山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

オキナ草

2020-05-05 21:23:49 | 宵宵妄話

 オキナ草(=翁草)という野草をご存知でしょうか?関東近辺では野草として見るのは困難なのかもしれません。写真のように一目見れば如何にも翁の風体をしているのを実感されるのではないかと思います。このところ山へも滅多に行かず、ましてやコロナ禍の真っ最中では旅に出かけるわけにもゆかず、出逢う野草たちも見慣れたものばかりで、然したる感動も覚えぬまま早朝の歩きに勤しんでいる状況です。

 その中で先日朝の歩きの通りがかりの家の庭先に、久しぶりに翁草があるのに気がつき嬉しくなりました。露地植えと鉢植えのがあって、思わず立ち止まってカメラに収めました。

     

オキナ草の花。これはまだ咲き始めに近い状態。一つだけ咲き終わったのがある。

私の朝の歩きには、いつも三種の神器を帯同することにしています。現在はカメラとスマホとICレコーダーです。少し前まではこれに拡大鏡が付加されていました。老人は直ぐに忘れてしまいますので、気づいたことを記録したり、まさかの時のために連絡用のツールは必携なのです。拡大鏡は植物の観察用です。身近な植物でも花などを虫眼鏡で覗くと、そこには不思議な感動の世界があるのに気づきます。一時それに夢中(?)になったことがありましたが、今は少し醒めています。

余計なことを書きましたが、翁草の話です。翁とはジジイ即ち同類世代にいる私自身のことであります。このジジイを実に巧みに表現して咲く野草があるというのに、大自然の創り出す不思議を感じます。特に面白いのは、このオキナ草は、咲き始めは老人などとは全く無縁の、やや激しさを覚えさせる濃い赤紫の花を下向きにつけているのですが、咲き終わると何故かふさふさの真っ白な髪の毛状となり、やがてそれを地に落として咲き終わるのです。この最終章の姿は実に翁の風情なのです。

野草としてのこの草に出会ったのは、宮崎県の都井岬でした。都井岬といえば、野生の馬で有名です。日本の野生馬と言えば、この都井岬ともう一カ所は青森県尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)が有名ですが、北の馬は大型で逞しく、南国の馬はやや小型でおとなしい感じがします。その都井岬に馬を見に行ったのですが、馬というのは草を食むのが丁寧で、食べた後は実にきれいな状態となっています。牛と比べるとそれが良く判ります。牛の方が雑な食べ方なのです。

で、都井岬に行った時に気づいたのですが、きれいに草を食べる筈なのに決して食べないらしい草が、あちらこちらに点在しているのに気づきました。何なんだろうと近くに行って見てみると、何とそれが翁草なのでした。馬が誤って食べると酔っ払い状態になるとかでアセビ(=馬酔木)という木がありますが、草の中にもその様な毒を持ったものがあり、それがこのオキナ草なのでした。確かに花を見る限りでは、少し毒々しさがあり美味そうとも思えませんが、毒草だったとは!とにかく丘に点在して悠々と花を咲かせて生き残っているのが、このオキナ草だったというのが強く印象に残りました。

それにしても馬たちが絶対にこれを食べないというのは、見事なものだと思いました。どこでそれを学ぶのか、本能なのか、これ又不思議です。そこで思ったのは、もしかしたらこれはジジイに関係があるのかもしれないということです。ジジイになるような風体の草を喰ったなら、あとで大変なことになることが予知できる仕組みが馬の脳の中につくられているのかも知れません。

老人を喰ったりしたら、これはもう毒の中でも猛毒に違いありません。人間も植物も老いたものには無数の毒が溜まっているというのは神様の造作の常道なのかもしれません。我が身を振り返ってみても、身体の隅々まで毒が溜まっているのを実感出来ます。

それにしてもこの花たちのふさふさ加減はどうなのだと、若干の嫉妬を覚えざるをえません。というのも我が身のてっぺんは、ふさふさが落ち果てて、終わりの光芒を放っているかの状態なのです。やや複雑な感慨を以て久しぶりの花との出会いを楽しみました。

   

  咲き終えた後のまだ少し勢いの残っている、人間ならば初老の状態?

コメント
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