マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

September 2023

2023-09-30 16:23:23 | Monthly Best Songs


11) Ian Sweet / Emergency Contact (2023 - Sucker)



10) Yann Tiersen / Nivlenn (2023 - Kerber Remixes: Extended)



9) Slowdive / kisses (2023 - everything is alive)



8) Wilco / Evicted (2023 - Cousin)



7) Wild Nothing / Headlights On (feat. Hatchie) (2023 - Hold)



6) Mujeres / Diciendo que me quieres (2023 - Desde flores y entrañas)



5) Emma Anderson / Clusters (2023 - Pearlies)



4) Margaret Glaspy / Act Natural (2023 - Echo the Diamond)



3) Marika Hackman / No Caffeine (2023 - Single)



2) Sparklehorse / Evening Star Supercharger (2023 - Bird Machine)



1) Mitski / My Love Mine All Mine (2023 - The Land Is Inhospitable and So Are We)

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世界の音楽 — ウルグアイ

2023-09-28 17:06:33 | 世界の音楽
消費税のインボイス制度。経済の土台が侵食され、これでまたさまざまな経済指標が縮小するのだろう。署名などの反対運動は以前から行われていたとはいえ、10月から施行というその直前、もう手遅れになってから特にツイッターで騒ぎ立てているさまが国民の分断と屈辱、無力感をいっそう際立たせている。

1973年のクーデターにより軍部は政治の実権を握り、「南米のスイス」とも称された民主主義国ウルグアイにもブラジル型の官僚主義的権威主義体制が導入された。1976年にはアパリシオ・メンデスが大統領に就任し、ミルトン・フリードマンの影響を受けた新自由主義的な政策の下で経済を回復させようとしたが、一方で労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制による、左翼系、あるいは全く政治活動に関係のない市民への弾圧が進んだ。1981年に軍部は軍の政治介入を合法化する憲法改正を実行しようとしたが、この体制は国民投票により否決され、ウルグアイは再び民主化の道を歩むことになった(ウィキペディア)。

屈辱・無力感といえば、いまジャニーズ事務所の男性アイドルのファン女性たちも味わっているのだろう。長きにわたってテレビなどで権威づけられてきた、しかし実態としてはジャニー喜多川が目を付けて合宿所に住まわせた少年のうち、彼による性の儀式を受け入れ、覚えのめでたい少年だけがデビューできる仕組み。国民の多くはそれを知っていた筈だが麻痺してしまっており、BBCの報道をきっかけに雪崩のようにジャニーズ外しの波が起り、ファンや擁護者は一挙に少数派に追いやられてしまった。多数派に戻れる見込みはないが、たとえば「ジャニーズ叩きはK-Popや立憲共産党のような反日パヨクの仕業!」というようにネトウヨに合流すれば、ネトウヨとしては比較多数を保つことができるし、橋下と百田が罵り合っているようにいつまでもウヨゲバ党派性ごっこで遊んでいられるだろう。「労働人口の1/5が治安組織の要員という異常な警察国家体制」とは現状の日本であり、治安に協力することで軍政に必死にぶら下がっている状態の「必死」を急に自覚させられてしまったのがジャニーズのファンというわけ。



Los TNT / Eso, Eso, Eso (1960)



Los Olimareños / A Simón Bolivar (1966)



Alfredo Zitarrosa / Milonga para una niña (1966)
アルフレッド・シタローサはウルグアイのみならずラテンアメリカ全体の音楽を象徴する人物の一人。1936年生まれ、1954年にラジオのアナウンサーとして芸能活動をスタート、歌手デビューは1964年。民間伝承のルーツと明確な左翼イデオロギーを持ち、抑制された深みのあるボーカルとギター伴奏により南米ポピュラー歌唱の偉大な声の一人として地位を確立。終生共産党員であり、1973~85年の軍事独裁時代には亡命を余儀なくされ、同じころ軍事独裁であったアルゼンチンやチリでも発売・放送禁止に(↓のCandombe del olvidoは亡命先のアルゼンチンで制作)。84年に帰国、89年に腹膜炎のため死去。 



Alfredo Zitarrosa / Doña soledad (1968)



Vera Sienra / La gaviota (1969)



Daniel Viglietti / Milonga de andar lejos (1969)



Eduardo Mateo / Quién te viera (1972)
カンドンベ・ビートと呼ばれる、黒人奴隷のダンス様式カンドンベを源流としてさまざまなポピュラー音楽のジャンルを融合させた様式の主要な先駆者。ジョアン・ジルベルトのボサノバ、次いでビートルズのビート・ミュージックに大きな影響を受け、1972年のこの曲を含むアルバムが大きな成功を収める。60年代後半から麻薬を常用し、恋愛・性関係も奔放だったが、73年に軍事独裁が始まると共に家族や友人に不幸が相次ぎ、77~78年にはマテオ自身も住居を失ったり逮捕されるなど不遇の身に。80年代後半は活発に活動したが72年までの成功に迫ることはなく、90年がんのため死去。



Eduardo Darnauchans / Muchacha de Bagé (1974)



Alfredo Zitarrosa / Candombe del olvido (1976)



Eduardo Darnauchans / El instrumento (1978)



Los Olimareños / Adiós mi barrio (1978)



Rubén Olivera / Anadamala (1981)



Sergio Fachelli / Hay amores... y amores (1984)



Los Iracundos / Tú con él (1984)



Jaime Roos / Durazno y convención (1984)
フランス人の父とウルグアイ人の母の間に生まれたハイメ・ルースはウルグアイで最も影響力のある音楽家の一人。音楽活動初期はパリなどヨーロッパで行い1984年に帰国。モンテビデオの彼が生まれた地域に言及したこの曲と収録アルバムが成功、上記のEマテオらが創始したカンドンベ・ビートを他の音楽家らと発展させ、ポスト独裁のウルグアイ音楽シーン形成に寄与。このジャケが示すように同国サッカーの熱心なサポーターとしても知られる。



Gervasio / Con una pala y un sombrero (1986)



Natalia Oreiro / Tu veneno (2000)



Jorge Drexler / Al otro lado del río (2004)
映画モーターサイクル・ダイアリーズの主題歌としてアカデミー賞・最優秀歌曲賞を受ける。授賞式ではホルヘ・ドレクスラーが有名でないとして俳優アントニオ・バンデラスとカルロス・サンタナが演奏。映画は、医学生エルネスト(若き日のチェ・ゲバラ)が先輩学者と2人で南米各地をバイク旅行し、南米各国の置かれた厳しい現実を知る内容で、主題歌を歌うドレクスラーも医師。話変るがコロナ禍の初期、イタリアやニューヨークで病院の廊下にまで患者が溢れる痛ましい光景が報じられ、それに対し日本ではもし感染爆発しても病院が受け入れないからこのような分りやすい医療崩壊にはならないという冷めた論評がされたのを思い出す。中国のように突貫工事で入院施設を作ることもないし、検査も消極的。この10月からは発熱外来の行う入院調整の保険点数が大幅減額されるともいう。確かに日本人のコロナ死者はイタリアや米国より相対的に少ないかもしれないが、社会としては日本の方が手遅れで、付ける薬もなくますます衰退していくのだろうと思う。



No Te Va Gustar / Tan lejos (2008)



El Cuarteto de Nos / Cuando sea grande (2012)


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読書録 #36 — アメリカ侵略全史

2023-09-16 17:20:50 | 読書
近藤ようこ/見晴らしが丘にて・それから/集英社2019
「こんどう」と入力すると4~5番目に予測変換「真彦」と表示されて暗い気持ちに。改竄隠蔽と中抜き、終りなき円安、コロナ対応、五輪、統一教会、そしてジャニーズ事務所問題、先進国とは名ばかりの惨状が次々露呈し、私はますます人間嫌い、孤独を好むように。しかし8月下旬に高校の友人2名と数年ぶりに会い、家族や職場の人間関係をきちんと維持して暮らしている人と直接会話しなければ自分が駄目になるとも感じた次第。そうした市井の人を描く名手・近藤ようこ、かつ若き日の傑作の舞台に30年ぶりに戻るということで期待したが…。小さな範囲で物語が展開し、すぐに一応の決着をみる御都合主義が、いかにも寂れた郊外の一戸建て団地に似つかわしく、これも縮み志向の一種と言えようか。国じまい…。

かつしかけいた/東東京区区①/トゥーヴァージンズ2023
現代日本の無味乾燥。またも新型コロナが拡大(この項は9月初めに書いています)、ツイッターで情報を漁ってみると、発熱外来が混雑しているとか外で車内で待たされるとか書いているアカウント名にはたいてい「推し」対象のキャラであったりアイドルであったり球団であったりが添えられ、イベント・試合に参加したりその仲間と飲み会をやったりしているようだ。人が仲間とつながらなければ生きられない社会的動物であるのはもちろんとしても、今はスマホを介してメディア上の存在証明のようになって、それらの属性を一つ一つ剥ぎ取っていくと虚無しか残らない。この漫画、絵柄に味や臭みがなく、異文化を背景とする若者が東京下町における体験型消費とその広告でグループ形成する。現実の人間を描こうとしているだけ今の漫画としてはマシな部類なのかな。

斎藤環/解離のポップ・スキル/勁草書房2004
斎藤 やはリ日本人的主休のあり方は、想像的に「空虚なもの」に親和性が高いのではないでしょっか。あくまでも想像的なレベルですけれども。ともかくアメリカの場合は、パーソナリティに何か実質的な根拠を与えたいという要請がすごくある。(中略)いっぽう日本については、これとちょうど反対のことが言えます。容易に「空虚さ」に接近しうる文化は、むしろ主休の全体性や集合性を実休として前提しやすくなるこの辺の、パーソナリティの捉え方の違いが反映されているのではないでしょうか。
大澤真幸 どちらが原因と結果かといっ問題ではなくて、同じ構造のいろんな局面という感じがしますね。空虚さを馴致して保存するカルチュラルな技術が、日本の文化の中にあって、それが多重人格化を防いでいるといえるかもしれませんね。同様に、深刻なヒステリーも深刻な神経症も起こリにくいように思います。
斎藤 さらに言えば、(異論も多いのですが)PTSDすらも起こリにくいと言われます。河合隼雄さんが言うには、外傷を受けるにしても、集団で受ける、集団で分散してしまう。それこそ関係性のコンテクストの中で外傷を受け止めるので、個人のPTSDとして深刻化しにくいこともあるらしい。逆に言えば、集団 で受け止めるということは、個人は空虚なわけですね。



山谷哲夫/じゃぱゆきさん/情報センター出版局1985
「グリーン・グラスのオーディションは、音楽に合わせて着ているものを一枚ずつ脱いでいくやり方だった。集まった女たちの裸をよく見ると、乳首が黒ずみ、下腹がたるみ、子どもを産んだ経験のある者が多かった。そんな女たちがすがるような目でリクルーターである男の一挙一動を注目している。ここでは彼が帝王なのだ」
「じゃぱゆきさん元年と呼ばれる1979年以降急増するじゃぱゆきさんに対し、人手も予算も不足している入国管理局では、摘発の情報を市民による密告の投書から得ることが多い。〝ものすごい数の女たちが日本を汚染している。一日も早く強制送還しろ!〟としたためられた投書にはあらわな差別のニオイがする」
「12人の踊り子のうち8人が日本人ですが、生板本番を実際にやる日本人はわずか2人だけです。フィリピン人4人はすべて生板本番専門です。この前テレビを見ていたら、植田(フィリピン人の踊り子を各地のストリップ劇場に斡旋するモグリの芸能事務所社長)が警察に逮捕されたところが偶然に放映されていてびっくりしました。フィリピンから来たばかりの4人の女の子たちも一緒に映っていました。どうしてテレビはフィリピンの女性ばかり見世物みたいに撮るのですか。私たちが貧しく無力だから? (中略)そんな紳士が舞台に上がると急にがっかりします。彼の着ているものを脱がせると、男性自身、かわいくてモンキーバナナのようですが、汚れており、悪臭を放つのを、いやでも見ざるをえません。コートとネクタイを着けた外観は確かに立派なのですが、中身は汚いとしか言いようがありません。まさに『外見で人を判断するな』です。そんな客が日本人には多いです。ほとんどの客、特に地方では英語が話せません。善良で行儀のよい客がいる一方で、また、たちの悪い客もいます。残念ながら、私の見た多くの客は悪質でした。というのは、日本の客は私たちを見下しており、私たちが日本でやっている仕事、生板本番から、私たちを貧しく無学だと決めつけ、おもちゃのように、私たちの肉体にいろいろいたずらをするのです(このフィリピン女性マリアは学費が続かず途中退学したとはいえ優秀な成績で大学まで進んだ)」
「海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった(↓画像の自称インフルエンサー女について投資家を名乗るツイッターアカウントによる憶測)。  



ジェラルド・ブロネール/認知アポカリプス 文明崩壊の社会学/みすず書房2023・原著2021
「いうまでもなく、われわれ一般人のなかには、プロのインフルエンサーのようにつねに〝いいね〟を意識して行動している人は少ないだろう。ところが、こういうプロは──ときに醜悪と思えるほどに──人間の不変の衝迫を暴き立てることだけを目指している。つまり、人の関心を惹くために競争するという人間の奥深い本性である。こういう条件下では、他人のナルシシズムはつねにいくらか自分自身のナルシシズムを傷つける。そして、この現状はわれわれ人間の社会的アイデンティティの深いところに横たわるものを暴き出している。すべての流行現象が示しているように、人とは違ったものでありたいが、仲間はずれになりたくもないという気持ちのあいだの微妙な道がそこに現れている のである」
「いったいいくつの〝いいね〟を、シェアを、閲覧数を、一般的関心を、少なくとも自分にとって重要な人たちから獲得することができるだろうか? これは一見すると些細なことのようだが、とりわけ若い世代に属する人々が自己評価するうえで、ますます重要になってきているのである。注目度によるこの新たな社会階層は、トクヴィルが分析した民主主義的メランコリーをひたすら増進させる。誰もが少なくともいくらか目立ちたいと思っているが、多くの人々は誰かに注目することはあっても、自分が誰かに注目されることはないというのが実態なのだ。大半の人々は注目の欠乏状態にある。アメリカの社会学者ネイサン・ジャーゲンソンは、それをこのように言い表している。
原罪は、マスメディアの誕生にあたって、利益を注目の数量化に結びつけたところにある。問題は今も同じままだ。私は注目をどれだけ生み出すことができるか、そしてそこからどんな利益を引き出せるか?
「ジョナサン・ベラーはそれをこのように説明する。
マスメディアは領土を持たない工場であり、そこで観客は、増大の一途をたどる資本主義の、リビドー的、政治的、物質的、肉体的、そしてもちろん、イデオロギー的なプロトコルに応じる形で自らを製造するのである。
(中略) とりわけマルクーゼにあっては、個人は『技術装置のなかにのみ込まれ』、その管理と支配の様式に縛られているという。そして、このメディア社会はわれわれの私生活にまで浸透してくることによって、われわれの判断能力と支配への抵抗力を奪い取り、機械的に従順な存在にしてしまう。テオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーの共著では、〝文化産業〟というような表現が用いられ、個人は資本主義的産業社会に強いられた情報環境によって他律化され、鋳型にはめられた存在として描かれている。 この2人の著者は当然のことながら、文化が経済圏に取り込まれて、市場製品に転化されていると説いている。彼らは当時すでに、この文化の商品化が質的貧困と製品の均一化のプロセスを到来させていることを見ていたのである」

キメねこ/キメねこの留置場完全攻略マニュアル/ALISON航空(同人誌)2023
悪名でも売ったもん勝ちのツイッター漫画家、別れた女に密告され大麻取締法違反により逮捕、保釈されるまでの留置場の様子を描く実録(後に起訴され執行猶予付き有罪に)。44ページで1500円超という値段だけでなく、屑のくせして衒学が目立つなどスマホいじらずにいられない有象無象を利用して(逮捕の)元を取ってやろう感満載のゴミ本。



倉橋正直/日本の阿片戦略 隠された国家犯罪/共栄書房2005
親戚「あのオジさんは独身のパヨクだけど前からジャニー喜多川のこと言ってたなあ」
この項から『ジャカルタ・メソッド』までの3点は、現状さまざまな問題が噴出して混沌とした、その因果関係としての歴史の闇を暴き、人間社会が将来どうなっていくのか指し示す証拠物件としていつでも参照できるよう書架に置く。通読していない。
「近代戦にあっては(負傷者の鎮痛剤として)モルヒネが必需品であった。このため、各国は競ってモルヒネを大量生産した。第一次世界大戦がそれまでにないほど大規模な戦争だったことから、それに合わせて各国が生産したモルヒネの量も莫大なものになった。やがて第一次世界大戦も終る。すると一転してモルヒネが余ってしまう。世界的な規模で大量のモルヒネがだぶついてくる。そうするとモルヒネのもうーつの側面、すなわち麻薬の作用が再び思い出され、今度は麻薬として使われてゆく。中国は麻薬として使われるモルヒネの有望な消費地と見なされる。1918年前後の時期の中国は軍閥混戦時代ということもあリ、中国国内へのモルヒネの密輸も容易であった」
「菊地酉治(ゆうじ)のあげている事件の中で興味があるのは、済南事件(1928年)に関する一節である。軍人としてたまたま同事件に際会した佐々木到一も、次のように同趣旨のことを述べているからである。すなわち『それを聞かずして居残った邦人に対して残虐の手を加え、その老壮男女16人が惨死体となってあらわれたのである。(中略)わが軍の激昂はその極に達した。もはや容赦はならないのである。もっとも右の遭難者は、わが方から言えば引揚げの勧告を無視して現場に止まったものであって、その多くがモヒ、ヘロインの密売者であり、惨殺は土民の手で行われたものと思われる節が多かったのである』。二つの史料は、済南事件で『虐殺せられたる者は殆どモヒ丸密造者』であったことを一致して指摘している。おそらく当時においてはこのことは世間にかなり広く知られていたのではなかろうか」。



ウィリアム・ブルム/アメリカ侵略全史/作品社2018・原著2016
日本語版副題「第2次大戦後の米軍・CIAによる軍事介入・政治工作・テロ・暗殺」。56ものチャプターにより米軍とCIAが行った他国選挙への干渉、民主的な選挙で決まった政府を転覆させるためのクーデター計画、暗殺計画、拷問技術の訓練などを列挙。すべて読むことはとうていできないが、たとえば1970~80年代のイランで育った少女を主人公とする漫画『ペルセポリス』(後に映画化)でも宗教革命後に釈放された政治犯がCIAの教えたやり方で拷問されていたという描写があり、革命前のパーレビ王朝は石油利権を狙うアメリカの支援を受けていたことが示され、そうしたさまざまな参照によっても本書の記述は説得力を増し、米国こそ世界最悪のならず者国家であるという認識に導かれる。大戦以降、米国の関与によって国が良くなったケースはない。今のウクライナ、そして急激に衰退する日本。

ヴィンセント・ベヴィンス/ジャカルタ・メソッド/河出書房新社2022・原著2020
日本語版副題「反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦」。前項と同じく米国が主導する差別的で残虐な冷戦政策を広く記述。題名の元になったインドネシアは1960年代前半、イスラム教徒が多数を占める国では最大の人口を持ち、米ソ両陣営と距離を置き、ソ連・中国に次いで勢力の大きな共産党が存在。しかし1965~66年にかけ米国の支援を受けたスハルト(後に大統領)などの国軍主流派により共産党員や共産党との関係を疑われた一般市民に対する虐殺が行われ、100万人ともいわれる民間人が犠牲に。米軍の犠牲ゼロでインドネシアを決定的に米国陣営に引き込んだ画期的な成功であり、以降このように現地の軍人や政治家を使って破壊・虐殺・分断工作を行う「ジャカルタ・メソッド」が世界各地で共産主義者「絶滅」を狙って計画的に進められた(特に中南米の親米独裁政権)。たまたま開いたページにはクメールルージュ掃討をめぐるベトナムと中国の紛争(ベトナムが短期間で圧勝)について記述されており、フィリピンや台湾についても掘り下げた項目があるようだ。

ヨハン・ホイジンガ/ホモ・ルーデンス/中公文庫1973・原著1938
「遊びは、ものを表現するという理想、共同生活をするという理想を満足させるものである。それは、食物摂取、交合、自己保存という純生物学的過程よりも高い領域のなかにある。こう言うと、動物の生活では遊びが繁殖期に非常に大きな役割を演じている事実と矛盾するように見えるかも知れない。しかし、われわれが人間の遊びに対して認めたのと同じように、鳥がさえずったり、雌を求めて鳴いたり、胸毛をふくらませたりすることに対して、それらは純生物学的な世界の外で演じられる行動であると認めたら、はたしてこれは非条理だろうか。そうではあるまい。いずれにしても人間の遊びは、すべてそこに何かの意味があったり、何かのお祭になっていたりするやや高級な形式に属している。それは祝祭、祭祀の領域──聖なる領域──に属している」。
親戚の新年会で目撃した老若男女、ネトウヨと認識共通する差別やヘイトを肴に談笑。私が正論を言うと、彼らは蓋をしていたオリンピックだの統一教会だの突き付けられ、私は孤立無援で、お互い気まずい。彼らは趣味や属性を多く持ち、仲間に囲まれて精神安定しているからネットで暴れたりはしない。ネットで暴れるのは、社会の周縁化された人びとが「多数派の遊び・祝祭としての愛国保守」に参加して「反日パヨクまた負けた」と精神勝利しているのだ。日本の〝世間〟の監視と査定がもたらす卑屈さは、いまやスマホによって世界に広がり、牧羊犬タイプによる時間争奪ゲームも白熱。人類は万物の霊長ではない。ホモ●●●の部分には相互家畜化を意味するラテン語を当てるべき。
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