マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

昭和博覧会⑦ 筒井と手塚

2023-10-15 21:23:15 | 中産階級ハーレム
NHK放送センターの中にジャニーズ事務所関係者以外は立ち入れないヤリ部屋があると報じられている。テレビ朝日もか。私が想起したのは筒井康隆の、放送局内の普通は目に触れない下層階へ行くと既に姿を消した多数のタレントが飼い殺しにされていた~というドタバタ短篇「公共伏魔殿」なのだが、これは別に筒井に先見の明があったわけでなく、大方の日本人が彼の小説、というよりはコント内の人物のように役割分担して不都合な部分を消し去った「キャラ」としてしか生きられなくなってしまった現状を表しているに他ならない。

たとえば小池都知事というのも、関東大震災時の虐殺被害者に対してあの石原ですら毎年出していた追悼文を出さなくなった。テレビ出身で、財界から雇われた広告キャラとして、日本新党であれ自民党であれ都民ファーストであれ「保守」「改革」の広告イメージさえ守れればよい。石原が作家として政治家としての自我から前例踏襲の判断するのに対し、小池はキャラに徹し、人の心は捨てている。虚無。

橋下・百田・西村・三浦るり・小林よしのりや太田光や東浩紀や古市や高須、新顔でたぬかなとか成田とか? 何度恥をかいてもへっちゃらでメディア上に出しゃばり続けるのも、メディア上で他とつながって衆目を集めているのが本当の自分で、そう認知されている属性や文脈に不都合なことは無視してしまえる。葛藤や自省のない、虫のように集団的にメディアとマーケットに寄生して生きる。


虫プロの経営難に悩まされ、週刊漫画誌が出そろって劇画の影響を受けた作品の人気に押され低迷した1968~73年を手塚治虫自身も「冬の時代」と回想している。しかし小6のとき強烈な読書体験となった↑の『火の鳥・復活編』はじめ『きりひと讃歌』『人間昆虫記』『ザ・クレーター』などこの時期のグロテスクかつ倒錯した作品群こそ私にとって手塚の真髄だ。

中で『奇子』の解説(ヘッダー画像とは別の文庫版)で橋本治が「手塚は田舎の人間を書かせると圧倒的に上手い。彼の漫画には『心理』が存在しないから。近代的知性と無縁の人たちだけで物語を成立させたこの漫画の前半は奇跡」と述べていると聞き、未読のままだったのを手に取ってみると、致命的につまらない。たとえばブラックジャックは読み切り連載なので、短いページ数で人の運命をゆさぶって結末までもっていかねばならず、あまりに無理の多いご都合主義。とても今は読めない。同じように彼の青年向け作品のグロテスクも倒錯も子どもだから新鮮だったので、農地改革に翻弄される東北の旧家と占領軍G2の謀略という奇子の題材もそれらと同じ単なるドラマの部品として扱われ、天外家の5きょうだいも筋立てに好都合なよう極端に役割分担している。心理がないのも当然、ヒゲオヤジやアセチレンランプのようなスターシステムのキャラに過ぎないのだから。

「おこがましいとは思わないか」。物語世界の神であることは。そしてロボットが人間のように喋ったり、将来人類が宇宙に移民できるかのように描くことは。



私には母を見殺しにすることで今の経済的文化的自由を得ることができたという負い目があり、この「サイボーグ」の悲痛な結末には衝撃を受けた。と同時に、手塚や筒井のみならず大方の〝SF〟のロボット観・宇宙観は根本的に間違っている、子どもだましのオカルトであり自意識肥大させるポルノだと確信するに至った。水木しげるのお母さんはたとえ片腕を失っても息子が生きて帰ってくれたことを心から喜んだ筈。一部分にしても「おれはてんかん持ちでないしなあ」などどいう文章を教科書に載せるのはどうかしている。

「ちなみに一般国民も結構他の一般国民を国が助けるの嫌う傾向あるんだよな。例えばこれ韓国が一緒に乗せてくれたって情報がなくて日本の便の情報だけだったら税金で助けるんだから金取るのは当たり前!ドバイまで退避させてもらえるだけありがたいと思え!って論調になるよ」5ch嫌儲10月15日

水木しげるも売れてからは手抜きの乱作が目立つように。出版社がそう仕向ける。NHKやテレビ朝日、講談社や小学館や文春、日本のメディアはオリンピックの件であれジャニーズ事務所の件であれまったく国民の方を向いていない、軍事独裁に寄生する広報機関として愚民化に寄与していることが明らかになった。メディアだけでない、連合のおばさんは小池の亜種だし、企業も各種団体もすべてそうだ。人間しか資源のないわが国はこれから戦争をせずに戦争に負けたような状態に陥っていくだろう。
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夜の銀狐

2023-05-26 16:58:07 | 中産階級ハーレム
ソログリースデラノーチェ、愛しているのさ。小さなマンション探しておいたよ、2人で住みたい。

「小さな」ってのがミソかな、小坂明子。典型的なムード歌謡である「夜の銀狐」、長期入院から復職した2001年、労組の隣の分会で書記長をやっていた人が同僚になっていて、カラオケの十八番がこの曲。電話局時代のならわし的に、どの分会でも書記長が金庫番のような形で飲み会や旅行を仕切る。親分肌タイプが多く、会社での先は知れているからか、組合活動に付随する夜遊びの方が主体になってしまい、その人の場合は離婚後、小料理屋でバイトしていたバツイチ子持ち女を愛人にして、その女をママとして店を持たせ、仲間を店で飲ませる。私もその1人で、会社を辞めてからもよく誘われた。

あるときママが眼帯をしていて、どうしたのかなと思ったら、元書記長が携帯で呼び出されて席を外した際に「殴られたの」と眼帯を外して腫れた瞼を見せてくれた。女を殴るような人に見えないのだが、親分肌のB面は暴力というわけか。私が組合活動をやっていた分会の書記長は、やはり離婚して、定年前に病気で死んでしまった。



1) 斉条史朗 / 夜の銀狐 (1969 - Single)



2) Culture Club / Do You Really Want to Hurt Me (1982 - Single)



3) Clifford Brown & Max Roach / Time (1956 - At Basin Street)



4) Erasure / Always (1994 - Single)



5) Ian Neal / Kingdom of the Birds (2008 - A Monstrous Psychedelic Bubble, Vol. 1: Cosmic Space Music)



6) Them / Don't Look Back (1965 - The Story of Them Featuring Van Morrison)



7) Broadcast / Before We Begin (2003 - Haha Sound)



8) Joe Wilder / Darn That Dream (1956 - Wilder 'n' Wilder)



9) ゆらゆら帝国 / EVIL CAR (1998 - 3×3×3)



10) David Axelrod / The Human Abstract (1969 - Songs of Experience)



11) 金井克子 / 他人の関係 (1973 - Single)



12) Stereolab / Come and Play in the Milky Night (1999 - Cobra and Phases Group Play Voltage in the Milky Night)


13) 美川憲一 / 柳ケ瀬ブルース (1966 - Single)



14) Jerry Goldsmith / Galaxy a Go-Go! or Leave It to Flint (1966 - Our Man Flint OST)



15) James Brown and the Famous Flames / Lost Someone (1963 - Live at the Apollo)



16) 増位山太志郎 / そんな女のひとりごと (1977 - Single)


17) Beach House / Zebra (2010 - Single)



18) Tubby Hayes / Israel Nights (1964 - Tubbs' Tours)



19) 黒沢明とロス・プリモス / ラブユー東京 (1966 - Single)



20) Julie London / Cry Me a River (1955 - Julie London Sings Film Songs)




会社を辞めてしばらくこのようになってました。先述の元書記長が、会社員時代末期の私にキャバクラ遊びを教え、金で買えるならというわけでソープで童貞を捨ててキャバ・風俗に散財。2009年ころには「ベニスに死す計画」など称してジャニー喜多川みたいなことをやろうとして当ブログの黒歴史にもなっている。そもそもヴィスコンティが糞ヤクザだったんですね。空しい。飲む打つ買う系の遊びは依存症を招きやすく、やればやるほど喉が渇き、卑屈になる。借金や、健康を損ねたり元も子もない。

とはいえ、主語が大きくてごめん、日本人なんてみんな卑屈ですよ、強者に媚びへつらい、弱者を見下しいじめる。中抜き大好き、多重下請け、外国人技能実習。個々はマジメで優しいとしても集団になるほど卑屈で尊大で無責任になる。集団の和を乱す者、人付き合いの苦手な者は蔑まれ、のけ者にされ、無力な状態に置かれる。といってもし集団内で上手く立ち回ったとしても、たとえば会社員であれば長時間の拘束と監視、通勤、住宅ローン、子どもの教育問題などなど足枷がたくさん。いっときでもそれらを忘れてお気持ちお立場を分かち合いましょうというわけで、労働者向け飲む打つ買う娯楽がさまざま用意されている。

パチンコやったことない。もしパチンコの題材になっていないとしてもガンダムや北斗の拳は嫌いだ。風俗なんかくだらないって分ってる。ホストに騙されてとかも、性病もある。心から好きなのは高校の友人(もちろん同性)だけなんだから童貞を貫いて堂々と生きるべき。でも無理なんだ、テレビや漫画、学校教育、会社勤めと、一人分の人生よりもっと前から「代官の接待を受ける鎌倉時代の図太い百姓」が日本人のロールモデルになっていて、英国で産業革命が起って中流階級が形成されるより早く、井原西鶴は結局は世間(という人間マーケット)には勝てないから浮いたり沈んだり打算的に生きるしかないという小説を書いている。そして私はこれまでの曲がりくねった卑屈な人生を糧にして当ブログを土台にエロ同人誌作りの道を歩むことになった。


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資本主義の徴兵

2023-01-08 16:43:15 | 中産階級ハーレム
元日の記事で「あす親戚の新年会で検証するつもりです。コロナ・円安・統一教会などなど騒然とする世情、かえって、みな同じ考えだよねと凝り固まってネトウヨこじらせて不思議はない」と見立てたのは、人を見下すことで自分を守ろうとする私の弱さを示すものであった。実際、新年会の前後、最大の免疫といわれる睡眠の状況がやや悪化。不安・緊張を示す「肩凝り」も。



絵に描いた少子化。この図で従弟Eとなっているのが、毎年新年会を主催する、私と同い年のネトウヨの。彼の父である伯父と彼とその長男は顔・気性が瓜三つ。やや意地の悪い不良性があり、生活力旺盛な職人の大家族。長男は表具・内装の家業を継がず、高卒で大手スーパーに勤務、イケメンで彼女を切らしたことがなく、大卒の後輩をいじめて退社に追い込むなど血筋は健在。いわば「本家」の宴席。

異分子である私は高卒で就職してからやや疎遠になっていたが、相次ぐ親の自殺と自分の自殺未遂~2年以上に及ぶ長期入院の際に彼の長姉である従姉Aと彼にとって叔父にあたる伯父があれこれ奔走して助けてくれて、20年のブランクを経てこの集まりに復帰することになった。伯父伯母は90近い高齢のためこの数年は顔を見せていない。

彼の次姉にあたる従姉Bは美人、野球部のイケメンと結婚して長女はさらに美人、大学ではミスコン出場、銀行勤めでテレビ番組制作会社に勤める男性とコロナ禍直前に結婚。夫婦とも「右です」。昨年1億円近いローンを組んで渋谷区の築浅マンションに転居、広さや返済などから子どもは1人がせいいっぱいとのことで、私が「一人っ子は甘やかさない方がええよ、甘やかすと俺みたいになる」と卑下して笑いを取ると、亡き従姉Aの長男が「それは俺にも刺さるな」と。

彼は親戚一の高学歴、国立の理系の大学院まで進んでいるが中途退学してコンサル系のベンチャーに勤め、今はIT企業のSE。従姉が美人ということで煽られたためか面食いをこじらせ、「アプリで一発当ててトロフィーワイフを~」のような拝金・男尊女卑に凝り固まっている。男が稼ぎ、女は良妻賢母志向の一族であり、従弟Eの「ドラえもん・消防団・乗り鉄・車中泊」のように属性・趣味を多く持ち、ウチとソト、身内と公式のグラデーションを巧みに世渡りしており、長男を連れて在特会桜井の応援に~のようなネトウヨ活動もその一つに過ぎない。仕事や遊びを通じてたくさんの仲間に囲まれ、精神がドッシリ安定しているからネットで暴れたりはしない。ネットで暴れるようなネトウヨはもっと社会的に周縁化され疎外されている人たちで、しかしたとえば反ワクチンであったりcolabo叩きであったり、集団としての「お立場・お気持ち」は自民党のような支配階層と共通し、より狭いジャンルに固執することでどうにか自分を保つ、いわば誰もが「山上母」になりかけているのが現今の日本だといえよう。


2014~15年ころ、高1時に友人であったM松くんがソフト淫夢に登場、ソフトといっても非常に鮮明で、以来彼は自慰行為のオカズナンバー1に君臨。高1~2の友人C野くんがアガペー代表であるのに対しM松くんはエロス代表を担っている。

中高のころ私はガリガリに痩せていて、M松くんは輪をかけて痩せていた。顔はかわいいが私と似た陰険な性格で人付き合いは苦手。高1の途中でC野くんO村くんたちとグループ行動するにあたり、共通の友人N田くんの意向でM松を排除してしまったのである。翌年今度は私がC野くんにメロメロ情緒不安定になってしまい彼らから排除されることになる。高1のころ忘れられない体育の思い出、体幹を鍛える趣旨か、2人一組になって肩車をする機会があったが、肩車ができずおんぶでお茶を濁さざるをえなかったのが私とM松くんの2人であった(それぞれ別の相手)。

高校の友人で今でも付き合いのあるK宮くんとM原くんは共に当時からバイクに乗っていたくらいで体力はあり、社会人としても立派に働いて結婚している。私と付き合ってくれるのは落ちこぼれでもどこか見どころあるのではという親心のようなものでしょう、当時の都立高にはそういうリベラルな気風があった。就職先の電電公社⇒NTTには比較的楽な職場ということで高卒大卒を問わず縁故採用で入ってくる者が多く、政府にぶら下がる特殊法人の代表格ということもあり、気風・文化的には「代官の接待を受ける鎌倉時代の〝図太い百姓〟」、自分の身内が保身できれば百姓全体は武士階級の支配・搾取を受けたままでよい、その支配・搾取を正当化するのが、お立場お気持ち=価値観や集団的アイデンティティーを共有すること。そのため「世間」の女性的な監視・査定の機能を活用し、異論や反対派を卑屈な立場に追いやって無力にしてしまう、今でいえば堀江・橋下・西村、あるいは「LGBT生産性うんぬん」の某女議員。

すなわち政府にぶら下がって国民一体化するよう促す自民党・電通・創価学会(統一教会)・芸能スポーツ界やテレビや漫画が日本人そのものといえる。中国政府が「中性的な男アイドル」を規制するのは日本の某女議員と同じ。日本と北朝鮮の軍国主義は同じ武士階級の世襲。ヤンキーとオタクは同じ現象の陽と陰。遊びや娯楽も軍国主義の価値観に沿って「飲む打つ買う」闘争自体の目的化と男尊女卑を子どもの頃からたたき込む。痩せたM松くんの淫夢と、オリンピック開会式に象徴される現今日本の惨状は、それらを私に気づかせてくれ、エロ同人にしてもなるべく少数意見と多様性を尊ぶようにと導いてくれた。

親戚の新年会はこれから、従弟Eの長男と従姉Bの長女、その子どもが主役になってゆく。私がそうだったように、この世代でも落ちこぼれる者が出ている。メンヘラ入院したり、水商売で付き合うのはみなホストとか。面食いの彼も心配だが、イトコの子世代とは生育環境や価値観に断絶があり、遠い親戚の私が口出しできる余地は少なそう。どのみち誰かの葬儀・法事では顔を合せるし、お互い名残惜しいと思えるいま身を引く。
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中産階級ハーレム⑳ ─ 山藤章二といしいひさいち

2022-11-29 16:26:32 | 中産階級ハーレム
島田荘司があんな■■だったとは。太田光や伊集院光がこんなに悪評を買うようになるとは。まさか自国でオリンピックが開催されるのに最悪の話題まみれで期間中まったくテレビを付けないとは。

そしてことし安倍元首相暗殺の当初、NHKなどが統一教会について報じるのを避けていると聞いて、とうとうテレビを処分してしまった。役所から盛んに「20000円あげるからマイナンバーカードを作ってくれ」と郵便物を送ってくるが、私はカードは口実で、政府の本音は「全国民にスマホ(バカホ)を持たせたい」、事実上義務化したい、それによって常に相互監視し、長期的・建設的な視点がなくなる、ものを考えない人間にさせたいんだろうと。

全員が喜多川の枕を受け入れているジャニーズ事務所のタレントは極端な例ではあるが、有名人なんていうのはみなメディアと広告を介して、それらを牛耳る暴力団みたいな連中の人質。「共通の話題」という利権。それらが優勝したとか紅白だとか芥川賞だとか結婚したとか不倫したとか誰かと誰かが対立してるとか常に話題をばら撒いておけば、それを通して大方の国民もまた人質のように自ら自由を手放し、考えることをやめる。そこへさらにスマホも加わるということで、これからもっと経済状況などが悪化しても、今イランや中国の街頭で起っているように日本人が立ち上がるということはないでしょう。



山藤は芸大志望であったが果たせず、武蔵野美術学校デザイン科へ。ユニークな画風で知られる米国のベン・シャーンに強い影響を受けており、純粋絵画とは一線を画す、雑誌・広告・演劇ポスターなどと調和しやすい広告的批評的アイデアのある作風を確立してゆき、在学中から数々の受賞、卒業後は広告制作会社に勤務、5年目にフリーに。自ら松本清張に売り込んで連載小説の挿絵を担当、1969年に週刊文春連載の野坂昭如『エロトピア』で手がけた毒のあるイラストが人気を呼び、自ら「戯れ絵師」と称する雑誌メディアの花形に。↑は独立直後の65年に手がけたいすゞのカレンダー用イラスト。


1974年、朝日新聞の似顔絵を担当していた清水崑が亡くなり、山藤が跡を継ぐことに。人物が語りかけてくるような、手を描き添える手法は偉大な先達に負けないため考案。


「週刊朝日を後ろから開かせる男」と異名を取った風刺イラスト連載「ブラック・アングル」。国会で多数の証人喚問が行われ、田中元首相が逮捕・起訴され闇将軍となっていったロッキード事件は格好の題材。



このアサシオの漫画、中学のころ大笑いした記憶ある。いしいの大ヒットして映画にもなった『がんばれタブチくん』に続く『ワイはアサシオや』、単行本を買って持っていたところ、父親が「それ見たかったからお金払うよ」と。駅で100円で売られる読み捨て週刊誌(文春・新潮・現代・ポスト・朝日・毎日、たまに宝石)を持ち帰ってくる、月刊の文藝春秋も古本でしか買わない人だった。



1991年、サトウサンペイの『フジ三太郎』に代わる朝日新聞朝刊4コマ連載としていしいの『となりのやまだ君』が始まり、97年にほぼ同じ設定のまま『ののちゃん』に改題、現時点では30年・10000回を超す長期連載に。私はずっと取っていた朝日を2008か09年ころ東京新聞に切り替え、5年ほど前それもやめてしまったが、切り替える時点で朝日の価値は日曜の書評といしいの漫画しか残っていなかった。 


いしいが1996年前後に各紙誌に描いた4コマ漫画を集めた『問題外論⑩』より。この当時、土曜夜に福留がやっていたニュースワイドをよく見ており、コメンテーターとして山藤がしばしば登場、言っても言わなくても何も変らない紋切り型の正論しか言わなかった。三雲孝江もいかにも男社会の酌婦で気持ち悪かったな。そりゃ俺の人生詰むわ。
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中産階級ハーレム⑲ ─ 音楽市場

2022-09-09 16:00:56 | 中産階級ハーレム
端的にいって18世紀までの音楽は、原則として一度(ないし数度)演奏したらそれで終わりの消耗品だった。オペラの場合、ヒットした作品が別の都市でも上演されたりすることはあったが、それでも数年たてばレパートリーから消えるのが常だった。大事なことは「その時その場での需要を満たす」ということ(具体的にはパトロンの要求に応えること)であって、「永続的にレパートリーに残るものを書く」という意識は、作曲家にはあまりなかった。その意味で18世紀までの西洋音楽における作曲意識は、たとえば今日のポピュラー音楽とあまり変わらなかったといってもいい。それに対して19世紀とは、「名作」を軸に音楽史が展開しはじめた時代だった。過去の偉大な音楽が演奏会レパートリーに取り入れられるようになったのは、19世紀(とりわけ後半)になってからのことなのである。バッハはパレストリーナを知っていたが、決してそれを演奏したりはしなかった。また晩年のモーツァルトはバッハの作品を知っていたが、それを演奏会で弾きはしなかった(ただし彼はヘンデルの《メサイア》を編曲している──ヘンデルは音楽史上で初めて、死後も継続的にその作品が「名作」として上演され続けた作曲家である)。だがメンデルスゾーンやリストやクララ・シューマンやアントン・ルービンシュタインは、バッハやベートーヴェンを演奏会で弾いた。19世紀において演奏会は、過去の不滅の傑作を陳列する音の美術館になりはじめた。

(中略)「あまりに偉大なものは、浅はかな同時代人には受け入れられないのだ」という考え方──これはとりわけドイツで強かった傾向であり、「まずは目の前の需要を満たす」ことを優先する傾向にあったフランスやイタリアの作曲家とは対照的だった。とりわけ絶大な人気を誇っていたロッシーニやマイヤベーア(彼はベルリン生れのユダヤ人で、そのオペラはパリで大成功した)はシューマンやワーグナーの怨嗟の的で、彼らには執拗に「同時代人の軽薄な好みへの迎合」という非難が浴びせられた。かくして19世紀において、「時代を超えたドイツの偉大な名作vs.イタリアやフランスの軽薄な流行音楽」という図式が作られていくのだが、(中略)しかしながら音楽の民主化が、マス化現象の常として聴衆の質の少なからぬ低下をもたらしたのもまた否定できない事実である。18世紀までのパトロンたちの中には、選り抜きの審美眼をもった人々が多くいた。プロイセンのフリードリヒ大王はクヴァンツをフルート教師として雇っていたし、ドメニコ・スカルラッティはポルトガル王女のチェンバロの家庭教師、ハンガリーのエステルハージ家のお抱え音楽家はハイドン、ベートーヴェンの貴族のパトロンの中には職業音楽家を凌ぐピアノの腕をもった人もいた。それに対して19世紀になると、貴族の真似をしてオペラや演奏会に集まってくるような成金スノブが、大量に出現しはじめる。

(中略)ベートーヴェンの弟子であったツェルニーいわく、「いずれにせよ聴衆の大半は、感銘を与えるよりも、アッといわせる方が簡単な客」であり、「こうした大勢の玉石混淆の聴衆に対しては、何か途方もないものによって不意打ちする必要がある」のである。繊細さや知的な面白さではなく、「スゴイ!」といわせる方が容易なこの種の聴衆の出現は、音楽のありように根本的な変化をもたらすことになる。それはいわば、作曲原理としてのハッタリである。

19世紀の多くの作曲家が武器としたのは、何より大音量と高度な演奏技術である。19世紀は「大向こうを唸らせる効果」に取り憑かれた時代だったといってもいい。 ─(岡田暁生/西洋音楽史/中公新書2005)



またフランスでは、《動物の謝肉祭》などで知られるサン=サーンスが、新聞にワーグナーを罵倒する記事を書いて、大きな反響を呼んだ。彼によれば「人々はもうドイツ語を好まないし、しゃべりたくも歌いたくも、習いたくもないのだ。でも人々はリヒャルト・ ワーグナーの音楽を欲している。……女子供の虐殺、病院への爆撃、教会の破壊、人間の尊厳にもとる悪行、フランスへの皮肉に満ちた嫌悪が表明されたのち、ドイツが久しく国民的天才と見なしてきた人物の音楽を求めるフランス人は、まだどうして存在し得るのだろうか。」大戦中のサン=サーンスは《フランス万歳》という歌曲を作曲し、《ラ・マルセイエーズ》を指揮したりもしている。

印象派の作曲家ドビュッシーの戦中におけるナショナリズムも悪名高い。「あの悪い種[ゲルマン民族]を世の中から一掃する必要がある」と言ってのけた彼は、友人への手紙で次のように書いている。「戦争はパリから外人を、銃殺してであれ、追放によってであれ、一掃してくれました。瞬く間に魅惑的な場所になりましたよ。ラウル・バルダックは目下ヴェルサイユで自動車係を務め、伍長サティはアルクイユを防衛しています。エルランジェは陸軍省に詰めていますが……。」また当時のフランスでは学者たちが「ベートーヴェンはフランドル人である」(=従ってフランスで上演することに問題はない)と宣言したといわれるが、ドビュッシーはこれを大真面目に信じ込み、ある手紙の中で「ベートーヴェンについては、幸いなことに、彼がフランドル人だったことが 判明したばかりです」などと述べている。 ─(岡田暁生/クラシック音楽はいつ終わったのか?/人文書院2010)



これらのミュージシャンやその聴き手たちは、デトロイトで生まれ育ち、都会的なセンスを身につけた黒人層の最初の一団だった。南部で彼らの親たちが通っていたような一部屋しかない学校と違い、これらの若者たちは〝ニグロ〟専用のノースイースタン高校で正規の音楽教育を受けることができたし、黒人、白人の両方が通えるキャス専門学校のようなアート・スクールには、40~50年代にはすぐれた音楽教育のプログラムが用意されていた。デトロイトでは一家に一台といえるほどピアノが普及していたが、〝おやじ〟 や〝おふくろ〟がそのピアノで〈ハウ・グレイト・ゾウ・アート〉といったゴスペル・ソングや、たまに12小節のブルースを歌っていたのにたいして、彼らのヒップな子 供たちはチャーリー・パーカーの〈コド〉やセロニアス・モンクの〈ストレイト・ノー・チェイサー〉といった曲に夢中になった。ビバップをやったり聴いたりすることがスノッブでクールだと思われていたこの時期、ベリー・ゴーディー(モータウン・レコード創業者)もまた〝通(イン)〟の仲間入りをすることに懸命だった。

ベリーはジャズの虜になり、ボクシングの時と同じようにその情熱を商売に結びつけようと決心する。貯金をはたき、陸軍除隊の時もらった給料も引き出し、さらに。パップスから700ドルを借金して、1953年の夏、3Dレコード・マートというジャズ専門のレコード店をオープンしたのだ。モーター・シティの地元ミュージシャンの数の多さ、クラブの多さなどを考えれば、この計画は充分勝算ありとベリーは見ていた。 ─(ネルソン・ジョージ/モータウン・ミュージック/早川書房1987・原著1985)



ヒット・ソングのタイトルひとつをとってみても、あのころがどんな時代だったかは一発でわかる。「悲しき少年兵」「悲しきインディアン」「悲しき力ンガルー」「悲しき十六歳」「悲しき60歳」「悲しき街角」「悲しきあしおと」……。こんなふうに、やたらと〝悲しき〟という形容詞がついたポップスが、そのころは歌われていた。

でも、こういう歌が大手を振って歩いている時代というのは、けっこう気楽な時代で、いったいそんなに何が悲しいのかと訊ねてみると、たいしたことはないのだ。

いま題名をあげたような曲は、オリジナルをアメリカやイギリスのシンガーが歌い、それに訳詞をつけたいわゆる日本語ヴァージョンをこちらの歌手が歌うというシステムになっていた。日本語のタイトルが「悲しき~」となっているのにちょうど見合うように、原曲の歌詞には、〝ランナウェイ・ガール〟とか〝ティアードロップス〟とか〝サーチン・フォー・マイ・ベイビー〟といったフレーズがやたらと眼についた。

ひとことでいえば、軟弱きわまりないポップスが街中に流れていた時代なのだ。(中略)これは決して照れ隠しだけでいうのではなく、半分は本気でいうのだが──こんな下らない曲を聴いて育ったぼくやぼくの世代が、ロクな大人になれないのは当たり前のことなのだ。たとえば、スリー・ファンキーズというグループの3人のメンバーが、その後どうなったかという、ま、どうでもいいようなゴシップ的な事柄からもそれは窺えるのではないか。

一番歌が上手いといわれていたチビの高橋元太郎は、TVの時代劇でコミカルな岡っ引きの役なんかやっている。これはまだいい。許せる。

当時、ぽくが一番ヒイキにしていた高倉一志はその後、演歌の歌手になり、芸名を藤健二と変えた。いくら軟弱とはいえポップスを歌っていた歌手が、ある日突然に演歌を歌いだす。信じられない世界だな。それから少しして、やはり同じ演歌歌手の扇ひろ子と婚約をして、こちらは紅白にも出たような当時の売れっ子歌手で、フーン良かったねえ、とすでに十代も後半になっていたぼくは秘かに思ったりもしたのだが、やはり後がいけなかった。婚約からしばらくして、扇ひろ子に愛人ができたのだ。しかも、男ならまだしも女の愛人だったのだ。レズに婚約者を奪われた高倉一志を、その後TVで観ることは一度もなかった。

しかし最悪なのは、残った一人である長沢純だ。当時から調子の良かったこの男は、〝老人ころがし〟の才能を発揮して、〝一日一善〟のモーターボート爺サンのお気に入りになった。あの爺サンの後押しで、何年か前の参議院選挙にも立候補して、落選したりしている。本当に、揃いも揃ってロクなモンじゃないのだ。そんな連中の歌を聴いて育ったぼくたちの行く末というのも、すでにその時点で決まっていたのかもしれないな、と近ごろしきりに思うのだ。 ─(亀和田武/1963年のルイジアナ・ママ/徳間文庫1989・原著1983)



ちょっと前にクリスタルキングの高音の人がマスクを拒む迷惑老人として話題になりましたね。一発屋といっても誰もが死ぬまで忘れないような一発。ヨーロッパは上に引用したような対立・戦乱の反省もあり音楽においてもユーロヴィジョンソングコンテスト(1956~、持ち回り開催)のようなコンクールを設け、イタリアのサンレモ音楽祭(1951~)も有名で、前者では民族色は希薄、どの国の代表も中庸、悪くいえば凡庸な歌謡曲が求められる。お祭りや金メダルの大好きな日本人も見習って、レコード大賞・紅白歌合戦のような国内限定のものと並行して世界歌謡祭や東京音楽祭といった国際色のある音楽祭を開催、ヤマハが主催する「ポプコン=ポピュラーソングコンテスト」は世界歌謡祭の国内予選を兼ねており、私が中学の頃はクリスタルキング「大都会」(1979・18回)をはじめ「あんたのバラード」「夢想花」「ひとり咲き」など全盛を迎え、コッキーポップというラジオ番組もよく聞かれていた。

ザ・ベストテンの影響などで音楽の流行が高速化・多様化する中にあってはポプコンの年2回というのは悠長すぎたのか、80年代に入ると低調になってゆくが、最後の大ヒットといえるのがあみんの「待つわ」(1982・23回)であった。「待つわ」は、メロディーとハーモニーはきれいだが歌詞が異常なほど幼く、しかしデビューいきなり100万枚ということで1973年にポプコンの名を大いに高めた小坂明子「あなた」と相似を成している。これも歌詞が少女漫画的に幼い。もし「待つわ」一発で消えてくれたら、「あなた」のように幼稚だけど必死な良い曲として私の記憶に残ったのかも。

あみんの片方、岡村孝子は容姿が少し良く、作詞作曲は中学生レベルだったと思うが、それが逆に功を奏したのか80年代の人口ボーナス、サブカル百花繚乱の波に乗って「OLの教祖」といわれるほどソロ活動を成功させることに。しかし愛知県内の市議だった父親と共同で行ったラブホテル経営に失敗。多額の借金・離婚・あみん復活・闘病と、日本の失われた30年と軌を一にする苦闘の後半生になっている様子。繰り言ですが、一発屋であってくれたら…。
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中産階級ハーレム⑱ ─ 投資信託

2022-02-09 13:58:30 | 中産階級ハーレム
パッとしないタレント女「××をやるときは◎◎っていう名前で~」
さえぎって有吉弘行「もうそういうデーモンシステムやめません?」
ロンブー淳「それ気まずいんだよな。俺もビジュアル系バンドでやってたから」
有吉「デーモンシステムと野菜ソムリエやめません?」
淳「完全に俺じゃねーか。おめーがどっかで思ってたこと付け足すんじゃねーよw」

面白い番組だったけどな、ロンドンハーツ。完全に過去形。↑の引用は有吉弘行を中心に据えたタレント進路相談という名物企画だが(2013年OAの回)、アメトークの「おしゃべりクソ野郎」をはじめ彼が人を斬る鮮やかさ、品川祐のように文化人系の仕事がなくなったり、逆に熊田曜子などキャラやいじり方が定着して仕事が増えたりと業界内に影響力があり、有吉は冠番組をいくつも持つなど権力が生まれ、そして有吉もロンハーもめっきりつまらなくなった。

毒舌といっても「なあ川島(劇団ひとり)よ、何であんなひどい開会式のそれも一番意味不明な部分に出させられたの?」「緊急事態宣言を出したのに昭恵さん大分のイベントに呼ばれて喜んで出かけちゃって」「粗末なマスクだな、しかもカビかよ。ユースビオって何者?」「ダウンタウンさんと爆笑問題さんが手打ちをしたのはタイタンが橋下さんのテレビ出演を斡旋することで安倍首相周辺と大阪維新の利益を守ってるからかな」などなど言えるわけないでしょ。タブーがいっぱい、忖度しまくり。長期化するコロナ禍と、その最中に強行されたオリンピックのため、テレビや芸能人やスポーツ選手は本当に必要なのか多くの人が疑問を持ち始めた。なのに大切な問題を避け、身内同士でイジッたり格付けしたりクズぶりを売りにしたり泥仕合をはじめたり懲りないテレビと特にダウンタウンや有吉をはじめとする大物芸人に、マトモな感受性を持つ人ほど不潔感・嫌悪感を抱くように変ってしまった。

身内のイジリ合いといっても、↑の有吉とロンブー淳のやり取りは、両者の実力や立場が拮抗していて面白い。淳は貧しい家庭に生まれ、目立とう精神と上昇志向が強く、「野菜ソムリエ」「城郭検定」「社会人入試」「テスラ株」といったプチブル的に俗悪な記号を集めたがるので、有吉は進路相談の機会を利用して司会者の淳をイジってみせたわけだ。

何年か前のアメトークだったか、とろサーモン久保田が「かまいたち山内さんから薄毛の薬と某仮想通貨を紹介されたけどどっちもインチキだった」と暴露。山内ってお笑いでは有能そうだけど、それ聞いて「普通のバカなおじさんじゃん」って思ったし、そのうち彼が通常なら「トランプか!」って突っ込むような題材に「バイデンか!」って突っ込む熱烈なQアノンであることが知られるように。淳が好む記号とはまた異なる、しかし拝金・射幸性・ルッキズムや排外主義など共通する趣向がうかがえる。飲む打つ買うの芸人さん、中田も西野も。

仮想通貨というのは、通貨として安定的に使えるようになるとはとても思えない、完全な投機だ。上がる理由も下がる理由もよく分らないし、発行元や保有上位の者が操作できる。それらの者が突然逮捕されたり、政府が禁止することもありうる。でも考えてみれば、それってお笑い芸人とよく似ている。アンタッチャブル柴田はなぜ干されていたのか。有吉の結婚の裏事情とは。ヤミ営業やユーチューブ進出。アンジャッシュ渡部やチュートリアル徳井の不祥事。コロナ続出の芸能スポーツ界、最初の犠牲は志村けん。

彼らは、それだけでは空っぽな紙や電波のメディアを下品な話題で満たし、人を集めて賑わせることができる。そして一般人も、投資の様子、仮想通貨よりはとくに「米国株」やそのETF(上場投資信託)類にお金をつぎ込む様子を証券会社のスクショなどツイッターに掲げ、空っぽな自分に変化に富んだ充実した時間を与えることができる。


「投資をやってるんですよ」。「ふーん(損すればいいのに)」。親しい間柄でもお金の話ははばかられる。当ブログでも自分がどうなのかということは避けてきたが、きょう少しお話します。

高卒で電電公社に勤め、民営化してNTTとなりしばらくすると政府がNTTの株式を順次公開することになり、社員持ち株会というのが給与から天引き積み立てる形でスタート、最初にまとまった金額を入れることもでき、私は0.3株ほど持っていて、ブームで高値になったとき退会・売却して利益を得た。これに味をしめて証券会社や銀行で投資信託を買うようになり、ほぼ負けっ放し、長期入院後に退職してからは貯金や親の遺産を元手に数種の投信、特に年3~5%の分配金が出るリート(REIT)と呼ばれる不動産投資信託を生計の中心に据える。これらが2008年のリーマンショックで暴落、総額半分ほどに縮んでしまい、2012年から始めた同人誌の収支との兼ね合いで徐々に投信から個別株、日本株から米国株(配当しないグロース銘柄)に移行、コロナ以降はリーマンショック前の雰囲気に似てきたように察して縮小し、この年明けに完全撤退。

以上の経験に照らすと、↑画像に入れ込んだ「REITは不動産を持ってる連中が下げ相場を見越して証券化し、個人投資家にババを引かせる」というからくりに信憑性を感じる。高名な経済学者ガルブレイスは『大暴落1929』という著書の中で、1929年の暴落が長期・世界的な1930年代の大恐慌を招いた要因を5項目挙げ、うち1つで「企業構造の最大の欠陥は、持株会社投資信託という新種の経営形態と密接に結びついている。持株会社方式は、電力・水道などの公益事業を筆頭に、鉄道や娯楽産業など規模の大きい業界を席巻していた。このような経営形態は、すでに述べた投資信託と同じように、逆レバレッジによって壊滅的打撃を被る危険をはらむ。とくに問題なのは、下流側の事業会社から支払われる配当を、上流側の持株会社が発行した社債の利払いに充てるやり方である」と述べている。

要は持株会社と投資信託という枠組み自体が責任回避・リスク拡散を目的に含むので、そこへ投資ブームが起って個人が借金してまで株や不動産の値上がりを期待して買うと、大きなバブルが一挙に破裂する危険が高まる。バブル崩壊は大なり小なり周期的に起るので、ウォール街をはじめとする金融業者は競って複雑な商品を作り、成績を誇示して夢を売り、近年は低金利・金融緩和にも助けられ、特にGAFAやテスラをはじめとする米国ハイテク株が右肩上がりに高騰し、個別株は高くなりすぎて会社員層が容易に買えないため証券会社は「レバナス=米NASDAQ指数に2倍3倍のレバレッジで連動する」などのさまざまな投信をユーチューブとツイッターで宣伝して取り込みを図る。未熟なカモを集め、保険にしておけば、自分たちは危機を察して先に逃げることが容易になる。

↓の「子どもの学資を~」というのはブームになると毎度現れるネットミームのようなもので、このアカウントは証券会社やユーチューバーのステマなのかも。しかし推しやガチャに慣れているとより魅力的に映ってのめり込む者も少なくないだろう。銘柄などで界隈を形成し、自慢・嫉妬・内ゲバなど渦巻き「魔神ホールド」なる造語が飛び交う。ホールド⇒値下がりしてもいずれ上がると信じて持ち続ける。私の経験では指数や個別株が持ち直しても投資信託は戻らない。目減りする。ましてレバレッジなんて長期で積み立てるものではない、博打だ。



90年代の橋本首相が「アメリカ国債を売りたい誘惑に駆られる」とジョークを飛ばしただけで為替が動き、彼は米政府から大目玉をくらって短命に終った。中曽根・小泉・安倍と、アメリカのケツ舐めが上手いと長期政権になる傾向。中曽根は日和見主義によって、安倍はバカで恥知らずだから、小泉はその中間かな。

アメリカの許しなく戦争なんて…。むしろ挑発だけなら中露にやられっ放しの感。ただフレディ・タンという人物はシンガポールの情報セキュリティ専門家ということで「日本の右翼は少女のようにおぼこい」という比喩はさすが。

少女のようにおぼこい⇒家柄や資産を重視する親から箱入り娘として育てられるような中産階級的な産物であり、外界の人や情報に染まっておらず、夢みがちで、安倍さんトランプさんが民主党と中国をやっつけてくれると信じる。トランプについては軍歴がないが破産歴があること、プーチンらの選挙介入で大統領になれたこと、側近から暴露や裏切りが続出していること、そして何より昨年初めの議事堂襲撃、それらは忘れたりなかったことになる。

最近の目立つデマで、カリフォルニア州では95ドル以下の窃盗が無罪になったので治安が極度に悪化しているというのが、黒人が商品を持ち出している映像と共にツイッターなどで広まっているが、中高年男が多い普通のネトウヨより、若い大卒サラリーマンで安倍とトランプが株価を政策の中心に据えたことをきっかけに投資を始めたような層で好まれるデマだ。

そういう投資初心者のツイッター・アカウントでお決まりのように使われるFIREという言葉も、生計・独立・リタイア・早期を意味する造語だが、若い会社員層が安倍トランプを好むことから、トランプが米リアリティ番組で使ったYou're Fired!(クビだ)に絡めて証券など金融業者が流行現象に仕立てたとみることもできよう。社内の人間関係、長時間労働や通勤を煩わしく思い、早期退職したいが起業の知恵・行動力もなく、流行に煽られ米国株、とくにNASDAQ市場のハイテク株に夢をみる。しかし安倍の「ウラジーミル! 共に駆けて駆けて駆け抜けて」ノシ付けて北方領土譲っちゃったというくらい内弁慶の卑屈なバカで被害者意識と承認欲求だけ一人前なので、リベラルの牙城で平均所得が高い、まさにFIREの本場といえる「カリフォルニアの治安が悪化」なんてデマを信じたいから信じる。株が下がるとバイデンと岸田のせい。

私がウォール街の人間だとしたら「絶好の機会だ。どうせ日本なんて没落するんだからNASDAQ市場のバブルをこいつらに損失をなすりつける形で調整しよう」と考えても不思議はない。既にネットフリックスやフェイスブック(現メタ)といった時価総額の大きい銘柄が1日で20%以上下げており、これからFRBの数回の利上げ、日本から米国の1300銘柄が信用取引できるようになる(反感を買っているアマゾン・フェイスブック・テスラなどを個人が「売りから入れる」ようになる)など目が離せない展開が続きそう。先の橋本発言のように、日米の経済は互いに縛って保険にしている面があり、当時より日本のプレゼンスが半減しているとしても、想定外の惨事になってしまう可能性もある。私が確実にいえるのは、おぼこい少女のFIRE民の多くは願望と裏腹にますます勤務先に縛り付けられてしまうだろうということ。

三浦るり・古市・ひろゆき・手を洗うBAKAといったインチキ人物がコロナでむしろ焼け太り、リケジョ小保方・イソジン大阪・熊本のアサリ・みなし陽性 etc etc せつなさの スピードは高まって とまどうばかりのわたし…


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世間という民活

2022-01-01 17:22:10 | 中産階級ハーレム
よく当選者が出るとされる有楽町の年末ジャンボ?の行列、身なりのよい人が多いのだが、もし前後に並んでた人を後で「当選しました!」とかテレビで見かけようもんなら嫉妬というか焦燥というか、胸も張り裂けんばかり、死ぬまで引きずるんじゃないか。パチンコ開店前から並んで一つの台に執着し続ける身なりのよくない人と変らない。あるいは転売屋。自分だけは損したくない。監視・査定・選別、ときに排除まで行う、わが国特有の「世間」なるものの様相を象徴している。

コロナ禍が始まった一昨年、それまで「いつ死んでもいい」って言ってた婆さんが「コロナでだけは死にたくない」と言い出したそうだ。「世間」の笑いもの。自分だけは損したくない、そういう世間。松田聖子の娘さんが亡くなったニュース、いまどきマイ・フェア・レディのような古い拝金・男尊女卑のストーリーで全国を回れるということにまず驚いてしまった。女は個々は男よりマジメで優秀だが、集団になると手の付けられない馬鹿になる。昼間のテレビ・ドラッグストア・主婦・女子大生。狭い世間を形成し、打たれる杭にならないよう「普通・平凡」に寄せて監視し合う。

女は妊娠・出産・授乳の期間を仲間と助け合って凌ぐ必要上子どものころから社会性が発達している。人類の文明やさまざまな社会悪もこれら男女の性差の問題に端を発していることが多い。たとえば戦後の「標準労働者」=会社勤めの夫と主婦と子どもという家族のあり方は、会社を通じてお互いを人質のように縛っている面があり、会社員の男も(女のように)狭い世間を形成して相互監視するよう誘導され、部活や大学はその準備となる。私は部活も大学も経ておらず、20年間の会社員時代はとうとう最後までそういう世間のルールを理解できないままであった。



人質社員とは、その人が存在しているだけでよいという意味。何もしなくても、身柄を会社で拘束しているだけで、メリットがあるためだ。能力がないため社内では「人質」とか「劣る君」と言われている。人質の劣る君は、両親や親せきに有力者がいる人で、人質をもらい受けた会社の社長が、その有力者に会った際、「いやー劣る君(仮称)は頑張っていますよ」と、挨拶代りに言うだけで、有力者と良好な関係でいられて、仕事もうまくいく。このためだけに飼っておく。

よく「コネ入社」や「縁故採用」とは何が違うのかと聞かれるが、人質社員は、通常の入社試験では入れないことは明白。そんな能力はない。コネは「下駄を履かせる」=入社試験での点数を水増し、縁故は社内ネットワークの身内意識を固めるためで、「人質」のような取引関係を続けさせる代償という意味合いは薄い。

この手の人質社員はかつて電通が多く、また有名であった。電通というと、かつてはかなり優秀でないと入れなかった。また入社しても営業局に配属になると、スポンサーへの過激な接待のため、商社と変わらぬ男芸者の役割を演じていた。広告宣伝を取るというのは大変なのだ。不景気なので。

最近の人質君は電通よりも、テレビ局に増えている。以前はマスコミは格好がよく、給与も高かったので、有力者が子弟をテレビ局に押し込んだのである。お蔭でもともと人数の少ない東京のテレビ局は、人質やコネ、縁故の馬鹿ばかりが入ってきて、バカ度が上がり、会社組織が衰えてしまった。

まあ人質もかわいそうな面がある。有力者が失脚したり、スポンサーが買収されたりして、人質の母体会社との関係が変わったら、追い出される。利用価値がなくなったら、劣る君の会社人生も終わりである。これが人質の運命である。戦国時代は、人質はよく殺された。現代もこの仕組みは変わらない。 ─(2013年9月19日付「JTT海外展開のブログ」より抜粋引用)



「日本では常に互いの心をわずらわせまいと気にしています。とてもバランスのとれた関係を作っています。日本人が『YES』と言うとき、必ずしも『YES』を意味しません。実は『NO』かもしれません。なぜなら、他の人の気持ちを傷つけたくないからです。とにかく人の気持ちを害するようなことをしたくないのです。アメリカでは他の人の気持ちを気にする必要がありません。私は他の人のことを気にすることが得意ではないのです。アメリカで暮らすってすばらしいことですよ。私はまわりと協調して生きることができないのです。それが日本に帰りたくない理由の一つです」

「アメリカでは研究でやりたいことが何でもできました。非常に恵まれた中で、コンピューターの購入代金などすべてアメリカの政府がやってくれました。非常に多くのお金を使いました。私のような科学者が研究でやりたいことを何でもできるんです」

「アメリカの科学アカデミーは、日本よりはるかにいろんな意見が学者から上がってきます。日本よりはるかにいいと思います。日本の置かれた現状は非常に難しいですね。政治家と科学者のコミュニケーションがうまくいっていないのが問題だと思います。日本政府の政策にいろんな分野の専門家の意見がどのように伝わっているのか。政治家に対してアドバイスするシステムが日本は難しいところがいっぱいあると思うんですよ」 ─(米国に移住・帰化しノーベル物理学賞を受けた真鍋淑郎氏の会見より)


(AI・ユビキタスのようなテクノロジーの進歩は止められないとする)不可避主義のあらゆる教義には、虚無主義という生物兵器が仕込まれている。それは人間の営みをターゲットとし、人間の可能性というテキストから抵抗と創造性を削除するようプログラムされている。不可避というレトリックは狡猾な欺瞞であり、わたしたちを無力で受け身な存在にし、人間に関心を持たず持つべきでもない無慈悲な力の思うままにさせる。これがロボット化されたインターフェースの世界であり、 そこではテクノロジーは意志を持ち、断固として権力を守っている。 この状況の経済的意味を最も巧みに表現したのはジョン・スタインベックだ。彼の名著『怒りの葡萄』の冒頭の章では、世界恐慌のさなか、砂嵐に見舞われた農民が、故郷オクラホマから逃れてカリフォルニアに向かう姿が描かれる。一家は何世代にもわたって開墾してきた土地を追われた。彼らは地主の代理人に窮状を訴えるが、代理人が来たのは、彼らに無力さを自覚させるためだった。代理人はこう応える。「銀行ってのは、人間とは別ものなんだ。銀行で働いている者はみんな、銀行のやることを憎んでいるが、それでも銀行はそれをやめようとしない。まったくの話、銀行は人間以上のものだ。あれは怪物だよ。たしかに作ったのは人間だが、人間にはそいつを抑えることができないんだ」。 ─(ショシャナ・ズボフ/監視資本主義/東洋経済新報社2021・原著2019)



地方の中小企業とかで、外部から経営者を迎えようとすると、取引銀行が反対して血縁者に継がせようとしたがると聞く。代々の社長=その地元の名士ということで、経営が傾いても家とか私財を追加担保にしてどうにか再建しようとするから、銀行としては自分のところは損しないで済む。昔は女子行員は実家から通ってないと採用しないなんて話もあったし、監視・査定・選別、ときに排除という日本の「世間」の仕組みは、まさに銀行のようなウェットだが閉鎖的で冷たいものなのでは。

大企業ともなればそれ自体が1個の世間であり、経営者の世襲によって求心力を持たせる場合がもっぱらでも、逆に粉飾会計(オリンパス)や派閥争い(NISSAN)から世間の目を遠ざけるため外国人経営者を広告塔のように迎えることも。↑に引用した、教師が学校の資金を集めるため地べたにはいつくばってお札を拾う姿、米国から来日して東大で地震学を教える先生が「米国の恥部」としてリツイートしたので知ることができたのだが、日本の教師が明文化されていない部活の拘束や煩雑な書類仕事でブラック労働化しているのに対し、先生でもお金がすべて、金銭万能という明快さはあるように思う。それでこそ、いろんな想像もつかない人間がいるアメリカがGAFAなどの新しい商売を生み出す結果に。

↑画像の大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件(リンク・ウィキペディア)はまさにそういうアメリカと日本の落差、そして銀行が「日本の世間」を凝縮したような組織であることを示している。赤澤氏の父は、著者が子どもの頃は「額に汗して働く者が報われるような社会であってほしい、そのための銀行」と説いていたそうなのだが、専務にまで出世、銀行の暗部を組織ぐるみで隠蔽する立場となり、現役中に急死。家族は、ニューヨーク支店の事件が報じられてしばらくしてから、ようやく銀行での死去前の父の立場を知る。亭主元気で留守がいい。銀行で働く者はみな、銀行のやることを憎んでいる。さらに赤澤氏が入学した慶應大学も、エスカレーター式で進学してきた金持ち学生との間に格差のある、醜悪なプチ世間であり、彼は駆け落ち婚・日雇い労働とドロップアウトの道へ。

新年おめでとうございます。長文お読みくださり多謝です。もう結論はお分りかと。G7中でコロナ一人勝ち、経済一人負け、今後はスタグフレーション(不況下の物価高)や財政破綻にもなりかねない事態をもたらした最大のファクターXは「世間」だったのである。
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中産階級ハーレム⑰ ─ 軽音楽

2021-08-15 14:41:21 | 中産階級ハーレム
アンダーソン/トランペット吹きの休日
アンダーソン/シンコペーテッド・クロック
アンダーソン/タイプライター
アンダーソン/プリンク・プランク・プランク
タイケ/旧友
プライアー/口笛吹きと犬
ゴセック/ガヴォット
ハイケンスのセレナーデ
ネッケ/クシコスポスト
ツィンメルマン/錨を上げて
JFワーグナー/双頭の鷲の旗の下に
ケテルビー/ペルシャの市場にて
スッペ/軽騎兵序曲
ホフシュテッター/ハイドンのセレナーデ
イヴァノヴィチ/ドナウ川のさざ波
レハール/メリーウィドウ・ワルツ
ヴォルフ=フェラーリ/マドンナの宝石
レオポルド・モーツァルト/おもちゃの交響曲
デンツァ/フニクリ・フニクラ
クニッペル/ポーリュシカ・ポーレ
リムスキー=コルサコフ/くま蜂の飛行
ファリャ/火祭りの踊り
デュカス/魔法使いの弟子
チャイコフスキー/「くるみ割り人形」よりマーチ
プロコフィエフ/ピーターと狼
モーツァルト/トルコ行進曲
バツィーニ/妖精の踊り
ドヴォルザーク/ユーモレスク
クライスラー/美しきロスマリン
ハチャトゥリアン/剣の舞


いまって第4波? 第5波? 「第」って要ります? 交響曲第9番第4楽章。うっとうしい。クラシックやジャズについて知ったかぶると嫌われますが、でも昭和の高度成長期にはステレオ装置が爆発的に普及し、それにふさわしいレコードをというので各種名曲全集、子どもに聞かせる初歩的なクラシックの類が普通の家庭にもあった。

私の親は倹約家だったので粗末なポータブルのレコードプレーヤーで聞いていたが、そうしたクラシックのレコードをずいぶん買い与えてくれた。↑画像の右側、小学館が日本コロムビアの音源で企画した、それぞれ解説書と共に化粧箱に入った名曲全集、親は「運命・未完成」「四季」「3大バレエ」など6枚だけ予約購入、そのとき買わなかった「悲愴」「幻想」「魔弾の射手」とかの文言に想像を膨らませたものだ。

軽音楽=Light Musicというのはおもにイギリスでの呼び方。前述のような初歩的・親しみやすいクラシックを日本ではホームミュージックとかセミクラシックとか呼んでいた。文化人や富裕な商人などが家族や友人と少人数で演奏して楽しむサロン・ミュージックが発祥だといい、ショパンやドビュッシーもそうした背景から頭角を現したそうである。なので短く、インスト曲でも詩的な題名が付けられ、あるいは長い歌劇から1曲だけピックアップしたり、現代のポピュラー音楽の流通し方を先取りしていた面があるようだ。

1978年のザ・ベストテン開始と共に私のクラシック中心の時代は終りを告げたが、ずっと後、就職して何年目かの頃、部署は別だったが係長のKさんはクラシックが好きとのことで「年を取ってベートーヴェンの弦楽四重奏曲ばかり聞いてる」と。また同じ部署の大卒のIさんが突然「ロバート・クレイ・バンドのCDを持ってたら貸してくれ」というので貸したことがあるが、彼と音楽の話をしたのはそれきり。彼らは普通は誰もが知らないような音楽のことは遠慮して話題にしない。それが勤め人の処世。でも飲みの席ではカラオケがある。誰もが知る曲を歌わされる。

グリール・マーカスがマイケル・ジャクソン全盛期に「ポップ文化では商品は支配はするが統治はしない」と。彼によればポピュラー音楽は客観的市場における主観のゲームであり、主観が否定されると、すなわち「ビートルズのようにバンドを組んで歌いたい」というような双方向性が失われると、変化が何も起こらなくなり、人はバラバラに分断され数字や記号に置き換えられる。マイケルはビートルズと違って商品でしかないと批判したのだ。

カラオケとベストテン。同じころ日本製のウォークマンやオーディオ装置や電子楽器が世界を席巻したが、日本の音楽は逆にみるみるガラパゴス化を強め、奇妙なアイドルや演歌が復権。漫画的な歌詞とキャラがより前面に出、自作系でもB'zや椎名林檎や星野源のように音楽としては凡庸だがキャラ・記号性でファンを囲い込み、一種のコミュニケーション・ツール(仲間だけの排他的な)として棲み分け・既得権化。海外もジャンルが細分化し、ヒットチャート的ないわゆるポップスは形骸化が進んでいるけれども、日本人はクラシックやR&Bのようなキリスト教の基盤を持たないためかより音楽不在・人間不在の商品化が早期に進んだと考えられよう。


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中産階級ハーレム⑯ ─ プロレス

2021-05-11 19:17:44 | 中産階級ハーレム


日本のプロレスの父祖・力道山。日本統治時代の朝鮮半島(現在は北朝鮮になっている地域)に生まれ、15歳で大相撲二所ノ関部屋に入門し戦後に関脇まで昇進するが廃業。1952年にプロレス修行のため渡米し、サーキット中にアメリカ人レスラーを招聘できるプロモーター・ライセンスを取得、帰国後は興行団体の設立や始まったばかりのテレビ放映枠獲得に奔走、自らがエースとなる舞台を整える。日本人はまだ敗戦のショックから立ち直っておらず、力道山が空手チョップで巨漢外人レスラーをなぎ倒す雄姿に熱狂し、街頭テレビは黒山の人だかりとなった。63年に暴力団員の男ともめ事になって腹部を刺され、予後が悪く死去。



プロレスの人気は力道山の死後一時低迷したが、後継者と目されるジャイアント馬場と新団体の引き抜きから復帰したアントニオ猪木の「BI砲」がスター性を発揮し、テレビ中継も日テレに加えNET(現テレビ朝日)が参入し華やかな時代を迎える。共に力道山の弟子であった馬場と猪木はライバル心が強く、テレビ放映契約のゴタゴタや団体幹部の汚職などで2人とも新団体を旗揚げ、馬場の全日本と猪木の新日本による対立・抗争の時代が幕開け。



1960~80年代にブラウン管を彩った外国人レスラーたち。右上から時計回りでフレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、テリー・ファンク、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガンのおもちゃ、ミル・マスカラス、アンドレ・ザ・ジャイアント、アブドーラ・ザ・ブッチャー。俺子どものころからプロレス嫌いだけど名前だけでなく芸風もいがらしみきおさんの漫画やコサキンの投稿とかで何となく知ってるわ。


73年、東京オリンピックで日本柔道の前に立ちはだかったアントン・ヘーシンクが全日本プロレス入り。レスラーとしては大成しなかった。



【左】1976年6月に行われた「世紀の凡戦」、アントニオ猪木がボクシングのスーパースター、モハメッド・アリを迎えた異種格闘技戦は両者の顔をつぶさないためか奇妙なルールのもと締まりのない茶番に。【右】この試合など猪木が社長を務める新日本プロレスを資金・人的な面で支援した「テレ朝の天皇」三浦甲子二(きねじ)。河野一郎・中曽根康弘ら自民党の派閥領袖と親しく、同時にKGBを通じてソ連共産党による裏工作を担った。



前田日明のキックを顔面に受けた長州力は右前頭底骨骨折。翌88年に新日本を解雇された前田はUWF(第2次)旗揚げ。



90年代後半から00年代にかけPRIDEやK-1といった総合格闘技の興行がブームとなり、この2003年K-1のボブ・サップ×曙など大晦日のテレビの呼び物に。

ロンハー有吉被害者の会にて熊田曜子「ロンハーさんなら私をイジるのもプロレスみたいなお約束があって~」
有吉「ちょっと待った。まずプロレスの人に謝ってください」
熊田の弁護士オレ「謝る必要ないです。むかし狂言の和泉元彌がハッスルのメインイベントで米国でも活躍した鈴木健想を相手にデビュー戦勝利、くりぃむ有田さんはその場にいて感動して大泣きしたそうですが、前後を抜きにしてこの試合だけをテレビで見せられたら誰もだまされないです。おおまかな筋書きがあり、スポーツ競技ではない演劇や芸能のジャンルに過ぎません」
熊田「話がなげーよジジイ。わたしも芸能人なのでプロレスの人に謝るわ。弁護士解任します。帰ってください」😝 
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中産階級ハーレム⑮ ─ ネオアコ

2021-05-05 12:06:00 | 中産階級ハーレム
2015年の暮れに『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』というブライアン・ウィルソンの自叙伝的な映画をみて、米国でセールスが振るわなかったビーチ・ボーイズの名盤PET SOUNDSに続き、ヴァン・ダイク・パークスをパートナーに迎え、芸術上の大きな挑戦として制作したSMILEがお蔵入りになってしまったことが、彼の精神状態を深い混迷に導く様子を再確認。

眼鏡をかけ、ひ弱な文学青年風のヴァン・ダイク・パークスは、ツアーを疎んじスタジオにこもって緻密な音楽を作るブライアン・ウィルソンの相手にうってつけだったが、この2人のようなやり方は60年代の音楽業界にとって受け入れられるものではなかった。これが尾を引いて、70~80年代とブライアンの心身が回復し彼のやり方が業界に受け入れられるまで長い時間がかかることに―


【1】Pillows & Prayers
 1982年の暮れにチェリー・レッド・レコードがリリースした、所属アーティストを集めたコンピ盤。素朴でアコースティックな曲が多く、ジャケと併せ「ネオアコ」のイメージを決定付けた。紙ジャケCDとして再発も。

【2】C86
英音楽紙NMEが1986年に企画したインディー音源のコンピレーション・カセット。それまで各インディー・レーベル、レコード店、ライブハウス、ミニコミ誌などで培われた水脈を、C86という名称のもと一挙に集め、インディー・ポップの存在を英国全土に定着させた。

【3】3x20 (colours) UKインディーズ・コレクション1980-1990
新星堂が1990年にリリースした、主に英国のインディー音源を集めた3枚組のボックスセットCD。「赤・青・黄」に分かれ、特に「青」のDisc2にネオアコ系の曲が多い。日本人の企画と思えぬ秀逸な選曲。

【4】Moshi Moshi: Pop International Style
世界中の無名バンドを数多く紹介してきた米マーチ・レコードによる2枚組コンピ盤。わが国で「ネオアコ」と称されるような傾向の音楽が各国に広がっていたことがうかがえる。ジャケ・選曲の異なる日本盤も。

【5】Ave Marina: Ten Years of Marina Records
同じくドイツのマリーナ・レコードによる2枚組コンピ盤。CDではここでしか聞けない曲もいくつか。

【6】Scared to Get Happy: Story of Indie Pop 1980-1989
 チェリー・レッドによる、自社以外の音源も含め重要なアーティストを網羅した5枚組ボックスセットCD。134曲を収めるが、ダウンロード販売版では権利関係のためか全50曲に縮小。


ネオアコ=ネオアコースティックとは日本だけの名称。
しかし確かに各国共通に類は友を呼んでこうした音楽の系統が次第に存在感を増し、百花繚乱の様相を呈するに至ったのである。海外ではindie pop / twee pop / jangle popなどと呼ばれるらしい。
1980年前後のポスト・パンク期、パンクのDIY精神やインディー志向は受け継ぎつつ、その攻撃性や汗臭さとは反対の、清涼感がありやや内向的で、忘れ去られた過去のフォーク・ソウル・ボサノヴァ・映画音楽などの要素を盛り込んだ、平たくいえば「音楽オタク」が作る消費者志向の音楽。

すなわちブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスは早すぎたネオアコだったともいえよう。若者人口の増大と消費社会の爛熟に伴い、業界のしきたりから疎外されてきた音楽オタクのようなタイプも、インディー・レーベルやカセットテープ、ミニコミ/ファンジンといった媒体を得て才能を示すチャンスが訪れた。

イギリスのポストパンク期に花開いたが、若者の保守化と市場の細分化は先進国の同時代現象であり、フランス・メキシコ・スウェーデン・ドイツ、そして特にスペインと日本で活発な動きがみられる。音楽の裾野が拡大し、ジャンルの下にまたジャンルが生まれ全体の層はますます厚くなるかにみえて、ロックやソウルの精神性は過去のものになり、メディア・マーケット・ジャンルに囲い込まれ小さな差異に拘泥する、中心のないグローバル資本主義のなかにポピュラー音楽が拡散し消滅してゆく21世紀の傾向を先取りする動きであったかも分らない─




1) The Monochrome Set / Eine Symphonie des Grauens (1979)
2) The Durutti Column / Sketch for Summer (1980)
3) The Lines / Nerve Pylon (1980)
4) Orange Juice / Blue Boy (1980)


5) Young Marble Giants / Brand-New-Life (1980)
6) Blue Orchids / The Flood (1981)
7) Eyeless in Gaza / No Noise (1981)
8) Josef K / Sorry for Laughing (1981)
9) Television Personalities / I Know Where Syd Barrett Lives (1981)
10) After Dinner / Cymbals at Dawn (1982)
11) Joe Crow / Compulsion (1982)
12) The Gist / Love at First Sight (1982)
13) Haircut 100 / Love Plus One (1982)
14) The Pale Fountains / (There's Always) Something on My Mind (1982)
15) Tracey Thorn / Femme Fatale (1982)
16) Weekend / Nostalgia (1982)
17) The Wild Swans / Revolutionary Spirit (1982)
18) Aztec Camera / Oblivious (1983)
19) Care / Flaming Sword (1983)
20) Cleaners from Venus / Marilyn on a Train (1983)
21) Dolly Mixture / Whistling in the Dark (1983)
22) The Go-Betweens / Cattle and Cane (1983)


23) Golpes Bajos / No mires a los Ojos de la genie (1983)
24) Jane / It's a Fine Day (1983)
25) The Lotus Eaters / The First Picture of You (1983)
26) Ben Watt / Some Things Don't Matter (1983)
27) April Showers / Abandon Ship (1984)
28) Lloyd Cole & the Commotions / Rattlesnakes (1984)
29) Everything but the Girl / Soft Touch (1984)


30) The Hit Parade / Forever (1984)
31) Kikí d'Akí / El futuro (1984)
32) Kirsty MacColl / A New England (1984)
33) Microdisney / Dolly (1984)
34) The Smiths / Heaven Knows I'm Miserable Now (1984)
35) The Apartments / Mr. Somewhere (1985)
36) Ataque de Caspa / Viaje a Egipto (1985)
37) The Colourfield / Thinking of You (1985)
38) The Dream Academy / Life in a Northern Town (1985)



39) Fantastic Something / Melancholy Bay (1985)
40) Jacobites / Hearts Are Like Flowers (1985)
41) Prefab Sprout / Goodbye Lucille #1 (1985)
42) The Wake / Melancholy Man (1985)
43) Felt / All the People I Like Are Those That Are Dead (1986)
44) The Flatmates / I Could Be in Heaven (1986)
45) Gangway / My Girl and Me (1986)
46) Jesse Garon & the Desperadoes / The Rain Fell Down (1986)
47) The Jazz Butcher / Who Loves You Now? (1986)



48) McCarthy / Red Sleeping Beauty (1986)
49) Primal Scream / Velocity Girl (1986)
50) Anthony Adverse / Imperial Violets (1987)
51) Bourgeois Tagg / I Don't Mind at All (1987)
52) The House of Love / Shine On (1987)
53) The Proclaimers / Letter From America (1987)
54) The Sea Urchins / Pristine Christine (1987)
55) Shelleyan Orphan / Epitaph Ivy and Woe (1987)


56) Talulah Gosh / Bringing Up Baby (1987)
57) The Vaselines / Son of a Gun (1987)
58) Danny Wilson / Mary's Prayer (1987)
59) Beat Happening / Indian Summer (1988)
60) Fairground Attraction / Perfect (1988)
61) Friends / Let's Get Away From It All (1988)
62) The Golden Dawn / My Secret World (1988)
63) The La's / There She Goes (1988)
64) The Primitives / Crash (1988)
65) Sandie Shaw / Nothing Less Than Brilliant (1988)
66) Would-Be-Goods / Cecil Beaton's Scrapbook (1988)
67) Another Sunny Day / You Should All Be Murdered (1989)
68) Aventuras de Kirlian / Un dia gris (1989)
69) The Lightning Seeds / Pure (1989)



70) The Sundays / Can't Be Sure (1989)
71) Able Tasmans / Hold Me I (1990)


72) The Chills / Heavenly Pop Hit (1990)
73) The Cry / Alone (1990)
74) Inspiral Carpets / This Is How It Feels (1990)
75) The Trash Can Sinatras / Obscurity Knocks (1990)
76) ZABADAK / 遠い音楽 (1990)
77) Died Pretty / D.C. (1991)
78) The Field Mice / Missing the Moon (1991)
79) The Magnetic Fields / 100,000 Fireflies (1991)
80) Black Tambourine / Throw Aggi Off the Bridge (1992)
81) 22-Pistepirkko / Birdy (1992)
82) The Boo Radleys / Wish I Was Skinny (1993)
83) Stephen Duffy / Natalie (1993)
84) Family / El bello verano (1993)
85) Heavenly / Hearts & Crosses (1993)
86) James / Laid (1993)
87) Northern Picture Library / Catholic Easter Colours (1993)
88) Velocity Girl / Pop Loser (1993)
89) Nav Katze / Wild Horse (1994)
90) The Wannadies / You and Me Song (1994)
91) The Wedding Present / Spangle (1994)



92) Shack / Sgt. Major (1995)
93) The Softies / Hello Rain (1995)
94) Babybird / 45 & Fat (1996)
95) The Beautiful South / Rotterdam (or Anywhere) (1996)
96) The Cardigans / Lovefool (1996)
97) Beth Orton / She Cries Your Name (1996)
98) Rocketship / I Love You Like the Way That I Used to Do (1996)
99) Belle and Sebastian / Lazy Line Painter Jane (1997)
100) Los Fresones Rebeldes / Al amanecer (1997)
101) Future Bible Heroes / Lonely Days (1997)
102) Black Box Recorder / Child Psychology (1998)


103) Komeda / A Simple Formality (1998)
104) Beulah / Emma Blowgun's Last Stand (1999)
105) The Clientele / Reflections After Jane (1999)
106) Tahiti 80 / Heartbeat (1999)
107) La Casa Azul / Chicle cosmos (2000)
108) Autour de Lucie / Je reviens (2000)
109) Håkan Hellström /  En vän med en bil (2000)
110) k.d. lang / Summer Fling (2000)


111) La Buena Vida / Qué nos va a pasar (2001)
112) Anja Garbarek / I Won't Hurt You (2001)
113) Lali Puna / Nin-Com-Pop (2001)
114) The Shins / Sphagnum Esplanade (2001)
115) Antònia Font / Alegria (2002)
116) The Embassy / The Great Indoors People (2002)
117) Entre Rios / Hoy No (2002)



118) Juniper Moon / El resto de mi vida (2002)
119) Spinvis / Voor ik vergeet (2002)
120) The Hidden Cameras / Boys of Melody (2003)
121) The Postal Service / Such Great Heights (2003)
122) The Delgados / Keep On Breathing (2004)
123) Stars / Your Ex-Lover Is Dead (2004)
124) Jens Lekman / The Opposite of Hallelujah (2005)
125) Pernice Brothers / Discover a Lovelier You (2005)



126) Teenage Fanclub / Fallen Leaves (2005)
127) Badly Drawn Boy / Nothing's Gonna Change Your Mind (2006)
128) Camera Obscura / Lloyd, I'm Ready to Be Heartbroken (2006)
129) The Tough Alliance / Silly Crimes (2006)
130) Voxtrot / Mothers, Sisters, Daughters & Wives (2006)
131) M. Ward / Chinese Translation (2006)
132) Au Revoir Simone / Sad Song (2007)
133) The Bird and the Bee / Again & Again (2007)
134) Rilo Kiley / Silver Lining (2007)
135) Robert Wyatt & Bertrand Burgalat / This Summer Night (2007)
136) The Submarines / 1940 (2008)
137) She & Him / Why Do You Let Me Stay Here? (2008)
138) God Help the Girl / Perfection as a Hipster (2009)
139) The Pains of Being Pure at Heart / Young Adult Friction (2009)
140) A Sunny Day in Glasgow / Close Chorus (2009)



141) klaus&kinski / Forma, sentido y realidad (2010)
142) Francois Peglau / One Minute to Midnight Dream (So Sad) (2010)
143) Doble Pletina / Música para cerrar las discotecas (2011)
144) The Garlands / You Never Notice Me (2011)
145) Princess Chelsea / The Cigarette Duet (2011)


146) Carla Morrison / Déjenme llorar (2012)
147) Erlend Øye / La prima estate (2013)
148) Julia Holter / Sea Calls Me Home (2015)
149) Alvvays / In Undertow (2017)
150) The Innocence Mission / On Your Side (2020)

※2016年1月の記事「ネオアコ・プレイリスト」を改題改稿しました。
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