澤村修治/日本マンガ全史/平凡社新書2020
ハライチのラジオを聞いていて岩井さんのトークの「狭さ」がだんだん気になるように。とくに違和感を覚えたのは彼が出先で知り合った居酒屋店員の家を訪ねることになり、自分が有名人であることを意識した「写真を撮ってもいいですよ」の言葉によって気まずくなったという、それ自体はどうってことないが、またラジオで話すのはどんなもんかと。彼はゲームやラノベに詳しく、芸人としては相方の先行を許していたがゴッドタンで「腐りキャラ」が開花し歌にCMにエッセイ本にと活躍。メディア上のキャラありき。わが国の漫画もまた、昭和期に激増した漫画雑誌の主導により若い作家を競わせ使いつぶしながら膨大な商業作品を供給してきた。本書の総花的・広告的な、歴史のうねりを感じさせない記述がそれを示す。書棚に置くに値しない。
新潮美術文庫33/ルソー/1975
絵の好きな亡母から「ルソーは日曜画家だった」と聞いた。小6のとき亡父が買ってきた『展覧会の絵』のレコードはジャケがルソーだった。そしてこのたびおてんばベッキーさんの『大人の見る絵本』表紙でも使われ、折々存在感を示してきたので手頃な画集を持っておこうと。彼は兵役ののち税関の官吏となって余暇には絵筆も持ち始めるが画家として本格的に活躍するのは49歳で退職してから。「1センチ四方ずつ描く」とされる入念さ、絵に描いた熱帯の花の「匂いが強くて窓を開けた」という対象へののめり込み、人物画でも必ず濃密な背景を描いたことなど、独特な作風は人格と一致した一代限りの「ルソーというジャンル」だったのでしょう。
川崎長太郎/老残・死に近く/講談社文芸文庫2013
「先のみえた年寄りと貧乏所帯はって共々くすぶっていきたがる酔狂な三十後家など三千世界を探しても滅多に出遭う訳はない。文学少女の娘時代を過ごしたP子では、書くことも種切れとなり空しく立往生しているかのようなKが、もう一度息吹き返した如く立ち直り、ひと花もふた花も咲かせてほしいという願望が—」。61歳で30歳下の未亡人と結婚。本人は初婚。貯金や新居のこと、性生活、脳出血や白内障の闘病など赤裸々に描かれるが自意識の嫌らしさは感じない。実際仕事も舞い込みだし83歳まで老残とはとてもいえぬ充実期を生き切った粋人。
フリート横田/東京ヤミ市酒場 飲んで・歩いて・聴いてきた/京阪神エルマガジン社2017
山手線から郊外へ延びるターミナル駅で戦争末期~敗戦直後に発達したヤミ市はやがて一般飲食店の営業が禁止された時期に狭く薄暗い路地に飲み屋が連なる独特の姿に変わっていった。私が就職して最初に配属された大森・馬込地区には「地獄谷」と呼ばれる路地があったが、本書によれば大森駅から1キロ以上と東京のヤミ市でも最長の露店街がそのルーツであるとか。各所のそれらは形を変えつつ営業を続けてきたものの近年の再開発でいよいよ風前の灯。それを惜しむ著者が東京・神奈川・千葉のヤミ市をルーツとする13ヵ所の飲み屋街で関係者に過去のいきさつやエピソードを聞いて回った労作。イラストや年表もイイ味。
岩瀬彰/「月給100円サラリーマン」の時代/ちくま文庫2017・原著2006
森友で名を売った?菅野完氏が「日本文化が最も洗練されて豊かだったのは昭和10年までと昭和49~59年(1974~84)」と。本書はさまざまな文献を引き、昭和戦前期の貨幣価値をいまのおよそ2000倍(100円=現在の20万円)と規定し、おもに都市部の勤め人と家族の暮らしぶりだけでなく、世相や価値観をも描き出そうと試みる。当時は農業国であり、税金・社会保障や教育制度もまったく違うものの、大学など上級学校を出れば就職に困らなかった大正までと変って、デフレ不況に伴う就職難、逆に就職できた者が保身に走り格差問題など社会に目を向けなくなる様子は現代に相通じる。デフレで物が安いので勤め人は(農村とまったく違い)生活が楽=「プチブルの本能的卑怯」は小林多喜二が拷問で殺されるなど左翼運動が厳しく弾圧されたことによる面も。昭和7年からは景気も回復に向かい、勤め人はますますおとなしく、軍部・政府は戦争の拡大を進めることに。
吉川ばんび/年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声/扶桑社新書2020
役人企業しか職歴のない世間知らずの私にとってナニワ金融道に描かれる中小零細企業のしたたかな人びとには学ぶところが多かった。いっぽうおよそ10年後に描かれた闇金ウシジマくんではより「貧困の連鎖」と人間疎外の問題が扱われ切実感が増していた。前者の人物のたくましさに比べ、後者の人物に漂う虚無的な刹那の感覚(とくに楽園編の中田とG10。2人とも死ぬ)。本書に登場する事例はさまざまで、妻に比べてウダツの上がらないコンプレックスから煽り運転を繰り返す中年男など少し主旨がズレるのではとも思うが、貧しい生い立ちからジャーナリストとなった著者が取材に歩いた「いまを生きる感覚」は十分伝わった。今後の著者に期待したい。
関曠野/なぜヨーロッパで資本主義が生まれたか/NTT出版2016
ヨーロッパ文明は他の文明を見下し、破壊と略奪の限りを尽くしてきた。著者はその根底に「ローマ帝国のキリスト教国教化とそれを終わらせた宗教戦争(宗教改革)」があるとし、キリスト教の原罪論が「罪の経済」として罪を償うために勤勉に働き富を蓄える、無限成長を追い求める現今の病的な資本主義とグローバリズムをもたらしたと説く。ところが同時にわが国が欧米列強の尻馬に乗って侵略を行い、その体制を戦後はアメリカに従属して高度成長に転化させた歴史を「薩長のクーデター政権」「自虐史観」という言葉で「いきあたりばったりで仕方なかった」的に軽視しヨーロッパ文明との切断処理・美化を図る。そんな短絡ぶりなので、コロナ禍を経てむしろ重症化するとみられるグローバリズムを「終焉を視野に」などとぶち上げてしまえるのだろう。
白土三平自選短編集 忍者マンガの世界/平凡社2020
本書は60年代、劇画の元祖ともいわれる白土さんが貸本誌や少年誌に発表した、影の存在である忍者が活躍する作品を集成。やまゆり園事件の後で「変身」を読むのはとてもつらい。サスケの示現斎、ワタリのゼロの忍者(催眠術を利用)など彼の漫画は人を利用して殺人や支配のため使い捨てにするさまが繰り返し描かれる。ゲーム性・キャラクター性が強く、子どもの私には麻薬のように面白かった。話変るが2年ほど前、第二次大戦の各国の死者を棺の数で表し、後になるほど犠牲者が増えて中国とソ連で締めくくる動画がツイッターなどで話題に。共産主義も結局はキリスト教や資本主義の一変種に過ぎず、人を収集分類して使い回しながら権力が腐敗しのさばる。彼の漫画は後になるほど図式的な唯物史観が表れるためすっかり過去の人になってしまったが、この時期に描かれる忍者や農民の姿には無名の民の生きる執念のような迫力を感じます。
リード・ホフマン/ブリッツスケーリング 苦難を乗り越え、圧倒的な成果を出す武器を共有しよう/日経BP2020・原著2018
どこかのツイッタラー「ウーバーイーツっていうからオシャレ感に騙されてしまうんじゃないのか。日雇い出前持ちって呼べ」。いまや国家レベルの影響力を持つグーグルやアマゾンだけでなく、ウーバーやエアビーアンドビーなど近年急成長したスタートアップ企業は口コミによるバイラル(ウイルスのように広まる)効果を最大限利用し勝者総取りを狙う。ペイパル創業メンバーの一人でリンクトイン(専門家の人材SNS)創業者である著者ホフマンのブリッツスケーリングもドイツ軍の「電撃戦」から取った造語で、要は急変化と不確実性が安定にとって代わるからスピードとイメージ重視でギャンブルに参加しなさいと勝ち組の座から呼びかけるゴミ本。
リチャード・ベッセル/ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い/中公新書2015・原著2004
第一次大戦の結果法外な賠償金を課されたことがナチの政権奪取につながったとはよく指摘されるところである。そして「われわれは勇敢に戦ったが(ユダヤ人によって)背後から一突きされた」との陰謀論。国民の被害者意識を煽る巧みな宣伝。宣伝相ゲッベルスはユダヤ人が多く住む街を訪れ「彼らは人間ではない、動物だ。人道措置でなく外科手術を施す必要がある。切断しなければヨーロッパはユダヤの病で滅ぶ」。ヒトラーが思い描いた権力は純粋な人種の栄光のため永久戦争を続ける、そのためあらゆる手段を取るようなもの。戦争後のビジョンはなく、ドイツの損失の多くは最後の4ヵ月に集中し、近代史上初の首都制圧による降伏と、死なばもろともの誇大妄想に巻き込まれた形。いままたコロナの混乱に乗じ、炎上上等で焼け太りを狙うポピュリスト政治家・独裁政治家やベゾス・マスク・ザッカーバーグらによる「人種戦争=収集選別の永久資本主義」が火ぶたを切ろうと—