山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ジジババ二人くるま旅漫遊紀行(2003年 西の方へ行くの卷) 第3日

2011-11-25 01:25:50 | くるま旅くらしの話

 第3日 飛騨金山ぬく森の里温泉から神戸淡路鳴門道の淡路SAまで

 

 まあまあの天気の朝でした。四方を山に囲まれたこの道の駅は、飛騨からのR41からは少し離れている所為か、此処まで来て夜間に仮眠するトラックなどはいないようで、昨夜は真に快適な眠りを貪ることができました。

さあ、今日は旅の3日目となります。先ずは犬山市にあるテーマパークの明治村を訪ねることにしています。その後は、とにかく四国に向かうのですが、阪神エリア通過するのには、一般道だけでは時間も神経も使うことになり、煩わしさが思いやられますので敬遠し、名古屋からは東名・名神など高速道を使うことを考えています。恐らく泊りはどこかのSAかPAになるのではないかと思っています。とにかくどうするかはその時に決めることにしています。

明治村の開園は9時半ごろです。それに合わせて着くようにする

には、ここを8時頃に出発するのが妥当ではないかと考え、少し早めに朝食を済ませ、出発の準備にとりかかりました。旅の毎朝の出発はいつもは大体9時頃ですから、それよりも1時間も早いというのは、少々リズムが狂うということになります。今日の主役はあくまでも家内の方なので、それに合わせることが肝要です。自分としては明治村に着いても中には入らずに外で待つことにしており、単なる運転手役のつもりでいます。ですから、安全運転を心がけるのみであり、はしゃぐ気分も何もないのですが、家内の方は今までの念願の幾つが叶うらしく結構興奮しているみたいでした。

 出発です。天気はグンと良くなって、青空が広がっています。気分も上々です。名古屋に向かう飛騨路(?)の車の流れは順調で、美濃加茂市街を過ぎてもラッシュの渋滞とは無関係でした。さすがに犬山市近くになると、若干の渋滞が見られましたが、大したこともなく直ぐに明治村の案内板が迎えてくれて、すんなりと開園10分前には到着しました。広大な駐車場には、まだ数台の車しかなく、大変な開放感です。

 ここは入園料が大変高い所です。興味・関心があれば恐らくそれに相応しい価値あるものを得ることが出来るのでしょうが、今のところ歴史的建造物などにはさっぱり関心が無く、明治という時代のことも突っ込んで知りたいと思うこともないジサマは、遊園地気分で高額料金を払って見物する気などはさらさら起こらず、バサマが戻るまではおとなしく別の仕事をしながら待つことにしています。恐らく5時間ぐらいは掛るのではないかと思っています。それはもう計算済みなのです。

家内は早速手回りの荷物を抱えて、いそいそと門の中に消えてゆきました。自分の方にも一応は予定というものがあって、いろいろやることはあるのです。先ずは車の清掃です。もう2カ月以上も車の外回りの手入れをしていません。辺りを見回しても水を使えるような設備が無いようです。歩きまわって調べましたら、少し遠い所に水を汲める設備がありました。清掃と言っても車の外回りを布地で水拭きするだけの話です。車の図体が結構大きいので、拭き終えるまでには時間がかかります。外回りを終えたついでに内部の方もきれいにすることにしました。清掃作業というのは不思議な力を持っているようで、普段はなかなかきれいにする気が起こらないのに、一旦やり出すと思ってもいなかった箇所にまでちょっかいを出してきれいにしようという気になるのです。少々汗をかきながら、車の内外の清掃が終わった時にはもう昼近くになっていました。

一息入れてその後は、旅の記録の整理などに取り掛かりました。旅の際にはパソコンは必携です。旅の中での出来事や写真等を収めておくツールとしては、大いに役立つものだと思っています。これから先のルートなどもあれこれ思いを巡らしながら、そういう時間の中に埋没していましたら、たちまち又2時間近くが過ぎ、時計は14時を回っていました。見学を終えたら電話をして貰うことになっているのですが、一向にその気配が無いようです。恐らく園の中で誰か新しい人などに出会って話に夢中になってしまい、戻る時間のことなどはどこかに忘れ去ってしまっているに違いありません。普段から腕時計を嵌める習慣が無く、もしかしたらわざとそうしているのかもしれませんが、家内という人は夢中になると時間のことは忘れてしまう人なのです。後の予定が無い時ならば、どうぞお好きなようにと言えるのですが、今日はこれから阪神を経由してあわよくば四国にまで足を踏み入れようとしていますので、あまり遅くなると困るのです。

あれこれよからぬ心配をし出した頃にそれが届いたのか、タイムリーに携帯電話が鳴って、見学が終わったとの連絡があり、間もなく意気揚々のご帰還となりました。いろいろ収穫があったようで、何やら話したそうでしたが、これから先の予定がありますので、それらの話は後にして貰って、出発の準備に取り掛かりました。これでどうやら今日中に淡路島辺りには入れそうです。今日のこれからは殆どが高速道の通行となる予定です。SUN号は風に弱いので要注意です。                               

14時半頃、明治村を出発し、小牧ICから名神高速道に入りま

した。木曽川長良川、揖斐川の橋を渡って、養老SAにて小休止です。相変わらず混雑しているSAでした。ここから先は給油時を除いては明石海峡大橋を渡るまでノンストップで走る予定です。途中は買い物も出来ないと考え、売店で食料などを仕入れました。後は一気に京阪を走り抜けるだけです。直ぐに出発して、少し走って多賀PAという所で給油を済ませ、引き続き走り続けて京都に入ったのは17時ごろでしょうか。ただひたすらに走るだけの時間は、旅をしているという実感は少なく、ある種の義務感に捉われている感じで運転に集中するだけです。吹田から中国道に入るのですが、その手前が少し渋滞していました。でも中国道に入ると、ここは十分に空いていて、走行には何なの問題もありません。次第に暗くなり出して、夜の帳(とばり)が下りはじめました。神戸JCTから山陽道に入り、更に三木JCTで神戸・淡路・鳴戸自動車道へ入ると間もなく明石海峡大橋です。神戸側から見る淡路島は光の塊が点在して幻想的な景色なのですが、車を運転しながらでは、それを味わうゆとりなどありません。念願の大橋の走行も、只の高速道の延長に過ぎず、夜の暗さの中では、初めて通るという感動もさっぱりでした。橋の向こう側にひときわ明るい光の塊があり、何やら一大イベントでも行われているのかと思ったのですが、橋を渡ってゆくとそこが淡路SAなのでした。今夜はここに泊るつもりです。           

明石海峡大橋は全長が約4kmほどですが、実際の通行ではそれ

よりも1kmくらい長い感じがします。今渡って来た橋を姫路SAの方から見ると、巨大な支柱から吊るされたロープに取り付けられた電飾電球が、時々色を変えて夜空を優雅に彩っていました。人工的とはいえ、なかなかの景観です。人間の力というもののバカにならない大きさを改めて感じました。よくもまあ、こんな橋を造ったものです。                                     

SAには夜の明石海峡大橋や神戸の夜景を見ようとやってくる人

たちも多いようで、かなりの車で混雑していました。照明がキラキラと眩しくて、そうそう簡単には眠れそうもありません。それでも今日の走行距離は300kmを軽く超えていますので、食事を済ませた後は早やめに寝床に入ることにしました。ところが一晩中騒音は絶えることなく続いて、いやはやこんな所に泊るんじゃなかったと、後で大いに反省したのでした。ここは、トラックはそれほど多くはないのですが、一般車の方が多く昨夜は偶々なのでしょうが、直ぐ近くにマフラーを改造したRV車の奴がおり、これが明け方まで頭に響くような音を出し続け、そのためジサマの発する怒りは心頭を揺さぶり続けていました。もううんざりです。その車の番号は、「神戸 330 3637」でした。この車の運転者は無神経ズボラ性格な自己中心的バカ者です。保証付きです、はい。

コメント
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