山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷)第5日(その1)

2011-11-30 00:07:28 | くるま旅くらしの話

 

 

第5日 道の駅:公方の郷なかがわから道の駅:津田の松原まで

 

朝起きして外を見ると、今日も天気は良さそうです。旅先ではやっぱり天気の良し悪しが楽しみ方に大きく影響します。天気が良ければ気分は明るくなりますし、悪ければ暗い気持ちが背景に広がってしまいます。人間という奴は、本能的にお天気に大きく左右される生き方をしている動物のような気がします。

 

朝食を済ませ、さて、今日はこれからどうしようか。しばらく迷いました。何しろ昨日は高松の方へ行く予定だったのに反対側の方へ来てしまっています。大幅に予定を変えて室戸の方へ行ってみようかとも思ったのですが、いや、やっぱり高松の方へ行くことにしようと最後は昨日の考えに戻ることにしました。何しろ家内にしてみれば四半世紀ぶりの元の住まいのあった街を訪ねることになるわけですから、これを無視するというのは非情というものでしょう。

 

ということで高松の方に戻ることにしたのですが、家内からの要望があり、そのままメインの道を高松に向うのではなく、その前に脇町の卯建(うだつ)を見てからということになりました。卯建というのは隣家と並ぶ建物との間に防火用の仕切りを作ったものをそう呼ぶらしいのですが、このような知識は家内がボランティアで古民家などの建築物に関心を持つようになってからのことで、四国に在住の時には全く関心がなく、脇町がそれで有名だなどとは全く知らなかったのです。従って脇町といえば八十八箇所のお寺めぐりの際の通過点のようなものに過ぎなかったのでした。四半世紀の内に家内は少し成長し、それに引きずられてこのジサマもチョッピリ物知りとなれたのかも知れません。

 

ところで卯建といえば全く知らなかったわけではなくウダツということばだけは知っていました。ウダツが上がるとか上がらないとかいう時のウダツです。ありゃ何のことか知らんけどウダツといえば、男の出世度のようなものかと思っていました。多くの場合はウダツが上がったとは言わず、ウダツが上がらないという使われ方のようです。女性に対してはウダツの上げ下げはないようです。このウダツが防火用の仕切りだったなんて、それを知るまでには随分と時間がかかったものです。まさにジサマ自身がウダツが上がらなかった見本のようなものであるからでありましょう。

 

徳島からは高速道を使うことにしました。四国の高速道を走るのは今回が初めてなので、チョッピリ関心があります。脇町までは大した距離ではなく、風もなさそうなので、何時ものルールを無視してのことなのでした。途中PAなどに寄り高速道の様子などを窺いましたが、他のエリアのそれと何の違いもありません。ま、当たり前のことでありましょう。9時半過ぎに脇町にある道の駅「藍ランドうだつ」に到着。勿論初めて訪れる道の駅です。ここに車を置いて、少し歩いて卯建の町並みの散策に出かけました。

 

脇町がこの様な藍染製品の一大集積地だったとは驚きです。そのことを全く知らないままに5年間も四国で過したというのも更なる驚きというものです。町の中の大通りと思しき道の両側には、往時を偲ばせる立派な建物が連なっており、圧倒されました。いヤア、もっと早く知っていて訪ねるべきでした。酒と海の幸ばかりにうだつならぬ現(うつつ)を抜かしていた我が身のことを大いに反省したのでした。これほどの町並みはそうそうどこにでもあるものではなく、立派な文化財だなと思いました。20数年前は恐らくもっと優れた町並みが残っていたのではないかと、それを見逃したことを残念に思いましたが、後の祭りです。

 

町の中を歩いていると、ボランティアで説明をされる方が寄って来られて、卯建の説明をしてくれました。それによりますと、元々江戸時代に防火用壁として作られたものなのだそうですが、やがて商家の富の象徴として競い合ってその豪華さをひけらかすようになったということです。時代を経るにつれてその作り方も変化しており、家々の卯建を見ればいつの時代のものなのかが判るのだと、そのボランティアの方は話されていました。なるほどなあと思いながらも、さて往時の金持ち商人というのはつまらぬところで競い合ったりしたものだと、文化財のことは脇において、少々あきれかえる気分になったのは、現代に生きるジサマの何時もの考え方なのでありました。

 

町並みの中に骨董屋らしき店があり、その前を歩いているとそこの店主らしき人が声をかけてくれて、東京から来たというと、娘さんが東京に行っているということでちょっぴり親近感を抱いてくれたのか、特別に家の中を見せて下さるというのです。これは家内の方が興味を抱く出来事でした。店の方は勝手に?どんどん案内してくれた感じでした。この家も間口はさほど広くは見えないのですが、奥行は深くて途中に幾つもの部屋が作られていました。その部屋の幾つかには、店の方が集められたという江戸時代からの様々なお宝が所狭しと置かれていました。中には駕籠などもあり、好きな方にはたまらない骨董なのでありましょう。このジサマはといえば、家内の言動に引きずられて後をついてうろうろしているだけです。行きずりの旅人にこのように親切にしてくれるのは、お遍路さんをもてなしてきた四国の人々の古くからの伝統心なのかななどと思ったのでした。

 

家内は元々藍染には重大な関心があり、どこへ行っても藍染の布地や着物などにうるさい(?)関心を示す人なものですから、この町は絶好のお気に入り地のようです。藍染の店を見つける度にたちまち飛び込んでゆきます。一旦飛び込んだら早々簡単には出てきません。近くにその藍染の店を見つけて中に入ってゆくと、土地のおばあさんらしき人をつかまえて、何やら話し込み始めました。これに付き合っていたら大変なことになると、ジサマの方はさっさと車に戻りました。

 

卯建を見物しながらチョッピリ感ずることがあり、一首と一句を作って見ました。二つとも今は単なる町おこしの材料となってしまった卯建の、その昔の町の人々の誇りを思いながらジサマの心に感じた感想のようなものです。

 

・その昔(かみ)の栄華を誇りし家々の卯建は褪せて秋風の中

 

・営みは卯建に消えて今の秋

 

(続く)

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