無意識日記
宇多田光 word:i_
 





これまでのまとめ。
歌詞の解釈はまだまだこれからなので、
それはのちのちのお楽しみということで。
巷間の扱いに関係なく、彼女の素敵な曲を聴き考える営みは続くのです。


で。

振り返れば、本当に不憫な子であった(つ∇T)
繰り返しになるけど(まとめだからね(笑))、
多分Hikki8年のキャリアの中で初めて“最高傑作(かも)”と
形容した楽曲(アルバムではあったかもですよね)な「ぼくはくま」の
直後のリリース、というのが不憫の始まりだったような。

やれ曲は作ってみたものの「バラードが欲しい」と依頼主に突き返され
今度はHikkiのほうが曲に対する思い入れも何も見せずに
「えーめんどっちぃなぁ、じゃあ今作ってるのバラードにしちゃえー」と
まぁそれはなくはないかなと思ったら今度は「でもアレンジすんのも面倒だわ」と
放り出されたのだ(T△T) これを不憫といわずしてなんといおう。

そうやってできたバラードバージョンのPVはレコーディング風景を
ただ撮影してたいした編集もなく収録したもの、というとんでもない手抜き振り。
(でも手を抜いたからといってPVの出来が悪くなるというわけでもない)

オリジナルバージョンに到っては、なんとPVそのものが存在しない(T.T)
いや、オリジナルの方が、元々はこっちのほうがこの“Flavor Of Life”という
楽曲名を背負って生まれてきた存在であって、、、んまぁ、同じ曲で
二つも要らんだろう、ということなのかもしれないが、そこでオリジナルのほうが
切られる、というのはもう少し葛藤はなかったのかと。

Hikki当人がテレビに出ても苦難は続く。
幾ら他局人気ドラマの主題歌だからって、生放送(笑っていいとも)で
「それはいいんですけど」とあっさり主役をくまに譲らせるだなんて、
もう不憫哀憫憐憫至極の情が(つдT)

挙句雑誌のインタビューでは「あんまり達成感がなかった」とトドメのひとことを食らう。
今までのHikkiなら考えられなかったような一撃である。
(リスクんときにこんな感じの発言があったようななかったような?でもそれ位だよね)

しかし。

これだけ“Flavor Of Life”を蔑ろにしようと、
世界で一番この曲を愛しているのはダントツで宇多田ヒカル本人なのである。
何を当たり前のことを、と思いそうだが、当たり前のことだから強調しときたいの。

ひとつの楽曲を何もないところから作り出し、日本という世界第2位の市場に
全国規模で送り込む、というのはそれはそれは大変な作業、、、、のはずだ。
勿論Hikkiが担当するのはその最初の方の部分だけだが、その諸々に対する責任みたいな
ものは、彼女に全部圧し掛かってくる。まぁ慣れたもんだろうけど。

で、そもそもその最初の方の部分が一番大変なんだし。
制作にかける時間と集中力は如何に「すんなりできた」とはいえ、
OVの緻密な構成を耳にすれば「精巧に作りこまれた」という形容が似つかわしい。
天才(と呼ばれるのを彼女は嫌うだろうけれど)だって、
これだけの音を打ち込むにはそれ相応のテマヒマが掛かっているはずだ。
もちろん、一番大変なのはそのテマのほうではなくてこのサウンドを
「思いつく」方なわけで、これは常人にはとても想像し難い領域。

そういったなんやかんやを経て完成形が無事に僕らの耳に辿り着いてるんだから、
彼女にこの曲に対する思い入れがないはずなんかない。誰よりも細部まで
この曲を熟知していて、詞の内容も把握している人間なんだし。
仕事なんだから、といわれそうだが(あらそんなひといないかな?w)、
もう何回分かの人生を遊んで暮らせる人が、
あれだけメディアへの露出過多を嫌う人が、
「なんとしても売りたい」とかそんなこと考えるのも不自然なわけで。
そういう理由が楽曲をカタチにしていく労力の動機になったとは考え難い。
やっぱり、Hikkiはこの曲が大好きなのである。世界中の誰よりもきっと。(懐かしい(笑))

ただ、
あまりにも他の曲(特に「ぼくはくま」な)が素晴らしすぎるので、
どうしたってそれとの比較で、「達成感がない」とかいわれてしまうのだ。
それはi_だってそうで、FoLの曲の素晴らしさは何度も強調してるものの、
多分読者にその印象があんまり残ってないくらいに苦言を呈しているように
思われちゃってるのは、もし他のアーティストたちの楽曲を見る目線で
FoLを絶賛したら、他のUBの曲とか形容する日本語がなくなってしまうから
敢えてハードルを高くして「まぁこんなもんか」みたいに抑えた表現に
ならざるを得ないだけなのだ。普通のJpopの中でこの曲が鳴り響いてるのを
聴くと、「まさに別次元のアーティストだな」と改めて驚いちゃうからね。
でもUBの曲と並べて聴くと「弱いなぁ」と。まぁ比較論とは常にそんなもんだ。


でも、そんな不憫な子であっても、たいしたことをやってのけてくれた。売れたのだ。
これは単純に嬉しい。抜群の楽曲から受ける衝撃とかはないけど、
単純に喜べることであるのは間違いない。
(余談だけど、売れたら嬉しいからって売れなかったら嬉しくないことはない。
 買ってくれた人に感謝するだけ、っていうのは常にイッショよ)

これで面倒な言い訳とか言わずにすみそうになるのもよい。
アルバムのアウトテイク程度の出来の楽曲(多分Hikkiの認識はこんな感じ)が
今や2007年年間暫定2位曲である。BMLやPassionの頃から
「売れない曲を作っただけで、売れる曲を作る能力が落ちたなんてことは有り得ない」と
口酸く言い続けて(書き続けて)きた身にとっては、「負け惜しみ」と
取られなくなることは、ちょっとだけ気が楽だ。
勿論確信があったので、基本的には気にならなかったが、言われる内容ではなく
言われている、という事実自体がめんどっちかった、と。あぁ言い訳がましい(苦笑)
、、、と、そういう言い訳がましさに今後煩わされることがないのは、大きい。

そもそも、Hikkiの才能が枯れるかどうか、なんて話に一番敏感なのは
私のようなミスター心配性な人種ではなかろうか。だから、
毎度新曲を耳にするのは、不安で仕方がない。毎度期待の方が大幅に上回ってるから
それはそれでなんというか、淡くほろ苦くて悪くないのだが(笑)、
彼女が作品に手を抜こうもんなら、一番に苦言を呈するのは多分i_だと思う。
彼女の曲の評価に対して手心を加えたことは一度もない。
「つまらんもんはつまらん」と非常に分かりやすく言い切ってしまうだろう。
今回、FoLBVが本当の意味で「色々微妙」だっただけに、
1月の当ブログの論調は随分歯切れが悪くなってしまってた。
OVの作風が見えなかった&作曲者宇多田ヒカルの指紋が見えづらかった、というのが
理由だったのだが、ここらへんは今後の反省材料でしょう。

曲風や私生活や、この3ヶ月で如何に自分が宇多田ヒカルに対する理解が
足りていなかったのか結構痛感してしまった。毎日書いてみるもんだね。
といいつつ、MUSICAのインタビューを読みながら
「結構わかってたんじゃん俺」とも思ったのも事実。
新鮮味がない、というのはそれだけ色々フォローアップしてきたから、だったわけで。



どんだけ理解していっても「全然理解できてないなぁ」と思わせる宇多田ヒカルさん、
新年度もどうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m






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