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旧作探訪#120 『ガタカ』

2011-02-20 23:42:31 | 映画(映画館)
Gattaca@恵比寿ガーデンシネマ、アンドリュー・ニコル監督(1997年アメリカ)
舞台は近未来。そこでは多くの親が、優秀な遺伝子(DNA)を“デザイン”して子どもをつくり、そうやって生まれた“適正者”だけが社会のエリートになれるのだ。しかし、人間の一生がDNAだけで決まるものだろうか? 自然な出産で生まれ、病弱だとの烙印を押された“不適正者”のビンセント(イーサン・ホーク)は、そんな社会システムに抵抗し、自らのDNAに刻まれた宿命に挑戦する生き方を選ぶ。幼いころから宇宙に飛び立つことを夢見てきた彼は、水泳のオリンピック選手でありながら事故のため将来を絶たれた適正者ユージーン(ジュード・ロウ)の優秀なプロファイルを買い取り、ユージーンと同居しながら彼の血液などの提供を受けることで、彼になりすましてガタカ社の職員となる。
そして念願の土星の衛星タイタンへの飛行に選ばれるが、出発直前に上司が何者かに殺され、現場にビンセント自身のまつ毛が落ちていたことから、正体が発覚する危機におちいる─。
当時新鋭のイーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ジュード・ロウの好演や、特徴的な建物でのロケなどによるレトロ・フューチャーな世界観により、一部に熱烈な反響を呼んだ、斬新なSF映画。風変わりなタイトルは、DNAを構成する基本分子の頭文字=G・A・T・Cより。



恵比寿ガーデンシネマの休館にあたって、過去の上映作品をかける企画の、いよいよ最後の日となる前日の1月27日に見て、翌日に記事を書こうと思っていたらパソコンが壊れて─。
公開当時、映画館で2回見て、DVD化されると即買って2回くらい見ており、細かいところまで覚えているものの、最初に見た恵比寿ガーデンシネマの夜の回が、イーサン・ホークらに感情移入したことと夜景が相まって、帰りに心が昂ぶったことを思い出す。休館となれば、もう恵比寿に来ることもないだろうから、記念に見ておこうと。



有楽町のHMVで、サントラCDも買ったっけか。音楽がまた素晴らしいのだ。
が、ほかにマイケル・ナイマンが手がけた映画音楽に比べ、ここで何度もかかる「The Morrow」などはずいぶん演歌的。内容も、ビンセントと、“デザイン”されて生まれた弟アントンとの水泳対決など、浪花節的に情にうったえる。
今にして思えば、物語もご都合主義が目立ちはする。それにしても、やはり金字塔と呼べるだろう。
生まれた瞬間に、30歳までは生きられない─と予測されたビンセントが、意志の力で運命を変えていく様子。逆に、申し分ない星の下に生まれながら、金メダルを逃したことで、生きる屍となっていたユージーン。イーサン・ホークとジュード・ロウが、完璧なまでに役柄と一致。
映画の中のビンセントは、ブローカーに斡旋してもらってユージーンになりすます─とはいっても、エリートぞろいのガタカ社の中でも素性が露見しないだけの、努力を積み重ねて実力者となり、それゆえ彼の正体を察していた医師も最後に見逃してくれたのだろう。努力する者には、夢を追う資格がある。
ひるがえって、映画を見てハイテンションになった、33歳のオラは最悪だった。さまざまなことが重なって、半年後には足かけ4年におよぶ長期入院生活のスタートとなるが、遅かれ早かれ、破綻は避けられなかった。
高卒で入社する者が大半を占めた時代の、最後あたりだったのだ、会社の中でのオラの位置は。後輩として入ってくるのは、大卒者ばかりだが、正直ビンセントほどがんばらなくても、高卒者にも立つ瀬はあったのに、オラには安直な道しか見えていなかった。実力もないのに、評価されたがった。
会社には、ほんとうに迷惑をかけた。
結局は、自発的に退職したわけですが、雇用をめぐる環境が厳しくなるいっぽうの昨今、あれほど恵まれた会社にあっても、チャンスをつかむことができず、結婚もできずに人生を棒に振ろうとしている今のオラにとって、この映画のビンセント=イーサン・ホークはあまりにまぶしい。
ひがみ、ねたみ、そねみが芸風となっている、日陰者の弊ブログにおいても、もうちょっと、なんらか貢献できるよう、正々堂々としなければ、ビンセントと出会う前のユージーンより救いがない、生きる屍であり、夢も希望も語る資格がございません。

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20世紀のポスター [タイポグラフィ]

2011-02-16 23:04:23 | Bibliomania
『20世紀のポスター [タイポグラフィ]─デザインのちから・文字のちから』@目黒・東京都庭園美術館(開催中~3月27日・10:00~18:00・休館:第2・第4水曜・一般1000円)
日常の中で私たちはたくさんのポスターを目にします。その無数にあるポスターの中にあって、いかに内容をよりよく伝えるか。古今東西のデザイナーはこの点でしのぎを削ってきました。その際、重要な役割を果してきたのが、文字による表現、タイポグラフィです。
20世紀の前半にヨーロッパ各地で起こった前衛芸術運動、構成主義やバウハウスに触発され、シンプルな構造をもつ「サンセリフ」と呼ばれる書体を中心に構成したポスターが現れます。1950・60年代のドイツやスイスでは、画面を水平垂直に分割して文字や写真を構成する「グリッドシステム」の技法が考案され、各国に広まりました。一方、1960・70年代のアメリカでは、音楽好きの若者を中心に流行したヒッピー文化の中から、サイケデリックな文字表現が生まれます。そしてポストモダンの時代といわれる1980・90年代には、パーソナルコンピューターが登場して印刷産業のあり方を変え、ポスターデザインは新たな局面を迎えることになりました。社会を映すポスターが次々と現れた20世紀は、文字に関する思想や表現もまた多様に変化した時代でした。
本展覧会では3200点におよぶ竹尾ポスターコレクションの中からタイポグラフィに焦点をあて、厳選した約110点のポスター作品を紹介します。



テオ・バルマー(Theo Ballmer) バーゼル国際事務用品展 1928 スイス



ジョヴァンニ・ピントーリ(Giovanni Pintori) オリベッティ社 1949 イタリア



エミル・ルーダー(Emil Ruder) グーテ・フォルム(良き形態)展 1954 スイス



ヨーゼフ・ミュラー=ブロックマン(Josef Müller-Brockmann) ストラヴィンスキー、ベルク、フォルトナー 1955 スイス



亀倉雄策 ニコンSP 1957 日本



ウェス・ウィルソン(Wes Wilson) グレイトフル・デッドらのロック・コンサート 1966 アメリカ



マックス・フーバー(Max Huber) モンツァ・グランプリ 1970 イタリア



杉浦康平 第八回東京国際版画ビエンナーレ展 1972 日本



木村恒久 シネマ・プラネット1980(映画・ツィゴイネルワイゼン) 1980 日本



勝井三雄 モリサワ・華 1993 日本

これも、パソコンが壊れて使えなかった週に。一点ものの絵ならともかく、お金を取ってポスターを見せるのに疑問も覚えないではないが、展示の内容は、まあ及第点かと。展示されたポスターが全て収められて解説の付いた図録も充実。
流通ルートが限られているためか、図録には一定の需要があり、ブログで使い終わってしばらくして手放す場合も、ニッサンのカーデザイン、コドモノクニ、道教の美術、少年サンデー×マガジンといったやや小規模な催しでも、正価の7割ほどを即決価格にしておくと買い手が現れた。
見本を目にして、迷ったとき、ご参考までに。
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さらばパタリロ

2011-02-13 23:50:24 | マンガ
パソコンが壊れて使えなかった6日間ほど、テレビを見るとか、大長編のマンガ本を読み返すとか、旧来の娯楽に戻ってみたことは既に述べたが、いまさら─という感はぬぐえない。
ことに、まったく聞かなくなっていた深夜ラジオを、月曜の伊集院光の放送を、2時間ほぼ丸ごと聞いて、笑えるところが1ヵ所もなし。
まあ、たまたま不調の週だったのかもしれないんだけどね。お笑いを、ずっと、長く続けるということは、たいへんなことでしょう。短期で燃え尽きた芸人を、マンガ家を、おおぜい見てきた。
しかし読み返したマンガ本というのは、『うる星やつら』と『パタリロ!』という、それぞれ宇宙や時間旅行を題材とするSFものから時代劇まで、なんでも取り込みながら長期間にわたって続いたものである。
始まった時期も共通で、オラの高校・社会人生活にうるおいを与えてくれたものの、やがて単行本を買わなくなり、27歳で親元を離れる引っ越しの際、『うる星~』は最初の4巻だけ残し、『パタリロ』はすべて売り払った。
マンガ本の保存は、引っ越しのたびに頭痛の種である。
いまの住居に落ち着き、会社を辞めてから、あらためて両者とも文庫版で初期の巻を集めたものの、やはり最初のコミックスで見たく思い、ことにパタリロは収録の順番が違っていたり、削られた話があるのでね、ヤフオクでうる星は全巻、パタリロは最初の9巻を買いました。



で、読み返してみると、うる星も、竜之介が出てくるあたりからアクション要素が増すなど、子どもではない読者にはややつらいが、正直、毎週の連載としては驚くほどの水準の高さを最終回まで保つのに対し、パタリロはかなり落ちる。うる星の登場人物は、危険な目に遭っても死なない、それはそれでぬるいお約束だけれども、パタリロは、人が死ぬ話が多いなァ~
それも、悪人が死ぬのはともかく、「マリネラの吸血鬼」の老婆や、「めずらしい純白の花が咲く」の綿菓子頭といった、善良な登場人物も、作劇上の都合だかなんだか、やたらと死ぬいっぽう、もちろん主要な登場人物は死なないで、西遊記だの家政婦だのに姿を変えながら、今でも続いてるらしい。パタリロは年をとらないが、ファンの読者は、みなおばさんだ。女の高橋留美子が少年誌を舞台に活躍することは、マンガの世界では無差別級でチャンピオンになるのに等しいけれども、男の魔夜峰央が少女マンガ誌でいつまでも続けることは、わけわからぬカルト宗教に近いともいえよう。↑画像で「少年愛の美学を追求するんだとかおっしゃって…」と言われたバンコランは、次のコマで「やめておけ、ブタがポークハムの追求をするようなものだ」とパタリロに告げるのだが、ぜんぜんうまいこと言えてないよなァ… 駄ジャレがやたらと多かったり、先行した『がきデカ』『マカロニほうれん荘』からの(表現上の)パクリが目立つことからも、根本的には、ユーモア感覚に乏しい人なのではないだろうか。



笑いを職業としているにもかかわらず、外部の人の目には、面白さが伝わりにくい。符牒が通じる、インサイダーだけを相手にお笑い稼業。落語家みたいだ。
そう、伝統芸能というか、「型」なんだよ。様式美。バンコランの顔の絵でも、左を向いているとき、アゴの線と口の位置関係がおかしいでしょう。デッサン的に。怪奇や耽美的な題材を好み、白と黒のくっきり別れた絵柄には↓画像のビアズリーの影響がうかがえ、ビアズリー自体も浮世絵など日本画に影響されたというので、一種の先祖返りだとも考えられる。
ただ、ほかの、映画的に動きを感じさせるよう、表現方法を研ぎ澄ませてきたマンガたちの中にあって、パタリロの、動きの止まった絵、それでもどうにかお笑いへ持っていこうとあれこれ試みる初期の巻には、独特の面白さがあることは確かです。たしか13巻か14巻あたりに収められた、パタリロお得意の時間旅行で、若き日のバンコランのもとへ訪れる「霧のロンドン・エアポート」など、かなりの力作といえましょう。
今回をもって、弊ブログでパタリロをあつかうのは最後といたしますが、初期の単行本はこれからも保存するつもりです。

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パソコンがないと退屈で死ぬ

2011-02-11 23:06:17 | Weblog
挨拶なしで再開したんですけどさァ─2月6日まで、10日間くらいブログを更新しなかったでしょう。
弊ブログの開始以降、そんなに長く休んだことはない。いや、オラ自身はピンピンしてたんですけど、1月28日に帰宅して、パソコンを立ち上げようとすると、立ち上がらない。壊れてしまった。6年ほど使った、ソニーのデスクトップのパソコンで、オラ詳しくないんだけど、買った当時はハイ・スペックの上位機種だったんだけどねェ─。
新たに買うため、電器店で見てみると、格段に安価でスペックは向上してるんだね。
自分で設定とかできないので、2月3日に、お店の人にすべてやってもらって。
前のパソコンも持ち帰ってもらって、入ってた音楽や画像のデータ・リカバリーも、すべてできるか分からないが、それもまた2週間ほどかかるらしい。
すなわち、これまでお目にかけてきたアイチューンの、音源はともかく、プレイリストとか再生回数は一からやり直し。
いま、せっせとやってるんですけど、けっこう楽しいもんだね。寝食を忘れる。この際、プリンタ/スキャナーやフォトショップも新しいものに替えて、これからは、データの管理やバックアップには万全を期そうと。
で、パソコンが使えなかった6日間ほどは、テレビを見たりとか、美術館へ行ったりとか、大長編のマンガ本を読み返したりとかしてたんですけど、なんか間延びして、酒を我慢する日月の2日間も、いつもより倍くらい長く感じたことです。
単なる道具のはずのパソコンだが、もはや生きるのに不可欠なんだなァと。
人間が酒を飲み、アルコールというダウナー系の薬物を摂取するのは、のどが渇いたからでなく、《生きる意味に渇いた》から飲むのであるらしい。
アルコール依存症の者は、酒なしでは眠れないが、眠りもまた必要不可欠。
レム睡眠時に見る夢には、脈絡がないが、そうした睡眠や夢を通じて、人間の脳は記憶を整理して活性化を図るのだという。
パソコンという外部メモリーには、そこまでの機能はないけれども、さまざまなソフトやインターネットを通じて、夢のような便利さを謳歌させてくれるのだ。
ちなみに、更新を再開した2月6日、お客さんの数が800とかにはね上がって、みんな待っててくれたのかァ─と思いそうになったが、そんなわけはない。
たまたま、その日に永田洋子の病死が報じられたので、連合赤軍の映画の記事に人が集まっただけのことでした。が、検索でやって来る、縁もゆかりもない人びとにとってみても、弊ブログがアホアホ図書室・データベースとして機能してるんだとすれば、うれしいです。万が一、女の子を育てることになったら、ゆかりって名前にしようかなァ─

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