マガジンひとり

自分なりの記録

歌舞伎の息子

2007-08-24 18:53:17 | マンガ
『MW(ムウ)』手塚治虫(講談社、小学館文庫ほか)
銀行のエリート行員として働く結城美知夫には裏の顔があった。誘拐殺人など非道な犯罪を重ね、そのたびに子供の頃からの友人・賀来神父のもとへ懺悔にゆく別の姿が…
沖縄の小島の米軍基地に貯蔵されていた猛毒の化学兵器・通称MWが漏れ出す事故が起こって島民800人が死滅した、その現場に居合わせたたった二人の生き残り、それが少年時代の結城と賀来で、結城はその際にMWガスに脳を冒されて一片の良心も持たない人間となってしまったのだ。
島民がすべて死ぬほどの大事故も、米政府の意向を受けた日本政府の大がかりな隠蔽工作で表沙汰になることはなく、隠蔽工作を指揮した中田英覚は米政府に貸しを作って自政党政権の中枢をにぎる大物となっていた。
結城はあらゆる手段を使ってその事件の関係者を血祭りにあげ、また後援会ルートから中田英覚に近づき、復讐を遂げるとともに今も国内に隠されているというMWガスを手に入れようとする。
少年時代から結城と同性愛関係にある賀来は、その負い目もあって結城の犯罪がエスカレートしてゆくのを止めることができないが、なんとかカトリック神父として正当な手段で世の中にMWガス漏れ事件を訴えようとする…。

主人公は歌舞伎の名門の家柄だが勘当されており、顔がうり二つの兄は歌舞伎役者となり女形として有名な存在、そのことがラストの大どんでん返しにつながっていく。
中2か中3で初めて読んだときは興奮させられたものだが、今になってみると正直あらが目立つことは否めない。なにかストーリーがご都合主義というか、人物造形もとおりいっぺんで不自然なのだ…手塚先生自身も「ありとあらゆる社会悪、とりわけ政治悪を最高の悪徳として描いてみたかった。しかし今となって遺憾千万なのは、すべて描き足りないまま完結させてしまった自らの悪筆に対してである…」と述懐されており、作品の出来や読者の反応にもう一つ不満足な様子。
主人公がニヒルに悪の道を進んでいく姿や両性具有的な魅力は、『火の鳥・未来編』や『バンパイヤ』で活躍したロック・ホームのキャラクターを究極まで推し進めたものと呼べるだろう、ただし男性として獣的にふるまう姿と女装して犯罪をカモフラージュする姿の落差はいかにもマンガ、とても実写化で務められる俳優はいるまい。
また手塚先生の大人向け作品の常として、セックスをあつかうことにおいて必ず強姦とか変態性欲が付きまとうのが、なんとも見世物っぽいというか…いやそれが手塚カラーで面白いことは面白いんだけど、社会派作品としてはいかがなものか…。
『きりひと讃歌』を読み返したときに気づいた「手塚マンガの1ページあたりの情報量の多さ」ということからすると、現代のマンガ作品に比べてまだ「紙芝居の時代」の表現方法を色濃く残しているように感じられる。
作品の雑誌連載は1976年9月~78年1月で、中田英覚=田中角栄のように、当時の日本列島をゆさぶっていたロッキード事件の影響も随所に見られる。
しかし現実の政界も、歌舞伎役者のサル芝居とおんなじくらいマンガ的でめちゃくちゃだよな…テレ朝の某女子アナ、どうして住民登録してねえのに立候補できるんだよ、しかも当選しちゃってやんの、美人が泣きゃあ当選すんのか?くだらねえんだよっったくっっ
さて下画像、織田裕二と平井堅の情事もこんなんでっしゃろか、いよいよ明日朝7時、男子マラソン号砲。



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玉電の時代

2007-08-15 21:34:24 | Weblog

先日の『ヒロシマナガサキ』の中で、太平洋戦争当時のアメリカが自国民に戦意高揚をうながす宣伝フィルムの一部が紹介されていた…「日本人というものは我々とはまったく異質な存在だ。兵器は現在のものだが意識は2千年前のまま。神道の神の子孫である天皇のために死ねば、自分も神になれると信じている」…
しかしながら、たしかに物量的な物質文明においては当時のアメリカと日本では大差があったものの、市民社会の緊密なネットワークが発達していたことにおいてはむしろ日本に利があったかもしれない。
明治維新、第二次大戦の敗戦、この二つの外圧による大きな改革もさりながら、鎌倉・室町時代あるいは江戸時代、たゆまぬ歴史の中でだんだんと情報化・資本化が進展してきたことも見逃せないのではないだろうか。
また逆に、そうした発達した市民社会を持っていたにもかかわらず戦争の狂気に突入して「普通のいいおじさんが兵士として人を殺す」「となり近所の人が空襲で殺される」状態になりえてしまう、ということが怖ろしい、ひょっとして今でも簡単にそういうスイッチが入ってしまうのかもしれないと思うと。



今日、桜新町の長谷川町子美術館から二子玉川まで散策して、玉電の砧線というのが昔とおっていたあたりまで足を伸ばしてきた。
明治40年(1907年)に開通し、昭和44年に世田谷線を残して廃止された路面電車、玉川電気鉄道、瀬田駅と二子玉川駅の間には遊園地もあり、その付近は子供たちのためだけでなく、芸者の置き屋・待合(ラブホテルのようなもの)・料亭などの集まった三業地として栄えたという。
青年将校が軍事クーデターを起こして高橋是清蔵相らを殺した二二六事件のあった昭和11年(1936年)もう一つ世間を騒がせたのが「阿部定事件」
荒川区尾久の三業地の待合「満佐喜」で、ちんちんを切り取られた男の死体が発見された。死体は料理屋の主人・吉田吉蔵42歳、加害者は吉蔵の家で働いていた阿部定31歳だった。二人は4月23日に中野区新井の吉蔵の家を出て、一ヶ月近く情痴の日々を重ねていた…殺害現場へ泊まる前には、玉川三業地の待合にも滞在していたという。
この事件は、日本が翌年の日中戦争開始などだんだんとゆとりのない軍国主義に向かってゆく世相の中で、むしろユーモラスな事件として受け止められた…



今日の朝刊に終戦記念日の特集記事として、学徒出陣だが将校でなく兵士として中国大陸で従軍した財界人と、右翼団体顧問による対談が掲載されていた。
「中国に代表されるアジアに対し、一足早く近代化を成し遂げた日本が優越感を持っていて、その一番の発露が日中戦争だったと思うのです。そして、その一種の侮蔑感は、まだ払拭できていないのではないかという気がします。
当時の日本には、中国人なら殺してもいいんだというような感覚があった。一種の侮蔑感というのはそういう意味でね。その感覚が戦争を支えていたんだと思うんです。米国だって自国民の命とイラク人の命の価値が同じだと考えたら、あのような戦争は仕掛けられなかったでしょう」
イラク戦争の導火線に点火した影の立役者でもある、何度もデマを流して情報操作して大衆を煽動してきたカール・ローブなるブッシュ大統領の選挙参謀が、今月末に次席補佐官を辞任するとか。
そいつの今までの陰謀を聞くと、日本にはここまで怖ろしいやつはいねえなあ、とも思うのだが、最近の朝青龍へのいじめ報道を聞くかぎり日本人も昭和初期からほとんど進歩してなくねえ?

上写真:砧線中耕地駅(昭44・5)
中写真:上馬停留所付近の混雑(昭和40年代)
下写真:線路上にあふれて花電車になごりを惜しむ用賀の人々(昭44・5)
(写真はすべて東急エージェンシー発行『玉電100周年記念フォトアルバム・あの日、玉電があった』より)



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