マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

October 2023

2023-10-31 17:05:52 | Monthly Best Songs


13) Reverend Kristin Michael Hayter / All of My Friends Are Going to Hell (2023 - SAVED!)



12) Slauson Malone 1 / New Joy (2023 - EXCELSIOR)



11) Helado Negro / LFO (Lupe Finds Oliveros) (2023 - PHASOR)



10) Future Islands / The Tower (2023 - People Who Aren’t There Anymore)



9) Grandaddy / Watercooler (2023 - Blu Wav)



8) Mhaol / Asking for It (2023 - Attachment Styles)



7) Midlake & John Grant / You Don't Get to (2023 - Single)



6) Georgia Gets by / So Free so Lonely (2023 - Fish Bird Baby Boy)



5) Nourished by Time / Rain Water Promise (2023 - Erotic Probiotic 2)



4) Mannequin Pussy / I Don't Know You (2023 - I Got Heaven)



3) Courtney Barnett / Different Now (2023 - Single)



2) Ana Frango Elétrico / Electric Fish (2023 - Me chama de gato que eu sou sua)



1) Vera Sola / Desire Path (2023 - Peacemaker)

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メキシコの100曲

2023-10-30 19:32:02 | 世界の音楽
メキシコという国は、地方地方によってかなりはっきりと異なった音楽を持っている。スペイン語で「北」をノルテと言うことからメキシコ北部の音楽をムシカ・ノルテーニャと呼び、この系統の音楽はメキシコ国内だけでなく、米国テキサス州などでも盛んに行われている。楽器でいえばアコーディオンとバホ・セスト、音楽でいえばコリード(英バラッドに当る物語歌)とポルカが特徴になっている。

メキシコの歌でよく知られているものに「ラ・クカラーチャ」「シェリート・リンド」「ラ・マラゲーニャ」「ラ・バンバ」などあるが、マラゲーニャもバンバもメキシコ湾岸、つまり東側で、マラゲーニャの方が北寄り、バンバが南寄り、それぞれ別の文化圏に属している。首都メキシコ・シティの北方、ウァステカ地方の民謡をソン・ウァステーコといい、ラ・マラゲーニャはその代表といえる。8分の6拍子のニュアンスに富んだリズムに乗せて時に裏声を使いながら歌う。ウァステカ地方の南に隣接するベラクルース州の音楽をソン・ハローチョと呼び、ラ・バンバが代表である。この曲のような2拍子も、8分の6に寄ったものも、弾むような躍動的なビートが魅力となっている。

太平洋側の、グァテマーラと国境を接するチアバス州、そしてメキシコの陸地が細くなっているテウアンテペック地峡のあたりは、楽器ではマリンバ、音楽的にはワルツが盛んだ。その北西、ハリスコ州のグァダラハラは歴史的な文化都市で、特に有名なのが独特の楽器の組合せによりユニークなサウンドを持つマリアッチである。トランペット+ヴァイオリン+ギターを中心とし、このトランペットを1960年代にアメリカ人がポピュラー音楽に取り入れてアメリアッチ・サウンドとして流行らせた。

こうした民俗音楽が豊かすぎたせいかは分らないが、メキシコでは独自の都市ポピュラー音楽の発達は意外に遅れた。1920年代後半、辺境の筈のユカタン半島からこの国の最初のポップスターと呼べそうなグティ・カルデナスが現れ、彼には作曲の才能もあり、代表曲Nuncaなどにはユカタン半島がキューバの影響を受けやすかったことが表れている。グティは26歳の若さで亡くなり、メキシコ音楽の主役はホルヘ・ネグレーテやペドロ・バルガスの世代に移る。キューバから伝わったボレーロがポピュラー音楽の王座を占め続けるが、ボレーロ中心にメロディックなバラード調を抑制されたソフトな声で歌うバルガスと対照的に、ネグレーテはマリアッチの伴奏で、艶のある声で堂々歌い上げるカンシォーン・ランチェーラの様式を確立した。

バルガスのレパートリーが都市ポップス中心だったのに対し、ネグレーテは民俗音楽に基づく郷土色の濃い歌を好み、カンシォーン・ランチェーラは日本の演歌とも共通する、地方出身の労働者を支持層として発展したとみることができよう。この傾向を受け継いだのがペドロ・インファンテ、ホァン・メンドーサ、ハビエール・ソリースらで、より都会的なボレーロについてはロス・トレス・ディアマンテスの洗練されたコーラスが成功して以来トリオで演奏されることが多い。60年代前半の日本では、今では想像がつかないほどそれらメキシコの音楽が数多く紹介され、ラテン音楽といえばメキシコの歌ものを指すような状況だった。 ─(中村とうよう『なんだかんだでルンバにマンボ(1992)』の記述を抜粋)



1) Alcalá: Dios nunca muere (1850s-60s)
2) Trío González / Cielito lindo (1919, composed 1882)
3) Ponce: Estrellita (1912)
4) Guty Cárdenas / Nunca (1927)
5) Pedro Vargas / Granada (1932)
6) Mariachi Vargas de Tecalitlán / El tren (1937)
7) Revueltas: Sensemayá (1938)
8) Pedro Vargas con la Orq. Havana-Riverside / Perfidia (1939)
9) Agustín Lara / Solamente una vez (1941)
10) Moncayo: Huapango (1941)
11) Jorge Negrete / Ay, Jalisco no te rajes (1941)
12) Agustín Lara / Piensa en mí (1943)
13) Pedro Infante / Las mañanitas (1950)
14) Trío Aguilillas / El cascabel: Sones of Veracruz (1950)
15) Lola Beltrán / Cucurrucucú paloma (1954)
これは女性ボーカルだが、元々は女に去られた男が夜も眠れず酒を飲んでばかりで憔悴して死んでしまい、その魂が一羽のハトに生まれ変ってククルーククーと啼きながら女の帰りを待つという悲歌。伝統的に男が捨てられて死んだりボロボロになる歌が好まれるという。

16) Pedro Infante / Cien años (1954)
17) Dean Martin / Sway (1954)
1953年に書かれた原曲¿Quién será?はペドロ・インファンテらにより歌われ中南米全域でヒットしたが、米作詞家ノーマン・ギンベルは憂鬱な男のスペイン語詞を「ダンスでSWAYさせて(揺さぶって)」という男性賛美の英詞に改作、ディーン・マーティンが歌って大ヒットさせた。

18) Tony Camargo / El año Viejo (1955)
19) Trío Los Panchos / Bésame mucho (1956)
ラテン音楽を代表する有名曲の一つ。日本ではトリオ・ロス・パンチョスで最も知られるが、作曲されたのは1941年のことで、43年にはアメリカでもヒット。日本語版は敗戦5年後の50年に黒木曜子が歌いヒット。ビートルズがデッカ(不合格)とEMIのオーディションで演奏したのも有名。

20) Miguel Aceves Mejía / La malagueña (1957)
21) Cri-Cri / El ratón vaquero (1957)
22) Los Tres Caballeros / La barca (1957)
23) Antonio Aguilar / Yoe l aventuero (1958)
24) Conjunto Tierra Blanca / Veracrúz (1958)
25) Amalia Mendoza / Échame a mí la culpa (1958)
26) Cuco Sánchez / La cama de piedra (1958)



27) Los Tres Diamantes / La gloria eres tú (1958)
ロス・パンチョスが米国でスタートし、米国の放送を通じて名を売ってきたのに対し、ディアマンテスは初めからメキシコ同胞がお客さんである。彼らはメキシコで人気を得、その後に人気が外国にも及んで行った。反対に、パンチョスに対するメキシコ人の人気は、外国で成功した同胞に対する賞賛であるに違いない。レパートリーについていえば、パンチョスは米国人にラテン的なものを紹介するのが商売だから当然米国やヨーロッパの曲は歌わない。ディアマンテスは、メキシコ人のためにこそ、メキシコ以外の国から来た曲を歌う。そのかわり、それらを完全に消化し、ディアマンテス風に作りかえ、歌詞も全部スペイン 語にして歌う。(中村とうよう)

28) Esquivel & His Orchestra / Boulevard of Broken Dreams (1959)
29) Trío Los Panchos / Siboney (1960)
30) Chavela Vargas / La llorona (1961)
31) Mariachi Vargas de Tecalitlán / La bikina (1964)
32) Toña la Negra / Cenizas (1964)
33) Javier Solís / Entrega total (1964)
34) Javier Solís / Sombras (1965)
35) Armando Manzanero / Adoro (1967)
36) José José / El triste (1970)
37) Los Solitarios / Mi amor es para ti (1970)
38) José Alfredo Jiménez / El rey (1971)
39) Angélica María / ¿A dónde va nuestro amor? (1971)
40) Guadalupe Trigo / Mi ciudad (1971)
41) Vicente Fernández / Volver volver (1972)
42) Dug Dug's / Smog (1973)
43) Amparo Ochoa / El barzón (1975)
44) La Revolución de Emiliano Zapata / Como te extraño (1976)
45) Gabino Palomares / La maldición de Malinche (1978)
スペイン語で征服者を意味するコンキスタドールという語、中南米では主に16世紀初めに南北アメリカを征服したスペイン人を指して用いる。その代表格がエルナーン・コルテスで、彼はまず1504年にイスパニオラ島へ、11年にディエゴ・ベラスケスと共にキューバ島征服作戦に参加。やがてメキシコ沿岸地域遠征隊の隊長となり、19年2月にスペイン人・先住民・アフリカ人からなる約600人の部下を率いてユカタン半島に向かい、タバスコ州の海岸でマヤ族と闘って勝利した。そのとき贈られた20人の女奴隷の1人がマリンチェで、彼女はアステカの言葉を話せたことからコルテスに重宝がられ、通訳として働くだけでなくコルテスの愛人となり子どもを残したことでも知られた女性である。ガビーノ・パロマレスはこの曲をコリード(物語歌)風に作り、侵略者に征服される前段に続き「そして今や時代は20世紀/いまだ金色の髪をもつ人間はやってくる/私たちは彼らを招き入れアミーゴと呼ぶ/それなのに山を越えてたどり着く歩き疲れたインディオには/知らぬ顔をして辱める/おおマリンチェの呪い/時代の病/いつになればこの土地から消えてくれるのだ/いつになればおまえはこの土地の人びとを解放してくれるのだ」と歌う。(竹村淳)

46) Chac Mool / Nadie en especial (1980)
47) José María Napoleón / Eres (1980)
48) Size / Tonight (1980)
49) Yuri / Maldita primavera (1982)
50) Rodrigo González / No tengo tiempo (de cambiar mi vida) (1984)



51) Daniela Romo / Yo no te pido la luna (1984)
52) El Tri / Triste canción (1984)
53) Pandora / Cómo te va mi amor (1985)
54) Los Bukis / Tu cárcel (1987)
55) Ana Gabriel / Simplemente amigos (1988)
56) Timbiriche / Tú y Yo Somos uno Mismo (1988)
57) Bronco / Que no quede huella (1989)
58) Caifanes / La célula que explota (1990)
私の最も好きなメキシコのグループ、カイファーニス。1987年にメキシコシティで結成された5人組で、プログレ、ポストパンク、ラテン・パーカッションなどのハイブリッドされた陰影と深みのある作風。エイドリアン・ブリューがプロデュースした92年のアルバムEL SILENCIOはRock en Español(スペイン語ロック)運動の最も影響力ある作品として中南米全域で成功するも95年に解散。

59) Los Amantes de Lola / Beber de tu sangre (1991)
60) Cuca / El son del dolor (1991)
61) Lucero / Electricidad (1991)
62) La Maldita Vecindad y los Hijos del Quinto Patio / Kumbala (1991)
63) Caifanes / Nubes (1992)
64) Maná / Vivir sin aire (1992)
65) Santa Sabina / Azul casi morado (1992)
66) Gloria Trevi / Con los ojos cerrados (1992)
67) Tijuana No! / Pobre de ti (1993)
68) Los Tigres del Norte / Golpes en el corazón (1995)
69) Los Ángeles Azules / Cómo te voy a olvidar (1996)
70) Fey / Azúcar amargo (1996)
71) Fobia / Hipnotízame (1996)
72) Kabah / La calle de las sirenas (1996)
73) Molotov / Gimme tha Power (1997)
74) Onda Vaselina / Te quiero tanto, tanto (1997)
75) Juan Gabriel / Así fue (en vivo) (1998)
76) Panteón Rococó / La dósis perfecta (1999)
77) Aleks Syntek / Sexo, pudor y lágrimas (1999)



78) Zurdok / Abre los ojos (1999)
79) Cabezas de Cera / Encantador de serpientes (2000)
80) OV7 / Shabadabada (2000)
81) Elefante / Así es la vida (2001)
82) Paquita la del Barrio / Rata de dos patas (2001)
83) Celso Piña / Aunque no sea contigo (With Quem, Café Tacvba) (2001)
84) Thalía / No me enseñaste (2002)
85) Café Tacvba / Eres (2003)
86) San Pascualito Rey / Nos tragamos (2003)
87) LU / Por besarte (2004)
88) Porter / Espiral (2004)
89) Belanova / Rosa pastel (2005)
90) Mœnia / Ni tú ni Nadie (2005)



91) Rodrigo y Gabriela / Tamacun (2006)
92) Paulina Rubio / Ni una sola palabra (2006)
93) Julieta Venegas / Me voy (2006)
94) Zoé / Nada (2008)
ゾーエは90年代末から現在まで大きな人気を誇る5人グループ。オルタナティブ/サイケデリックロックの系統ながらネオアコと見なせる重要曲もあり作風の幅が広い。フロントマンのレオン・ラレギはソロ活動も。

95) Helio Seahorse! / Bestia (2009)
96) Los Daniels / Quisiera saber (feat. Natalia Lafourcade) (2010)
97) Julión Álvarez y su Norteño Banda / Te hubieras ido antes (2014)
98) Natalia Lafourcade / Hasta la raíz (2015)
99) Carla Morrison / Un beso (2015)
100) Silvana Estrada / Sabré olvidar (2018)

※番外
民謡 La cucaracha
Ritchie Valens / La Bamba (1958)





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昭和博覧会⑧ 血のメーデー

2023-10-23 17:41:31 | Bibliomania
堀田善衛『広場の孤独』は、ひとくちに言えば、世界が二極化して米ソ超大国のどちらかの陣営に強制的に組み入れられ、日本は全面講和の可能性をまったく封じられて、アメリカとの単独講和に踏み切らざるを得なくなったことを描いたものだ。おしまいの方に、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』をもじって、こんな詩が出てくる。

雨ニモ負ケテ
風ニモ負ケテ
アチラニ気兼ネシ
コチラニ気兼ネシ
(中略)
アッチヘウロウロ
コッチヘウロウロ
ソノウチ進退谷マッテ
窮ソ猫ヲハム勢イデトビダシテユキ
オヒゲニサワッテ気ヲ失ウ
ソウイウモノニワタシタシハナリソウダ
………

こういう状況は、その後30年たったいまでも基本的に変りがない。おそらく今後も、第三次世界大戦でも起らない限り、変りようがないわけだろう。うっとうしいといえば、うっとうしい限りだが、こういう作品が出て来たことは、逆にいえば戦後の混乱期が終息に近づいたことを示すものでもあったろう。

たしかに『広場の孤独』は、その時代の空気を情緒的に象徴していたといえるだろう。その年、昭和27年(1952)のメーデーは、皇居前広場で警官と群衆が衝突して、市街戦さながらの大乱闘になった。そのときの模様を梅崎春生は、ルポルタージュ『私はみた』で、次のように述べている。

デモ隊第一波の先頭が、馬場先門に着いた時、そこからすこし広場に入ったところに私はいた。私のすぐ傍では、300名ほどの武装警官隊が、殺気立った風情で、待機していた。しかしどういうわけか、彼等はすぐに、ひとかたまりにまとまって、広場への道を開放し、デモ隊との衝突を回避する態度をとった。そしてデモ隊は、道いっぱいの幅で、二重橋めざして、広場になだれこんだ。二重橋前に、先頭が到着したのは、それから5分もかからなかったと思う。

二重橋前の広い通路の両側には、人の背丈ほどの鉄柵があり、鉄柵の外側は幅一米ばかり余地があって、そこから濠になる。私はそこにいた。その狭い場所には、デモ隊ではなく、私同様の一般市民が、たくさんいた。柵にとりついていたかなり年配の男が、遠くを指さしながら、
「ほら警官が走ってくるぞ、あそこから走って来るぞ」 と叫んだ。私も柵にとりつき、背伸びをすると、林立した組合旗の彼方に、急速に近づいてくる鉄兜の形がたくさん見えた。しかし老人のその叫びにも拘らず、デモ隊の連中は、あまりそちらに注意を向けていないように見えた。二重橋前に到着したという安堵感が、デモ隊の緊張をゆるめていたように思われる。

このルポでは、デモ隊の人数がどれぐらいいたか、具体的に書いていないのでよくわからない。おそらくそれは、警官隊の10倍よりは多く、100倍よりは少なかったという程度であったろうか。いずれにしても、当時のデモ隊はヘルメットもゲバ棒も、また石コロなども持っておらず、もっぱら非武装無抵抗の集団であったといえる。一方、警官隊のほうは鉄兜、警棒のほかに催涙ガスや銃砲の用意があった。だから、デモ隊が皇居前広場へ入ろうとするのを、馬場先門のあたりで阻止しようとすれば出来ないことはなかっただろう。しかし警官隊は、むしろデモ隊を広場へ導入し、デモ隊が二重橋へ向って押し掛けるのをみたとき、前後からこれを取り囲んで警棒を振るい、ガス弾を発射したらしい。



私はあの一瞬の光景を、忘れることは出来ない。ほとんど無抵抗なデモ隊(一般市民も相当にその中に混っていた)にむかって、完全に武装した警官たちは、目をおおわせるような獰猛な襲撃を敢えてした。またたく間に、警棒に頭を強打され、血まみれになった男女が、あちこちにごろごろころがる。頭を押さえてころがった者の腰骨を、警棒が更に殴りつける。そしてそれを踏み越えて、逃げまどうデモ隊を追っかける。

と、梅崎氏は現場で見たことをつぶさに述べている。デモ隊のほうも、非武装ではあったが完全に無抵抗で一方的に殴られっぱなしということでは、無論なかった。警官のなかには、鉄兜を剥ぎとられ、濠に放りこまれて、立泳ぎしながら同僚に助けを求める者もいたし、反撃に出たデモ隊に警官隊の一部が分断されて、逃げ遅れた者は怒り狂った群衆の真只中で《渚に取り残された鰈みたい》な目にあわされたりもした。

ついに、警官隊はガス弾だけではなく、ピストルも発射した。梅崎氏は最初それをピストルの実弾音だとは信じなかったが、その信じられないことが実際に起った。ピストルの発射音は、梅崎氏が聞いただけでも、100発は優に越えていたという。当然、病院へ直ぐ運びこまなければならないような重傷者が大勢出たが、彼等の大部分は応急の手当てを受けただけで、芝生や草原の上に血まみれになって横たわったまま、うめき声を上げていた…。やがて、デモ隊の一部は暴徒化して、日比谷公園沿いの道路などに駐車してあった自動車に片っぱしから放火しはじめた。彼等はゲリラ兵や便衣隊の戦法を用いたらしく、一般市民の見まもるなかで自動車を引っくり返しては火をつけ、警官隊が押しよせると、すばやく通行人やヤジ馬のなかに潜りこんで姿をくらました。一般市民もむしろ彼等をかばい、《警官隊から守るような傾向が、強くあらわれていた》と梅崎氏は言っているが、市民の協力が得られなければゲリラ戦はたたかえるわけがない。

こういう一般市民の《傾向》に対して、警官は相当イラ立ったらしく、やたらに警棒を振りまわし、罪もない通行人を殴ったりもした、という。

私たちが、日比谷公園寄りの歩道を、交叉点に向かってゆっくり歩行していると、警官隊の一人が、目をつり上げ、警棒を威嚇的にふりかざしながら、
「貴様らあ、まごまごしてると、ぶったくるぞ。貴様らの一人や二人、ぶっ殺したって、へでもねえんだからな」
それから、もう一人、
「一体貴様らは、それでも日本人か!」
この罵声は、さすがに私たちを少なからず驚かせ、また少なからず笑わせた。

この梅崎氏のルポルタージュ『私はみた』は、メーデー事件の裁判で、検察側と弁護側の両者から証言として採用された。ということは、これがいかに中立的な立場で、客観的に、正確に叙述されていたかを示すものだろう。しかし、また中立的であるということは、このような場合、何も言っていないのと同じだということも示している。実際、ニヒリスチックな眼をした梅崎氏は、この大騒動を目のあたりに見ながら、警官隊とデモ隊 、どちらに正義があるとも言っていない。ただ彼は、暴力を憎み、負傷者を哀れみ、多少ヤジ馬的に警官隊をからかっているだけで、この事件の原因が何で、背後にどんな事情が隠されているかといったことには、全然言及していないのである…。いや、元来これは偶発的な事故であって、どちらが善いも悪いも無いことであるかもしれない。それは、このメーデー裁判が満20年(一審18年、二審2年)もの長期間の審議をつづけたあげく、騒乱罪は成立せず、結局二百数十人の被告が全員無罪になったことからも言えるだろう。

直接の原因としては、皇居前広場をメーデー会場には使わせないという警察の布告が、その3日前の4月28日に出ていたのに、それを無視してデモ隊が侵入したということが上げられているが、これは梅崎氏のルポにもあるように、むしろ警菅隊が広場へ導入したという形跡が濃厚で、デモ隊が一方的に悪かったとは決められない。それよりも、同じ4月28日に日米の単独講和と安保条約が成立発効していることの方が、事件の要因として間接的ながら、ずっと重要なのではないか。つまり、この日を境いに日本の中立や非武装平和は事実上許されなくなったわけで、その無力感へのイラ立ちがデモ隊や一般市民の間にも、強く働いていたことはたしかだろう。警官が無辜の通行人に向って、「一体貴様らは、それでも日本人か!」とドナっているのが、梅崎氏たちに滑稽に思われたというのも、超大外国の言いなりになって《アッチヘウロウロ、コッチヘウロウロ》しているのが自分たちの国家だという実感が大部分の日本人の胸の中にうずいていたからに違いない。

しかし、その一方、アメリカとだけでも講和が出来たということは、僕らに何となく自信をつけさせることにもなった。はやい話が、講和前なら路上に並んでいる自動車を片っぱしから引っくり返して火をつけることなんか出来っこない。なぜなら、たちまちMPがすっ飛んできて、有無をいわせず逮捕されたにきまっているからだ。実際、当時は自動車というものは、タクシーや官庁用の車を除いて大部分、アメリカ人の所有物であって、そ は絶対権力と文化の象徴のように思われていたし、占領期間中にアメリカ軍のジープや乗用車にハネられて死んだり怪我をしたりした人たちは大部分、何の補償もなしに泣き寝入りさせられていた。それだけに自動車が──なかには日本人の車もあったであろうが──次つぎと黒煙を上げて燃えているのをみたとき、大抵の日本人が心のなかで決哉を叫び、その犯人を一般市民が警官から守ったのもムリはないわけだ。

そういうナショナリズムは、警官隊にもあった。ただ、彼等は心情的にも、またデモ隊を取締る職責上からも、反共であり反ソであって、デモ隊に反撃されると、自分たち以外の一般市民は全部、容共・親ソの〝非国民〟に見えたのであろう。しかし、滑稽なヒロイズムはデモ隊の側にもあって、「おれは二重橋に5回突撃した」とか、「7度も吶喊(とっかん)した」 とかいう武勇談を、僕はあとになって何度聞かされたかしれない。そういう意味からは、あの皇居前の乱闘事件は、お祭騒ぎのページェントであったということも出来る。

気の毒なのは、あの裁判で被告にされた人たちで、彼等は青年期と中年期の大部分を、裁判所通いに費やされて、まともな就職も海外渡航も許されず、半生を棒に振ったようなものだった。 ─(安岡章太郎/僕の昭和史/講談社文芸文庫2018・原著1984)



1951(昭和26)年9月、太平洋戦争開始以来の日本の戦争状態を終結させるために米サンフランシスコにて52ヵ国が参加して講和会議が行われた。ソ連は会議で修正案を提案したが採択を阻まれ、ポーランド・チェコスロバキアとともに調印を拒否した。インドはアメリカ主導型の講和はアジアの緊張を高めるとして会議への参加を拒否し、ビルマ・ユーゴスラビアも出席しなかった。また英米両国の間で代表権について合意が成立しなかったことから、中華人民共和国・国民党政府のいずれも会議に招聘されなかった。

( 画像左)グロムイコ・ソ連全権到着に対して集まったデモ隊。こうしたソ連への抗議は会議期間中続いた。(画像右)吉田茂首相ら日本全権が9月8日に調印、各国の批准を経て翌52年4月28日に発効し、直後5月1日のメーデー騒乱を迎える。米国やソ連のようなならず者国家、またそれに従属する独裁政権にとって「外部に敵がいてくれる状態」が内政面でもいかに有効かつ必要とされるかうかがえる。
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昭和博覧会⑦ 筒井と手塚

2023-10-15 21:23:15 | 中産階級ハーレム
NHK放送センターの中にジャニーズ事務所関係者以外は立ち入れないヤリ部屋があると報じられている。テレビ朝日もか。私が想起したのは筒井康隆の、放送局内の普通は目に触れない下層階へ行くと既に姿を消した多数のタレントが飼い殺しにされていた~というドタバタ短篇「公共伏魔殿」なのだが、これは別に筒井に先見の明があったわけでなく、大方の日本人が彼の小説、というよりはコント内の人物のように役割分担して不都合な部分を消し去った「キャラ」としてしか生きられなくなってしまった現状を表しているに他ならない。

たとえば小池都知事というのも、関東大震災時の虐殺被害者に対してあの石原ですら毎年出していた追悼文を出さなくなった。テレビ出身で、財界から雇われた広告キャラとして、日本新党であれ自民党であれ都民ファーストであれ「保守」「改革」の広告イメージさえ守れればよい。石原が作家として政治家としての自我から前例踏襲の判断するのに対し、小池はキャラに徹し、人の心は捨てている。虚無。

橋下・百田・西村・三浦るり・小林よしのりや太田光や東浩紀や古市や高須、新顔でたぬかなとか成田とか? 何度恥をかいてもへっちゃらでメディア上に出しゃばり続けるのも、メディア上で他とつながって衆目を集めているのが本当の自分で、そう認知されている属性や文脈に不都合なことは無視してしまえる。葛藤や自省のない、虫のように集団的にメディアとマーケットに寄生して生きる。


虫プロの経営難に悩まされ、週刊漫画誌が出そろって劇画の影響を受けた作品の人気に押され低迷した1968~73年を手塚治虫自身も「冬の時代」と回想している。しかし小6のとき強烈な読書体験となった↑の『火の鳥・復活編』はじめ『きりひと讃歌』『人間昆虫記』『ザ・クレーター』などこの時期のグロテスクかつ倒錯した作品群こそ私にとって手塚の真髄だ。

中で『奇子』の解説(ヘッダー画像とは別の文庫版)で橋本治が「手塚は田舎の人間を書かせると圧倒的に上手い。彼の漫画には『心理』が存在しないから。近代的知性と無縁の人たちだけで物語を成立させたこの漫画の前半は奇跡」と述べていると聞き、未読のままだったのを手に取ってみると、致命的につまらない。たとえばブラックジャックは読み切り連載なので、短いページ数で人の運命をゆさぶって結末までもっていかねばならず、あまりに無理の多いご都合主義。とても今は読めない。同じように彼の青年向け作品のグロテスクも倒錯も子どもだから新鮮だったので、農地改革に翻弄される東北の旧家と占領軍G2の謀略という奇子の題材もそれらと同じ単なるドラマの部品として扱われ、天外家の5きょうだいも筋立てに好都合なよう極端に役割分担している。心理がないのも当然、ヒゲオヤジやアセチレンランプのようなスターシステムのキャラに過ぎないのだから。

「おこがましいとは思わないか」。物語世界の神であることは。そしてロボットが人間のように喋ったり、将来人類が宇宙に移民できるかのように描くことは。



私には母を見殺しにすることで今の経済的文化的自由を得ることができたという負い目があり、この「サイボーグ」の悲痛な結末には衝撃を受けた。と同時に、手塚や筒井のみならず大方の〝SF〟のロボット観・宇宙観は根本的に間違っている、子どもだましのオカルトであり自意識肥大させるポルノだと確信するに至った。水木しげるのお母さんはたとえ片腕を失っても息子が生きて帰ってくれたことを心から喜んだ筈。一部分にしても「おれはてんかん持ちでないしなあ」などどいう文章を教科書に載せるのはどうかしている。

「ちなみに一般国民も結構他の一般国民を国が助けるの嫌う傾向あるんだよな。例えばこれ韓国が一緒に乗せてくれたって情報がなくて日本の便の情報だけだったら税金で助けるんだから金取るのは当たり前!ドバイまで退避させてもらえるだけありがたいと思え!って論調になるよ」5ch嫌儲10月15日

水木しげるも売れてからは手抜きの乱作が目立つように。出版社がそう仕向ける。NHKやテレビ朝日、講談社や小学館や文春、日本のメディアはオリンピックの件であれジャニーズ事務所の件であれまったく国民の方を向いていない、軍事独裁に寄生する広報機関として愚民化に寄与していることが明らかになった。メディアだけでない、連合のおばさんは小池の亜種だし、企業も各種団体もすべてそうだ。人間しか資源のないわが国はこれから戦争をせずに戦争に負けたような状態に陥っていくだろう。
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少年oddity 5

2023-10-04 11:46:05 | 書肆(しょし)マガジンひとり
今秋の少年合同は9氏参加、うち4氏が初登場と清新な顔ぶれです。キルシーさんの漫画はごまぶらさんの夏コミ新刊TEARS OF THE DICKにゲスト寄稿された作品の続きで、三部構成の中段になります。ありあけひばりさんは今回は表紙のみになります。B5判44ページ、成人向け、イベント・BOOTH電子版900円、BOOTH紙本1000円。

INNOK/イラスト3P
キルシー/ゾナウの貞操帯 Part 2/漫画10P
SHOYA/イラスト5P
たかふみ/イラスト3P
杵/素材屋/コマ漫画10P
チョヨケーキ/イラスト3P
ごまぶら/将来有望な冒険者が感覚遮断穴に落ちた結果/カラー漫画4P
SamsaraMok/イラスト4P
ありあけひばり/表紙イラスト



紙本発行:2023年10月(ショタフェス14・ふたけっと31)。電子書籍版は44ページPDF、BOOTHのみ販売し紙本BOOTHにてご購入の方は電子版もご覧いただけます。ショタフェス(10月9日@大田区産業プラザPiO)には配置A49にて参加し、同日のふたけっと31は本部委託となります。よろしくお運びください。

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