マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

アニメとJ-popにみる分断と囲い込みの完了

2024-02-18 19:08:02 | マンガ
米サイトPolygonが4000人を超す18歳以上のアメリカ人を調査した結果によれば、週に1度以上日本アニメを視聴する団塊世代が3%に過ぎないのに対し、Z世代では42%。Z世代に限ってはアニメはNFLを上回るポピュラーな娯楽であり、人種・階層的にも黒人・ヒスパニック・アジア系・LGBTQと広く親しまれている。若者やマイノリティーにとってアニメは従来の娯楽よりも感情移入がしやすく、ストーリーに説得力があると考える人の割合が高い。アニメファンの44%がアニメのキャラクターに恋したことがあると回答し、Z世代のアニメファンでは58%。




日本アニメが世界的に人気定着しているのに対し、音楽の消費という見地では逆に日本の、特に若い世代ほど「孤立・引きこもり」現象がみられるという分析結果を示し、ヤフー掲載され話題を呼んだ松谷創一郎氏のヒットの固着──Spotifyチャートから見えてきた停滞する日本の音楽

ストリーミング全盛となり、2014年を底に各国の音楽産業売り上げが復調をみせているのと対照的に、日本ではCDなどのフィジカル消費が依然として過半を占めるため、ストリーミング国内シェア2位であるSpotifyの再生回数には若者層の動向がより強く反映される。その結果、毎週の再生回数において200位までにランクされたことのある楽曲・アーティストが他国に比べ極端に少なく、あいみょん「君はロックを聴かない」256週、Official髭男dism「ノーダウト」246週(いずれも2022年末時点)などのロングヒットをはじめAdo・YOASOBI・藤井風といったJ-popが他を圧倒、一部のK-popを除き「洋楽」の存在感が希薄。未知の音楽を探そうとせず、少数のお気に入りアーティストばかりを延々と聞き続ける日本の若者。 



やがて、2000年代になると、日本からの応募者の数はゼロになってしまいます。これは、中国、韓国、台湾からの応募者の動向と鋭い対照をなしていました。なぜ日本だけが、こんなに少なくなってしまったのだろうか。(中略)中国の学生からは、自分の志望を私の学科で満たすことができるかと聞いてくる連絡が毎年少なくとも十数件はあります。ところが、日本からの連絡も1990年代には数件あったのが、2000年代にはほぼゼロになってしまいました。例外はありますが、総じて日本からくる学生の一般学力が低下してきていて、中国、韓国、西ヨーロッパ、ラテン・アメリカ、台湾、インドなどからくる学生と競争することが難しくなってきている ということが観察できます。
(中略)(冷戦に対応するため日本を従属させて援助し、その軍国主義を経済高度成長という形で成功させた、日本が従うべき国際秩序の家父長的なリーダー=)パックス・アメリカーナが凋落の微候をみせ始めたのです。ところが、1990年代初頭のバブル経済の破綻以来の日本社会は、新たな国際秩序を構想し模索するどころか、むしろ過去の高度成長の「良き時代」の夢想に捉えられてしまったように見えます。この20年間で次第に明らかになってきたのは、日本社会の多くの人々が積極的に自分の力で未来を切り開く進取の精神を失い、「夢よ、もう一度」とでも総括したらよいのでしょうか、過去の安泰を支えていた道徳的権威と良き時代の幻想にしがみつこうとする、ほとんど強迫的な態度であるといってよいでしょう。 ─(酒井直樹/ひきこもりの国民主義/岩波書店2017)

なぜならば!
いや、まあ、例の松本人志の件でスピードワゴン小沢の事務所が…。カドカワや小学館や日本テレビ、いずれも公式声明が稚拙だったり感情的だったり、それ以前に森加計桜やオリンピックや統一教会や日大やジャニーズ事務所や裏金などなど日本でネガティブな話題が広がる場合、既に囲い込まれた一般人の集団、それによって儲ける既得権者、内部の接待やセックスや同種の集団と連携するための汚職、ほぼすべて同じパターンを繰り返していて実にくだらない、生産性ゼロである。

芸能ニュース的な字面が視界に入ると咄嗟に焦点をぼやかす。テレビやマンガ、日本語の情報に触れていると気が狂う。しかし、経済のグローバル化とネット・スマホの普及に伴って世界中の人間がシステム的に監視され時間当たりの貢献を求められるようになると、中世以来武家政権による支配を補完するべく、農民や町人=被支配層の相互監視と選別・排除を担う〝世間〟が形成され、狭い檻に囲われて依存的に生きることで安心長生きを実現してきた日本人特有の「バリエーションの狭さ」を求める人びともまた世界中にいると分る。

スーパーマンや悟空が空を飛ぶ。どうやって。不可能だ。ドラゴンボールを見たことないが映画やマンガでこの種の不可能性は説明されない。武家政権の支配、政治家の世襲や脱税について問うてはならない。どうせ変らない。心が苦しいだけだ。そういう下で生まれた娯楽なので。監視資本主義が一人歩きし、優秀な女や有色人種が男や白人を圧迫する、あるいは韓国・中国・東南アジアなどに対して日本の後進性が目立ってくる、すると被害者意識と怒りから日本人的な狭い娯楽をさらに尖鋭化したような娯楽=暇空とか私人逮捕とか現れて分断がますます進みヘイトがはびこる。そもそも安倍やトランプ、各国のポピュリスト政治家やFANGのような企業にとってみても分断とヘイトこそ最大の資源なのである。
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少女漫画の終焉

2023-03-03 17:43:12 | マンガ
小5から小6になるころ小学館文庫を皮切りに漫画の文庫化ブーム(第1次、1976~)が起り、私が最初に手に取った『ねじ式』はそのまま一生ものに。小6の夏休み、親戚の家に泊まったところ当時高3の従姉がたまたま貸本屋から当時再発直前で幻の名作の扱いになっていた『火の鳥・復活編』を借りており、一晩読み耽って人生が変った。未来社会を扱うSFで、狂気の話でもあり、今も手塚のベストは復活編です。この親戚の長男は私と同い年の、例の消防団のネトウヨの。年の離れた2人の姉、私にとって従姉である2人の子ども部屋には少女漫画雑誌がたくさんあって、75年に短期連載となった萩尾望都「11人いる!」も目にした記憶があり、翌年の火の鳥の件も萩尾望都の師匠筋ということからかも。従姉は小学館派(コミック)だったんですね。少女漫画誌の週刊化では講談社(フレンド)と集英社(マーガレット)が60年代に先行し、当時はいかにも少女マンガという陳腐な作風に占められ軽んじられていたのに対し、70年代に萩尾望都・竹宮惠子・山岸凉子・大島弓子らが一挙に少女漫画の枠を広げ、男の漫画読みでもそれらを読んでいなければお話にならないというほど漫画界の空気を一変させたのだった。

76年に朝日ソノラマがマンガ少年という月刊誌を創刊、呼び物は火の鳥の再開で、翌77年には竹宮惠子も本格SF『地球(テラ)へ』を連載、にもかかわらずこの雑誌は週刊月刊が乱立する各社の激しい競争の中で埋没し、男女どちらにも読んでほしいという方針で81年にDUO(デュオ)と改称するも浮上することなく消えてしまう。この頃には後発の白泉社がLaLaと花とゆめの2誌により主流の漫画出版社して定着したが、各出版社のやり方が「雑誌で作家と読者を囲い込んで育て、単行本とアニメ化で儲ける」という一辺倒であるため、あらかじめ読者層を想定して置きにいくような作風の記号化陳腐化とジャンルの細分化が果てしなく進み、そうした弊害の究極として90年代にキャプテン翼などのホモパロディ、いわゆる「やおい」「腐女子」が現れるに至って、少女漫画が先行して漫画文化を刷新する動きは完全についえ、少子化も伴って少女漫画自体の存続さえ危ぶまれる事態に。



人はよりよい生活を目指して再び闇雲に働き始めた。だがしかし〝よりよい生活の為に〟という理由は、その個人が必要とする理由としては〝働かなけれぱ食っていけない〟という理由よりも切迫感に乏しかった。(中略)いまだかつて一度も、自己の充足感を得る為に働いた経験のない人々は、ここで初めて〝家庭〟という概念を必要とし、〝よりよい生活〟というのは自分にとってのよりよい生活なのではなく、自分とは別個に存在する〝家族〟がよりよい生活をおくれるようにしてやることなのだと了解しなけれぱならなかった。〝家族〟とそれによって形成される〝家庭〟とが、自己の幻想の内にではなく、自分とは別個の独立した存在であることが確信されなければならなくなったのである。
だから、父であり夫である人は、妻と子の為に働いた、母であり妻である人は、夫と子の為にこそ働いた。そして、ここに初めて、全き(まったき)家庭を形成する為の全き家族の一員として、子供というものの存在が初めて大きくクローズアップされることになったのである。 
子供は、「その子は誰の子か?」という観点から問題にされる時のみ相対的なものではあるが、大人というものに対置される時、子供はどこまでいっても絶対的に〝子供〟である。だから人は、子を持つことによって、そこから逆算して〝親〟という絶対的な関係を持つことが可能となり、子供という〝絶対〟をその中核に据えることによって家庭の独立性を可能とした。それにより初めて、子は子として夢を見ること が許されるようになったのである。
子供であることを許された子供とは何か? それは、徒らに半睡半醒のままでいることを許されたものである。子供は親に庇護されているものであるから、現実に直面する必要がない。現実に直面する必要のない子供は、半睡状態のまま現実を眺めていても一向に差し支えがない。 ─橋本治/花咲く乙女たちのキンピラゴボウ/河出文庫1984・原著1979


1976年って凄い年だったのか。誰も教えてくれないことを真剣に考えて長文にまとめる若い橋本治にも感服する。私は77年に中学に上がってから「11人いる!」『風と木の詩』『エースをねらえ!』『エリート狂走曲』など少女漫画にのめり込んでゆくが、よりフェミニンな要素の強い大島弓子については畏怖を覚えながらも理解が及ばず、成人してから86年に刊行された選集であらためて知り、萩尾望都と双璧の巨頭と認識。

ところが、これまで名前を挙げてきたような才能は、80年代の後半を迎えるころに軒並み作風が変り、自己模倣的に薄く陳腐化してしまう。萩尾望都は抜きんでた評価を得てはいたが、絵柄の硬直化(ギョロ目で表情のこわばったイケメン)が個人的にどうにも…。これは橋本治に言わせれば「女の都合を考えてくれる男は女の都合を聞こうとはしない」日本のジェンダー事情が、彼女らのファン層の主力が大人になるに連れ、どのみち男尊女卑は動かし難く、会社勤めや主婦の現実と折り合えるよう、せめて漫画で(社会とコミットしない)夢の続きを見せてほしいと求めさせるからなのでは。特に萩尾のファンは高学歴が多いと推定され、四大短大美大かかわらず高学歴女の保身の論理は、受験をはじめ競争から逃避し孤独を好む私の生き方を全否定するので、それらファンを尊重して作風をシフトさせた萩尾望都を私の方でも受け付けなくなったのでしょう。

火の鳥復活編で私の人生を変えた従姉はその後も吉田秋生『バナナフィッシュ』、よしながふみ『大奥』などを教えてくれたが2009年に急死。シブがき隊の本木が好きで、テレビを見ながら女タレントにダメ出しすることなどから彼女の一人息子は極度の面食いに育ってしまった。黄金時代の少女漫画は今見ても物語の完成度が高いと思うが、お手本であるロマン主義の本場ヨーロッパではあまり評価されていないようだ。というのも、大きな目にお星さまキラキラ、背景にお花が咲き乱れ、脚の長い白人的な美人とイケメンしか出てこない、転校先にたまたま幼馴染がいてその兄とだけで物語が展開してしまったりするご都合主義(大島弓子・バナナブレッドのプディング)。これはやはり女を社会から切り離し、恋愛結婚イデオロギーを植え付けて労働者よりも消費者としての自意識を持たせることで、タテの支配をヨコの監視が補完する軍国主義転じてエコノミックアニマル、異例の成功を収めた昭和期と、同じ要因から異例の速さで衰退する現状、昭和に咲いた少女漫画あるいはSFという徒花が、推し・ガチャ・異世界転生・ネトウヨなどなど現実逃避の実を結んだと申せましょう。
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芸者(お座敷に呼ばれる)

2020-11-22 19:50:38 | マンガ
かつてのロンドンハーツは実験を重ねながら趣向が変ってゆく番組であった。美人局と取られかねないような不穏な企画もあったが、それらドッキリや格付けなどを通じ出演者の素の人間味が浮き彫りに。たとえば有吉弘行氏のタレント進路相談で熊田曜子・磯山さやからはこうやってイジればいいという模範回答が示され、他の番組も追随するので、彼女らは仕事が増えて長く売れ、単なるグラドルであった若い頃より垢抜けた「キャラ」として定着。

アメトーク・ゴッドタン・ダウンタウンDXといった番組も同様に連携しながら芸人のキャラを方向づけ、他の番組に波及させる影響力を持つが、芸人以外、美人タレントの登竜門にもなっているロンハーは一頭地を抜いていた。しかしこのところこれらの番組が急激に新鮮味を失いつまらなくなってしまった。直接にはユーチューブとコロナ禍の影響なのだろうが、ロンハーなどの作り自体にも内在する弊害がその2つをきっかけとして噴き出したというべきか。

ハライチのラジオで11月初めのアメトーク、それまでに比べ「初めて爪痕を残せて」加地Pにも褒められたと岩井氏がいうので見てみると、ハライチと同期の売れている芸人が集い、ハライチだけ吉本興業所属でなく、吉本芸人のスクールやライブなど仲間意識・関係性を売りにするワチャワチャ感に岩井が噛み付いて~というまあ面白い回ではあるものの、そもそも岩井が噛み付くというのもそれまでゴッドタンなどで培われたキャラ・関係性の産物であり、岩井と交流のある長田氏がいるチョコレートプラネットに至っては「漫才が苦手なのでコントをやって賞レースで健闘、しかし売れたのは松尾氏が他の人と組んでショーパブ的なネタとしてやっていたIKKOさんのマネ」。さらにTT兄弟という分りやすいキャラ芸も売れて…。キャラで一気に売れたけど他のキャラに変れそうになくてすぐ消えたスギちゃんとかが気の毒に。

売れることがすべて。そのためにやれることをやる。自分がやりたい・作りたいというよりいかに分りやすくてテレビ制作側が使いやすいか。いったん売れれば私生活のクズっぷりであったり芸人仲間の関係性も使ってもらえる。ユーチューブで仲間を呼んでダラダラしゃべる、ゲームの実況やら歌ってみたやら自分の切り売り。むかしアントニオ猪木が青森県知事選の応援演説で、当初は核サイクル施設反対派に呼ばれていたが、お金を積まれて推進派に寝返ったというように、人気とお金を求めるとどうしても政治・社会問題はタブーになり、何人かの芸人のように安倍政権や維新のプロパガンダに積極的に協力する者も。そのくせ身内からコロナ陽性が続出。



大阪の貸本出身で、それまでにない漫画を志し「劇画工房」を立ち上げた辰巳ヨシヒロ・さいとうたかを・佐藤まさあき・松本正彦たち。この時代のことを彼らが描いた作品はどれも栄養満点ながら、松本氏の『劇画バカたち!!』は知名度で劣るもののヘッダー画像の筆おろし相手である娼婦の身の上を思いやる描写など弱い立場の人の心情を丁寧にすくいとる逸品である。

彼らがおもに執筆していた日の丸文庫の社長は土建屋のオヤジみたいな風体で、東京の出版社に敵愾心を持ちながらも、ツテを頼って「漫画集団」と呼ばれた新聞・雑誌の風刺コマ漫画作家の作品を出して貸本ではない一般書店の流通に載せることに。これがまったく売れず返本の山。社長は手形偽造に手を出し逮捕されてしまう。横山泰三や加藤芳郎の風刺漫画は、誰もが知る朝日新聞や文藝春秋に載ってこそ価値があり、そうでなければ誰も目に留めない。ベッキー? アンジャッシュ渡部? みんな普通の人間ですよね。一芸に秀でているかも定かでない。メディア側の者たちが鍵を握っている。このエピソードは辰巳さんの漫画にも佐藤さんの自叙伝にも描かれるが、やはり松本さんは独特で社長がこのあと体調を崩して寝床に横たわりながら従業員・作家に指示を出す場面など素朴な絵柄に人間の生きる迫力がみなぎる。キャラよさらば。ウソをやめよう。人間を称えよう。
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悪い遊びのロビイスト #3

2020-08-27 19:06:23 | マンガ
どうやら「先回りの服従」という言い回しがドイツに先にあって、昨今のわが国の「忖度」の訳にふさわしいとの見解が出てきて、それはもちろんナチス幹部や部下の役人たちの「悪の凡庸さ」に日本が近づきつつあるのを戒める含みがある様子。

コロナ禍の初期に「PCR検査を増やすと医療崩壊を招く」との、他国ではまずお目にかかれない非科学的な言説をテレビでもネットでも多く目にして、初期にはオリンピック優先のため感染を少なくみせたい政府・東京都の意向を忖度して意図的に流されたとみられるが、だんだん一人歩きして「コロナはただの風邪・騒ぎすぎ・経済回せ」派に変質する一方、感染が発覚した者や学校・会社・店などへの差別や自粛警察・マスク警察の動きなど、政治権力と直接つながっていない任意のナチ党みたいなのがたくさん湧いて醜悪である。

テレビの芸能人で検査を増やすべきでないと言ってきた者に極楽とんぼ加藤浩次と爆笑問題太田光がいて、それぞれ相方が感染し、治るとは思うが無症状ではないらしく、検査を受けにくかったり差別があったりする現状についてどう責任を負うつもりなのか、一般国民の検査は増やすべきでないがわれわれ芸能人は別ということなのか。人間には上下がある…それは金持ちとかよりむしろ人気や人脈で決まる…。




ED @otogeri 8月8日
漫画作業工程楽しさグラフ描いた

ED @otogeri 8月8日
漫画なんで描いてんのって言われたらやるしかない気がするからとしか言いようがないけど、楽しくは全然ない 一ミリも楽しくないわ。。辛さしかない掘り下げる苦悩とか絵が可愛く描けない怒りとか単純作業の嫌さとかかかる時間の長さとかで

ED @otogeri 8月8日
プロはすごい。。本当 ツイッターは神 下書きかその前くらいの状態でアップしても許されるし 俺のような人間の最後の砦

607 カタログ片手に名無しさん 2020/07/14(火) 06:29:51 >>608>>609
>>591

キャバクラは、基本的にお金を持っているおじさんから、お金を巻き上げる商売
そういうおじさんは、よほどそのキャバ嬢に惚れ込んでいない限り、自粛できるんだよ

ホストクラブがやばいのは、客層の中心が女経営者やセレブマダムではなく、
お金を持っていない若い女の子がほとんどだという点

若い女の子はお金を持っていなくても、体を売ればお金を作り出せるから、
依存症にさせて、風俗嬢に落として、店に通わせるビジネスモデルで、ホストクラブは成り立っている

だから、ホストクラブの客の大半は、依存症で、
ホストから来るように誘われたら、行くのを我慢することができない

293 カタログ片手に名無しさん 2020/08/21(金) 16:58:56
私は義理買い多いから全部は読まないや
駿河屋に送る前に目は通すけど勢いで買ってる分ハズレ多い
イベントないと本命しか買わなくなるからお金余るね

クレポ @kleipo 7月14日
僕ヤバとかわたモテとかのブーム、時間も金もなくなったオタク達がエロゲの代わりにたどり着いた場所が基本無料のWEB漫画だっていう悲しい事実なんだなってふと気づいてしまったし、俺達はこうやってドンドン貧困化していくのかなって



[にゃかがわ] @nyakagawa_r 8月2日
「何で今更このタイミングでワニ?」って思ったけど、本当はコロナ流行なんか無い前提で、追悼ショップとかワニカフェとか諸々のイベントを行いつつ、8月2日(ワニの日)に合わせて盛り上げていくつもりだったんだろうなぁ…その後は劇場版へと…

たら子部長 @harapeko_tarako 8月9日
なんの下調べもせず軽い気持ちで子供にフォートナイトやらせてしまった私が完全に悪いのですが、課金してないとバカにされるだの、バカだの下手くそだの言われてるのが聞いてても辛いので子どもも納得の上で我が家はフォートナイト禁止にしたところ子供が仲間外れにされてしまいほんとクソ。



mai @mais_24 8月9日
返信先: @harapeko_tarakoさん
初めまして。うちの子はまだスマブラONLYですが、うちの子の小学校でこのようなものが配られ、「フォートナイト、怖い」と思いました。


少年ジャンプの連載漫画で舞台化なども決まっていたらしい作品が、原作の男が性犯罪で逮捕され、打ち切りが決まったがネットでは「作品は悪くない・別の原作者を立てて続けろ」の声が沸き起こり、作画の女が「被害者は作品の存在だけで恐怖する筈」と打ち切り支持したもののこの女もファン男に公然と貢がせているという…(ヘッダー画像の左側)。思えば漫画とアニメは現今の雇用・労働問題を先取りするブラック業界であった。

わが国には「社会」がなく、人間関係と利害関係が不可分に連なった「世間」のみあり、この世間は人を査定し、上下の差を付ける。政府が無責任でもこの民活で発展できていたときはよいが、現状では多数派に従属してピンハネ役人の地位にありつくか(加藤や太田・大卒のホワイトカラー)、インターネットを活かして自分を切り売りするか(投げ銭・情報商材・ウーバーイーツ)。肥大した自意識と視野狭窄により、たとえ成功者でも健康な自己肯定感は持てず、嫉妬や差別や自傷を繰り返し、人の上下を作ってしまう構造そのものを問う動きは起らないまま衰退してゆく—
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悪い遊びのロビイスト #2

2020-08-09 18:35:01 | マンガ
このところたびたび80年代のとんねるずの話題で老害恐縮なんですが。彼らが売れ始めてそれまでのお笑い芸人では見えにくかったことがいくつか明らかに。一つに木梨さんの間投詞「ゲロゲロ~」だったり、石橋さんの「やってミソ?」だったり、スクールカースト上位のオーラを放つ彼らだからさまになるので、そうでない男子が真似して使った場合たいへん痛いことになる。周囲がその人物をどう思っているか、キャラや人望、特権的な位置。先週のゴッドタンでもダイアン津田さんが力んで言うよりさらば青春の光・東ブクロさんが同じ言葉をさりげなく言うほうが名言に聞こえるというのをやっていた。相方の森田さん「また(東ブクロの)セフレ増えますやん!」。モテる男とモテない男の格差は経験値によってさらに開く。

こうしたことを初めて若い男たちに突き付けたのがとんねるずで、そのくらい彼らの明るさ・軽さはそれまでの昭和芸人と違っていた。初期のコントには学生服を着た木梨さんが石橋さんに告白するというBLめいたものも。後の「保毛尾田」は超人気番組なので分りやすいほうに寄せたのだろう。部活や体育会には丸刈り・体罰・シゴキや理不尽な上下関係などが依然まかり通っていたものの、巨人や西武の選手たちなどと併せスポーツマンが昭和の忍耐・ガンバリズムから明朗快活に変わってゆく時代を体現。

80年代初頭漫画でもあだち充さんが『ナイン』『タッチ』『みゆき』などラブコメとスポーツを組み合わせた、既存のスポ根と一線を画す明るい作風で大きな人気を獲得。私はそのしばらく前、あだちさんが鳴かず飛ばすのころ77年に学研の学年誌・中1コースに連載されたヒラヒラくんシリーズで出会っており、男女の主人公が連れションするという変態的なモチーフだけ覚えていたのでブームになってとくに女子も回覧して楽しんでいたので驚いたものだった。いま入手できるヒラヒラくんをみてみると、↑ヘッダー画像右はしのように女の子?と見まごう中性的な、主要な男女が同じ顔立ち。原作付きとのことで教育的な配慮はされているものの覗き・パンチラ・おしっこと恋愛というよりは子どもっぽい性的モチーフの多さがやはり気になる。




幼稚園から中3まで親は「昭和の中流階級の幸せ芝居」の一つとして私に学年誌を買い与えた。勉強のページなんか見やしない。小学生向けは小学館と学研、中学は学研と旺文社が競っていたが、学年誌の代名詞的存在で、親公認のもと漫画やヒーローもの情報を読ませることができる小学館は考えてみればボロイ商売である。

ドラえもんの2度目のアニメ化が成功して国民的アニメになると、学年誌の男子向け漫画を集めた分厚いコロコロコミックを創刊(1977年)。『ゲームセンターあらし』『高橋名人物語』など男児の遊びを題材にメーカーとのタイアップやメディアミックスを多用し、私の嫌いな汚い絵柄の漫画を多数ヒットさせた。ドラえもんはやはり柱であり続け、藤子F先生のアシスタントからコロコロや他誌に起用されて成功する漫画家も出始める。『つるピカハゲ丸』ののむらしんぼさんが現在兄弟誌コロコロアニキに連載中の『コロコロ創刊伝説』によればたかや健二さんはF先生のアシを日中勤めながらコロコロに起用され自分の『プラコン大作』を徹夜で描くという生活。

藤子A先生が『まんが道』で描いたように、藤子不二雄を名乗った2人は高卒でいったん地元富山県の企業に勤めたが、A先生=安孫子さんが人間関係の軋轢をバネにしたり後の作家生活に活かす柔軟さを発揮したのに対し、F先生=藤本さんはすぐに辞めて漫画志望に専念。オバQは2人の合作で、F先生のドラえもんも最初はその延長上の素朴な世界観であったが、アニメが人気となってどんどん後付けの設定が増えていき、恐竜時代や宇宙でのび太がヒーローになる長篇、また映画も作られる。

対人能力が低く、学校やさらに会社で徐々に卑屈な立場に追いやられて病んでしまった私にとって、ドラえもんが未来から来てのび太を立派な人格に変えようとする設定は、ドラえもんの道具が科学では絶対不可能なオカルトであることも手伝って非常に病的で後ろ向きなことに思える。F先生のSF短篇は奇抜な設定が多く世評が高いが、ドラえもんと同じ男3人女1人の設定が多かったり、人間を理解したくないというニヒリズムが漂って私は嫌いだ。↑のドラえもんを威圧する「絶対的な悪」。ロボットが悔し泣きするというのも気持ち悪いが、人類を害する外敵って、人が脳内で作り出した、人類に依存した存在で、本当に悪くて残酷なのは人が人のあいだで相対的にそうなるのである。このドラえもんのエピソードはたかや健二さんがおもに描いたそうだ。たかやさんはF先生とほぼ同じ61歳で亡くなった。私にとってドラえもんやヤマトやガンダムは、戦争責任を曖昧にして米国の傘下に入り、自助努力・男尊女卑の軍国主義をそのまま復興・高度成長・バブルに転用した日本の昭和のカリカチュアのように思えるのである。




しんかい(山川賢一)ぼっと@彼女公認 @shinkaibot99 8月3日
オタクがもてないとされるのはもしかして、趣味で人とつながる人種であり、そして男女の趣味は往々にして重ならないからではという新仮説を思いついた。

Japanese Owl @KF0612 8月3日
Uber配達員、ADHDの人が結構居る。職場でいじめにあって辞めて始めた人も居たりするしな。 そしてなぜか維新支持者だったり、NHKをぶっ壊せ支持者だったり…。

つりゅ/しょごうき @shogouki 8月6日
アイカツ、軽い気持ちで6話まで見て欲しい。そしたら気付いたら50話に到達してるので。大丈夫、みんなやってるから。すごく楽しい気持ちになれるよ。安心して。あなたの為を思って言ってるの。
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悪い遊びのロビイスト #1

2020-08-02 18:51:45 | マンガ
このブログでは小林まことさんの自伝的な『青春少年マガジン1978~1983』をたびたび引用してきたけれども私は彼のほかの漫画をほとんど読んでいない。「巧い」とは思うが嫌いな作風といえる。そしていまの少年・青年漫画界は彼の作風に近いかは別として私にとってまったく楽しめない、手にとる気の起らない漫画にあふれている。

インタビューの名手として知られる吉田豪さんが小林さんをはじめ、ちばてつやさん・平松伸二さん・弘兼憲史さんら漫画界の主流となっているエンタメの作風、また一峰大二さん・日野日出志さんらエンタメではあるが一種異様な執念を感じさせる作風の漫画家諸氏に取材したインタビュー集『レジェンド漫画家列伝』を読むと、青春少年マガジンと併せてさまざまな材料により漫画界の栄枯盛衰が浮き彫りに。

彼らを一言でいうと不良少年・遊び人。新しい遊びのルールを考案し、一緒に遊びたい・仲間に加わりたいと多くの雑誌読者に思わせた者が勝ち残る。小林さんは雑誌の締切に間に合わず何度も掲載を落すなど実地の制作には苦しんだが、漫画の内容で苦しんだことはないという。『ホワッツマイケル』も『柔道部物語』も当てにいったのではなく自然に、または偶発的に生まれた。マガジンのアンケート1位を独走した『1・2の三四郎』が終って25歳のころ漫画を引退してバンドで売れようと考えたこともあったという。新人仲間の小野新二さん・大和田夏希さんとはよく連れ立って遊んだが、2人とも漫画を仕事としてより真剣に捉える分、小野さんは体を壊し、大和田さんは心を病んで早世してしまった。小林さんは柔道をやっていて身体頑健なこと、酒が飲めない体質なこと、そして何より遊びの延長としてガキ大将タイプの本能的な漫画家であることこそ巨匠の位置まで生き残った要因と申せましょう。




912 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 99c7-PQZg) 2020/08/01(土) 02:09:36 >>923>>954
>>888
イベント無いと爆発的に売れないってのは
結局コミケなりのあの現場の異様な空気というか、大して興味ない本まで何故か金出して買ってしまう
購買感覚の麻痺を利用して売り捌いてるだけなのかなと最近思ってるわ

オレも経験あるけどコミケ例だと夏は酷暑冬は極寒でオタクの平常思考を入場前から半ば破壊して
いざブースの前に立ってみればここで買っておかないと永遠に手に入らないぞ再販多分しないぞ通販分もないぞと売り子から圧力掛けられて(再販や通販の問い合わせを意図的にスルーすることで購入側を疑心暗鬼にさせる悪質なサークルも多々)
いつの間にか自分の後ろには待ち人で行列形成されて周囲では諭吉が飛び交い最早勢いだけで購入完了いっちょ上がりと

結局こんなもんは売れっ子ホストにシャンパンタワーで貢ぐまんさんと何が違うのって話ですよ
そらコミケ潰れたらその雰囲気のアドバンテージもなくなるから売上減るわ

983 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 216e-HZFr) 2020/08/01(土) 04:17:31 >>989>>991>>992>>995>>998
なんか本当に日本が終わってく感じがするわ
コロナのせいなのはもちろんだけど
不況少子化消費税電子化
オタクの細分化イナゴ化ライト化
ソシャゲの課金マウント
エロを全面に出したイラスト
みんなで一瞬だけ騒げればいいって消費文化
ほんとに貧しくなった
ワクワクするものが全くない



パタリロ!の魔夜峰央さんと島耕作シリーズの弘兼憲史さんはやや趣が異なる。パタリロと、その少し前に彼が怪奇からギャグに転向したラシャーヌをほぼ同時代に読んでいて、ユーモアのない自己愛タイプの人だなと感じた記憶があるが魔夜さんはそもそも人間にあまり興味がない。なのでパタリロ中の泣かせのエピソードも図式的な。ご本人は同性愛の気はなく、読者のなかにパタリロで特殊な性癖に目覚めた人がいるなんてことにも責任を感じていない様子。

弘兼さんはもっとビジネスライク。読者にとっては娯楽だが、作者にはビジネスなので、登場人物を駒としてドラマの脚本を書くように漫画を作る。彼のアシスタントから何人かプロとして成功しているが作風を真似た人はいない。参考になるのは職業意識のみで遊びとしては無価値なので。

レジェンド漫画家列伝は漫画家インタビュー企画の第2弾とのことで、先に出ていた『吉田豪の巨匠ハンター』も入手。より60~70年代のTVアニメに寄せた顔ぶれで、小学生当時の吉田さんが『無敵超人ザンボット3』と『伝説巨神イデオン』に人生を変えられたとまでいうその富野由悠季(よしゆき)氏が巻頭に。独善老人。アニメ界のさだまさし。TV番組としての制約の下でさまざまな衝突や妥協があった様子。『海のトリトン』がそれまでのアニメ番組と異なるファン結集の呼び水となり、この場合は「家族愛に飢えた女子」が多く、続くガンダムなどではさらに大人になっても子ども向けアニメをみているような「オタク」と呼ばれることになる男子を大量生産。ご本人も忸怩たる思いのようだ。この2つのインタビュー集はさまざまな記憶を呼び覚ます。次回は『ドラえもん』とコロコロコミック、小学館の学年誌について考察します。
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現世利益

2020-06-15 19:11:41 | マンガ
悪魔メフィストフェレスに魂を売る代わりこの世のすべての快楽と悲哀を味わう契約をするファウスト博士の話。手塚治虫さんと水木しげるさんがそれぞれ脚色したり独自に発展させたりして漫画化しているが、手塚さんが「仕事をさせてくれ」とうわごとをいいながら60歳で亡くなり、かたや水木さんは戦争で片腕になりながらも93歳まで生きたこと、あるいは『ナニワ金融道』で遅咲きの成功を果たした青木雄二さんがご本人は水で薄めた本や講演に移行しマンガはアシスタント筋に継がせていたものの肺がんの病床では「唯物論ゆえ死は恐くありません」と言い切りつつ「ワシいま無性にマンガが描きたいんや」。

人生の限られた時間。夢。生きがい。仕事。目標。遊び。たびたび触れる私の同い年の従弟は父子で在特会・桜井の応援に行くようなネトウヨだけれども、内装業を営んで消防団にも属し3人の子どもを成人させた。彼の家系の女たちはほとんど何らか仏教系の宗教活動をしているが信仰よりはサークル活動のような社交要素が強い様子。人は何かにすがって思考停止することで生命を謳歌できる生きものなのかも…。


 

山本 山本 @yamagemoto 6月13日
自分がお金を払いたくないものとその理由

酒田弘前 @ikasorihatakas 6月14日
アメリカに長期滞在したとき現地日本人の方に「アメリカのスーパーにはPOPが殆ど無いですが、なぜですか?」と質問をしたら「1年間同じ朝食という人たちが一定数いる」「3代前からシリアルは同じものなんてザラ」「彼らは売り場で迷わない」などの衝撃的な理由だった。。同じもので平気なのね。

三兎群青 @azurite_mito 6月14日
Twitterで漫画がバズる理由、ラノベのタイトルがやたらと長い理由、ユーチューブの動画サムネがカラフルな文字まみれな理由、ぜんぶ同じ。「わかりやすい」から。逆に言えばこの国の人々は「わかりやすいもの」しか評価できなくなっているから。「わかりにくいもの」に向き合う余裕がないから

Ryota IINO 飯野亮太 @ryotaiino 1月28日
知り合いの方が最近、某国立大の教授に着任され、助教を公募したのだが応募がゼロだったという話を聞いた。いくつかの分野では若手が消滅しつつある。状況はかなり深刻であると思う。



おぎやはぎが深夜ラジオで事務所の先輩芸人であるアンジャッシュ渡部さんの不祥事について語ったとのことで、断片的にネットに流れてはいたが、元はその番組を毎週聞いていたのでひさびさに聞いてみると、そうとう掘り下げた話しぶりで、またゲストにケンコバさんを迎えた妄想企画にもうまくつなげて印象的であった。

渡部さんが本当に面白いのはナンパの時だという。後輩からナンパを頼まれると、みてろよとばかり応じ、自転車に乗っていたとすると、まずそれをきっかけに笑いを取り、爆笑に継ぐ爆笑。スケコマシが本性で、お笑いはその手段。そこを見込んで彼を熱心に誘ってコンビで芸能界入りした大島さんこそ悪魔を召喚した張本人かも…。

児嶋だよっっ‼️ 私にとっては生き残るため広告的な無難なキャラを演じ、それで余計に裏の顔が悪徳寄りになって破滅?した渡部さんより、親しみのあるイジられキャラの児嶋さんにリアルな人間味を感じて好きだったんですが。彼の芸は周囲に協力してもらわなければ成立しない。牛・豚・鶏肉の区別が付かないとか設楽さん矢作さんが服を買った店で同じものを買うとかのエピソードも周りがおもしろおかしく。麻雀はプロ資格の持ち主だという。

麻雀というのも司法の劣化を象徴する黒川氏の事案で話題になったが、大学生的な遊びですよね。徹夜・金を賭ける・合間の喫煙や飲食。あえて悪いことをする、対人の摩擦・軋轢のストレスそのものをゲーム化して楽しむような。ヴェブレンの『有閑階級の理論』でも、裕福な家庭の者が非生産的な遊びを「男の武勇」のように誇示する「衒示的消費」なるキーワードが。

↑の「お金を払いたくないもの」っていうツイートも、本当は若いんだからかっこよくなりたい、異性にモテたい、遊びたいのにお金がなかったり社交的でなかったりで果たせず、裕福な陽キャたちへのヘイトを募らせつつ人生に絶望してしまう様子が物悲しい。福澤諭吉的な自助努力の精神で中流階級が増大した国民国家の時代が完全に終り、いまは電通傘下の多数の中抜き法人=そのすべてに天下りだの愛人だの愛人が経営する水商売だのがぶら下がる=に象徴されるような無責任な大きな政府がのさばって既得権死守するいっぽう女・若者・非正規・外国人労働者などマイノリティは家賃や学費や消費税やバカホに縛られたまま自己責任ということで見殺しにされる、呼び出した悪魔が既に勝利して魂を集め終えてしまった後の世の中なのである—👿
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主婦という運命

2020-06-11 18:23:53 | マンガ
萩尾望都さんの代表作の一つであるSF中篇「11人いる!」は普通の判型のコミックスになったことがなく、雑誌掲載の約1年後の1976年7月に漫画の文庫化の走りであった小学館文庫に中短篇集『11人いる!』として加わる。私が初めて買った彼女の本であり、その後やや大きい作品集版に買い替えていたが、文庫で読み返したくなって『精霊狩り』と共に入手。

タイトル作以外の短篇は「ユニコーンの夢」「6月の声」「10月の少女たち」となっており、初めて読んだ中学のときはそれらの(タイトル作と趣きの異なる)フェミニンさに戸惑った記憶があるのだが、いまにして4つの収録作すべて恋愛結婚という共通のテーマが描かれていることに気づく。

最も最初と違う違和感を覚えた「6月の声」。両親を宇宙で失った少年ルセルは、美しい従姉エディリーヌが太陽系外惑星移民ロケット2万人の乗組員に志願し選ばれたと知り驚く。彼女の婚約者ロードはこのロケットの設計者でエディリーヌ号と名付けたのだが、ロード自身は乗り組まない。2万人は冬眠を繰り返しながら船内で結婚出産し、何百何千年とかけて彼らの子孫が人の住める惑星にたどり着く計画なのだ。実はエディリーヌの心は既にロードから離れて海洋学者アロウに移っており、アロウが海で事故死したためその遺志を継いで船に乗り組むのだという。

「11人いる!」のフロル、あるいは「10月の少女たち」のフライシーとは異なる、単なる恋愛結婚といえない苦さがある。エディリーヌの心はロードに戻らず、彼女を置いて宇宙へ旅立つ筈だったアロウの代わりに船に乗り、船内で誰かと結婚して2度と地球へは戻らないし、その子孫がどこかの星へ着くとしても登場人物が全員死んでしまっている遠い未来のことである。




小雪 @Syousetsu_K 6月2日
AppleMusic、急にForYouや見つけるの項目が全部ブラックミュージックのチャンネルになってしまった……

い、いや、黒人差別に声を上げる姿勢は大事だと思うんですけど、金を払ってるサービスでこういうことされるとな……

せめて最初だけ表示してもいいから、任意でいつものサービス使わせてくれ……

ビニールタッキー @vinyl_tackey 6月3日
「ブラックミュージックは素晴らしいから黒人差別はいけない」という考え方は『ゲット・アウト』に登場するクソどもと同じ考え方ですよ。素晴らしかろうが素晴らしくなかろうが差別はいけない。



田亀源五郎 @tagagen 6月11日
ちょうど10年前に、自分が『風と共に去りぬ』を久々に再見したときの感想。

 @porororocca 6月3日
高校で一番喋った女子に卒業の日「写真撮ろうよ〜もう一生会わないんだよ?」って言われたのきつくなってきた





フライシーはまだ学生の身で、パフェに行ったり服を選んだり「夢と砂糖菓子の少女時代にさよなら」して「四六時中あの人のこと考える」結婚生活を受け入れる。「11人いる!」のフロルはもっと直接的。両性具有の星でどちらでも選べるが一夫多妻が制度化され、親から隣の領主の9番目の妻にされそうに。(宇宙)大学に受かったら男になれるが、受験で運命を共にしたタダとなら「女になってもいい」。また別の本に入っている原作付き「マリーン」では貴族同士の婚約者と船上テニスで対戦した貧しい生い立ちの男に「初めて恋を知り」、結果全員が不幸になる後味の悪い…。

70年代の日本の女にとって、結婚とは家制度に縛られて低い身分に置かれ、主体的に生きる人生を諦めねばならない決断であった。しかし高度成長がピークに達し、「3食昼寝付き」「家つきカーつきババぬき」の欺瞞的な家庭の幸福が望まれ、大多数の女がそれに従う時代でもあった。この本の収録作をはじめ、萩尾さんの初期の漫画はそんな現実をせいいっぱい少女のロマン=恋愛では男女対等だったり女が主導権を握って男を振り回したりする=と折り合わせようと試みた結果ではないか。

奴隷貿易・戦争・共産革命・フォーディズム・バブル経済・IT革命…。常に成長を求める資本主義が限界に達し、インフラや工場などを資本としてきたのが、人間そのものを囲い込んで資本すなわち利回りであるという時代に。アップルは自分たちが主人であると誇示するため「予告なく急にポータルを黒人音楽で埋め尽くす」。また黒人音楽をそのように使うこと自体「音楽を生み出せるような黒人なら素晴らしい」のように能力によって差別する含みがある。工場を持たず、宗教的なブランド価値で莫大な収益を得る。アマゾンやグーグルはまた違うやり方だが客そのものを資本化しているのは同じだ。

「6月の声」に違和感を覚えたのは、単に「太陽系外への移民」がいまでは荒唐無稽、人は地球を離れては長く生きられないことがはっきりしたためだけでなく、人は一時的な恋愛の満足=チヤホヤと言い換えてもいい=さえ与えれば、宗教やイデオロギーなど観念の下僕となって資本主義の交換可能な部品を志願してしまう悪夢のSFに変貌してしまったからです (◞‸◟ )
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娯楽の記号

2018-09-21 19:07:16 | マンガ
いま読んでいるビッグデータの本の著者は米国の数学者で、金融工学・リスク分析・eコマースを専門とする。金融とハイテクに象徴される、米国の資本主義の最先端にいる人物なのだが、AI・ビッグデータは人間を幸せにしないという見地で綴られている。いかに膨大なデータであろうと、いま現在の鏡に過ぎず、データに将来を創造する力はない。消費履歴や行動範囲・交友関係などが蓄積されても、一人一人の顔やポテンシャルは分らない。1円でも多く儲けたい、できれば税金も払いたくない企業としては、金持ちには高級リゾートや生涯学習や金融商品を、貧乏人にはジャンクフードやギャンブルや高利貸しを紹介する。格差はますます開き、医療費など社会保障は膨れ上がる。

本の中では、大学の格付け、就職活動、クレジットスコア(クレヒス)、ソーシャルメディアを通じたフェイクニュースの拡散などにより、人間が数値として仕分けされ、ハイテク企業や既存の富裕層の肥やしとなる様子がこれでもかと描かれる—




前回の読書メーターまとめ記事の中で高橋留美子さんの初期短篇集を扱ったのですが、彼女のギャグ短篇が意外なほど面白くなかった理由として、同じ時代には先鋭的に映っても、基本保守的な娯楽なので、うる星やつらのような強力なキャラがいないことから保守性・凡庸さだけが際立ってしまう。

地球侵略を賭けた鬼ごっこの相手として諸星あたるを指名し、負けたけど「結婚してやるっちゃ」と言って押しかけ女房となるラムちゃんの引きはものすごいものがある。あたるもまた、好色・乱倫・無責任を絵に描いたようなキャラで、うるせいやつらというタイトルどおり、彼とラムちゃんを中心にもののけや宇宙人などさまざまなキャラが集まってくる様子は爆発的な面白さだ。




高校の級友で、いまも親交のある釘宮くんが『麻雀放浪記』の文庫本を学校で読んでいて、当時はヘェ~としか思わなかったが、阿佐田哲也(色川武大)さんといえばひとかどの人物ですから、懐かしさもあって入手してみると、やはり読ませますね。ギャンブルのイロハが分らなくても引き込まれる。

最初はチンチロリンのサイコロ賭博だ。偶然性が支配する。主人公はもっと複雑なルールで、読みや駆け引きなど技量を磨きたいと麻雀の道へ。背景として敗戦直後のため、国土は焼け、軍人や政治家の名誉は地に堕ち、ハイパーインフレや闇市など、政府や警察の統制がなくなったなかバクチといえど腕一本で生きてやるというアナーキーな自由さがある。イカサマや暴力沙汰も避けられないが、何が起っても本当の自己責任だ。

画家フランシス・ベーコンが、決まりきった日常より何が起るか分らないギャンブルの偶然性こそ本当の贅沢だということを言っていたのも、これに近い人生観だといえよう。最初の命題「ビッグデータは人を幸せにしない」に戻ります。諸星あたるには不都合なことも起る。「アホかいっ!」と突っ込んでくれる人がいる。イケメン(レイ)や金持ち(面堂)より庶民のあたるが選ばれたというロマンもある。ソシャゲーは虚無である。記号でしかない。


Go @Go_8yo 9月20日
お前たちは成長した担当アイドルに訴訟を起こされる運命なんだよ

訴訟は起されないと思うが、ソシャゲーがあなたをチヤホヤしてくれるのは、企業がユーザーの時間とお金を奪って儲けに換えるためだ。そんな時間が贅沢な筈がない。生きながら、AI・ビッグデータに葬られ—


先頭画像:田村信「ゴエモンろっく」1977
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下がるゥ~~(;^ω^)

2018-04-13 18:02:13 | マンガ
4月12日 15:46
野崎さんこんにちは。今日構図の本が届きました。ありがとうございます。

お手紙を読みましたが、まだいまいち納得できずにいます。
具体的にどこのページをどのように変えればよいのでしょうか?現状が僕の実力です。漫画に不慣れで描いてもろくに完成させたことがないド素人の限界だと思います。ここから更に独自性、個性を出すには経験も実力も足らない人間なのです。編集者としてたくさんの漫画に触れてきた野崎さんから見て、この漫画はどこをどのように変えたら野崎さんの望むような漫画に生まれ変わることができるのでしょうか。

あと一度お伺いしたいのですが、アナログ時代の僕のどの絵が個性的、魅力的だと思われたのでしょうか?
正直アナログ時代の自分の絵は個性とは無縁のようなモノばかりで統一性もないデッサンもできてない素人の落書きでしかないと自負しています。それでも野崎さんに他にはないものとして見てもらえた絵、アイディアの話があるのならそれが何なのか知りたいです。

また描線は経験で学んでいくしかないですが、構成はどう変えればよいのでしょうか。
この漫画は男の娘が女装オナニーを配信するという題材で愛情に飢えた少年が愛情を求めてより歪んでいくという話になりましたがどこを変えればいいものになるのでしょうか。
少年の女装前を明るく描きたかったので母親との良好な関係+以前とは違う様子であることの説明の1pでしたが、母親の態度を悪くさせて少年の孤独感、すさんだ現状の説明に変える…などですかね?あとはどのように変えればよいのでしょうか?

話そのものを変えるというのであれば
1、美少女になりたい爺さんとその爺さんにショタに変えられてしまった男。ロリとショタで子供同士でのTSFモノ。
2、男湯に潜入した男の娘。筋骨隆々な男たちを盗撮してホモに売りさばいて大金持ちになるぞ!→バレてお仕置きされました。
以降の作品にどうだろうかと思い付いたネタですがこういうのはありですか?



4月12日 19:03
★★☆☆さまこんにちは。まず、このところご体調が芳しくないにもかかわらず、力作漫画に対しネガティブな感想を送ってしまい、お詫びします。何といっても健康第一ですから、少し練習や執筆を休んででも、回復されるようになさってください。

中村うさぎという作家がいて、借金グセ・買い物依存・整形依存など業の深い女性なのですが、ホスト狂いだった頃、好きで指名していたホストにお金を積んでセックスしてもらったところ、相手はギュッと目をつむって、他の女のことを考えて勃起を維持している様子で、砂を噛むような思いを味わったということを書いていたのが印象に残っています。

大金を積んで、宝石を石に換える。お互いに消耗する。いまの、凌辱であるとか乱交であるとかNTRであるとか、売れ筋のエロ漫画もほぼこの方向だと思います。女を物のように扱い、価値をおとしめる。ショタ・男の娘でも、商業の男の娘アンソロなど見てみると、援交ものばかりで辟易します。援交のつもりでやり逃げされ、物語の外では、少女や男の娘は自殺してしまうかも。私は抜くどころではありません。

女装は「心の闇」の表れで、人から欲望されると、より歪んでいくという認識を改められないでしょうか。自分を解放するための女装もあると思います。★★さんのネタ絵の貴重な個性として、かわいい男の娘と見せかけて、竿役に豹変してバックからガンガン~的なものが近作にもありますね。今回の漫画を、いきなりそちらへ方向転換するのも厳しいかとは思いますが、暗さ・閉塞感・心理の説明などは少しでも減らす方向で改めていただければ幸いです。ご健闘を祈ります。くれぐれも健康第一で のざき
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