マガジンひとり

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巻き添え食ってたまるかよ

その歌唱力は神技

2005-11-06 22:02:38 | 音楽
ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家
ちあきなおみ, 水谷啓二, 倉田信雄, ちあき哲也, 小椋佳, 服部隆之, 飛鳥涼, 瀬尾一三, 友川かずき, スクランブル
テイチクエンタテインメント

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『歌伝説・ちあきなおみの世界』(NHK-BS2)
豊かな歌唱力で幅広いジャンルの歌を聴かせたが、1992年以来芸能活動を休止して沈黙を守っているちあきなおみの歌の世界を貴重な映像とともに振り返る…

スティーヴン・キング原作の映画『アトランティスのこころ』を観ようとNHKにチャンネルを合わせたが、映画はNHK-HVで、間違えてBS2で待っていたらこの番組が始まって、いきなり72年の紅白歌合戦での「喝采」が流れた。
私の小っちゃい頃もっとも影響力のあった曲である。
もう映画はどうでもよくなって90分間伝説のシンガーの歌を堪能した。
少女時代から米軍基地で歌って実力を磨き、レコード会社のオーディションに受かってアイドル路線でデビュー、「四つのお願い」がヒット。
現在の宇多田ヒカルが「藤圭子さんの血筋か、声に湿度がある」と評されるが、ちあきなおみはそれどころでなく、声に人生すべてが凝縮されていた。
若くして亡くなった水原弘と双璧の、ドラマ性をもった歌手だったであろう。
芸能活動休止後にネスカフェのCMで話題となった「黄昏のビギン」は奇しくも水原弘のオリジナル曲であった。
私の小っちゃい頃の話に戻ると、幼稚園から小2くらいまでは平日は夜8時、土曜日のみ夜9時まで起きていられたのだが、初めてその時間を越えて深夜まで起きて見ることを許されたのが1973年の紅白歌合戦で、その時の「夜間飛行」も今日の番組でフル・コーラス放映された。
驚いたのは77年の「夜へ急ぐ人」(友川かずきさんの作詞作曲だという)で「おいでおいで~おいでを~する人あんた、だーれー」と髪を振り乱して手を差し伸べる姿で、幼児が見たらトラウマになりそうに激しい。
83年に細川たかしによって大ヒットした「矢切の渡し」は彼女がオリジナルだったが、テレビで歌うことは滅多になかったという。
その貴重な映像を見ると、細川たかしのバージョンは無価値なパチモンだとわかる。
その他、アニマルズで有名な「朝日のあたる家」や、シャンソン、ファドなどポピュラー音楽の成り立ちを一人で体現するかのよう。
彼女の最大の理解者でプロデューサーも務めた夫の病死以降、一切の芸能活動をやめたとのこと。
もう歌う姿は2度と見られないのだろうか。

合掌・本田美奈子さん。
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リサーチされたくねえ!

2005-11-01 21:59:46 | 読書
下流社会 新たな階層集団の出現

光文社

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『下流社会』三浦展(光文社新書)
「下流」とは、単に所得が低いということではない。
コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。
その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。
そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。
その方が楽だからだ。(「はじめに」より)
「下流社会」とは具体的にどんな社会で、若い世代の価値観、生活、消費は今どう変わりつつあるのか。
マーケティング・アナリストである著者が豊富なデータを元に書き上げた、階層問題における消費社会論。

データを集め、大量の表・グラフを作り、分析してレッテルを貼り、考察をめぐらして、最後にささやかな処方箋らしきものも付け加えている。
しかし“上・中・下”を問わず類型的な人々に向ける著者の侮蔑的な視線が随所に感じられて、気持ちのいい本とは言えない。
数字の羅列にとどまらない鋭い論考が見られるのは5章「自分らしさを求めるのは“下流”である?」における「象徴的に言えば、村上龍の『13歳のハローワーク』を読んで、そうだ、自分が本当に好きなことを見つけて、それを仕事にしようと真に受けて自分探しを始めた若者は、結果としていつまでもフリーターを続けて30歳になっても低所得に甘んじ、低階層に固定化されていく危険性が高いかもしれない」
6章「“下流”の男性はひきこもり、女性は歌って踊る」における「多くの人間は、客観的に搾取されていることを自覚してはいるが、それをどうしようもないために、ある程度内的に不幸なのであり、他方では、その程度の不幸なら瞬間的な盛り上がりやら何やらを介して適当にやり過ごすことができる程度にタフなのである。ただ、私もやや危惧するのは、その瞬間的な盛り上がりさえもが、サッカーW杯などの娯楽イベント的なメディアを中心にあまりに装置化され、管理されているという点である。つまり、内的に不幸な人間が、その不幸を自分自身の力で解消するタフさを持たず、大きなメディアイベントに依存した受動的な存在になっているのではないかという点である」など。
8章の居住地域別階層意識の表で、神奈川・埼玉に比べて千葉が極端に低いという結果を見ると、本書で触れられている地形的・経済的な側面よりも、渋谷・新宿・池袋のような長い時間によって作られた文化の集積地としてのターミナル駅の不在に思いがおよぶ。
映画館も古本屋もない街に住んでいると切実なのだ。
概してそうした文化論的な側面からは彫りの浅さがぬぐえず、本書を糸井重里風味の経済効率本にしてしまっている。
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