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哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

世界を知らなければならない身体

2016年09月05日 | yyy52私はなぜ新聞を読むのか


世界が目まぐるしく動いているから私たちがそれを知らなければならない、というよりも、目まぐるしく動く世界を知らなければならない身体を私たちが持っているから、世界が目まぐるしく動くのではないでしょうか?







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毎日現実を観察

2016年09月04日 | yyy52私はなぜ新聞を読むのか


私たちの身体は、毎日世界の現実を観察している必要があります。その必要のために新聞を読む。新聞を読まなければ、テレビを見なければならず、あるいはインターネットで人々と情報交換を続けなければなりません。








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新鮮な現実として

2016年09月03日 | yyy52私はなぜ新聞を読むのか


毎日の新聞は、もしかしたら、私たちの身体器官の一部を作っているのかもしれません。ヒツジは新聞紙を食べて血肉を作る。私たちは新聞紙を目の前に広げて、世界を透かし見ているつもりなのかもしれない。その内容は日々変わる。日々変わらなければなりません。そうでなければ、私たちはそれを新鮮な現実として読むことができない。







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新聞に現実を感じる

2016年09月02日 | yyy52私はなぜ新聞を読むのか


テレビも現実を映している。インターネットも現実を映しているかもしれない。友達とする世間話は、もちろんその背景の現実を痛感させます。
それが私たちの生きる環境です。その中で、ある人々は新聞に現実を感じる。かなり多数の人々でしょう。









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現実を感じる仕組み

2016年09月01日 | yyy52私はなぜ新聞を読むのか


皆同じものを見ている、という感覚は人間の身体が常に必要としているものです。このことによって、現実を感じられる(拙稿24章 世界の構造と起源)。そうであれば、新聞は現実を映しています。








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