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世界の音楽 — 台湾

2024-07-13 16:21:12 | 世界の音楽
大戦中、中国の共産軍は、米軍部隊と緊密に連係して日本軍と戦ってくれた。日本からの侵略軍について貴重な情報を提供し、撃墜された米軍航空兵を救出し、彼らのケガの看護にもあたってくれた。だが、これはもうどうでもいいことだ。国民党の蒋介石総統がこっちの手先になってくれるからだ。蒋介石は、当時、中国でいちおうの中央政府を仕切っていた男だった。戦略事務局(OSS。これがCIAの前身である)は、蒋介石の軍隊の軍事活動の大半が日本軍に対してではなく、共産勢力に向けられていることを知っていた。また、蒋介石は、共産軍と米軍が協力関係を持たないよう、最大限の努力もしていた。今や蒋介石の軍は日本の部隊を吸収していて、組織の中には、日本軍に協力していた中国人高官、日本がつくった傀儡政権で仕事をしていた中国人が多数入っている。だが、これもまたどうでもいいことなのだ。蒋介石総統が、筋金入りの反共主義者だからだ。そのうえ彼は、我々のお客様になるべく生まれてきたような男だ。彼の部隊は、毛沢東や周恩来の兵士たちと戦闘すべく、きちんと訓練され装備も与えられることになるだろう。
(中略)蒋総統とその取り巻き、また兵士の一部は、海岸線から離れた台湾という島へと敗走した(ポルトガル語の「美しい」という語からとって、「フォルモサ島」とも呼ばれる)。彼らは敗走の2年前から島民をテロによって従属させ、島への上陸の準備をしていた。島民の虐殺は、28000人の命を奪った(二・二八事件と呼ばれる虐殺)。 ─(ウィリアム・ブルム/アメリカ侵略全史/作品社2018・原著1995)



鄧麗君 / 何日君再來 (1967)



鄧麗君 / 但願人長久 (1983)
『少年愛姑娘』の解説で、田中勝則くんが注目すべき指摘をしている。テレサが宇宙レコードを離れた71年は、中国人社会に大きな衝撃が走った年だった。この年の10月、中華人民共和国つまり北京の中共政権が国連の代表権を認められ、それまで国連で常任理事国だった台湾の中華民国政権は国連を脱退、国際的に孤立する。翌72年2月にニクソン米大統領が訪中、9月には田中角栄首相が訪中。そんな激動の中で東南アジア一帯の華僑たちは民族としての一体感を求め、それまで以上に緊密な情報交換と経済協力の方向へ動き出す。「この時代ほど彼らがひとつにまとまろうとした時期もなかった。テレサがこの地域で幅広い人気を得たのもまさにそんな時代だったわけだ」と田中くんは言う。彼はまた、そうした汎東南アジア的な中国系マーケットで活動する最初の歌手としてのテレサの出現で、時代の要請に応えるミュージック・ビジネスの確立も急速に行なわれたのではないか、と見る。
(中略)「何日君再來」の大ヒットは実は単なる音楽だけの現象ではなく、これも政治情勢が絡んでいた。台湾政府は大陸の民衆に対する謀略宣伝として、前線基地のある金門島に巨大なスピーカー塔を据えつけテレサの「何日…」をガンガン鳴らす、この曲のカセットを日用品と一緒にビニール袋に詰め、風船にブラ下げて大陸に飛ばす、といったことをやり、北京政府は精神汚染のキャンペーンと非難し、テレサのテープを職場ごとに集めて破棄する国民運動で対抗した。隠し持っているのがバレたら厳罰だった。政府がそこまでやらねばならなかったのは、大陸の民衆にテレサの歌が広く深く浸透していたことを裏づける。風船に乗って飛んで来たのがどのくらいの数に達したか知らないが、香港から海賊テープが密輸入され次々にコピーされた分のほうが遥かに多かったに違いない。さすがの鄧小平も鄧麗君にキリキリ舞いさせられた、と、ふたりがたまたま同じ姓なので面白おかしく噂されたと言うが、あれだけの政治力を持つ巨魁が一女性歌手に頭を悩ましたというのも痛快な話である。だから台湾側にとってテレサはほとんど英雄なのだった。 ─(中村とうよう/俗楽礼賛/北沢図書出版1995)



包美聖 / 捉泥鰍 (1978)
大学在学中の1977年に第1回ゴールデン・リズム・アワード歌唱コンテスト作詞作曲部門に優勝してデビュー。70年代に生まれた台湾キャンパスフォークソングと呼ばれるジャンルの代表格に。同じ頃の日本のシンガーソングライター、たとえば井上陽水や松任谷由実に特有の広告的な媚びとは無縁、清浄な国際感覚がある。



葉啓田 / 溫泉鄉的吉他 (Early 1980s)
苦労人で流しの歌手からスターになり、1977年に殺人教唆でいったん収監されるも釈放後はさらに人気を呼び、90~00年代には3期にわたって立法委員(台湾の国会議員に当る)に選出されるなど波乱万丈の人生を送った人物。この曲は「さざんかの宿」のカバー。



伍佰 & China Blue / 浪人情歌 (1994)
中華圏で「伍佰(ウーバイ)老師」 と親しまれる、台湾を代表するスター歌手。曲はロックの体裁ながら保守的かつ新自由主義のニオイを放つあたり日本の同年代の音楽と変りない。田中勝則氏の見立てを裏付けるように、80年代を通じて台湾の音楽産業は急成長を遂げ、東南アジアで販売されるマンダリン(北京語)ポップの90%を占めるように。


陳曉娟 / 我的眼淚是一根線 (1995)
Rate Your Musicのtaiwanmaniacというアカウントが「間違いなく最も好きな曲。この曲には憧れの魂の脈動があり、魂は私の周りに存在し、夢の中で静かに私を訪ねてくる。私がこの曲とともに暗闇を走るのは、この曲が踊る光として暗闇を打ち負かすからだ。それは淡い妖精であり、彼女が私を救ってくれるとき、私もまた彼女を救わなければならない」と絶賛し、選曲リストの1位に置いている。実際良い曲だが、彼によればこの女性シンガーソングライターは2000年代に入って商業的に少し成功したものの、その時の音楽はこの曲のようなインスピレーションを感じさせなかったとのこと。



Alien Huang (黃鴻升) / 地球上最浪漫的一首歌 (2009)
日本と台湾合同のボーイズバンド出身、服飾デザインやミュージカルなど多彩な活動で知られていたが2020年自宅で倒れ急死(36歳)。しかし東アジアのこの種の曲ってどうしてこんなスリル皆無、置きにいった感じなのか。エイリアンとは名ばかり。


林凡 / 五天幾年 (2010)
フレヤ・リン、父は中国系マレーシア人、母は台湾人、マレーシア国籍ながら台湾を拠点に活動。最も聞かれているこの曲はドラマ主題歌とのことで偏見をもって聞いたところ70年代ソフトロックの要素があり同タイプのK-pop・J-popほどあざとさはない。


非人物種 / 擺渡人 (2013)
台湾インディーロック、ややエモ。ジャンルに媚びるのでなく自発的にやっているという良さがある。


王若琳 (Joanna Wang) / 破爛酒店 (Hotel la Rut) (2024)
短い曲が23曲入ったアルバム冒頭のタイトル曲。雑貨店やドラッグストア、女が好む。渋谷系と似ているが渋谷系のように嫌味ではない、よくできていると思う。しかしすべてが二次的・表層的で心に触れてくるものがなく流れていってしまう。人間関係とスマホを介して時間支配される世代。東アジアの現実主義、良いところを挙げるとすれば、異民族に植民地支配されても女が精神安定して生きることが可能。日本は韓国・台湾と逆に先進国から落ちこぼれつつあるが、平均寿命が縮み始めるのはしばらく先なのではないか。
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