マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

読書録 #38 — 大政翼賛会のメディアミックス、ほか

2024-05-19 22:31:44 | 読書
ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン/国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源/ハヤカワ・ノンフィクション文庫2016・原著2012
日本人には保険がない。優しそうなおばさん。でも誰かに言われて与党や維新に投票していたり何かの熱心な信者だったりするかも。おばさんも私も五輪の悲惨な開会式、関係者の汚職、その費用の一部を負担させられている。日本人みな悪党。保険がないのでなく私たちが保険なのだ。本書は、法治・税制・市場・官僚機構や生活インフラといった「制度」は一朝一夕にできるものでなく、英国は王政を監視する「代議制」を整えていたから最初に産業革命を成功させ、そうした歴史のないチュニジアなどの「アラブの春」は失敗したとして、それら各国の政治闘争と栄枯盛衰の歴史を紐解く。中国については短い記述で毛沢東を否定し、鄧小平の改革開放のみを称える。日本については研究していないようだ。すなわち、コロナ禍のため先進各国が金融緩和してインフレが進み、自国ファーストと移民などへの憎悪を煽る右翼ポピュリズムが跋扈して、スマホと株バブルと少子化、ますます金と時間に縛られて空しい人生を送らねばならない閉塞感について何の解決にもならない。偉そうにしているが哲学に欠ける空疎な本。

Mエンデ+Eエプラー+Hテヒル/オリーブの森で語りあう/岩波書店1984・原著1982
「今日の学校制度や大学制度じたいが、じつに強く経済に支配されているんだよ。経済はロビーをへて裏ロからはいりこむ。(中略)大学での科学者教育をよく観察すればはっきりわかることだが、学生は最初から特定の目標をめざして訓練されているんだ。真理を探究しながら人間形成をする場という古典的な意味での大学(ウニウェルシタス)はとっくの昔に消えてしまっている。(中略)まったく一面的な専門家的思考というものをたたきこまれる。入学以前でも可能なかぎりそう教育されている。よくわかるよね。だって現代の経済は、システムの内側ではたらく人間を必要としているんだから。いま自分がやっていることをじっくり考えるような人間なんて邪魔なだけだ」。
「もしも女性問題を解決しようと思うなら、現在の文化全体を変革する心づもりが必要だ。女性が異性に負けないくらいすぐれた男性となれることを証明しても、なんにもならない。逆にそれによって、間接的にせよ男社会が正当化されてしまう。男社会を尺度として認めているわけだからね。一面的なこの男社会がまさにぼくらを荒廃させてきた。なんと当の男たちまでをもね」。
今や大卒のホワイトカラーが何も生まず少子化と経済縮小を先導している。自民党の女は男よりも男だ。「第三次世界大戦は時間争奪戦争として既に始まっている」と予見したミヒャエル・エンデを中心として、果たして人間らしく生きられるような改革は可能かを探る鼎談。

Charles Snider / The Strawberry Bricks Guide to Progressive Rock (3rd edition) / strawberrybricks.com (2008/2020)
500以上のプログレのアルバム評を集大成。ジャケ写はなく字だらけ。けっこう知らないグループあるな。若いころ音楽関係の洋書を買うことはスペシャルな体験で、聞くべき曲を必死に漁ったものだ。日本ではコロナ禍の間にも紙の本の売れ行きがみるみる落ちていったが欧米人は書架を誇ることを決してやめないだろう。

石母田正/中世的世界の形成/岩波文庫1985
「わが国の武士団は、前記の如く在地領主の族的結合の軍事組織として発生したが、この場合決定的意味をもつのはそれが領主階級の独自の軍事組織であったことにある。このことに武士団の歴史的意味があるのであって、この面を抽象してしまえば武士団が中世社会の政治的根幹をなした意義が抹殺されてしまうことになる」。
「法が制定法の法文解釈のなかに存在せず、生命ある現実の生活関係のなかに、武家のならい民間の法のなかに存在することを認識したということは、如何に大きな思想の転回であったろうか。この転回にこそ中世がある」。



大塚英志/大政翼賛会のメディアミックス 「翼賛一家」と参加するファシズム/平凡社2018
1970~80年代のメディアミックス代表格、角川映画が抜擢した薬師丸ひろ子と原田知世は普通の中高生らしさを残すことでかえって神秘性を感じさせる新しいアイドル像であった。薬師丸が都立高に通いながら撮影した『セーラー服と機関銃』がテレビ初登場したとき私は親戚の家で見て安っぽいひどい映画だと思ったが黙っていた。のちの「ネトウヨの従弟」の家。
本書で大塚英志が紐解く「翼賛一家」は基本は新聞まんがながら大政翼賛会主導で「版権」を管理し、「二次創作」を公募し奨励することでそうした市井の愛国予備軍を戦争というお祭りに参加させ、編集者や演劇・映画人など政府目線の関係者を育て、戦争自体は負けてもメディアと広告とイベント大好き、現在も続くプロパガンダ大国の地ならしに成功したのである。

深田萌絵ほか/光と影のTSMC誘致/かや書房2023
醜悪な装丁、輪をかけてひどい文章。半導体関連株は右肩上がりですよと政府とメディアグルになって投資熱を煽るように、世界はますます半導体を必要としている。気候変動を抑えるためのEV・太陽電池・風力タービンにも半導体が不可欠ながら、半導体を製造するのに大量の水と電気、有毒な金属やガスを使用するため、それ自体が温室効果ガスおよび土壌・水質・大気汚染を生み出してしまう矛盾。著者によれば、熊本県への大規模な工場誘致が進んでいるTSMCの創業者は中国出身のため台湾の工場周辺の公害に無頓着で、人工透析を受ける比率が世界一高く肺がんもアジアで2番目に多いなど台湾住民が被害を受けており、次は熊本だ! 水俣病の再来だ!と警鐘を鳴らす。しかし因果関係を示す具体的なデータに乏しく、煽情的で粗雑な文体なので信憑性を疑う。実際フェイクや捻じ曲げた引用が多く「著者は半導体業界および台湾という一般人には理解が難しい〝陰謀論のブルーオーシャン〟を探り当てただけ」と強く批判するアマゾンレビューも。アンチ巨人も巨人に依存していることは変らないし、著者は日本のIT敗戦と経済的没落に乗じる形でIT業界およびメディアに寄生する総会屋のように生きていくのだろう。


自我野/崖っぷちの自我/扶桑社2023
旧名おのれのみ。新しいペンネームは悪い予感。↑の強烈な冒頭から驚きの着地をみる短篇は、女の生きづらさに正面からぶつかって劇的なフィクションを成立させて見事だと思ったのだが、本書には収録されておらず、2012年に上京してアルバイトしながら漫画家を目指す著者の自伝エッセイ的な4コマ漫画に占められる。セリフ文字が多く、似た内容が続くため、せっかくの才能もトゥーマッチに感じてしまう。雑誌でキャラを立てて競わせて人気が下がったら使い捨てという日本の漫画出版の悪弊、今はウェブ版に志望者が集まることからますます不毛だ。それにしても著者の母親やバイト先で出会う「普通の女の悪意」にゲンナリ。THE狭い世間。甘やかされた私はそもそもバイトが無理だし、著者は何だかんだ強いと思う。作風を広げて漫画を描き続けてほしい。

佐藤まさあき/劇画私史三十年/桜井文庫1984
「アシスタント2人が必死に仕上げをするのだが僕が人物のペンを入れバックを入れるスピードにとても追いつかないのだ。ま、今になってみるとあんまり自慢になる話でもないのだが、僕のペン入れを見た編集者、仲間のほとんどが感嘆の声をもらすのだ」
「どうやら私と編集者を帰して一晩中モデルガンで撃ち合いっこをしていた様子なのだ。(中略)私の我慢の限界にきていた。アシスタントを近くの喫茶店につれていき、ついに怒りを爆発させた。そして、特に仕事の遅い3名のアシスタントに対し、減俸処分を下したのである。だがその後、数年経って聞いた話だが、この時アシスタントの1人が自分の部屋に戻るなり私を〝殺してやる〟といって包丁を持って飛び出そうとしたそうである。それを残りの者が羽がいじめにして…」
後年の自叙伝『劇画の星をめざして』と重なる記述も多いが昭和のスピード感を感じさせる全力疾走の人生だけに出版社とのやり取りや実地のお金の話などエピソード尽きないようだ。「桜井文庫」は辰巳ヨシヒロの実兄桜井昌一が立ち上げた貸本出版の東考社が主に貸本漫画作品の復刻のため1975年にスタートさせた文庫シリーズ。



吾妻ひでお/定本 不条理日記/太田出版1993・原著1979
全盛期の吾妻ひでおってこんなにつまらなかった…確かに好きで少し集めた筈なのだが。SFは自意識を肥大させるポルノ。何でもありのドタバタが私生活に侵入してくる様子を綴る日記。吾妻氏の場合はそれをずっと雑誌中心の出版メディアでさらし続けねばならなかった。苦しくなって失踪・アル中入院ということにも。それも飯の種に。アル中はれっきと精神疾患ながら、専門病棟の患者には「精神の人」を見下す心理がみられ、これを狙ってキリスト教系の勧誘おばさんが潜入していたり。あれは邪悪だ、壺ならずとも。オタクの大半はネトウヨ。出版不況と没落日本に捧げられる生贄。太田出版の定本シリーズは良心的と思うが、日本の漫画はもうこれ以上何も生み出せないという墓碑銘のようにも思える。

モーリス・パンゲ/自死の日本史/講談社学術文庫2011・原著1984
「三島由紀夫の《意志的な死》は、西欧の悲劇の根底を成す個人主義を日本伝統の自己放棄に組み合わせようとした彼の試みの、要の石となるものである」。
「日本の南の地方では明治政府による帯刀禁止の措置に憤激した士族が反乱を起こす。そこでは蒙古の来寇以来、武士の数は多く、そのかなりが貧しかったので、それだけ誇り高く、かたくなであった。武家の比率は日本全体では全戸数の10分の1弱であったが、薩摩藩では人口の3分の1以上が、鹿児島城下に限ればその3分の2が武士であった」。
「要するに、西欧の人間は、善を守るために世界に対する用心を怠らないことを自分の義務だと考える傾向を持っているのに対して、日本人は自分の住む世界──それこそが彼らにとっては善なのだ──にあまりに強く結びつけられている。だから、現実世界という善を守るために自分自身に用心することが、ほかならぬ、日本人にとっての義務なのである。日本人の超自我が西欧のそれに比べて厳しいからそうなるのではない。日本人の感じている世界とは常に、近く親しい世界、内に向かって閉じた慈しみの世界なのであり、自分を包み、守る世界なのである。その世界に仕えることに怠りさえなければ、世界は自分に対しても寛大にふるまってくれると信じてよいのだ。(中略)日本では、個人は自分の職務とそのまま一体化していて、職務のなかに個人は消えている。自己の全存在を自分の役割のなかに投げ入れるこの社会参加ほど日本で高く評価される徳目はほかにない」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #37 — 土と内臓、ほか

2024-02-10 16:56:24 | 読書
D・モントゴメリー+A・ビクレー/土と内臓 微生物がつくる世界/築地書館2016・原著2016
「死んだ人間や動物を土に埋めると、病気の種類によっては、あとで病原体が少ししか、あるいはまったく見つからなくなることがある。土壌中に棲息する微生物に、外来の病原体を殺す力があるのだろうか。前にも登場したローレンツ・ヒルトナーとサー・アルバート・ハワードは、植物の世界ではこれがおおむね事実であることを発見していた。非病原性微生物がひしめく土壌中は、病原体が生きていくのに最悪の場所だと、彼らは認識していた。すぐにワクスマンらは、ヒトの病原体との戦いに使える化学物質を土壌から探そうとした」。
「過去50年に研究者が見てきたのは、腸機能障害のただの上昇傾向ではない。40倍の増加だ。私たちがこのような病気にかかりやすくなったのには、遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている。腸機能障害と、喘息やアレルギーのような自己免疫疾患は、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきている。こうした病気にはすべて、度を越した免疫反応が自分自身の細胞や組織を傷つけるという特微的な症状がある。(中略) 来る日も来る日も、体内外が微生物で飽和することによって、さまざまなフィードバックループが活性化されたり鋭敏になったりし、免疫系は微生物が敵か味方かを見 分けることを覚えるのだ。きれいすぎる環境、極度に殺菌された食物や水、抗生物質のくり返しの服用、土や自然との接触の少なさ、こういったことはすべて私たちにとって不利益となる」。
「1950年代初めには、農業用化学製品の普及により収穫量が大幅に向上し、作物に害を与えるさまざまな病原体が制圧されていた。こうした奇跡のような成果があったので、化学製品の使用量は増加した。ちょうど同じ時期、医療分野で抗生物質の使用量が増えたのと同じように。生物学は、しかし、植物や動物のエネルギー消費のことになると、残酷なほど効率的だ。なぜならエネルギーを保持し、手に入れることは生存の中心だからだ。化学肥料を与えられた植物は、栄養を手に 入れるために、それほどエネルギーを消費する必要がない。そこであまり根系を伸ばしたり、滲出液を作ったりしなくなる。こうなると根圏の菌根菌や有益細菌の数が少なくなる。その結果、植物の健康と病原体からの防衛に必要な栄養素交換、ミネラルの吸収、フィトケミカルの生産が不活発になる」。




中井久夫/新版 分裂病と人類/東京大学出版会2013・原著1982
「しかし、 大規模な変化は、いかに原始的なものであれ、農耕牧畜とともに起こったというべきである。
〝今日なお旧石器時代に生きる〟ニューギニア山地民(中略)の写真集は一瞥ただちにわれわれに強烈な感銘を与える。整然たるタロ芋畑、そのみごとな畝、それをめぐる水路、水路建設の共同作業、精巧な網袋作製の技術、村境にかかるおどろおどろしい仮面、 火の祭儀、そして死者の1、2人を出して終わるところの村境の「戦いヶ原」における真剣な隣接部族との定期的戦争。整頓、清潔、少なくとも清めの儀式、整序された世界の裏側にうごめく魑魅魍魎の世界とそれへの呪術的干渉、そして間歇的な攻撃性の奔騰、権力の支配と秩序──これはまさに強迫症の構造そのままである。『文化にひそむ不快なるもの』(フロイト)は、もっとも早い農耕社会とともにすでに成立したというべきであろう。
狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。農耕社会は計量し測定し配分し貯蔵する(とくに貯蔵、このフロイト流にいえば〝肛門的〟な行為が農耕社会の成立に不可欠なことはいうまでもないが、貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物である。その維持をはじめ、農耕の諸局面は恒久的な権力装置を前提とする。おそらく神をも必要とするだろう」。
ハチミツ男。1ヵ月もすれば話題には上らなくなるかもしれないけれども「ほら、あの、職場で…」人の記憶にはとどまり続ける。私の会社員時代のストーカー事件も、もしスマホとツイッターのある時代ならもっと立ち直れないような事態に発展したかも。おそろしや。本書は、統合失調症者が世界のどこにおいても必ず1%前後現れるという現実に着目した著者が、その元になる分裂親和型(分裂気質)とは狩猟採集時代の認知や意識のあり方が、農耕牧畜以降の執着・強迫的な心理が圧倒する時代にあっても一種の保険として遺伝し続けているのであろうとの見方を示す。3章「西欧精神医学史」では宗教・政治経済・文芸・日本史など縦横無尽に援用しつつ人間社会の病理を追求。サクサク読める本ではないが(未読了)日本人の著書としては稀なスケールの大きい文明批評の名著。


エレーヌ・フォックス/脳科学は人格を変えられるか?/文春文庫2017・原著2012
原題Rainy Brain, Sunny Brain。悲観と楽観の違いが単に心境だけでなくどれほど当人の現実を左右しうるか、といったことを前置きに、恐怖や快楽の支配力、性格の遺伝、脳の可塑性などについて考察。「脳科学者」にうさん臭い人物が少なくないのは、そもそも睡眠はなぜ必要不可欠なのかさえ解明されていない、知るほどに未知の領域も増えていくような駆け出しの学問において権威を装わねばならないから。文春から文庫化される人文系の書物には一貫してネオリベ臭があるという経験値も併せ、読み始めて次第に否定的な感情が広がり、以下ナナメ読み、特に得るところなく読了即処分。




ビタリー・テルレツキー/サバキスタン①/トゥーヴァージンズ路草コミックス2023
長く鎖国状態にあった謎の独裁国家「サバキスタン」が指導者「同志相棒」の葬儀に伴い国境を開いて各国ジャーナリストを招くことになり─。犬を擬人化して描く、平板でステレオタイプなディストピアもの漫画。退屈に感じられる理由として、スマホの登場以降は個人が自ら概念なり集団なりに囲われて分断とヘイト工作を買って出る、そのメディアを意識した色と欲がここにはない、20世紀のアルバニアや北朝鮮を想起させる一方的で動きのない類型化にとどまっている。


ネルノダイスキ/ひょんなこと/アタシ社2023
同人誌出身、文化庁メディア芸術祭マンガ部門受賞経験のある著者による3作目となる短篇集。300ページ超。サブカル風ながら反発を催させない味のある絵柄。題材は動物の変形・擬人化が多く、既に分断と囲い込みが完了してしまったポストモダンの日本漫画市場に寄せて無難にまとめた印象。


みなもと太郎/お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ/河出文庫1997・原連載1976-79
和田誠の映画コラムを模倣した体裁でいにしえの漫画の数々を論評。みなもと氏独特の簡略化したイラストに味わい。最近は手塚治虫・萩尾望都を筆頭にむかし好きだった漫画にも幻滅することが多く、私の知らない作品を含め昭和の漫画の流れを一貫した視点で概観・参照できることは有難い。



石井正己/関東大震災 文豪たちの証言/中公文庫2023
内田魯庵「鮮人襲来の流言蜚語が八方に飛ぶと共に、鮮人の背後に社会主義者があるという声がイツとなく高くなって、鮮人狩が主義者狩となり、主義者の身辺が段々危うくなった。此騒ぎを余所に大杉は相変らず従容として児供の乳母車を推して運動していた。
『用心しなけりゃイカンぜ、』と或時避遁った時に云うと、
『用心したって仕方が無い。捕まる時は捕まる、』と笑っていた。後に聞くと、大杉に注意したものは何人もあったが、事実此頃の大杉は社会運動からは全く離れて子守ばかりしていたから、危険が身に迫ってるとは夢にも思ってないらしかった。
或るタ方、夜警に出ていると、警官が四五人足早に通り過ぎながら、今二人伴れて来るから殴っちゃ不可んぞと呼ばわった。其頃の自警団は気が立っていて、警吏が検挙して来たものにさえ暴行を加えて憚らなかったからだ」
吉野作造(の親交ある朝鮮紳士)「それから先き色々の目に遭ったが、結局同行の二人は所謂行衛不明のリストに入って最早此世の人ではないらしい。自分の斯うして生き残ったのが不思議な位いだ。そして出て見ると、乱暴だと思ったのは、下級の××官ばかりでなく、平素その親切を頼みとして居った純朴な一般内地人が、故なく我々同胞を減多切りに切り捲ったという。あの親切な純朴な日本人が一朝昂奮すると斯の惨虐を敢てすると知っては、どうして我々は一刻も安心してこの地に留まることが出来よう。内地の諸君は済まなかったと云って呉れる、民情も鎮った、これからは心配はないと慰めても呉れる。けれども我々のかくして日本内地に留まるのは、恰も噴火山上に一刻の苟安(こうあん)を愈(たのし)むような思いがする。戦々競々夜の目も合わぬとは此事だ」


服部雄一/ひきこもりと家族トラウマ/生活人新書2005
「ひきこもりを見る場合、日本人と外国人は目のつけどころが違います。多くの日本人は『外に出ないこと』『働かないこと』だけを問題にして、専門家も含めて、トラウマ性の症状──人間不信、対人恐怖、自殺願望、不眠、感情マヒ──に目を向けません。こうした症状を無視すると、ひきこもりは働きもせずに部屋でテレビゲームばかりする怠け者に見えてきます。これに対して外国人は、ひきこもりが何年も人を避けて部屋に閉じこもったり、自殺願望をもったり、人間不信や感情マヒの症状があることに注目します。この視点では、ひきこもりは病気に見えてきます」。
「トラウマ性の病気は『過去に目を向けない』と治らないのです。もし体罰をつかって集団訓練するならば、『人間を警戒するひきこもり』はもっと人間を信用しなくなります。(中略)私は、1991年にソビエト連邦が崩壊したように、日本社会もやがて崩壊すると考えています。ソ連の崩壊は経済崩壊でしたが、日本は文化崩壊です。ひきこもりの増加はその文化崩壊の一部ではないでしょうか。物が豊かになり、日本人が昔からもっていたコミュニケーションの病理、親子関係の弱さ、家や組織が個人の感情を抑圧する文化的問題が形となって表れてきています。日本社会は今後、ひきこもり、恋愛能力のない若者、子どもを育てられない若い親の増加によって『人口の減少』という形で急激に衰退すると思います」。




後藤基巳・駒田信二・常石茂/中国故事物語/河出ペーパーバックス1963
「臥薪嘗胆」「呉越同舟」「四面楚歌」「天網恢恢疎にして漏らさず」など中国の故事に基づく名句や思想家の金言を格調高く紹介。読みものとして面白い。この河出ペーパーバックスというシリーズは1960年代によく売れていたらしく、ビニールカバー付きの装丁なのでカバーを外せば現在でもきれいな状態で入手可能。作家別の文芸読本も最初はシリーズ内シリーズであったらしい。特に優れているのは本文と異なる紙質の口絵が必ず付いていること。↑画像・右は、弱冠20歳で長編小説『地上』によりデビュー、一躍寵児となるも女性スキャンダルをきっかけに失墜、精神病院で最期を迎えた島田清次郎の生涯を描く傑作評伝『天才と狂人の間』の口絵。90年代の文庫化に口絵はなく、文庫を捨ててこちらを愛蔵。


小野寺拓也・田野大輔/検証 ナチスは「良いこと」もしたのか/岩波ブックレット2023
「ナチ体制下では、地方保健機関の発行する『婚姻健康証明書』で遺伝的健康が証明できなければ結婚できなかったし、子どもを産まない『繁殖拒否者』には罰金が科されていた。さらに障害者に対しては、まずは強制断種(40万人)、さらには『安楽死』(30万人)という名の殺害が行われた。同性愛者も迫害を受け、5万人に有罪判決が下されている。そのうち強制収容所に送られたのが5000~15000人、死者は3000人程度とされる。ナチスの家族政策は、こうした人種主義的な『民族共同体』を構築するための手段のーつだったのだ」。
「こうしたなりふり構わぬ施策によって、国家の財政支出は爆発的に増大した。軍事支出は1933年に7億RM(約5千億円)だったのが、34年に41億RM(約2兆8千億円)、36年に103億RM(約6兆9千億円)、38年には172億RM(約2兆3千億円)にまで急増した。これは国家支出の61%、国民所得の21%に相当する額である。およそ資本主義体制のもとで、国家支出を平時にこれほど軍備へと振り分けた国は存在しない。これによってドイツ経済は1936年頃から軍需産業を中心に好景気に沸き、労働市場も37年には事実上の完全雇用に至ったが、膨張する国家支出と巨額の負債は国家財政を圧迫し、やがて財政破綻の危機とインフレ圧力の増大に直面することになった。しかも従来からの資源不足と外貨不足に加えて、軍需産業では労働力不足も深刻化し、軍備拡張をさらに推進する上での足かせとなった。こうした事態に危惧を抱いたシャハトは民需拡大への転換を訴えたが、政府首脳部に聞き入れられることはなかった。ヒトラーにとっては、武力による領土拡大と占領地からの収奪以外の選択はあり得なかったのである」。
話題の一冊。2次安倍政権はいくつもの意味でナチスに学び、模倣し、その結果日本は戦争をせずに戦争に負けたような状態に陥りつつあるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #36 — アメリカ侵略全史

2023-09-16 17:20:50 | 読書
近藤ようこ/見晴らしが丘にて・それから/集英社2019
「こんどう」と入力すると4~5番目に予測変換「真彦」と表示されて暗い気持ちに。改竄隠蔽と中抜き、終りなき円安、コロナ対応、五輪、統一教会、そしてジャニーズ事務所問題、先進国とは名ばかりの惨状が次々露呈し、私はますます人間嫌い、孤独を好むように。しかし8月下旬に高校の友人2名と数年ぶりに会い、家族や職場の人間関係をきちんと維持して暮らしている人と直接会話しなければ自分が駄目になるとも感じた次第。そうした市井の人を描く名手・近藤ようこ、かつ若き日の傑作の舞台に30年ぶりに戻るということで期待したが…。小さな範囲で物語が展開し、すぐに一応の決着をみる御都合主義が、いかにも寂れた郊外の一戸建て団地に似つかわしく、これも縮み志向の一種と言えようか。国じまい…。

かつしかけいた/東東京区区①/トゥーヴァージンズ2023
現代日本の無味乾燥。またも新型コロナが拡大(この項は9月初めに書いています)、ツイッターで情報を漁ってみると、発熱外来が混雑しているとか外で車内で待たされるとか書いているアカウント名にはたいてい「推し」対象のキャラであったりアイドルであったり球団であったりが添えられ、イベント・試合に参加したりその仲間と飲み会をやったりしているようだ。人が仲間とつながらなければ生きられない社会的動物であるのはもちろんとしても、今はスマホを介してメディア上の存在証明のようになって、それらの属性を一つ一つ剥ぎ取っていくと虚無しか残らない。この漫画、絵柄に味や臭みがなく、異文化を背景とする若者が東京下町における体験型消費とその広告でグループ形成する。現実の人間を描こうとしているだけ今の漫画としてはマシな部類なのかな。

斎藤環/解離のポップ・スキル/勁草書房2004
斎藤 やはリ日本人的主休のあり方は、想像的に「空虚なもの」に親和性が高いのではないでしょっか。あくまでも想像的なレベルですけれども。ともかくアメリカの場合は、パーソナリティに何か実質的な根拠を与えたいという要請がすごくある。(中略)いっぽう日本については、これとちょうど反対のことが言えます。容易に「空虚さ」に接近しうる文化は、むしろ主休の全体性や集合性を実休として前提しやすくなるこの辺の、パーソナリティの捉え方の違いが反映されているのではないでしょうか。
大澤真幸 どちらが原因と結果かといっ問題ではなくて、同じ構造のいろんな局面という感じがしますね。空虚さを馴致して保存するカルチュラルな技術が、日本の文化の中にあって、それが多重人格化を防いでいるといえるかもしれませんね。同様に、深刻なヒステリーも深刻な神経症も起こリにくいように思います。
斎藤 さらに言えば、(異論も多いのですが)PTSDすらも起こリにくいと言われます。河合隼雄さんが言うには、外傷を受けるにしても、集団で受ける、集団で分散してしまう。それこそ関係性のコンテクストの中で外傷を受け止めるので、個人のPTSDとして深刻化しにくいこともあるらしい。逆に言えば、集団 で受け止めるということは、個人は空虚なわけですね。



山谷哲夫/じゃぱゆきさん/情報センター出版局1985
「グリーン・グラスのオーディションは、音楽に合わせて着ているものを一枚ずつ脱いでいくやり方だった。集まった女たちの裸をよく見ると、乳首が黒ずみ、下腹がたるみ、子どもを産んだ経験のある者が多かった。そんな女たちがすがるような目でリクルーターである男の一挙一動を注目している。ここでは彼が帝王なのだ」
「じゃぱゆきさん元年と呼ばれる1979年以降急増するじゃぱゆきさんに対し、人手も予算も不足している入国管理局では、摘発の情報を市民による密告の投書から得ることが多い。〝ものすごい数の女たちが日本を汚染している。一日も早く強制送還しろ!〟としたためられた投書にはあらわな差別のニオイがする」
「12人の踊り子のうち8人が日本人ですが、生板本番を実際にやる日本人はわずか2人だけです。フィリピン人4人はすべて生板本番専門です。この前テレビを見ていたら、植田(フィリピン人の踊り子を各地のストリップ劇場に斡旋するモグリの芸能事務所社長)が警察に逮捕されたところが偶然に放映されていてびっくりしました。フィリピンから来たばかりの4人の女の子たちも一緒に映っていました。どうしてテレビはフィリピンの女性ばかり見世物みたいに撮るのですか。私たちが貧しく無力だから? (中略)そんな紳士が舞台に上がると急にがっかりします。彼の着ているものを脱がせると、男性自身、かわいくてモンキーバナナのようですが、汚れており、悪臭を放つのを、いやでも見ざるをえません。コートとネクタイを着けた外観は確かに立派なのですが、中身は汚いとしか言いようがありません。まさに『外見で人を判断するな』です。そんな客が日本人には多いです。ほとんどの客、特に地方では英語が話せません。善良で行儀のよい客がいる一方で、また、たちの悪い客もいます。残念ながら、私の見た多くの客は悪質でした。というのは、日本の客は私たちを見下しており、私たちが日本でやっている仕事、生板本番から、私たちを貧しく無学だと決めつけ、おもちゃのように、私たちの肉体にいろいろいたずらをするのです(このフィリピン女性マリアは学費が続かず途中退学したとはいえ優秀な成績で大学まで進んだ)」
「海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった(↓画像の自称インフルエンサー女について投資家を名乗るツイッターアカウントによる憶測)。  



ジェラルド・ブロネール/認知アポカリプス 文明崩壊の社会学/みすず書房2023・原著2021
「いうまでもなく、われわれ一般人のなかには、プロのインフルエンサーのようにつねに〝いいね〟を意識して行動している人は少ないだろう。ところが、こういうプロは──ときに醜悪と思えるほどに──人間の不変の衝迫を暴き立てることだけを目指している。つまり、人の関心を惹くために競争するという人間の奥深い本性である。こういう条件下では、他人のナルシシズムはつねにいくらか自分自身のナルシシズムを傷つける。そして、この現状はわれわれ人間の社会的アイデンティティの深いところに横たわるものを暴き出している。すべての流行現象が示しているように、人とは違ったものでありたいが、仲間はずれになりたくもないという気持ちのあいだの微妙な道がそこに現れている のである」
「いったいいくつの〝いいね〟を、シェアを、閲覧数を、一般的関心を、少なくとも自分にとって重要な人たちから獲得することができるだろうか? これは一見すると些細なことのようだが、とりわけ若い世代に属する人々が自己評価するうえで、ますます重要になってきているのである。注目度によるこの新たな社会階層は、トクヴィルが分析した民主主義的メランコリーをひたすら増進させる。誰もが少なくともいくらか目立ちたいと思っているが、多くの人々は誰かに注目することはあっても、自分が誰かに注目されることはないというのが実態なのだ。大半の人々は注目の欠乏状態にある。アメリカの社会学者ネイサン・ジャーゲンソンは、それをこのように言い表している。
原罪は、マスメディアの誕生にあたって、利益を注目の数量化に結びつけたところにある。問題は今も同じままだ。私は注目をどれだけ生み出すことができるか、そしてそこからどんな利益を引き出せるか?
「ジョナサン・ベラーはそれをこのように説明する。
マスメディアは領土を持たない工場であり、そこで観客は、増大の一途をたどる資本主義の、リビドー的、政治的、物質的、肉体的、そしてもちろん、イデオロギー的なプロトコルに応じる形で自らを製造するのである。
(中略) とりわけマルクーゼにあっては、個人は『技術装置のなかにのみ込まれ』、その管理と支配の様式に縛られているという。そして、このメディア社会はわれわれの私生活にまで浸透してくることによって、われわれの判断能力と支配への抵抗力を奪い取り、機械的に従順な存在にしてしまう。テオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーの共著では、〝文化産業〟というような表現が用いられ、個人は資本主義的産業社会に強いられた情報環境によって他律化され、鋳型にはめられた存在として描かれている。 この2人の著者は当然のことながら、文化が経済圏に取り込まれて、市場製品に転化されていると説いている。彼らは当時すでに、この文化の商品化が質的貧困と製品の均一化のプロセスを到来させていることを見ていたのである」

キメねこ/キメねこの留置場完全攻略マニュアル/ALISON航空(同人誌)2023
悪名でも売ったもん勝ちのツイッター漫画家、別れた女に密告され大麻取締法違反により逮捕、保釈されるまでの留置場の様子を描く実録(後に起訴され執行猶予付き有罪に)。44ページで1500円超という値段だけでなく、屑のくせして衒学が目立つなどスマホいじらずにいられない有象無象を利用して(逮捕の)元を取ってやろう感満載のゴミ本。



倉橋正直/日本の阿片戦略 隠された国家犯罪/共栄書房2005
親戚「あのオジさんは独身のパヨクだけど前からジャニー喜多川のこと言ってたなあ」
この項から『ジャカルタ・メソッド』までの3点は、現状さまざまな問題が噴出して混沌とした、その因果関係としての歴史の闇を暴き、人間社会が将来どうなっていくのか指し示す証拠物件としていつでも参照できるよう書架に置く。通読していない。
「近代戦にあっては(負傷者の鎮痛剤として)モルヒネが必需品であった。このため、各国は競ってモルヒネを大量生産した。第一次世界大戦がそれまでにないほど大規模な戦争だったことから、それに合わせて各国が生産したモルヒネの量も莫大なものになった。やがて第一次世界大戦も終る。すると一転してモルヒネが余ってしまう。世界的な規模で大量のモルヒネがだぶついてくる。そうするとモルヒネのもうーつの側面、すなわち麻薬の作用が再び思い出され、今度は麻薬として使われてゆく。中国は麻薬として使われるモルヒネの有望な消費地と見なされる。1918年前後の時期の中国は軍閥混戦時代ということもあリ、中国国内へのモルヒネの密輸も容易であった」
「菊地酉治(ゆうじ)のあげている事件の中で興味があるのは、済南事件(1928年)に関する一節である。軍人としてたまたま同事件に際会した佐々木到一も、次のように同趣旨のことを述べているからである。すなわち『それを聞かずして居残った邦人に対して残虐の手を加え、その老壮男女16人が惨死体となってあらわれたのである。(中略)わが軍の激昂はその極に達した。もはや容赦はならないのである。もっとも右の遭難者は、わが方から言えば引揚げの勧告を無視して現場に止まったものであって、その多くがモヒ、ヘロインの密売者であり、惨殺は土民の手で行われたものと思われる節が多かったのである』。二つの史料は、済南事件で『虐殺せられたる者は殆どモヒ丸密造者』であったことを一致して指摘している。おそらく当時においてはこのことは世間にかなり広く知られていたのではなかろうか」。



ウィリアム・ブルム/アメリカ侵略全史/作品社2018・原著2016
日本語版副題「第2次大戦後の米軍・CIAによる軍事介入・政治工作・テロ・暗殺」。56ものチャプターにより米軍とCIAが行った他国選挙への干渉、民主的な選挙で決まった政府を転覆させるためのクーデター計画、暗殺計画、拷問技術の訓練などを列挙。すべて読むことはとうていできないが、たとえば1970~80年代のイランで育った少女を主人公とする漫画『ペルセポリス』(後に映画化)でも宗教革命後に釈放された政治犯がCIAの教えたやり方で拷問されていたという描写があり、革命前のパーレビ王朝は石油利権を狙うアメリカの支援を受けていたことが示され、そうしたさまざまな参照によっても本書の記述は説得力を増し、米国こそ世界最悪のならず者国家であるという認識に導かれる。大戦以降、米国の関与によって国が良くなったケースはない。今のウクライナ、そして急激に衰退する日本。

ヴィンセント・ベヴィンス/ジャカルタ・メソッド/河出書房新社2022・原著2020
日本語版副題「反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦」。前項と同じく米国が主導する差別的で残虐な冷戦政策を広く記述。題名の元になったインドネシアは1960年代前半、イスラム教徒が多数を占める国では最大の人口を持ち、米ソ両陣営と距離を置き、ソ連・中国に次いで勢力の大きな共産党が存在。しかし1965~66年にかけ米国の支援を受けたスハルト(後に大統領)などの国軍主流派により共産党員や共産党との関係を疑われた一般市民に対する虐殺が行われ、100万人ともいわれる民間人が犠牲に。米軍の犠牲ゼロでインドネシアを決定的に米国陣営に引き込んだ画期的な成功であり、以降このように現地の軍人や政治家を使って破壊・虐殺・分断工作を行う「ジャカルタ・メソッド」が世界各地で共産主義者「絶滅」を狙って計画的に進められた(特に中南米の親米独裁政権)。たまたま開いたページにはクメールルージュ掃討をめぐるベトナムと中国の紛争(ベトナムが短期間で圧勝)について記述されており、フィリピンや台湾についても掘り下げた項目があるようだ。

ヨハン・ホイジンガ/ホモ・ルーデンス/中公文庫1973・原著1938
「遊びは、ものを表現するという理想、共同生活をするという理想を満足させるものである。それは、食物摂取、交合、自己保存という純生物学的過程よりも高い領域のなかにある。こう言うと、動物の生活では遊びが繁殖期に非常に大きな役割を演じている事実と矛盾するように見えるかも知れない。しかし、われわれが人間の遊びに対して認めたのと同じように、鳥がさえずったり、雌を求めて鳴いたり、胸毛をふくらませたりすることに対して、それらは純生物学的な世界の外で演じられる行動であると認めたら、はたしてこれは非条理だろうか。そうではあるまい。いずれにしても人間の遊びは、すべてそこに何かの意味があったり、何かのお祭になっていたりするやや高級な形式に属している。それは祝祭、祭祀の領域──聖なる領域──に属している」。
親戚の新年会で目撃した老若男女、ネトウヨと認識共通する差別やヘイトを肴に談笑。私が正論を言うと、彼らは蓋をしていたオリンピックだの統一教会だの突き付けられ、私は孤立無援で、お互い気まずい。彼らは趣味や属性を多く持ち、仲間に囲まれて精神安定しているからネットで暴れたりはしない。ネットで暴れるのは、社会の周縁化された人びとが「多数派の遊び・祝祭としての愛国保守」に参加して「反日パヨクまた負けた」と精神勝利しているのだ。日本の〝世間〟の監視と査定がもたらす卑屈さは、いまやスマホによって世界に広がり、牧羊犬タイプによる時間争奪ゲームも白熱。人類は万物の霊長ではない。ホモ●●●の部分には相互家畜化を意味するラテン語を当てるべき。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #35 — ヒトは〈家畜化〉して進化した、ほか

2023-05-10 17:46:11 | 読書
レイモンド・チャンドラー/長いお別れ/ハヤカワ・ミステリ文庫1976・原著1954
富豪のポッターは言う。「金というものは不思議なものだ。ひとところに多額に集まると、金に生命が生まれ、ときには良心さえも生まれる。金の力を制御することがむずかしくなる。人間はむかしから金に動かされやすい動物だった。人ロの増加、戦争に要する多額の軍事費、税金の重圧──こういったものが人間をさらに金に動かされやすくしている。ふつうの人間は疲れて、怯えている。疲れ怯えている人間に理想は用がない。まず家族のため食物を買わなけれぱならないのだ。われわれは社会の道徳(モラル)と個人の道徳がいちじるしく崩れ去ったことを見てきている。人間の品質が低下しているのだ。マス・プロの時代に品質は望めないし、もともと、望んではいない。品質を高めると永持ちするからなのだ。だから、型を変える。いままであった型をむりにすたらせようとする。商業戦術が生んだ詐欺だよ。ことし売ったものは一年たったら流行おくれになるように思わせないと、来年は商品を売ることができない。われわれは世界で一ばんきれいな台所と一ばん光り輝いている浴室を持っている。しかしアメリカの一般の主婦はきれいな台所で満足な食事をつくることができないし、光り輝いている浴室はたいていの場合、防臭剤、下剤、睡眠薬それに、化粧品産業と呼ぱれている信用だけにたよる事業の商品の陳列所になっている。われわれは世界で一ばんりっぱな包装箱をつくっているんだよ、マーロウ君。しかし、中に入っているものはほとんどすべてがらくただ」。
殺人を題材とするハードボイルド小説であると同時に米国の郊外・大量消費・拝金を描く物語。


吉田光邦/錬金術 仙術と科学の間/中公文庫2014・原著1963
「中国の錬金術では結果はすでに自明の理であり、操作はすでに確定している結果を実際に導き出すための手続きにすぎないとする。それが現代の科学の論理とまったく異なる点」「現代の科学者はいつもその解決を未来に求める。自分らが創案し、計画した実験の結果のなかから法則を求めてゆこうとする。逆に錬金術師たちは、東西を問わずその法則を過去のなかから、過去のテキストから見出そうとした。彼らにとって過去は完全なもの、過去の賢人は全智全能で、しかるに現実は堕落した時代である」。
このところの炎上案件=暇アノン・ジョーカーやルフィ・AI生成、そして最新やしろあずき等々もっぱら漫画やゲームの延長上で起っている印象があり、それについて「どの世代にも一定数の馬鹿がいて、どの世代にも倫理を欠いた金の亡者がいる。ネット・スマホ・SNSが馬鹿と金の亡者をマッチングさせたのが今の時代」と評する書き込みを見た(なるくんとかいう暇アノンが本人特定されたという嫌儲スレで)。


パコ・ロカ/皺/小学館集英社プロダクション2011・原著2007
ツイッターは地獄。マトモな人もやっているうち狂人に。若い頃になくてよかった。同人アカウントではウヨが多かったり絵のRTが頻繁だったりなのでフォローしていても半数くらいはミュート。そんな私が、この漫画のように認知症など心身が衰え、高齢者施設の集団生活に耐えられるだろうか。統一教会・原子力村・電通やパソナ・ジャニー喜多川などなど避けてなごやかに談笑? 無理。「洗脳を解くのはかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない」山上母はすべての日本人。そのようにいざなう共犯、日本のくだらないテレビや漫画とこの本は違うが、それでも読了して本を閉じれば人物は遠くへ去ってしまう。他人が作るストーリー自体が無理になってきている。あなたはどう考えるのか、人生のテーマは何なのか、少人数で直接伺いたい。




TKO×浜口倫太郎/転落/幻冬舎2023
素人臭い文章でTKO木本(投資詐欺の方)の視点から2人のこれまでを青春っぽく美化して描く。浜口という人が広告屋・テレビ屋・マネージャーのような立場で一儲け狙ったのかな、帯で千原ジュニアが「映画化させてくれへんか」と。今の時代、悪名でも売ったもん勝ちである。汚職や統一教会などから話題を逸らせる、テレビも新聞も出版もそれで恩を売って政府にぶら下がっていこうと。TKOのネタを見たことがない。若い頃はイケメンコンビだったとのことで、現状の落差をイジられる、でも本当は2人ともナルシスト中年でカッコよくありたい、そこへ不祥事で叩かれる、でも本当は…のような無限ループで生き残りを図るのだろうか。顔と名前が売れている強み。


桜井哲夫/〈自己責任〉とは何か/講談社現代新書1998
「捕虜を虐待して罪に間われた問題で、裁判の報告を読んでけげんに思うのは、すべての被告が異口同音に、自分は収容施設の改善につとめたと力説していることだ。確かに言い逃れではなく、彼らは改善につとめたのだろう。だがなぐったり、蹴ったりしたことも事実なのである。待遇を改善すると同時になぐる、蹴るの暴行がはたらけるという事態こそ、個人の内面的倫理が確立されず、個人の行動の基準が権力との一体化 (捕虜に対する自分の優越を示す権力=暴力の行使)のなかにしかない状況を説明してくれるのだ。そうした権力から放り出され、一人の人間に戻ったときの軍人たちの何という弱々しさだろうか」。
読み応えある。講談社現代新書も今はひどいものが多くなった。00年代の新書ブームと出版不況が相まって粗製乱造に走る各社。私はこれまで多くの過ちを犯してきたが、漫画やテレビの影響があったとしても、ほぼ個人の資質に起因することばかりで、一人で責めを負える。一方日本の社会は中世から〝世間〟と呼ばれる、お気持ちお立場で物事が動き、すべて相対化されてしまう、常に監視や査定や選別を伴ういわば人間マーケットが支配する。勤めや家族・友人のある方々は、世間に背を向けるのは無理でも、せめて世間による監視・査定の〝価値観〟には縛られないよう心がけるべきでしょう。




ジョナサン・ゴットシャル/ストーリーが世界を滅ぼす/東洋経済新報社2022・原著2021
男による少女漫画『エリート狂走曲』以上に、女の伊藤理佐が「ブス・デブ」の脇役を登場させるのは卑怯。漫画やテレビはこうした詐術で客を呼び込む商売なので、どっぷり浸かっていると自意識ばかり肥大して人の心をつかめない失敗人生になる。本当は誰もが人生の主人公の筈だが「人は物語を求める。物語は問題を求める。問題はそれを起こした悪者を求める」というわけで、政治や宗教をはじめ大小さまざまな物語の下僕として生きざるを得なくなる。言うまでもなく物語戦争の最大の勝者はキリスト教であったが、宗教改革と称する新たな物語戦争が起り、近年は共産党にさえ従っていれば商売の自由を認める中国がグローバル資本主義の覇者となり、西側自由社会はQアノン・暇アノンはじめ分断と囲い込みの無間地獄に。他の哺乳類と異なり年中発情期であるヒトが異性を求め社会を形成する性質こそ「誇大妄想的で勧善懲悪的なナラティブ心理」の生みの親。人類の文明が限界に達しつつあることを暗示する、詐欺師が種明かしをするような本。


ウンベルト・エーコ/歴史が後ずさりするとき 熱い戦争とメディア/岩波現代文庫2021・原著2016
ガンヅェンローゼズ、安全どーです。しりあがり寿の駄ジャレ。しりあがり寿や萩尾望都が福島の原発事故が起きてから作品で脱原発を訴えたことに嫌悪感があった。それまで一度でも原発問題に触れたことがあるのか、地球防衛家とか。町山智浩が映画オタクを生み出し、映画オタクがネトウヨやQアノンを生み出し、いまそれと町山が戦っているみたいなことです。本書は近年手にした文明批評系の書籍のうち最もその種のアホらしさを覚えさせる。記号論を代表するイタリアの学者、中世思想家にして人類学の会議を北京やマリで開く。知的ミステリー『薔薇の名前』をベストセラーに。いまのイタリアは極右「イタリアの同胞」メローニを首班とする右派連立政権で、エーコの晩年には安倍やトランプの先駆けといえる愚劣で醜悪なベルルスコーニの時代が続いた。キリスト教が人間を収集・分類する、その過程がルネッサンスであり戦争と植民地支配であり、いまの分断や格差や局地的な戦争や環境破壊であり、本書でひけらかされる博識はキリスト教文明の強欲と無反省の一端に過ぎない。




ケン・クリムスティーン/ハンナ・アーレント、三つの逃亡/みすず書房2023・原著2018
ドイツのユダヤ人女性としてナチ政権とホロコーストを目撃し、後年著した『全体主義の起原』ではソ連のスターリン体制をも批判して時代の寵児となった亡命哲学者ハンナ・アーレント。その生涯を大胆に漫画化し、米紙誌で高い評価を受けた作品。とのことだが文字と人名が多く、絵柄に魅力が乏しい。序盤、大学でハイデッガーの周囲にエリート学生の〝界隈〟が形成され、ナチ協力者であった彼とアーレントが不倫関係にあった描写以降は飛ばし読み。虐殺の中心人物の一人アイヒマンを「完全な無思想性、悪の凡庸さ」と評した裁判傍聴記によってユダヤ人社会から激しいバッシングを浴びたというが、もし政府高官を思想のない小役人として過小評価するなら、ネトウヨや各種陰謀論者が大増殖するいま〝知識人〟も同じ誹りを免れないだろう。


ヨハン・ホイジンガ/朝(あした)の影のなかに/中公文庫1975・原著1935
『中世の秋』『ホモ・ルーデンス』で知られるオランダの歴史家ホイジンガがナチの政権掌握後に執筆した警世の書。フロイト理論を「科学的認識と文化的認識の混同、真理の相対化、倫理を欠いた実用主義」と強く批判したのをはじめ、キリスト教/ヨーロッパ文明の限界を暗示し、優れて今日的。
「こんにち西洋に生きているごくあたりまえの人のばあい、彼はあまりにも多くのことを知らされすぎている」「せまい共同体の形をとっていた社会にあっては、人びとは、彼らじしん、娯楽を創造し、享受していた。(中略)ところが近代文化にあっては、娯楽とは、要するにみな同じことになってしまった」「人間は、およそすべての倫理規範をふりすててしまったぱあいにおいても、なお、他人に対して倫理的な侮蔑感をいだき、他人を断罪しがちなものなのであり、してみれば、この内なる弱さ、あるいは外からの抵抗という概念には、なおいくぶんか残る真正の〝悪〟に対する畏怖の念がつねに混在しているのである。ここからして、混同がすぐ生じる。対立するものがあれば、それはそのまま悪と感じられてしまうのだ」「時代の偉大なる神々、機械化と組織化とは死と生とをもたらした。それは、世界中いたるところに道をつけた、接触の網をひろげた、共同作業、力の集中、相互理解の可能性を創造した。だが、同時にまた、ここにもたらされたさまざまな手段が、精神を縛り、その動きを止め、そのはたらきを停止せしめることにもなったのである。それは、人びとをして、個人主義から集産主義へとむかわしめた。人びとは、これを支持したものの、かれらの洞察は正しい方向にむかわず、ここに、すべて集産主義なるもののはらむ悪い面のみが現実のものとなるにいたった。深奥の個人的なるものの否定、精神の隷従が結果したのである」。


ブライアン・ヘア&ヴァネッサ・ウッズ/ヒトは〈家畜化〉して進化した/白揚社2022・原著2020
副題に「私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか」とある。昔の農奴と領主は、物理的には作物によって農奴が領主を養っているにもかかわらず、心理的には逆である。これは会社員と経営者、あるいは会社員と主婦などにも言えることで、専業主婦は夫の給料に依存しきっている状態にもかかわらず精神が安定し、日本の主婦は世界的にみて最長命な集団だ。
思考停止ともいう。牛や馬は、家畜化された世代では野生だった世代に比べ脳が15%ほど縮小する。本書は、チンパンジーの♂が仲間に見せる残虐な習性、対照的にボノボが平和的なコミュニケーションを好むこと、ヒトの定住に伴い、オオカミがその残飯・糞尿を漁るようになってイヌが生まれた(異論もある)など多様な例証を紐解き、類人猿と共通の祖先から分化した初期のヒト族のうち現生人類だけ生き残って繁栄したのは「自己家畜化したサル」ゆえという結論を導き出す。人類の文明とは、目的に応じたさまざまな品種やその改良、自然な生殖よりは「交配」や「繁殖」という家畜化システムの進化を示すに過ぎず、ヒトとしては進化の行き止まりにある。性暴力や差別や大量殺人や依存症はこれからもなくならない。虚無的な結論かもしれないが、私は少数・異端で繁殖させにくい品種の家畜としての生をまっとうしてゆきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #34 — 墓場鬼太郎③、ほか

2023-02-22 18:07:28 | 読書
近藤ようこ/兄帰る/イースト・プレス2021・原著2006
日本の映画・ドラマでは役者がやたら怒鳴ったり泣きわめく。役者ありき、スターをでっち上げて客と芸能人の双方から中抜きする利権ビジネス。小説や漫画も同様で、キャラや作風が固定化・マンネリ化し、客層や時代によって価値が変る、完全に無価値になったりもする内向きな傾向は、中間媒体の権力が絶大ゆえ。
賞味期限が短く、狭い。今のメジャーな漫画なんて同時代でも時間の無駄。少女漫画という枠組みも絶滅寸前の様子。メジャー系あるいは少女漫画というどちらからも弾き出されてしまうような近藤ようこの漫画は貴重な例外。古くならない。いつも変らぬ市井の人びとが抱える心の機微を描く名手。


野原広子/消えたママ友/カドカワ2020
息が詰まる。魅力のない人物。魅力のない絵柄。意味ありげな謎めいたストーリーのためどうにか読み通したが、最後まで陰湿で気分のよくない漫画です。むかし読んだ、たとえば『エースをねらえ』であるとか『伊賀野カバ丸』であるとか『シニカルヒステリーアワー』であるとかの少女漫画が、今になってみると「主婦」やその予備軍たるOLや大学短大美大の女が象徴する日本の〝世間〟による監視と査定と選別を濃厚に感じさせ、子ども向けにシュガーコーティングされている分より悪辣に感じさせる、そういうあくどい〝世間〟の究極形が1人か2人の子育てでつながる〝ママ友〟。絶対無理。グッバイ結婚子育て。




つげ義春/四つの犯罪/二見書房サラ文庫1976・原著1957~58
「デザイナーはクライアントのために描く。芸術家は本質をつかむための自分との戦い」という成田亨氏の言葉は日本の漫画家、少なくとも編集者には受け入れられないだろう。成田氏の嫌う「ウルトラマンにツノを生やす」よう求める仕事。漫画の第1次文庫化ブームのとき最初に手に取って一生ものになった『ねじ式』であったが、本書のような初期作品は90年代に筑摩の全集を揃えたときも未読のまま。ガッカリすると思って。まだ引き出しが何もないのに物語を生まなければ。志は高いが生活は苦しい。まだ何者にもなっていないつげさんは、つげさんの人生を生きる、他の誰の人生も生きることはできない「自意識」という鉱脈からやがて世界的な遺産を生むことに。




ちばてつや追想短編集 あしあと/小学館2021
講談社の別館でカンヅメ執筆していた著者が錯乱して何十針も縫う大ケガ、編集者が代筆を石森章太郎らトキワ荘の面々に頼むことにという漫画好き垂涎のエピソードを振り返る「トモガキ」。この別館とは三井財閥の御曹司が妾宅として使っていた30室近くある音羽の洋館で、戦後1948年に講談社が買い受けて流行作家、やがては漫画家のカンヅメ用に。高見順ってそんな売れてた時あったのか。政治家の家柄で左翼活動から転向、彼の愛人の娘もまた国賊モリヨシローのお膝元で…。そもそも三井や三菱は負ける戦争で私腹を肥やした…。この短編集では満洲引揚の悲惨さを描いた「家路」も話題を呼んだが、なぜ満洲国が作られ、日本が戦争にのめり込んだかという経緯はいっさい描かれない。非常に白ける。手塚治虫のロボット、石森章太郎のサイボーグなどがブレードランナーのレプリカントと根本的に価値観を異にするのは、作家や漫画家というそのものが軍国主義政府にぶら下がって広報担当する講談社・文春・新潮・小学館などに隷属する妾・愛人・慰安婦のようなものゆえ。




佐藤直樹/なぜ日本人は世間と寝たがるのか/春秋社2013
「日本には『以心伝心』という言葉があり、恋愛にかぎらず、基本的に言葉で何かを確認するより、『場の空気』の共有が重視される。なぜなら、『世間』においては『内面』を表現する『確立された個人』がいないため、それを表現するための言葉が信じられていない。喫茶店でカップルをよくみかけるが、話をするカップルより、一人でケータイをいじっていたり、雑誌を読んでいる人のほうがはるかに多い。言葉より、お互いの気持ちや気分のほうが重視される。それは、恋人の関係という〈対幻想〉の領域に、『共通の時間意識』という『世間』のルールが、こっそり紛れこんでいるためである」。
↑画像の、腐女子によるはてな匿名ダイアリーに対し「弱いので他人をそそのかして動いて貰って場を構築しようとする生き方の比重が増しているというだけの話でしかない」との感想が寄せられていて、私が思うに腐女子とは専業主婦の陰画のようなもので、たとえば腰かけOLのつもりが婚期を逸して「お局」と化した女が社内の人物を鬼のように厳しく監視・査定するのと似て、弱い卑屈な立場におかれた者(女・百姓)が相互に監視・査定を積み重ねて何十世代にもわたって構築された場こそ「日本の世間」であり、差別や排除を伴うそのグロテスクなありようが2ちゃんねる・ツイッター・ユーチューブ等により可視化された結果、世界の日本化と日本の急激な衰退が同時進行しているのでは。


ブレット・キング/拡張の世紀 テクノロジーによる破壊と創造/東洋経済新報社2018・原著2016
テック界のグルは予言する、10年後の世界を見せてあげよう。「2~3年のうちにAlは、感情や情動を検知可能になるだけでなく、私たちがウソをついているのも検知できるようになるだろう。どこかの時点で、政府のお歴々を選出するプロセスはAlが引き継ぐことになるだろう。特にAlを使って選挙区の区割りを最適化してあらゆる有権者の1票の重みを最大化した場合に、真にクリーンでバイアスのない選挙プロセスが実際にどう機能するかを想像してみよう」。またEマスクの言葉を引いて「自分がニューヨークにいてクルマがロサンジェルスにある場合、クルマをスマホで呼び出して自分を見つけるよう指示することが可能ですし、クルマは途中で自分で充電しながらやってきます」。著者はフィンテック・モバイル決済が専門分野とのことで、さらに個々の自動運転車は専用の銀行口座を持ち、空き時間には勝手に他人にシェアさせて稼いでくれるともいう。
天才的な詐欺師かな。人工知能・経験デザイン・スマートインフラ・医療技術という主に4つの分野で画期的な破壊と創造が起きると大風呂敷を広げるが、もちろん7年後の今ほとんど絵に描いた餅のまま。それは政治的な抵抗もあろうが、著者やマスクのような人物は優秀なようでも驕りたかぶった専門馬鹿に過ぎず、生命や文明の本質を理解する気もなく既成権力にぶら下がる人間広告に成り下がるのだろう。


ヤン・ド・フリース/勤勉革命 資本主義を生んだ17世紀の消費行動/筑摩書房2021・原著2008
日本の速水融が1976年に唱えた「勤勉革命」=中世の農園に代り江戸時代には家族経営の小農が大半となって、耕地面積あたりの収穫高はかえって増大し、生糸生産や軽工業も盛んになって経済鎖国ながら世界有数の労働生産性を獲得=に触発された著者が、東洋の場合と同じ1650年頃から西洋の経済成長もまた家族・世帯を基礎とし、勤勉さと旺盛な消費によって世帯全員がマーケットに接続されることにより、その後の産業革命や19世紀後半「大黒柱と内助の功モデル」出現を促し、長期にわたる経済成長を可能にしたとする。労働と旺盛な消費欲求の相乗は、帝国主義ヨーロッパと島国日本で共に「家族」を軸にしていたという、やや後ろ向きな視点を提供。


安達史人/漢民族とはだれか 古代中国と日本列島をめぐる民族・社会学的視点/右文書院2006
縄文人は、弥生人はどこから来たのか。縄文人と後から侵入し支配者となった弥生人の混交は進まず、かなり後代まで住み分けていたとされる。本書はモンゴロイド人種の分岐や合流について「漢民族の源流を殷や周の興った黄河流域に求めると、そこは東や西からの異族たちの世界であり、漢帝国に求めると彼らは長江流域からの侵入者であって、純粋漢民族は単なる幻想の産物であったことが明確になるであろう」という見地から、古代中国・東アジアの民族状況をさまざまな文献に当って検証しようとする。読みものとしての面白さはあるのですが、この年になると学術的な細かな記述が覚えられなくて何度も同じ個所に戻ったりしてしまう辛さが。




タイモン・スクリーチ/大江戸視覚革命 十八世紀日本の西洋科学と民衆文化/作品社1998
年寄りでそもそも努力の嫌いな私はともかく、若くとも日本の学者からは総合的な視点が失われてしまい、戦争とプロパガンダ、あるいは江戸期や中世についても外国人研究者に期待するしかないのかも。本書は著者30歳時の博士論文で500ページ超の大著(いっぽう三浦ナントカが自民党総裁賞を受けたペラ紙の〝論文〟)。自己中で喧嘩上等のキリスト教文明にとって、ヨーロッパを軍事的脅威と捉えていなかった江戸期日本は「対等な文化衝突」として格好の研究対象であるという。蘭学の「蘭」という字は当時の日本人が持つ外国人のイメージをオランダが代表していたことを示し、長崎にはイギリス人・ドイツ人・スウェーデン人・ロシア人なども盛んに来航していて、眼鏡や時計や熱気球といった西洋文明が特に「視覚」を通じて人びとの意識を変え、それが浮世絵や黄表紙など庶民文化の技法・作風に表れるという実例がふんだんに紹介される。たとえば↑画像、1780年頃の円山応挙 による「清水寺」は初めて同寺を「高みから風景を見物する」場所として描くため、緑の少ない季節を選び舞台の高さと空間の広がりを強調している。  




水木しげる/墓場鬼太郎③/二見書房サラ文庫1976・原著1962頃
小学館の学年誌に載っていた『ゲゲゲの鬼太郎』はつまらなかったな。シュガーコーティングされた正義の味方なんて水木さんと真逆。アシスタントに任せて睡眠時間を確保していたのでは。子どもだからといってお茶を濁さず良いものを与えるべき。筑摩の現代マンガで『悪魔くん』はじめ貸本時代の片鱗に触れたものの、文庫化ブームのときサラ文庫の復刻を買わなかったためずっと後年まで再会が叶わなかった。貸本時代の作品は背景・構図・コマ割りに至るまで欧米作品を模倣した部分が多いと聞くが、まさに客層や時代を超越し「本質をつかむための自分との戦い」を行っていたのでしょう。③には兎月書房の長篇1作目「怪奇一番勝負」を収め、鬼太郎が長い間孤独で寂しがっている「生きた霊」を慰めるため話し相手になっている屋敷、その屋敷を買って霊や鬼太郎を追い出してしまおうとする「殺し屋」を返り討ちにする、非常に魅力的な鬼太郎と会うことができる。小学館の復刻や講談社の全集は気に食わない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #33 — 皮膚、人間のすべてを語る、ほか

2022-12-25 16:43:38 | 読書
中村光夫/谷崎潤一郎論/新潮文庫1956・原著1952
「私は甚だしいエゴイスト…飽く迄も自分独りを可愛がって」「女といふものは神であるか玩具であるかの…」。
戦争と植民地支配の流れを汲む悪党が政治とメディアを牛耳るこの国で、小説家の存在意義とは。谷崎は1886年生まれ、大正期は30代で『痴人の愛』、昭和戦前期は40・50代で『蓼喰う虫』『春琴抄』、本書が書かれた後の晩年にも『瘋癲老人日記』と長期に渡って旺盛な創作力を示す。この幸福な作家生活のゆえんを著者は、彼が東京から関西に移住することで「東京の〝知識階級〟に失われたすべての美徳を関西の〝町人〟に認め」、翼賛体制・敗戦・超円安という現実に背を向けて『細雪』『少々滋幹の母』といった日本の美を紡ぐことができたのではないかとする。ちなみにこの移住は昭和2~6年、佐藤春夫との妻譲渡事件と並行して進められた様子で、事件についての関係者の詳細な証言が付された年譜が巻末に収められており興味深い。




鬼無サケル/香原さんのふぇちのーと①/竹書房2022
「私は観測する者である─」。富英智高校に通う香原(かぐはら)理々香。陰キャに設定されているJKが同窓女子のさまざまな体臭をコレクションする、オタクの主観を究極に深掘りするweb連載怪作のコミックス化。緻密な絵柄で内容も工夫されているが、全年齢向け(著者は成人向けも別ペンネームで手がける) ということで2巻以降は付きまとうキャバクラ的寸止め感との闘いになっていきそう。


亀和田武/1963年のルイジアナ・ママ/徳間文庫1989・原著1983
「存在しない〝仮想敵〟をでっち上げ、しかもその仮想敵をきわめて矮小化して描き出し、攻撃するのが南(伸坊)の常套手段なのだ」「タレント諸氏も用心してかからねばならない。まかり間違っても〝大衆〟を啓蒙しようとしたり、低俗・軟弱文化に警鐘を鳴らそうなどとは思わないことだ。(中略)諸君らは、中産階級に寄生するジゴロだ。彼らの骨の髄までシャブル…これが、諸君、俺に残された唯一の正しい途であると確信する」。
著者のウィキペディアをみると、安倍と同じ大学で学生運動にかかわり、実話誌を渡り歩いて「三流劇画ブーム」仕掛人の一人となり、雑学豊富なイケメンおじさんということで90年代には民放ワイドショーの司会で活躍。本書は穏健な米ポップスの時代を終らせた「反ビートルズ」の主張が中心になっているものの、自身がそうであるにもかかわらず80年前後のメディアで売名に精出していた面々への言及・論評が多い。


武論尊/原作屋稼業 お前はもう死んでいる?/講談社2013
「A先生だけじゃねえ。一緒にコンビを組んでいたOくんやK、同じ雑誌で連載していたTもみんな戦死しちまった。まだ若かったのに、なぜかみんな酒で体を壊してな。オレも…」
前後からA先生とはちばあきおと見られる。著者は漫画原作者として駆け出しのころちば氏に面倒を見てもらっており、そもそも未経験で漫画の世界に飛び込むのも、自衛隊同期だった本宮ひろ志の居候をしていた縁で。遊びと仕事の境界が曖昧な独特のホモソーシャル。そうした価値観にいっさい疑問を持たず、死ぬまで男児の遊び場に囚われたままの人びとが生み出した『あしたのジョー』『ドラゴンボール』『北斗の拳』『カイジ』などなど日本の漫画の顔となっている。




Vicky Woodgate/The Magic of Sleep/DK2021
夢はどこから来るのか、なぜ睡眠は健康維持に欠かせないのか、昔の人は、ほかの動物はどのように眠るのかなど楽しいイラストと共に解説する7~9才向け絵本。日本語版も出ているがフォント含むレイアウトの妙を賞味したいので。二言目には日本国・日本人をこき下ろすブログで恐縮ですが、駅の広告や児童書にも萌え絵が侵食…owarida🐈nokuni




ダニエル・ハーバート/ビデオランド レンタルビデオともうひとつのアメリカ映画史/作品社2021・原著2014
サブカル的な読みやすい本ではない。全ページの1割以上を脚注が占め、レンタルビデオ店の経営形態や商品の流通システム、その地域差、映画の評判がどのように形成されるかの変遷を追う学術的エッセイ。「映画評論や百科事典は、常に〝メタデータ〟として機能してきた。メディアの周辺的な言説として、どんな時でも何らかのかたちでメタデータは映画文化の輪郭を描いている。印刷された状態で流通するのが普通だった時は、ビデオガイドは形のあるビデオの豊富な選択肢とそれにともなうアメリカ人の〝選びたい〟という欲求を体現していた。いまではテクストと〝メタテクスト〟を同じ装置の中に共存させるデジタル空間にメタデータが発生しているので、このメタデータこそがアメリカ人が映画を探し、選択するための入り口となる文字(批評)と数字(評価/レーティング)となっているのである」。
音楽の話に変りますが、青葉市子の『アダンの風』というアルバムがRate Your Musicにおいて2020年の全アルバム中2位になっていて(1位だと思っていたが今見たら抜かれていた)、日本から出て活躍しているミツキやジョージと異なり、青葉は一般的にはあまり聞かれておらず、音楽もやや後ろ向きで、いかにもRYMの欺瞞的な特権性を象徴しているなと。メディアやマーケットによって流行の見え方や評価がまったく違う、もうポピュラー音楽/ポップスという一つの容器は存在しない。多くは日本製であるオーディオ/ビデオ機器が発達した1980年代は統合の時代の終り、分断の時代の始まりであった。


網野善彦+阿部謹也/対談 中世の再発見/平凡社ライブラリー1994・原著1982
「保立さんは、私がこういう公事を単純に地代とはいえないと言ったことの批判として、三日厨(鎌倉時代の酒宴)に百姓が出たり、百姓に酒をやるのは、支配のための潤滑油だし、公事はやはり地代だということを強調されるのですが、私はこれでは、百姓自身の図太さが、わからなくなってしまうと」「金持ちと親戚を呼べば、あなたは招き返されてしまう。そうすると、それでいちおう終わる。招待は贈与ですがそれに返礼がきてしまうと、一つの人間関係が生まれて、それが続いてゆくのですがいちおうはおしまいになる。ところが、貧乏人や乞食を呼べば返礼ができないから、その分だけあなたは天国においてお返しがきて幸せになるだろうとルカ伝に書いています」。
明治維新以前、日本の漁村は岬を一つ越えれば宗教も文化も違っていたという。しかしその宗教はユダヤ・キリスト教のように法治の概念につながるものとはまったく違う、地域ボスの政治の一部に過ぎなかった。なのでいま分断と囲い込みが世界に先駆けて進んだ「中世ジャップランド(5ch嫌儲の用語)」と化しているのでは。




星野陽平/CIA陰謀論の真相/鹿砦社2022
米国のネトウヨは日本と逆に大半が反マスク反ワクチンだそうで、日本でも反ワクチンの動きが各所で勢いを増しつつあり、別に参政党がそうだからといって統一とかが糸を引いているとは思わない。アメリカも日本もネットを介した党派性ごっこはもう誰にも制御できない段階に達していると思う。本書はCIAのエージェントがいかに日本の政治・企業・芸能界に介入し、CIAが狙う「分断統治=在日や同和や宗教などに基づく対立や差別を利用して国民・労働者の連帯を弱め、日本占領が終った後も米国に忠実であるよう仕向ける」を実現してきたかを一次情報のほか又聞き・ツイッター・書籍など状況証拠的に大量に集めている。CIAは反安倍反トランプであるとして著者が両者を持ち上げる気配があるのも気に食わないし、そもそも明確にCIAエージェントである岸信介や正力松太郎にしたところでガッチリ制御できていたとはとても思えない、CIA自体官僚化・肥大化が進んで統制がとれていないのではないか。芸能・暴力団関係の記述に顕著だが、最初は「請け負った仕事」でもやがて遊びが勝り、遊びだから夢中になって溺れてしまう、米国も日本も全体が溺れかけている状態。


カール・シュミット/政治的なものの概念/岩波文庫2022・原著1933
難解につき飛ばし読み。第一次大戦でドイツに従軍した著者は本書を何度か改訂しながらナチ党に入党、「第三帝国の法学者」の異名を取る。理性や経済的客観性によって対立・闘争を終らせるような考え方を博愛主義の希望的観測として批判し、政治的なものの本質は「味方と敵の区別」にあるとした。独裁や権威主義的な政府を求め、憲法の見地からナチ政権を正当化したことは現在まで議論の的になっており、米ネオコンにも影響を与えたとされる。
「国家哲学の対極にあるマルクスに、純粋に方法論的に接近していることが確かに認識できる。マルクスが一貫して経済学の見地から思考するように、シュミットも敵味方の図式から、すなわち両人とも悲観的な人間学から出発する」(独アマゾンに寄せられたレビューより)


モンティ・ライマン/皮膚、人間のすべてを語る 万能の臓器と巡る10章/みすず書房2022・原著2019
子どものころ乾燥した冬期、指先のアトピーに悩まされた。母方の親戚は職人の血筋で喘息や花粉症のアレルギーが多いが、母が狭小家屋の専業主婦ということで清潔すぎる環境が仇になったと考えられる。指先の症状は20代前半で収まったものの、特定の部位の皮膚に現れる免疫暴走が、親に甘やかされ、本や音楽の一人遊びを好む独善的な性格のため集団の秩序にうまく服せない私の人生全般とも大いに関わっていることは間違いない。
本書の帯に謳われる「自分と世界の境界にあるもの? いいえ、それは自分そのもの」の言葉どおり、多岐にわたる記述によって人類の由来を紐解く、文明とは何か、人間への尽きせぬ興味を抱かせる名著。お勧めします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #32 — 地面師、ほか

2022-10-31 17:14:54 | 読書
C・リンドホルム/カリスマ/ちくま学芸文庫2021・原著1990
丸善の「安倍元首相追悼コーナー」にて統一教会本と隣接して陳列され話題を呼んだ一冊。
「カリスマは、身体的な特徴とちがって、それを欠いた他者との相互作用のなかでのみ出現する。換言すれば、カリスマは個人に内在する何かと考えられるけれども、ひとはその資質を他者から隔離された状態で発揮することはできない。それが露わになるのは、ただその影響を受ける人々との相互作用のうちにおいてのみである。カリスマとは、何よりもまず、ひとつの関係、指導者と信奉者両方の内的自我が関与する相互交流なのである」としてウェーバー、デュルケム、とりわけニーチェとフロイトの思想・心理学を援用する形で考察。実例としてはヒトラーとナチス、ガイアナ人民寺院集団自殺事件などが取り上げられている。近年のメディアの発達(テレビとインターネット)や擬制商品(労働・土地・貨幣)、中心のない全体主義と大文字の他者といった構造問題の研究が進む以前に書かれたということもあり参考の域を出ない。




斎藤貴男/カルト資本主義 増補版/ちくま文庫2019・原著1997
財界バカ資料集。先ごろ亡くなった京セラ稲森和夫、ソニーの超能力研究、船井幸雄「脳内革命」、EM農法などなど、バブル崩壊後に際立った経営者の精神論・オカルト・似非科学への傾斜を取材し、肥大化しながらも内輪受けで空疎に終った東京オリンピック問題など現在編を追加して文庫化。数学センスがあったりガリ勉で理系に進んだが科学リテラシーが低く想像力のないタイプが統一教会(原理研)に狙われやすいと思うが、大企業化してからの世襲や雇われ経営者も後付けで「カリスマ・特別な自分」を求めてカルトに走るんでしょう。トヨタの社長もNTTの社長も安倍みたいな幼稚な言動。資料集と書いたがこんな不潔な連中の情報を書架に加えたくない。読み捨て。


ドナルド・キーン/日本人の戦争 作家の日記を読む/文春文庫2011・原著2009
「ぶらぶらと歩きながら(自宅全焼のため仮住まいの)小屋に帰る途中に思い出したのは、よく新聞に出てくる焼け出された人々が『さっぱりした』と言う、ということだった」内田百閒1945。作家はさっぱりできない人種。『暗黒日記』の清沢洌も『敗戦日記』の高見順も口では軍と政府を批判しながら、戦争末期までどこからか肉や酒を入手できている。政府・学閥・メディアに指導的な立場を与えられ、自分を見せびらかす広告商品としてヨコに連携。ひとりぽっちになれない。敗戦後の貧窮や反省も一過性。子どもの就職や縁談、自分の愛人などで容易に取り込まれてしまうから、岸信介や笹川良一の暗躍を抑えることなどできる筈がない。キーン氏は米海軍人として日本兵の遺品である日記や手帳の肉声に触れ、後に日本に帰化、2019年に死去。そうした無名の人の公開を前提としていない言葉こそ歴史の傍証であろう。




小林英夫/満州と自民党/新潮新書2005
「出来栄えの巧拙は別として、ともかく満州国の産業開発は私の描いた作品である。この作品に対して私は限りない愛着を覚える。生涯忘れることはないだろう」。
子どもランドかよ。若き岸信介が満洲国政府に着任したころ、満鉄と関東軍の権勢は圧倒的、特に満鉄は「調査部」と呼ばれるシンクタンクを持って各所に人脈形成し、東インド会社のような植民地経営を担う。彼は日産コンツェルンの鮎川義介を招き、軍と協調しながら満洲重工業開発株式会社を立ち上げ、政府を持株会社とする国策企業として軌道に乗せて満鉄の力を弱めた。本書は戦犯釈放後のCIAとの関係について触れていないが、「保守合同」についても「自由党も民主党もそのままでいい。新党が持株会社になって互いに自由にやればいい」という岸流の官僚統制・実利優先がはたらいたものとみている。


鈴木康夫/地面師 土地に喰らいつく男たち/東京法経学院出版1988
「日本列島改造論」をひっさげ、今太閣の呼称のもとに田中角栄内閣が華々しく登場したのは、昭和47年7月7日である。すでに前年から金余り現象を生じていた銀行をはじめとする大小金融機関は、不動産担保に金を貸しまくった。国民は素人までが、不動産の値上り益を見込んで、必要な土地でもないのに北海道奥地や、さらには離島にまで土地を買い込んだ。「一億総不動産屋」といわれた時代である。 当の総理大臣が政治家として知りえた開発予定地の情報によりペーパーカンパニーを使って安値で買い集め…(後略)
カール・ポラニーのいう擬制商品=本来的な商品ではなく市場を通してしか交換価値を発揮しない「労働・土地・貨幣」を指し、やがて市場は一人歩きし人間を縛るようになる=とはヒトの本能に訴えるゲームなのだろう。ネトウヨの従弟のお父さん(私の伯父)も列島改造土地ブームのときに価値の乏しい茨城県の宅地を買っている。まして職業的犯罪者のみなさんにとっては…。司法試験や司法書士・公認会計士などの資格試験参考書を手がける出版社が、こういう海千山千の面々に引っかからないようにと犯罪実録としてまとめ、ほか痴情がらみ・少年犯罪・疑獄などシリーズ化。


A・R・ホックシールド/タイムバインド/ちくま文庫2022・原著1997
副題「不機嫌な家庭、居心地がよい職場」。内容に乏しく、ナナメ読み。私の小中時代は勉強だけできる、他が伴わない人望のない子ども。本とか音楽とか一人遊びが好きで集団の切磋琢磨が無理。部活はイヤ、大学受験から逃げ、高卒で就職。しかし現実からは逃げられない。就職先は仕事は楽だがそれだけに縁故採用の田舎者が多い特殊法人(電電公社⇒NTT)。職場の和と称する集団主義は個性を押しつぶし、思考停止させ、拘束と労働のストレスもまた就業後の「飲む・打つ・買う」夜遊びの形で資本主義に回収される。主婦やOLの自己愛的な「女性型消費」とも共依存を成す。昭和期にそれがうまくいき過ぎて、集団で思考停止して変化を拒む浦島太郎化しているのが今の日本。本書にそうした言及はなく、ワークライフバランスとかの言葉を好む意識高い系向け。


ちくま日本文学全集14・梅崎春生/筑摩書房1992
主人公「志願兵。志願兵上りの下士官や兵曹長。こいつらがてんで同情がないから」
後に死んでしまう見張りの男「私は海軍に入って初めて、情緒というものを持たない人間を見つけて、ほんとに驚きましたよ。情緒、というものを持たない。彼等は、自分では人間だと思っている。人間ではないですね。何か、人間が内部に持っていなくてはならないもの、それが海軍生活をしているうち、すっかり退化してしまって、蟻かなにか、そんな意志もない情緒もない動物みたいになっているのですよ」
降伏直前、本土防衛の任にあたる日本兵たちを描く短篇「桜島」。話変わるがネトウヨというのは本来のオタクやヤンキーと異なり、仲間うちで楽しむのでなく、左翼(日本に、特にネットに本当の左翼がいるか疑問だが)を攻撃すること自体が遊びになっている人たちだというのだ。なので今のように統一教会や円安、逆境にあることでますます狂ったように書き込み続ける。安心できないと性的快感を得にくい女と異なり、男はストレスと性欲が正比例する面があるわけで、一種の変態性欲であり依存症的な精神障害でもあるのだろう。 


アンジェラ・デイヴィス/監獄ビジネス グローバリズムと産獄複合体/岩波書店2008・原著2003
爆笑問題・太田光の逆上と炎上。売れっ子になる前に松本人志と遺恨があり、野心家の妻が芸能事務所タイタンを立ち上げて、芸人と同時に芸能テレビ界の顔役でもあるという形で遺恨を晴らそうとしたと考えられ、それは同時にあちこちの既得権に義理ができてがんじがらめに縛られる、暴力団の人質のようなものでもある。裏切れば死。安倍が殺され、統一教会や五輪汚職の問題が明るみに出てからの、太田だけでなく右翼・冷笑・政権擁護系著名人の狂奔ぶりは、彼らとメディア・広告関係者が本書に描かれる「民営化されたアメリカの刑務所、派閥や抗争があって組合化されない労働力への企業の依存」を20年遅れで模倣しているかのようで、人口が減る中でアメリカ的な格差とモラル荒廃が迫ってくる状況に震撼とさせられる。


倉多江美/エスの解放/白泉社花とゆめコミックス1979
高3の樫山めいは突然自分が同学年の自殺した河端美智子だと言い出し、夢遊病者のように歩いたり奇行が目立つように。その裏には生まれてすぐ亡くなった彼女の双子の妹の存在があった─。
山岸凉子『日出処の天子』、毛人(えみし)の妹が輪姦されて身ごもった胎児を川で自ら搔把する痛ましいエピソードが最も印象に残る。それまでの恋愛賛美のロマン主義にとどまらない少女漫画が生まれ始め、山岸が男・生殖への怨念を霊・狂気・超能力といった精神世界に求めたのに対し、より理性的でドライな方向で試みたのが同じララを舞台とする本作だったのでは。1980年前後のララのサブカル感と多彩さは男にとってみても宝庫であった。しかし倉多がこの方向を深追いすることはなく、80年代の経済状況を反映してか少女漫画はみるみる保守化自閉化してゆく。



グレゴワール・シャマユー/統治不能社会 権威主義的ネオリベラル主義の系譜学/明石書店2022・原著2018
コロナ禍に伴い各国の郵便事情が悪化し、書留を付けられないため、Discogsでせっかく売れた中古CDが行方不明になってしまう。日本郵便のクリックポストは無事故。でも↑映像のような乱暴な配達の方が資本主義としては健全なのでは。1970年代、労働者が豊かになったことやオイルショックなどで資本主義は危機を迎える。本書はそれに対し資本家階級が、先行して存在したナチスやシカゴ学派のように人を徹底的に道具とみなす新自由主義をどのように戦略化して勝利したかを淡々と実証的に記述する。
岸信介も安倍晋三も山口県(長州閥)。電通や民放キー曲が各界の縁故採用を受け入れ、政府と同等の立場で睨みを利かす(マインドコントロール)。わが国は新自由主義=無責任主義=馬鹿競争主義の最大の成功例と申せましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #31 — 大転換、ほか

2022-06-21 18:58:39 | 読書
メノ・スヒルトハウゼン/都市で進化する生物たち/草思社2020・原著2018
新型コロナウイルスの全貌はいまだ謎であるが当初からAIDSに似ているとかBCGが有効らしいとか後遺症・ワクチン副作用として心筋炎や帯状疱疹が挙げられるとか、既存の感染症の要素を取り入れて密集して住む哺乳類に爆発的に広まるよう「隙間産業」的に生まれ、変異を続けている様子だ。著者は大型の動植物の形態の変化は意外に早く起き、ヒトが何十倍に増え景観がみるみる変わる都市はそうした適応の博覧会であるとする。仙台市のハシボソガラスが自動車を利用してクルミを割る、森ビルが高層の屋上に里山を再現しようとしているなど日本の例も挙げられ、著者の好奇心と博愛に打たれる。


ニール・シュービン/ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト/ハヤカワノンフィクション文庫2013・原著2008
「私たち哺乳類は1回だけ歯が生え変わるのに対し、ふつう爬虫類では生涯にわたって歯の妖精が訪れて、摩耗したり壊れた歯をたえず取り換えてくれる」。恐竜時代にいた犬にそっくりな爬虫類には「犬歯」はなく、どの歯も同じブレード状。哺乳類では臼歯や門歯のような役割分担で、より生き延びやすい食生活を可能にしているが、永久歯をなくしたらそれまでだ。
本書から離れるが芸人のラランド・サーヤって優秀そうだが「人類の文明は宇宙人がもたらした」って信じてるらしい。似た男女コンビの蛙亭は面白かったが最近小さくまとまってしまい興味が去った。日本人は1人になって深く考えることがない。立場で言動が変るし(なのでIT化が進まない)、悪名高い野口英世をはじめ学問を立身出世の手段としか考えない者が多い。本書は学問の喜びにあふれ未来を照らしてくれる。


網野善彦/日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」/角川ソフィア文庫2017・原著2012
このように、海辺、山中、平地の百姓たちがみな決して直ちに「稲作農民」などとはいい難い多様な生業に従事し、それに支えられた多彩な生活をしていたとすれば、こうした人びとを支配する荘園・公領の荘官、地頭や預所の代官たちも、またそれなりの対応をしなくてはその立場を保持しえなかったのは当然であった。
これらの荘官・代官が現地に館(たち)を備えていたことはいうまでもないが、そこは農業経営の拠点と見るよりも、政所(まんどころ)として政庁の機能を持っていたと考えるべきで、代官自身の活動も十三世紀後半から十四世紀に入るころには、領主というよりも、徴税請負人として有能な経営者の風貌を持つようになっていた。 
このような代官の活動については新見荘の建武元年(1334)の代官尊尒(そんじ)の注進状に即して別に詳述したので、ここでは繰り返さないが、百姓たちと正月や神事、年貢の納め終った倉付などのさいに、豆腐、魚などを肴として酒を飲みかわし(中略)
国司の使の入部に当ってはこれを酒食で接待してそつなく送り出し、以上の収支をそれぞれ同額にした結解散用状(けちげさんようじょう)=決算書にまとめ、付属書類を付けて、これらを寺に送る。
これが代官の毎年の業務であり、それをこなし切るためには、日常的に帳簿を作成、整備して集計、整理しうる計数能力はもとより、市庭(いちば)での相場を誤らずに見きわめる情報収集力、為替手形を入手して送進するだけの経済力や交渉能力、百姓たちとの付き合いや外部の有力者の出入りに当っての接待を円滑に行いうるだけの外交能力を備えていなくてはならなかった。
日本の主要産業は中抜きです!! 原発事故の除染でもオリンピックでもマスクを配るのでも身内の中抜き最優先、それだけは素早いです!!




牧原憲夫/客分と国民のあいだ 近代民衆の政治意識/吉川弘文館1998
「上野公園で開かれた第1回東京市祝捷大会の日は、市中に日の丸・連隊旗がひるがえり、職人等はおおむね業を休み、問屋向の家々にては丁稚小僧に外出を許しという事実上の休日になった」「そうした祝祭的雰囲気のなかでの『日本の連戦連勝』は、近代社会の弱者・敗者でしかない民衆にも、強者の一員としての我らという自尊心をもたせてくれた」「依然として『反・お上』気分を多分に保持していた民衆は、政府や地域指導者層の説教よりも、かれら自身の祝祭願望や逸脱的心情、徳義と制裁の観念を媒介に、お互いを煽りたてあいながら自発的に『国民』になっていったのである」「カネッティ『群衆と権力』などがいうように、人びとを群衆化させる契機のーつに祝祭があり、群衆の特質のーつに迫害・リンチがあるとすれば、国民化とはまさしく民衆の群衆化の一形態といってよかろう」。
また政府の側からも森有礼(ありのり)文部大臣が、天皇に向かって失礼だという反対論を押し切って、帝国大学学生5000余名に準備させて憲法授与式を終えた明治天皇皇后に向け「天皇陛下万歳・万歳・万々歳!!」と絶叫させ、これこそバンザイが一般化する(古代の天皇の慶事ではバンゼイと漢音で発声された)嚆矢であったという。


黒田充/あれからどうなった? マイナンバーとマイナンバーカード/日本機関紙出版センター2020
共産党系の出版社のようで、生硬にファクトを列挙し、マイナンバーが国民主権に反するものであることを訴える。私も意見は同じだが観点は違う。そも「個人情報保護法」は銀行やカード会社などにとって責任逃れの官僚主義のために使われている面があり(個人情報保護法があるのでそれ以上のことを他部門に申し送ることはできません)、国税と社会保障(年金・医療・雇用保険)という縦割りのTHE官僚組織が、マイナンバーによって国民個々の財布を管理するというのはナンセンス、絵に描いた餅である。アマゾンとグーグルは中国政府。テック企業中でも頭抜けて巨大な権力。膨大な情報を集めて日進月歩で管理システムを洗練させることができるから。主婦のように狭い世間に捉われ、エコー・チェンバー的な幼児性のかたまりで変化を恐れる日本の組織人とは次元が違うのだ。


カール・ポラニー/大転換/東洋経済新報社2009・原著1944
副題「市場社会の形成と崩壊」。本書の核心、自己調整的市場と擬制商品「労働・土地・貨幣」、これらは自然の一部を表象化したもので、本来的な商品ではないため、市場が拡大・専制化するに従って人間が「労働・土地・貨幣」に支配されるようになり、人は不幸になり環境は破壊され周期的に金融危機が起る。この「自己調整的市場」=経済活動がすべて人工・観念的な商品市場に依拠する形は19世紀のイギリスが生んだ突然変異であるとしているが、本書の警鐘も空しく大戦後には新自由主義が台頭して国家の経済への不干渉を主張し、さらにインターネットが普及するに至って人間の時間=生命活動そのものが擬制商品化する文明の黄昏を迎えているように思える。


E.M.シオラン/涙と聖者/紀伊國屋書店2021・原著1937
「キリスト教はその一切合切が涙の発作にすぎない。私たちに残されているのはその苦い味だけだ」。
生に対する呪詛を発し続け「反出生主義」の元祖的存在として注目を集める異端の思想家シオランが祖国ルーマニアを去りパリのアパートに落ち着いて母国語でしたためた、短い警句を多数収める一冊。「誰(父親)の子なのか」。人類の文明はこの一点から生まれ、神が死んだとされる現代はむしろ父権的な支配(言葉・お金・国家など)を母性的な監視(日本の場合は「世間」が担っていたがテレビやインターネットのような疑似世間が世界的に発達)が補って空前の生きづらい時代が到来している。


竹森俊平/1997年─世界を変えた金融危機/朝日新書2007
円安が深刻化するも国債の金利を抑えようと金融緩和を継続する日銀。じきに日本発の金融危機・世界同時株安もありうると考え、拓銀や山一證券の破綻を招いた1997~98年のアジア通貨危機について振り返る本書を再読。①米銀によるタイ・インドネシア・韓国など通貨危機が連鎖したアジア新興工業国への融資は大きくなかった②特に最初に危機が起ったタイへの融資で邦銀が突出し、他の国々でも危機が本格化すると、最初に融資を引き揚げたのは邦銀であった③これらの国々では米財務省の意向を受けるIMFによる苛烈な構造改革が実行され、危機は流動性危機に過ぎなかったので経済は短期で回復したものの、外部の手で改革されたトラウマが残り東アジア全般に貯蓄過剰の傾向が生じた。
こうした過剰貯蓄と低金利は本書の出版当時(2007年10月)深刻化していた米サブプライム問題と翌年のリーマンショックにつながる。個人は失敗を反省できても集団では無理だ。著者は「日本の場合、一番恐れるべき不確実性は凶暴な国際資本の力ではなく、常に内なる問題。外部からの統制や監督が不十分で、自己の論理だけで生き残る組織の闇」と指摘。大戦末期に匹敵する政府の借金は国内で消化できており、高齢者が今すぐ円をドルに換えようと銀行へ走る事態は考えにくいが、そのぶん安倍の時限爆弾は巨大化・先送りされる。


ハジュン・チャン/世界経済を破綻させる23の嘘/徳間書店2010・原著2010
リーマンショック直後だけに原著と同年に翻訳出版。「金融市場の効率化こそ国に繁栄をもたらす」「努力すれば誰でも成功できる、教育こそ繁栄の鍵」といった自由至上主義の説くウソの数々を暴き、金融や社会保障の自由化、累進課税の低減といった近年の傾向を抑制する「大きくて活発な政府」が必要であると説く。1963年韓国ソウル生まれとのことで日本の財界とも交流があり、90年代半ば世界銀行の東京での会議で神戸製鋼幹部が「すべての者はおのれの利益を追求するなどと考えてしまったら神戸製鋼にせよ政府にせよ巨大な官僚組織を運営することなどできない」と各国のエコノミストをたしなめる場面も登場。
政府に財閥・トヨタ・NTT・ゼネコン・原子力村などぶら下がりそれらのすべてが多数の下請け・グループ企業を有する日本は「大きくて不活発、誰もが保身しか考えない井の中の蛙」となって台湾や韓国に追い越されてしまったのである。




藤子不二雄A/毛沢東の長征/徳間書店1990・原連載1970-71
先ごろ死去したA先生が、『怪物くん』などギャグ漫画しか手がけておらず国交回復前で資料の少ないなか苦労して漫画サンデー「革命家シリーズ」連載のため執筆。匿名で当地の写真など資料が送られてきたこともあったという。
日本の明治維新は革命ではない。西日本の藩閥=武士階級によるクーデター。武士階級の発想としては欧米のキリスト教文明を受け入れ、自分たちの統治を維持できる「神を天皇に取り換えた軍国主義・脱亜入欧」しか選択の余地はなかった。本書は、人民共和国成立の前後で2つに分れるとされる毛沢東伝の前半のみを描くが、それでも後半の「文化大革命」が単なる権力闘争の殺戮でなく、既存の知識階級を壊し平等に貧しくなるという「貧しい農民の視点」が継続することで、毛の存命中には叶わなかった国恥150年をすすぎ超大国に復帰しつつあるという中国史・世界文明史への理解が深まる一冊である。藤子A先生のご冥福を祈ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #30 — 監視資本主義、ほか

2022-03-17 18:04:36 | 読書
S・ロック+D・コリガン/内なる治癒力/創元社1990・原著1986
副題「こころと免疫をめぐる新しい医学」。私は45歳のとき検査でピロリ菌(胃潰瘍・胃がんの原因になる)がいることが分り薬治療で除去したところ、2年ほど悩まされた末端の冷え性、4年ほど続いていた左ヒジの一部角質化が完治して驚いたことがある。謎の因果関係。花粉症や食物アレルギー、新型コロナのもたらす多様な症状・後遺症。本書はがん研究の新進医学者(当時)が、強いストレスが免疫を大幅に下げることなど心理状態と病気の関係を臨床や動物実験で探り、ヨガ・瞑想・鍼など東洋医学の体質改善に学んだ予防的な「行動医学」を提唱し可能性を探る一冊。免疫学は競争が熾烈な分野のようで古色蒼然の感。


あだちつよし/怪奇まんが道・奇想天外篇/集英社ホームコミックス2017
ホラー漫画家各氏の漫画との出会いやプロ作家になるまでの歩みを描くシリーズ、この2弾では諸星大二郎・近藤ようこというホラーの枠を超える抜きんでた異才を含む。近藤氏が高橋留美子と高校同級で、デビューからしばらくエロ雑誌に場を得ていた(内容は非エロ)とは知っていたが、デビュー5年目の不遇時代、面識のない畑中純の推薦で初めての連載を、同氏が『まんだら屋の良太』を執筆していた漫画サンデーに持つことになったのが傑作『見晴らしガ丘にて』なのだというのは感動的。ほか『水鏡奇譚』『遠くにありて』など、少女漫画が自閉してゆく80~90年代にあって、再読に耐える芯のある物語を届けてくれた女性作家である。


横田増生/「トランプ信者」潜入一年/小学館2022
「BLM運動の連中には警察は手を出さない。警察は白人を叩く」「バイデンは中国共産党とつながり支援を受けている」「選挙が盗まれた!」。よく1年もこんな連中の側で暮らすのに我慢したな。まあ平和ボケでメディアもすべて腐っている日本よりマシか。日本と同じく「甘え・被害者意識」が個人崇拝・狂信の源になっているから、私の親戚が老若こぞって安倍当時よりことし正月に会ったときの方がウヨこじらせているように、貧困化とコロナの閉塞感によって事態はさらに悪化し、2020年大統領選挙の敗北から議事堂襲撃の暴走へと。そしてあれほどのことがあっても、ご本尊のトランプはじめ意気軒高。5波までの死亡率の低さだけをみて「日本のコロナ対策は優秀」とする著者には、せっかく渡米してもトランプ現象の表面だけなぞるので手いっぱいだった様子。そもそも小学館はネトウヨ生みの親の一人、粗悪な出版社だ。




レベッカ・ソルニット/それを、真の名で呼ぶならば/岩波書店2020・原著2018
「真の専制君主は海の向こうのプーシキンの国にいる。国の選挙を腐敗させ、銃弾や毒、そして事故に見せかけた不可解な死で政敵(とりわけ、ジャーナリスト)を排除する。彼は真実を戦略的におし曲げるのに成功し、恐怖を広めた。とはいえ、彼もアメリカの選挙への介入で手を広げすぎた。見えないところでやったつもりだったのに、全世界が不安と憤りを覚えながら、彼の過去や行動とその影響をつぶさに調べ上げることになった。アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国での選挙への介入でロシアは真の姿を露呈し、これまでの評判と信頼は破滅したかもしれない」。
「わたしが知る最も献身的な活動家たちは、しょっちゅう憤慨してはいない。彼らの第一の責務は現状を変えることであり、そのための行動である。自己表現ではない」。
右も左もしょっちゅう憤慨しているツイッターやネット掲示板はむしろモラル低下と分断を助長している。常任理事5ヵ国で最も「無敵の人」に近いロシアのプーチンが「下方への競争」を仕掛けてきているのだろうか。


田中世紀/やさしくない国ニッポンの政治経済学/講談社選書メチエ2021
使いたくない言葉であるが「民度」も使いよう。監視し合え。常に人目に付くようにしていろ。そうすればアホウでもナチスに学んで永久独裁。もし監視し合う人質が蜘蛛の糸のカンダタのように助かるかも、となればウソ・裏切り・仲間割れが続出し結局誰も助からない。「民度」は監視・圧力の意味なら高いしモラルや主体性の意味なら低い。極端に低い。本書は、英国の財団が発表した「世界人助け指数」において日本が126ヵ国中107位、もちろん先進国では最下位という結果を受け、ラフカディオ・ハーン、ふるさと納税とクラウドファンディング、高校などの徒歩通学半強制といった題材に、本当に日本人の利他心は低いのかを問う。何も言っていないのと同じゴミ本。




ショシャナ・ズボフ/監視資本主義 人類の未来を賭けた闘い/東洋経済新報社2021・原著2019
「グーグルは、ユーザーの未来の行動に賭ける他者より、ユーザーは価値が低いことを発見した(行動余剰)のだ。これがすべてを変えた」。
「成人形成期には、他者から独立しながら他者とつながっている自己を確立するための『厳しい交渉』が求められる。(中略)『他の人の好み』という文脈から切り離された自己は存在しない。(中略)現在、若者の生活空間は、監視資本家によって所有され、その『経済的志向』に従って監視収益を最大化するように設計されている」。
この結果「ビッグ・アザー」による相互監視は「道具主義者」によって自動化された収益装置となり、人間は決して平等ではないが同質化されたオブジェクトに変ってしまう。『資本論』『沈黙の春』に匹敵するとも評された衝撃の一冊。


工藤哲/上海 特派員が見た「デジタル都市」の最前線/平凡社新書2022
第一次大戦後に10万人もの日本人が居住するなど列強が跋扈し「魔都」とも称された上海。現在は経済発展が著しく、共産党が求める厳密な統治とどう折り合いを付けるのか、外国人である著者から見て当局の「監視」ぶりや人びとの暮らしはどうなのか。そんな期待はことごとく裏切られた。総花的に薄く、弛緩した文章。のほほん新聞マン。これまで北京と上海(支局長)に計9年赴任、現在は毎日新聞秋田支局次長とのことで、秋田県の次長は上海の局長より上なのかな。この人も毎日新聞も問題意識ゼロなのだろう。北京の開会式を見て「負けた。恥ずかしい」って言ってた連中もすっかり忘れて憲法改正とか核武装とか現実逃避に忙しい様子。中国が手を下さずとも逆アヘン戦争みたいなことで没落すること必至。




相原秀起/一九四五 占守島の真実 少年戦車兵が見た最後の戦場/PHP新書2017
「刀を振りかぶったまま、小田が横たわるソ連兵の生死を確かめようとした瞬間、ソ連兵は傍らの小銃を持って、よろよろと身をもたげようとした。やはり生きていたのだ。小田はソ連兵の額を目がけて無我夢中で軍刀を振り下ろした。手にグシャっと、まるでカボチャを錠で叩き切ったような感触が伝わってきた。軍刀は確実に相手の脳天深くまで達した」。
「『この野郎。何をもっていやがる』。小田が手を伸ばして確かめると、それは黒い手帳だった。小田の指先が触れた拍子に手帳が地面に落ちて、手の中には一枚の小さな写真だけが残った。小田が手にしてよく見ると家族写真だった。海軍士官の軍服姿の男が右に立っていた。死んだ本人だった。左端にはマリア様のような美しいロシア人女性がつつましい笑顔を浮かべて並び、真ん中には四歳ぐらいの男の子がいた。男性と同じ漂々しい海軍の軍服姿で、腰からは小さな短剣を下げていた」。
日本がポツダム宣言を受諾し降伏した直後の1945年8月18~21日、千島列島東端の占守(しゅむしゅ)島にソ連軍が侵攻し、武装解除中であった日本軍守備隊との間で激戦となった。この様子とその後のシベリア抑留までを、それまで実戦経験のなかった17歳の戦車兵・小田英孝を軸としてやや小説風に描く。


鴨下信一/誰も「戦後」を覚えていない/文春新書2005
「昭和24年3月15日付けの朝日新聞に、ウランバートル収容所で抑留兵士に対する残虐なリンチが行われていたという告発記事がのった。ノルマを達成出来なかった兵士は、酷寒の屋外で立木に縛りつけられ、夜じゅう放置された。翌早朝、兵士たちは頭(こうべ)を垂れた恰好で絶命していた。ここからこの懲罰法は〈暁に祈る〉と名付けられた。驚くべきことに、これを命令したのは日本人だった。ソ連側に迎合した吉村隊長(本名・池田重善、もと憲兵だったことが暴露されることを怖れ偽名を使っていたといわれる)が見せしめのため にしたことだった」。
「妻はいう。『あれは普通の火災じゃないの』。炎は上にあがらず横に伸びる。狂奔する大火のとき起きる風のせいだ。置いてあった荷物は爆裂するようにして火を噴く。その熱風が一瞬にして酸欠の死をもたらす。黒焦げの死体はなぜかうずたかい山となる。瀕死の人々が互いに寄り添うからだろうか。それとも火焔と共に吹きつける烈風が炭化した死体を吹き寄せるからだろうか」。
文春(と新潮、あるいは他の大手出版社も)は総会屋である。普通の総会屋が株式会社に寄生するように、政官財の裏面をほじくり、雑誌で芸能ゴシップと混ぜて小出しに暴露し、政官財の癒着に乗っからせてもらえるよう圧をかける、そのおこぼれ情報を国民が知るのに過ぎず、民主主義・報道の自由のためにやっているのではない。


吉野実/「廃炉」という幻想 福島第一原発、本当の物語/光文社新書2022
リメンバー・パールハーバー。ネトウヨ右往左往。世界の注目を集めるウクライナの大統領の口から「かつて日本は今のロシアと同じ戦争を仕掛け、侵略する側であった」と言明されてしまう。
「2021年2月13日に、宮城県と福島県で最大震度6強の地震が発生した。震源は福島県沖で、第一原発のある大熊町、双葉町の震度は6弱だった。(中略)1号機と3号機では格納容器内の水位低下や圧力低下がみられた。1号機は1日10~17.5センチ、3号機は1日15センチ程度水位が低下している。(中略)格納容器はメルトダウンに水素爆発、その後も冷温停止するまでの高温高圧でさんざんに痛めつけられ、事故から10年が経ち経年劣化も進んでいる」。
忘れっぽい日本人・ネトウヨに連続して冷水。またも宮城・福島を大きな揺れが襲う。地震国ゆえ今後も東南海地震などの巨大地震、それに伴う大津波が避けられない。福島第一の使用済み核燃料取り出しは目途が立たず、経産省が算定した廃炉費用22兆円ではとても足りない。わが国は旧ソビエトも真っ青の一度決めたらやめられない官製経済の国であり、しかも国民の大半がお気持ち・お立場的に政府の側にぶら下がって思考停止しているからロシアよりお先真っ暗であるに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書録 #29 — イワン・デニーソヴィチの一日、ほか

2022-02-27 16:22:52 | 読書
藤原辰史/カブラの冬 第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆/人文書院2011
第一次世界大戦において連合国と同盟国の双方とも長期化する戦闘の行方を見通せず、英国とドイツ帝国は兵糧攻めを狙い双方海上封鎖を行う。食料の3分の1を輸入に頼るドイツは開戦後から食糧価格高騰に見舞われ、さらにこの海上封鎖とジャガイモの大凶作などで1916年に「カブラ(がジャガイモに代わり主食になる)の冬」が到来、1918年の敗戦までにドイツ国民の餓死者は76万人に及んだ。やがてこの記憶が国民の憎悪感情をイギリス・フランスよりも国内で贅沢に暮らしたり革命を目論む「ユダヤ人・マルクス主義者」に向けさせ、これを利用するナチスの政権獲得につながってゆく。
ポテト供給の止まったファストフードであったりアサリウナギの産地偽装であったり、現今の平和ボケよりも、米騒動や2.26事件の記憶も新しい太平洋戦争中、『暗黒日記』清沢洌や『敗戦日記』高見順は軍部の専横と戦況悪化を憂いながらも肉や酒を入手できており、このとき既に第2の敗戦の種は蒔かれていたというべきであろう。


グレゴリー・ベイトソン/精神と自然 生きた世界の認識論/岩波文庫2022・原著1979
「芸術も、宗教も、商業も、戦争も、そして睡眠までもがそうなのだが、科学もまた前提の上に成立している。ただ科学の場合は、単に思考の道筋が前提によって決まるというだけではない。現在の前提の是非を問い、非ならば破棄して新しい前提を造るところに科学的思考の目標がある」。
次々と変異する新型コロナ。国や年齢層や持病や食生活、千差万別の症状や死亡率。専門家がかかりきりになってもよく分らない。↑で「睡眠」に言及するが、なぜ心身にとって睡眠が不可欠なのか、睡眠中に脳内の情報はどう整理されているのかさえ分かっていない。文明とはおもに道具が発達しただけのことで、ヒトのスペックは太古から変らず、これからも変ることはない。因果関係のはっきりした自然科学を優先して社会のシステムが作られ、人文系の学問は後追いしてシステムの上澄みで踊りを見せる立場であらざるをえない。文明に警鐘を鳴らすとかサイバネティクスwとかおこがましいにもほどがある。大学や投資の関係者が自分を大きく見せたいため利用しそうな価値の低い本。




川島高峰/流言・投書の太平洋戦争/講談社学術文庫2004・原著1997
レバナスをはじめ米国株関連の投資を謳うツイッター・アカウントなども97%(あさり)は証券会社・ユーチューバーによるステマなのではと疑ってしまう。なぜ、そしていつから日本人はこれほど幼稚で恥知らずになったのか。出征兵士を見送り、やがては物不足や空襲に見舞われる「銃後」において人びとはどう考え、振舞っていたのかを当時の資料に当った本書によれば、「アジアを解放する聖戦=大東亜戦争」「鬼畜米英」「欲しがりません勝つまでは」といった政府によるプロパガンダが徹底し、民間人の集団自決まで起った要因として、天皇はもちろん軍人や官僚の社会的地位が高く、また家父長制や隣組などにより、民間人でも指導的な立場にある人ほど政府と自分を重ね合わせ「聖戦意識」によって教化されていたことを挙げている。ゆえにこそ降伏、一転してマッカーサーら占領軍の統治を歓迎する空気が支配的になったのである(全滅を玉砕、占領軍を進駐軍、最近では副作用を副反応という言い換えを強制しなくても整然と即座に)。


シェルドン・ソロモン/なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか/インターシフト2017・原著2015
安っぽい装幀。長くなるため省略した「人間の心の芯に巣食う虫」という副題が原題。著者はヒトが過去や未来を軸として考えることができることによって生じる「死の恐怖」を専門分野として研究し、多くの人は死の恐怖に直面すると自分たちの価値観や文化を強く守ろうとして時にわざわざリスキーな行為にも走らせると考える。
「死すべき運命について思うと、キリスト教徒はユダヤ人を侮辱し、保守派は進歩派を非難し、イタリア人はドイツ人を軽蔑し、…どこの人も移民をあざ笑うことが研究で実証されている」。私見では近年人びとはスマホ(バカホ)によりまるで債務者のように常に人目を意識して時間を区切られ、恐怖から守ってくれる自尊心ではなく「自意識」が肥大してしまい、本来の伝統や文化ではなくそれらを漫画的に誇張したガンダム・ポケモン・安倍・トランプなどに強く自己投影し、アイデンティティー崩壊状態となっているのではないか。


菅原慎一ほか/アジア都市音楽ディスクガイド 韓国・台湾・ベトナム・タイ・インドネシア・香港・マレーシア・シンガポール・フィリピン・中国・ラオスの良曲600選/DU BOOKS2022
80~90年代、J-popが形成され空前のCDバブルを迎える日本の音楽の作詞作曲は、ボウイや小室哲哉に顕著だが「尊大と卑屈の同居」が感じられる。たとえば前哨となるサザンオールスターズの場合も、「いとしのエリー」「ミス・ブランニューデイ」といった代表曲が今聞くと洋楽に寄せた歌謡曲に過ぎず気恥ずかしいのに対し、歌謡曲に徹した「C調言葉に御用心」「私はピアノ」など持ち味が発揮されて完成度が高い。本書は東・東南アジアの都市ポピュラー音楽を曲単位で600集めたということで期待したが、どれも薄味で平凡、初期サザンや許冠傑のような猥雑な魅力は見当たらない。都市化・情報化・教育や社会保障ということ自体、韓国の朴父娘大統領が「日本軍譲りの実用主義」と評されるように音楽の核となる自発性や独立心と相反するものなのだろう。


増田薫/いつか中華屋でチャーハンを/スタンドブックス2000
あまり使いたくない言葉なのだが何かがバズって本書を手に取ったのだが、もうその何かを思い出すことができない。多摩美⇒デザイン事務所⇒バンドマンという著者が「中華屋のオムライス」など定番以外の美味を食べ歩きする漫画形式の好評WEB連載。こういう人たちって現状への怒りとか不満とかないんだろうか。ご本人の生活の匂いが漂ってこない、でもソツがなく人懐っこい、いまどきの。「情報」「WEBの埋め草」に過ぎず、連続して見せられるとどれも同じで、「作品」として自立していない。特定の広告ということでなく、B級グルメ・旅行・WEBメディアなどをゆる~く広告することで食っているのかな。そういう狭い、毒にも薬にもならない漫画が多すぎる。


水木しげる貸本モダンホラー・上/太田出版1998
1960年代前半、貸本時代の短篇を「時代ロマン」「モダンホラー」各2集に編んだ選集。本書には「不思議な異界が隣り合わせ、あるいは人里離れて存在し、ふとしたきっかけで誘い込まれ殺されてしまう」エピソードが多い。
子どものころ学年誌に載っていた鬼太郎をはじめ、売れてからの水木さんの漫画は手抜きして置きにいったものが多く、不遇だった貸本時代の珠玉とは別次元の感。これについて筑摩書房の松田哲夫は「アシスタント志望の変人たちをうまく使うような、水木さんのプロダクション経営の秘訣を聞いたところ『部下を働き虫にすること・売れない本を作らないこと』」と証言。水木さんにとって現代の資本主義社会はかりそめの住処で、貸本時代に描いた不思議な異界・冥界こそ人生の本拠地なのであろう。




渡辺靖/白人ナショナリズム アメリカを揺るがす「文化的反動」/中公新書2020
米国における白人ナショナリズムの起源には、米大陸先住民(インディアン)は生物学的かつ文化的に自分たち(ヨーロッパ白人)より下等であり、自分たちの支配下に入ることが先住民にとっても幸福であるという、殺戮と強奪を正当化する優越主義的な発想がある。それはたとえば2019年にトランプ大統領が非白人の民主党女性新人議員4名を指して「米国にいることが幸せではなく不満ばかり言っているなら、とても単純なことでこの国を去ればいい」とツイートしたり、日本のネトウヨがデモや政府批判やマイノリティーの訴えをすぐに中国韓国と短絡させて「日本から出ていけ」と集団で叩く様子にも表れる。単一民族幻想に浸り、白人を崇拝し(特に70年代の少女漫画、私見)、常に内向きの歴史修正を試みる日本は、欧米の差別主義者・団体から理想郷とみられている。


将基面貴巳/反「暴君」の思想史/平凡社新書2002
マックス・ヴェーバーが説く政治の「責任倫理」。権力の行使には結果責任が伴う。著者は「オッカムにせよ古代中国の儒家にせよ、組織における上位者への服従が下位者に義務づけられたのは、上位者がその義務を果たす限りであった」。「ところが、これとは対照的に『葉隠』の要求する服従にはそのような制限が一切存在しない」「御家の家臣たちは『主君』の悪事をひた隠すことによって、「主君」の地位を安泰たらしめることに躍起となる」。「吉田松陰答えて曰く、日本の天皇に桀紂のような暴君が現われようとも、一切の国民はただ、並んでひたすらに平伏し、号泣して天皇の改心を祈ることができるだけである。さらに、君がしかるべき人物でない場合には、その国の民は皆『諫死』すべしとまで言い切った」などとして、日本には理念や共通善を現実妥協的にねじ曲げ、集団的無責任によってリーダーを甘やかす精神風土があるとする。明治維新がキリスト教文明の議会政治・戦争・経済成長といった器だけを性急に取り入れた結果、かえって心理面では封建制が根強く残ってしまったのだろう。
 



ソルジェニーツィン/イワン・デニーソヴィチの一日/新潮文庫1963・原著1962
むかし親の書棚にあった。おそらく母が読んだのだろうが、世界的ベストセラーで後にノーベル賞を受けたので父も読んだかも。どこかの学者がコロナでホテル療養が決まり、これを持ち込むとツイートしていたので懐かしく思い入手したが、2度の従軍と、思想犯としての収容所生活、雪解け復権と国外追放という激動を生きた著者の真実の記録は、プーチンの暴走・ウクライナへの侵攻とその後の急展開を受け貴重な読書体験に。プーチンは確かに諜報や政争にかけては天才なのかもしれないが、まっとうな軍人ではなく、政治家としても凡庸なのを、アメリカはじめ西側のメディアが全能の独裁者のように持ち上げることでロシア国民の心情をないがしろにしてきた面があるように思う。収容所の極限状況を必死に生きる主人公は、そうした心情を生々しく伝えて感動的だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする