マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

『リトル・ミス・サンシャイン』

2007-02-20 20:33:09 | 映画(映画館)
渋谷・シネクイントにて、ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ハリス監督。
アリゾナ州郊外に住むフーヴァー家は、ちょっぴりエキセントリック。家長リチャード(グレッグ・キニア)は“負けを拒否する”がモットーの自己啓発セミナー講師で、家族にも持説を語る。自分で開発した「9ステップ成功論」出版で勝ち組になる気まんまんだ。
そんな父親に反抗するかのように息子ドウェイン(ポール・ダノ)はニーチェに倣って沈黙を続ける。9歳の娘オリーヴ(アビゲイル・ブレスリン)はビューティー・クイーンになることを夢見、ミスコン出場に備えている。ヘロイン吸引が原因で老人ホームを追い出されたグランパ(アラン・アーキン)は悪癖をやめず、我がままを言い放題。母親シェリル(トニ・コレット)は、てんでバラバラな家族をまとめようと奮闘中だ。
そんなシェリルがゲイの恋人に捨てられて自殺未遂した兄フランク(スティーヴ・カレル)を自宅に引き取った日、オリーヴは「リトル・ミス・サンシャイン」コンテスト決勝への繰上げ出場権を獲得。旅費節約のため、一家そろってぼろっちいミニバスで決戦の地カリフォルニアを目指す旅が始まるのだが…。

「負け組の人生をしゃぶりつくす」ようなんだったらやだなあ、と思って今まで見送ってました。
前半ちょっとぬるいかな?と思ったのだが、最後のミスコンの場面などたいへん素晴らしく、孤独なオラは家族の絆をつくづくうらやましいと…。
無理をしてまでドラマ性をでっちあげようとしない姿勢は『トランスアメリカ』を思い出させますね。
序盤のスティーヴ・カレルの自殺未遂のところでちらっと出てくるのだが、アメリカには国民健康保険に相当するものがなくて、医療を受けられない人がけっこうな数いるのよなぁ。
アフラックとか民間の高額な医療保険に入らなければならない、健康とか病気まで金儲けの道具にされている、過酷な資本主義の国。
なんだか日本もアメリカ化が進んでいて、特に最近景気が回復しつつあるので、そういう時は世の中全体が競争!競争!とせわしなく、勝ち負けの二極化がたいそう際立つ。
正社員は死ぬほどの長時間労働でこき使われ、フリーターは最低時給で満足な生活も送れない。
週刊東洋経済で「過労死は自己管理の問題。労働基準監督署はなくしていい」などと暴言を吐いた奥谷禮子なるクソ女、人材派遣会社の経営者だという、たぶん人肉を食ってでも競争に勝ち残りたいタイプ、人相的にはこの映画のミスコンの主宰者と重なるよ。
アカデミー賞の作品賞に『ドリームガールズ』がノミネートされず、この映画がノミネートされたところを見ると、なんとなくアメリカ人も激しい競争で大きな夢を追いかけるのに疲れてきたんじゃないかな、ファンタジーよりもリアルを重んじるように変わってきている気配が感じられる。
また音楽の大部分を演奏しているDeVotchkaというバンド、アメリカのフォークやカントリーにロシア、ポーランド、ギリシャなどの民俗音楽を組み合わせたらしく、他人事な感じでもなく過度に内省的にもならず、非常によく映画のムードを伝えている。
しかしながら年に1~2本しか映画を見ない人にならば、アメリカ人の総力を挙げた『ドリームガールズ』のほうを奨めたい、『リトル~』はあくまでも良心的で地味な佳品にとどまりますね。

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旧作チラシ再訪 Vol.5

2007-02-12 21:26:06 | 映画(レンタルその他)

『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』DVDにて、アナンド・タッカー監督(1998年)。
音楽好きの母に育てられた優等生の姉ヒラリー(レイチェル・グリフィス)と、おてんばで気の強い妹ジャクリーヌ(エミリー・ワトソン)のデュ・プレ姉妹。二人がまだ幼かった頃、バーリーの音楽コンクールに出たとき、ヒラリーはフルートで優勝したが、ジャクリーヌがチェロで賞を取ると観客は熱狂的になり、ヒラリーは何が起こっているのかわからなくなった。姉妹の間のライバル意識。仲のよかった姉妹はこうして少しずつ異なる人生を送り始める。妹の才能の前には、姉は演奏家になることをあきらめ、平凡な人生を歩むしかなかった。しかし、妹のジャクリーヌにとっては姉が得た平凡な女の幸せこそが手にしたかったものだった。
22歳で天才指揮者、ダニエル・バレンボイム(ジェイムズ・フレイン)と結婚したジャクリーヌ。彼女は激しい結婚生活に心身ともに疲れ果て混乱し、ついに姉の夫とのセックスを要求する。ジャクリーヌにとって大人になっても姉は憧れの人で、姉の持っているものはすべて自分も手にしたかったのだ。それから復帰したジャクリーヌの演奏はさらに輝きを増し、全世界の絶賛を手中にしたと思えたとき突然、極度のストレスが原因のひとつとも言われる難病、多発性硬化症にかかり、ステージを下りなければならない日が訪れた。ジャクリーヌ28歳。それから14年間の闘病生活。そして最期の日、見舞いに来たヒラリーに抱かれてジャクリーヌは少女時代の日々を思い出すのだった…。

ふとしたことから知ったジャクリーヌ・デュ・プレという名前、その人生をたどるうち、どうしてもこの映画を見なければ収まりがつかなくなり、TSUTAYAにないのでDVDを買ってようやく見届けることができた。
遺族が書いた本に基づいた映画化だという、遺族も自分に不都合なことを見せてまでも、彼女の生きた人生のことを伝えたかったに違いない。
あまりにも痛ましい、重苦しい、しかし彼女は本当の人生を生きた、苦しいことだらけの人生を精一杯生き抜いた…
精神的にいつまでも子供のままで、すべてを姉に依存してしまっていたジャクリーヌ、思い通りにことが運ばないと「ブルルル!」と妙な顔で駄々をこねる姿、ひょっとして『嫌われ松子』のひょっとこ顔の演出のヒントになったのでしょうか。
大好きな曲がキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」だったという挿話が2度にわたって述べられるのだが、根本的にロック体質の女性だったみたい、近くはない過去に他人の作曲した曲をどう解釈し、どう再現するかということのみが問われる(なおかつ超人的な技術で)クラシック音楽の世界が彼女に似つかわしかったのかどうか。
いや知ったかぶりに語るまい、ただこの映画化によって後世の人も彼女の人生を、足りない部分は想像力で補い、語り継ぐことができるだろう。
演劇・演奏というライブ文化は「演者>客>その場に参加できなかった者」という力関係がはっきり表れてしまうことによって、映画などコピー文化に対して劣位に立っていると言えるのではないだろうか。
逆にそうしたことの特権性に頼らないようなライブ文化があるとしたら、ぜひお目にかかってみたいものだ。

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『ドリームガールズ』

2007-02-05 23:42:58 | 映画(映画館)
Dreamgirls@有楽町・朝日ホール、ビル・コンドン監督(2006年アメリカ)
仲の良い3人の黒人女性が組んだコーラス・グループ“ドリーメッツ”。
敏腕だが手段を選ぶほうではないマネージャー、カーティス(ジェイミー・フォックス)は男性R&Bシンガー、ジェイムズ“サンダー”アーリー(エディ・マーフィー)のバックとして彼女たちを起用し、やがて客受けや時代の趨勢を見越して、中央で歌うシンガーを歌唱力抜群だが容姿の劣るエフィ(ジェニファー・ハドソン)から美人のディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)に交代させて「ザ・ドリームス」としてレコード・デビューさせる。
ジェイムズが落ちぶれていくのと対照的に、ドリームスはポップな曲で全米を席巻する大スターの座をつかむのだが、リード・シンガーの座も恋愛も持っていくディーナに対してエフィの気持ちの面白いはずはなかった…。

アメリカ人は実在のミュージシャンに題材を採った映画では、まずしくじらないですね、それだけのショービジネスの厚みがある。
その昔1980年、ロックンロール25周年ということでNHK-FMで5日間の特集番組が組まれた中で、54年の「Sh-Boom」という曲が黒人グループによるオリジナルと白人グループによるカバー・バージョンと二通り流されたのだが、今になってようやく実感をもって伝わった。
後の時代に聴くと白人グループのほうは音楽としてまったく無価値、アホみたいなカバーなのだが、当時は黒人バージョンの何倍も売れたという。
「軽い」んですよ、しょせん差別する側の白人が、差別される側の黒人の心の叫びみたいな切実で重たいものを娯楽として求めるわけがない。
この映画の前半、白人の支配する音楽マーケットで成功するためにビヨンセ演じるディーナがリード・シンガーになる、その時代背景が非常に丁寧に描かれている。
ビヨンセの軽みのある歌いぶりはびっくりするほどダイアナ・ロスに生き写し、中でも後半、グループを辞めていったエフィのために書かれた「One Night Only」をカーティスが奪い取ってディーナにポップな編曲で歌わせるくだり。
現実にはそこまで極端なエピソードはなかったのかもしれないが、確かに1967年の途中で1人メンバーが交代し、「ダイアナ・ロス&」ザ・スプリームスとなっている、日本で言えば突然「伊藤蘭&ザ・キャンディーズ」になるようなものかも。
サントラ盤で聴いていたときは、60年代のオリジナル曲でもなく現在のヒットチャートで競える曲でもなく、どっちつかずな気がしたのだが、映画の流れで見せられ聞かされると、すごい曲が並んでいるのにも驚く。
しかし、しかしですよ、見終わってズーンとした重いものは残らなかった…ブロードウェイのミュージカル舞台を映画化したという、そうした特質上、どうしても「絵空事・夢まぼろし」になってしまう感はぬぐえなかった…。

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