無意識日記
宇多田光 word:i_
 




うぅっ、赤飯炊くってゆうタイトルだから
デビュー1周年のときのメッセくらい
感慨深い歓びの内容かと思ったら、おにぎりはぐらかして次の曲の話題かょっ(つ∇T)

12月の“復活”(私の呼び方)メッセ以降、どれくらいFlavor Of Lifeの事に
ついて触れてるかなぁ、と思ってバックナンバー斜めに読み返してみたんだけど、

、、、とにかく、くま!くま!くま!!(笑)

ぬいぐるみのくま・ちゃんの存在もあるというものの、
Hikkiがたった1曲についてこれだけ聴かれることの喜びを
語り尽くした例があったろうか?さすがお気に入りダントツナンバー1、
最高傑作の誉れ高い1曲だわ。うーん、なんだかここまでされると、
Flavor Of Lifeが不憫になってきた、、、こんなに素敵な曲なんだから、
もっと語ってあげてよもう!

・・・と思ったが、私が世界一この曲についてダラダラ何日も語ってるではないか。
文字数だと世界一ではないだろうが、回数だと私だきっとw
それに免じて、どうか生みの親のHikkiを許してあげてくれ。> FoLちゃん

世間の盛り上がりと作者の盛り上がりのズレ。うむ。
天啓でも書いたけど、今に始まったことじゃないから。(笑)


さてさてメッセの内容ですけど!
新曲のサウンドのレコーディングは一段落し、作詞の過程に入って
いつもの「とっても痛いのになぜかササクレをむくことに夢中になってしまうことの不思議」を噛み締める段階に突入したのですな!
確かに、前にもここのメッセージで似たような愚痴を書いたような気がしますね。(笑)

作曲と作詞の創作過程の大変さの比較をしてくれてるけど、
すっごく共感します。といっても、作詞ってやったことないんだけどね。(笑)
そうなんですよ、今回の大名言『音は音』
見事にひとことで核心をつく彼女の言葉遣いは毎度ながら脱帽です。

ちらっと解説しとくと、言語と音楽の差ってまさにそこなんすよ。
言語と他のメディアとの違いといってもいい。映像や絵画や写真といった視覚、
料理やらアロマやらの味覚嗅覚、衣服や寝具等々の触覚、、、五感を直撃!する
ものはどれも「色は色」「音は音」「匂いは匂い」「手触りは手触り」「味は味」なんすよ。
ところが!「語感」だけは、それとは違うの。そこで、今そこで感じる何かは
総てことばの心の影に過ぎない。ひとの記憶や思い出や経験を呼び起こす
「ことばの機能」とは昨日までのあなたの歴史の中からの繋がりの中で
生命を持ち得るのです。それそのものではない、直接の感覚をまず否定するところから
始まることばの世界。

何がどう変わるかというと、「近さ」の概念がまるっきり別のものになる。
たとえば、10.02cmの線を絵の中に描いたとして、実際は10.03cmの
線の方が絵として完成度が上がるなら、0.01cmだけ描き足せばよいわけ。
常に、「より正しいものへ」と少しずつ近付いていけるのね。歩みの速さ遅さに差はあれど。
音楽も勿論同じで、ドの音じゃちょっと合わない、レの方がいいかな、いや更にあげて
ミの音のほうが、、、っていろいろ試していくうちに、何かに近づけていくのよ。

でも、ことばの世界はちょっと違うんだな。
さっき書いた「10.02cm」も、たとえば、点いっこ入れ忘れただけで
「1002cm」になって、とても絵の完成からは程遠くなる!(笑)
視覚的には、本当に点いっこの差で、すごく近いんですよ。でも、
今の二つの書き方で「表現されるもの」の差は、それこそ100倍になってしまう。

これを逆から眺めてみる。いろんな単語(それこそ何万という数)の中から、
そこに何が当て嵌まるかを推し量っていかなきゃいけないんだけど、
文字を当ててみても、「正解に近付く」っていう感覚が、
ものすごく希薄なのね。絵や音楽に比べて。自分が今どこにいるのか、
完成まで近いのか遠いのか、そもそも向かってる方向は合ってるのか間違ってるのか、
いやいや、果たして“私が向かっている方向は私が向かっている方向なのか?”という
ところから、総てが不安に思えてくる。この世界はとても断絶が激しい。
だからすごく寂しいんだよね。もし自分のすぐ近くに、今選んだことばのすぐ近くに
実は“正解”が隠れてるかもしれないのに、それに自分が気付けない。
自分を支えてくれる、喜ばせてくれる存在がすぐそこに居るはずなのに
自分はそれに気付いてすらいないかもしれない。その不安が孤独と向き合うことを
強いるからには、そう、、小説家に自殺が多いのは、そういうことばの世界に
ずっと生きてるからなんだよな。(だから、キィス氏との対談で
「私は自殺しないよ。」っていったヒカル、音楽家としての力強さを感じたよ)

でも、それもヒカルが「正解がある」っていう感覚をずっと持ってるからなんだよね。
「なんかド忘れしちゃった単語がのどの奥まで出かかってるのに出てこない!!みたいなフラストレーション」
を常に感じる、っていうのは(前回は「グチャグチャにからまったネックレスのチェーンをもとに直そうとする作業」&「家のどこかに絶対あるはずの古い手紙を探してるような」っていってたけど)、
どれもこれも「私の中に答えが必ずある」っていう確信があるから、なんだよね。
(私の尊敬する人はこれを「人の名前が思い出せないときに似ている」っていってた)
そこらへんは今週の天啓でも書いたな。浦澤さんと同様、
具体的かどうかはともかく、答えの“存在”自体をどこかで
感じてるから、彼女はこうやって創作の葛藤へと向かっていくわけさね。
いやはや、頼もしい。


「毎度ありがとうございま~す!」のこちらの予想を上回る(苦笑)棒読みッぷりには
驚かされたし、タイトルといい最後の1行といい「デジャヴ」な安心感を
振りまいてくれる優しさにも染み入ったけど、それって結局今のヒカルは
そのどこでもないところにいる・・・成長を続けてるんだよ、っていうメッセージだと
思えて、とても安心できた夜でした。私は昔の私とともにあり、そして今の私は
球体の真ん中に相変わらず居つつそこに更に球殻を付け足していってるんだよ、
っていう意味なんだと、受け取りました! 新曲待ってるからねヒカル!(^∇^)


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