ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

笛吹き男

2010年10月07日 | 文学

 グリム兄弟の「ハーメルンの笛吹き男」の話は、子どもの頃に一度は聞きかじり、恐怖に震えたのではないでしょうか。

 聖ヨハネ祭の頃、ネズミの大量発生に困っていた村に派手で大きな笛吹き男が現れ、報酬をもらえるならネズミを退治してあげよう、と言い、笛を吹くと村中のネズミが男の後をついていき、川で溺死します。
 ところが村人が報酬を支払わなかったところ、翌年の聖ヨハネ祭の日に村に現れて笛を吹くと、村中の子どもたち130人が笛吹き男の後をついていき、二度と戻らなかった、というお話しです。
 
 じつはつい最近までハーメルンでは、この事件が起きたとされる西暦1284年を元年とする暦を使う風習があったそうです。
 多分子どもが大量に消えたことは歴史的事実だろう、と多くの研究者が憶測をたくましくしています。

 遭難説、戦死説、東方植民説、舞踏病説、など。

 私が興味をそそられたのは、当時ヨーロッパで広く知られていたという舞踏病説です。
 これはお祭りのときなどに大勢で踊っていると、子どもや若者などが熱狂して忘我状態になり、倒れるまで(ひどい時は死ぬまで)踊り続けたというものです。
 聖ヨハネ祭は夜に火をたいて踊ると言いますから、舞台装置としては最高じゃないでしょうか。
 ナチの祭典などもあえて夜中に篝火を焚いて行い、人々が熱狂しやすくした、と聞きます。(一番熱狂したのは総統でしょうけど)

 日本でも狐憑きや、何者かに憑依された者が踊り狂う映像を時折見かけますね。
 多分そのひどいやつじゃないでしょうか。
 いわゆる、集団催眠による熱狂、脳内快楽物質の異常分泌。
 最近は、手っ取り早く、違法ドラッグなどでトランス状態を求める輩が多くいますね。

 不幸な大事件が起こると、人々は人知を超えた力が働いたものと推測し、その力を怖れ、鎮めようとしてきました。
 ここでは、笛吹き男が大きくて派手だったことが強調され、それは言わば異界からの使者だったことでしょう。

 日本で行われる神道の祭祀は、ほとんどが山や海などの自然神、怨みをもって亡くなった怨霊などの魂を鎮め、豊穣と安全を願うものです。

 ヨーロッパにおいても、キリスト教社会が聖ヨハネ祭とこじつけて、古代の火祭りを残したことは、人間は普遍的に自然を怖れ、これを鎮めようとしてきたことを痛感させられます。
 
 ちなみにヒトラーは、ドイツが日本に絶対に劣る点として、神道の存在と皇室の伝統をあげたそうです。
 ヒトラーは大のキリスト教嫌いで、SS将校のキリスト教棄教率は90%を超えていたというから驚きです。
 そして日本が真珠湾攻撃をすると、「我々は3000年間一度も敗れたことのない国を味方につけた」と叫んだそうです。
 なんでも最初はあるもので、運の悪いことにヒトラーは日本最初の敗戦に付き合うことになりましたね。

完訳 グリム童話集〈1〉 (岩波文庫)
金田 鬼一
岩波書店
完訳 グリム童話集〈2〉 (岩波文庫)
金田 鬼一
岩波書店
ブラザーズ・グリム [DVD]
アーレン・クルーガー
ハピネット

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教える

2010年10月07日 | 思想・学問

 私は大学や研究所で事務職をしてきたので、多くの学者と接しました。
 その中で、最も人懐こく、事務職員に親和的だったのは、教育学者です。
 多くの教育学者と酒を飲んだり、出張に同行したりしました。
 少なくとも私が接した教育学者は例外なく、人懐こかったですね。
 
 面白いことにセクシャル・ハラスメントを起こす学者は大抵教育学者なんですよね。
 多分過剰なコミュニケーションを求めて、女子学生を不快にさせるんじゃないでしょうか。

 ある著名な教育学者は、陰徳ということをよく言っていました。
 古い中国の書物「淮南子」に、陰徳有る者は必ず陽報有り、という文言があるそうです。
 陰で人知れず善行をなし、褒美や名誉を求めないでいれば、本人が求めなくても必ず良いことがある、というほどの意です。
 ルソーの「エミール」にも同じようなことが書かれていると聞きました。

 じつは教育学の大先生(当時私が勤めていた大学の副学長でした)の京都大学への出張に同行したとき、旅費規程上は大先生はグリーン車に乗れるのですが、とびお君と一緒がいい、と言って普通指定席に並んで座り、東京から京都まで、延々話を聞いたのです。(おやじギャグを笑いながらかまされたりして、結構苦痛でした)

 いかにも無邪気で明るいおじいちゃんでしたが、私は陰徳ということも、「エミール」なる書物についても、興味を持てませんでした。
 教育というより思想や宗教に近づき、しかもそれは現世をうまく生きる方便に過ぎず、私にとっての人生のキーワードである、この世ならぬものへの予感から最も遠いところにあると感じたのです。

 私の学生時代の友人には高校教諭になった者がやたらと多く、教育学部ではないのに教育者を多く輩出する変な大学でした。
 大先生の長口舌を聞いて、やっぱり教員を目指さなくて良かった、と思いました。
 陰徳、私には無縁な概念です。
 人間なんて不可思議な生き物。教えられても簡単に実行できるものではありますまい。
 

淮南子の思想 老荘的世界 (講談社学術文庫)
金谷 治
講談社
エミール〈上〉 (岩波文庫)
今野 一雄
岩波書店
エミール〈中〉 (岩波文庫)
今野 一雄
岩波書店
エミール 下  岩波文庫 青 622-3
今野 一雄
岩波書店

↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする