山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

試し旅をして来ました (その3)

2021-06-17 01:45:53 | くるま旅くらしの話

さて、今日(6/10)と明日(6/11)は、この道の駅から吾妻川の上流に位置する八ッ場ダムまで往復したという話です。

時の記念日が6月10日の今日だったのに気がつきました。時などといってもどうってことない話なのですが、傘寿のこの年頃になると、時というのはやたらにスピードが速くなっていて、何だかあの世へ行くのを急かせている感じがするのです。だから、時に乗っかって、今のこの現在を大事に生きることが肝要なのだと思っています。この試し旅もその一つなのです。

さて、今日は吾妻峡というのをじっくり歩いてみたいと思い、9時過ぎ出発しました。ところが案内板に従って渓流脇の森の入口まで来ると、何と「熊出没注意」という看板が出ていたので驚きました。北海道ではこの看板は、出没した実績のある場所に掲出されているので、この地もそうなのかと心配になりました。ここは北海道ではないので、熊はヒグマではなくツキノワグマなのだと思うけど、あれは小型なので、杖を持っていれば追い払えるのではないかと、急ぎ車に戻り持参している2本の杖を使うことにしました。この頃は上半身と腕の強化のために、いわゆるノルディックウオーキング用の特別な杖を自分で作って活用しています。この杖は一本は東北の山中で見つけたクロモジの固い木で作ってあり、もう一本は樫の枝で作った軽いものなのです。熊と対峙するときはクロモジの方が力になるに違いないと思いました。しかし、その後熊の気配は全く無く、猿だけが時々姿を見せていただけでした。

渓流は遊歩道のかなり下の方を奔っており、木が覆っているので、密集している葉の隙間から、時折白濁の流れが見えるだけでした。10分ほど歩くと、駐車場があり、そこの案内板に八ッ場ダムまで2kmと少しと書かれていたので、意外に近いのに驚くと共にならば行ってみようと思いました。猿橋というのを渡り、少し歩くと若葉台という渓流の展望箇所がありました。しかし緑陰に覆われて殆ど展望は利かなかったのが残念。更に上流に向かって歩くと、鹿飛橋というのがあり、これは渓流を鹿が飛び越えて向こうへ渡れるほど、渓流が狭く細くなって迫っている箇所ということらしくて、そこに朱色の橋が架かっていました。それをはるか下に見下ろしながら少し行くと紅葉台という展望箇所ありました。カエデや紅葉の大木があって、秋には紅葉の名所となるらしいです。先ほどの若葉台からこの紅葉台までの間は、八丁暗がりと呼ばれる、吾妻峡の中でも一番の名所なのだと説明板に書かれていました。確かに多くの大木に覆われていて、昼尚暗しの道でした。途中に今は廃線となったJR鉄道に、かつて日本一短いトンネルとして名高かった樽沢トンネルというのを右上方に垣間見ることができました。こんな山の中をJRが走っていたのかと、驚きました。

紅葉台からは八ッ場ダムまであと200m程だという案内板を見て、何だか早く着き過ぎて物足りないなと思いました。100mほど歩くと、前方に八ッ場ダムの巨大なコンクリートの白い壁面が見えてきました。下から見上げるダムは圧倒されるほど巨大です。ここでは水力発電も行われているらしく、発電を済ませた大量の水が、勢いよく轟音を立てて噴出していました。今はこの噴出された水が吾妻川の源流となって下方に流れているようです。その噴出する水の方へ行くのに朱色の鉄橋が架かっており、そちらの方へ行って水の凄まじいエネルギーの発散される様をしばらく眺めました。上方へ行くには100m以上の高さがあるようで、ダムの両端に九十九折りの階段が作られていましたが、上るのは禁止されていたので、諦めることにしました。

戻ることにして、来た道を引き返しました。途中、紅葉台の下方に右岸に渡る橋があり、ハイキングコースが作られているようなので、そこを行くことにしまた。急な階段を下りて橋を渡ると、上り下りの多い山道となっていました。このような道を歩くときは、2本杖歩行は有利です。杖を操りながら、30分ほど歩きを楽しんでいると、鹿飛橋に出ました。それを渡って再び左岸に戻り、猿橋を渡って、緑陰の道を少し歩いて道の駅に戻りました。

翌日も同じコースを八ッ場ダムまで往復する。二度目なので、何とも言えない安心感があります。今日はより吾妻峡の景観を味わおうと決め、ゆっくりと歩きました。昨日は杖を二本使っていたのですが、今日はクロモジの方だけを持参しました。途中吾妻峡と書かれた掲示板があり、その傍にこの地を訪れた若山牧水が詠んだ歌が書かれていたので念のためカメラに収めました。歌詠みの人は旅と強く関わっているんだなと思いっました。以前九州の高千穂峡に行った時、高千穂神社の裏の道を下方から登ったことがあり、その際に目前に突然山頭火の句が書かれた板が現れて驚いたのを思いだしました。皆普通の人ではないのだなと思いました。皆旅人なのです。

今日が昨日と違ったのは、八ッ場ダムまで行ったら、昨日は閉まっていて気付かなかった、上部に上るエレベーター乗り場の入口が開いていて見えたので、行ってみることにしました。今日は土曜日なので、来訪者が多いのを考慮して運行してくれたようで、ありがたいことです。直ぐに最上部に着いて、外に出ると、ダム湖の大きな景観が展望できました。水量は半分以下の様で、岸辺は崖がむき出しになっていました。上部の通路を2往復して左右の景観を楽しみました。湖の反対側はダムの壁を見下ろす景観で、高所恐怖症の自分にはちょっと覗くだけの世界でした。ダムについての紹介資料のある筈の施設は、コロナの所為なのか閉館となっていました。残念。

八ッ場ダムは、一時建設中止の話題があった場所ではなかったかと思います。確か政権が変わった時に、見直しが行われて、全国で幾つかのダムの建設が中止となったことを記憶しています。以前、九州を旅した時、熊本県の五木村を訪れたことがあり、道脇にダム建設までの経緯を示す村人たちの思いが記されてた碑が建っていたのを思い出しました。ダム湖の上部へ転居した集落が出来上がっていたのに、ダムの建設が中止となり、その時の村人たちの心情は如何ばかりのものだったかと、政治のいい加減さに怒りを覚えたのでした。この八ッ場ダムは、そうならなかっただけ幸運だったのではないかと思いました。五木の人たちは、下流の洪水を防ぐためにと村の歴史を犠牲にしてダム建設に協力したのに、結局ダムは建設されなかったのです。先年は人吉や八代など球磨川流域が大水害に見舞われています。ダム建設の中止を決めた政治家共は、一体どう責任をとるのでしょうか。ま、むやみに過去の話を意気込んで思いだす必要もないのですが、政治家は国を誤らせぬよう、もっともっと見識を高めてもらいたいと思うのです。

何枚か写真を撮っているので、折角だから紹介したいと思います。

下から見上げた八ン場ダムの景観。高さは100m以上あるように思いましたが、さて実際は?

エレベーターで上って外に出ると、湖の景観が広がっていた。

ダム湖の水量はどれくらいになるのだろうか。今は梅雨前であり、半分にも至っていない感じがした。

ダムの下方では、発電を終えた水がものすごい勢いで噴出して吾妻川に流れていた。

紅葉台近くにあった牧水の歌の紹介板。秋の頃この地を訪れたのであろうか。

標準的な吾妻峡の景観。今の季節は鮮緑が中心の世界だ。

 

 

 

 

 

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