マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

January 2024

2024-01-31 17:15:10 | Monthly Best Songs


13) Bullion / Rare (feat. Carly Rae Jepsen) (2024 - Affection)



12) Julia Holter / Spinning (2024 - Something in the Room She Moves)



11) Sam Evian / Wild Days (2024 - Plunge)



10) Adrianne Lenker / Sadness as a Gift (2024 - Bright Future)



9) Sheer Mag / Moonstruck (2024 - Playing Favorites)



8) The Felice Brothers / Long Dead Street Musician (2023 - Asylum on the Hill)



7) Gruff Rhys / Bad Friend (2024 - Sadness Sets Me Free)



6) Sleater-Kinney / Untidy Creature (2024 - Little Rope)



5) Boeckner / Lose (2024 - Boeckner!)


4) The Last Dinner Party / Caesar on a TV Screen (2024 - Prelude to Ecstasy)



3) Sinkane / How Sweet Is Your Love (2024 - We Belong)



2) Youth Lagoon / Football (2024 - Single)



1) MGMT / Bubblegum Dog (2023 - Loss of Life)

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1979 ─ 100 Best Songs

2024-01-23 17:01:25 | Year End Charts
100) Styx / Babe
99) 甲斐バンド / HERO(ヒーローになる時、それは今) (1978)
98) Toto / Hold the Line (1978)
97) Blondie / Sunday Girl (1978)
96) Godiego / 銀河鉄道999
95) Gino Vannelli / I Just Wanna Stop (1978)
94) Herb Alpert / Rise



93) Nils Lofgren / Shine Silently
92) Billy Joel / My Life (1978)
91) John Stewart / Gold
90) The Jacksons / Shake Your Body (Down to the Ground) (1978)
89) M / Pop Muzik
88) Sister Sledge / Lost in Music
87) 山口百恵 / いい日旅立ち (1978)
86) Chic / My Forbidden Lover
85) Camarón de la Isla / Volando voy
84) Eagles / Heartache Tonight
83) Sniff 'n' the Tears / Driver's Seat
82) The Crusaders / Street Life
81) J.D. Souther / You're Only Lonely
80) 八代亜紀 / 舟唄
79) Peaches & Herb / Reunited (1978)
78) Electric Light Orchestra / Shine a Little Love
77) Van Halen / Dance the Night Away
76) Donna Summer / Bad Girls
75) Amelinha / Frevo mulher
74) The Pointer Sisters / Fire (1978)



73) Blondie / Dreaming
72) Boston / A Man l'II Never Be (1978)
71) The Cars / Let's Go
70) Earth, Wind & Fire / After the Love Has Gone
69) Kiss / I Was Made for Lovin' You
68) Commodores / Sail On (12" Version)



67) Flash and the Pan / Hey, St. Peter (1977)
66) The Specials / Gangsters
65) Dschinghis Khan / Dschinghis Khan
64) Joy Division / Transmission
63) サザンオールスターズ / C調言葉に御用心
62) Lene Lovich / Lucky Number (1978)
61) Godiego / ガンダーラ (1978)
60) The Police / Message in a Bottle
59) Squeeze / Cool for Cats
58) Ramones / Rock 'n' Roll High School
57) Nicolette Larson / Lotta Love (1978)
56) Sister Sledge / We Are Family
55) Graham Parker / Discovering Japan
54) Dave Edmunds / Girls Talk
53) Sparks / Beat the Clock
52) Tavito / Rua Ramalhete
51) Roxy Music / Dance Away



50) Supertramp / The Logical Song
49) Joe Jackson / Is She Really Going Out With Him? (1978)
48) Kool & the Gang / Ladies Night
47) Rickie Lee Jones / Chuck E's in Love



46) クリスタルキング / 大都会
45) Village People / Y.M.C.A. (1978)
44) Chic / Le Freak (1978)
43) Bram Tchaikovsky / Girl of My Dreams
42) Ian Gomm / Hold On
41) Talking Heads / Life During Wartime
40) Frankie Miller / When I'm Away From You
39) Earth, Wind & Fire / Boogie Wonderland (with The Emotions)
38) Bee Gees / Tragedy
37) XTC / Making Plans for Nigel
36) 久保田早紀 / 異邦人
35) Blondie / One Way or Another (1978)
34) The Pop Group / She Is Beyond Good and Evil
33) AC/DC / Highway to Hell
32) Boca Livre / Toada (Na direção do dia)
31) Electric Light Orchestra / Last Train to London
30) Wings / Goodnight Tonight
29) SHŌGUN / 男達のメロディー
28) lan Dury & the Blockheads / Hit Me with Your Rhythm Stick (1978)
27) Nick Lowe / Cruel to Be Kind 
26) Elvis Costello & the Attractions / Accidents Will Happen
25) The B-52's / Rock Lobster
24) Dire Straits / Sultans of Swing (1978)
23) The Knack / My Sharona
22) Rod Stewart / Da Ya Think I'm Sexy? (1978)
21) Elis Regina / O bêbado e a equilibrista
20) Squeeze / Up the Junction
19) Billy Joel / Honesty (1978) 
18) 許冠傑 / 賣身契 (1978)
17) The Boomtown Rats / I Don't Like Mondays



16) Thin Lizzy / Waiting for an Alibi
15) Cheap Trick / Voices
14) Sad Café / Every Day Hurts
13) Gloria Gaynor / I Will Survive (1978)
12) Blondie / Heart of Glass (1978)
11) Elvis Costello & the Attractions / Oliver's Army



10) Queen / Don't Stop Me Now (1978)
9) Chic / Good Times
8) Michael Jackson / Don't Stop 'Til You Get Enough
7) Earth, Wind & Fire / September (1978)
6) León Gieco / Sólo le pido a Dios
5) Tubeway Army / Are 'Friends' Electric?
4) Donna Summer / Hot Stuff
3) Buggles / Video Killed the Radio Star
2) The Doobie Brothers / What a Fool Believes (1978)
1) 許冠傑 / 半斤八兩 (1976)

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世間のアルゴリズム b/w 人生のサブスク化

2024-01-19 22:26:20 | 亡国クロニクル
「俺の子を産めや!」と「キミみたいなマジメな子に俺の子どもを産んでほしいねん」とでは温度差があるにせよ、本心から出た言葉というより、そういう強い言葉・汚い言葉を言うことで自分を鼓舞したい言霊心理というか。

私も会社員時代にストーカー加害体験があるくらいなので女の性について見方が歪んでおり、自分のザーメンから子どもができるということが理屈で分るとしても実感できた試しがない。個体の死を前提とする有性生殖という苦役、これを背負わせるためサルの中でもヒトだけが年中発情期。男女の性に伴う悪は「太古の昔から」。

ヘッダー画像のアフリカ南東部モザンビーク女性は、同国で70年代終りから80年代内戦が続き、家族を殺され、社会主義政権の出国手続きによって同じ東側陣営の東ドイツへ労働力として移民する、その過程で肉体を提供せざるをえなかった(ドイツの漫画マッドジャーマンズより)。とはいえ不倫・パパ活・枕強要・SEX上納システム (NEW!) などなど現代日本では男女の性があまりにも汚れすぎて、女の裸はもちろん街ゆく普通の女たちまでAVのパッケージみたいに汚らしく見えてしまう。彼女らがキョロキョロ視線を向けてくるのもそうした偏見を助長。あれは私というジジイを品定めしているのでなく、街ゆく他人を通して自分を測り、確認しているのだ。電車に乗れば周囲の人でなくスマホを見るのだろう。

監視社会。互いに見下し、自分にしがみつく。


闇金ウシジマくん・フーゾク編の風俗嬢と客は互いに見下している。サラリーマン編の小堀は板橋と親しくしているがすべてにおいて自分より劣ると思っていて、板橋も察している。

日本人が自由や個性を嫌い、狭い範囲に囲われた仲間同士で縛り合う方が安心する傾向について網野善彦は、すべての人を救う建前を掲げるキリスト教のような宗教が大きな力を持つことなく、人びとが「公」に主体的にかかわることを避けて処世的な倫理に従う「世間」の形成、すなわち中世以来の伝統であり、宗教が政治=武家政権の道具でしかなかったから日本で現今「小さな宗教」が乱立していると読み解く。

子どもを公立に通わせれば「公立の不良」=佐久間Pのような人物がリーダーシップを発揮して集団の価値観を決め、私立に通わせれば「私立の不良」=加地Pのような人物がリーダーシップを発揮して価値観を決める。いずれにせよ女社会を男社会の下位に置き、上玉女を調達して上位男に共有させる不良の論理が支配的になる。ダウンタウン松本人志が40歳くらいのころ、年齢別の人口構成を図表化して、中央よりやや若い位置に彼がいるという携帯電話の広告。武家政権自体が米国の下請けとなり、生産年齢人口がピークに達して減少に転じる、テレビと漫画で育った世代が大半になり社会の中枢を担う、そうした時代の日本人代表が松本であり、私も彼が好きだった。


DiscogsでCDを売れるように商品登録しておくと、忘れた頃に海外客に売れるので、設定しておいたSAL便という安価な航空便がコロナ禍に伴って使えなくなり、仕方なく船便で送ると4ヵ月もかかったり紛失したりで散々。現在一般的になっているEMS航空便は米国宛てが最も高く、最軽量の荷物で3900円、その隣国のカナダとメキシコはヨーロッパと同じ3150円と差があり、いずれにせよSAL便より格段に高く、おそらくSAL便がずっと使えないままになっているのはコロナ禍に伴う各国の金融緩和によってインフレが進み(特に米国)、安価なサービスでは人を雇えなくなったということでしょう。

ところが日本郵便のクリックポストは逆に値下げしているくらいで、アベノミクスと称して非常時でもないのに異次元の緩和を行ったわが国は物価上昇に賃金が追い付かず、実質賃金とGDPそれぞれ前年同月比マイナス3%と恐ろしい勢いで経済縮小している。日本人の時価を切り下げ、グローバル資本主義の敗者へと導いた安倍晋三。すべての犯罪は安倍に通じるというくらいの神通力は、武家政権の支配を一度もくつがえすことのなかった日本人が、天皇に代わる神の幻想を彼に求めた、恥を捨て、責任から逃げ、人生をサブスクのように安直な軽いものに換えてしまった。

親が死に、会社を辞めた第2の子ども時代、私に世間の様相を知らせ、影響を与えたロンドンハーツと闇金ウシジマくん。自由な時間を得た筈が「恥知らずのトリクルダウン」に巻き込まれ、自分から卑屈になっていた十数年。もう子育ての望みもない。日本人であるという縛りを解き、人生を賛美できるようになりたい。
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中央集権と出版社②

2024-01-14 18:45:27 | メディア・芸能
昭和27(1952)年11月、「文學界」で「新人作家文学を語る」という座談会があり、阿川弘行、三浦朱門、吉行淳之介のほか、武田繁太郎、伊藤桂一などと一緒に僕もそれに出た。つまり、「現在の会」の中で左翼系でない者、ノンポリ(そういう言葉は当時まだなかったが)の連中だけを集めたようなものだ。しかし、座談会に集っても、僕は何を発言していいのかほとんどわからなかった。だいたいイデオロギーに関心を持たない僕らは、手近に討論すべき対象が見つからなかったし、かといって文学そのものもどう語り出すべきか、その術を知らなかった。そのくせお互いに他人の発言に対してはことごとく突っかかる性癖があり、したがって発言はおよそ支離滅裂なものとなった。何の話からか、「中央線の電車が東中野駅のホームの直前を通過した」というのに、阿川が真っ赤な顔をして憤慨しはじめた。
「そんなはずはない。東中野駅ならホームから少し離れたところを…

(中略)隣にいた吉行が僕に囁いた。
「この座談会はモノにならんな。おれは編集者をやっていたから、こういうカンは当るのだ。こうなったらもう食うよりしかたない。食って、飲んで、それでおしまいだ」

(中略)驚いたことにその座談会は翌昭和28年「文學界」の新年号にそのまま発表された。およそ文芸雑誌の座談会でこれほど非文学的なものはなかったであろう。早速、あちこちの新聞、雑誌などの匿名批評の好餌となった。ある雑誌には「職業野球選手並みの頭脳」と書かれ、また「バカで図々しいのもここまで来れば泣いていいか笑っていいか分らない」などと嘆く批評家もいた。それで僕らはお互いに「バカズー」というのが呼び名になった。

しかし、この不評にもかかわらず、「文學界」では僕らに呼びかけて、毎月一回会合を開いてくれることになった。その会員は、小説家が三浦朱門、吉行淳之介、庄野潤三、島尾敏雄、小島信夫、近藤啓太郎、武田繁太郎、結城信一、五味康祐、安岡章太郎。評論家が奥野健男、進藤純孝、村松剛、日野啓三、浜田新一、等であった。会場は銀座の「はせ川」で、会費はたしか1人200円、残りは「文学界」で負担してくれた。そして、この頃から僕らは「第三の新人」と呼ばれるようになった。命名者は山本健吉氏で、その由来は戦後三番目にあらわれたグループということらしい。何にしても、そのころの文芸雑誌は新人育成にずいぶん熱心であり、親切でもあったことになる。どの雑誌も年に2、3回は新人特集をやってくれていた。 ─(安岡章太郎/僕の昭和史/講談社文芸文庫2018・原著1991)


東海林さだお時代から谷岡ヤスジ時代へと移り変る時、内面でいったい何が変化したのか。それは〝恥〟のとらえ方の変化ではないか、……とボクは前から考えているのだ。

東海林ギャグは〝恥〟に敏感であった。他人に後ろ指をさされ、ヒソヒソと軽蔑された登場人物は、まっ赤になってうつ向いてしまうのである。破廉恥な行動に出れば出るで、「オレこんなことしていったい……」とつぶやかざるをえないのであった。

しかるに谷岡ギャグはどうか? 反撃に出るのである。「テメーラ見世モンじゃねー」とわめき蹴ちらすか、あるいは「えーいワシャどーなってもヘーキじゃケンね」と尻をまくる。しかしその奥に〝恥〟の思想は厳然として残っているのだ。恥を恥と思うからこそ、右のようなヒラキ直りも出てくるのである。

谷岡時代のつぎに出現したのが黒鉄(くろがね)ヒロシであった。絵のテクニックは抜群である。ところが〝恥〟という思想がついに、 黒鉄マンガでは、ほぼその姿を消して──見栄は少々残っているが──しまうのである。他人が見ていようがいまいがオカマイナシな行動を、黒鉄漫画の主人公たちはとるのである。どんなにヒワイな、あるいはロコツなギャグもすべてこれ「冗談」でサラリと流し去ってしまう。実にあきれるほど平然としたものであるのだ。

この三代を見れば、今後のギャグ漫画の方向も自然とアキラカになるかも知れない。 つまり──いや、止そう。へタなこと描いて十年後に笑われるのはイヤじゃけんね。

セリフは「昭和情話」より。「ボクは百恵さん! たとえあなたに足が三本あろうと! オッパイが六つあろうと! 角がはえていようが! おシリの割れめが四つあっても! 嫁にもらうよ!」 ─(みなもと太郎/お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ/河出文庫1997・原連載1976-79)



「職業野球選手並みの」という形容が時代をしのばせるが、文學界は文藝春秋社の「純文学」誌で、同誌が設けた新人賞の第1号(1955・昭和30年)となった石原慎太郎が同じ「太陽の季節」で芥川賞を受け、社会現象化したことで芥川賞・直木賞は文春以外のメディアを巻き込み、メディアと芸能・広告産業全体を振興するような名士の登竜門として定着。「第三の新人」にせよ石原以降の流行作家、また漫画集団や新聞・雑誌のコママンガといったようなものは、欧米列強を模倣して「戦争できる国民国家」を短期間で作り、実際戦争に勝って領土拡大し好景気を謳う、政府にとって最も望まれる教育・広報と娯楽を兼ねた原点であったろう。各ジャンルの名士たちはキャラで棲み分け、プロレスを演じ、たとえばいしいひさいちの新聞4コマ「ののちゃん」に彼がそれまで描いてきたプロ野球選手や文化人が身近な人物として登場するように、メディア上で起っていることが世界のすべてであるかのように錯覚させる役割を担う。お座敷に呼ばれる芸者。芸よりも、名のあるメディアに呼ばれて賑やかしていることに価値があるので、大阪の貸本出版社が意気込んで出した漫画集団の新書判はまったく売れない。

明治政府にとって、江戸時代の身分制を脱して国民皆兵にすべく、積極的に欧米から取り入れる、学校を作って名士予備軍を海外留学させる、基盤を整え門戸を広げることで副産物として小説や映画の中には、いや名前だけじゃなく芸にも価値がありますよというものが現れるが、基本的に政府に従属する出版や新聞、さらにそこにぶら下がる個々の名士という構図。表現・創作には自主規制と他責的な甘えがはたらく。戦後米国に従属することで戦争は対岸に去り、政府も名士も堕落し、テレビと漫画の普及、1980~90年代のジャンル細分化と若者マーケット拡大に伴い相反する内向きと幼児化が進む。メディアに特権を与えられ守られていた黒鉄ヒロシらはネトウヨになり、松本人志はツイッターで墓穴を掘る。メディアと名士を通して「恥知らずのトリクルダウン」が繰り返された結果、失われた30年=政治経済にとどまらずあらゆる分野で国力の相対的な転落が起ったと申せましょう。


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15 Best Dvořák Songs

2024-01-08 12:16:42 | 音楽
中1の頃だったか、新世界交響曲を聞いていて3楽章に入ってしばらくすると猛烈に興奮してきてそのままシコシコ…。その後は音楽を聞いてそうなることはないが、3楽章に限らず新世界は魂の奥底をゆさぶる官能性に満ちた曲だと思う。

私の人生は高校3年間に凝縮されていて、今もいかに生きるべきかインスピレーションの源だ。おそらくそれは前段階、小中時代の経験によって培われた感受性=対人関係が苦手で心が貧しくなるので一人になって豊かな文化に触れて憂鬱を癒す=の最初の結実だったろう。



Serenade for Strings in E, Op. 22 - 5. Finale: Allegro vivace (1875)
この5楽章、テルデックの冷たい感じの廉価CDで少し聞いて、あとぜんぜん聞かなくなってたなと思い出す。買ったアルバムを全部聞かないという私の悪癖はレコード・カセット・CD・MDといった媒体が後景に退くことで大幅に改善され、落ち着いた取捨選択が可能に。



Violin Concerto in A minor, Op. 53 - 2. Adagio ma non troppo (1879)



Gipsy Songs, Op. 55 - 4. Songs My Mother Taught Me (1880)



Nocturne, Op. 40 (1883)



From the Bohemian Forest, Op. 68 - 5. Silent Woods (1884)


Slavonic Dance in E minor, Op. 72/2, "Starodávny" (1887)



Piano Quintet in A, Op. 81, B. 155 - 1. Allegro ma non tanto (1887)
チェコの国民楽派としてのドヴォルザーク(当地ではドヴォジャーク)らしさ=民族的な要素を吸収し、交響楽的な慣用表現と結びつけることによって国民的な慣用表現を確立する=を強く感じさせる独特の節回しを持つ、たとえばスラブ舞曲・謝肉祭序曲・新世界・弦楽四重奏曲アメリカ・チェロ協奏曲といった曲はスラブ舞曲を除いてアメリカ滞在期(1892~95年)周辺の短期間に集中しており、今回未聴の代表曲をあたってみると、大半の曲はシューベルトやメンデルスゾーンに連なる王道ロマン派志向であることが分る。これはそうした面を代表する華麗な室内楽曲で1楽章以外も良い。



Rondo in G minor, Op. 94 (1893)


Symphony #9 in E minor, Op. 95, "From the New World" - 1. Adagio - Allegro Molto (1893)
Symphony #9 in E minor, Op. 95, "From the New World" - 2. Largo (1893)
ドヴォルザークは1892年、ニューヨーク市の国立音楽院の院長として破格の待遇で招かれる。この学校は富裕で社会活動に熱心な女性ジャネット・サーバーによって設立され、当時としては稀なことに女性や黒人の学生も受け入れた。ドヴォルザークは滞米初期に米国の音楽について「アメリカ先住民とアフリカ系アメリカ人の音楽を基盤に含めることでアメリカ人は独自の国民音楽を成長させられるだろう」との所感をまとめる。

彼は作曲活動の初期、ワーグナーに心酔しており、絶大な影響を受けていたとされる。ところが、そうした初期ですら彼の音楽にワーグナーの聴衆を意識した派手さ、ハッタリ感は薄い。おそらくそのように導く、ドヴォルザークが敬虔なカトリック信徒で篤実な人柄の持ち主であることこそ、新興アメリカ国民音楽の指導者として望まれるものだったろう。そしてこの時期に傑作が集中しているのは、アメリカ側の意図が結実した結果であるともいえよう。



String Quartet #12 In F, Op. 96, B 179, "American" - 1. Allegro ma non troppo (1893)



Humoresque, Op. 101/7 (1894)



Cello Concerto in B minor, Op. 104 - 1. Allegro (1895)
若くして成功したが難病に襲われ演奏できなくなり42歳で亡くなったチェロ奏者ジャクリーヌ・デュ・プレ。伝記映画化はセンセーショナリズムとして批判されているらしいが、ユダヤ教に改宗しダニエル・バレンボイムとユダヤ式の結婚式を挙げるシーンなど印象的だった。最近ベートーヴェンの交響曲をはじめ次々とSpotify/ユーチューブ試聴して良い演奏に入れ替えているが、この激情ほとばしるデュ・プレの1楽章は不動。



Cello Concerto in B minor, Op. 104 - 2. Adagio ma non troppo (1895)


Rusalka, Op.114 - Act 1: Mesicku na nebi hlubokém (1900)

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世界の音楽 — イスラエル

2024-01-05 17:45:48 | 世界の音楽
のちに見るように、シオニストたちは、それまで民族としての同胞感情などまったく抱いていなかった各地のユダヤ人、ユダヤ教徒の諸集団のもとでヨーロッパ式の民族感情を創り出し、普及させるばかりか、彼らに共通の言語さえ整えてやらねばなりませんでした。そして、アフリカ、オーストラリア、南北アメリカにおけるヨーロッパの植民地をお手本とし、実際の移民をともなう入植地を西アジアの一郭に築く場合でも、ヨーロッパ諸国のナショナリズムとは異なり、世界中に散らばった種々雑多な人間集団のなかから入植者を養成せねばなりませんでした。しかし20世紀初頭の時点で、世界のユダヤ人、ユダヤ教徒の大部分は、自分たちがヨーロッパ的な意味における「民族(nation)」や「人種(race)」を構成しているなどとは、つゆほども考えておらず、むしろそれは、反ユダヤ主義の旗幟を鮮明にする人々に特有の考え方だったのです。

(中略)ポグロム(ユダヤ人を狙って行われる集団的な暴力・殺戮を指すロシア語)をつうじて多くのロシアユダヤ人が感じた衝撃、怒り、苛立ちは、組織的な暴力行使も辞さない非合法の急進的党派の方へますます彼らを引き寄せていきます。すでに当時のロシアの反体制運動には多くのユダヤ人が参加していましたが、ある時期以降、とりわけユダヤ人の組織であることを前面に押し出す運動も組織されるようになりました(社会主義運動「ブンド」、ポグロムに対する自衛を目的とする諸集団、そしてシオニズムの諸派)。19世紀末、 ロシアの反体制派のあいだに浸透した虚無主義の空気と人間の生命に対する軽視は、今日のわれわれの世界にも重くのしかかるテロリズムの温床となります。論者によっては、中東におけるテロリズムや、マンハッタンのツイン・タワーへの大がかりな攻撃まで含めて、テロ行為の全歴史を19世紀ロシアのイデオロギー的遺産とみなす人もいるほどです。

(中略)シオニズムのイデオロギーと実践は、必然的に、また本質的に領土拡張主義であった。シオニズムを実現するには、まず、入植者集団を養成してパレスティナの地に送り込む必要があった。それぞれの入植地の住民は、生活を始めるや否や、自分たちがいかに孤立無援で脆い存在であるかを深刻に思い知らされ、そして当然の流れとして、自分たちの周囲に新しいユダヤ人入植地が築かれることを望んだ。それによって旧来の入植地はたしかにより「安全」になるが、同時に新しい入植地が「前線」となり、今度は自分たちを守ってくれる「新しい」入植地を必要とするようになる。「六日戦争」の後、ゴラン高原とイスラエルの周囲にイスラエルの入植地が拡張していったのは、これとまったく同じ論理によるものであった。 ─(ヤコヴ・M・ラブキン/イスラエルとは何か/平凡社新書2012・原著2010)




Shlomo Artzi / Unknown Beauty (1972)
イスラエル国防軍は1950年代からレハコット・ツヴァイヨット(陸軍アンサンブル)と呼ばれる演奏グループを運営してきた(現在は廃止)。技能を持つ下士官から成り、オリジナル曲を準備して基地や野戦地を巡回慰問する。イスラエルで最も人気のある歌手や楽曲はこのシステムから生まれ、シュロモ・アルツィもその一人。中東らしさの薄い、ダン・フォーゲルバーグやケニー・ロギンスといった米シンガーソングライターに近い作風だが驚異的な創作力で佳曲多数。私は愛聴しているがヘブライ語のため国外であまり聞かれていない様子。



Ilanit / Ey Sham (1973)
地理的にアジアに属するイスラエルはアラブ諸国との対立もあってさまざまな分野でヨーロッパの一員に迎えられている。ユーロヴィジョン・ソング・コンテストには73年のこの曲で初参加して4位、78年にはイツァール・コーエンの歌うA-Ba-Ni-Biで初優勝(3番目のユーチューブ参照してください)。これに先立つ70年には日本のヤマハの世界歌謡祭でヘドバとダビデ「ナオミの夢」が優勝、「日本のみで売れた洋楽」の代表例に。



Chava Alberstein / At Telchi Basade (Walk in the Meadow) (1975)



Shlomo Artzi / Suddenly When You Didn't Come (1979)



Minimal Compact / When I Go (1985)


Ofra Haza / Im Nin’alu (1988)
パレスチナにはイスラエル建国以前からイエメン系ユダヤ人のコミュニティーが存在し、1920年代にヨーロッパから移民してきたユダヤ人はイエメン系の民謡を好み、それらを西欧化することで初期のシオニスト民謡が生まれた。テルアビブの貧しいハティクバ地区で育ったイエメン難民の女性オフラ・ハザは、代表曲Im Nin’aluなどでイエメン系民謡のリメイクを行い、この曲は米英のクラブシーンで取り上げられ国際的ヒットとなる。イギー・ポップ、ルー・リード(いずれもユダヤ系)らと共演するもエイズによる合併症のため2000年42歳で死去。



Itzhak Perlman / Theme From Schindler's List (1993)
イスラエルは世界有数の演奏家・指揮者を輩出し、特にヴァイオリンはこのイツァーク・パールマンはじめピンカス・ズーカーマン、ギル・シャハム、シュロモ・ミンツら錚々たる顔ぶれ。イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団やカメラータ楽団などオーケストラも多く、高度な専門技能を持つロシア移民やナチによる迫害から逃れた難民の受け皿になることが創設の動機の一つであったという。



Dana International / Diva (English Radio Version) (1998)
ドラァグクイーンとして芸能活動を始めた歌手による、イスラエルにとって3度目のユーロヴィジョン・ソング・コンテスト優勝曲。70年代の優勝曲と比べイスラエルらしさが希薄で凡庸なダンスポップ。



Keren Ann / Que n'ai-je ? (2004)



Ravid Plotnik / כל הזמן הזה (2017)
非常に人気があるとのことで、よくできているが特に抜きんでているわけではないヒップホップ調のオルタナティブ。


イスラエルの音楽は、国家アイデンティティを確立するため不可欠な存在として、ヘブライ語の歌や公共の歌(シラ・ベツィブル)が入植初期から体制側によって奨励され支援されてきた。各地からのユダヤ人移民はそれぞれの音楽の伝統を持ち込み、それらの融合によってイスラエル独自の音楽が形成されていった。ロシア民謡、東欧のクレズマー音楽、アラブの音楽、イエメン系ユダヤ人の音楽などであり、1960年代からは米英のロックや主流ポップスが大きな影響を持つ。

1967年の六日戦争はイスラエルの政治・外交的な地位だけでなく(それまでは社会主義的な政策により東側諸国と協調していたが、占領を恒久化したり後に核武装したことから西側諸国の保守政権や白人優越主義勢力からお手本とされるように)、同国の文化にとっても転換点となる。経済活動が活発化し、経済成長率が戦前の1%から13%に上昇。劇場が2倍に増え、レストランやナイトクラブやディスコも急増。欧米の音楽家の公演が増え、イスラエル側からも欧米マーケットで聞かれるよう目指す動きが始まる。こうした交流と多様化が進展したことで、中東の音楽らしい独自色は次第に薄れていく。



ヘブライ語の歌による国民の統合という要求により、ロック音楽が主流となってもそれらがセックス・ドラッグ・若者の怒りや閉塞感といったカウンター・カルチャーの要素を扱うことはほとんどなかった。1990年代に民営化されるまで同国のラジオ局・テレビ局はすべて国営。代表的なスターは髪をきちんと整え、兵役を経た模範的な若者であった。

こうした状況に変化をもたらした一人がアビブ・ゲフェンである(4番目のユーチューブ参照してください)。厚化粧のドラァグとして登場し、徴兵を避けたことを誇った。しかし音楽性はビートルズとピンク・フロイドの影響下にある中庸なもので、カウンターではなく、欧米の白人、そして特に日本でそうであったようにロックを「自己愛的な女性型消費≓観光・観劇・スポーツ・イベントなど体験・時間消費」の有力ジャンルに位置付ける過程であったかもしれない。

同国のシオニズムは最低でもどこか一国の帝国主義に依存しなければ成立しない。委任統治時代にはイギリス、パレスチナ分割案に際してはソ連の支持、核開発にはフランスの支持、そして建国以来一貫してアメリカの支援を不可欠とする。いま現在進んでいる最大の帝国主義は、インターネットとスマホの普及を背景とし、資本主義の最後の資源をめぐる時間争奪戦争である。人権が国家に従属する、ロシアやイスラエルの古い帝国主義が求める戦争によって、西側自由社会の掲げる人権と民主主義はダブルスタンダードの偽善に過ぎないことが浮き彫りになっている。


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