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マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

サスケ伝説

2009-05-31 18:13:39 | マンガ
『サスケ』白土三平(集英社コンパクトコミックス全15巻ほか)
1961年から65年にかけて月刊雑誌『少年』に連載され、後にTVアニメ化もされて当時の子どもたちに忍者の存在を強く印象づけた長編マンガ。少年忍者サスケが父親・大猿とともに多くの敵と激闘を繰り広げて成長していく姿を描く。
武将・真田幸村の配下として徳川軍との戦いで活躍したといわれる猿飛佐助。このマンガではその正体は一人の忍者ではなく、身軽に木の枝を飛び移る「猿飛の術」を使う複数の者からなる忍群なのである。その秘密を知った徳川幕府の隠密・服部半蔵の前に、猿飛の術を使う謎の子どもが現れる。それがサスケであった。
サスケの母は半蔵の妹の手にかかって最期を遂げ、サスケの父で大男の忍者・大猿とサスケは各地を放浪する。ときには大猿と同じ猿飛忍群の一人・石猿や彼の子どもでサスケにとって母方のイトコにあたる、サスケとそっくりな四つ子たちと遊ぶことも。そんな彼らの前に、猿飛を仇と狙う九鬼一族の最後の一人・鬼姫が現れ、年端もゆかぬ女の子ながらサスケの命を執拗に狙う。



鬼姫からなんとか逃れたサスケ父子の前に、あやしげな幻術を見せて百姓たちを領主の言いなりにさせようと企む百鬼示現斎が。大猿は百姓たちの目をさまさせるため示現斎と対決する。このあたりから「百姓に味方して、武士や商人と対立するサスケ父子」というテーマが表れ、物語は徐々に牧歌的でなくなっていく。
百姓の水争いがもとで野武士たちとの死闘に巻き込まれるサスケ父子。さらにサスケの前に、カブトワリや陽炎(かげろう)の術など不思議な忍術を使う伊賀忍者・四貫目が現れ、サスケと四貫目はそれぞれ木こりとマタギに忍法を教えることに。その対立も一段落して四貫目から陽炎の術を教わったサスケは久しぶりに父と再会する。やがてサスケと仲良くなった女の子・イトの一家は隠れキリシタン(キリスト信徒)で、父をなくしキリシタンの地へ旅立ったイト母子は信仰の広まりを恐れる領主によって火あぶりにされてしまう。それがきっかけでサスケ父子はキリシタンの隠れ里に居つき、大猿は再婚することにもなるのだが、その里には公儀隠密・服部半蔵が潜入していた。村人を救おうと奔走した大猿も半蔵の手にかかって爆死し、隠れ里も全滅するなかサスケは猿飛に伝わるエトリ忍法で半蔵を倒す。サスケの手には、父の忘れがたみ、赤ん坊が抱かれていた…。



ニンニン。世を忍ぶ。1980年代にアメリカで爆発的にヒットしたアメコミ・アニメの『ティーンエージ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』でも、そうした影の存在であるということが黒人の立場と重ねられていたとされる。表に出ずに暗躍し、戦えば武士より強いかもしれない「忍者」なるもの。それはもっぱら後世のフィクションで形づくられたもので、史実でも確認されているものの、その実態は地味なものでロマンチックな夢を広げられるようなものではなかったらしい。
しかし1970年代に子どもであったオラにとって、その存在はウルトラマンや仮面ライダーよりはるかにリアルに感じられ親しいものであった。もちろんそれは白土三平さんの数々の忍者マンガ『サスケ』『ワタリ』『忍者旋風』『風魔』などによるものである。オラが住んでた横浜市の団地の小さな共有図書室に、それらが収録された白土三平選集が置かれていて、マンガは『サザエさん』以外ではそのくらいしかなかったのでいつもむさぼるように読みふけったものだった。ゆえに選集に収録されていない『忍者武芸帳』や『カムイ外伝』を読んだのはずっと後のことで、その影響度は格段に落ちる。
白土さんの忍者マンガの大きな特徴として、荒唐無稽に思われる忍術にも科学的?合理的?なもっともらしい説明が加えられているということがある。微塵がくれ?影分身?陽炎の術?オボロ影?まったくありえない非現実的なものではあるけれども、国巣(くず)一族の男がサスケをさらって自分の子どもに華やかな忍術を教えさせようとし、結局4人の子を死なせてしまうエピソードなどから「基本は体術」であるということがくどいくらいに説明されるので、一定の教育効果はあるといえよう。
教育効果。それまでマンガを読むと思われていなかった青年読者へ向けて描かれた『忍者武芸帳』『カムイ伝』と異なり、『サスケ』や『ワタリ』は子どもが主人公で子ども向けに描かれていたので、まだ白紙の部分が多い彼らへの浸透度は測り知れないものがある。サスケという言葉が一般名詞のように使われるようになったのは、このマンガなくしては考えられないし、一つの敵を倒すとさらに大きな敵が姿を現すような『ワタリ』の暗い世界観も現在まで大きく影響しているかもしれない。やや牧歌的でかわいらしい『サスケ』も、サスケが成長するにつれ物語はどんどん暗くなっていく。サスケと仲良しの女の子のイトちゃんもお梅ちゃんも無惨な死体となるし、大猿の死後サスケは小さな弟を抱えて公共サービスもいっさい整っていない江戸時代の農村のシングルファーザーとなって母乳を求めてさまよう。夢物語である前に、サスケの前にはあまりに困難な現実が横たわり、巨大な権力を前にしては主人公の影丸やサスケといえど敗れて去ってゆく。
プロボクサーとして引退するまで勝ち続けるマンガ、サラリーマンとして社長になるまで勝ち続けるマンガなどとは違う。そして白土三平さんより以前には、マンガでそこまで現実が描かれることはなかった。マンガの神様・手塚治虫先生にしても白土三平さんや水木しげるさんが現れて以降は作風に顕著な変化が認められる。そしてまた百鬼示現斎からキリシタンにいたるまで繰り返し描かれる、占い・まじない・宗教・オカルトなどへの懐疑。領主に雇われて百姓を家畜化しようとする示現斎の人相があまりに細木&江原に似てるので驚くが、そんなところでも今にいたるまでオラの考え方に影響をもたらしてるのかも。大猿とサスケが、現実の父にひけをとらないオラのお父さん。


コメント (2)
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旧作探訪#58 『リアリティ・バイツ』

2009-05-17 21:09:51 | 映画(レンタルその他)
Reality Bites@レンタル, ベン・スティラー監督(1994年アメリカ)
すべてが出揃ってしまった1990年代、あらゆる選択肢の中で自らのアイデンティティを手探りする若者たち。過去の世代に反発しながらも自分たちの答えを見つけることができない、そんな彼らの偽りのない姿を刻み込んだ《ジェネレーションX》青春映画。大学生活から社会へ第一歩を踏み出す4人の男女が直面する、それぞれの《リアリティ・バイツ=現実は噛み付く》。その中で、真剣になれる恋を探る等身大のラブ・ストーリーが展開し、ザ・ナックの「マイ・シャローナ」やリサ・ローブの「ステイ」など音楽の巧みな使われ方も共感を呼んだ。
TV局に就職してADを務め、いつか自分たち世代を表現したドキュメンタリーを創りたいと考えるリレイナ(ウィノナ・ライダー)。頭がいいが大学を中退してバンド活動をしているトロイ(イーサン・ホーク)。GAPで地道に働くいっぽうAIDS感染の恐怖におびえるヴィッキー(ジャニーン・ガラファロー)。ゲイである自分と両親との関係が心配なサミー(スティーヴ・ザーン)。男女4人の同居が始まり、リレイナがひょんなことでMTV局の編集局長を務めるマイケル(ベン・スティラー)に出会った日から、彼女に注がれるトロイの眼差しが微妙に変化する。TV局をクビになり、面接先にことごとく拒絶されるリレイナの《リアリティ・バイツ》。
社会で活躍するマイケルと、世の中に染まらないトロイとの間で、彼女にとって本当にたいせつなリアリティを探さなければならない時が訪れている…。



奇しくも前回に採りあげた『暴力脱獄』の「卵を50コ食べてみせる」という台詞をトロイが口にする。リレイナがルームシェアの友人たちを撮るドキュメンタリー・ビデオの中で。そのビデオをMTV局上層部に売り込むため目を通したマイケルは、どうやらそれが映画の台詞ということを知らなかったらしくて「印象的な言葉だね」と恋敵トロイに。
過去からの引用。あらゆることが出尽くして、もはや創造的になりようもなかった1990年代。Deee-Liteが90年にヒットさせた「Groove Is in the Heart」で、ハービー・ハンコックの過去の映画音楽を引用・再構成していたのが象徴的。その前年にデビューしたレニー・クラヴィッツなんて人も、ずいぶん懐古趣味な音楽でしたし、音楽のみならずデザインとかTV番組とか、いろいろなところで引用・再利用の後ろ向きな動きが表面化した時代だったような。
そしてそれは、《成長が終わるとき》ということも意味していなかったろうか。株や土地の値段が上昇し続けることのうえに成り立ったバブル経済。その破裂。失われた10年間。映画の設定からTVドラマ『ふぞろいの林檎たち』を想起したりもするが、そのドラマが始まった頃はバブル期で、名もない私立大学を卒業する登場人物たちもあれこれたくましく生き抜く(らしい。1回も見たことないんです)。現実にも石原真理子とかな。
この映画に見られるリレイナをはじめ90年代の若者は、もっとナイーヴ。悪く言えばひ弱い。社会の中枢に居座ってる前世代があまりにもあつかましいってこともあるのかもしれんけど。そんな旧世代のモーニングショー司会者から嫌われてTV局を解雇されたリレイナは、卒業式で総代として答辞するほどの才媛だが、マスコミ志望の夢を捨てきれないためそれからの就職活動は挫折の連続。いっぽう哲学科の優秀な学生トロイはそんな現実から逃げたいのか、大学を中退してしまって定職にも就かずナイトクラブでのバンド活動。歌うことは90年代のオルタナ風。
といって、特定の世代にのみ共感を誘う映画となっているわけではない。むしろ古典的な青春映画・恋愛映画といえよう。90年代の若者のみならず、あらゆる人が、青春期に過去から圧迫されて創造的になれない姿、あるいは旧世代の固めたシステムの壁にはね返される姿を見て深くうなずくのではないだろうか。またその姿を的確に描くドラマ。男女5人の登場する構図があって、中でもよりシリアスな存在として描かれる3人の織り成す三角関係。社会に冷笑的で夢に生きるトロイと、組織の中で着実に生きるリアリストのマイケル、果たしてリレイナはどちらを選ぶのか。そういうリレイナの視点から作劇されており、男性のオラといえども彼女に自己投影して見ることになる、またそうさせるウィノナ・ライダーの清新な魅力も特筆される。結末はまあおとぎ話というかロマンチックなものですが、現実にはウィノナ・ライダーくらいの美人さんは実社会の勝ち組中の勝ち組男を選ぶと思うよん。ウィノナは女優なので石原真理子ばりにわけわからん人生を歩んでるらしいけど。

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デジタル・リマスター

2009-05-15 21:47:43 | Bibliomania
オラ人生最大の苦境におちいったとき手を差し伸べてくれた伯父は、故・母より学年で1コ上の次兄にあたる。第二次大戦末期の学童疎開では小学3年生からが対象になったとのことで、ちょうど昭和19年に小3となっていた母は縁故を頼って千葉県の柏方面に疎開することになり=縁故疎開では女の子のほうが好まれたらしい=そこで断られた小4の伯父は学校単位の集団疎開で福島県の小名浜という町(現・いわき市)で敗戦を迎えることになった。
疎開する前にも、すでに東京上空に米軍の艦載機が飛来していたとか。本格的な空襲を控えた偵察のようなもので、高射砲も打ちようのない建物ギリギリまで低空飛行を行い、わけもわからず手を振る子どもたちの様子に、ニッコリするパイロットの笑顔やチョコレート色のパイロット帽まで子どもたちから視認できたという。
小名浜の疎開先は湯治客向けの小さな旅館。上の写真に写ってる広間で、写っている子ども全員が食事、授業、寝泊りする。白米こそ食べられるがおかずのほとんどない食生活よりも、なにしろひどかったのは衛生状態。小さな浴槽は湯治客が優先されるため、子どもたちが交代で入浴できるのは2週間に1回ほど。すぐにシラミがわく。男子は丸刈りだが、女子は頭髪にびっしり。おねしょする子も多くて、布団を乾かしもせず押入れに隠すため、それがまた臭気を。
やがて敗戦。米軍が上陸してくるとの噂が飛び、子どもたちは小名浜から移動することになった。平(たいら・現いわき)の駅から磐越線の夜汽車で猪苗代湖畔へ。結局そこには1週間足らず滞在したのみで東京へ戻ることになったという。
実家は東中野の線路沿いに住んでいたが、空襲のひどい地域のため強制疎開によりすでに江古田の金持ちの大きな家の管理を任されて移っていた。町内には現・江原町となっている地域に「朝鮮」と呼ばれたバラック街があったとのことで、そこで売っているヤミ酒・ヤミ煙草を父親から買いに行かされたという。また戦後しばらくして学制が改められ、伯父は新制・中学校として創立された中野七中の一期生となった。食糧などの貧窮状態はかなり続き、三度の主食はサツマイモ、「焼き切り強盗」と呼ばれる、ガラス戸をライター等で焼き切って鍵を開けて押し入る泥棒も多発して、母・伯父の実家も襲われたがすんでのところで長兄が食い止めたのだとか。
『サザエさん』にしばしば泥棒が登場するが、当時はそれが不思議でない情勢でしたんか。それと「ワカメちゃん」の髪型。写真の女子は全員がワカメちゃんの髪型に近いでしょ。今のアニメになっては奇異に映るワカメちゃんも、現実を正確に反映して生み出された登場人物だったのね。この後の話は、いずれまた。伯父や母よりも、昭和12年と16年に相次いで両親を亡くした故・父の戦時の苦難は想像を絶するものと思われるが、もはや知る手だては残されていない。悔やんでも悔やみきれない。


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