山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

酒のラマダン半分通過

2013-03-05 06:38:52 | 宵宵妄話

  2月1日開始した酒のラマダン行(ぎょう)が2日で目標の半分を通過しました。最終ゴールが3月31日ですから、通算で59日の我慢(?)となり、開始後30日というのは、半数をクリアしたということになります。親しき知人と面白半分に取り組んでいる試みなのですが、今のところ三日坊主どころか、その十倍もの時間が過ぎても、酒の類は、一滴も口には愚かその香りさえも寄せ付けることなく過ごしています。唯一誘惑を防ぎ得ないのは、TVや小説の中に登場する飲酒場面の刺激のみです。

 この頃は、もしかしたら自分はもともと酒とは無縁の人間だったのではないかとさえ疑いを持つ有様です。成人式を迎える前から始めた酒飲みは、歳を数えるごとに次第にその量を増し、30代後半くらいでピークに達し、その後は漸減の傾向は示しているものの、50代で糖尿の宣告を受けても、その始まり時に3カ月の休酒をした以外は休むことなく体内にアルコールを摂り続けていました。それなのに、この1カ月はそれらの全てを忘れ果てて、僅かにTVや読み物の中に酒の存在を気づかされているというのは、これは一体どういうことなのだろうか?と、何だか不思議な気持ちになってきています。これは、本来喜ぶべきことなのかもしれませんが、こんなに簡単に長年のこだわりが消えてしまうような現象にぶつかると、却って不安が湧きだすというのは、思っても見ないことでした。この雑文は、酒のラマダンの中間報告のつもりで書いているのですが、とにかく今のところは禁断症状などとは全くの無縁であり、却ってこのあまりの素直な成り行きに驚いている状況です。 

 さて、この有様から、この先どのような運びとするのか。恐らくこのままでは3月末日まで何の疑いもなく酒飲みを忘れ続けることになるのは必定でありましょう。とすれば、その目的を達した後の決断として、身体のことを考えてこのまま忘れ続けることを選ぶのか、それともそのような愚行は切り捨てて元の酒飲みに戻るのか。まるでシエイクスピアのハムレットのかの有名なセリフ[to be or not to be:that is the question]のような(こんな比べ方をしてはなりませぬ)気分なのですが、その結論は決まっています。

 それは勿論、元に戻るということです。身体を壊さしめない様に心を用いながら、心の活性化のために不可欠の酒の類を今まで以上に味わいたいと考えています。そして最終的には、このような酒のラマダンなどという愚かな企画を弄(もてあそ)ばずとも、その年齢の身体と心に適った自在の酒を楽しめるように、もう少し成長してみたいと思っています。

 (以上、中間報告でした。このところ全くの内弁慶の気分で、家の中に籠っているばかりで、旅の季節がなかなか近づいてきてくれません。今週半ば過ぎからは少し暖かさが増すようなので、大いに期待しているところです。)

コメント (1)
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