残りの二つは我が身に起こった二つの事態である。二つとも健康に係わるものだ。真老世代(75~85歳見当)ともなれば、老の深まりにつれて身体状況の変化や病などに係わりを持たないという人は居ないように思う。精神はともかく身体面では老化現象を実感せざるをえなくなる。動物という生命体の宿命というものであろう。その速度は個人差があるのだろうが、傾向と向かう先は不変だとも言える。
さて、我が身の今年のニュースとして取り上げるものには、二つあるのだが、それは次のようなものである。
①原因不明の眩み症状の襲来
②前立腺がんの生体検査のための入院
先ずは眩みの話なのだが、その症状というのは、歩いている最中に眩みに見舞われるというもの。眩みには立ち眩みなど急に立ち上がるとクラっと来るものや、寝ていて目をつぶっていても世界がぐるぐる回っている感覚の悪性のものなどいろいろあるようなのだが、自分の体験した眩みは普段の家の中や車の運転時などには決して起こったことが無いのに、只、外に出て歩いている時に目が回り出す感覚がやって来て、歩きに支障を来すことになるものなのだ。
当初は、これは老化現象の一つで、バランスを司る三半規管が老化して時々狂うのではないかなどと勝手に想像して、少し我慢していればなんとか収まるのではないかと、あまり気にしないようにしていた。ただ、毎日10kmくらいは歩くことにしていたので、その途中でこの眩みに見舞われることは真に厄介なことだった。
この眩みは、北海道の旅の途中の8月の初め頃から始まり、9,10月と続き、そろそろ収まるのではないかと思っていた11月に入っても続いていた。最初に眩みを覚えたのは、旅の中でも毎日歩いていたある日の早朝、牧場の側道を歩いていた時に、脇の電柱に止まっているカラスどもがやたらに騒いでうるさいので、少し脅してやろうと上を見上げて小石を投げ付けようとした時だった。その動作に入る前にクラっと来て、投げるどころではなくなったのである。カラスにバカにされて面目丸つぶれだったのだが、それ以降、上を見たり左右を急ぎ見たりすると、三半規管が異常を来すようになったのである。まさか、カラスくんたちの呪いが掛ったわけでもあるまいと、その後はカラスくんたちには友好的な姿勢を保つようにしたのだが、日が経つにつれて眩みの症状は少しずつ強くなり出したのである。
9月の中頃に旅から戻って、家での普段の暮らしが始まったのだが、その眩みは一向に収まる気配を見せず、10月を過ぎた頃になると最高潮に達したかのごとく、酷い時には歩きの途中で眩みのために歩くことができず、何か物につかまらないと立っているのも困難という状況を呈するほどとなった。さすがに、これはただの老化現象ではなさそうだと気になって、かかりつけの医者に相談したのだが、各種データを見ても特にそのような症状につながるものは見当たらないということだった。MRIなどによる脳内の詳細な検査はまっぴらごめんなので、とにかくもう少し様子を見ることにしたのである。
それ以降、一時歩くことを休み、再開後も時間と距離を減らすようにしていたら、11月になると次第に眩みが収まり出して、今月になるともう殆ど再発することは無くなったのである。結果的にはやはり一時の老化現象の表れだったということになるのかもしれない。しかし、この4カ月間というものは得体の知れない病魔に取りつかれたような感がして、正直薄気味悪かったことを告白しなければなるまい。家内にいわせれば、旅の間のストレスや疲れが出たのだろうということなのだが、自分的には全く自覚などしていなかったので、見当違いだと思っていた。やはり総じて考えてみると、本人が思っているほど頑健ではなく、家内の指摘が当っているのかもしれない。今のところ、再発は見られず、おとなしく控えめの歩きを続けている。今年の万歩計の歩数は、既に570万歩を超えているので、これからは歩き過ぎに注意ということになるのであろう。
次に取り上げるニュース項目は、11月の16日から17日にかけて入院して受けた前立腺がんの生体検査である。もう30年以上入院をするという経験が無かったので、検査とは言え何だかすっかり病人の気分となった一晩二日の時間だった。
前立腺がんの検査といえば、基本となっているのはPSAの血液検査であろう。医学の専門知識があるわけではないので、この検査が血液中の何をどう調べるのか良くは分からないけど、前立腺がんの早期発見には役立つ検査だと聞いている。守谷市に越して来て以来、毎年市民対象の健康診断の際に必ず調べて貰っているのだが、当初は基準と言われる数値をほんの少し上回るレベルだったものが、ここ数年の間に加速して高くなっており、今年はついに基準の倍の9.6という数値となった。ここ2~3年はエコーなどによる精密検査を受けており、その結果異常なしとの判定を貰っているのだが、今年のこの結果は予想を上まる悪化傾向を示すものだった。医師の話では、これ以上の詳しいことは、エコーなどではなく、前立腺の部位を幾つか切り取って培養し、がんの有無を調べる生体検査をすることなのだが、どうしますか? 但し、検査には1日入院して貰わなければなりません、ということだった。何だか試されている感じがしたが、どうせだから、この際はっきり調べて貰った方が良いだろうと考え、お願いしますということになったのである。
入院当日が来た。手続きを終え、所定の衣服に着換えると、すっかり患者になった気分でベッドに横たわったのは、正午を過ぎたあたりだったか。検査のための手術は15時過ぎからだという。複雑な気持ちの待ちの時間が過ぎて、やがて手術室に運ばれて行った。下半身の半身麻酔を打たれて、そのあとは痛みの感覚は全く無くなってしまった。麻酔というのは不思議な働きがあるものだと感心しながらも、半面の恐ろしさを感じた。下腹部の何を、どうされたのかも全く分からぬまま、時々聞こえてくるバチンという音に、ああおれの前立腺の一部が今ちょん切られているのだなというのを想った。手術は3~40分ほどで終わったらしく、そのあと何か知らぬ手当てを施されて、病室に戻った。
それから後の一夜は悪夢だった気がする。明け方までには麻酔は切れて、元の状態に戻ったのだが、夜間は相部屋の人たちが訳の分らぬ騒ぎたてをしていて、とても眠れる状態ではなかった。皆同世代と思しき老人男性なのである。この人たちは本物の病で入院されているだろうか、とにかく我がままを言い続けて、当直の看護師さんたちを手こずらせていた。もはや社会人としての感覚などどこかへ捨て去ったかの如き振る舞いだった。そんなにごちゃごちゃいうなら、サッサと荷物をまとめて出ていったらどうだ、と言いたくなるくらいなのだ。病を治すために入院しているのなら、おとなしく医師や看護師のいうことを聞くのが大人というものではないか。とても同情を覚える病人たちではなかった。ま、世の中の病院や患者の現実というのはこのようなものなのだろうか。
朝になって、下腹部が変なので見てみたら、何と一物に管が通されているのである。どうやらおむつもあてがわれているようだった。間もなく時が来て管は抜かれ、おむつも無くなったのだが、尿意を催してトイレに行くと、何と血尿即ち血の小便なのである。何だこりゃと思ったけど、事前の説明で聞いていたので、一応は納得した。けれども現実に己の姿を見ていると、医療というのは厳しいものだなというのを実感したのだった。
その後病院食の昼ご飯を頂いたあと退院となったのだが、帰りは留めてあった車を運転しての戻りだった。病人ではないとはいえ、この一夜の体験は、病に取りつかれた人の気持ちを十二分に思わせられる時間だった。
ところで、収穫もあったのだ。それは電動ベッドの利便性に気づかされたことである。最初はその機能をよく知らず、普通のベッドと同じと思っていたのだが、ボタンを押して見ると上半身を起こしたり、足を上げることなどが出来て、まことに使いやすいのである。これなら本を読んだりするには最適だなと思った。病院専用ではなく、むしろ普段の暮らしの中で使うことこそ肝要ではないかと思ったのである。それで、しばらく販売店などを見て歩き、気に入ったのを見つけたので、早速買い入れたのである。良いなと思って、それを買うのが可能ならば直ぐに実行することが老人には大切だと思っている。先が無いのだから、いいことで出来ることは何事も先送りしないことにしている。この考えには家内も賛成しているので、ありがたい。死んだあとで、ああすれば良かったなどと思っても何の意味もない。生きている間こそが大事なのだ。ということで、今は電動ベッドで毎夜の読書を楽しんでいる。
何だか話がずれてしまったが、生体検査の結果は2週間後に判明して、医師の話では異常は見られず大丈夫だったとのこと。しかし、この高数値は一体何を意味しているのか、医師も言明できないとのこと。この歳になると、がんに取りつかれてもジタバタしない覚悟はできていると自分は思っている。いざとなればどうなるか分からないのかもしれないけど、もうかなり上出来の人生を過ごさせて貰っているし、さほどの悔いもない。まだやりたいことは幾らでもあるけど、それは限が無いことだから、出来る間に出来るだけやっていればそれでいいと思っている。
ということで、後半の2大ニュースの顛末はこのようなことなのでした。間もなく新しい年がやって来ますが、来年は一つでも心底から嬉しいニュースが残ることを期待したいものです。皆様、良いお年をお迎え下さい。 馬骨拝