山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

廃用症候群に思う

2017-06-07 23:32:15 | 宵宵妄話

 最近右手の薬指と左手の人さし指がバネ指となり、特に右手の方がだんだんと悪化し、握った時に指がなかなか戻らず、その際の痛みも酷くなりだしたので、終に我慢の限界を超えて手術をして貰おうと考えました。しかし、何年か前に左右の中指を同じ症状で同時に手術したのですが、左の方は元に戻ったものの、右の方は未だに反らせることが出来ない状態なので、又同じことになりはしないかとの懸念を抱いているものですから、できることなら切らないでも回復する方法を知りたいものだと思っていました。

 隣のつくばみらい市に指を扱う医院があるのを知り、そこを訪ねました。そこでの受診では、最悪の状態であれば手術も止むを得ないとして、可能な限り外科的処置をしないで対処してゆくという考え方で、基本的には身体全体のバランスを考えながら血流の改善に取り組むという先生のお話でした。少し時間がかかるかもしれないけど、なるほどと思いました。自分は既に四半世紀に亘って糖尿病との付き合いを続けているのですが、その基本は血流と深く係わっていますので、指だけではない他の部位についても好影響があるのかもしれないと期待しました。それで、しばらく通って様子を見ることになった次第です。

 話はバネ指の治療のことではなく、その医院で頂いた治療方針が書かれた紙に載っていた「廃用症候群」ということばから想うことについてなのです。今までにこのように呼ばれる疾病があるというのを知らず、初めて目にしたことばでした。廃用症候群というのは、別名「生活不活発病」とも呼ばれるもので、それらを大別すると、①局所性廃用症候群②全身性廃用症候群③精神・神経性廃用症候群の三種に区分されるということです。要は、心と身体の両面に関して、普段の生活面での活性が失われることによって起こる障害を、総称して廃用症候群と呼ぶことのようです。

 このことばを見た時思ったのは、ああ、これは人間が動物なのだということを忘れた人たちが陥りやすい病なのだ、ということでした。動物というのは動くことによって環境に適応しながら生きている存在です。すべての動物は、動けなくなった時から、最終ゴールである死というものに向かうことになります。そして、動けなくなるという意味は、自力で動くのが出来なくなることです。すべての動物の中で、人類だけが自力でなくても生命をつなぐことを可能にしているわけですが、そのことを安易に当たり前と考えるのは大きな問題(=危険)ではないかと思います。

 廃用症候群というのは、自らの力で動くことを見限り、他力に依存しながら生きながらえている人たちが落ち込む病のように思われます。人間は動物であり、そのためには心も身体も適当に動かし続けるということが、生き物としての不可欠な条件だと思うのですが、それを怠った時に、この廃用症候群といわれる病の症状が現出するのではないかと思うのです。

 その紙には廃用症候群として、次のような症候が取り上げられていました。因みにそれらを記してみることにします。

局所性廃用症候として①関節拘縮②廃用性筋萎縮・筋力低下③廃用性骨萎縮④皮膚萎縮(短縮)⑤褥瘡⑥静脈血栓症→肺塞栓症、 

全身性廃用症候として①心肺機能低下②起立性低血圧③易疲労性④消化器昨日低下(ⓐ食欲不振ⓑ便秘)⑤利尿→血液量減少(脱水)

精神・神経性廃用症候として①うつ傾向②知的活動低下③周囲への無関心④自律神経不安定⑤姿勢・運動調節機能低下 というような数多くの項目が書かれていました。

 自分は医者ではないので、専門知識もないため、ここに書かれた病の症状が実際どのようなものなのかは良くは判らないのですが、ある程度は耳にしている病名も入っていますので、凡その見当はつくように思います。実際にそのような病で困惑している同世代人を多く見ており、それらを概観すると、どの人も身体的な面では運動不足であり、又精神的な面では思考不足が基本原因となっている感じがします。これらの症候が老人世代に多いのは、加齢に伴って身体も頭も必要以上に使うのは面倒、といった暮らし方に甘んずるようになるからなのではないかと思えてなりません。勿論、中には動きたくても病や怪我のために動けないという方もおられるのだと思いますが、それとてもその現状に甘えてしまえば、結果は同じことになるのですから、要注意です。

 自分的には健康というのは、「快食」「快眠」「快便」の三快に加えて「快動」というのがその基本であり、この四快を継続実践することによってもたらされるものだと、予てより考えているところでしたので、この廃用症候群という病の症候があることを知った時には、これは「快動」の問題が指摘されているのだ、と直感した次第です。

 健康の保持というのは、知識で頭をでっかくするだけでは何の成果もなく、又サプリメントなどの簡便法に安易に依存するだけでもダメなのであり、この四快を加齢に合わせて内容を調整しながら着実に継続実践することでしか実現できないものだと、改めてそう思ったのでした。

  バネ指の話から妙な方へと行ってしまいましたが、同世代の皆さまにおかれましては、楽をすることに溺れることなく、ゆめゆめ廃用症候群などに取りつかれませんようご注意ください。老爺心ながら。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする