マガジンひとり

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巻き添え食ってたまるかよ

イトコの姉ぇーちゃんが死んじゃった

2009-09-22 23:20:03 | Weblog
従兄弟と書く。イトコ。兄弟や友人が多ければ、あんまし付き合わないかもしんない存在。あるいは子ども時代は行き来があっても、大人になったら顔を合わせるのは法事のときくらいとか。
我が家の特殊事情。故・父は養子。兄弟たちとは別の姓になっている。それもあってオラ子ども時代から母方の親戚との交流が多く、よく泊りに行ったりして仲良くしてもらった。大人になってしばらく疎遠にしていたが、母方のイトコたちの中でいちばん年長で姉御肌の、楽しい姉ぇーちゃんが結婚するときは式に出させてもらった。オラより年で6つ、学年で5つ上。姉御肌といっても和田アキ子みたく徒党を組んでえばったりしない、誰に対しても分け隔てなく優しいが、その本当の優しさが、オラの父と母が相次いで世を去ったとき、オラの心をどん底から助け上げてくれた。父も母も首吊り自殺。自分も薬物で自殺を図って、精神科に長期入院している。普通は誰だってそんなものと関わりたくない。その過程で父方の親戚は音信不通となっていったのだが、母方の親戚はみんな優しかった。
オラは兄弟がいない。親に死なれたら、本当のひとりぽっち。そんな境遇で手を差し伸べてくれ、葬儀のことや入院中のあれこれを面倒見てくれた伯父夫婦、そしてイトコの姉ぇーちゃん…。
退院して職場復帰したものの、1年半ほどでオラは仕事を辞めることにした。無職・独身・精神科入院歴。ますます関わりたくない。イトコたちにも小学校~高校の子どもたちがいる。オラみたいな境遇の者を迎え入れることに差しつかえないでしょか。それでも彼らは優しかった。オラも少しでも受け入れられようと、マンガ本や映画のビデオをせっせと送った。そんな中の1冊に、オラ感動して大泣きしたこうの史代さんの『夕凪の街・桜の国』がある。イトコのお子さんがたも回し読みして感動してくれたみたい。作中に中野区の哲学堂公園で桜が満開になっている様子が描かれる。彼らは哲学堂公園からもほど近い中野区内で育ったのだ。今もそこに住む長男、長男の上は二人とも女だったので、彼が職人の家業を継いだ。二人の姉は仲良しで、結婚後も同じ埼玉県入間市に家庭を築いた。無職になってからのオラも何度か泊りにお邪魔した。2回目のときだったか、オラ20代のころ録画して編集した『志村けんのだいじょうぶだぁ』傑作選ビデオを持参して、イトコ姉ぇーちゃん2人に旦那さん2人に子どもたち3人、そしてオラの計8人で見て腹かかえて大笑いしたもんだっけか…。人生が底に沈んで以降で、あの日がいちばん幸せだったなあ…。
上の姉ぇーちゃん、先に書いた5つ上の姉ぇーちゃんには1人の男の子がいて、ビデオを見たとき小4だった彼も今年は中2となった。母親である姉ぇーちゃんは今年で50歳。まだまだ若い。今年は下の姉ぇーちゃんの娘さんが大学受験で、来年は上の姉ぇーちゃんの息子さんが高校受験なので、しばらくお邪魔するのを控えようと思っていた。いずれ子どもたちが大人になったら、またゆっくりお笑いとかのビデオでも一緒に見ようと…。そんなところへ、降って湧いた悲報。
18日朝、姉ぇーちゃん二人が連れ立って、彼らにとっての伯母さんの告別式へ車で向かう途中、トイレのため立ち寄ったマクドナルド。上の姉ぇーちゃんが10分も15分もトイレから戻らない。下の姉ぇーちゃんが不審に思って店員さんと駆けつけると、個室内で姉ぇーちゃんが倒れ伏していた…。
救急車で運ばれたが、病院で医師が診察したときは発見時からすでに40分も経過しており、重篤なクモ膜下出血で、脳のダメージがひどくて、回復の見込みはなく手の施しようがないとのこと。機械につながれて死を待つ。
そして3日後の21日夕方、とうとう息を引き取ってしまった…。ご家族、ご兄弟の心痛は察するに余りある。心からご冥福をお祈りし、また残された旦那さんと息子さんが立派にやっていかれますよう陰ながらお祈りしたい。オラも、これから本当にさみしいよ…。そういえば臼井儀人さんも埼玉県在住で不慮の死を遂げられたのか…。
臼井さんはコサキン・リスナー。27年半も続いた同番組が終わるにあたってのイベントでも、臼井さんなら顔パスできるのに一般リスナーに交じってきちんと並んでたんだとか。有名人でもえらぶらないって、立派な姿ですよね…。それに引き替えオラなんてのは、18日に報せを受けて、19日に病院を訪ねて、粛々としていなければならないときにもブログ更新なんてしちゃって…。
亡くなった姉ぇーちゃんはネットとかでなく、実社会の交友関係がとっても広い。広いだけでなく誰に対しても細やかに接する。おそらく葬儀の参列者はたいへんな数に上る。それに比べたらブログの訪問者ちゃまなんてのはオラが死のうが生きようが直接に関係することのない、400とか500とか言われても雲をつかむような話。無職で友だちの少ないオラにとって自らの人間的魅力とはかけ離れた数字であることはわかっちゃいるが、こうなるとやめるにやめられない。麻薬みたいに。
厚顔ですよな…。臼井儀人さんとか姉ぇーちゃんとか、いい人が若くして世を去ってしまうのに対し、オラは、たぶん、長生きするのでわないかと…。
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瞬間風速

2009-09-17 21:53:37 | マンガ
絵やマンガで勃起するのに、人間に似せて精巧に作られたフィギュアでは勃起しない不思議。
絵やマンガは2次元で、情報量が少ない。なんらかの形で単純化しなければならない。人物を記号化・キャラクター化。それ自体が意味性を内在しており、われわれの心に触れてくるかもしれない。その方向づけには、作者がどのように設定するかということもあるし、見る者がどのように受け取るかということもある。連載マンガともなれば、さまざまな要因でキャラクターが変わってゆくこともありうる。
いかがでしょう。みなさん子どもの頃マンガを見て、この人物かわいい!とかかっこいい!とか思うのみならず、ドキドキして一挙手一投足が気になってしまったこととかないですか。オラねえ、そういう意味では少女マンガのほうがエロいんじゃないかと思ってました。少年マンガに出てくる、男にとって都合のいい女なんてのは、風俗嬢・AV女優みたいなもんで、本当の意味ではそれほどエロくないんじゃないか。少女マンガでは、作者も登場人物も、女が自らの意思でエロい。
『うる星やつら』が人気を集めて、ラムちゃんほか登場人物が無限にエロパロされ続けるのも、作者が女性ってことが関係してたんじゃないか。少女マンガなら読者も女子になるので、ラムちゃんのようなわかりやすいお色気はないが、女子たちが感情移入できるよう設定された人物が恋したり悩んだりする姿はいいものです。中でも、見ていて本当に心のざわめく瞬間があった。↑画像の英玲(はなぶされい)─『エースをねらえ!』。
主人公の岡ひろみより1年後輩。テニス部に入部した当時から実力あり、色白で縦ロールの美貌から、「お蝶夫人2世」と称される。ところが、お蝶夫人こと竜崎麗香はひろみより1年先輩で、ひろみだけでなくすべての女子テニス部員の憧れを集める女王的存在だったが、逆に英玲はひろみに憧れて熱視線を浴びせて、体育祭の日に「あなたのなにもかもが好き」と告白するのだ。こ、こ、これはエロい…。
瞬間風速では、『エースをねらえ!』の全登場人物、いやそれ以外のすべての少女マンガ少年マンガ合わせても、もっとも心うずかせる存在かもわからない。英玲。
でもね、彼女はその後、見せ場はだんだん少なくなってゆき、物語の中に埋没して平凡な存在になってしまう。なるほどこうした同性愛に近いような設定では、物語を発展させられなかったというのもわかるが、このマンガでは宝力冴子とか緑川蘭子とか他の女性キャラたちも初登場がもっとも魅力的でだんだん色褪せてゆく傾向にある。だいたい肝心の岡ひろみにしてから、宗方コーチや藤堂といった男性キャラへの依存が強くて、宗方が死んで虚脱状態だったのを禅僧の桂コーチの下で再起するという物語の後半では魅力が半減し、抹香くさい。
抹香くさいといえば、紅天女のくだりに入ってから延々と終わらない『ガラスの仮面』もそうなんですけどさ。先日44巻が発売され、全盛期より衰えたとわいえ、肝心の劇中劇がつまらないわりには楽しませる。そこには、紅天女役を北島マヤと競う姫川亜弓の言葉に鍵も見つかる↓。「あの子はね、森の中の底しれない深い沼のようなところがあるの。なにがひそんでいるかわからない神秘的な沼…。ときたま沼の底からキラッと光がみえるときがあって驚くの。だからもっと沼を覗いてみたくなる…」。
いつもの台詞なんですけどね。「才能はあの子(マヤ)が上よ」。血筋も美貌も才能もあるのに、平凡そうだが舞台上では人が変わる北島マヤを前にしては、いつも葛藤を抱き、それでもフェアに振る舞って最善をつくす姫川亜弓。読者にとっても、北島マヤがそれだけ神秘的に輝いて見えるような描かれ方をされているのはもちろんのこと。すでに絵柄も文法も古くなっているし、英玲や岡ひろみのようなヴィヴィッドな色気には欠けるが、物語を長期にわたって展開してゆけるような、自由度の高い巧みなキャラクター設定だったといえるのではないだろうか。
どう設定し、どう動かすのか。まるで神さまのように支配し、読者の心をつかむ長編マンガの作者さん。それはやはり、しこしこマンガ描いてるより、現実の人間を操作したくなってしまうかも。『エースをねらえ!』の山本鈴美香さんは新興宗教の教祖となり、『ガラスの仮面』の美内すずえさんも精神世界の研究団体を立ち上げてるんだとか。しかしあれですよ。両作品ともアニメ化・ドラマ化されたりもしたし、男性読者も少なくない。にもかかわらず、『ガラスの仮面』のエロパロ同人誌(男性向けの)ってお目にかかったことないなあ。『エースをねらえ!』のはいくつも見たことある。でも、英玲を描いた人は誰もいないんじゃなかろうか。こんなにかわいいのに。エロ向きの設定なのに。誰か描いておくれよ。画力の高いお方でしたら大金を払う用意があるよん。

コメント (4)
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旧作探訪#71 『ブレードランナー』

2009-09-13 23:10:17 | 映画(レンタルその他)
Blade Runner@VHSビデオ、リドリー・スコット監督(1982年アメリカ)
2019年、400階建ての超高層ビル群がそびえ立つ米ロサンジェルス。人類はすでに地球外へも基地を築いていたが、そこで使役するのに“レプリカント”と呼ばれる人間以上の体力と知力を持つアンドロイド(人造人間)を開発製造したのがタイレル社。彼らは感情を持たないが、やがて持ち始めるともされており、それを防ぐために寿命は4年に設定されている。そんな彼らはしばしば反乱を起こすので、地球に舞い戻った彼らを探し出して識別し抹殺するのが“ブレードランナー”と呼ばれる特殊な捜査官だ。
リック・デッカード(ハリソン・フォード)もその一人。彼はすでにその仕事を辞めていたが、ネクサス6型のレプリカントが4名、スペース・シャトルを乗っ取ってLA近辺に潜伏するという事件が起こったため、元上司のブライアントはブレードランナーとして能力の高いデッカードに白羽の矢を立てた。
強引にこの事件を引き受けさせられたデッカードは、ただちに製造元のタイレル社に赴く。社長のタイレル自身からネクサス6型レプリカントについて情報を仕入れるためである。タイレル社は700階建てのピラミッド型。オフィスには謎めいた美女(ショーン・ヤング)がレイチェルと名乗ってデッカードの気をそそった。タイレルは、調査に協力する前にレイチェルをテストしてみては?とデッカードに挑戦してきた。半信半疑で受けて立ったデッカードだったが、100以上の質問を重ねたあげく、ようやく確信を持つことができた。彼女もまた、新型のレプリカントだったのだ。
その間に事件のレプリカントたちは、混沌とした街の人込みの中に消えていた。リーダー格のロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)には、ある計画があった。しかし、名うてのデッカードもまた彼らを探し出して死闘を繰り広げ、1人ずつ始末してゆく。いよいよ最後に残されたバッティとの対決において、デッカードは彼らが地球に舞い戻った目的と、壮絶な運命を知ることになる…。
フィリップ・K・ディックの原作、シド・ミードの美術デザイン、ヴァンゲリスの音楽など、宇宙船を舞台とする単純なアクションものがSF映画の主流だった中にあって陰鬱な近未来を提示し、その後に一大潮流を巻き起こした金字塔。



慶應義塾の創立者は言った。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、身分の貴賎なく平等であると言われているが、人の世には賢い者も愚かな者も貧富の差もある。その次第は明らかである。学ぶと学ばざるによって差は生まれる。異人から侵略されたくないなら学問を積んで国を豊かにしなければならない。
いま慶應義塾で教える竹中平蔵は、政治家に働きかけて、やがて自ら政界に入って人材派遣を完全自由化させる道を開いた。そうしておいて人材派遣最大手の企業の会長に就任。いったい彼は創立者の理念を守っているといえるだろうか。福沢諭吉の言葉を注意深く読むと、実はその中にすでに竹中平蔵の萌芽を見ることができる。諭吉が国を豊かにすると言うのは、西洋列強への対抗上である。学ばない者は、食いものにされても仕方がない、支那のように侵略されても仕方がない、とまで考えているかもわからない。功利主義のうかがえる、ろくでもない学校といえよう。
神は人を平等に作ったはずだが、現実にそうでないのは学ぶ学ばないの向上心に違いがあるから。諭吉の言葉の含みとしてある「向上心」が、竹中では「上昇志向」に変わっているのだ。後者の場合には「他人を引きずり落としても」という含みがあり微妙に異なるが、論理巧者の竹中であればどうにでも言いくるめるでしょ。
しかし、諭吉の言葉を厳密に見れば「生まれついての不平等」を作ることが許されるのは神のみ、と捉えることも可能。神のみが許される。
最近の労働問題、親から子へ引き継がれて格差が固定化される貧困の問題を考えたとき、はたとこのSF映画の傑作に思い当たったわけです。
ブレードランナーのデッカードは、タイレル社の美女レイチェルが、改良されて精密に作られたレプリカントであることを見抜くが、彼女に惹かれ、情交を持つ。
不思議だ。このあたりも《デッカードも実はレプリカントだった説》に結びつくのかもしれないが、たとえどんな美女でも人造人間を相手に勃起するでしょうか。まあダッチワイフで自慰する人もいるけどねえ。オラ精密なフィギュアをいっぱい集めてきたじゃん。興味ある人は「フェミニン」のカテゴリーをさかのぼって、くだらない文章は無視して画像をご覧あれ。自慢ですが日本でも(=世界でも)屈指のコレクションよん。ですが、それらを見て一度だって勃起したことはない。半勃ちにさえならない。
マンガや絵で勃つことはひとまず措いて、フィギュアたちは人間に似せて作ってあるが人工物。無生物。レイチェルが美女でも、彼女には子ども時代がない。今ある形で製造された。もちろん生殖できない。
これはたいへん重要。性器を摩擦して気持ちよくなるというのは、子孫を残すことのためのご褒美として天から贈られた。子孫を残せないレプリカントたちというのは、そのあたりどのように設計されているのか。すべてタイレル社による。レプリカントの一人、女性型のプリスは兵士のための慰安用として「かわい娘ちゃん」仕様。



すべては人間の都合。人間にできないような過酷な労働をさせるため。それには「感情」は邪魔なので、持たないよう作ってあるが、タイレル社長の創造した彼らの脳は優秀で、やがてそれに似たものを宿す。4年間で終わる自らの運命を呪い、悲しみ、バッティはタイレル社長へ面会し、自分や愛するプリスの寿命を延ばせないのか問いただす。答える社長の言い草が、まるで竹中平蔵のように厚顔。彼らを何だと思っているのか。神でもないのに、生き物に似て生き物といえないものを作ってしまった責任。
生命が生まれた理由って何でしょうか。地球の初期の頃から引き継がれた遺伝子。遠い将来まで子々孫々。どうやら最近のバイオ・テクノロジーでは、ウイルスや原始的な微生物なら人工的に作れるようにもなってるとか。『復活の日』みたいなことにならなければいいが。ともあれバッティはタイレル社長の言葉を聞くと「生命工学の神がお出迎えだ…」と言って、彼らを開発製造した責任者を手にかける。ところがそんなバッティも、仲間をすべて殺したデッカードといよいよ邂逅、壮絶なファイトを繰り広げるものの、最後に自らの記憶をデッカードに伝えて、静かに目を閉じる…。子孫を残せない彼らも、生き物だった。何かを伝えたかった…。
4人のレプリカントの中で最初に殺されるゾラは、場末に潜伏して蛇つかいの芸を見せて稼ぐ。大蛇。本物か?と問うデッカードに彼女は、「本物は高くて買えないわよ」。
この映画における経済は、天然ものより人工生命が安い。みなさん。もうオラの言いたいことがおわかりですね。現実には、人間そっくりなアンドロイドを作るなんて、気の遠くなるような時間と資本が必要。2019年にはとうてい実現しない。人間のほうが安い。派遣労働を自由化して、生身の人間を使い捨ての労働力とすればいい。
ブレードランナーはかなり正確に近未来を予測した。竹中くんが映画を見てタイレル社長の殺される姿に自らを重ねてくれるよう希望する。



お前ら人間には信じられぬものを 俺は見てきた
オリオン座の近くで燃えた宇宙船や
タンホイザー・ゲートのオーロラ
そういう思い出もやがて消える
時が来れば
涙のように
雨のように
……
その時が来た
コメント (2)
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