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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

2008-03-24 23:14:07 | 映画(映画館)
@テアトル新宿、若松孝二監督。
1972年2月、日本中がTVに釘付けとなった…。
5人の若者たちが、長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、警察との銃撃戦を展開したのだ。
彼らは、革命に自分たちのすべてを賭けた「連合赤軍」の兵士たち。
その後、彼らの陰惨な同志殺しが次々と明らかになり、日本の左翼運動は完全に失速する…。
ベトナム戦争、パリの5月革命、文化大革命、日米安保反対闘争、世界がうねりを上げていた1960年代。学費値上げ反対運動に端を発した日本の学生運動も、成田空港反対闘争など農民や労働者とともに社会変革を目指し、勢いを増していった。
活動家の逮捕が相次ぐ中、先鋭化した若者たちによって連合赤軍は結成される。あの時代に何が起きていたのか。革命戦士を志した若者たちは、なぜあそこまで追いつめられていったのか。なぜ、同志に手をかけたのか。なぜ、雪山を超えたのか。なぜ、山荘で銃撃戦を繰り広げたのか。
「あさま山荘」へといたる激動の時代を、若松孝二が自ら出資して監督を務め、渾身の力で描き出す!
キャスト~森恒夫:地曵豪、永田洋子:並木愛枝、坂口弘:ARATA、遠山美枝子:坂井真紀。音楽:ジム・オルーク。



「人間の共産主義化」が足りない!と仲間を糾弾し、自己批判させて最後には殺してしまう…「総括」という行為。
永田洋子が遠山美枝子を問い詰める。
「どうして山に来て化粧する必要があるの!髪を伸ばしてるの!どうして月2回メナード・フェイシャル・サロンに通う必要があるの!自分をみがいて中古車みたいに査定してもらうつもりなの?」
すみません。後の2つは「オラの中の永田洋子」が言わせたの。許ちてね。
いるよ確かに、オラの中に永田洋子死刑囚が。
旧友のM原くんがオラに指摘した「対岸から社会や世間を実体あるもののように語る」傾向。働いておらず、人と交わることの少ない孤独な生活の中で政治権力や広告文明の圧迫に抵抗してるつもりのオラ。
学生運動から出発し、だんだんと社会の潮流と遊離して、銃で武装して山中でキャンプ生活をしながら「革命」を唱える若者たち。
3時間におよぶ上映時間で、始めのうちニュース映像も交えながら学生運動・左翼運動の流れがじっくり解説される。彼らがキャンプにこもってからは、ニュース映像のような外の目線はなくなり、革命の理想を追い求める彼らが閉鎖的な集団のあるいは個人の資質による病理にむしばまれていくさまがひたすら描かれ、最後のあさま山荘のシーンでは視聴率89%に達したという有名な鉄球とか親の投降説得アナウンスとかもすべて山荘内側からの視点に立っている。
当時小学1年生であったオラよりも、1944年生まれで森、永田らとほぼ同世代の船戸与一はこう書く…「わたしは政治的な運動体や組織にいっさい関わらなかったが、それでも急激な時代の変質を肌で感じざるをえなかった、弔鐘の響きのなかでがらがらと音を立てながら変わりゆくあれやこれやを。いまにして想えば、あのとき精神よりも物質が、苦悩よりも安逸が、試行よりも効率が主流となる分岐点にだれもが立たされていたのである」。
そしていまや雨宮処凛は、自傷系サイトの若者たちの集まりで彼らが「総括」「自己批判」する姿を見てこう書く…「1972年を境に、この国の若者から“革命”は奪われた。革命の起こらなかった世界に生れ落ち、かろうじて心臓の止まっていない程度の生を生きる若者たちは“世界”に対して目をふさがれた。“死んでもいいほどの高揚感”や“命を賭けるに価する何か”は遠い過去のものとなった。本当は、いつの時代の若者も命の使い道に餓えている。“絶対に、何をどうしてもどうやっても変わらない世界”ほど、私たちを絶望させるものがあるだろうか」。
希望してこの映画の厳しい現場に臨んだ俳優たちは、あの時代の人間の生命エネルギーのみなぎりを伝えている。唯一の「TVで有名な顔」である坂井真紀が総括されてむごたらしい死に方をするのが象徴的でもあるが、それ以上にTVの生中継で革命運動の挫折が人々に刷り込まれたことって現在にいたるまでものすごい影響力なのではないだろうか。
似てる似てると言われるオウム真理教事件とは、若松監督も言ってるけど出発点に決定的な違いあるような。
でもオウムの邪悪な教祖も、民主的な選挙で支持されようとしてたときがあったよなあ。♪しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー・な・か・が・わ・しょーこー…

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旧作探訪#16『アラバマ物語』

2008-03-06 21:57:14 | 映画(レンタルその他)
To Kill a Mockingbird@NHK-BS2、ロバート・マリガン監督(1962年アメリカ)
物語は田舎町の弁護士を父に持つ小学生の兄妹の妹スカウト(メアリー・バダム)の視点から語られる。
スカウトや兄ジェム(フィリップ・アルフォート)は隣家に頭のおかしい「BOO」と呼ばれる息子がいて地下室に幽閉されているという噂を聞きつけ、ほんとうかどうか探ろうとして危険な目に遭ったりすることもある好奇心いっぱいの年頃。
二人の父であるアティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は義に篤い人柄から町の人たちの信頼を集めていたが、レイプの罪で告訴された黒人青年の弁護を担当することになったため、差別感情が根強く残る町でフィンチの行為を敵視し危害を加えようとする者も現れる…。

それまでに4回、アカデミー主演男優賞にノミネートされながら受賞できず、大根役者よばわりされることもあったというグレゴリー・ペックが5回目にして初受賞。またこのアティカス・フィンチ役はそれにとどまらず、2003年に全米映画協会が選んだ「アメリカ映画の偉大なヒーロー」の堂々第1位に。
人種のるつぼで競争を勝ち抜いたアメリカン・ドリームの体現者、というよりはリベラルな弁護士で頼りがいのある優しい父親、が選ばれたのは現実には殺伐とした弱肉強食の論理がまかりとおる社会になりつつあることの裏返しでしょか。
レイプ裁判をめぐる大人たちの姿が、小さな子ども(兄が小4くらい?妹が入学したばかり)の目によってあぶり出されるという描き方が秀逸。そして、陪審制による裁判のゆくえは、必ずしもフィンチの訴える理想のとおりに進んでゆくわけではない。
そんな本筋の苦い展開に対して一筋の希望の光を差し込んでくれるのが、隣家の「BOO RADLEY」にまつわる幻想的なエピソード。あんまし実体験してるからといってえらそげに語りたくないが、精神障害者に対する健常者の偏見・差別ってのはどえらいもんでっせ。
そんななか、世を捨ててひっそり生きるBOOの、成長していく子どもたちへの静かなメッセージに心救われる思い。ここに想を得たのか90年代イギリスにBOO RADLEYSと名乗るバンドもいたっけか。
オラにもBOO RADLEYとして成長を見守っている、母方のイトコの子どもたちがあります。先日の『洗礼』は小さい頃そのイトコの姉ぇーちゃんの部屋で見かけたのが最初でしたが、再読を終えてその姉ぇーちゃん家へ送りつけたところ寝しなに読んで「レクター博士を思い出して怖かった!」そうな。
先の全米映画協会の選定は「英雄と悪漢」という企画だそうで、悪漢部門の第1位にはアンソニー・ホプキンスによる御存知!身の毛もよだつ『羊たちの沈黙』のレクター博士が。


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旧作探訪#15『刑事ジョン・ブック 目撃者』

2008-03-01 23:37:50 | 映画(レンタルその他)

Witness@レンタル、ピーター・ウィアー監督(1985年アメリカ)
暴力は銃で制す。男はそう思っていた。しかしある事件を通じ、暴力にはまったく無抵抗、あたかも風にそよぐ稲のようにしなやかに生きている人々に出会った…。
刑事殺害事件を縦糸に、ジョン・ブックとレイチェルの出逢いと愛情を横糸に、アーミッシュ(ペンシルバニア州などで現在でも18世紀当時の生活様式で暮らしているキリスト信徒)社会という特殊な世界を背景に織りあげたロマンチック・サスペンスの傑作。
事件はフィラデルフィア駅構内で起きた。麻薬課の刑事が何者かに殺されたのだ。目撃者はアーミッシュの8歳の少年サミュエル(ルーカス・ハース)。担当刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)はサミュエルを証人として捜査にあたるが、犯人は意外な人物。なんとブックの上司シェイファーが黒幕で、警察内部の腐敗による組織的な犯行だったのだ。逆に一味から命を狙われてしまい、傷ついたブックはサミュエルとその母親レイチェル(ケリー・マクギリス)が住むアーミッシュの村に身を隠した。レイチェルはブックを親身になって看病し、回復したブックはアーミッシュの村の機械文明を拒む素朴な暮らしに触れ、やがて二人の間には愛情が通ってくるのだが、村のおきてはそれを望まない。
そしてさらにジョン・ブックと目撃者サミュエルの口を封じようと、3人の男がペンシルバニアの夜明けの静寂を破ってやってくる…。

オールド・スクールなアクション映画であり、『チョコレート』のような異文化間の恋愛映画であり、そしてまた社会派ドキュメンタリーとしての意義も兼ね備える。
公開当時に見てもドキュメンタリー要素からいろいろ考えさせられることはなかったかも。待った甲斐あり。
ここに描かれるアーミッシュの生活は、電気や自動車を拒み、建築作業や農作業は全員で力を合わせ、教会で神に祈ることをなによりも大切にするが、特に狂信的な宗教集団というわけではない。アルプスの少女ハイジ風?もともとはスイスのドイツ語圏から渡ってきた移民なのだとか。
牛の乳しぼりも農作業も土木作業もすべて自分の手で行い、手に負えない、コントロールできないようなことは生活に取り入れない。
現代社会のわれわれは、テレビ、自動車、ケータイ、パソコン、自分の手では修理ひとつ満足にできないものに囲まれて暮らしてるじゃないですか。
オラの母親はビデオの録画予約もできなかったがミシンや編み機を操作して洋裁をすることができた。父親はパソコンなど触ったこともないが印刷の職工で園芸や日曜大工も器用にこなした。もはや永遠にそれらを受け継ぐこともできず、どうしてつながるのかさっぱりわからないインターネットに依存して生きるオラは、どう考えても進化ではなく退化している。
オラほど無能でなくとも世の中全体もそうした方向に進み、またそのスピードも加速するいっぽう。国家が巨大化すればアーミッシュのような原始共産・直接民主のやりかたを続けることはできない。それにしても機械文明や高度資本主義社会の行く末やいかに。誰もやりたがらない精肉工場の過酷な仕事を、弱い立場の不法移民に低賃金で押しつけ、あまつさえ「家が持てますよ」と甘い夢を見させて高金利の借金の奴隷に仕立てる。
「食の安全性」も「サブプライム問題」も、現代世界全体が、あまりにも多すぎるさまざまな要素を積んでよろよろ進む車のようなもので、もはや誰も制御できない。
今年、直接民主制では世界でもっとも影響力のあるアメリカ大統領選挙が行われるじゃないですか。「公的な医療保険制度の創設」を訴えてたヒラリー・クリントンが負けそうな様子ですが、オバマとかマケインとかは医療保険についてはどうなのか。
公的な医療保険が導入されると、民間の保険会社のやつらはいろいろと不都合なことが起こるよなあ。
♪よ~く考えよ~~お金は大事だよ~~AFLAC・誰にとって大事なのか言ってみんさい。消費者金融が♪忘れないで~お金よりも~たいせつなものがある~と歌うにっぽんもなかなかタメ張ってる㌔な。


L刑事ジョン・ブック 目撃者 (英語/日本語字幕)

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