァグとして登場し、徴兵を避けたことを誇った。しかし音楽性はビートルズとピンク・フロイドの影響下にある中庸なもので、カウンターではなく、欧米の白人、そして特に日本でそうであったようにロックを「自己愛的な女性型消費≓観光・観劇・スポーツ・イベントなど体験・時間消費」の有力ジャンルに位置付ける過程であったかもしれない。

同国のシオニズムは最低でもどこか一国の帝国主義に依存しなければ成立しない。委任統治時代にはイギリス、パレスチナ分割案に際してはソ連の支持、核開発にはフランスの支持、そして建国以来一貫してアメリカの支援を不可欠とする。いま現在進んでいる最大の帝国主義は、インターネットとスマホの普及を背景とし、資本主義の最後の資源をめぐる時間争奪戦争である。人権が国家に従属する、ロシアやイスラエルの古い帝国主義が求める戦争によって、西側自由社会の掲げる人権と民主主義はダブルスタンダードの偽善に過ぎないことが浮き彫りになっている。


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メキシコの100曲

2023-10-30 19:32:02 | 世界の音楽
メキシコという国は、地方地方によってかなりはっきりと異なった音楽を持っている。スペイン語で「北」をノルテと言うことからメキシコ北部の音楽をムシカ・ノルテーニャと呼び、この系統の音楽はメキシコ国内だけでなく、米国テキサス州などでも盛んに行われている。楽器でいえばアコーディオンとバホ・セスト、音楽でいえばコリード(英バラッドに当る物語歌)とポルカが特徴になっている。

メキシコの歌でよく知られているものに「ラ・クカラーチャ」「シェリート・リンド」「ラ・マラゲーニャ」「ラ・バンバ」などあるが、マラゲーニャもバンバもメキシコ湾岸、つまり東側で、マラゲーニャの方が北寄り、バンバが南寄り、それぞれ別の文化圏に属している。首都メキシコ・シティの北方、ウァステカ地方の民謡をソン・ウァステーコといい、ラ・マラゲーニャはその代表といえる。8分の6拍子のニュアンスに富んだリズムに乗せて時に裏声を使いながら歌う。ウァステカ地方の南に隣接するベラクルース州の音楽をソン・ハローチョと呼び、ラ・バンバが代表である。この曲のような2拍子も、8分の6に寄ったものも、弾むような躍動的なビートが魅力となっている。

太平洋側の、グァテマーラと国境を接するチアバス州、そしてメキシコの陸地が細くなっているテウアンテペック地峡のあたりは、楽器ではマリンバ、音楽的にはワルツが盛んだ。その北西、ハリスコ州のグァダラハラは歴史的な文化都市で、特に有名なのが独特の楽器の組合せによりユニークなサウンドを持つマリアッチである。トランペット+ヴァイオリン+ギターを中心とし、このトランペットを1960年代にアメリカ人がポピュラー音楽に取り入れてアメリアッチ・サウンドとして流行らせた。

こうした民俗音楽が豊かすぎたせいかは分らないが、メキシコでは独自の都市ポピュラー音楽の発達は意外に遅れた。1920年代後半、辺境の筈のユカタン半島からこの国の最初のポップスターと呼べそうなグティ・カルデナスが現れ、彼には作曲の才能もあり、代表曲Nuncaなどにはユカタン半島がキューバの影響を受けやすかったことが表れている。グティは26歳の若さで亡くなり、メキシコ音楽の主役はホルヘ・ネグレーテやペドロ・バルガスの世代に移る。キューバから伝わったボレーロがポピュラー音楽の王座を占め続けるが、ボレーロ中心にメロディックなバラード調を抑制されたソフトな声で歌うバルガスと対照的に、ネグレーテはマリアッチの伴奏で、艶のある声で堂々歌い上げるカンシォーン・ランチェーラの様式を確立した。

バルガスのレパートリーが都市ポップス中心だったのに対し、ネグレーテは民俗音楽に基づく郷土色の濃い歌を好み、カンシォーン・ランチェーラは日本の演歌とも共通する、地方出身の労働者を支持層として発展したとみることができよう。この傾向を受け継いだのがペドロ・インファンテ、ホァン・メンドーサ、ハビエール・ソリースらで、より都会的なボレーロについてはロス・トレス・ディアマンテスの洗練されたコーラスが成功して以来トリオで演奏されることが多い。60年代前半の日本では、今では想像がつかないほどそれらメキシコの音楽が数多く紹介され、ラテン音楽といえばメキシコの歌ものを指すような状況だった。 ─(中村とうよう『なんだかんだでルンバにマンボ(1992)』の記述を抜粋)



1) Alcalá: Dios nunca muere (1850s-60s)
2) Trío González / Cielito lindo (1919, composed 1882)
3) Ponce: Estrellita (1912)
4) Guty Cárdenas / Nunca (1927)
5) Pedro Vargas / Granada (1932)
6) Mariachi Vargas de Tecalitlán / El tren (1937)
7) Revueltas: Sensemayá (1938)
8) Pedro Vargas con la Orq. Havana-Riverside / Perfidia (1939)
9) Agustín Lara / Solamente una vez (1941)
10) Moncayo: Huapango (1941)
11) Jorge Negrete / Ay, Jalisco no te rajes (1941)
12) Agustín Lara / Piensa en mí (1943)
13) Pedro Infante / Las mañanitas (1950)
14) Trío Aguilillas / El cascabel: Sones of Veracruz (1950)
15) Lola Beltrán / Cucurrucucú paloma (1954)
これは女性ボーカルだが、元々は女に去られた男が夜も眠れず酒を飲んでばかりで憔悴して死んでしまい、その魂が一羽のハトに生まれ変ってククルーククーと啼きながら女の帰りを待つという悲歌。伝統的に男が捨てられて死んだりボロボロになる歌が好まれるという。

16) Pedro Infante / Cien años (1954)
17) Dean Martin / Sway (1954)
1953年に書かれた原曲¿Quién será?はペドロ・インファンテらにより歌われ中南米全域でヒットしたが、米作詞家ノーマン・ギンベルは憂鬱な男のスペイン語詞を「ダンスでSWAYさせて(揺さぶって)」という男性賛美の英詞に改作、ディーン・マーティンが歌って大ヒットさせた。

18) Tony Camargo / El año Viejo (1955)
19) Trío Los Panchos / Bésame mucho (1956)
ラテン音楽を代表する有名曲の一つ。日本ではトリオ・ロス・パンチョスで最も知られるが、作曲されたのは1941年のことで、43年にはアメリカでもヒット。日本語版は敗戦5年後の50年に黒木曜子が歌いヒット。ビートルズがデッカ(不合格)とEMIのオーディションで演奏したのも有名。

20) Miguel Aceves Mejía / La malagueña (1957)
21) Cri-Cri / El ratón vaquero (1957)
22) Los Tres Caballeros / La barca (1957)
23) Antonio Aguilar / Yoe l aventuero (1958)
24) Conjunto Tierra Blanca / Veracrúz (1958)
25) Amalia Mendoza / Échame a mí la culpa (1958)
26) Cuco Sánchez / La cama de piedra (1958)



27) Los Tres Diamantes / La gloria eres tú (1958)
ロス・パンチョスが米国でスタートし、米国の放送を通じて名を売ってきたのに対し、ディアマンテスは初めからメキシコ同胞がお客さんである。彼らはメキシコで人気を得、その後に人気が外国にも及んで行った。反対に、パンチョスに対するメキシコ人の人気は、外国で成功した同胞に対する賞賛であるに違いない。レパートリーについていえば、パンチョスは米国人にラテン的なものを紹介するのが商売だから当然米国やヨーロッパの曲は歌わない。ディアマンテスは、メキシコ人のためにこそ、メキシコ以外の国から来た曲を歌う。そのかわり、それらを完全に消化し、ディアマンテス風に作りかえ、歌詞も全部スペイン 語にして歌う。(中村とうよう)

28) Esquivel & His Orchestra / Boulevard of Broken Dreams (1959)
29) Trío Los Panchos / Siboney (1960)
30) Chavela Vargas / La llorona (1961)
31) Mariachi Vargas de Tecalitlán / La bikina (1964)
32) Toña la Negra / Cenizas (1964)
33) Javier Solís / Entrega total (1964)
34) Javier Solís / Sombras (1965)
35) Armando Manzanero / Adoro (1967)
36) José José / El triste (1970)
37) Los Solitarios / Mi amor es para ti (1970)
38) José Alfredo Jiménez / El rey (1971)
39) Angélica María / ¿A dónde va nuestro amor? (1971)
40) Guadalupe Trigo / Mi ciudad (1971)
41) Vicente Fernández / Volver volver (1972)
42) Dug Dug's / Smog (1973)
43) Amparo Ochoa / El barzón (1975)
44) La Revolución de Emiliano Zapata / Como te extraño (1976)
45) Gabino Palomares / La maldición de Malinche (1978)
スペイン語で征服者を意味するコンキスタドールという語、中南米では主に16世紀初めに南北アメリカを征服したスペイン人を指して用いる。その代表格がエルナーン・コルテスで、彼はまず1504年にイスパニオラ島へ、11年にディエゴ・ベラスケスと共にキューバ島征服作戦に参加。やがてメキシコ沿岸地域遠征隊の隊長となり、19年2月にスペイン人・先住民・アフリカ人からなる約600人の部下を率いてユカタン半島に向かい、タバスコ州の海岸でマヤ族と闘って勝利した。そのとき贈られた20人の女奴隷の1人がマリンチェで、彼女はアステカの言葉を話せたことからコルテスに重宝がられ、通訳として働くだけでなくコルテスの愛人となり子どもを残したことでも知られた女性である。ガビーノ・パロマレスはこの曲をコリード(物語歌)風に作り、侵略者に征服される前段に続き「そして今や時代は20世紀/いまだ金色の髪をもつ人間はやってくる/私たちは彼らを招き入れアミーゴと呼ぶ/それなのに山を越えてたどり着く歩き疲れたインディオには/知らぬ顔をして辱める/おおマリンチェの呪い/時代の病/いつになればこの土地から消えてくれるのだ/いつになればおまえはこの土地の人びとを解放してくれるのだ」と歌う。(竹村淳)

46) Chac Mool / Nadie en especial (1980)
47) José María Napoleón / Eres (1980)
48) Size / Tonight (1980)
49) Yuri / Maldita primavera (1982)
50) Rodrigo González / No tengo tiempo (de cambiar mi vida) (1984)



51) Daniela Romo / Yo no te pido la luna (1984)
52) El Tri / Triste canción (1984)
53) Pandora / Cómo te va mi amor (1985)
54) Los Bukis / Tu cárcel (1987)
55) Ana Gabriel / Simplemente amigos (1988)
56) Timbiriche / Tú y Yo Somos uno Mismo (1988)
57) Bronco / Que no quede huella (1989)
58) Caifanes / La célula que explota (1990)
私の最も好きなメキシコのグループ、カイファーニス。1987年にメキシコシティで結成された5人組で、プログレ、ポストパンク、ラテン・パーカッションなどのハイブリッドされた陰影と深みのある作風。エイドリアン・ブリューがプロデュースした92年のアルバムEL SILENCIOはRock en Español(スペイン語ロック)運動の最も影響力ある作品として中南米全域で成功するも95年に解散。

59) Los Amantes de Lola / Beber de tu sangre (1991)
60) Cuca / El son del dolor (1991)
61) Lucero / Electricidad (1991)
62) La Maldita Vecindad y los Hijos del Quinto Patio / Kumbala (1991)
63) Caifanes / Nubes (1992)
64) Maná / Vivir sin aire (1992)
65) Santa Sabina / Azul casi morado (1992)
66) Gloria Trevi / Con los ojos cerrados (1992)
67) Tijuana No! / Pobre de ti (1993)
68) Los Tigres del Norte / Golpes en el corazón (1995)
69) Los Ángeles Azules / Cómo te voy a olvidar (1996)
70) Fey / Azúcar amargo (1996)
71) Fobia / Hipnotízame (1996)
72) Kabah / La calle de las sirenas (1996)
73) Molotov / Gimme tha Power (1997)
74) Onda Vaselina / Te quiero tanto, tanto (1997)
75) Juan Gabriel / Así fue (en vivo) (1998)
76) Panteón Rococó / La dósis perfecta (1999)
77) Aleks Syntek / Sexo, pudor y lágrimas (1999)



78) Zurdok / Abre los ojos (1999)
79) Cabezas de Cera / Encantador de serpientes (2000)
80) OV7 / Shabadabada (2000)
81) Elefante / Así es la vida (2001)
82) Paquita la del Barrio / Rata de dos patas (2001)
83) Celso Piña / Aunque no sea contigo (With Quem, Café Tacvba) (2001)
84) Thalía / No me enseñaste (2002)
85) Café Tacvba / Eres (2003)
86) San Pascualito Rey / Nos tragamos (2003)
87) LU / Por besarte (2004)
88) Porter / Espiral (2004)
89) Belanova / Rosa pastel (2005)
90) Mœnia / Ni tú ni Nadie (2005)



91) Rodrigo y Gabriela / Tamacun (2006)
92) Paulina Rubio / Ni una sola palabra (2006)
93) Julieta Venegas / Me voy (2006)
94) Zoé / Nada (2008)
ゾーエは90年代末から現在まで大きな人気を誇る5人グループ。オルタナティブ/サイケデリックロックの系統ながらネオアコと見なせる重要曲もあり作風の幅が広い。フロントマンのレオン・ラレギはソロ活動も。

95) Helio Seahorse! / Bestia (2009)
96) Los Daniels / Quisiera saber (feat. Natalia Lafourcade) (2010)
97) Julión Álvarez y su Norteño Banda / Te hubieras ido antes (2014)
98) Natalia Lafourcade / Hasta la raíz (2015)
99) Carla Morrison / Un beso (2015)
100) Silvana Estrada / Sabré olvidar (2018)

※番外
民謡 La cucaracha
Ritchie Valens / La Bamba (1958)





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世界の音楽 — ウルグアイ

2023-09-28 17:06:33 | 世界の音楽
消費税のインボイス制度。経済の土台が侵食され、これでまたさまざまな経済指標が縮小するのだろう。署名などの反対運動は以前から行われていたとはいえ、10月から施行というその直前、もう手遅れになってから特にツイッターで騒ぎ立てているさまが国民の分断と屈辱、無力感をいっそう際立たせている。

1973年のクーデターにより軍部は政治の実権を握り、「南米のスイス」とも称された民主主義国ウルグアイにもブラジル型の官僚主義的権威主義体制が導入された。1976年にはアパリシオ・メンデスが大統領に就任し、ミルトン・フリードマンの影響を受けた新自由主義的な政策の下で経済を回復させようとしたが、一方で労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制による、左翼系、あるいは全く政治活動に関係のない市民への弾圧が進んだ。1981年に軍部は軍の政治介入を合法化する憲法改正を実行しようとしたが、この体制は国民投票により否決され、ウルグアイは再び民主化の道を歩むことになった(ウィキペディア)。

屈辱・無力感といえば、いまジャニーズ事務所の男性アイドルのファン女性たちも味わっているのだろう。長きにわたってテレビなどで権威づけられてきた、しかし実態としてはジャニー喜多川が目を付けて合宿所に住まわせた少年のうち、彼による性の儀式を受け入れ、覚えのめでたい少年だけがデビューできる仕組み。国民の多くはそれを知っていた筈だが麻痺してしまっており、BBCの報道をきっかけに雪崩のようにジャニーズ外しの波が起り、ファンや擁護者は一挙に少数派に追いやられてしまった。多数派に戻れる見込みはないが、たとえば「ジャニーズ叩きはK-Popや立憲共産党のような反日パヨクの仕業!」というようにネトウヨに合流すれば、ネトウヨとしては比較多数を保つことができるし、橋下と百田が罵り合っているようにいつまでもウヨゲバ党派性ごっこで遊んでいられるだろう。「労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制」とは現状の日本であり、治安に協力することで軍政に必死にぶら下がっている状態の「必死」を急に自覚させられてしまったのがジャニーズのファンというわけ。



Los TNT / Eso, Eso, Eso (1960)



Los Olimareños / A Simón Bolivar (1966)



Alfredo Zitarrosa / Milonga para una niña (1966)
アルフレッド・シタローサはウルグアイのみならずラテンアメリカ全体の音楽を象徴する人物の一人。1936年生まれ、1954年にラジオのアナウンサーとして芸能活動をスタート、歌手デビューは1964年。民間伝承のルーツと明確な左翼イデオロギーを持ち、抑制された深みのあるボーカルとギター伴奏により南米ポピュラー歌唱の偉大な声の一人として地位を確立。終生共産党員であり、1973~85年の軍事独裁時代には亡命を余儀なくされ、同じころ軍事独裁であったアルゼンチンやチリでも発売・放送禁止に(↓のCandombe del olvidoは亡命先のアルゼンチンで制作)。84年に帰国、89年に腹膜炎のため死去。 



Alfredo Zitarrosa / Doña soledad (1968)



Vera Sienra / La gaviota (1969)



Daniel Viglietti / Milonga de andar lejos (1969)



Eduardo Mateo / Quién te viera (1972)
カンドンベ・ビートと呼ばれる、黒人奴隷のダンス様式カンドンベを源流としてさまざまなポピュラー音楽のジャンルを融合させた様式の主要な先駆者。ジョアン・ジルベルトのボサノバ、次いでビートルズのビート・ミュージックに大きな影響を受け、1972年のこの曲を含むアルバムが大きな成功を収める。60年代後半から麻薬を常用し、恋愛・性関係も奔放だったが、73年に軍事独裁が始まると共に家族や友人に不幸が相次ぎ、77~78年にはマテオ自身も住居を失ったり逮捕されるなど不遇の身に。80年代後半は活発に活動したが72年までの成功に迫ることはなく、90年がんのため死去。



Eduardo Darnauchans / Muchacha de Bagé (1974)



Alfredo Zitarrosa / Candombe del olvido (1976)



Eduardo Darnauchans / El instrumento (1978)



Los Olimareños / Adiós mi barrio (1978)



Rubén Olivera / Anadamala (1981)



Sergio Fachelli / Hay amores... y amores (1984)



Los Iracundos / Tú con él (1984)



Jaime Roos / Durazno y convención (1984)
フランス人の父とウルグアイ人の母の間に生まれたハイメ・ルースはウルグアイで最も影響力のある音楽家の一人。音楽活動初期はパリなどヨーロッパで行い1984年に帰国。モンテビデオの彼が生まれた地域に言及したこの曲と収録アルバムが成功、上記のEマテオらが創始したカンドンベ・ビートを他の音楽家らと発展させ、ポスト独裁のウルグアイ音楽シーン形成に寄与。このジャケが示すように同国サッカーの熱心なサポーターとしても知られる。



Gervasio / Con una pala y un sombrero (1986)



Natalia Oreiro / Tu veneno (2000)



Jorge Drexler / Al otro lado del río (2004)
映画モーターサイクル・ダイアリーズの主題歌としてアカデミー賞・最優秀歌曲賞を受ける。授賞式ではホルヘ・ドレクスラーが有名でないとして俳優アントニオ・バンデラスとカルロス・サンタナが演奏。映画は、医学生エルネスト(若き日のチェ・ゲバラ)が先輩学者と2人で南米各地をバイク旅行し、南米各国の置かれた厳しい現実を知る内容で、主題歌を歌うドレクスラーも医師。話変るがコロナ禍の初期、イタリアやニューヨークで病院の廊下にまで患者が溢れる痛ましい光景が報じられ、それに対し日本ではもし感染爆発しても病院が受け入れないからこのような分りやすい医療崩壊にはならないという冷めた論評がされたのを思い出す。中国のように突貫工事で入院施設を作ることもないし、検査も消極的。この10月からは発熱外来の行う入院調整の保険点数が大幅減額されるともいう。確かに日本人のコロナ死者はイタリアや米国より相対的に少ないかもしれないが、社会としては日本の方が手遅れで、付ける薬もなくますます衰退していくのだろうと思う。



No Te Va Gustar / Tan lejos (2008)



El Cuarteto de Nos / Cuando sea grande (2012)


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世界の音楽 — オランダ

2023-06-07 17:43:09 | 世界の音楽
私が洋楽を聞き始めた1978~80年ころ、オランダの音楽といえば1にショッキング・ブルー、2にフォーカスという一般の認知だったろうと思う。しかし当時は大人になったら流行の音楽を漁るなんてしない、洋楽リスナーが学生中心だったこともあって、全盛が70年代前半であるオランダの2組はすっかり忘れられて過去の存在になっていた。

ショッキング・ブルーのVenusは70年に米国で1位、日本のオリコンでも2位となって55万枚、同年「悲しき鉄道員」も2位50万枚、ビートルズのLet It Beが同年オリコン6位で52万枚ということからもショッキング・ブルーの人気ぶりが偲ばれるのだが、同等の数字を~とか言いたくないな、空しい。外国人で2位っていったらエマニエル坊やの♪リンリン電話が~とかいうのもそうだよ。81年。この年「恋のぼんちシート」も2位だ。盗作とされているが原曲を確かめる気にもならない。

少年を性のおもちゃにしてから、関係者に売り込んでドラマの目立つ役をもらって、死ぬほど下手だけど歌でもデビューさせよう。売れない女優がいるから「ジャズ歌手」として売ってみてはどうです。下手クソだけど馬鹿なサラリーマンが買うでしょ。文字を赤くしてあるところはすべて1979~81年に起ったことです。音楽ビジネスはどの国でもアウトローとの関わりがあるんだろうけど、日本ほど不潔で幼稚な商売がまかり通ってしまう例はない。市場の閉鎖性が特殊。

80~90年代にはMTVの隆盛やCDの普及に伴い特に米英発で記号的漫画的な音楽が増え、先進各国でジャンルの細分化とそれぞれの分断、ヒットチャートに代表される総合容器としてのポピュラー音楽の形骸化が進む。オランダのヒット曲はわりと近年まで正統的で骨太なポップスが残っており、市場を成立させている価値観が某国と対照的。




1) Lassus: Si du malheur (1573)



2) Sweelinck: Echo fantasia in Aeolian mode, SwWV 275 (1610s)
ルネサンス音楽の末期からバロック音楽の最初期において北ドイツ・オルガン楽派の育成に寄与した作曲家・オルガン奏者。


3) Liesbeth List & Ramses Shaffy / Shaffy cantate (1966)


4) Bojoura / Everybody's Day (1967)


5) George Baker Selection / Little Green Bag (1969)
元は米ドル紙幣を意味するLittle Greenbackというタイトルであったが、レコード化の過程で誤ったタイトルになり、袋を探しているが思い出せない、気が変になるという歌詞が大麻の袋を指すのではと解釈されてそのまま定着。当時は米21位の小ヒットに過ぎなかったが、1992年タランティーノ映画レザボア・ドッグス、また同じ頃日本ではビールのCMに使われたことで広く流布した。



6) Ann Burton / A Lovely Way to Spend an Evening (1969)



7) Shocking Blue / Venus (1969)


8) The Shoes / Osaka (1970)
パワーポップ系の印象的なヒット。オーサカという女を讃える内容の歌詞で、同年の大阪万博は無関係の様子。いまやチンピラ支配の糞垂れ流し女になってしまった…I used to love her (Common)


9) Focus / Hocus Pocus (1971)



10) BZN / Mon amour (1976)


11) Golden Earring / Twilight Zone (1982)



12) Nits / In the Dutch Mountains (1987)


13) Louis Andriessen / M is for Man, Music, Mozart - The Eisenstein Song (1991)
現代音楽の作曲家。ストラヴィンスキーと米国のミニマリズムおよびジャズを組み合わせた作風。



14) Doop / Doop (1993)
チャールストン・ダンス音楽の断片をハウス/ユーロビートの手法で構成したインスト曲。英1位・ドイツ6位・スペイン3位・オーストラリア5位など世界的ヒットに。


15) Valensia / Gaia (1993)



16) Boudewijn de Groot / Avond (1996)
ボウデヴェイン・デグロートは1944年に日本軍占領下のジャワ島バタビア(現ジャカルタ)の強制収容所で生まれ、母親は翌年にそこで亡くなった。1964年にデビュー、当初はジャック・ブレル風の作風であったが次第に幅を広げ、オランダを代表するシンガーソングライターとなる。この曲は97年にシングルとなってヒット、年末のラジオ人気企画Top 2000においてDJが長く君臨するBohemian Rhapsody以外への投票を呼びかけたところ、この曲がいきなり1位になって驚きをもたらした。


17) Acda en de Munnik / Het regent zonnestralen (1998)


18) Abel / Onderweg (2000)


19) Spinvis / Kom terug (2011)


20) Altın Gün / Yüce Dağ Başında (2021)
同年に私のチャート入りした曲。オランダ人ベーシストがトルコ民俗音楽を取り入れたサイケデリックな作風を志し、フェイスブックでトルコ人ミュージシャンを募集して結成したという。
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世界の音楽 — エチオピア

2023-05-16 17:10:24 | 世界の音楽
1980年代だったか90年代に入っていたか覚えていないが、商社の駐在員的な立場の人物が「エチオピアで日本の演歌が聞かれている」と話すのをどこかのメディアで目にした。それをいま検証しようとすると、確かに音階や節回しが演歌と当地のポップスで似ている部分がありますが、演歌が当地で聞かれている(いた)という証言はないですねという冷静なところに落ち着いた様子。おそらく「演歌と似ている」「演歌のカセットを聞かせたら気に入ったみたいだ」くらいの話に尾鰭が付いて、いまだにネットの一部で言及されているのだろう。

最古の独立国の一つである同国は音楽も歴史が古く、既に6世紀には皇帝お抱えの作曲家(宗教音楽の)がいたという。民俗音楽には4種類のモードがあり、うちティジータと呼ばれるモードからTezeta(思い出の歌)という流行の曲名にもなって、同国の歌謡は1969~75年の黄金時代を迎える。75年のクーデターにより皇室が排され、ソ連の衛星国になって文化的に冬の時代となり、自由を求めて亡命する音楽家も。80~90年代、エリトリア独立に伴う政変と前後して、フランス人プロデューサーのフランシス・ファルチェト氏がマフムード・アーメッドのエチオジャズのアルバム再発に執念を燃やし、97年にそれを含むエチオピークのシリーズ再発がスタート、黄金期の音楽が各国で聞かれ始めると共に本国の音楽シーンも活気を取り戻してきているという。 



Mulatu Astatke / Yègellé Tezeta (1969 - New York-Addis-London: The Story of Ethio Jazz 1965-1975)
2006年日本公開の映画ブロークン・フラワーズ、サウンドトラックにこれを含むムラトゥ・アスタトゥケの3曲と、デング・フィーバーが彼の曲をカバーした1曲が収められ、いずれも印象的でそれがエチオピア音楽を認識した最初。ロンドンやボストンで音楽教育を受け、ジャズやラテン音楽とエチオピア伝統音楽を融合させた「エチオジャズ」の創始者で、90年代レアグルーヴの流れで再発見され、エチオピークのシリーズ再発と映画での使用により存在感の高まりを決定づけた。



Bahta Gèbrè-Heywèt / Tessassategn Eko (1970 - Ethiopiques, Vol. 8: Swinging Addis 1969-1974)
エチオピア人だけで構成された最初期のホテルバンド「Ras Band」のボーカルに18歳のとき抜擢。



Tèsfa-Maryam Kidané / Tezeta (1972 - Ethiopiques, Vol. 10: Ethiopian Blues & Ballads)


Alèmayèhu Eshèté / Telantena Zaré (1974 - Éthiopiques, Vol. 9: Alèmayèhu Eshèté 1969-1974)



Tlahoun Gèssèssè / Aykedashem Lebe (1974 - Ethiopiques, Vol. 17: Tlahoun Gèssèssè)
ティラフン・ゲッセセは同国「黄金時代」やその後も最も人気があり、ザ・ヴォイスの異名でエチオピア全土に知られた歌手。70~80年代にかけて起った飢饉の際も支援金を集め、国民から愛され、晩年は糖尿病を患い2009年に死去したが、数万人の市民が参列する国葬で讃えられた。



Mahmoud Ahmed / Erè mèla mèla (1975 - Éthiopiques, Vol. 7: Mahmoud Ahmed)



Hailu Mergia / Wede Harer Guzo (1978 - Wede Harer Guzo)
エチオジャズのキーボード奏者で80年代米国に亡命。非常にドリーミーで陶酔感のあるインスト曲で、同国の音楽の中で私が最も好む曲ですが、斬新さ・実験性は薄いかなと思う。



Aster Aweke / Hagerae (1983 - Hagerae)
アスター・アウェケはエチオピアで最も有名な歌手の1人。1981~97年の間アメリカ移住し音楽活動も行った。エチオピアとエリトリアでブルースに相当する伝統歌謡のジャンルに欧米のR&B・主流ポップをミックスした作風。



Imperial Tiger Orchestra / Lale Lale (2011 - Mercato)
ハイレセラシェ皇帝時代の帝国ボディガードバンドとモンティパイソンの「アフリカの虎」に想を得て結成されたスイスのグループ。1960~80年代のエチオピア音楽を蘇らせることを活動の柱とし、政治的迫害やエリトリア独立戦争のためヨーロッパに逃れたエチオピア人音楽家・ダンサーと共演したり南アフリカやモザンビークでもツアー演奏している。


Ukandanz / Tchuhetén Betsèmu (2016 - Awo)
伝統的なエチオピア歌謡に触発され、フランス人演奏者がエチオピア人ボーカル、アスナケ・ゲブレイスをフィーチャーして結成。ロック・ジャズ・ノイズ要素を加え、活気が戻ったアジスアベバの音楽シーンを象徴。


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世界の音楽 — デンマーク

2023-05-14 17:06:52 | 世界の音楽
同国の文化省が2006年に「デンマーク文化キャノン」として建築・工芸・文学・映画など8つのカテゴリーから計108の作品を選定。音楽ではクラシックとポピュラーそれぞれ12作ずつ、ポピュラー音楽からはアルバム単位で選ばれている。中でセバスティアンという芸名のシンガーソングライターについてはSpotifyの再生回数、Rate Your Musicのレビュー件数などから推し量ってデンマーク国外では知名度が低くほとんど聞かれていない様子。国内では英雄的、国外ではさっぱりというとすぐにわが国の悲惨な状況を連想しますが、彼の音楽はとても優れていて、もっと聞かれて不思議はない。先日イスラエルでも同様の存在を見つけたばかりだ。

思うに、維新の馬鹿女が入管を叩かないでウィシュマさんと支援団体の落ち度を責める、あるいはロンブー淳の有田叩き、暇アノンの女叩きと、せっかく山上青年が安倍を成敗して統一教会汚染を知らしめてくれたにもかかわらず、むしろ自民党とネトウヨが焼け太りしてますますお先真っ暗になっているのは、歴史的に長きにわたりそういう構造が固定されてもはやくつがえせないからなのではないか。

「代官から接待を受ける鎌倉時代の図太い百姓」。維新やロンブー淳、あるいはジャニー喜多川と彼の性暴力を受け入れてスターになった、今も口をつぐんでいる、それらはみな「軍事独裁による、国民が反抗しないよう一部の者を引き立てて行う懐柔工作」であり、日本のメディアも企業も国民でなく政府与党の方しか向いていないから手を変え品を変え同じようなものが再生産され続ける。そも明治維新に伴う「文明開化」も、武士階級の支配を継続するため(クーデターにより徳川幕府から薩長藩閥に移ったが武士には変わりない)、自分たちの歴史や文化を犠牲にして西欧文明を取り入れる。このところの経済低迷と少子化、世界一みっともない音楽も恥さらしなオリンピック開催も、民主主義が一度も存在したことがない、誰も王様は裸だと言えない卑屈な歴史の帰結と申せましょう。




Gade: Elverskud, Op. 30 - Morgensang (1854)
ニルス・ゲーゼと読むらしい作曲家、上記のデンマーク文化キャノンに選ばれている「妖精の娘」と題された歌曲集の1曲。メンデルスゾーンやシューマンと親交があったそうで作風も似ている。



Nielsen: Symphony #4, Op. 29, FS 76 "The Inextinguishable" - 1. Allegro (1916)
ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウスに相当する、デンマークを代表する作曲家カール・ニールセン。とのことなのだが、いくつかの代表曲を聞いてみても印象がぼんやりして決め手に欠ける作曲家だなァと思ってしまう。



Savage Rose / Dear Little Mother (1972 - Dødens triumf)
幼女のような老婆のような奇妙なボーカルが特色のサイケデリック・ロック・グループ。1967年から現在まで活動。



Stig & Steen / Sommer (1972 - Da solen kom)
ラウンジとかチルとかの流れで再発見されたらしいムーディーなプログレの曲



Sebastian / Stille før storm (1981 - Stjerne til støv)
今回発見した極めつけ。フォーク/トラッド系のシンガーソングライターということで地味かと思いきや歌も編曲も華麗。デンマーク文化キャノン、ポピュラー音楽カテゴリーに選定。



Laid Back / White Horse (1983 - Single)
男性デュオによるNW系ディスコ曲。当初はSunshine ReggaeのB面として発表され両面とも大ヒット、米国ではこちらの方がヒットし、各国で独立したシングルとしてリリースされた。人畜無害なダンス曲に聞こえるが「白い馬に乗る」は麻薬使用を暗示しているとされる。



Mercyful Fate / Into the Coven (1983 - Melissa)
メタルの悪魔的なサブジャンル「ブラックメタル」第一世代に属し、PMRCがこの曲を不快な曲にリストアップしたという。基本ジャンルに貴賤はないと思うがジャンル内で凝り固まって排他的な空気をかもすジャズ・プログレ・メタル・ヒップホップをやや軽んじている。この曲は好き。メタルにはもっと不快なバンドがいくらでもいる。



Gangway / My Girl and Me (1986 - Single)
いわゆるネオアコ系のギターポップ。シュールレアリスム風の奇妙な歌詞でも知られる。



Mew / The Zookeeper's Boy (2005 - And the Glass Handed Kites)
デンマークでは最もビッグネームになるのかな、英Wikiに「コペンハーゲン郊外の上流階級が住む街で結成された」との記述があり、なるほどそのニオイはあるなと。細分化されたジャンルからは距離を置く、のほほんとしたリベラルな作風。


The Raveonettes / Love in a Trashcan (2005 - Pretty in Black)
ラヴェオネッツはコペンハーゲン出身の男女デュオ。エヴァリー・ブラザーズやソニック・ユースの影響を受けたレトロかつノイジーかつ退廃的な曲想。



Agnes Obel / Riverside (2010 - Philharmonics)
このとき29歳と遅咲きながら将来を嘱望される女性シンガーソングライターの一人。子どものころピアノ教師から「嫌いなものは弾かなくていい」と言われ、後にヤン・ヨハンソンのジャズと民謡の混交したシンプルな作風に影響を受けてオリジナルな才能を育んだ。


Palace Winter / The Accident (2018 - Nowadays)
オーストラリアとデンマークの男性デュオ。チルウェイヴ系の幽玄な持ち味。私の年間チャート入りしたこの曲は彼らの曲の中では人気がないようだ。Spotifyの再生回数表示を恐く思うことがしばしば。


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