渋谷TOEI2にて、ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー監督。
[EPISODE1]仮出所中のマーヴ(ミッキー・ローク)には、屈強な巨体と傷跡の走る容貌のためプロの女ですら近づかない。
そんな彼に一夜の愛をくれた高級娼婦ゴールディ(ジェイミー・キング)が殺されてしまい、罪を着せられたマーヴは彼女の復讐を誓う…
[EPISODE2]罪から逃れるために過去を捨てたドワイト(クライヴ・オーウェン)は、窮地に陥った娼婦たちを救うため奔走するが…
[EPISODE3]無実の罪で投獄されたハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)は、かつて救い出した少女を再び救うため最後の戦いへと向かう…
そして3つのエピソードが収束し、“罪の町”を支配する巨大な悪が姿を現す…
これは映画史的には『パルプ・フィクション』に近いインパクトではなかろうか。
日本の劇画から影響を受けた表現技法のグラフィック・ノベルズといわれるアメコミを、原作に忠実に実写化。
表面的に見るとハードな暴力と薄っぺらな断片の寄せ集めに思えるかもしれないが、一夜だけ情をくれた娼婦のために真犯人を探すピュアなハートの大男、枢機卿という名の巨悪から一人の少女を守るために命をかける刑事、街を無法地帯にしないために団結する娼婦たち、悪徳刑事の生首が取引材料になり、その生首が話しかけてくる、といった強烈な世界観に惹かれる。
生首(というか“人間PETS”と言われてる)を演じるのはベニチオ・デル・トロ、そして背筋も凍るサイコ・キラーを演じるのはなんと『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッド。
スミ一色基調で部分的に赤・青・黄を配した映像はデフォルメが利いているので暴力のむごさが多少緩和されており、ハードボイルド調の詩のような雰囲気すら漂う。
今日の夕刊で映画ジャーナリストの大高宏雄さんが「(細木数子の)テレビ番組での(細木に簡単に説得されてしまった)2人の女性の態度と、『NANA』に見る観客の意識は、極めて似ている。それは表面的、感覚的な地点にとどまって考えたり行動したりする、最近の若い人たちの傾向である。この志向が、かつてとは比較できないほど、若者たちの意識の上で支配的になっているのが気にかかる」と書かれている。
確かに『セカチュー』『いま会い』『NANA』と、上っ面の感情をあおるだけあおる作りの映画がメガヒットになる傾向がひどく進んでいる。
ケツをふく紙にもならんコラムを書き散らかす三谷幸喜、丸山タケシも、文章で金を取っているのならこのくらい鋭い論考を行ってほしいものである。
[EPISODE1]仮出所中のマーヴ(ミッキー・ローク)には、屈強な巨体と傷跡の走る容貌のためプロの女ですら近づかない。
そんな彼に一夜の愛をくれた高級娼婦ゴールディ(ジェイミー・キング)が殺されてしまい、罪を着せられたマーヴは彼女の復讐を誓う…
[EPISODE2]罪から逃れるために過去を捨てたドワイト(クライヴ・オーウェン)は、窮地に陥った娼婦たちを救うため奔走するが…
[EPISODE3]無実の罪で投獄されたハーティガン刑事(ブルース・ウィリス)は、かつて救い出した少女を再び救うため最後の戦いへと向かう…
そして3つのエピソードが収束し、“罪の町”を支配する巨大な悪が姿を現す…
これは映画史的には『パルプ・フィクション』に近いインパクトではなかろうか。
日本の劇画から影響を受けた表現技法のグラフィック・ノベルズといわれるアメコミを、原作に忠実に実写化。
表面的に見るとハードな暴力と薄っぺらな断片の寄せ集めに思えるかもしれないが、一夜だけ情をくれた娼婦のために真犯人を探すピュアなハートの大男、枢機卿という名の巨悪から一人の少女を守るために命をかける刑事、街を無法地帯にしないために団結する娼婦たち、悪徳刑事の生首が取引材料になり、その生首が話しかけてくる、といった強烈な世界観に惹かれる。
生首(というか“人間PETS”と言われてる)を演じるのはベニチオ・デル・トロ、そして背筋も凍るサイコ・キラーを演じるのはなんと『ロード・オブ・ザ・リング』のイライジャ・ウッド。
スミ一色基調で部分的に赤・青・黄を配した映像はデフォルメが利いているので暴力のむごさが多少緩和されており、ハードボイルド調の詩のような雰囲気すら漂う。
今日の夕刊で映画ジャーナリストの大高宏雄さんが「(細木数子の)テレビ番組での(細木に簡単に説得されてしまった)2人の女性の態度と、『NANA』に見る観客の意識は、極めて似ている。それは表面的、感覚的な地点にとどまって考えたり行動したりする、最近の若い人たちの傾向である。この志向が、かつてとは比較できないほど、若者たちの意識の上で支配的になっているのが気にかかる」と書かれている。
確かに『セカチュー』『いま会い』『NANA』と、上っ面の感情をあおるだけあおる作りの映画がメガヒットになる傾向がひどく進んでいる。
ケツをふく紙にもならんコラムを書き散らかす三谷幸喜、丸山タケシも、文章で金を取っているのならこのくらい鋭い論考を行ってほしいものである。