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巻き添え食ってたまるかよ

安倍プロパガンダ政治の原点 ─ NHK番組改変事件の経緯

2010-10-31 23:52:24 | 亡国クロニクル
◆ラテ欄への投書─『ニュース7』(10月24日・NHK) テレビ未放送との触れ込みで、チリ鉱山落盤事故の映像を流していた。あの救出劇の後に何か新しい出来事でも?と首をかしげたが、その疑問は“独占映像”を惹句にした同夜の『NHKスペシャル』で解けた。要するに番組宣伝だったわけだ。民放のようにあからさまではないものの、ニュースの時間を使っての番宣とは、NHKの矜持(きょうじ)はどこへいったのか。 ─(足立区・岩沢薫、東京新聞10月29日)


矜持もへったくれもない。7時のニュースは時間が短いだけに、土日などことに目立つというのもあるが。わずか30分の枠で、5分も6分も「遼くんやハンカチ王子」のくだらないスポーツに割く上、NHKのスポーツ報には必ず「観客席の様子」が挿入されるのもミソだ。見せかけの民主主義。

政治などの大きな事件に際しても、必ず挿入される「街の人の声」。小沢一郎の強制起訴が議決された日も「小沢さんは疑惑について説明責任を」とかの、おざなりな意見が。

オラが街頭で聞かれるとすれば、こう言いたい。「日本人の平均年齢は40を超えているはずなのに、検察審査会の議決メンバーの平均年齢が30代前半で、しかもその数字もころころ変わったりするのは変だ。市民から無作為に選ばれたというのは疑わしい。そいつらの氏名を明らかにして、小沢の有罪を立証できないが政治生命を葬る長期間の裁判にまつわる経費を、重労働させて支払わせろ」。

小沢一郎のやり口は、組織的である。検察の幹部が、部下の検察官に、具体的に証拠の改変・隠滅を指示したりするはずがないように、小沢一郎ほどの権力者が、直接的に悪事をはたらいた証拠を残すようなヘマをするはずがない。すべては、あうんの呼吸↑で、ひそやかに遂行される。あるいは、師匠筋にあたる田中角栄や竹下登の疑惑が問われた時のように、末端の部下では口封じで変死するようなこともあるかもしれないが、上のほうに連なる者は、何重にも保険を掛けてでも逃げおおせるのが相場である。さきざきローンの鷺咲社長↓のように。最後に保険となって、死地へ赴かなければならない芳則、芳則を助けられると信じて沖縄へ売られる杏奈。

『闇金ウシジマくん』であつかわれる、これらの貧困ビジネスでも、ことに興味深いのが、末端の部下としてだったり債務者としてだったり食いものにされる男たちにも「女があてがわれる」ことだ。

その女たちにしても、それぞれ事情があって、売春婦に身を落とすにしても、いちおうの自由意志が認められる。複雑である。戦時中の従軍慰安婦ともなると、もっと大規模にあちこちで調達せざるをえず、自分の意志で売春婦になったり親から売られたりした者も少しはいたろうが、大多数は無理やりだったろう。被害を訴えるアジア太平洋の女たちも高齢化しているので、彼女たちの証言を将来世代へ引き継いでいく責務も、われわれに問われるのだが、一方、従軍慰安婦なんてことは存在しなかったとする右派・保守層の声も根強い。

われわれの中には、誰の中にも小沢一郎がいて、鷺咲社長がいて、その部下として女をあてがわれる蟹江・ウツボがいて、使い捨てされる芳則・杏奈がいる。誰にも、言い分はある。小沢や鷺咲にも、組織を営むための「正義」がある。

右派・保守層の連中だって、日本軍は日本国を守るため、武士道にのっとって振る舞ったと主張したいに違いない。従軍慰安婦が「あなたたちは一方的に悪い」と訴えるのを、少しでも認めてしまうと、彼らの存立基盤を危うくする。長い目で見ると、非道に振る舞った点は、いさぎよく認めて、正確に検証していくのが、国際的な立ち位置も確かにさせる道のように思うのだが─。「慰安婦を必要とする構造」は、多かれ少なかれ万国共通なので─。ネオリベの空気漂う明治大学や早稲田大学でしばしば戦争や公害やアジア問題をあつかうシンポジウムが行なわれるのも、それらにまつわる研究データは経済・社会的に有力なカードになりうることを示しているように思われる。


シンポジウム『NHK番組改変事件、10年目の検証』@御茶ノ水・明治大学リバティータワー(10月30日、「VAWW-NETジャパン」と「女たちの戦争と平和資料館」の共催、元NHKプロデューサーの長井暁氏による講演のほかパネルディスカッション、いちばん上の画像:中国・謄越で保護された朝鮮人の慰安婦たち・1944年9月)

2000年8月─NHKエンタープライズ21(NEP)の林プロデューサーが、同年12月に東京で、日本軍による従軍慰安婦問題を中心に、各国の被害者の証言を集め審判を下す民衆法廷「女性国際戦犯法廷」が開催されることを知り、番組で取り上げようと計画する。

9月─番組の企画書が、NEPからNHKの教養番組部の永田プロデューサー、長井デスクに提出される。

11月21日─番組制作局の部長会で、企画を正式に採択。その企画と並行に進んでいた「人道に対する罪」を問う番組企画と合わせて、4夜連続の『ETV2001・戦争をどう裁くか』という番組の第2夜「問われる戦時性暴力」として制作することに。取材・制作はNEPから制作会社ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)に再委託される方針。

12月8~12日─法廷が開かれ、DJのスタッフがその模様を撮影・取材。

12月27日─第2夜のスタジオ部分を収録。司会がNHK町永アナ、出演が大学教授2名。放送予定は翌年1月30日。

2001年1月19日─教養番組部の吉岡部長の立会いで編集テープの試写が行なわれ、吉岡部長は内容を激しく批判。この時期、NHKの予算案が国会に提出されるため、NHKは政府の意向に配慮しなければならない。NHKの政治部記者は、総合企画室という部署を中心に政治家とのパイプ構築に腐心し、それに功績のあった者は厚遇される。

1月24日─2回目の試写。このころ右翼や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の政治家からの圧力が強まり、吉岡部長はさらに内容を直すよう指示。

1月26日─NHKの幹部たちを集めた試写。伊東番組制作局長は、女性法廷に批判的な人物を出演させるよう指示。急遽、大学教授に交渉して28日にインタビューを収録することになった。

1月28日─スタジオ部分の再収録。以前に出演した教授のうち1名は出られなかった。同日深夜、再編集による44分版の編集が完成。吉岡部長も了承。

1月29日─松尾総局長と野島国会担当局長が、安倍晋三官房副長官を訪ねて予算説明。この際、安倍氏は慰安婦問題や歴史認識問題について持論を語った上で、公平公正な番組であるよう求めた。この日、中川昭一議員とも会ったと後に報じられたが、中川氏は会ったのは放送後だと主張。局に帰った2人は、再度試写を行い、「この時期、政治とは闘えない。これではぜんぜん駄目だ」と、大幅な改変・削除を求めた。

1月30日─NHKの海老沢勝二会長や伊東番組制作局長も厳しく介入し、夕方まで再編集作業が行なわれ、22時、通常より4分短い40分の内容で放送された。放送直前に削除された内容には、強姦や虐待を受けたと語る元慰安婦のほか、加害側の兵士の言葉も含まれる。

2月9日─自民党の総務部会が行なわれ、海老沢会長が自民議員からこの番組の件で批判を浴びる。

7月24日─バウネット・ジャパンがNHK、NEP、DJを東京地裁に提訴。

2004年3月─地裁判決。DJのみに損害賠償責任を認め、NHK、NEPへの請求は棄却。

2005年1月─朝日新聞が、安倍氏・中川氏らがNHKに圧力をかけて番組を改変させたと報じる。当時のデスクだった長井暁氏も記者会見して内部告発。

2006年6月─同氏など番組制作に携わった2名のNHK職員への、左遷人事。

2007年1月─東京高裁判決。原告勝訴。「政治家の意図を忖度して改変」などの判断を示す。

2008年6月─最高裁判決。原告敗訴。政治家の圧力などの事実関係については判断せず。
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地底からの生還─チリ鉱山落盤事故の続々報

2010-10-17 23:27:32 | Weblog
↑10月13日未明、チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で、最初に救出され、家族と抱き合うフロレンシオ・アバロスさん=AP

団結力に世界共感─国難、動き早かったチリ
「33人目の男」が救出カプセル「フェニックス(不死鳥)」から降りて地上に姿を現すと、現場にはお祭りのような明るい歓声が響き渡った。13日午後10時(日本時間14日午前10時)前。チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山に掘り抜かれた救出坑周辺は明るいライトで照らし出され、救出劇を世界に披露するステージのように見えた。

◆家族のために
「みんなには強い精神力があった。闘う意欲に燃えていた。家族のために私たちは闘った」
ルイス・ウルスアさん(54)。33人の鉱山作業員のリーダーの声には、2ヵ月以上にわたって地下生活を強いられたとは思えない力強さがあった。
8月5日の事故発生から生存が確認されるまでの17日間。最も危険なこの時期を乗り越えられたのは、ウルスアさんの統率力が大きかった。
遭難当時、作業員らが閉じ込められた地下700㍍の避難所は気温35度前後、湿度85%という過酷な状況。食料も2日分しか備蓄されていなかった。
ウルスアさんは食料を等分。缶詰のツナを2さじ、クラッカーを1枚半、牛乳を半カップ、缶詰の桃1切れを1日おきに食べるように決めた。2日分だった食料は地上と連絡をとれた時点も、わずかだが残されていた。
仲間たちを団結させ、規律ある行動を支えたのは、20代から鉱山労働に従事したウルスアさんの経験だ。
地上と連絡がとれた後は政府の救援チームとの連絡調整にあたった。チリ政府の要請を受け、救出チームを派遣した米航空宇宙局(NASA)のスタッフは「彼は生まれついてのリーダーだ」と称賛したという。

◆大地震の教訓
2月末のチリ大地震後の対応では、津波警報を早期に解除して被害が拡大。各地で略奪も横行するなど国際的イメージが低下したチリ。8月5日に事故が発生すると、3月に就任したピニェラ大統領は米国やペルー、カナダなど近隣国に支援を要請するなど今年2度目の“国難”克服に向けてすばやく動いた。
チリ政府は医師と精神科医の専門家チームを現場に派遣。地下の避難所に通じる直径15㌢ほどの穴を開け、水や食料、薬などを送り込んだ。
支援したのはNASAだけではない。日本の宇宙航空研究開発機構も「宇宙服」として使われている下着類を提供した。
「奇跡の生還」は、作業員救出という一点に絞り、世界的に広がった共感を活用したチリの危機管理の勝利だった。



↑14日、コピアポの病院を訪れ、救出された作業員をねぎらうピニェラ大統領(前列右から9人目)=チリ大統領府提供、ロイター・共同

◆危険な「カミカゼ鉱山」
このサンホセ鉱山では過去にも事故が頻発し、土地の人は「カミカゼ鉱山」と呼ぶ。
命懸けで入山する決意がいる危険な鉱山、という意味だ。作業員たちが生還した13日、地元コピアポ市内の中央広場で特設テレビに見入っていたホセ・モヤさん(40)も、かつてサンホセで働いた。2006年と翌07年にはトラック事故や落盤で3人が死亡。別の3人が岩の下敷きになって足を切断した。モヤさんは「自分がいたころの事故だが、安全対策はひどいもんだった」と振り返る。
中央広場で生還を祝っていたマリオ・ラミレスさん(31)によれば。コピアポ市内で得られる仕事は建設工事や農業、スーパーの店員など。いずれも月給は30万ペソ(約5万円)程度だ。だが、「いい鉱山なら70万ペソにはなる」という。家族を養うために、危険な仕事でも鉱山に入らざるを得ないのが、この地域に住む平均的な住民たちの現実なのだ。

◆OECD加盟、経済成長の推進力
今年1月、チリは“先進国クラブ”として知られる経済協力開発機構(OECD)への加盟文書に調印した。南米では初のOECD加盟で、世界でも31ヵ国目。バチェレ前大統領は加盟式典で「チリはあと数年で先進国になる」と高らかに宣言した。
同国の銅埋蔵量・生産量は世界一。鉱山産業はチリの経済成長の強力な推進力だ。
チリ銅委員会(コチルコ)の統計によると2009年の銅輸出収入は262億㌦(約2兆1220億円)。チリの総輸出額の50%を占める。特に近年は中国の需要増が牽引役となり、1990年から昨年までに生産量は3倍以上に増加した。
その一方で、サンホセ鉱山は07年の死亡事故で操業停止処分を受けた。だが、安全対策が十分改善されないのに、翌年にはなぜか操業が再開された。今回の事故後、鉱山の監督官庁の検査官がわずか18人しかいなかったことも指摘され、政府のずさんな管理体制があらためて批判を招いている。

◆成長優先が招いた「国難」
「もうミネロ(鉱山)は嫌だ」。地下700㍍の地底で2ヵ月余りを過ごした最年少のジミー・サンチェスさん(19)は避難所の中で繰り返し、こう訴えていた。
低所得者層を労働力として活用し、国家の成長エンジンとなってきた同国の鉱山産業。救出劇は世界の耳目を集めたが、安全より成長が優先される構図の中で、今回の事故は「起きるべくして起きた」とも言える。 ─(コピアポ・加藤美喜、東京新聞10月15・16日)



【「殴り合いあった」原因口外せず、全員で誓約─33人、発見まで極限17日】
「死を覚悟した。生まれてくる子供にもう会えないと思った」。チリ鉱山落盤事故で、生還した33人の作業員の1人リチャルド・ビジャロエルさん(26)が、事故発生から17日後に発見されるまでの過酷な生活の一部を明らかにした。10月15日付の地元紙メルクリオなどが伝えた。
同紙によると、地下には備蓄用の水が10㍑しかなく、全員で坑道の水を飲むことを選択。「機械油の混じったひどい味だったが、飲むしかなかった」という。多くの作業員が腹を壊し、ビジャロエルさんの体重も見る見るうちに激減。「まるで私の体が私自身を食べているようだった」と振り返った。
地下での生存を知らせようと、作業員たちはタイヤを燃やして煙を起こしたが、気付いてもらえなかった。地上に振動が伝わるよう爆薬を爆発させたり、重機を坑道の壁にぶつけたりもしたという。
ビジャロエルさんはまた、英紙ガーディアンに「救出されると分かった時、中で起きたことは決して口外しないと全員で誓った」と説明。それまで33人の間でいさかいがあったことを示唆した。20番目に救出されたダリオ・セゴビアさん(48)も「鉱山で起きたことは鉱山に置いてきた」とトラブルがあったことをにおわせた。
33人の1人から手紙をもらったというサンホセ鉱山作業員は同紙に、「地下では3つのグループに仲間割れし、殴り合いもあった」と証言。「衝突の理由を話すことは、誓約に違反することになる」と詳細については言及を避けた。 ─(コピアポ・加藤美喜、東京新聞10月16日夕刊)



↑13日、最後の作業員を地上に搬送し、任務完了の垂れ幕を掲げて喜ぶ救助隊員=コピアポで(チリ政府提供、ロイター・共同)
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旧作探訪#107 『17歳のカルテ』

2010-10-14 23:01:36 | 映画(映画館)
Girl, Interrupted@早稲田松竹、ジェームズ・マンゴールド監督(1999年アメリカ)
黒人公民権運動が高まりを見せ、ベトナム戦争も激化してゆく1960年代のアメリカ。卒業したばかりの高校で、学年ただ一人、大学へ進まなかった18歳のスザンナ(ウィノナ・ライダー)は、アスピリン一瓶とウォッカ一瓶を飲んで病院へ担ぎ込まれた。彼女は、自殺するつもりではなかったと言うのだが─。
やがて両親の奨めで、クレイムーア病院に入院することになったスザンナに下された診断は「境界性人格障害」。女子精神病棟のエキセントリックな入院患者たちに戸惑った彼女も、次第に外の世界よりもここのほうがマトモなのでわ─とさえ思うようになってゆく。ことに、素行不良で周囲を巻き込むエネルギーのあるリサ(アンジェリーナ・ジョリー)と仲良くなって、入院は長引きそうな雲行きだが、そのリサと病院を脱走して、退院したかつての仲間の家へ立ち寄ったことから、思わぬ事態が起こってしまう─。



「友だちに借りたAVを見て、童貞なのに、本番行為を『これは擬似だよ』と指摘したボクの中にも、スポーツ選手でもないのに上から目線でスポーツを語る二宮清純がいました─」。

伊集院光の深夜ラジオで、立ち上げられてはいつの間にか姿を消してしまう投稿コーナーたちの中でも、「ボクの中のアイツ」というコーナーは、本当にもったいなかった。
自分自身の中に、いやなやつ、敵意を覚えるやつの要素を見つけていくというのが、建設的で貴重なことに思えて。
われわれが、苦手なことだと思うんです。最近、わりと女性週刊誌を好んで見るのに比べ、週刊新潮・文春といった男の週刊誌をチラ見すると、実につまらない、つまらない上にムカツク、特有の「ヒトゴト感」が漂って。
結局のところ、それは男が出産・育児という大仕事を他人事と見なしがちだということにもつながってゆくように思われるが、といって女でも、いま坂本竜馬の妻を演ってるらしき女優が、この映画と同じように精神病院を舞台とするベロニカなんたらの映画に出ていたのが、実にひどいもんだった。その女がスイカップをゆさぶる自慰シーン以外、完全に無価値。
別に薬物がどうした、とかでなくても、芸能界という構造上、さまざまな精神病者を演じることのできる役者には事欠かなそうなのではあるが、やっぱ、そいつらにしても、「他人事」にしておきたいんだろうなァ、精神病なんてことは。白血病で坊主になる、とかなら演じるくせして。
ちょっとばかし、器が小さくないですかね。

それに対し、この映画におけるウィノナ・ライダーとアンジェリーナ・ジョリーはすごい。いや彼ら自身の中に、役柄と呼応するようなものがもともと備わっていたにしても、見ているわれわれにも、その痛みを共有させるような、魂を打ち込んだ演技で、その2人に限らず他の入院患者、医師・看護士、外の世界の“健常者”とされる人びとも含め、出演者の誰をとってみても、その中に自分自身を発見することが可能だ。
それは別段、オラ自身が過去に2年4ヵ月も精神病棟生活を送ったことを強調したいわけではない。石につまずく弱い人間がいて、つまずかずに生きられる人間もいて、つまずかないに越したことはないが、人生は長く、一寸先は闇なので、誰にとってもつまずく可能性を想定して、他人事とせず用心深く生きていただきたいのだ。



↑のシーンをはじめ、何ヵ所かで用いられる、印象的な音楽─ペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」。
話があちこちへ飛んで申し訳ないが、先日の、コントの日本一を決める、ナニワンでしたっけか、見ていて司会のダウンタウンの、松本人志はともかく、浜田雅功の劣化ぶりに驚いてしまった。もともと粗野な突っ込みが芸風ではあったが、なんのセンスも脈絡もなく、必死でコントを終えたばかりの若い出演者の頭をたたく。
かつてのラジオで、松本氏がしばしば浜田氏の「ガサツさ」を指摘していたのもうなずけるが、渡辺淳一の「鈍感力」や浜田雅功の「ガサツ」は、そのやり方で前半生に地位を築けた彼らのような強者にしか許されない。
「痛みを感じる」ということは、それが原因で死ぬかもしれない、危険信号を心身が発しているということに他ならない。治す必要がある。痛みを分かり、治すことができるのは、結局は自分自身である。医師や薬物は助けているのに過ぎない。
毎度毎度の『闇金ウシジマくん』の登場人物としても、「サラリーマンくん」で、深刻な状況にもかかわらず安直な手段で問題を先送りしてきた板橋が救われず、さまざまなことにクヨクヨ悩んで、ウツ病になってしまった小堀が救われる。
「テレクラくん」では、寄る辺なく売春を繰り返す吉永美代子・美奈の母子↓でも、母子3P売春という極限状況にも鈍感な美代子が救われず、吐いたり薬に逃げたりする美奈が救われる。話はそう単純ではないが、鈍感では生きられない。
悩み、苦しむ者は幸いである。

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@i.softbaka.jp

2010-10-04 23:33:25 | Weblog
今週で3回目となる、『闇金ウシジマくん』の新エピソード「トレンディーくん」では、鈴木斗馬(すずきとうま)なる32歳のモテ男が主人公となっているが、その彼の操るiPhoneのメルアド↑には笑った。だいたい作者さんが好きではないことが、オラとも共通しているのがあちこちから伝わる。久しぶりに今回は、この主人公の堕ちっぷりを全くの他人事として、高みの見物させてもらおうかと。
しかし、どうしても他人事ではいられない、冷静でいられないのが尖閣諸島をめぐる問題だ。確かに彼らは、われわれの最も痛いところ、親分アメリカともそれをめぐって微妙な気配の漂う沖縄を突いてきたに違いないが、この件に伴う政府の対応が拙劣なのもあるにせよ、産経・文春など右翼メディアを中心とする駄々っ子のような中国非難・政府非難にもうんざりだ。
それは何の解決にもならないばかりか、たとえば中国人研修生を奴隷同然にコキ使ったり、在日の人びとへの排撃活動をするような、われわれの中の悪意・獣性・凶暴性を正当化し、結局のところ中国政府や北朝鮮政府の態度をも正当化して塩を送っているようなものだからだ。



近年の中国が世界でブイブイいわして、資源確保のため独裁国家に援助したりする振る舞いを、苦々しく思っている第三国の人も多いかも分からない。が、同時に彼らは、われわれが中国などに対して何をやってきたかに対しても、じっと見ていたことだろう。恥ずかしながら、3月27日の東京新聞で↑の表を見るまで、知らなかったです。
戦争に勝ったソ連のほうが、負けたドイツより圧倒的に多くの犠牲者を出し、同様に勝った中国のほうが、負けた日本より圧倒的に多くの犠牲者を出したという事実。600万~1500万とはずいぶん幅のある数字だが、そもそも南京大虐殺の30万人が捏造だというような右翼どもの主張などは、相手側からしても時間稼ぎにも似た「ためにする議論」の域で、誰が見たって近現代の日中関係では日本が圧倒的に分が悪い。
それより問題は、われわれの中に自分の非を認めず、相手の悪いことばかり声高にあげつらう勢力があるということは、先に述べたような悪意の応酬・連鎖を招き、どちらの益にもならず互いの立ち位置を泥沼に沈めることにもなりかねない。そうなった場合、現在の立ち位置からして、われわれが中国やアメリカより不利なことは言うまでもない。



↑ポーランド出身のユダヤ系アメリカ人で風刺画家のアーサー・シック(Arthur Szyk)氏が先の大戦中に描いた「殺人株式会社3人組」。シック氏にとって、ナチスによるユダヤ人虐殺は同時代のことだった。彼はアメリカに期待を寄せ、ナチス・ドイツを倒してくれるよう、アメリカ人の戦意高揚のため敵国の指導者や軍人をみにくくデフォルメした絵を描いた。昭和生まれのわれわれは誰しも昭和天皇にお父さんのような郷愁を覚えるが、彼らにとっては敵国の最高指導者なのだ。
で、シック氏のことをあつかった本を読んでいて、聞き捨てならなかったのが、1942年初め、フィリピン戦線で日本軍が優位だったころ、マッカーサーの米軍に対し投降を呼びかけるために播いたビラの絵柄(↓左)が、シック氏がかつて描いた、ナチス突撃隊の制服で銃を逆さにかついだ「北欧民族の英雄」なる死神の絵(↓右)のパクリだということ。一目瞭然。
当然これは米本土にも伝わり、「模倣者ジャップ」として一部で報じられることに。日本軍の宣伝担当の、お役所的な無責任というかやっつけ仕事ぶりが、そのまま現今の右翼メディアの、相手の立場や考え方を全くおもんぱからない自己中心な幼児性とも二重映しになる気が。
対中国の問題を始め、われわれは、これまで通用してきたことが通用しなくなる時代を生きなければならないが、逆に考えれば、それは誰もが歴史の生き証人になることのできるチャンスでもある。踊らされない、真の冷静さを身につけたい。

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