哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

魔術⇔科学

2007年04月27日 | 4世界という錯覚を共有する動物

さて、科学と経済、これらは現代の魔術です。科学を使いこなすことで物質世界を間違いなく人間の好きなように操作できる。貨幣をやり取りすることによって、どの人間をも、好きなように操作できる。あるいは逆に、科学や経済によって、自分の身体も心も動かされてしまう。現代の科学、技術、経済、貨幣というものは、まさに昔の人が感じていた魔法の力、神の能力、を実現したものに見えます。科学と経済さえ進歩させれば、神秘的な全知全能、あるいは病魔退散不老不死の力に近づいていける、という感じがします。昔から魔術や宗教や哲学が求めていた神秘で偉大な力というものの大部分が、現代の科学と経済によって実現されていくように見えます。

こういう時代になったから、いままでの哲学が権威をもって教えてきた崇高な思想が、人々の素朴な直感によって、役に立たないものとして見捨てられ始めた、ということではないでしょうか? 十九世紀から現代に続く哲学の苦闘は、伝統的な精神文化を否定する試行錯誤(たとえば二十世紀に最も大きくふれた振り子、一八六七年 カール・マルクス『資本論』など)に揺れましたが、いまだに混迷から抜け出ることはできていません。世相の表面を見る限り、二十一世紀になって、ますます、まっしぐらに、物質とお金の時代になっていくように見えますね。 

現代世相を憂える年寄りは、「昔は良かった。物質ばかりでなく精神が重んじられていた。心を大事にする世の中に、また戻れないのか?」と言って嘆くわけですが、それは無理でしょう。

科学と経済がここまで発展し、その(不気味なくらい)力強い存在感が人々の脳に直接強烈に働きかけるようになった現代生活では、精神や心や哲学といった大昔に作られた錯覚はしだいに頼りなく影が薄くなり、かえって怪しくいかがわしいもののようにさえ感じられるようになってしまったのです。

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