哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

現実は無意味

2013年03月18日 | xxx3現実に徹する人々

A__hughes_1865 私たち現代人は、まず現実に徹して、そのうえで自分の人生を考えようとする。しかし、自分の人生をどうするかという問題の答は、現実の中にはない。この場合、人間にとって現実は無意味で中身のない存在です。

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人生の矮小化

2013年03月17日 | xxx3現実に徹する人々

孤独で退屈な人は現実をもてあまし、あるいは趣味に、あるいはギャンブルに、あるいはスポーツに、あるいはルーティンワークに没頭しようとしますが、たいがいうまくいかない。巨大な現実の中で個人の活動の意味は限りなく小さいとしか思えません。現代人が獲得した科学や経済の法則に現れている現実の究極の確かさは、逆説的ですが、その上に確立したはずの私たち個々の人生の意味を矮小化していきます。

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ニヒルで退屈な人生

2013年03月16日 | xxx3現実に徹する人々

The_equatorial_jungle そうであるとすれば、仲間と通じ合うことのない孤独な人にとって現実に徹することは意味がない。現実に対して本当にこうしなければならないということがない。ニヒルで退屈な人生となります。ここに現実に徹する人の多くが陥る落とし穴があります。

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拝読ブログ:人生無駄になることは一つもない

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仲間と協力するため

2013年03月15日 | xxx3現実に徹する人々

そもそも人間の身体は、仲間と協力するために現実をつくりだすようにできている(拙稿32章「私はなぜ現実に生きているのか?」 )。それは人類がそのように身体を進化させることによって存続し繁殖してきたからでしょう。そうであれば人間が現実に徹する場合は、そうすることで仲間と通じ合うためにするはずではないか?仲間と通じ合って協力を進めているところから現実が現れてくるならば、仲間と通じ合いながら現実に徹するのでなければ、現実に徹すれば徹するほど、私たちはその現実そのものにどう対処すべきかが分からなくなるでしょう。

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現実は冷たすぎる

2013年03月14日 | xxx3現実に徹する人々

Rousseauhungrylion_2 この現実を知れば知るほど、現実だけがすべてではないか、と感じます。自分も現実に徹して生活すべきだ、と私たちは思います。しかし実際にはしない。

それは自分の意思が弱いからなのか?どうもそればかりではない。もともと人間が生きるということは現実に徹するということとは違うのではないか、とも思える。現実の冷然とした推移を見れば見るほど、この現実は人間にとって冷たすぎるのではないか、と思えます。

拝読ブログ:Vento Atmosfera-風の雰囲気- へたれゲイザーお気楽紀行03(デモンゲイズ プレイ日記)

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