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38才の群ようこが選んだ100冊

2010-02-25 23:23:57 | Bibliomania
エルヴィス・コステロさんが推奨するアルバム500作品の中に、デューク・エリントンの24枚組ボックスセットやら、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全集やらが500分の1として選ばれてるのも反則なんですけどね。ここにも反則がちらほら。
何十巻にもおよぶ『サザエさん』や『植草甚一スクラップブック』が100分の1として入っている。文春の女性誌CREAの1993年11月号で組まれた「本のほんもの」という特集で、当時38才の群ようこが選んだ100冊。「あくまでも、今の私にとっての価値を基準にして、青春の思い出的な本はカットし、これからも再読、三読しそうな本を選びました。ただ『放浪記』だけは例外で、今後通読することはないかもしれない、今の私を揺り動かすものはもうないが、小学4年で初めて買った“大人の本”として特別な存在で、この本とともに育ってきたといってもいいくらい」なんだそうだ。
本好きだった故・母ちゃんの勧めで、この人のエッセイ本を読み始めて、最初の『別人「群ようこ」のできるまで』が面白かったので、けっこう10冊以上は読んだと思う。どれをとってもほとんど一緒なんだけどね。わりとマシだと思って残しておいた『アメリカ居すわり一人旅』や『鞄に本だけつめこんで』を、今になってパラパラと見てみると、文章の平凡なこと、それ以上に世界観が小さくて幼いことに驚く。捨てよう。
「先生と 呼ばれるほどの 馬鹿でなし」とはよく言ったもので、群ようこみたいなものが作家先生として人さまに著書を購読させることができるのは、消費意欲の旺盛なわれわれ世代より10年ほど早く生まれたからということに尽きるのでわ。というか、マスコミってのは、その種の人しかいない気もするんだけど…。
とわいえ、仕事として売文業をやるのは別として、本来「読書家」にはプロもアマチュアもないはずだ。たくさん本を読んで中でも感動した本を選ぶということであれば、いわゆる知識人とかより彼女から学べることもある。興味がある。いずれオラも、音楽だけじゃなく、100冊とか100映画とかお目にかける機会もあるかもしれない。
でもさあ、このリストの最後に載った10冊が、彼女にとって最重要な、最初に選んだ10冊とのことなんですが、その直前に『安南の王子』所収ってことで「千鶴」なる短編小説が選ばれてるでしょう。この集英社文庫は、CREA誌が特集を組んだのとほぼ同じ時期の発売で、巻末に群ようこも短文を寄せてるらしいのよ。なんか、ずるいよな。
小西康陽なんかも200アルバムを選ぶのにおいてレコード会社と組んだりして、小ずるいことやってるみたいだけど、大好きな本とか音楽を選んだり順位付けすることに商売をからませるってのは、なんとなく不潔な感じを受けます。そこはやはりコステロさんみたく、商売っ気抜きでやっていただきたいものだが、マスコミ人種に言ってもカエルの面にしょんべんでしょか。



◆群ようこ、人生38年で感動した本100冊全公開─CREA1993年11月号
1. 富士日記(上・中・下)/武田百合子(中公文庫)
2. 海の百合/ピエール・ド・マンディアルグ(河出書房新社)
3. 昭和幻燈館/久世光彦(中公文庫)
4. 一色一生/志村ふくみ(文春文庫)
5. つるつる対談 多型倒錯/上野千鶴子×宮迫千鶴(創元社)
6. やし酒のみ/エイモス・チュツオーラ(晶文社)
7. 女二人のニューギニア/有吉佐和子(朝日文庫)
8. 怪しい来客簿/色川武大(文春文庫)
9. 性的人間/大江健三郎(新潮文庫)
10. 檸檬/梶井基次郎(新潮文庫)
11. あなたに似た人/ロアルド・ダール(ハヤカワ文庫)



12. だれも知らない小さな国/佐藤さとる(講談社文庫)
13. 仮面の告白/三島由紀夫(新潮文庫)
14. 愛より速く/斎藤綾子(思想の科学社)
15. ベッドタイム アイズ/山田詠美(河出文庫)
16. 花埋み/渡辺淳一(新潮文庫)
17. 別れを告げに来た男/ブライアン・フリーマントル(新潮文庫)
18. キャンディ/テリィ・サザーン(角川文庫・品切)
19. プライベート・ゲイ・ライフ/伏見憲明(学陽書房)
20. フリークス/レスリー・フィードラー(青土社)
21. 父の詫び状/向田邦子(文春文庫)
22. 無名仮名人名簿/向田邦子(文春文庫)
23. 霊長類ヒト科動物図鑑/向田邦子(文春文庫)
24. ゼルダ/ナンシー・ミルフォード(新潮社)
25. 淋しいアメリカ人/桐島洋子(文春文庫)
26. 馬鹿について/ホルスト・ガイヤー(創元社)
27. 衣裳を垂れて天下治まる/草森紳一(駸々堂出版・絶版)
28. 旅嫌い/草森紳一(マルジュ社)
29. セックス神話解体新書/小倉千加子(学陽書房)
30. 辻まことの世界/辻まこと(みすず書房)
31. 百年の孤独/ガルシア・マルケス(新潮社)
32. 詩人の食卓/高橋睦郎、画:金子國義(平凡社)
33. 詩人の買物帖/高橋睦郎、画:金子國義(平凡社)
34. ビッグ・ブロンド(and Other stories所収)/ドロシー・パーカー(文藝春秋)
35. 田紳有楽/藤枝静男(講談社文芸文庫)
36. アナイス・ニンの日記/アナイス・ニン(ちくま文庫)
37. もうひとつの国/ジェイムズ・ボールドウィン(新潮文庫・品切)
38. ジョージア・オキーフ/ローリー・ライル(PARCO出版)
39. フェミニテ/英隆(思索社)
40. 肖像 ニューヨークの女たち/松本路子(冬樹社)
41. 風流江戸雀/杉浦日向子(新潮文庫)
42. 百日紅/杉浦日向子(双葉社)
43. ナニワ金融道(1~)/青木雄二(講談社)
44. つる姫じゃ~っ!/土田よしこ(中央公論社)
45. 日本文化史/家永三郎(岩波新書)



46. 絶対安全剃刀/高野文子(白泉社)
47. 波止場日記/エリック・ホッファー(みすず書房)
48. 天国にいちばん近い島/森村桂(角川文庫)
49. ジョヴァンニの部屋/ジェイムズ・ボールドウィン(白水社)
50. 母の台所娘のキッチン/藤村房子(新潮社・品切)



51. 歩くひとりもの/津野海太郎(思想の科学社)
52. シングル・ライフ/海老坂武(中公文庫)
53. クレーの日記/パウル・クレー(新潮社)
54. 我が老後/佐藤愛子(文藝春秋)
55. 愛子の小さな冒険/佐藤愛子(角川文庫)
56. 堕落論/坂口安吾(角川文庫)
57. ぜんまい屋の葉書/金田理恵(筑摩書房)
58. わが闘争/堤玲子(三一書房)
59. 限りなく透明に近いブルー/村上龍(講談社文庫)
60. 羊をめぐる冒険/村上春樹(講談社文庫)
61. 喜劇新思想大系/山上たつひこ(秋田書店)
62. サザエさん/長谷川町子(姉妹社)
63. いじわるばあさん/長谷川町子(姉妹社)
64. 都風俗化粧伝/佐山半七丸、画図:速水春暁斎(平凡社東洋文庫)
65. ねじ式/つげ義春(小学館文庫)
66. 慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる/土方巽、筆録:吉増剛造(書肆山田)
67. 原始、女性は太陽であった/平塚らいてう(大月書店文庫)
68. 茶の本/岡倉覚三(岩波文庫)
69. 愛のゆくえ/リチャード・ブローティガン(新潮文庫)
70. 当世凡人伝/富岡多恵子(講談社文芸文庫)
71. 考現学入門/今和次郎、編:藤森照信(ちくま文庫)
72. へび少女/楳図かずお(秋田書店)
73. 鉄腕アトム/手塚治虫(講談社)
74. 忍者武芸帳/白土三平(小学館文庫)
75. わたしはネコロジスト/吉田ルイ子(ブロンズ新社)
76. 煙突やニワトリ/武田花(筑摩書房)
77. 猫・陽のあたる場所/武田花(現代書館)
78. 愛の生活(金井美恵子全短編1所収)/金井美恵子(日本文芸社)
79. キッチン/吉本ばなな(福武文庫)



80. 風俗研究/バルザック(藤原書店)
81. 流れる/幸田文(新潮文庫)
82. 婉という女/大原富枝(講談社文庫)
83. 恋愛小説の陥穽/三枝和子(青土社)
84. 悪童日記/アゴタ・クリストフ(早川書房)
85. パリ随想(1~3)/湯浅年子(みすず書房)
86. 気象と文化/関口武(東洋経済新報社・品切)
87. 忘れの構造/戸井田道三(ちくま文庫)
88. 日本のたくみ/白洲正子(新潮社・品切)
89. 江戸の想像力/田中優子(ちくま学芸文庫)
90. 千鶴(安南の王子所収)/山川方夫(集英社文庫)
91. 森茉莉全集 全8巻(刊行中・筑摩書房)
92. 植草甚一スクラップブック 全41巻(晶文社)
93. 尾崎翠全集 全1巻(創樹社)
94. 放浪記/林芙美子(新潮文庫)
95. 何が私をこうさせたか/金子ふみ子(筑摩書房)
96. 結婚式のメンバー/カーソン・マッカラーズ(中央公論社・品切)
97. 悲しき酒場の唄/カーソン・マッカラーズ(白水社)
98. 東方綺譚/マルグリット・ユルスナール(白水社)
99. 断腸亭日乗 全7巻/永井荷風(岩波書店)
100. ニューヨークひとりぼっち/松島トモ子(集英社・品切)
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闇金アメリカくん─堤未果の金づる

2010-02-24 21:41:11 | 読書
『ルポ貧困大国アメリカII』堤未果(岩波新書)
経済危機後のアメリカでは、社会の貧困化が加速している。職が見つからず、学資ローンに追い立てられる若者たち。老後の生活設計が崩れた高齢者たち。教育や年金、医療、そして刑務所までもが商品化され、巨大マーケットに飲み込まれている。オバマ大統領就任で、状況は変わったのか。人びとの肉声を通して、アメリカの今を活写するルポの第二弾。



『あなたに貸す金はない!─国が生み出す新しい「借金地獄」』岩田昭男(アスキー新書)
多重債務者救済の名の下に進む法律改正が、一般消費者の懐を直撃しようとしている。年収の3分の1までしか借りられない総量規制が始まり、クレジットカードも持ちにくくなるのだ。この大変化にどう立ち向かえばよいのか? 業界の裏情報に通じた著者が、知らないでは済まされない当世借金事情を斬る。



注意一秒怪我一生。あなたの隣りを歩く人は、会社を解雇されたばかりだったり、借金で首が回らなかったり、住所不定だったりするかもしれない。他人というものは、何を考えているかわからないので、不特定多数がいるような場所では、うっかり油断できない。
オラ特に注意深く行動するのは【1】スーパーマーケット【2】駅や電車内【3】道、といったところでしょか。スーパーには上記のような人はいないかもしれないが、みなさんガツガツとあつかましく振る舞いますので。午後3時~6時くらいには、かあちゃん・ばあちゃん・じいちゃんの「3ちゃんスーパー」と化してますます危険だ。
で、貧困大国アメリカなんですけど。危険だ、油断できない、なんて言ったって、わが国が世界有数の治安のよさであるのは誰もが知る。逆に、海外へ出るとしたら、スリ・置き引き・強盗・ぼったくりなどに遭う危険が何倍も増すのも常識の範囲。
アメリカがそうであるかはともかく、ぼやぼやしていて「だまされるほうが悪い」「盗まれるほうが悪い」「殺されるほうが悪い」という考え方も、あるんでしょうね。堤未果が「よく売れる本」の柳の下のドジョウを狙って、取材して集めまくった事例なんかも、その部類。マイケル・ムーアの『キャピタリズム』を批判するのにも述べたが、クリントンやオバマの企図した医療保険の改革が難航するのは、ほんとうに保守派政治家や保険業界だけの責任なのか。堤の言う「コーポラティズム=政府と企業の癒着主義」のせいなのか。
アメリカに行ったことのないオラが言うのもなんなんですけど、そうじゃないと思う。国民の責任もある。われわれの住む複雑な社会は、政治家や資本家など力のある者が意図して動かそうとしたって、たやすくは動かない。力のない者のほうが圧倒的多数なのだ。中でもアメリカ国民は、わが国と比べ一人一人が自己責任で「アメリカという夢や理想を追うゲーム」に参加しているのに等しい。だまされたり盗まれたりして、そのゲームの負け組になったからといって、全面的に被害者であるとは言いがたい。
確かに、堤の言うように権力者はゲームのルールをねじ曲げるかもわからないが、民族のルツボで生まれ育った国民ならば、それを監視し、見抜き、巧妙に立ち回るための叡智も発達しているはずだ。弊ブログでしばしばユダヤ系のミュージシャンによる音楽のことをあつかううち、オラの文抜きで歌詞の大意を並べる「ユダヤ音楽家の作詞作曲」てのも始めたじゃんかさ。
それらを見るうち、ああ、彼らは常に最悪の状況がやって来るかもしれないことも念頭に置いて、注意深く振る舞ってるなあ、と。差別されるかも。財産を没収されるかも。最悪、殺されるかも。
そうやって生きているからこそ、転がる石のように落ちぶれてしまった女に向かって「どんな気がする??」とボブ・ディランは歌うことができたのだ。かつてグリール・マーカス氏がある酒場にいて「Like a Rolling Stone」が流れてきたら、その場にいた全員がハッとして耳をそばだてた、同曲が決してBGMにはなりえなかった体験を語ったのも、そこに「俺は売春婦のようにはならない!!」というディランの叫びが聞こえたからにほかならない。
アメリカ国民であれば、音楽に限らずとも、ユダヤ系や黒人たちによるそうした恩恵を施されて、子どもの頃からある程度は世の中のルールを体感できるはずだ。それでもだまされるとすれば、だまされる側にもいくらかの責任はある。
堤未果がそれを指摘しないのは、彼女のビジネスモデルが、対岸で災難に遭った被害者たちの事例をレクチャーしてあげますから、本を買ってください、お金をください、というようなものゆえ、米国民を「かわいそうな被害者」ということにしておかないと「善意のふり」が貫けなくなる。商売に不都合だ。
そんな程度の本です。もう1冊の新書本と「ふり」こそ違えど、同レベルの読み捨て本といえましょう。

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いまを生きる水俣病 #1

2010-02-23 23:58:42 | Bibliomania
PreStudies「水俣病と私たち─映像・報道・表現を通して考える 若宮啓文さんと映画『水俣病─その20年』を見る」@御茶ノ水・明治大学リバティタワー(2月23日)
大量の被害者を生み、先進国の公害事件としては類例のないほど注目を集めることとなった水俣病は、その記録・報道を通じて現在までさまざまな問題を投げかけている。中でも故・土本典昭監督による一連の作品は、わが国のドキュメンタリー映画を語る上でも欠かすことのできないものといえよう。今回は2010年9月に水俣・明治大学展の開催を前にした「学び」の機会として、2月23日と3月18日の2度にわたって上映・解説の企画が持たれ、誰でも費用1000円で参加できることになった。



↑1977年1月15日、父に抱かれて晴れ着姿の上村智子さん。生まれて3日後に発病してしまった胎児性の水俣病患者で、ユージーン・スミス氏が撮影した「Tomoko Uemura in Her Bath」があまりに有名。この年の12月に21年の生を閉じた。

私の育った1970年代に魂の原風景と呼べるものは大阪万博に象徴されるような明るいものばかりではなかった。むしろ暗かった。その代表が水俣病などの公害問題である。とうてい当ブログ1回分の題材として使い捨てられるものではない。これからも折を見て触れてゆきたいが、当時子どもとして親と一緒に報道を見ていて、家族そろって反応した印象的なエピソードがあった。

上の写真の女性ほど病状が重くなく、しゃべることはできる、やはり胎児性水俣病の患者女性がいた。10代の思春期くらいの彼女は「雨」という寂しげな歌謡曲をヒットさせた歌手・三善英史のことをかわいいと言っていたと記憶する。

彼女にも人生がある。世界がある。先日の映画『だれのものでもないチェレ』では、1930年代のハンガリーの孤児の少女は、養親から虐待されて素っ裸で働かされるような悲しい世界が彼女に与えられたすべてだったが、私たちと同じ世代で同じ言葉を使って生きている少女にも、胎児のときから多くを奪われて生きざるをえない人生がある。奪われたもののほとんどは私たちが幸せになるために欠かせないようなものたち。

わが国は決していまの中国を対岸視できない人権侵害大国である。



↑チッソ水俣工場と水俣の町。1973年8月


◆水俣病─解説3「メチル水銀と食物連鎖」
水俣病の原因物質メチル水銀は、チッソ水俣工場から排水に含まれて海に流されたものである。この排水路と塀で囲まれた広大な敷地の内は、製造設備と一体となった建屋がいくつも立ち並び、事務棟や各資材置場、タンク、変電所のほか、引き込み線や専用港、研究棟まで備えた工場群といったさまを呈していた。

その中の一つでは、アセチレンガスを水中に吹き込んでアセトアルデヒドを製造していたが、この水溶液中に触媒として入れられた無機水銀が有機化してメチル水銀となっていた。製造過程で猛毒のメチル水銀ができてしまうことを、チッソは以前から知っていたとされるが、この廃液も無処理のまま流された。

製造は昼夜三交代で続いたため、濃厚なメチル水銀を含む排水も多量だったが、もちろん海水の比ではない。不知火海という内海の、またその内の水俣湾という閉鎖的な海とはいえ、大きな干満の差は海水を入れ換えて工場排水を希釈した。しかし、ここは多種多様な生き物たちが棲む海だったのである。

海の中で生き物たちは、互いに喰って喰われる関係を作っている。それを食物連鎖という。植物性のプランクトンを動物性のプランクトンが食べ、それをゴカイなどの虫が、それを小さな魚が、というような連関が数段階から十数段階におよぶ。そこにメチル水銀が入ったのである。

金属水銀や硫化水銀などの無機水銀も有毒物に変わりはないが、生物の体内にはわずかしか吸収されない。しかし、有機物と化合した有機水銀の一種であるメチル水銀は、消化管に入れば大半が吸収されて、ほんのわずかしか排出されないし、表皮からも吸収される。食物連鎖の段階を一つ経るに従って、生物体内の濃度は数千倍に濃縮され、最後は食卓にのぼるような大型の魚介類へ。

人の口に入ったメチル水銀は、腸管から吸収され血流に乗って全身をめぐり、次第に脳の神経細胞の、中でも大脳皮質にあって感覚情報の処理にかかわる顆粒(かりゅう)細胞を破壊する。

この種の神経細胞は下等動物には存在せず、高等動物ほど多くなる。そのせいか、魚はピンピンしていても、それを食べた人間は発病した。

そして、神経細胞は再生しない。人は誰でも持って生まれた神経細胞によって生きているだけなのだ。水俣病が治らない由縁である。長年の血のにじむようなリハビリによって代替機能が発達したり、症状が安定することはあっても、一度脳内に入ったメチル水銀はほとんど排出されず、さらに老化は症状を重篤にする。

 わずか耳かき一杯で人を不治の病に落とし入れるこの毒物を、1932(昭和7)年から68(昭和43)年までの36年間にわたってチッソが流したその総量は、2億人を殺してもなお余りある量だった。 ─(実川悠太:『僕が写した愛しい水俣』塩田武史著、より)



↑水俣病の原因が工場排水ではないかと疑われ始めた1958年ころ、チッソはひそかに排水の放流先を百間港から水俣川河口の八幡プールに変えていた

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キング・レコードが紹介したユーロ・ロック 【1】

2010-02-21 23:37:49 | 音楽
1970年代前半のイタリア・ロックは類い稀なる賑わいを呈していた。さまざまなスタイルを持つ個性的なグループが数多く輩出し、そのほとんどがいわゆるプログレッシヴ・ロックと呼ばれ、イギリスのその種の音を意識したものだった。キング・クリムゾン、イエス、EL&P、ジェネシス、ジェスロ・タル、ピンク・フロイドといったところだ。
今ではその影も形もなくなってしまったイタリア・ロックを軸に、ヨーロッパ大陸で独自の創作活動を続けている音楽を取り上げ、一般にあまり知られていない辺境のロックを紹介する目的でキング・レコードの『ユーロピアン・ロック・コレクション』は企画された。
発売点数は79年6月発売の第1期から、82年11月発売の第9期まで実に68枚にもなる。これだけの数をシリーズで出したのは驚くべきことだし、担当者の努力は並大抵のものではない。イタリア、スペインといったラテン民族の国は、何事につけいい加減で、契約ひとつにしても我々の常識では考えられないことが起こるわけだ。
68枚のアルバムは8ヵ国におよび、その内訳はイタリアが35枚と半数を占め、ドイツが14枚、フランスが8枚、イギリスが5枚、スペイン、ハンガリーが各2枚、オランダ、オーストリアが各1枚といった具合だ。キング・レコードの契約網からすればその偏在化はいたしかたないが、私にとってはイタリアが多いことが嬉しい。本当にイタリアのロックは面白いし、日本人の感覚にも合うものが多い。
さらに、このシリーズで評価したいのは値段の点だ。廉価盤で出され、1・2期が1800円、3・4期が2000円、5期以降が2200円と比較的安い。しかもほとんどがオリジナル・ジャケットをそのまま再現し、変形ジャケットで単価の張るものも同じ価格で出している。ここで発売されたアルバムは輸入盤専門店ではかなりの高額で取引きされており、その面からも拍手を送りたい。
なお、このシリーズは83年3月に第10期の発売計画があり、イタリア・ロックのチェルヴェロやコルテ・デイ・ミラコリなどがリスト・アップされている。また、このシリーズから派生してイタリアのカンタウトーレ(シンガー・ソング・ライター)のシリーズも近々始まる予定だ。
すべてが十分に聞く価値のあるものではないかもしれないが、アメリカやイギリスのヒットチャート一辺倒の現状にささやかな一石を投じた意義は大きい。それでは、全68枚を順に紹介していこう。 ─(山岸伸一/ミュージック・マガジン1982年12月号)

─I─
★★★★★地中海の伝説/マウロ・パガーニ(1978─アスコルト─伊)
★★★ミラノ・カリブロ9/オザンナ(1972─フォニット・チェトラ─伊)
★★★コンチェルト・グロッソI/ニュー・トロルス(1971─フォニット・チェトラ)
★★★★8月7日午後/ルチオ・バッティスティ(1971─リコルディ─伊)
★★★★★ヴィヴァ/デュッセルドルフ(1978─テルデック─独)
★★ポーレン/パルサー(1976─キンダム─仏)
★ロスト・マンカインド/サテン・ホエール(1975─ストランド─独)
★神経細胞/メッセージ(1976─ノヴァ─独)



このシリーズのスタートに選ばれたマウロ・パガーニのPFM脱退後初のソロ・アルバム『地中海の伝説』は、今ではすっかり地中海ロックとの評価が定着している。この作品はアラブとヨーロッパが交差する地中海の音楽を鋭い視点で捉え、イタリアの個性的で優れた音楽家を使い、新たな切り込みを入れた点で際立っている。PFMやアレアのメンバーがパガーニの音楽に見事な協力を行っているが、さらに女性歌手テレーザ・デ・シオの泥臭いナポリ唄が聞けることは何よりも素晴らしい。78年に制作され、非常に考え抜き練りに練った遠大な構想が本人の口からも聞けた。大きな収穫である。
次にイタリア・ロック界で最も重要な人物であるルチオ・バッティスティの『8月7日午後』は、残念ながら芳しい売れ行きではないが。これこそイタリアのロックに指針を与え、地下活動を続けていたロックを表面へ浮上させる大きな契機となったアルバムだ。71年に制作され、このセッションからPFMとフォルムラ・トレが誕生した。バッティスティ自身、今でもイタリア音楽界に強い影響力を持つが、当時はまさに神としての存在感があった。枠にとらわれない才気あふれる自由な精神性が感じられる。
さて、このシリーズで5枚と最も多くのアルバムが出されている人気のニュー・トロルスだ。72年から76年頃までがいわゆるイタリアでのプログレッシヴ・ロックの全盛期で、ニュー・トロルスはその間、さまざまなスタイルを試行し、そのためメンバーの変動も激しかったが、そのひとつの極みがクラシックと融合したロックの形態、ロック・バンドとオーケストラの共存である。『コンチェルト・グロッソI』のA面はその代表作で、いかにもイタリアらしい華麗なストリングス、弦の響きが特徴だ。本来これは映画音楽として制作され、アルゼンチン生まれでイタリアで活躍するルイス・エンリケス・バカロフが作曲し、全体の指揮にあたっている。だからニュー・トロルス自身の主体性が薄いことはいなめないが、B面すべてを使った「空間の中から」はなかなかヘヴィーな音でこちらの方を評価する声も強い。もうひとつ全く同じ形態で制作されたのがオザンナの『ミラノ・カリブロ9』である。演奏部分がほとんどで、わずかに歌われる歌詞は英語だ。ニュー・トロルスもオザンナも与えられた制約の中で精一杯の自己主張をするしたたかさを持ち、それが随所に現れている。
これらイタリア勢に対抗するドイツ勢の筆頭は本シリーズで全アルバムが紹介されているドイツ・エレクトロニック・ロックの雄、ラ・デュッセルドルフだ。78年の2ndアルバム『ヴィヴァ』は、イギリスにまで影響を及ぼしたほどで、全体を貫く静かで不思議な明るさが実に心地よい。この人工的な明るさが何といっても重要で、現実社会への鋭い批判がある。ヨーロッパの深部ドイツに漂う死臭を嗅ぐことができる。
それに比べると次の2枚は平凡だ。明らかにキング・クリムゾン症候群である4人組メッセージの76年に制作された4作目『神経細胞』は、ドイツらしさがまるで希薄だ。同じく4人組のサテン・ホエールの2作目『ロスト・マンカインド』はさらにドイツ離れが進み、イギリス志向が強い。けれどもブリティッシュ・ジャズ・ロックを目指すにはいささかヴォーカル・パートが目立ちすぎ、演奏技術も形式にとらわれすぎている。
5人組パルサーの74年のデビュー作『ポーレン』は、フランスのロック・グループに共通する繊細な音作りがなされている。音をひとつひとつ丹念に配置、構成し、曲を展開していくやり方はそれがひとつの方法論となっている。フルートが生かされているせいか全体が軽い。現実離れした夢幻の世界に遊ぶ、いかにもユーロ・プログレ・ロック然とした音だ。

─II─
★★★★組曲「夢魔」/アトール(1975─アリオラ─仏)
★★★★UT/ニュー・トロルス(1972─フォニット・チェトラ)
★★★★★パレポリ/オザンナ(1973─フォニット・チェトラ)
★★★パルシファル/イ・プー(1973─CGD─伊)
★★★★1978/アレア(1978─アスコルト)
★★★★自由への扉/バンコ(1973─リコルディ)
★★★マス・メディア・スターズ/アクア・フラジーレ(1974─リコルディ)
★★ローラー/ゴブリン(1976─チネボックス─伊)



ナポリは歴史においても風土においても地中海世界では最も重要な地点だ。そのナポリを舞台に古代と現代を見事に対比させ、妖しげなまでの独自の美学を結実させたオザンナの『パレポリ』は傑作と呼ぶにふさわしい。ギターのダニーロ。ルスティーチとフルートやサックスのエリオ・ダンナを軸とする5人組のオザンナは、演劇の要素も含み、実際にステージで役者を使うというシアトリカル・ロックの先駆者でもあり、ジェネシス時代のピーター・ガブリエルにも影響を与えたと言われている。73年のイタリア・ロック界がどんなに面白かったかが想像できよう。アラブとヨーロッパの対峙と融合が混沌とした中から見えてくる、フェリーニの『サテリコン』が思い出されて仕方ない。
現在イタリアで最高の人気を誇るイ・プーの意欲作もここにはある。ワグナーの楽劇にヒントを得たこと自体が十分にヨーロッパ的だが、一大組曲『パルシファル』はオーケストラを完全に支配下に置き、中世のロマンを漂わす雰囲気を持っている。リッカルド・フォッリが独立し、訪れた解散の危機を乗り切った忘れられない73年の作品だ。
バンコ・デル・ムトゥオ、ソッコルソという長ったらしい正式名称を使っていたバンコは、PFMに続きイギリスのマンティコアからアルバムが出され、注目を集めた6人組だが、73年制作の『自由への扉』はイギリス行きのきっかけとなったものである。キーボードが二人といういかにもそれらしい編成でその効果を如何なく発揮している。
PFMが来日した時のヴォーカリスト、ベルナルド・ランゼッティが在籍していた5人組のアクア・フラジーレは、グループ名から想像がつくようにイエスの路線上にある。全曲英語で歌われ、当時のアメリカ西海岸の軽いアコースティックな音をうまく取り入れている。『マス・メディア・スターズ』は74年の2ndアルバムで、この後ランゼッティがPFMに引き抜かれ解散した。
ロックよりもフリージャズや前衛音楽に近い存在のアレアが、クランプス・レーベルからアスコルト・レーベルに移籍後初めて出した『1978』は、例によって政治色が濃い内容だ。79年には不帰の人となってしまったデメトリオ・ストラトスの強烈なヴォーカル・ワークにはただただ圧倒されるのみ。民俗音楽へのアプローチもあり、創造性において今後も輩出しないグループだろう。
『サスペリア』などの恐怖映画の音楽を担当し、一躍その種のものでは有名になってしまったゴブリンが、5人の編成で唯一自分たちのために制作したのが『ローラー』だ。B面の「ゴブリン」はまさしくマイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』の感化を受けている。
72年に制作されたニュー・トロルスの『UT』は、肩の力を抜き、ともすれば仰々しくなりがちなところを抑え、淡々とした音作りで好感が持てる。ニュー・トロルスはもともと難解な理論を振り回したり、高度な演奏技術を誇示するようなグループではない。うたごころを持ったグループであり、その良さが十分に出ている。
悪魔とか魔女といったものはヨーロッパに限らず、創作テーマとしては欠かせない。地下水脈のように延々と流れ続け、映画『エクソシスト』の成功の背景にもそうした精神構造上のものが潜んでいるように思う。ロック・グループがテーマにするのは当然のことで、フランスではアトールが75年に『組曲「夢魔」』を制作した。おどろおどろしい音が迫ってくる。6人組だが、ヴォーカルのアンドレ・バルザーの歌唱力は群を抜いている。

─III─
★★★サード・アルバム/アトール(1977─ユーロディスク─仏)
★★千里眼/フランソワ・ブレアン(1979─エッグ─仏)
天地火水<第2部>水/ミッシェル・マーニュ(1979─エッグ─仏)
★★★★デュッセルドルフ・ファースト(1975─ノヴァ)
★★★ダーウィン/バンコ(1973─リコルディ)
★★★人生の風景/オザンナ(1974─フォニット・チェトラ)
★翼を持った男/オニリス(1979─バークレー─仏)
★★★ハープとフルートの歌/ペペ・マイナ(1977─アスコルト)



バンコの『ダーウィン』は73年に発表された2ndアルバムで、クラシックの要素を巧みに取り入れたジャンニとヴィットリオのノチェンツィ兄弟のキーボードに特徴がある。フランチェスコ・ディ・ジャコモというユニークな巨漢ヴォーカリストの存在も面白く、なんでも消化してしまうスケールの大きさが感じられる。テーマ曲の邦題「革命」は間違いで、「進化」とするのが正しい。ダーウィンは進化論者だから。
オザンナの4作目『人生の風景』は、7曲中2曲のみがイタリア語で歌われ、ほかは英語という側面を見ても完全にイギリスを向いたものだ。メンバー各自の自由なインプロヴィゼーションをうまく生かしながら、1曲ずつをまとめている構成力には感心する。74年に本作を発表した後、主要メンバーであるエリオ・ダンナとダニーロ・ルスティーナは渡英しノヴァと名乗って活動を始め、フィル・コリンズも加わったアルバムを制作している。
ペペ・マイナはイタリアのマイク・オールドフィールドと評されているマルチ・プレイヤーで、スタジオに独りこもり音楽制作にいそしむ。『ハープとフルートの歌』は、そのタイトルが示すようにハープとフルートが主体となり、シタールやタブラをはじめ中東からアジアにかけての地域の民族楽器が使われ、静的で瞑想音楽のようだが、人間のぬくもりが伝わってくる不思議な作品である。
本シリーズで人気の高いアトールの『サード』は77年の作品で、イエスをユーロ・ロック風に純粋培養した非常に透明な音だ。曲の構成、展開にみられる螺旋階段を昇り降りする感覚こそが身上である。
さて、ラ・デュッセルドルフの『ファースト』は75年の作品だが、今もって鮮烈な印象を与える。独特のビート感が実にいい。決して素晴らしいノリを持つものでも躍動感あふれるものでもない。むしろ下手と言ってしまったほうがいいのかもしれないが、不思議なリアリティーを感じさせてくれる。コニー・プランクとの共同制作で、空港の音が効果的だ。
レーベル契約の関係で現在はカタログから消えてしまった次の3枚だが、それほど惜しいとは思わないものだ。フランスのエッグ・レーベルと言えば、前衛音楽に近い分野で知られているが、そこから出されたフランソワ・ブレアンの『千里眼』は、例外的なほど聞きやすい。適度なスピード感もあり、曲作りとシンセサイザーの演奏はポップだ。もう一人のミッシェル・マーニュの『天地火水<第2部>水』は最悪と言える。自らの哲学の表現と言っているが、自閉症的観念でシンセサイザーを操っている救いがたい駄作だ。方法論はヴァンゲリスと同じで、「チャリオッツ・オブ・ファイアー」を思わせる曲もある。もう1枚はフランスのバークレー・レーベルからデビューした6人組オニリスのデビュー作『翼を持った男』だ。一編の物語となっており、音作りはドラマティックであるが、大袈裟すぎて惨めな結果となっている。

キング・レコードが紹介したユーロ・ロック 【2】
キング・レコードが紹介したユーロ・ロック 【3】
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消耗品ではない音楽─コステロさんの500枚

2010-02-17 22:23:32 | 音楽
iTunesプレイリスト <COSTELLO'S 500> 108分
1. "(Don't Worry) If There's a Hell Below We're All Going to Go" Curtis Mayfield (1970 - The Anthology 1961-1977)
2. "That's No Reason to Cry" David Ackles (1970 - Subway to the Country)
3. "Handel: Serse, HWV 40 - Ombra mai fù" Andreas Scholl, Sir Roger Norrington; Orchestra of the Age of Enlightenment (1999 - Andreas Scholl - Heroes)
4. "Walk Little Dolly" Dionne Warwick (1967 - The Windows of the World)
5. "Crackin' Up" Bo Diddley (1959 - Bo Diddley - His Best)
6. "A Bend in the Night" Roy Nathanson feat. Darius de Haas & David Driver (2000 - Fire at Keaton's Bar & Grill)
7. "I'm a Fool to Want You" Billie Holiday (1958 - The Lady in Satin)
8. "There Must Be a City" The Fairfield Four (1997 - I Couldn't Hear Nobody Pray)
9. "Duparc: Phidylé" Thomas Allen, Roger Vignoles (1989 - Duparc: Songs)
10. "Black Dog" Jesse Winchester (1970 - Jesse Winchester +3)
11. "Se tu m'ami (formerly attributed to Pergolesi)" Cecilia Bartoli & György Fischer (1992 - Arie Antiche: Se tu m'ami)
12. "Image" T-Bone Burnett (1988 - The Talking Animals)
13. "Shelley My Love" Nick Lowe (1994 - The Impossible Bird)
14. "Ready or Not" Fugees (1996 - The Score)
15. "Stella Blue" Grateful Dead (1973 - Wake of the Flood)
16. "Lydia the Tatooed Lady" Groucho Marx & Bing Crosby (1939 - The Very Best of Groucho Marx)
17. "Mussorgsky: Songs and Dances of Death (Pesni i plyaski smerti) - Trepak (Russian Dance)" Sergei Leiferkus, Semion Skigin (1995 - Mussorgsky: Songs Volume 1)
18. "Stay in Touch" Joni Mitchell (1998 - Taming the Tiger)
19. "Dead Man Blues" Jelly Roll Morton & His Red Hot Peppers (1927 - Birth of the Hot: The Classic Chicago "Red Hot Peppers" Sessions, 1926-27)
20. "Chopin: Piano Concerto #2 in F minor, Op. 21, II. Larghetto" Krystian Zimerman; Polish Festival Orchestra (1999 - Chopin: Piano Concertos)
21. "The Love You Save (May Be Your Own)" Joe Tex (1966 - Greatest Hits)
22. "Black Gunn" Augustus Pablo (2000 - El Rocker's)
23. "Grieg: Haugtussa - Song Cycle, Op. 67, VIII. Ved gjaetle - bekken" Anne Sofie von Otter & Bengt Forsberg (1993 - Grieg: Songs)
24. "Sleepless Nights" The Everly Brothers (1960 - The Definitive Pop Collection)
25. "Hymn Medley: Abide With Me/Just As I Am Without One Plea/What A Friend We Have In Jesus/Amazing Grace" Charlie Haden & Hank Jones (1995 - Steal Away: Spirituals, Hymns And Folk Songs)



「人ごと」だったり「上から目線」だったりする人たちのことを、しばしば攻撃したりもしますが、弊ブログ自体にもそのような傾向があるのだ。ほら、会社を辞めてしまって、それでも経済的には余裕があって、お金というよりもっと貴重な時間を自分の自由で使える。
土日に比べ、月曜日にはお客さんの数がストンと落ちる傾向があるのも、おそらくお客さんの層に月─金の正業に就いてる人が多くて、そうした余裕を忌避したくもなるのかも。
正社員で就職すると、時間は会社にがんじがらめ。夜も「飲み」とか。音楽なんてじっくり聞いたり探したりすることはできない。オラ精神科に長期入院したとき、ほかの入院患者さんにクラシック愛好者が少なくないことに気づいたが、そこにも、大人になって限られた時間を音楽に捧げるとすれば、ポピュラー音楽とクラシック音楽の両方を追いかけるのは困難。ゆえに、流行商品でもある派手でわかりやすいポップスを、あえて捨てて、流行の話題には付いていけないかもしれないが長く楽しめるクラシックを選ぶという、一種の敗北主義のようなものが、病気の遠因ともなっているのではないだろうか。
クラシック音楽は、1分未満のものから何時間もかかるオペラやミサ曲まで、時間にとらわれず向き合う必要があるが、その代わり一生もののお楽しみを約束してくれる。
今年の初めに、エルヴィス・コステロさんが2000年秋のVanity Fair誌上で500枚のアルバムを選んだ記事が、インターネット上で読めるのを知って、英パンク期に現れた彼だが、お父さんもジャズのミュージシャンで、そうした育った環境、あるいは彼が作詞作曲するためにどのような世界観を育んできたか、といったようなことのしのばれる選択に、ここしばらく夢中になって買い集めているところだ。その500分の1として、先に述べたような長大なクラシック、あるいはバート・バカラックやフィル・スペクターのボックス・セットなど時間を要するものが多い。ジャズやロックの盤では、アルバム中で彼の推薦する1~3曲がピックアップされていることもあるが、オラすでに持っていた盤でも、その曲はiTunesに落とさなかったなあ、というようなキャッチーさに欠けるが聞くうちに染みてくる曲がしばしば。
「ヒットチャートの初登場1位!」や「プログレやヘビメタのこけおどし!」などとは無縁なところに、一生もので付き合える音楽がまだまだ無尽蔵にあることを知らされた。といって、彼と同時期に現れたジャムやクラッシュ、あるいは彼より後の流れのブリットポップやトリップホップからもいくつか選ばれており、その姿勢は、小西康陽の「これ見よがし」な選盤や、ピーター・バラカンの新しい流れを無視してかかる選盤と比べ、ほんとうにフェアで信頼できる。音楽家の選ぶ音楽。うまい店の料理人が「くやしいけど、あの店はうちよりうまい」と勧めるようなものでしょか。最高に「使えるリスト」と思います。



◆同リストで3作品以上が選ばれている音楽家
9 - Bob Dylan
8 - Miles Davis
7 - Beatles
7 - Charles Mingus
6 - Joni Mitchell
6 - Neil Young
5 - Mozart
5 - Shostakovich
5 - Frank Sinatra
5 - Tom Waits
4 - J.S. Bach
4 - Beach Boys
4 - Beethoven
4 - David Bowie
4 - Marvin Gaye
4 - Grateful Dead
4 - Van Morrison
4 - Randy Newman
4 - Rolling Stones
4 - Schubert
4 - Bruce Springsteen
3 - T-Bone Burnett
3 - Byrds
3 - Duke Ellington
3 - Aretha Franklin
3 - Jimi Hendrix
3 - Billie Holiday
3 - John Lennon
3 - Paul McCartney
3 - Thelonious Monk
3 - Prince
3 - Stravinsky
3 - U2
3 - Stevie Wonder

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『だれのものでもないチェレ』

2010-02-10 23:23:33 | 映画(映画館)
Árvácska@渋谷シネマ・アンジェリカ、ラースロー・ラノーディ監督(1976年ハンガリー)
小さな少女チェレのたどる過酷な運命を描いた幻の傑作が、ニュープリントで31年ぶりにリバイバル上映されることになった。
1930年代初頭、ホルティ独裁政権下のハンガリー。孤児(原題も“みなし子”の意)を引き取ると養育費としていくらかのお金を受け取れる制度があり、富農たちは労働力として使うことも兼ねて孤児を養っていた。少女チェレもある農家に引き取られていたが、裸のまま牛追いなどで働かされ、餓えや寒さ、大人たちの虐待に耐え続ける日々。ある日、その家の女の子と、スイカの帽子と服を交換して、服を着て帰ったところ「盗んだ」と見なされ激しい折檻を受ける。
耐えかねたチェレは家出をするが、すぐ孤児院に収容され、再び非情な養親に引き取られてしまう。そこで使用人として働く老人とともに馬小屋で暮らすチェレは、老人の優しさに、初めて心の交流を知る。だが、その先には、さらに過酷な運命が待ち受けていた…。



「生きづらさを生きる」的なテーマに特化したネットラジオ(一部地上波でもOA)を聞いていて印象的な言葉が。「『ちびまる子ちゃん』を見たとき、SFだと思った」。
そう語ったのは「絶叫詩人」を名乗るアイコという女性で、子ども時代に両親の離婚や祖父からの虐待を経験して、後に不登校や心の病にも悩まされた彼女にとって、ちびまる子ちゃんで描かれる一家団欒や優しい祖父が、SFのようなフィクションに感じられたという。
小さな子どもにとって、親や家族などの生育環境は、世界のすべて。もしそれが、親から捨てられたとか、親から虐待されるとかであるとすれば、どれほど悲しい人生だろうか。
この映画の悲しさは、いわゆる「小さな子どもの出てくる、泣ける映画」とかの域を超える。あまりに救いがない。しかしそれは、主人公の少女にとって逃げ出すことのできない現実なのだ。ハンガリーの作家ジグムンド・モーリツが、自殺を図ろうとした19歳の少女から聞いた実体験に基づいて書いた中篇小説を原作とする。
1930年代の同国の孤児たちに「人権」なんてものはない。虫けらのごとくあつかわれる。2つ目の養親もひどく腹黒いが、1つ目の養親は腹黒いというより、確信的に野蛮だ。女の子を素っ裸で働かせるというのも信じがたいが、さらに心をえぐるエピソードは、チェレが畑のスイカを食べて、その皮を帽子代わりにして遊んでいると、養家の娘がそれを欲しがって、服と交換することになる。だが養母が見つけて怒り、再びチェレは素っ裸。
夕食の時間になっても、うなだれたままのチェレは食べるのを拒否して、またまた養母の怒りを買う。さらに養父は、チェレが抱えているスイカの皮が畑のものだと知って「盗んだ」と怒り狂い、暖炉の中から取り出した真っ赤な炭火をチェレの手のひらに押し付ける。それはひど過ぎると止める養母も、「盗みは許さない。この世におまえのものはない。持っているのは体だけだ」と言い放つ。
なにひとつ持っていないとすれば、盗むしかないではないか。『闇金ウシジマくん』に出てくる最悪の登場人物よりも、どす黒い。
彼らは、行政から養育費としてお金をもらえるので、孤児たちに最低限の住みかと食べものを用意して、こき使う。わが国で生活保護の受給者にひどい住居を与えてお金をむしり取るヤクザ・貧困ビジネスの者どもをも連想させるが、そこではむしり取られる者も、いい年をしていて多少は自己責任も認められるのに対し、チェレはわずか7つか8つの女の子で、その地獄のような世界が彼女にとって全世界なのだ。ひど過ぎる。
子どもは、教えられなければ、外の世界を知ることができない。大人の責任は大きいと言わざるをえないし、逆に考えれば何も教えないで一生奴隷のようにこき使うこともできるということだ。実際、わが国の大学生には「利率いくらいくらで借金したら、どのように返済しなければならないか」ということを計算できない者が少なくない。貸す側の言うなり。
そこで問いたい。そんな学生というか、利率の計算さえできない者に、ヤクザ者以外に誰がお金を貸すだろうか。きちんと借金を返済することを可能にするような、付加価値のある仕事ができるはずがないからだ。
というのも、国家破綻の危機と伝えられるギリシャをはじめ、アイスランド、ポルトガル、この映画のハンガリーなど、ヨーロッパのわりと辺境に位置する小国が軒並み債務超過となっている。その裏側には、目先の利益ばかり追って、長期的な成長戦略を描くことのできない、まるで映画の因業な養親のようなエゴイズムと人権無視の政治体制が横たわってはいないだろうか。いやお金を貸す側=先進諸国にも問題あるとは思いますけど。
貸す側の雑誌である週刊東洋経済2月6日号に『2020年の世界と日本。世界の賢者34人が語る大局観!』との特集が。傾聴に値する発言はほとんど見当たらないが、中でも大前研一がひどい。

「まず挙げられるのはユーロの強さだ。世界でただ一つの規律ある通貨で財政的な裏付けがある。(中略)EUにとってロシアを経済的な関係で取り込んでしまえば、軍事的な脅威もなくなってしまう。(中略)20年の中国のGDPは現在の2倍になっているだろう。日本は、20年代にはインドに抜かれ、30年までにはブラジル、インドネシアの後塵を拝することになると予測する。
さらに2050年の中国のGDPは日本の10倍になっている。日本はそのとき大国の側に寄り添う小国になっている。これを私は“10%国家”と呼んでいる。もっとも日中2000年の歴史を振り返れば、日本はずっと中国の10分の1であって、この100年が特別なだけ。10%国家であっても卑下する必要はなく、アメリカに対するカナダ、ドイツに対するスイスやデンマークのようなものになればよい。こうした国々は、質では決して劣っておらず強い存在感がある。日本はそうした存在を目指すべきだ。
グローバルに見てこれから10年で起こること、それは新興国の爆発的な成長だ」。

ひえ~~、バカじゃん。新興国に投資して、「爆発的に儲かる」と思います??これまで十中八九は失敗でしたよね。
上から目線で、政治とか統計の数字とかを見て、人間そのものを見てないから、こうした愚かな発言をしてしまう。中国が経済成長するのは間違いないが、人権や表現の自由がないということは、「世界の工場」というより以上の存在となる上で大きな阻害要因となる。それが解決されたとしても、かの国の膨大な人口が所得を伸ばせるだけの原資=お金よりも資源・エネルギー・食糧が足りないのは明らか。パワーゲームの駒の数が増える一方のこの世界は、あまりにも複雑で予測のつかないことだらけで不安だ。

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