EXODUSの様にほぼ総てを1人で手掛けたりせず他者の力借りてゆくとは、光に限っていえば共同作業を意味しない。己の手煩わす事無く自分らしさを他者に表現させる事、端的に言えば"自らの手間を省く"事に他ならない。裏を返せば他者が曲に手を入れ自らのモノにしようとしてもどうにもならず、壊すなら跡形無く以外なく曲の名を継げない程になってしまう事を意味する。それは元曲が極めて精練され必要不可欠な要素の集合に収束している証。どう料理されようと必ず自らの持味を残す自信持てる程に光は音楽の精練過程に精通し始めているのかもしれない。
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