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旧作探訪#90 『生きる』

2010-04-04 22:09:05 | 映画(映画館)
@有楽町TOHOシネマズ・シャンテ(黒澤明生誕100周年記念)、黒澤明監督(1952年・日本)
市役所の市民課長を務める渡辺(志村喬)は、早くに妻を失ってから男手で育ててきた一人息子も嫁をもらい、判で捺したような変わらぬ日々を過ごしていたが、胃の不調を覚えて受診したところ、医師からは軽い胃潰瘍です、と告げられたものの、待合室に居合わせた男の言葉から自分が余命いくばくもない胃癌であることを確信する。
むなしさを感じた彼は、残る日々をどうにか楽しく生きられないものかと、無遅刻無欠勤が誇りだった勤務をサボって遊びほうけてみたりするが、心の空白を埋めようもなかった。しかし、彼の遊びに付き合ってくれた若い女性の部下(小田切みき)が役所を辞めて工場へ移ったのを訪ねていって、彼女から聞かされた「なにかを作る楽しみ」という言葉に心を動かされ、かつて市役所に主婦たちが危険な暗渠を公園に整備してほしいとの陳情に訪れて、たらい回しされて怒って帰ってしまったことに思い当たったのだった。
やがて渡辺は死に、葬儀の様子が写し出される。どうやら公園は異例の突貫工事で彼の死までに完成したようだ。参列した家族や同僚が話し合ううち、渡辺が鬼気迫る様子で公園の実現のために捧げた最期の日々が明らかとなる…。



どうにか公園建設を実現しなければならないが《役所には縄張りがある》ため、渡辺があちこちで平身低頭してかけ合い、無視されようが追い返されようが、《わたしには人を憎んだりしている暇はないのだ》─。
胸に響く言葉である。しかし、幸い無職で独身で健康なオラには時間だけは腐るほどあるので、今日も今日とて人の悪口で始まることをお許しくだぱい。
このほど「冬のマーケットの1000曲」の入れ替えをあれこれと思案中で、過去2回よりも大幅に、30曲から50曲くらいは入れ替えようかと。わが国の音楽はバッサリ落とされることになりそうだが、洋楽でもいくつか落ちる候補の曲があって、その一つにデビッド・フォスターが初期に組んでいたスカイラーク(Skylark)というグループの唯一のヒット曲「ワイルドフラワー(Wildflower)」も。
きのう夕方、居酒屋で独り飲んでいると、どこかのFMラジオがかかっていて上田正樹っていう汚やじR&B歌手がゲストに招かれており、彼ののたまうに、アジアとアフリカには膨大な人口があり、これからはそうしたところから影響力のある音楽が出てくるはずだ、それをユナイトすることに尽力して…うんぬん。
そして、彼の音楽が流れた。「悲しい色やね」のニュー・アレンジ。その曲は、盗作とまでは断じられないが、林哲司なる作曲家が先の洋楽「ワイルドフラワー」から半分くらいパクってでっちあげたものなのだ。ご興味ある方は、YouTubeなどでお聞き比べあれ。
いかがでしょう。上田正樹がわれわれから認知されて、ずっと後半生までマスコミに出られるようになった、その唯一のヒット曲が、欧米白人の音楽からのパクリ。それなのに、アジア・アフリカがどうたらほざくだなんて、ほんとう、卑屈でみにくいジャップそのもの。
マスコミに出ているやつなんて、ほとんどがその類いだけどね。人前に出られる特権、人の上に立って言葉を発するだけとかの楽ちんな役目を得ると、それを死守。《民主主義が聞いてあきれる!!》。そう言いたくもなる、市役所を陳情に訪れて、たらい回しされて相手にされない市民も。おんなしなのだ、マスコミの姿と、この映画に描かれる公務員の姿は。
黒澤映画の例にならって、役所の職員たちは戯画化・キャラクター化されてはいる。でも、オラも半官半民の会社に20年ほど在籍=うち終わりのほうで2年6ヵ月ほど病気休職=したんだけど、実際も、こんな感じなんだよ。終身雇用で、職務を守ることに特化してしまうと、人間なんてのは。
マンガの登場人物みたいに軽くて奥行きのない存在と化す。「役」人とは、よく言ったものだ。役目に殉じて、生きながらにして、死んだも同然。渡辺課長のあだ名は「ミイラ」。映画館が笑いに包まれる。
『生きる』の映画は、今も生きているのだ。われわれの中にも、ほかのどこの国にも。人生いかに生くべきか、のような深遠なテーマを、誰にもわかりやすく、共感できるように描ききる。そのテーマは《人権・平等・民主主義》などとも容易につながっていきうるため、小難しげなアート系の映画でなくて、誰にも開かれた娯楽映画であることは重要だ。と同時に、娯楽映画の作劇では志村喬の主人公は完璧かもわからないが、そうでなくて、主人公が余命いくらもないことに気づかなかったとしたら、気づいたとしても課長でさえなくて役所中に働きかける手だてもないとしたら、♪命短し恋せよドブス、だとしたら─というようなリアリズム的な見地からすると、主人公にひらめきを与えるが葬儀にもやって来ない、役所を辞めて工場で働く女性こそ、隠れた真の主人公とも呼ぶことができましょう。


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