『サスケ』白土三平(集英社コンパクトコミックス全15巻ほか)
1961年から65年にかけて月刊雑誌『少年』に連載され、後にTVアニメ化もされて当時の子どもたちに忍者の存在を強く印象づけた長編マンガ。少年忍者サスケが父親・大猿とともに多くの敵と激闘を繰り広げて成長していく姿を描く。
武将・真田幸村の配下として徳川軍との戦いで活躍したといわれる猿飛佐助。このマンガではその正体は一人の忍者ではなく、身軽に木の枝を飛び移る「猿飛の術」を使う複数の者からなる忍群なのである。その秘密を知った徳川幕府の隠密・服部半蔵の前に、猿飛の術を使う謎の子どもが現れる。それがサスケであった。
サスケの母は半蔵の妹の手にかかって最期を遂げ、サスケの父で大男の忍者・大猿とサスケは各地を放浪する。ときには大猿と同じ猿飛忍群の一人・石猿や彼の子どもでサスケにとって母方のイトコにあたる、サスケとそっくりな四つ子たちと遊ぶことも。そんな彼らの前に、猿飛を仇と狙う九鬼一族の最後の一人・鬼姫が現れ、年端もゆかぬ女の子ながらサスケの命を執拗に狙う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/d8/4044bff05ef3bdbc189735af3d1b23ca.jpg)
鬼姫からなんとか逃れたサスケ父子の前に、あやしげな幻術を見せて百姓たちを領主の言いなりにさせようと企む百鬼示現斎が。大猿は百姓たちの目をさまさせるため示現斎と対決する。このあたりから「百姓に味方して、武士や商人と対立するサスケ父子」というテーマが表れ、物語は徐々に牧歌的でなくなっていく。
百姓の水争いがもとで野武士たちとの死闘に巻き込まれるサスケ父子。さらにサスケの前に、カブトワリや陽炎(かげろう)の術など不思議な忍術を使う伊賀忍者・四貫目が現れ、サスケと四貫目はそれぞれ木こりとマタギに忍法を教えることに。その対立も一段落して四貫目から陽炎の術を教わったサスケは久しぶりに父と再会する。やがてサスケと仲良くなった女の子・イトの一家は隠れキリシタン(キリスト信徒)で、父をなくしキリシタンの地へ旅立ったイト母子は信仰の広まりを恐れる領主によって火あぶりにされてしまう。それがきっかけでサスケ父子はキリシタンの隠れ里に居つき、大猿は再婚することにもなるのだが、その里には公儀隠密・服部半蔵が潜入していた。村人を救おうと奔走した大猿も半蔵の手にかかって爆死し、隠れ里も全滅するなかサスケは猿飛に伝わるエトリ忍法で半蔵を倒す。サスケの手には、父の忘れがたみ、赤ん坊が抱かれていた…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/d3/d1921bd59c492106b30639bdb30364ca.jpg)
ニンニン。世を忍ぶ。1980年代にアメリカで爆発的にヒットしたアメコミ・アニメの『ティーンエージ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』でも、そうした影の存在であるということが黒人の立場と重ねられていたとされる。表に出ずに暗躍し、戦えば武士より強いかもしれない「忍者」なるもの。それはもっぱら後世のフィクションで形づくられたもので、史実でも確認されているものの、その実態は地味なものでロマンチックな夢を広げられるようなものではなかったらしい。
しかし1970年代に子どもであったオラにとって、その存在はウルトラマンや仮面ライダーよりはるかにリアルに感じられ親しいものであった。もちろんそれは白土三平さんの数々の忍者マンガ『サスケ』『ワタリ』『忍者旋風』『風魔』などによるものである。オラが住んでた横浜市の団地の小さな共有図書室に、それらが収録された白土三平選集が置かれていて、マンガは『サザエさん』以外ではそのくらいしかなかったのでいつもむさぼるように読みふけったものだった。ゆえに選集に収録されていない『忍者武芸帳』や『カムイ外伝』を読んだのはずっと後のことで、その影響度は格段に落ちる。
白土さんの忍者マンガの大きな特徴として、荒唐無稽に思われる忍術にも科学的?合理的?なもっともらしい説明が加えられているということがある。微塵がくれ?影分身?陽炎の術?オボロ影?まったくありえない非現実的なものではあるけれども、国巣(くず)一族の男がサスケをさらって自分の子どもに華やかな忍術を教えさせようとし、結局4人の子を死なせてしまうエピソードなどから「基本は体術」であるということがくどいくらいに説明されるので、一定の教育効果はあるといえよう。
教育効果。それまでマンガを読むと思われていなかった青年読者へ向けて描かれた『忍者武芸帳』『カムイ伝』と異なり、『サスケ』や『ワタリ』は子どもが主人公で子ども向けに描かれていたので、まだ白紙の部分が多い彼らへの浸透度は測り知れないものがある。サスケという言葉が一般名詞のように使われるようになったのは、このマンガなくしては考えられないし、一つの敵を倒すとさらに大きな敵が姿を現すような『ワタリ』の暗い世界観も現在まで大きく影響しているかもしれない。やや牧歌的でかわいらしい『サスケ』も、サスケが成長するにつれ物語はどんどん暗くなっていく。サスケと仲良しの女の子のイトちゃんもお梅ちゃんも無惨な死体となるし、大猿の死後サスケは小さな弟を抱えて公共サービスもいっさい整っていない江戸時代の農村のシングルファーザーとなって母乳を求めてさまよう。夢物語である前に、サスケの前にはあまりに困難な現実が横たわり、巨大な権力を前にしては主人公の影丸やサスケといえど敗れて去ってゆく。
プロボクサーとして引退するまで勝ち続けるマンガ、サラリーマンとして社長になるまで勝ち続けるマンガなどとは違う。そして白土三平さんより以前には、マンガでそこまで現実が描かれることはなかった。マンガの神様・手塚治虫先生にしても白土三平さんや水木しげるさんが現れて以降は作風に顕著な変化が認められる。そしてまた百鬼示現斎からキリシタンにいたるまで繰り返し描かれる、占い・まじない・宗教・オカルトなどへの懐疑。領主に雇われて百姓を家畜化しようとする示現斎の人相があまりに細木&江原に似てるので驚くが、そんなところでも今にいたるまでオラの考え方に影響をもたらしてるのかも。大猿とサスケが、現実の父にひけをとらないオラのお父さん。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/6c/85cfab210e28d992ebc754907b15a5d8.jpg)
1961年から65年にかけて月刊雑誌『少年』に連載され、後にTVアニメ化もされて当時の子どもたちに忍者の存在を強く印象づけた長編マンガ。少年忍者サスケが父親・大猿とともに多くの敵と激闘を繰り広げて成長していく姿を描く。
武将・真田幸村の配下として徳川軍との戦いで活躍したといわれる猿飛佐助。このマンガではその正体は一人の忍者ではなく、身軽に木の枝を飛び移る「猿飛の術」を使う複数の者からなる忍群なのである。その秘密を知った徳川幕府の隠密・服部半蔵の前に、猿飛の術を使う謎の子どもが現れる。それがサスケであった。
サスケの母は半蔵の妹の手にかかって最期を遂げ、サスケの父で大男の忍者・大猿とサスケは各地を放浪する。ときには大猿と同じ猿飛忍群の一人・石猿や彼の子どもでサスケにとって母方のイトコにあたる、サスケとそっくりな四つ子たちと遊ぶことも。そんな彼らの前に、猿飛を仇と狙う九鬼一族の最後の一人・鬼姫が現れ、年端もゆかぬ女の子ながらサスケの命を執拗に狙う。
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鬼姫からなんとか逃れたサスケ父子の前に、あやしげな幻術を見せて百姓たちを領主の言いなりにさせようと企む百鬼示現斎が。大猿は百姓たちの目をさまさせるため示現斎と対決する。このあたりから「百姓に味方して、武士や商人と対立するサスケ父子」というテーマが表れ、物語は徐々に牧歌的でなくなっていく。
百姓の水争いがもとで野武士たちとの死闘に巻き込まれるサスケ父子。さらにサスケの前に、カブトワリや陽炎(かげろう)の術など不思議な忍術を使う伊賀忍者・四貫目が現れ、サスケと四貫目はそれぞれ木こりとマタギに忍法を教えることに。その対立も一段落して四貫目から陽炎の術を教わったサスケは久しぶりに父と再会する。やがてサスケと仲良くなった女の子・イトの一家は隠れキリシタン(キリスト信徒)で、父をなくしキリシタンの地へ旅立ったイト母子は信仰の広まりを恐れる領主によって火あぶりにされてしまう。それがきっかけでサスケ父子はキリシタンの隠れ里に居つき、大猿は再婚することにもなるのだが、その里には公儀隠密・服部半蔵が潜入していた。村人を救おうと奔走した大猿も半蔵の手にかかって爆死し、隠れ里も全滅するなかサスケは猿飛に伝わるエトリ忍法で半蔵を倒す。サスケの手には、父の忘れがたみ、赤ん坊が抱かれていた…。
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ニンニン。世を忍ぶ。1980年代にアメリカで爆発的にヒットしたアメコミ・アニメの『ティーンエージ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』でも、そうした影の存在であるということが黒人の立場と重ねられていたとされる。表に出ずに暗躍し、戦えば武士より強いかもしれない「忍者」なるもの。それはもっぱら後世のフィクションで形づくられたもので、史実でも確認されているものの、その実態は地味なものでロマンチックな夢を広げられるようなものではなかったらしい。
しかし1970年代に子どもであったオラにとって、その存在はウルトラマンや仮面ライダーよりはるかにリアルに感じられ親しいものであった。もちろんそれは白土三平さんの数々の忍者マンガ『サスケ』『ワタリ』『忍者旋風』『風魔』などによるものである。オラが住んでた横浜市の団地の小さな共有図書室に、それらが収録された白土三平選集が置かれていて、マンガは『サザエさん』以外ではそのくらいしかなかったのでいつもむさぼるように読みふけったものだった。ゆえに選集に収録されていない『忍者武芸帳』や『カムイ外伝』を読んだのはずっと後のことで、その影響度は格段に落ちる。
白土さんの忍者マンガの大きな特徴として、荒唐無稽に思われる忍術にも科学的?合理的?なもっともらしい説明が加えられているということがある。微塵がくれ?影分身?陽炎の術?オボロ影?まったくありえない非現実的なものではあるけれども、国巣(くず)一族の男がサスケをさらって自分の子どもに華やかな忍術を教えさせようとし、結局4人の子を死なせてしまうエピソードなどから「基本は体術」であるということがくどいくらいに説明されるので、一定の教育効果はあるといえよう。
教育効果。それまでマンガを読むと思われていなかった青年読者へ向けて描かれた『忍者武芸帳』『カムイ伝』と異なり、『サスケ』や『ワタリ』は子どもが主人公で子ども向けに描かれていたので、まだ白紙の部分が多い彼らへの浸透度は測り知れないものがある。サスケという言葉が一般名詞のように使われるようになったのは、このマンガなくしては考えられないし、一つの敵を倒すとさらに大きな敵が姿を現すような『ワタリ』の暗い世界観も現在まで大きく影響しているかもしれない。やや牧歌的でかわいらしい『サスケ』も、サスケが成長するにつれ物語はどんどん暗くなっていく。サスケと仲良しの女の子のイトちゃんもお梅ちゃんも無惨な死体となるし、大猿の死後サスケは小さな弟を抱えて公共サービスもいっさい整っていない江戸時代の農村のシングルファーザーとなって母乳を求めてさまよう。夢物語である前に、サスケの前にはあまりに困難な現実が横たわり、巨大な権力を前にしては主人公の影丸やサスケといえど敗れて去ってゆく。
プロボクサーとして引退するまで勝ち続けるマンガ、サラリーマンとして社長になるまで勝ち続けるマンガなどとは違う。そして白土三平さんより以前には、マンガでそこまで現実が描かれることはなかった。マンガの神様・手塚治虫先生にしても白土三平さんや水木しげるさんが現れて以降は作風に顕著な変化が認められる。そしてまた百鬼示現斎からキリシタンにいたるまで繰り返し描かれる、占い・まじない・宗教・オカルトなどへの懐疑。領主に雇われて百姓を家畜化しようとする示現斎の人相があまりに細木&江原に似てるので驚くが、そんなところでも今にいたるまでオラの考え方に影響をもたらしてるのかも。大猿とサスケが、現実の父にひけをとらないオラのお父さん。
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