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5時から7時までのクレオ

2021-07-13 17:11:56 | 映画(映画館)
Cléo de 5 à 7@早稲田松竹/監督・脚本:アニエス・ヴァルダ/音楽:ミシェル・ルグラン/出演:コリーヌ・マルシャン、アントワーヌ・ブルセイエ/1962年フランス

クレオは歌う。クレオは彷徨う。クレオは出会う。クレオは──。

シャンソン歌手クレオは占い師を前に、自分ががんかもしれないという不安と恐怖から大粒の涙を流していた。時刻は5時。今日の7時には精密検査の結果がわかる。不安を抱えたままパリの街にくり出す彼女だが、カフェでさんざめいても誰も心配はしてくれないし、久しぶりに会った恋人もまともに取り合ってくれない。挙句に、音楽家のボブが持ってきた曲を歌ったら絶望的な気分に。一人黒い服を身に纏い街をさまようクレオ。誰も自分の真の不安を理解はしてくれない。あてもなく公園に入ると、軍服姿の一人の男が話しかけてきて…。

左岸派と呼ばれるヌーヴェルヴァーグ映画運動から頭角を現した女性監督アニエス・ヴァルダが主人公の夕方5~7時をリアルタイムで描くことで若い女の実存的な不安を表現した野心的な作品。



奴隷の社交辞令。いやいやそもそも人に上下はないですが、いまの資本主義が「貴族と農奴」みたいな形態に先祖帰りし、低い身分でいいからどこかにぶら下がっていたいっていう人びとを大量に生み出してしまうことに。スマホゲーのガチャ・宝くじ・主婦の井戸端会議・推し・ラノベ・ツイッター…

人は他人・社会とつながらなければ生きてゆけない。それは男女とも同じだが女は妊娠・授乳期の不利などから育つにつれより強い社会性を示す。OLや主婦は依存・従属的な弱い立場ゆえか細かな情報を気にして収集。人を値踏みする傾向があり、ひどいときには徒党を組んで排除したり。女のオタク、いわゆる腐女子の要望のため、ピクシブ系のサービスで「違うオタクジャンルからは自分の名前が検索できないようにする」機能があるそうだ。より大きな外部からは同じようなものにみえても、彼らにとって仲間とつながって自分を守る大事なコミュニケーション・ツール。逆にキャバクラ・風俗嬢などはどんな客でも笑顔で受け入れねばならない。政治家の集金パーティーなどもたくさんの人と談笑するがうわべだけ。一人一人の会話をいちいち覚えていない。友人知人が少なく、人と接する機会に乏しいと小さなことまでよく覚えている。ところが社交辞令を真に受けたりするそういう者も酒を飲んだりツイッターでは多弁になって人格が変る。つながりを求め、自分をアピールする人の本能が、人をコミュニケーションの媒体や話題に縛りつけ、時間を換金する資本主義を下支えしている。



占い・車の運転・おしゃれな靴を買う・彫刻のヌードモデルの友人。ヌーヴェルヴァーグ映画の中でも徹頭徹尾女の視点で撮られていると聞いて見てみたのだが、それは悪い意味でそうなのだった。他人の視線や評価、会話、都市の雑踏から離れることがない。気分は相対的にコロコロ変る。主人公は新進の歌手との設定で、実際に歌手志望の女を抜擢したという。アイドル。歌もコントもそれだけでは世に出られるような芸でない。なので映画界にはハーヴェイ・ワインスタイン、ポランスキー、ラースフォントリアー、キムギドク、同じような悪い男が引きも切らない。ああ、日本はそれの世界記録か(ジャニーズ・秋元康)。

白黒の映像がきれいな、おしゃれに作られた映画。それだけのこと。うわべの社交。都市・消費・恋愛を持ち上げ、女の監督や関係者がチヤホヤされればよくて、人を弱い立場に縛り付けてしまうことなど眼中にない、いにしえの広告映画。
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