昨夜「水戸黄門」の新シリーズを見ていて、ずいぶん太くて立派なちょんまげだなあと不思議に思いました。
幕末の侍の写真を見ると、頼りないほどまげが細く、さかやきの部分が広いんですよねぇ。
黒澤明の「影武者」なんかは、不自然なほど細いまげでしたが、きっと実際は現代人が思うより細かったんじゃないでしょうか。
時代劇のまげが立派に過ぎるんだろうと思います。
歌舞伎の鬘の影響ですかねぇ。
いずれにしろ、文明開化とともに、日本人はちょんまげを捨て、お相撲さん以外はざんばら髪へと移行しました。
お隣、李氏朝鮮においても、日清戦争後、日本が朝鮮最初の憲法と言われる洪範十四条を押しつけて、断髪令が施行されました。
日本とは違った、伸びるに任せた長い髪を束ねて髷を結っていたのを、西洋風の髪型にしろ、というわけです。
日本において、侍は廃刀令には激しく反発しましたが、ざんばら髪はわが国ではそんなに反対されませんでした。
しかし李氏朝鮮においては、断髪令は強烈な抵抗にあいます。
私の髪を切るならまず首を切れ、と叫んだ学者がいたとか。
さらには髪を切ったことを恥じて自殺する者が後を絶たなかったとか。
身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始まりなり。
という孔子の教えが、朝鮮民族の間に染み付いていたのがその理由ではないか、とある韓国人学者が分析していました。
要するに親からもらった体に一切傷は付けない、例え髪でもこれを切らない、ということのようです。
そうだとすると、近頃の韓国における整形ブームは解せませんねぇ。
中国・韓国は儒教、特に孝を大切にしますから、こういうことになっちゃったんでしょうね。
しかし髪を切ったくらいで自殺しなくても、と思いますが、信じるということは怖ろしいですね。
日本の儒学者は考よりも忠ということを大事にしたようです。
孝を上に置くと、公益よりも自分の親や祖父母の利益を重要視してしまうので、王朝などは世襲ですし、家来の身分も世襲ですから、どうしても民百姓のことは後回しになってしまいます。
忠を上位の概念ととらえると、自分が仕える上様なり殿様なりの利益を考え、身内のことは二の次になりますから、自然と公益を重視し、年貢米などがきちんと徴収できるよう、民百姓のことを考えるようになりましょう。
この儒教の解釈の違いが、明治期の北東アジアにおいて、日本だけが帝国主義列強に名を連ねることになった理由ではないか、と先述の韓国人学者は述べていました。
さらには台湾は日本に支配されて幸せだったとか、朝鮮民族は中国ばかりに目が行って、欧米や日本を見ようとしなかったから植民地になってしまったとか、韓国人らしからぬ冷静な分析を試みています。
また、本来の儒教は孝を第一にしているので、日本の解釈は誤りだそうです。
誤りというか、儒教を受容したときに、日本人が日本の体制に合うように意図的に違う解釈をしたんではないでしょうか。
仏教の無常感や因果応報、神道の清き明き心、儒教の忠とが混然一体となって、日本教ともいうべき、宗教の垣根を超えた思想とも倫理規範ともつかない漠然とした独特の空気が、わが国を覆ったような気がします。
そしてそれは現代日本にも厳然として在り、幼い頃からその空気に触れて成長することによって、この島国に生まれた人々は日本人に成るのではないでしょうか。
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