マガジンひとり

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世界を将棋盤に

2006-09-27 21:28:59 | マンガ

『DEATH NOTE(デスノート)』原作:大場つぐみ、漫画:小畑健(集英社・全12巻)
このノートに名前を書かれた人間は死ぬ…。
死神リュークが人間界に落とした一冊のノート・DEATH NOTE、これを東大に首席で合格するほどの秀才で警察高官を父に持つ「夜神月(やがみライト)」が手にしたことから物語が始まった。
彼は、法の手で裁かれない犯罪者をノートで次々と処刑することにより、善良な人間だけが安心して暮らせる世の中を実現しようとする。
やがて世間ではそれを「キラ」なる新しい神の行為として信仰する人々も現れるが、国際警察組織は「L」と呼ばれる謎の探偵を雇ってキラの正体を暴き、捕まえようと動き出す。
キラとLの息詰まる対決は、はたしてどちらに軍配が上がるのか…

マンガの紹介に力を入れているにもかかわらず、少年マンガを全巻揃えて読み耽るのなんて何年ぶりでしょう。
出版社によって少しずつ異なっているその世界観、少年ジャンプ、ヤングジャンプ、ビジネスジャンプなど、場合によってはマーガレットやりぼんも、集英社のマンガを貫くのは「努力・友情・勝利」というテーマ。
それはギャンブルや狩猟や戦争にも似ているが、極めて近いのが広い意味でのゲームの世界観。
どうりでオラがジャンプを嫌いなわけである。
作画の小畑健さんという人は、子供たちに囲碁ブームをもたらした『ヒカルの碁』の作画も担当していたそうだが、どちらかというと「成り」で駒の能力が変わったり、敵から取った駒を使えたりするという将棋と似ているストーリーなのではなかろうか。
人間という不確定要素、さらには途中からデスノートが2冊・3冊と増えてしまうので、もう後半はグチャグチャで収拾がついていない。
そういうオラは囲碁も将棋もやったことがなく、ルールもろくすっぽ知らない、そもそも前にも書いたが高校へ入学したとたん、数学のテストの点が20点とか30点とかに暴落、ある程度以上難しいことは考えられない頭なのである。
ほら、今から考えてみるとさ、漢文とか英語も語句の順番を並べ替えて意味を判読したりするでしょ、文化系の教科も数学的頭脳が必要ですよね。
それはさておき、このストーリーは「人間が神としてふるまうことは許されるのか」という一つの壮大な思考実験として非常に意義があり、それは特に90年代の日本を震撼させたにもかかわらず今は風化しつつあるオウム真理教事件を強く反映している。
夜神月はストーリーが進むにつれ、犯罪者ではない者も平然と殺し、自分の父親の死に際にも酷薄な笑みを浮かべる悪魔のような存在に成り下がってしまうのである。
さらに、殺人鬼だからキラ、メロウだからメロ、といった言葉の当てはめは酒鬼薔薇事件をも思い出させるではないか。
オラ個人としては「ワタリ」という登場人物から、白土三平さんの傑作長編『ワタリ』を読み返したくてたまらなくなりました。
さてこの作品、絵柄としては最初はやや没個性的にも感じ、井上ひさしさんの「表現がストーリーを語ることに隷属してはならない」という発言も思い起こさせるのだが、結果としてはとにかく精緻で正確な絵を描き続けることによって、複雑怪奇なストーリーと立派に対抗しているような。
子供の脳は特にそうだが、人間の脳は、1ページの視覚的情報を絵も文字もすべて一緒くたに、丸ごとバッと取り込んで解析するデジカメのような能力を持っているから、マンガは絵が主だ、いや言葉が主だ、という論議にはならないのではないだろうか。
ちなみに小説化もされている様子だが、金子修介監督の映画化は前編でほぼ単行本2巻分、原作マンガの世界観をゆがめず丁寧に映像化している。
コメント (2)
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『ゴジラ』

2006-09-20 20:55:36 | 映画(映画館)

ラピュタ阿佐ヶ谷にて、本多猪四郎監督(1954年)。
水爆実験により太古の眠りから目覚めた大怪獣ゴジラが東京に上陸!
日本に特撮怪獣映画というジャンルを打ちたてた記念碑的作品。
本多猪四郎の本篇演出と円谷英二による特撮の融合が見事で、伊福部昭作曲の音楽も実に効果的。

直立して歩く、尻尾を引きずって歩くということは、ライフデザインの面から見ると、まったく合理性に欠ける。
引きずって歩くくらいなら、巨大な尻尾なんて退化しちゃうはずじゃん…
でも、そーゆーことじゃないんだよ、ハリウッド版ゴジラやグエムルの描写は、生物学的には正しいかもしれないが、そこには「荘厳さ」のかけらもない。
原典のゴジラが姿を現すとき、スクリーンは「美」とか「神秘」といったものでいっぱいに満たされるのだ。
昨晩のウルトラセブンの再放送は「アンドロイド0指令」だったのだが、宇宙人(チブル星人、IQ50000でちたっけか)は終盤にちょこっと出るのみで、子供たちに強力な兵器に変わるリアルなおもちゃを与える「おもちゃじいさん」の企みを描く濃密なSFミステリーが、30分の枠いっぱいを使って展開される。
あれ?チブル星人の回ってこんなに面白かったっけ?というより、当時のスタッフの志の高さに圧倒されるのである。
啓蒙という言葉があって、説教とは少し違う、オラの文章が説教臭くなってしまうのは欠陥だらけの人格ゆえなのだが、当時の特撮はまさに啓蒙だったのだなとつくづく思う。
子供たちに、知的なもの、美しいもの、気高いものに対する関心を抱かせ、その生涯にわたって生産的、創造的な道に導いてくれるという。
今日のオリジナルの『ゴジラ』、遠い昔にテレビで1回見たのみだったのだが、やはり歴史的な作品は映画館で見ておきたい。
ゴジラが火を噴く直前に背ビレが発光する、そのモノクロームの映像美を映画館の暗闇で他人と共有できるのは素晴らしい体験だ。
実はオラは日本映画の頂点とされる『七人の侍』を見たことがないのだが、いつか必ず映画館で見られる日を心待ちにしているのである。
コメント (8)
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