マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

31-Jul-2021 Top 20 Hits

2021-07-31 18:42:13 | Weekly Top 15
1. ← 2. 5 Pabllo Vittar / Zap zum (2021 - Batidão Tropical)
2. ← 1. 4Courtney Barnett / Rae Street (2021 - Things Take Time, Take Time)
3. ← 4. 3 Clairo / Amoeba (2021 - Sling)
4. ← 3. 7 Deafheaven / Great Mass of Color (2021 - Infinite Granite)
5. ← 5. 6 doppelfinger / Knowingly (2021 - Single)
6. ← 9. 4 Sangit / Vem Vem (2021 - Single)
7. ← 7. 5 Villagers / So Simpatico (2021 - Fever Dreams)
8. ← 11. 3 LUMP / We Can No Resist (2021 - Animal)
9. ← 6. 8 Klô Pelgag / À l'ombre des cyprès (2020 - Notre-Dame-des-Sept-Douleurs)
10. ← 8. 6 Zahara / Merichane (2021 - Puta)
11. ← 16. 2 Spellling / Boys at School (2021 - The Turning Wheel)
12. ← 13. 4 Clairo / Blouse (2021 - Sling)
13. ← 14. 2 black midi / John L (2021 - Cavalcade)
14. ← 19. 2 Erika de Casier / Busy (2021 - Sensational)
15. ← 12. 9 Wesley Gonzalez & Rose Elinor Dougall / Greater Expectations (2021 - Single)
16. ← 15. 3 Torres / Thirstier (2021 - Thirstier)



17. NEW 1 LOMA / Going Out (2021 - Single)
18. ← 10. 8 King Gizzard & the Lizard Wizard / Yours (2021 - Butterfly 3000)



19. NEW 1 Chevalrex / Providence (2020 - Providence)



20. NEW 1 Emile Mosseri, Han Ye-ri / Rain Song (2021 - Minari OST)


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天使/L'ANGE

2021-07-28 17:05:06 | 映画(映画館)
L'ange@早稲田松竹/監督・映像特殊効果:パトリック・ボカノウスキー /出演:モーリス・バケ、ジャン=マリー・ボン、マルティーヌ・クチュール、ジャック・フォール/1982年フランス

天井から吊るされた人形、繰り返しサーベルを突く、仮面の男。メイドが運ぶ牛乳の壺は、テーブルからゆっくりと床に落ち、割れる。凝視している男。男は、鼻歌を唄いながら風呂に入り、身だしなみを整えポーズをとる。せわしなく本を探し運び続ける図書館員たちは、皆同じ風貌をしている密室の裸女めがけて襲いかかる、棍棒を持った男たち光線が降り注ぐ中、人々は階段を昇る…。 

カンヌ映画祭批評家週間で衝撃を与え、世界のアートシーンに登場した『天使/L'ANGE』は、『アンダルシアの犬』の再来かつまったく新しいアヴァンギャルド映画と絶賛された。この作品にはダリ&ブニュエル、マン・レイ、コクトー、アンガーといった旧来の「アヴァンギャルド/実験映画」とは一線を画した作法がある。散文的な物語から離れ、どの1コマを切り出しても絵画となり得るような映像そのものの追求。特殊合成・特殊効果のほとんどをボカノウスキー自身が行い、完成までには5年という歳月が費やされたが、その美は洗練され、35年以上の月日を経た現在でも新鮮な輝きを放つ。



有吉弘行のラジオ、彼の結婚発表の前後はフリートークやアシスタントを務める芸人との絡みなど安定感があって楽しく聞いていたが、6月の後半くらいから急激につまらなくなり、もう止めようかなと思って迷いながらも聞いてみた7月18日の回。冒頭からタイムマシーン3号とアルコ&ピース、アルピーの平子と酒井、石橋貴明と上島竜兵、それぞれ比較して片方をおとしめるという安易な笑いの取り方をしていて呆れてしまい、2度と聞くまいと。

そもそもロンハーなどは人に順位を付ける企画が多いし、以前から彼はアンジャッシュ渡部が「寺門ジモンとは人としてレベルが違う」と発言せざるをえないよう誘導したり、カズレーザーに対しても似たイジリがあったな。蔑まれるような位置から悪口(毒舌)を武器にのし上がり、品川祐や熊田曜子のように彼から斬られることでかえってキャラが鮮明になって長く芸能界に残れる、人の運命を左右できるような立場になったことでおごりたかぶる。結婚計画がすっぱ抜かれ、一時精彩を欠いたが、テレビ・芸能・広告界にとって便利かつ必要な人材ということで、冷却期間を置いて無事譲渡されるよう根回しが行われたのだろうか。彼が2時間も3時間も歩くのは孤独になるためだと思っていたが、もう逃げ場はない。落日のテレビを背負っていってください。私はもう関わらない。



We can change!! オバマ現象が起きなかったらトランプ現象も起きなかったといわれているし、私もそう思う。現実に差別が残り、しかも世はスマホ(バカホ)、人の時間が換金される圧は強まっている。看板だけ黒人にしてみたけどかえってアメリカの野蛮さが露呈する結果に。

大坂なおみの記者会見の問題も、男のエリートの記者は「女のスポーツなんて価値は低い。俺らが価値を与えて大金稼がせてやってるんだ」っていうマウンティングを兼ねて下世話な質問を浴びせてくるんでしょ。大会組織委が聖火最終ランナーに起用したのも同じだ。差別をなくそうだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。オリン「ピッグ」でっせ。ふざけてんのか。くだらねー順位とかを知らせてくるな。早く終れ。でも壮大な無駄のツケは税金の形で私たちが払う。有吉のことも同じだ。私は関わらない、テレビを見ないでやがて死ぬ。でもテレビや広告の「意味のある時間・価値のある人生を!!(そのためにお金を使ったり勉強や部活をがんばって稼げる人間に!!)」っていう押し売りはツイッターやユーチューブなどますます人の脳を汚染。やまゆり園の事件やブレイビクの事件を引き起こす。


意味や価値から逃れられる抽象的な映像でよくできているが、そこは映像なので64分でも少し飽きる。人に順位を付ける大がかりなお祭りの喧騒から逃れる自己満足ともいえる。フィッシュマンズのLong Seasonやライヒの18 Musiciansはこれから何度も聞くだろう。でもこの映画のことは競技場の維持費とか誰か選手の不祥事とか折に触れ脳裏をかすめるくらいで2度と見ることはないだろう。
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1993 — 50 Best Songs

2021-07-27 16:00:48 | Year End Charts
50) World Party / Is It Like Today?
49) Frank Black / Los Angeles
48) Sting / If I Ever Lose My Faith in You
47) Tindersticks / City Sickness
46) Kingmaker / Ten Years Asleep
45) 桑田佳祐 / 真夜中のダンディー
44) Pearl Jam / Daughter
43) The Beloved / Sweet Harmony
42) Peter Gabriel / Steam (1992)
41) Cypress Hill / Insane in the Brain
40) Family / El bello verano
39) Blur / For Tomorrow
38) Aerosmith / Cryin'



37) The Monochrome Set / Forever Young
36) Depeche Mode / I Feel You
35) Freddie Mercury / Living on My Own
34) Dr. Dre / Nuthin' But a ‘G’ Thang
33) Elvis Costello & the Brodsky Quartet / Jacksons, Monk and Rowe
32) Janet Jackson / That's the Way Love Goes
31) Jellyfish / Joining a Fan Club
30) Suede / So Young
29) New Order / Regret
28) George Michael & Queen / Somebody to Love
27) 松任谷由実 / 真夏の夜の夢
26) Mick Jagger / Don't Tear Me Up
25) The Wannadies / Things That I Would Love to Have Undone
24) Squeeze / Some Fantastic Place
23) Dinosaur Jr. / Out There
22) Björk / Venus as a Boy
21) Radiohead / Creep (1992)



20) Khaled / Les ailes
19) Stereolab / French Disko
18) Billy Joel / The River of Dreams (1992)
17) Ice Cube / It Was a Good Day (1992)
16) L'Affaire Louis' Trio / Mobilis in mobile
15) Saint Etienne / You're in a Bad Way
14) David Bowie / Jump They Say
13) The Breeders / Cannonball
12) R.E.M. / Everybody Hurts (1992)


11) The The / Lonely Planet
10) Rage Against the Machine / Killing in the Name (1992)
9) Pulp / Razzmatazz
8) Soul Asylum / Runaway Train (1992)
7) UB40 / Can't Help Falling in Love
6) THE BOOM / 島唄 (1991)
5) Boy George / The Crying Game (1992)
4) Duran Duran / Ordinary World
3) Suede / Animal Nitrate
2) Los Fabulosos Cadillacs / Matador
1) Saint Etienne / Avenue


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24-Jul-2021 Top 20 Hits

2021-07-24 17:46:40 | Weekly Top 15
1. ← 1. 3Courtney Barnett / Rae Street (2021 - Things Take Time, Take Time)
2. ← 5. 4 Pabllo Vittar / Zap zum (2021 - Batidão Tropical)
3. ← 2. 6 Deafheaven / Great Mass of Color (2021 - Infinite Granite)
4. ← 10. 2 Clairo / Amoeba (2021 - Sling)
5. ← 4. 5 doppelfinger / Knowingly (2021 - Single)
6. ← 3. 7 Klô Pelgag / À l'ombre des cyprès (2020 - Notre-Dame-des-Sept-Douleurs)
7. ← 11. 4 Villagers / So Simpatico (2021 - Fever Dreams)
8. ← 6. 5 Zahara / Merichane (2021 - Puta)
9. ← 13. 3 Sangit / Vem Vem (2021 - Single)
10. ← 7. 7 King Gizzard & the Lizard Wizard / Yours (2021 - Butterfly 3000)
11. ← 17. 2 LUMP / We Can No Resist (2021 - Animal)
12. ← 18. 8 Wesley Gonzalez & Rose Elinor Dougall / Greater Expectations (2021 - Single)
13. ← 16. 3 Clairo / Blouse (2021 - Sling)
14. ← 19. 2 black midi / John L (2021 - Cavalcade)
15. ← 20. 2 Torres / Thirstier (2021 - Thirstier)



16. NEW 1 Spellling / Boys at School (2021 - The Turning Wheel)
17. ← 12. 9 Bachelor / Stay in the Car (2021 - Doomin' Sun)
18. ← 15. 9 Lord Huron / Long Lost (2021 - Long Lost)



19. NEW 1 Erika de Casier / Busy (2021 - Sensational)
20. ← 9. 7 Teenage Sequence / All This Art (2021 - Single)


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オヨヨ(OHYO) / あだちもんx2

2021-07-23 16:18:30 | 書肆(しょし)マガジンひとり
あだち充先生トリビュート、おもに『タッチ』を扱った『あだちもん。』好評を受け『みゆき』の原作中でも問題作とされる写真コンテストのエピソードに挑戦。今回はイベントに合せて漫画「前編」を収め、いずれあらためて完全版としてお目にかける予定です。A5判20ページ・本文白黒・書店500円+税・BOOTH電子書籍版400円。

📚BOOTH https://magazine-hitori.booth.pm/items/3140375
🐯虎の穴 https://ec.toranoana.jp/tora_r/ec/item/040030922821/
🍈メロンブックス https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1049581



3月から延期となっていた「ふたけっと17@7月31日・都産貿台頭館6F」に配置I10で参加します。この新刊のほか既刊各種持参し、8月の合同誌AVALON4号に掲載予定のヒラメドゥサさんによるふたなり水着イラストのハガキを無料配布します。入場は成人であることを証明するものとカタログ購入(1000円)が必要で、オリンピック期間中でもありお気を付けてお越しください。翌8月1日の「A40@浅草橋・東商センター」というミニイベントにも参加します。

電子書籍版はふたけ当日31日に登録しBOOTHのみで扱います。オヨヨさんのFANTIAで支援いただいている方は電子版を何らかの形でFANTIA上でご覧いただけるように検討中とのことです。
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読書録 #26 — ブルースと話し込む、ほか

2021-07-22 17:45:53 | 読書
ポール・ファッセル/階級 [平等社会]アメリカのタブー/光文社文庫1997・原著1983
3~4年前、とろサーモン久保田がかまいたち山内から仮想通貨と薄毛の薬を勧められどっちもインチキだったと暴露。その後かまいたちは東京のテレビで躍進するも山内がトランプ信者のネトウヨだとも判明、金銭や消費にまつわる記号やゲーム性を好む者にとって安倍やトランプは魅力的に映るらしい。本書「アメリカ陸軍では夫人の社交的な集まりでコーヒーを注ぐのは上級将校夫人の特権だ。夫人たちの誰もが知っているようにコーヒーは紅茶より格が上だから」。変化の激しい多民族のアメリカ社会において「成功し、他人から評価されること」は切実に望まれ、細かな差異の膨大な体系を作り上げ、自由や平等の建前を空しいものにしている。主婦の井戸端会議に象徴されるような日本の「世間」は人を監視・査定・選別するが、アメリカ発のスマホ(バカホ)とソーシャルメディアは本書で描かれるような差異の体系と「世間」を悪魔合体させ、空前の人間疎外を招いたといえよう。


小島庸平/サラ金の歴史 消費者金融と日本社会/中公新書2021
「高度成長期の企業の人事評価は、直接的な数値では表現できない『情意考課』を採用していた。(中略) したがって、もし情意考課の下で出世を望むのであれば、職場の飲み会や接待やゴルフなどに積極的に参加したり、気前よく部下におごったりするなど、つきあいのよい人格円満な人物として周囲にアピールせねばならない。だからこそ飲酒・ゴルフ・マージャンといった社内外のつきあいのための金は、出世のための『健全資金』と言えた」「たとえば医者、あるいは資金に余裕のある中小企業の経営者。父はこうした人たちに金主になってもらうために必死で接待した。徹夜、徹夜の接待で疲れはて、顔色が真っ青でも、顔を熱湯で洗ってでも顔色をよくして元気バリバリ、気合がみなぎっているようにアピールし、命懸けで自分を売り込んだ」。引用の後者は武富士創業者・武井保雄の娘婿による。すなわち借り手の会社員と貸し手のサラ金は写し絵のようなもので、人に上下を作る資本主義システムに則ってそれぞれ立身出世を目指した面が。高度成長から失われた30年に至る日本経済の裏面史といえそうな読み応え十分の労作。


照井啓太/日本懐かし団地大全/辰巳出版2018
前掲のサラ金の歴史において、大手サラ金台頭の前段として、おもに口コミで団地の主婦に貸し付ける「団地金融」なるものが1960年代に伸長。それまで主婦は扶養家族に過ぎず、金融の顧客とみなされなかったが、公団の団地は入庫時の審査が厳しいこと(夫の年収や勤続年数など)、テレビや自動車などご近所が買うと競うように広まる旺盛な消費と見栄などで優良顧客とみなされるように。現在では貧弱に見える郊外の団地は昭和の庶民にとって最新設備を備える「憧れ・ステータス」であった。そして私の両親も…。潤沢な写真で全国の公団団地を図解する楽しいムック本。




加谷珪一/貧乏国ニッポン/幻冬舎新書2020
開会式まで1週間を切った時点で楽曲担当の辞任。(追記:演出担当も…ww)。筒井康隆全盛期のドタバタ小説でもありえない醜態。渋谷系もロッキンオンも屑だとバレたのはうれしいけど遅すぎるし、私の持論「日本の音楽は世界一みっともない」の要因となる欧米からの盗用、金とコネで固めた既得権でガラクタを押し売り=などはいまや目の届くあらゆる範囲で常態化。この本も。空疎な紙の束。著者名を当ると類似の本が山ほど。目先の現実=おもに立場と金=だけシコシコ追って生きる国民性が、とくにリーダー層ほど面子にこだわり時代の激動に対応できなくさせる。こんな低能が「経済学」を掲げて何冊も本を出して識者ヅラできてしまうから「貧乏国」なのであるという自家撞着本。


高野慎三/貸本マンガと戦後の風景/論創社2016
著者はガロ誌編集を経て北冬書房を設立、青林堂創業者の長井勝一氏やまんだらけ創業者の古川益三氏とも親しく、戦後の貸本隆盛から衰退、ガロや少年漫画週刊誌に引き継がれる流れの生き証人としてまんだらけ発行ミニコミに連載したもの。貸本の出版・流通にかかわる記述には昭和30年代をしのぶ史料価値。しかし作家論・作品論となると、呉智英をネオリベ右派とすればちょうど対極に位置するような教条左派色が強く、生硬で心情的な文体には売らんかなの俗悪に流れ子どもを毒する主流漫画へのルサンチマンがうかがえ後味がよろしくない。


つげ義春大全・別巻1(随筆)夢日記・僕の漫画作法/講談社2021
「しばらくすると婆さんがバケツをとりに構わず入って来て、また卑屈な笑いをうかべ、あの女は2、3日痔が出て動けずゴロゴロしているのだと云った。男の方はその辺へ薬を買いに行ったりして手当てしてやっているけど、バチ当りな女だヨと、女の方ばかりを非難した」。不倫でもパパ活でも温泉旅行の金を払うのは男。よって女の敵は女という救いのない構図になる。つげさんは小卒での厳しい労働イヤさに密航を企て、対人恐怖から漫画家を志す。井伏鱒二の小説などの影響でひなびた温泉旅行を好み、「ゲンセンカン主人」など作品にも活かすが、海外は何と82歳の昨年初めアングレーム国際漫画祭授賞式のため渡仏したのが初。現存する日本最高のアーティストである。


ベン・カールソン/お金で騙す人 お金に騙される人/原書房2021・原著2020
占い師の詐術「あなたは本当は××(ありふれたこと)でしょう」「え? なぜ私のことが分ったんです?」。スコット・マクラウドが漫画の作法を理論化した『マンガ学』でも「コマとコマの間の溝こそ秘儀。読者の心理を誘導できるから」と。人は断片的な情報から勝手にストーリーを作るようにできており、これはうまいこといく・大儲けできるという夢を売る詐欺・マルチ商法・贋作販売などは尽きることがない。本書は有名な事件からそうでもない事件までユーモラス・風刺的に扱い、ウシジマライクな犯罪事典としても楽しむことができる。




ゲーリー・ウィルソン/インターネットポルノ中毒/DUブックス2021・原著2015
生殖は「苦役・個体の死」を伴うためあらかじめ性的快感という報酬が用意されている。ヒトは進化の過程で発情期がなくなり年中性交可能に。そのための「性的興奮」はヘロインなどの中毒性ドラッグと同じ脳内の報酬系に作用するので、パソコンやスマホ(バカホ)で容易に過激なポルノ情報に触れられることは心身に大きな弊害をもたらす。遅漏やED、本当の人間に魅力を覚えなくなるなど本末転倒な場合も。本書はこの中毒から脱し、心身の健康を取り戻すべきと説き、実践方法も示すが、ややポルノのせいにし過ぎており、なぜネットやスマホ、あるいはメディアがこれほど人を惹きつけ虜にするのかの視点が欠けており説得力不足に感じる。


多田富雄/免疫の意味論/青土社1993
空気階段かたまりは緊張すると稀に勃起が収まらなくなるのでステージや番組収録で困ることがあるそうだ。女は安心できる状況でなければ性的快感を得にくいのに対し男は「疲れマラ」などともいい激しいストレス下で逆に勃起する。生命活動の危機に子孫を残そうとする反応であり広い意味の免疫なのかも。新型コロナでも稀に勃起しっぱなしになる症状があったり後遺症としては逆にEDになったり。国産ワクチン開発を目指す塩野義の社長「ワクチンは万能ではないし免疫はそんなに簡単ではない」。長い生命の歴史が発達させた免疫はなぜ暴走して厄介な病気をもたらすことがあるのか。自己と非自己という哲学的な命題から化学・医学の最前線まで解き明かす名著。


ポール・オリヴァー/ブルースと話し込む/土曜社2016・原著1965
「ブルースは邪悪なものだって考える人がいる。自分は違うさ。宗教的な歌はすばらしいと感じる人もいる。おれもそう思う。そこでだ。ブルースが悪であってそれならと思って宗教的な歌を歌おうとする人がいる。それを非難できるだろうか。翌日になってさ、ブルースを歌いたくなったとしたら元に戻る。いいムードであれ悪いムードであれムードに過ぎない。そして本当のことだけが何にせよ伝わってくる」。空気階段もぐらの「素人童貞なんて言葉はない。やったかやらないかだけ」との言葉、店に半分搾取されたり殺される危険のある女のことを思うと素直にうなずけないが、彼が風俗嬢・売春婦を人として見下していないという真心は理解できる。なので彼は本当の愛をつかむことができた。米国の繁華街で歌う、既に世を去ったブルースマンの言葉を記録した本書、翻訳や装丁もよくできた極上の美酒。人は平等。上下はない。


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17-Jul-2021 Top 20 Hits

2021-07-17 20:08:14 | Weekly Top 15
1. ← 1. 2Courtney Barnett / Rae Street (2021 - Things Take Time, Take Time)
2. ← 2. 5 Deafheaven / Great Mass of Color (2021 - Infinite Granite)
3. ← 4. 6 Klô Pelgag / À l'ombre des cyprès (2020 - Notre-Dame-des-Sept-Douleurs)
4. ← 5. 4 doppelfinger / Knowingly (2021 - Single)
5. ← 9. 3 Pabllo Vittar / Zap Zum (2021 - Batidão Tropical)
6. ← 7. 4 Zahara / Merichane (2021 - Puta)
7. ← 3. 6 King Gizzard & the Lizard Wizard / Yours (2021 - Butterfly 3000)
8. ← 6. 7 Wesley Gonzalez & Rose Elinor Dougall / Greater Expectations (2021 - Single)
9. ← 8. 6 Teenage Sequence / All This Art (2021 - Single)



10. NEW 1 Clairo / Amoeba (2021 - Sling)
11. ← 14. 3 Villagers / So Simpatico (2021 - Fever Dreams)
12. ← 10. 8 Bachelor / Stay in the Car (2021 - Doomin' Sun)
13. ← 17. 2 Sangit / Vem Vem (2021 - Single)
14. ← 11. 7 Sharon Van Etten & Angel Olsen / Like I Used to (2021 - Single)
15. ← 12. 8 Lord Huron / Long Lost (2021 - Long Lost)
16. ← 20. 2 Clairo / Blouse (2021 - Sling)



17. NEW 1 LUMP / We Can No Resist (2021 - Animal)
18. ← 13. 9 Max Gazzè / Il farmacista (2021 - La matematica dei rami)



19. NEW 1 black midi / John L (2021 - Cavalcade)



20. NEW 1 Torres / Thirstier (2021 - Thirstier)


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オルタモントの悲劇 -崩壊したウッドストック神話- ④

2021-07-15 16:42:31 | 音楽

オルタモントは、たんに夢がこわれたというだけでなく、ヴィジョンの腐食作用が最高度に達したことを表わすものであった。マリファナを吸い、LSDを飲み、ハダカになり、公衆の面前で性交し、強烈なパワーをもつ音楽のまわりに一種のコミュニティを見出している若者たちが、おびただしい数にのぼっているということに、マスコミが気づくよりも、ずっと前から、すでに腐食のプロセスは始まっていた。こうした若者たちの現象を『タイム』誌がリポートしだしたころには、コミュニティをつくる方向よりもたんなる多数化の方向を取らせる姿勢をもっていたウッドストック生活様式の中に、す でに確かな変化がおこっていたのである。

この変化は、ある部分、群衆の数の問題にすぎない点ももっている。ウッドストックのわずか3年前の1967年、ゴールデン・ゲイト・パークに2万人の人が集まったが、この最初のビー・インは記念碑的な出来ごとと考えられたのだった。そしてウッドストックの4か月後、ローリング・ストーンズは、指をパチンと鳴らして合図するだけで、50万人近くの人びとを、人里離れた不便な場所に集めてしまった。

最初のころのビー・インや大規模なロック・コンサートは、とくにベイ・エリアでは、聴衆はバンドと同じくらい重要視されており、観察者たちは、踊ったり聞いたりしている連中のことも、演奏者についてと同じくらいのスペースをつかって、書いた。ステージと客席の間には、まったく距離を感じさせなかった。バンドは、政治演説や詩の朗読や踊りやポスター作りと同じように、大きなショウの一部分でしかなかった。

こうした初期の経験からひろがって行った夢は、後の“カウンター・カルチャー”(反体制文化)という、盛んに乱用されたポップ・ソシオロジー的概念ではなくて、音楽とマリファナと共同生活と性の解放を通して、現存の社会機構をぶち壊すような、有機的コミュニティへのヴィジョンであった。カンサス・シティとかニューョークなどで育った若者たちにとって、この時期のサンフランシスコで起っていた出来ごとは、政治や文化の既存体制をくつがえすものであるだけでなく、社会変革の政治主義的な方法論にたいする有力な代案でもあった。そこには、おそらく“喜びのポリティックス”とでも呼べるような、一種の戦略があった。若者たちはいまや、マリファナを吸い、共同生活を送り、ディガーズで無料の食糧を与え、マイム・トループを見物し、グレートフル・デッドやジェファスン・エアプレインのようなバンドを日曜日の公園でロハで聞きながら、彼ら自身を反逆者あるいは革命家と考えることができた。

サンフランシスコ港の向う側、バークレーの強硬派政治的ラディカルたちは、そういった考え方を、真の実践をないがしろにした見当はずれのものとして片づけてしまっただろうが、彼らの中でも最もセンシティヴな少数派は、それがユートピア的かつ非組織的ではあるにしても筋の通ったヴィジョンであること、そのようなヴィジョンが、ハイト・アシュベリーのヘッド・ショップや、ディガーズの無料ストアーや、パイン・ストリートのグレートフル・デッドの家から生まれてきつつあることを、知っていた。彼らは、このようなヴィジョンに、そのうちなにか名前をつけなければならなくなることに気づいていた。当時はコチコチの政治小僧だったジェリー・ルビンが、1967年の、ゴールデン・ゲイト・パークでの大ヒューマン・ビー・インで、政治主義的なストレートな発言をせず、「ぼくは旧世界から新世界へやってきた」と、まるでVDCのリーダーでなくてコロンブスででもあるかのような言葉をくり返していたのは、賢明だった。



ウッドストックやオルタモントのころの、発達しつくしたロック・バンドにくらべて、初期のバンドはかなり違っていた。ロック・ジャーナリスト、マイケル・ライドンは、かつての非暴力と愛と麻薬のヴィジョンの本質を、次のように定義づけている。
《そのコミュニティの中では、みんながロック・スターのようにみえ、そしてロック・スターは一般の人たちのようにみえ始めた。そこには神さまはなかったのだ》

その後ロックは急速にひろがり、商業的に成功し、ショウ・ビジネスとしての全盛期を迎え、とうとうロックはひとつの産業になった。ロック・スターたちの写真は郊外の歯医者の待合室に置かれる雑誌の表紙を飾り、エド・サリバン・ショウに出、運転手やPR係を雇うほどになった。変化は強烈かつ急速だった。ロック・バンドや個々のプレイヤーたちは、彼らを生み出すきっかけを作ってくれたコミュニティや文化革命をしのぐほど、大きな存在となった。ステージと客席の間の距離はますます広がり、ステージから送り出される音楽がすべてであって、群衆からステージにむけられるエネルギーはごく小さなものになってしまった。

バークレーの初期のころ、自分たちを“政治的なバンド”と、自己満足的に呼んでいたカントリー・ジョーとフィッシュを例にあげよう。リード・ギタリストのバリー・メルトンはサンフランシスコ・マイム・トループの急進的人形劇場ゲリラの一員で、ロバート・シアーを国会に送るキャンペーンにたずさわっていた。このバンドはベトナム・デイ・コミッティの非公認メンバーだった。彼らが作った「フィール・ライク・フィキシン・トゥ・ダイ・ラグ」 は、2年間のあいだ、反戦運動のナショナル・アンセムだった。それなのに、フィッシュが大きくなった──たくさんの公演をし、たくさんのレコードを出し、たくさんの金を得るようになった──後は、政治的な集会には出てくれなくなってしまったのである。

いくつかのロック・グループ、たとえばグレートフル・デッドは、このような傾向に抵抗した。彼らはコミューン的な生き方をつづけ、聴衆との特別な結びつきを保ってきた。(ストーンズのコンサートをゴールデン・ゲイト・パークで完全なコミュニティ方式で行なおうと努力したのはグレートフル・デッドであり、彼らはまた、かつてのモントレー・ポップ・フェスティバルをも無料にし、もしくは収益をディガーズに寄付しようと主張した)。彼らは、彼らの公演を自分自身の手で行ない、業者を間に入れなかった。

グレートフル・デッドとジェファスン・エアプレインは、ビル・グラハムのフィルモアに対抗し、サンフランシスコのカルーセル・ボールルームを、自分たちの共同運営によるコミュニティ的ダンス・ホールにしようと試みた。デッドは、よき夢想家たちではあっても、よき企業者たちではなかったので、カルーセルは、運営のまずさ、能率の悪さのために失敗してしまった。カルーセルがつぶれたあと、ビル・グラハムが乗りこんできて、フィルモア・ウェストと名をかえ、彼の拠点にした。“ザ・コミュニティ”のうわさは、きびしい損益計算簿の騒音の中に沈没してしまったのである。



ロック企業家としてのビル・グラハムの成功は、ウッドストックからオルタモントのような事件を生み出した、ロック界の根本的変化の徴候であった。グラハムは、マイム・トループに純益を寄付するために、サンフランシスコで最初の大がかりなロック・ダンス会を組織した。ロックの丘に金鉱を発見したグラハムは、マイム・トループをやめ、ロック・コンサートを定期的に行ない始めた。鋭い組織感覚をもった頭の切れる、タフなビジネスマンであるグラハムは、民衆のための音楽を組織するには、コミューンの倫理よりもビジネスの倫理のほうがより効果的な方法だということを、実地に証明してみせた。

同じような方向への発展は、ロックの出版物にもみられる。はじめての良質なロック・マガジンである『クローダディ』(ロンドン郊外リッチモンドにあるクラブの名をとったもの。ローリング・ストーンズは、このクラブで初めて演奏した)は、1966年に、若くてセンシティヴな、スワースモア・カレッジ中退生、ポール・ウィリアムズによって創刊された。『クローダディ』は、ときにはキラリと光り、しばしば常軌を逸した月刊誌で、2万5000部の発行部数に達したが、運営の仕方が悪く、ときどき発行されなかったり、レコード会社の広告など追っかけなかったりしていた。ウィリアムズは、スターたちのゴシップよりも、ロックやそれを聞く人たちの体験そのものに関心をもっており、しばしば田舎に行ってコミューンの生活を送ったり、彼自身の著作に没頭したりした。

『クローダディ』は『ローリング・ストーン』に、急速に地位を奪われた。『クローダディ』がダメになると、『ローリング・ストーン』が頂点に立った。グラハムの企業と同様、それは、最初は、ロック界の商業化の進展から自然に出てきた結果であり、同時にまたその商業化を促進するものでもあった。それはまもなく“業界紙”になってしまい、国じゅうのロック・ファンたちにとって、インフォーメイションやゴシップの主要な供給源となった。同紙は、スター・システムやある種のロック帝国主義のあと押しをした。自意識的なカウンター・コミュニティの本来の考え方からすれば、『ローリング・ストーン』はひとつの悲劇であった。

2年前の夏、ジェリー・ルビンがシカゴでィッピーのデモを組織し、ロック・グループたちにも参加を呼びかけたとき、『ローリング・ストーン』の若くて頭のいい編集長ヤン・ウェナーは、ロック・グループが政治集会などで演奏してくれると考えるなんてジュリー・ルビンは厚かましい奴だと、同紙の社説の中で非難した。ロック・ミュージックとより大きな革命との関係についてのウェナーの社説は、ロック音楽界の反政治性それ自体の中にある種の政治的選択が表明されているという、少なくともオルタモント以前において、一部の人びとが真面目に信じていた意見を、完全に代弁したものである。 

《ロックンロールは若者たちの巨大な、しかし形のない力というものを、構築する唯一の道であり、それが明確な形をとりうる唯一の道である。ロックンロールの形式と内容が、何百万人という若者たちのイマジネーションと経済力と知的関心をとらえた。

それは、まったく驚くべき力をもち、可能性にみちている。それは、独自のユニークな道徳性をもっている。物識りで教養豊かな人が、それを観察し、定義づけようとすればするほど困難なものであり、"なぜ"という疑問詞で尋ねつづけたとしてもけっして理解できるものではないけれども、それにもかかわらず、それは存在し、じょじょに動的な形をそなえてくる》

これは、『ローリング・ストーン』が、ロックだけが革命なのであるという理論をおし進め、革命につながる多くの試みや、より広い政治的視野を無視し去ろうとするときに、今もなお用いている、一種のオブスキュランティズム 〔大衆を無知なままにさせておこうという考え方〕の言いまわしである。



ロックが産業として発展し、大きく広がってくると、新しくロックの世界に入ってきた人たちは、ロックを共有する人というより、ただたんなる消費者の立場におかれる。ロックがその人たちにひき起こした行動といえば、何度も行なわれる大きなコンサートを高い金を払って聞きにいくことだけなのだ。

初期のロック反体制文化の夢想家たちは、ロック人口の大半がハィト・アシュベリー、ゴールデン・ゲイト・パーク、フィルモアなどの中に限定されていたころ、ロックの世界の状況をコントロールすることができた。しかし、あらゆる独創的急進的な生活様式をも商品化、画一化してしまわずにはおかないアメリカの伝統が、ロックの世界を巨大なものにふくれ上がらせてしまったとき、夢想家たちには手のほどこしようもなかった。文化救済の名目を保ちながら、ロック文化はひとつのビジネスになってしまい、ウェナーやグラハムのような実利家たちが、新しい波を表面だけのさざ波にしてしまった。彼らは、今もなお、ロックこそ新しい反体制文化の中心だと、声を大にして唱えている。しかし、実際の行動をみてみると、お客さんの開拓を第一に考える彼らのチャッカリしたやり方は、荒廃した現実社会を社会的政治的に変革して行くのにどうしても必要なコミューン的体験から、ロックをますます遠く離して行くだけだ。

結局、ウッドストックやオルタモントのような大規模なコンサートだけでなく、本来ダンス・ホールだったフィルモアでさえ、人びとはバンドの前で踊ることをやめてしまった。ダンス会はコンサートと化したのだ。最近ニューョークのロック・パーティで、ジャニス・ジョプリンは、若者たちに、前に出てきて踊るように繰り返して誘わなければならなかった。

それと同様に、だが、とてつもなく大きなスケールで、オルタモントの群衆は、自分たちから何の音楽も発散しなかった。音楽はただステージから一方的に与えられるだけだった。そうした受動性と消極性の中で、われわれは、ステージから与えられるものは何でも有難く頂戴しなければならなかった。

ウェナー「評論家やら学生やら、多くの人たちが、あなたの音楽や、あなたが歌詞で言ってることを聞いて、すごく感動していますね」
ディラン「そうかしら?」
ウェナー「本当ですよ。あなたの歌が彼らの生活に特別な結びつきをもっていると感じています。つまり、人びとがどんなふうにあなたとかかわりをもっているか、それをあなたは気づくべきじゃないでしょうか」 
ディラン「わかんないな。説明してくださいよ」
ウェナー「ごく簡単にいってしまうなら、ぼくのよく知ってるあなたのファンたちが期待してるのは、──つまりファンたちがほしがってるのは、あなたが答を与えてくれるってことだと思うんです」
ディラン「何の答を?」   (『ローリング・ストーン』1969年11月号、インタビューから)



カウンター・コミュニティという言い方は、説得力があると同時に漠然としている。この言葉は、人びとに、オートパイに乗った無法者たちまでも共同体的カウンター・コミュニティの一部であるかのように信じさせさえした。彼らは人びとを轢いて傷つけてきた長い歴史をもっているというのに、彼らもロックをきき、LSDを飲んでいるというだけのことで仲間のように思っていたのだ。例えば、かつてラルフ・グリースンは、ロックのもつヴァイブレーションは「ヘルス・エン ジェルスをビー・インの迷子たちの守護者に変え、ダンス会の平和の保証人にしてしまう」ほどグルーヴィだ、と書いたことがある。

もちろんそれは2年前のことだ。オルタモント以後、独善的な非難が渦巻いている。グリースンは、コミュニティにはロックとLSDがつきものだ、エンジェルスもロックとLSDを好む、ゆえにエンジェルスもコミュニティの一員なり──という三段論法を否定した。 エンジェルスは人を殺したのである。ストーンズと、グレートフル・デッドと、もとディガースのひとりエメット・グローガンとが、エンジェルスを警備員として傭うよう手配した。したがって、理の当然のこととしてグリースンは質間する。「ミック・ジャガー、サム・カトラー、エメット・グローガン、それにグレートフル・デッドは、黒人殺害に関して罪はないのか?」

グリースンも編集の一員になっている『ローリング・ストーン』紙は、賛成する。「グリースンはオルタモントに関して、ほかのだれもあえてしなかったほど力強く、真実の質間を投げかけた」

だが、ウッドストック神話と夢との間の違いをハッキリさせなければならない。神話はそれを利用するものにとって麻薬注射の針であるにすぎず、音楽の力への度はずれな要求でしかない。夢は、かりにそれが希望と可能性のひとつでしかないにしても、真実である。そこに何か殺されねばならぬものがある。

それは、LSDや音楽やサイキデリック・バスを用い、あちこちを旅行し、力をもって人びとと敵対し、破壊的、 魔術的、陶酔的なコミュニティを太ったアメリカの尻に一瞬のあいだ実現しうる可能性を実証したヘルス・エンジェルスや、トム・ウルフの「エレクトリック・クール・エイド・アシッド・テスト」のメリー・プランクスターとケン・キージーや、そういったものの中にある。
《メリー・プランクスターズとヘルス・エンジェルスの、神聖ならざる同盟は、すばらしかった。…(でも)…エンジェルスは時限爆弾のようなものだ。でもまあ、それまではどうにかやってきた。ある日などは、エンジェルスはあたりをきれいに掃除したことさえあった。だが、彼らは、いつでも爆発して大虐殺をやらかす可能性はあった。それはアドレナリンを胸に吸いこむようなものだ。それに、本当のことをいうと、エンジェルスと本当に話合うことのできるプランクスターはきわめて少数だった》

サンフランシスコのロック・サイキデリック・シーンのうちで、ウルフが描いたもっともいきいきとした、エキサイティングな部分は、皮肉なことに、まさにマクルーハン的理論(その理論を広めたのは、ウルフ自身だった)の手をわずらわさねばならなかった。ウルフの原稿が古くさいグーテンベルグ方式で出版されたときには、彼が描写したシーンは過去のものになっていた。オルタモントに来た若者たちのほとんどは、トム・ウルフもメリー・プランクスターズも知っちゃあいなかった。



本来のカウンター・コミュニティは希望のない難破状態である。ハイト・アシュベリーは、スラムになってしまい、そこでは暴行殺傷は日常茶飯事になっている。ディガーズも去ってしまい、エメット・グローガンはエンジェルスといっしょに車で行ってしまった。ケン・キージーはオレゴン州に帰り、プランクスターもほとんど消滅した。ほかの多くの人びとは田舎に移った。残ったのは主に音楽関係者と、政治的ラディカルと、街をうろつく連中だけだ。街の片方にはフェスティ・ハル のオルガナイザーたち(バンド・マネージャーたちやもちろんビル・グラハム、ラルフ・グリースン、ヤン・ウェナーなど)、もう一方には街の人びと、政治的ラディカルやサンフランシスコ・マイム・トループたちがいた。マイム・ トループは、芸術家が社会的政治的変革に加担して何が悪いか、という考え方をもっていたころからの、数少ない生き残りのひとつである。

マイム・トループのロニー・デヴィスは、何がもっとも大切であるかということについての、答えにくい質問にぶつかった。なぜ舞台装飾に金をかけるか? 無料のフュスティ・ハルと思っていたのに、なぜ入場料をとるのか? なぜ黒人は入っていないのか? 質問は容赦なく、騒々しく、ときには破壊的でさえある。ラルフ・グリースンは、デヴィスと仲間たちに、美を破壊するだけで建設の見通しをもっていない政治狂ども、と非難の言葉を投げつけた。どうせ、彼らは大衆の代弁者ではない、とグリースンはいう。それは正しいだろう。だがグリースンやウェナー、グラハムらが代弁しているのは、大衆ではなく、ロックンロール産業のパワー・エリートたちの利益なのだ。ウェナーやグリースンたちロックに基盤をおいたカウンター・カルチャーの理論を唱える人たちが、集会や音楽の中に先天的、必然的に存在していると主張するノンポリティカルな革命の力を、まさに発揮するのに失敗したオルタモントの何十万の人たちは、代弁してくれる人をもっていなかった。

オルタモントでは、群衆は酔うこと以外に、自己を主張する方法を失い、ヘルス・エンジェルスの暴力の標的と、 ブロモーター(その中には、ストーンズ・コンサートを金もうけのために撮影し、バークレーの若者の殺害という願ってもないオマケのついた、ベストセラー間違いなしの映画を製作したカメラマンも含む)の材料にされてしまった。

オルタモントの事件にもかかわらず、ウェナーやグラハムのような操縦者、デヴィッド・クロスビーのような音楽家たちは、若者たちには音楽さえあれば十分で、政治などは不要だと、いまも主張しつづけている。「政治なんてクソクラエだ」と発言するのは簡単だし、カッコいい。その言葉はロックの世界を何か特別な、切り離されたものにする。あなたは、あなたに魔術をもたらしてくれる人たちのように、答えにくい質問を発することもないだろう。そして、そういう質間を誰もしないならば、あなたはラルフ・グリースンの次の言葉のようなナンセンスから逃れることもできるだろう。

《ビートルズはキリストよりもポピュラーであるだけでなく、SDS〔急進派の学生団体〕よりも力をもっている。ウッドストックにとじこもっていたとき、ディランは何をしていたのだろうか。 金の勘定だろうか。でも、誰も芸術家であることを放棄するわけにはいかない。ディランもビートルズも、政治を超越したところから出発した。政治家の描いた未来図などは追い越してしまい、世界の頭をかえ、マクルーハン的境地に達した。そこからこそ真の未来図が描かれ、時が来れば、彼らの予定表のとおりになるのだ。だが多分まだその時は来ていない。でもそう遠くない。かなり機は熟しつつある。今のところ、ビートルズによって実現された予定表は、レノンとョーコが24時間をベッドの中で過ごし、何千ドルかの金をアド・インに費して、『ニューヨーク・タイムズ』に「もしあなたが望めば、戦争は終るのです」と広告したことだ》

残念ながら、貧しく、非政治的で、連帯を失ったオルタモントの若者たちは、"未来図と予定表"をまだ待ちつづけている。そして待っているあいだに、彼らは彼らの旧友ヘルス・エンジェルスに踏みつけにされてしまったのである。



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5時から7時までのクレオ

2021-07-13 17:11:56 | 映画(映画館)
Cléo de 5 à 7@早稲田松竹/監督・脚本:アニエス・ヴァルダ/音楽:ミシェル・ルグラン/出演:コリーヌ・マルシャン、アントワーヌ・ブルセイエ/1962年フランス

クレオは歌う。クレオは彷徨う。クレオは出会う。クレオは──。

シャンソン歌手クレオは占い師を前に、自分ががんかもしれないという不安と恐怖から大粒の涙を流していた。時刻は5時。今日の7時には精密検査の結果がわかる。不安を抱えたままパリの街にくり出す彼女だが、カフェでさんざめいても誰も心配はしてくれないし、久しぶりに会った恋人もまともに取り合ってくれない。挙句に、音楽家のボブが持ってきた曲を歌ったら絶望的な気分に。一人黒い服を身に纏い街をさまようクレオ。誰も自分の真の不安を理解はしてくれない。あてもなく公園に入ると、軍服姿の一人の男が話しかけてきて…。

左岸派と呼ばれるヌーヴェルヴァーグ映画運動から頭角を現した女性監督アニエス・ヴァルダが主人公の夕方5~7時をリアルタイムで描くことで若い女の実存的な不安を表現した野心的な作品。



奴隷の社交辞令。いやいやそもそも人に上下はないですが、いまの資本主義が「貴族と農奴」みたいな形態に先祖帰りし、低い身分でいいからどこかにぶら下がっていたいっていう人びとを大量に生み出してしまうことに。スマホゲーのガチャ・宝くじ・主婦の井戸端会議・推し・ラノベ・ツイッター…

人は他人・社会とつながらなければ生きてゆけない。それは男女とも同じだが女は妊娠・授乳期の不利などから育つにつれより強い社会性を示す。OLや主婦は依存・従属的な弱い立場ゆえか細かな情報を気にして収集。人を値踏みする傾向があり、ひどいときには徒党を組んで排除したり。女のオタク、いわゆる腐女子の要望のため、ピクシブ系のサービスで「違うオタクジャンルからは自分の名前が検索できないようにする」機能があるそうだ。より大きな外部からは同じようなものにみえても、彼らにとって仲間とつながって自分を守る大事なコミュニケーション・ツール。逆にキャバクラ・風俗嬢などはどんな客でも笑顔で受け入れねばならない。政治家の集金パーティーなどもたくさんの人と談笑するがうわべだけ。一人一人の会話をいちいち覚えていない。友人知人が少なく、人と接する機会に乏しいと小さなことまでよく覚えている。ところが社交辞令を真に受けたりするそういう者も酒を飲んだりツイッターでは多弁になって人格が変る。つながりを求め、自分をアピールする人の本能が、人をコミュニケーションの媒体や話題に縛りつけ、時間を換金する資本主義を下支えしている。



占い・車の運転・おしゃれな靴を買う・彫刻のヌードモデルの友人。ヌーヴェルヴァーグ映画の中でも徹頭徹尾女の視点で撮られていると聞いて見てみたのだが、それは悪い意味でそうなのだった。他人の視線や評価、会話、都市の雑踏から離れることがない。気分は相対的にコロコロ変る。主人公は新進の歌手との設定で、実際に歌手志望の女を抜擢したという。アイドル。歌もコントもそれだけでは世に出られるような芸でない。なので映画界にはハーヴェイ・ワインスタイン、ポランスキー、ラースフォントリアー、キムギドク、同じような悪い男が引きも切らない。ああ、日本はそれの世界記録か(ジャニーズ・秋元康)。

白黒の映像がきれいな、おしゃれに作られた映画。それだけのこと。うわべの社交。都市・消費・恋愛を持ち上げ、女の監督や関係者がチヤホヤされればよくて、人を弱い立場に縛り付けてしまうことなど眼中にない、いにしえの広告映画。
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1956 ─ メルボルン五輪

2021-07-11 17:27:25 | メディア・芸能
オーストラリアのメルボルン=史上初めて南半球に招致された1956年夏季オリンピック大会は北半球では冬季にあたる11月22日~12月8日に開催された。イギリスとフランスが関与するスエズ動乱、ソ連によるハンガリー侵攻に抗議し数ヵ国が不参加。また中国も中華民国(台湾)の参加に抗議してボイコット、中国としての参加は1984年大会まで先送りされることになる。


オーストラリアの19歳、ベティ・カスバートが陸上女子200mでドイツ(東西ドイツが統一チームで出場)の選手を引き離す。100mと4×100mリレーも制しゴールデン・ガールと称された。


マラソンは戦争を経て独立する前のアルジェリア出身、アラン・ミムンが宗主国フランスに金メダルをもたらす。52年のヘルシンキ大会で5000・10000・マラソンの三冠に輝いたザトペック(チェコスロバキア)は6位。



競泳男子400m自由形のレース後、健闘をたたえ合う優勝のマレイ・ローズ(中央・オーストラリア)、2位・山中毅(日本)、3位・ジョージ・ブリーン(米国)。1500mも同じ3人が金銀銅。


競泳男子200m平泳ぎで大半を潜水泳法で泳いで優勝した日本の古川勝。この泳法は練習中に溺死の危険があるとして翌年に制限。こんにちのクロールやバタフライも元は平泳ぎをいかに速く改良するかという試みの結果であり、バタフライが五輪種目として独立したのもこの大会から。


体操の男子日本チームの活躍を伝えるアサヒグラフ誌面。団体総合で2位、小野喬が個人総合とあん馬で2位、鉄棒1位。しかし「ソ連」という略し方はいまになってみると奇妙な感じを受ける。


ハンガリーの伝説的なボクシング選手ラズロ・パップはロンドン大会のミドル級、ヘルシンキ大会のライトミドル級に続いて本大会でもライトミドル級を制し、ボクシングで3回オリンピックに優勝した初めての選手となった。翌57年プロに転向するが社会主義のハンガリー政府はプロ活動を認めず、国外でのみトレーニングと試合出場を行い、プロとしては無敗のまま引退。


1956年10月、ソ連の傀儡と化していたハンガリー政府に対し市民が武装蜂起するハンガリー動乱が起り、すぐさまソ連軍が侵攻し戦闘状態となってハンガリー側に17000人の死者・20万人の亡命者を生んだ。ソ連の蛮行は西側各国で報じられ、オリンピック大会でも各競技でハンガリー選手に声援が送られた。中でも水球の決勝ラウンドでは前回優勝のハンガリーとソ連が対戦して乱闘に発展、2得点を挙げたエルヴィン・ザードルが殴られて右目の下から流血したまま会場を去る写真が「メルボルンの流血戦("Blood in the Water" Match)」と報じられた。ハンガリーは予選から全勝し優勝。大会後、ハンガリー選手団100人のうち45人が西側諸国に亡命した。

 

【左】ハンガリー動乱、10月29日にはソ連軍が一時的に撤退し、優勢となった市民側が共産党ブダペスト地区本部から出てきた秘密警察員をリンチにかけて遺体を樹に吊るす動きがみられた(画像の遺体は秘密警察の大佐だという)。【右】鳩山一郎に続く新総裁を決める自民党大会が12月14日に行われ、東洋経済新報の社長を務めた開明派で中国との国交回復を目指す石橋湛山がわずか7票差で戦時の有力閣僚でA級戦犯から公職復帰を果たした岸信介を破る。しかし翌年病に倒れ首相の座は「昭和の妖怪」に転がり込むことに。ウソと欲にまみれた2度目の東京オリンピックにつながる痛恨の歴史である。
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