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書肆マガジンひとりとしての小規模な同人活動を継続します。

ツツイを仕分け/谷崎をリストラ

2010-06-27 21:51:47 | 読書
【筒井康隆の短編20傑】
1.走る取的(メタモルフォセス群島)
2.おれに関する噂(おれに関する噂)
3.関節話法(宇宙衛生博覧會)
4.泣き語り性教育(革命のふたつの夜)
5.郵性省(日本列島七曲り)
6.顔面崩壊(宇宙衛生博覧會)
7.となり組文芸(革命のふたつの夜)
8.陰悩録(日本列島七曲り)
9.バブリング創世記(バブリング創世記)
10.夜を走る(国境線は遠かった)
11.鍵(バブリング創世記)
12.ホンキイ・トンク(ホンキイ・トンク)
13.佇むひと(ウィークエンド・シャッフル)
14.熊の木本線(おれに関する噂)
15.経理課長の放送(農協 月へ行く)
16.毟りあい(メタモルフォセス群島)
17.新宿祭(筒井順慶)
18.欠陥バスの突撃(国境線は遠かった)
19.コレラ(革命のふたつの夜)
20.肥満考(馬は土曜に蒼ざめる)



美女の大便はでかい、という記事を読んで益夫は猛烈な衝撃を受けた。

「郵性省」の書き出し。おもしろいんだよ。おもしろいんだけどね、全集で読みたいような性質ではない。昨今の若者はケータイ/パソコンが生まれた時からあるためか、なんらか物を買うのに《保存コスト》を重視するというのを聞き、常に整理整頓を心がけて、要らないものはどんどん削っていこうと。小説家で個人全集を揃えていた二人、筒井康隆と谷崎潤一郎。重い。かさばる。滅多に開くこともない。読み返すとしても、本当に必要なところだけ文庫本で持っておけば十分。
このたび処分するにあたって、筒井の初期のエッセイをぱらぱらめくってみると、とんでもないことが書いてあるな。─てんかんの患者はたいへん多い。隠して運転免許を取得していることも。くわばらくわばら。ぼくにだけは教えてください─。
石原慎太郎が知恵遅れなり強姦被害者なり、何重に保険をかけてでも相手の立場に立つ気がない態度は、いわば小説家のような連中の習い性だとも考えられる。筒井の小説で、主人公がなんらか被害者となる場合、相手側の理不尽な暴力によることがほとんど。主人公(=筒井)には落ち度はない。そこへ気づいてみると、教科書に載った自作がてんかん協会から問題視されて断筆へ至った経緯も、まったく違って見えてくるし、筒井のみならずそもそも小説なんていうものはマンガより下等な風俗商品で、本棚のいいところを占有させておく理由はまったくない。たとえば桐野夏生や奥田英朗は『闇金ウシジマくん』とも共通する題材を描くけれども、再読してみた場合に時代の証拠物件としての価値が歴然と下がる。
そして多くの小説家の場合、世に出ることになった前半生の作品のほうが良くて、その後に思想的な深まりが見られず、成熟するはずの後半生において過去の水準を超えられない。《作家として世に出る》ことが、一種の科挙のようなマスコミ特殊法人の就職試験となっており、ひとたび成功すると死ぬまで鈴なりにしがみつく。ゆえに、ものを作るための世界観を持たないような佐藤優とか雨宮処凛とかも、ヨコ入りしてしがみついたからには【作家】と名乗るのだ。
筒井康隆や谷崎潤一郎には世界観がある。筒井の「となり組文芸」などでは上記のようなマスコミ事情も辛辣に描かれるし、谷崎が一貫して自らの性癖にこだわりながら後半生にも物語世界を発展させてゆくさまも見事だ。ちなみに谷崎の『少将滋幹の母』でも“美女の大便”について触れられるくだりが─。
とわいうものの、手塚治虫やビートルズですら全作品を常に持っておく必要はないので、滅多に読み返すことのない小説などは厳しく選別してゆきたい。二人の全集は結局すべて処分。波及して本の並べ方を大幅に見直し、夢の本棚へ一歩近づく。いずれ小林信彦などもバッサリ削除となりそう、決して完成することはないが、それはそれでかまわない。



【谷崎潤一郎の本の星取表】
★★★★刺青・秘密
★★★お艶殺し・金色の死
★★人魚の嘆き・魔術師
★★★近代情痴集
★★★犯罪小説集
★★★★★痴人の愛
★★鮫人(未完)
★★★★卍
★★★盲目物語
★★★★吉野葛・蘆刈
★★★★★春琴抄
★★★文章讀本
★★武州公秘話(未完)・聞書抄
★★★★猫と庄造と二人のをんな
★★★★陰影礼賛
★★★★★細雪
★★★亂菊物語(未完)
★★★★少将滋幹の母
★★★★★鍵・瘋癲老人日記
★★台所太平記
★★★天鵞絨の夢(日本幻想文学集成5)

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NEON PARK (ネオン・パーク)

2010-06-21 22:24:46 | Bibliomania
Weasels Ripped My Flesh─1969

  

ネオン・パーク(Neon Park・1940~93)=本名マーティン・ミュラー(Martin Muller)というアメリカのイラストレーターで、テーマパーク内の道路にネオンを飾りつける仕事をしたとき、それをネオン・パークと名付け、以降自身もそう名乗るようになった。彼が注目を集めるきっかけとなったのはフランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションが1970年にリリースしたアルバム『いたち野郎』のカバー・アート(いちばん上の画像)で、同時に彼はマザーズにいて後にリトル・フィートを結成するローウェル・ジョージと意気投合し、1stを除くほぼすべてのアルバム・カバーを手がけ、リトル・フィートのイメージを決定づける不可欠な存在となったのである。
ネオン・パークと2番目の妻チック・ストランド(Chick Strand・実験映画監督)↑は1年のうち多くをロサンジェルスで、残りの期間をメキシコで過ごし、次第にメキシコ先住民文化の影響が作品に表れるようになった。また、テープを貼り付けたり複数のモチーフを一つにまとめる技法に優れた才能を発揮した。彼はリトル・フィートやドクター・ジョンのアルバム・カバーのほか、プレイボーイ誌やナショナル・ランプーン誌にイラストを提供するなどしたが、1983年ころから筋萎縮性側索硬化症(ALS)に襲われ、絵筆が持てなくなってからも詩を書くなどしたものの1993年に生涯を閉じた。



Sailin' Shoes─1971



Last Record─1975



Waiting for Columbus─1973



Midnight Train to Georgia─1985



That's What I Like About the South─1987



Down for the Count─1979



Aztec Stereo─1981



Freudian Express─1986



Jayne Duck─1977



Bogart Duck─1977

  

ネオン・パークのイラストには、有名人をアヒル化して描いた「Ducks」と呼ばれるシリーズがあり、上掲の『カサブランカ』のハンフリー・ボガートや、ケネス・アンガーによるスキャンダル暴露本『ハリウッド・バビロン』のジェーン・マンスフィールド↑がモチーフとなったことから、彼のときに虚構色の強い世界観はハリウッド映画産業から多くのインスピレーションを受けていたことがうかがえる。またパークは1978年10月号から79年10月号まで大阪の情報誌『プレイガイドジャーナル』の表紙を担当し、アヒルのものなど未発表作や描き下ろし作が用いられたほか彼のコメントも添えられたといい、78年12月号↑に用いられた「Arbuckle Trauma」はローウェル・ジョージが惚れ込んで所有していたものだともいわれる。 ─(画像と経歴は作品集『Somewhere Over the Rainbow: the Art of Neon Park』より)
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YAWARAの実際

2010-06-17 02:05:31 | マンガ
『YAWARA!』浦沢直樹(小学館・全29巻のコミックスほか)
1986年から93年までビッグコミックスピリッツ誌に連載され、作中での時系列も主人公・猪熊柔(いのくまやわら)が高2の86年から88年のソウル五輪を経て92年のバルセロナ五輪に出場するまでを描く柔道マンガ。祖父の滋悟郎より幼いころから柔道の指導を受けて育った柔は、公式戦に出場したことがなかったが、路上でひったくり犯を巴投げする姿をスポーツ新聞記者の松田に目撃される。松田はやがて柔が世界を制し、日本中を熱狂させるのではないかと直感するのだが、ソウル五輪で女子柔道が公開競技として採用されるにあたり、滋悟郎も二言目には「金メダル、国民栄誉賞ぢゃ!!」と柔を叱咤し、乗馬やテニスで天才の名をほしいままにしていたお嬢様の本阿弥さやかをライバルとして柔道に誘い込むことまでする。当の柔は、恋愛にあこがれ、さやかのコーチを務める風祭にほのかな恋心をいだく普通の高校生に過ぎなかったのだが─。
公式戦に出場し、圧倒的な強さを見せるにつれ、柔を取り巻く世界は変わってゆき、カナダの強豪ジョディ・ロックウェルは猪熊宅までやって来て終生のライバルとなるし、柔道部のない三葉女子短大に進学しても、そこで友人となった伊東富士子はプリマ・バレリーナへの夢を絶たれた過去から、柔がソウル五輪で優勝するよう熱心に応援する。
ソウル五輪の無差別級に出場した柔は、ロックウェルを痛めつけて勝ち上がったソ連のテレシコワと決勝で対戦し、敵討ちをするような血気に走った柔道で優勝はするのだが、内心では行方知れずの父・虎滋郎やそれを探して母・玉緒も不在がちだったり家族がバラバラなのは自分のせいだと思い込んで柔道をやめようとしていた。そんな柔を柔道へ引き戻そうと富士子は初心者ばかりの柔道部を立ち上げて、ついには自ら柔とともに世界選手権に出場するまでに上達する。
やがて虎滋郎がライバルさやかのコーチを務めていることを知ってショックを受け、再び柔道をやめようとする柔なのだが、娘・柔を常に遠くから見守ってきた虎滋郎は、同じように常に柔を見守り声援を送る松田記者が柔の復帰の鍵を握ると見込んでいたのだった─。



6人だっけ、7人だっけ、日本の女を犯しちゃったカバキの事件のときは「とにかく、うらやましいってことですよ」と発言し、マイケル・ジャクソンが小児ワイセツで巨額の賠償金を払わせられたときも「俺が親なら子どもをマイケルのところに行かせますね」と発言した会社の同僚Nくんが、高校でラグビー部、大学ではヨット部に属していたことは前にも記したが、彼は会社に入ってもヨット競技を続けており、会社のヨット部選手としてアジア大会の代表候補になったりもしていた。
企業スポーツとわいえ、その会社では野球部以外は勤務のあつかいも普通の社員となんら変わらなかったと思う。フルタイムで勤務し、飲み会とかでもわりと付き合いのよかったNくん。一定量以上の酒が入ると、どんな状況でも熟睡してしまう「寝上戸」で、われわれ同僚が抱きかかえて運ばなければならず、身長は175cmほどに過ぎない彼の、その重いこと。鉄のかたまりを運んでいるようだった。
あの肉体なら、賢明な彼はそんなこと実行しないけれども、女を組み敷いて無理やり犯すことは可能でしょうし、そこらの暴漢と喧嘩などしても滅多に負けないのではないだろうか。スポーツというのは、結局のところ、そういうものである。健全な肉体に健全な精神が─なんていうきれいごとよりも、実益があるので厳しい練習にも耐えられるし、理不尽なしごきに耐え抜いた者が会社組織に就職するにあたって有利なのは当然だったろう。少なくとも日本経済がバブルでイケイケのころは。
それはYAWARAというマンガが描かれ、アニメ化もされて女子柔道が注目を集めたころでもあった。浦沢直樹にとって、最初の大ヒット作であるYAWARAは、恋や友情、ライバルとの熱戦などエンターテインメント要素をテンコ盛りにして読者の心をわしづかみにできるかどうか試みる実験作でもあったと聞くが、むしろその実験の成否は、48㌔以下級の普通の女の子・猪熊柔が78㌔超級とかの大きな選手をぶん投げることにリアリティを持たせられるかということにこそかかっていたろう。
それは一応成功している。しかし、それをもたらしたのは、厳しい練習や格闘技の試合を描ききる表現力というよりは、周囲の人物の造形にこそあると言ってよく、ことに松田記者、花園くん、ジョディ・ロックウェル、伊東富士子といった暑苦しい人物像が魅力的で、汗の匂いが伝わってくるかのようでもあるし、ほかのささいな登場人物まで、どの人物をとってみても主人公として人間ドラマを成立させうるほど手抜きなく造形されている。どの登場人物にも見せ場があり、じーんとするほど生き生き描かれるのだ。



29冊の、どの巻にも2~3ヵ所は涙を誘う場面、笑いを誘う場面がそれぞれ用意されており、その配置はクライマックスのバルセロナ五輪へとらせん状に高まる。初期のみに顔を見せた人物、アイドルの錦森くんや不良の須藤くんも最後に再び現れて、それぞれの人生を歩んでゆくのだが、その中心に置かれた肝心カナメの猪熊柔については、娯楽作品の主人公としてはともかく、リアルな人物像としては有無を言わせぬほどの説得力というまでには至らない。
それは仕方がない。スポーツは、まして格闘技は勝たなければ意味がない。柔道に対して、強い目的意識を持ってもいない柔が連戦連勝。それも実施されないはずの無差別級を「タマランチ会長」を動かして実施させてまでも頂点に立つ。現実においては、最重量のクラスの選手が勝つに決まっているので、オリンピックで実施されなくなったほか、無差別級は世界選手権においても形骸化しつつある。
本家の日本人だけがこだわっている、現実を無視した理念=柔よく剛を制す。かつて山口香選手は「女三四郎」と呼ばれたが、このマンガが話題となってから現れた田村亮子選手は「ヤワラちゃん」と呼ばれ、ご本人も髪型など意識したと記憶する。が、バルセロナ五輪に出場した彼女は惜しくも優勝を逸した。次のアトランタ五輪でも。決勝で彼女を破ったのは北朝鮮のケー・スンヒ選手で、当時ケー選手は国内の無差別級の大会で勝ったなどとも報じられ、その後は階級を上げて世界選手権で連覇したりしている。田村、後に谷亮子選手がシドニー、アテネ両五輪で優勝したのは立派だが、そもそも格闘技の軽い階級は、体のでっかい白人などは選手層が薄いと思われるし、重い階級で銀や銅メダルの選手のほうが強いはずなのに、軽い階級の金メダルを、たとえば走高跳やマラソンの金メダルと同列にあつかえるだろうか─。



無差別級=たとえば全日本選手権での「吉田VS.金野」とか、総合格闘技とか、大相撲とか、おそらく異常に詳しい人が大勢いると思うのでお任せするとして、現実問題、やっぱスポーツってのは、勝つためにやってるんだろう、いや試合で勝つこともあるが、人生で勝ち組になろうとして。
オラは会社を辞めてしまったので、先のNくんのその後は知らないが、おそらく今ごろは管理職になっているだろうし、結婚して子どもの2~3人もいるだろう。あの頃は明らかに、就職ではスポーツをやっている者は有利だったし、マンガの中の猪熊柔も引く手あまたで旅行代理店を選ぶし、谷亮子もトヨタに勤務して、プロ野球選手と結婚して、今度は参議院か─。

─イチロー選手が3安打と活躍しました。試合は敗れました。
─女子体操でオリンピックに出場した●●選手が、またもや覚醒剤を使用したとして逮捕されました。
─元Jリーグの●●選手が、女性に乱暴したとして、逮捕されました。
─大相撲の大関・琴光喜や親方数人を含め65人が、野球賭博に関わっていたとして上申書を提出しました。

Nくんの鉄の肉体には、オラの2倍の燃費がかかるし、彼はカバキをうらやましいと言える心の持ち主だ。ヨット競技をやりつつまっとうに就職できた彼はともかく、世界中が一つの夢を追うサッカーW杯ともなれば、それだけに専念できる予備軍が何万人とかの単位でいなければ出場すらおぼつかない。それは、代表チームが勝てばうれしい。うれしいけれども、自分の生活に直接の関係はない。それでもなお彼らにがんばってほしいと願うのであれば、あなたはこれからも上記のようなニュースを聞き続けなければならない。
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えげれす巷談

2010-06-13 23:58:23 | 音楽
iTunesプレイリスト <えげれす巷談> 160分
1. "Summer Is Incumen in" Richard Thompson (2003 - 夏が来た:13世紀ころから伝わる俗謡)



2. "Byrd: Elegy On the Death of Thomas Tallis, 1585: Ye Sacred Muses" Alfred Deller & Wenzinger Consort Of Viols (1956 - ウィリアム・バード:トマス・タリスの死にあたっての悲歌:16世紀終わり)
3. "Dowland: 2nd Booke of Songs - Flow My Tears" Consort of Musicke (1976 - ダウランド:流れよ、わが涙:17世紀初め)
4. "Purcell: Dido and Aeneas - But Death alas!..When I am laid in earth" Dame Janet Baker, Anthony Lewis; English Chamber Orchestra & the St. Anthony Singers (1962 - パーセル:『ディドとエネアス』よりディドのラメント:17世紀後半)
5. "Elgar: Sea Pictures, Op. 37 - 4. Where Corals Lie" Janet Baker, John Barbirolli; London Symphony Orchestra (1965 - エルガー:「海の絵」より珊瑚礁のあるところ:1899)
6. "Parry: I Was Glad When They Said Unto Me, Op. 51, Psalm 122" Christopher Stokes; Manchester Cathedral Choir (2009 - パリー:詩篇122─彼らが主の家に行こうと言ってくれたのでうれしかった:1902)
7. "Delius: Brigg Fair" Thomas Beecham; Royal Philharmonic Orchestra (1957 - ディーリアス:ブリッグの定期市:1907)



8. "Butterworth: A Shropshire Lad - Is My Team Ploughing?" Bryn Terfel & Malcolm Martineau (1995 - バターワース:「シュロップシャーの若者」より私の牛たちは耕しているか:1911)
9. "Holst: The Planets, Op. 32, H 125 - Jupiter, the Bringer of Jollity" Charles Dutoit; Montreal Symphony Orchestra (1986 - ホルスト:『組曲惑星』より木星、快楽をもたらす者:1917)
10. "Ireland: Greater Love Hath No Man" Daniel Bara & East Carolina University Chamber Singers (2008 - アイアランド:大いなる愛:1910-30年代)
11. "Bax: Tintagel" John Barbirolli; London Symphony Orchestra (1965 - バックス:ティンタジェル:1919)



12. "Britten: Corpus Christi Carol" Ronald Corp; New London Children's Choir (2008 - ブリテン:聖体拝領のキャロル:1933ころ)
13. "The Stately Homes of England" Noël Coward (1937)
14. "Vaughan Williams: Serenade to Music" Sir Henry Wood; The BBC Symphony Orchestra, 16 Soloists (1938 - ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナード)
15. "Finzi: Let Us Garlands Bring, Op. 18 - Fear No More the Heat o' the Sun" Bryn Terfel & Malcolm Martineau (1995 - フィンジ:もはや灼熱の太陽も恐れるな:1942)



16. "Wonderful Land" The Shadows (1962)
17. "For No One" The Beatles (1966)



18. "Shangri-La" The Kinks (1969)
19. "Locomotive Breath" Jethro Tull (1971)
20. "Goodbye Yellow Brick Road" Elton John (1973)
21. "Counting Out Time" Genesis (1974)
22. "English Rose" The Jam (1978)
23. "Wow" Kate Bush (1978)
24. "Rutter: Toccata in 7" Nicholas Rimmer (2003 - ジョン・ラター:7のトッカータ:1980ころ)



25. "Respectable Street" XTC (1980)
26. "Tomorrow's Just Another Day" Madness (1982)
27. "Hand in Glove" The Smiths (1983)
28. "Tavener: The Protecting Veil - The Protecting Veil" Steven Isserlis, Gennadi Rozhdestvensky; London Symphony Orchestra (1991 - ジョン・タヴナー:「奇蹟のヴェール」より最初の部分:1987)
29. "Don't Look Back in Anger" Oasis (1995)
30. "Common People" Pulp (1995)



サッカーのW杯そのものには好きも嫌いもないし、できることなら日本代表チームも健闘いただきたいのだが、ニュースを見るため付けたNHKテレビから、わけのわからない女性ボーカルのテーマ曲が聞こえてくると、めちゃくちゃに負ければいいんだよ、と思ってしまいますね。─♪道なき道ウォウ~虹の世界イェ~ウウィウォウウウィウォウ~たましいレヴォリューション!!!!
なにがなんだか。ロックのような演歌のような、これがわれわれの魂の音楽なんだとしたら、日本人の魂というのは恥ずかしすぎて穴があったら入りたいくらいだ。
大河ドラマのテーマ曲がまたひどいね。オラ子どもの頃のNHKは、番組の内容はともかく音楽はもっとかっこよかったんだけどね。坂本龍馬か。明治維新が成って欧米から招いた「お雇い外国人」の一人、アメリカから来たエドワード・モース博士が、貝塚を発掘して日本に初めて考古学をもたらしたとか、あるいはダーウィンの『種の起源』を初めて紹介したとか聞くと、江戸時代のわれわれは社会こそ発展していたかもしれないが、自らを歴史的にどう位置づけるかということについては《点でしかものを見てないバカ》↓に過ぎなかった。ということは、江戸幕府が長く続きすぎたことや欧米列強が開国を迫ってきたことへの防御的反応=明治維新という面もあり、それを《革命》のように過大評価すべきではないのではないかとも思えてならない。



龍馬なんて、実はせいぜい小川純↑くらいの人物だったのでわ─。たしかに、表面的には、わが国の歴史には西欧の歴史と共通する現象がしばしば見られるが、こと《拠って立つ義》となると、ほとんどが借りもので、それこそ音楽のひどい理由ともなるのかも。SF映画『トゥモロー・ワールド(Children of Men)』の中で、主人公の古くからの友人で、ヒッピーのようななりで世捨て人のように暮らすが、主人公と連れの妊婦=子どもの生まれない未来社会で人類の行く末を左右する=をかくまい、2人を逃がした後、殺気だった追っ手に対してもジョークで応じて殺されてしまう登場人物に、古きよきイギリス人像を見た。その人物のテーマ曲がローリング・ストーンズの「Ruby Tuesday」で、映画全体の音楽はジョン・タヴナー氏(28)が手がける。
イギリス人の代表的な音楽では、作曲家は同時に、人間について一家言を持つ思想家でもある。上記のどの音楽にも魂の叫びがあり、特有の《イギリス人らしさ》がある。29のオアシスの言動は粗野で下品で、上記の人物とは対照的だがイギリス人らしさもまた濃厚に漂う。漁師や海賊の系統。七つの海で略奪をはたらいた。チャーチルやサッチャーのような功利主義もまたイギリス人の姿。13のノエル・カワードはゲイの洒落者で、第二次大戦にのめり込む風潮に背を向けて非国民あつかいされたというが、旧友のチャーチル首相は「どうせあんなやつ戦場では役に立たない。一人くらい恋だ愛だと歌うやつがいてもいい」とかばったんだとか。ベンジャミン・ブリテン(12)、エルトン・ジョン(20)、フレディー・マーキュリー、モリッシー(27)といった同性愛の音楽家が確固たる存在感を示すいっぽう、伊・仏・独と比べ英国にはクラシックの有力作曲家が少ないとされてきたが、ビートルズ以降のロックの隆盛が決して突発的な現象ではない、連続的な基盤として証拠立てることができ、それはダーウィンが人間の肉体や道徳性までも動物にさかのぼることのできる由来として系統立てたこととも結びつけられるのではないだろうか。

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ロックンロール大全集─25年だけさかのぼればよかった頃

2010-06-05 23:31:20 | 音楽
iTunesプレイリスト <さわりロックンロール大全集> 25分
1. "(We're Gonna) Rock Around the Clock" Bill Haley & the Comets (1954)
2. "Sixty Minute Man" Billy Ward & the Dominoes (1951)
3. "Sh-Boom" The Chords (1954)
4. "Ain't It a Shame" Fats Domino (1955)
5. "Long Tall Sally" Little Richard (1956)
6. "Come Go with Me" The Del-Vikings (1957)
7. "Little Darlin'" The Diamonds (1957)
8. "Sweet Little Sixteen" Chuck Berry (1958)
9. "Wipe Out" The Surfaris (1963)
10. "Proud Mary" Creedence Clearwater Revival (1969)



先日の「ラテン化2」に引用した記事で小野島大が触れた《広告出稿すれば特集記事組んでやるよ》とかレコード会社に要求する雑誌ってのは、おそらくロッキン・オンあたりでわないかと。あくどい商売やってそうな。
渋谷陽一や椎名誠がロッキン・オンや本の雑誌をミニコミ誌から全国の書店に置かれる雑誌に育てた経緯そのものが、今にして思えば、当時限られた情報しか得ることのできなかった読者にとって《ほんとうに聞く/読むべき音楽/本を探すための時間》を節約したいというニーズに応えるように見えて、実のところ独善的な見方を押しつけつつ読者の支持をテコにマスコミ業界の利権に食い込むという、音楽・本という公共財を人質にとるようなものだったのではないか。



↑借りていた部屋を、店子が夜逃げしてしまったので、債権者が居座って、いくらかでも大家から回収しようというのは、ある程度筋が通っているといえるが、ロッキン・オンや本の雑誌が音楽や本を人質にとって、作り手からサンプル盤や献本を受けつつ、読者に対し独りよがりな印象批評を押しつけるのは筋が通らない。
とりあえず時期的にかぶるので本の雑誌も引き合いに出したのだが、ことにロッキン・オンについては高校当時自分が読者だったこともあって、今だに小児病のような商売をあつかましく続けているのを許せないという思いが強いですね。高校当時=15才のオラにとって、かっこよくも見えた自己中心の、そのスタイル。そもそもロック音楽というのが、そういうものだと思っていた。
クイーン、キッス、イーグルス、レッド・ツェッペリン─そのころ洋楽を聞く者が通過せざるをえなかった音楽たち。白人の、4人とか5人のロック・バンド。
実はぜんぜん違っていた、ロック。少なくともロックンロールと呼称する場合は。
オラ15才の1980年、ロックンロール25周年ということを記念して、NHK-FMが夕方2時間枠の『軽音楽をあなたに』を月~金ぶっ通しで5日間『ロックンロール大全集』という特集を組んだ。たしか湯川れい子が監修したのだったか、今でこそ草創期のロックについてネットなどでいくらでも調べられるが、当時としては画期的に公正で幅広い選曲がされたと思う。FM番組をラジカセなどで録音する人も多かったので、最初の放送が反響を呼んで、冬に再放送されたようにも記憶する。
そのわりには今ネットで検索しても、誰も触れてないっぽいね…選曲リストもFM雑誌から切り取って保存しておいたはずなのに見つからないので、記憶に頼ってそこから10曲ばかり挙げてみました。
映画『ドリームガールズ』や『キャデラック・レコード』でも触れられたが、1950年代ころ、白人が黒人のように歌ったり黒人音楽をカバーしたりするのが、どういう意味を持っていたか。その番組では「Sh-Boom」や「Ain't It a Shame」の黒人によるオリジナルと、より大ヒットした白人によるカバー・バージョンが両方紹介された。
15才の頭で知っていた「ロック」と、ドゥー・ワップのような黒人コーラス・グループやファッツ・ドミノのような愛嬌あるブギウギが結びつかず、それらがロックのオリジネイターだとされることに釈然としなかったのも事実だが、やがて後になって聞く音楽の範囲が広がったり、ビートルズやストーンズの音の中にそれらの影を再発見したりなどで、番組から得た栄養に気づいたものだ。部外者である日本人があつかったロックの歴史としては、最高の番組だった。
同じころNHK-FMの夜10時台では『サウンド・ストリート』で渋谷陽一が信者を増やしており、それはそれで同時代の音楽については多少の説得力はあったと思う=「産業ロック」なんて言葉を作ったりとか=けれども、ビートルズより以前の歴史的なことについてはさっぱり不勉強だったね。今にして思えばリトル・リチャード抜きでポールのことを、チャック・ベリー抜きでジョンのことを語りようもないが。
そんな渋谷のロッキン・オンが利権を拡大するのに創刊したのが『ロッキン・オンJAPAN』。レコード会社や呼び屋経由でしか手を出せない洋楽と異なり、日本の音楽ならもっと直接的に影響力を行使できるでしょ。ワルよのお。たかだか25年ほどの歴史も学ぼうとせずにロックを商売とした渋谷陽一の姿勢には、“平成の大合併”で地域の歴史と無関係な四国中央市・甲州市・さくら市・みどり市とかのバカ地名が増えたり、近年の政治家が公務員の数を削減しつつ地方分権を拡大するなんていう矛盾した公約で人気取りするのとも共通したものが流れているのではないだろうか。

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