山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

信州小さな秋旅の記録<第4回>

2020-12-01 00:21:09 | くるま旅くらしの話

2年ぶりに旅に出かけました。旅と言ってもたった4日間の小さなものです。長いこと休んでいたため、旅の感覚が大きく鈍っているのを実感しました。6回に分けて久しぶりの旅の所感を報告させて頂こうと思います。

第3日(11/16〔月〕)

道の駅:アルプス安曇野ほりがねの里→(県道・R19・R254・県道とんだ山道)→道の駅:マルメロの駅ながと→(R254)→道の駅:女神の里たてしな→(R254・県道)→道の駅:オアシスなんもく(泊)

安曇野の道の駅の一夜もかなり冷え込んで、朝6時過ぎ外を見ると枯れ草の上にうっすらと白い霜が着いていた。日が昇って明るくなり出したので、付近の散策に出かけることにした。先ずは道の駅の構内をぐるりと一回りした。反対側の駐車場の方に何台かの旅の車らしいのが泊っていた。その後、近くの畑の脇の道を山の方に向かって歩き始める。この地では北アルプスの常念岳の景観が一番愛されているようだ。手前の山は紅葉に染まり、その向こうに常念岳の大きな山容が見えた。その手前の有明山もいつものようにすっきりとした姿を見せていた。しばらく歩くと神社の森に出くわした。そこを通りぬけ、庭先の赤い柿の実が朝日に輝く農家の脇道を通って、山側の方へ歩いてみることにした。道端のススキの株の幾つかが白い穂をなびかせて、如何にも秋の風情を感じさせた。登校の子供たちが歓声を挙げながら元気よく走り回っていた。そうか、今日は月曜で登校日なのだなと気づき、小学校1年生の孫の顔が浮かんだ。

その後も付近をぶらぶらと散策しながら1時間ほどさ迷い、8時少し前に車に戻る。カミさんは勿論寝床の中。体調を崩されたりすると困るので、決して起こしたりはしない。

さて、今日はどうするか。今回の旅ではついでに行っておきたい場所が一つあって、それは群馬県の南牧村という所なのである。コンニャクとネギで有名な下仁田から少し山の方へ行った場所である。何時だったかTVで新しい道の駅が出来て、過疎の村に少し元気が出たというようなことが放映されていた。又この村には幾つかの限界集落があり、その状況が放映されているのを見たことがあり、一度どのような場所なのかを見てみたいと思っていた。それで、今日はそこへ行って泊ることにしようと考えている。カミさんには行程メモを渡しただけで、自分の思いなどは伝えていない。あまり過疎の話をしたりすると逆効果となり兼ねないので、そっと行ってしまえばいいだけなのだと思っている。南牧村へ行くには、ここからだとR254を道なりに辿ってゆき、下仁田から県道に入れば直ぐに到着出来る筈だと読んでいる。R254には途中に何箇所か道の駅もあるので、久しぶりに各所に寄りながら浅間や佐久平の景観を眺め味わいたいと思っている。

遅い朝食の後は、8時半に構内の売店が開店となるので、そこへ向かう。既に行列が出来ていた。コロナ禍で密を避けるために間隔を置いての並びの最後尾につける。中に入り、今日の目当ては新鮮な朝採りのセロリの大株である。それらの山の中から3株を籠の中に入れた。これで、しばらく野菜摂取不足の問題は解決するだろう。その他近くの農家のお母さん方手づくりのおかずなども売られており、何種類かを手に入れた。その選択はカミさんの仕事。10時までに準備を完了させて、10時過ぎ出発。一応ナビにはR254経由で、最初の道の駅:マルメロの駅ながとを目ざすよう設定した。

ということで、無事出発し、安曇野IC脇を通って犀川に架かる橋を渡り、R19に出て長野方面へ向かう途中からR254に入る。いつものコースである。そのまま道なりに進めば良かった筈なのだが、何と途中でナビが突然変なガイドを開始し始めたのだ。上田の方向ではなく、交差点の信号を山の方に向かう道をガイドしたので、何か変だなとは思いつつ道脇の道路標示板を見たら、確かにR254とあったので、一応信用することにしてそのままガイドに従うことにしたのだった。

ところが、これがとんでもないガイドで、道はいつものR254のイメージとは全く異なる、曲がった山道をガイドし始めたのだ。全山紅葉を見たいと何度も口走っていたので、ナビがその意を勝手に斟酌して、紅葉の山道をガイドしてくれたのかなどと最初は冗談を言いながら行ったのだが、道は次第に細くなってカーブが増し、厳しさを増して来て、紅葉どころの話ではなくなってきた。1時間ほどそのまま進んでいると、何と美ヶ原とか王が頭などという案内板が現れ出したではないか。これは一体どこへ行こうとしているのか。それらは夏以外は決して行くことのない場所なのだ。行く先を長和町の道の駅としていたので、もしかしたら和田峠の方へガイドしているのかなと思ったのだが、どうもそれにしては変なのだ。やがて道が別れているので、左の方へ行くと、何やらカーブの番号表示があり、それを見ると350番台となっていた。山を降りるのにはこの道しか無いのではないかと思って選んだのだが、これから300箇所以上もカーブをこなさなければならないのかと思うとうんざりした。今更引き返すわけにもゆかないので、しかたがない。そのまま坂を下ることにした。それから1時間以上かかってようやくカーブの番号が一ケタになり、どこか知らぬ集落に出た。燃料も少なくなって来ているので、早々に道の駅まで着いて貰わないと困るのである。ようやく国道らしき道に出て、間もなく道の駅の案内板が目に入った。やれやれである。本来なら1時間前にはここに来ている筈なのに、何というガイドをするナビなのだ!腹が立つというよりもナビに翻弄された自分に、何だか呆れかえってしまって、力が抜けるのを感じた。山道近郊のエリアでは、今後は二度とナビに頼るのを避けなければならないと固く思った。何年か前まではナビなし主義でやって来たのであり、全国何処へ行くにも地図を主体に事前に調べ尽くすほど眺めて旅をするように取り組んでいたのだが、周囲の人たちが当たり前のようにナビを取りつけ、それらを見ている内に時代に取り残されてはなるまいと思うようになり、とうとうナビを取りつけたのだが、このようなトンチンカンな目に何度か合っている。その中でも今回ほど酷い目にあったのは初めてだった。ナビの設定の仕方が間違っていたのでは?というのがカミさんの指摘だが、今回に限っては間違っているとは思えない。間違っているのは明らかにナビの動作の方なのだ。

さてさて、どうにか道の駅:マルメロの駅ながとに辿り着いて、しばらく小休止。この道の駅には何度も訪れているけど、今回はコロナ禍の所為なのか、車も人も少なくて寂れている感じがした。

一息入れたあと、気を取り直して次の道の駅:ほっとぱーく浅科を目ざして出発する。浅科に着いたら昼食にするつもり。20分も走れば到着すると思っていたのだが、いつもの道を行くと、何と道の駅の案内板があり、それには女神の里立科と書かれていた。そんな道の駅は聞いたことが無い。もしかしたらリニューアルか何かして、駅の名称も変更したのかと思った。その場所は以前記憶しているのと同じ感じがしたからである。ただ、構内のレイアウトが以前とはかなり変わっているようで、何だか変な感じだった。取り敢えず昼食にすることにして、何か売店で弁当のようなものが売られていないかと覗いてみたのだが、食事に係わるようなものは一切置かれていなくて、ありふれた野菜類などしか並んでいなかった。以前の浅科とはかなりレベルダウンしているなと思った。取り敢えず湯を沸かしカップラーメンなどの即席麺で腹を満たす。ここからはもっとしっかりと浅間山が望見出来た筈なのだが、どうも少しいつもとは姿が違う感じがした。

 何だか変な気分で食事を終え、取り敢えず給油をしなければならないと考え出発する。15分ほど走ると、何とほっとぱーく浅科という案内板が出て来たではないか!どうやら本物のようだ。とすると、先ほどの女神の里とかいうのは新しい道の駅なのであろう。それにしてもこんなに近くに二つも道の駅が必要なのだろうか?  立科というから立科町が作ったのだとは思うが、あまりにもものまね仕事で町の発展にこれじゃあ何の貢献もしないだろうなと思った。全国を回っていると、時々隣村や隣町らしいのが、このような猿まねの思いつきで作った全く独創性の無い道の駅に当ることがあるが、がっかりするだけである。女神の里とはどういういわれの命名なのか知らないけど、何が女神なのかサッパリ解らない。ここからは蓼科山は見えないし、見えるのは浅間山だけだ。何だか腹が立って、浅科の道の駅もパスして、下仁田方向を目ざす。途中佐久市郊外で給油を済ませ、その少し先のスーパーで少なくなってきた飲料水を買い入れる。燃料も水も今回の旅の行程計算では、途中の補給は不要と読んだのだが、2年間のブランクは旅の行程づくりの勘を鈍らせたのかなと思った。

その後はR254を走り続けて、間もなく荒船山や妙義山等の山の中を行くこととなった。これらの山々は、いつも岩肌や岩石むき出しの厳しい姿をしているが、今日はそれらの山肌に紅葉の樹木たちが取付いて、全山紅葉とは少し違った趣の景観を為していた。間もなく下仁田町に入り、右折して県道に入る。少し道幅が狭くなり、曲がりも多くなって、何だか運転し難い道となった。地図では単純な一本道に見えたのだが、実地はそうではなく、それなりの山道だった。

14時丁度、道の駅:オアシスなんもくに到着。谷川に沿った僅かな平地に建物と駐車場があった。南面に大きな山が迫っており、こりゃあ大雨が降り続いて時など、山崩れが起きたりしないかなあと、ふと不安を覚えた。どういう地質なのか知らないけど、この山は一枚岩ではなさそうだった。このような場所にしか造れない村のご苦労を思った。

駅舎の中に入り、売店などを覗いたのだが、目当てのパンはもう在庫が少なくっていた。カミさんが聞いた話では、パンを作っておられる方は毎日ではなく、週に何回かここで販売するとのことだった。それに、何と明日はこの道の駅は休みだという。少しがっかりした。同時にこのようなペースで道の駅の営業をしていて、本当に村の活性化や村興しができるのかなと疑問を感じた。旅人は気まぐれだから、最初の一度の印象で再来の気持ちを固めてしまうものなのだ。このような営業ぶりでは、リピーターが増えるとは思われない。もっと工夫が必要ではないかと思った。道の駅というのは、造るまではエネルギーを注入するのだが、その後は力が抜けてしまって、そのままで進化が止まってしまうというケースが多いようだ。全国千カ所以上の様々なエリアの道の駅を見て来ているけど、竜頭蛇尾で村興しが終わってしまっている姿を見ると、何だかがっかりしてしまう。この道の駅は、そうならなければいいなと思った。

 とにかく今日はここに泊ることにして夕食の準備などに取り掛かる。今回の旅ではまだご飯を炊いたことがなかった。が、今夜はご飯を炊いて今朝道の駅ほりがねの里で買った、お母さんたち手づくりのおかずがあるので、それらを味わうことにした。そのおかずで軽く晩酌をした後、久しぶりに温かいご飯を食べる。美味い。この頃は何故かご飯が美味いのをより強く感じるようになっている。日本の米は弥生時代に始まるというけど、自分は米は弥生人が普及させたのではなく、米を食べた縄文人が米の美味さに中毒状態になって普及したのではないかと思っている。自分は確実に縄文人の末裔だと思っている。日本の古代史を読むたびに、知る度にその確信が固まって来ている。

道の駅は静かで、今夜ここに泊る車は我らだけらしい。ちょっと寂しい。そして不安もある。コロナ禍の中にあって、夜中に人が集まることも無いとは思うけど、今の世は時々とんでもないことが起きる話もあるので、油断はできない。しっかり鍵をかけて、早めに寝ることにする。この地の夜も冷え込みはきついようだ。2日ほど車中泊を経験して、少し慣れてきているので、寒さ対策は大丈夫。TVもラジオも無しで、あとは黙って眠るだけ。秋の夜は長いというけれど、旅の無沙汰の夜は更に長いことになる。というわけで寝床にもぐりこみ、眠りがやってくるのを待つことにする。ほんの少し妄想を楽しんでいる内に眠りがやって来た。

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