今日は千葉市中心部を散歩しました。
陽射しが強烈で、大汗をかきました。
10月とは思えません。
途中、千葉城に立ち寄りました。
石段を登っていくと、紫色の頭が見えました。
なんだろうと登っていくと、奇妙な格好をした若いやつらが、大勢で写真を撮ったり談笑したりしています。
看板があって、コスプレ愛好者の集まりを開いているが、一般の公園利用者には迷惑をかけないようにします、とありました。
忍者やら武将やらお姫様やら船乗りやら。
いずれ劣らぬ派手な、しかし安い衣装に身を包み、判で押したように人類にはそういう色の髪はあり得ませんというような、みょうちきりんな鬘をかぶっていました。
そして少々見栄えの良い女の周りには、これも判で押したように薄汚いジーンズをはいてチェック柄のシャツを着た青年中年が、巨大なカメラを構えているのでした。
写されたいやつは妙な安っぽい格好をして、写したいやつは薄汚い格好、対比が見事でした。
それぞれアニメだかゲームだかのキャラクターをかたどっているのでしょうが、私のようなおじさんにもわかる、シャア少佐やラムちゃんやメーテルはいませんでした。
知らずに訪れた千葉城公園で面白いものを見られました。
おそらくああいう隠花植物のような手合いに会うことは滅多にないでしょうから、ただで見られて良かったかな。
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昨夜、NHKの日曜美術館の上村松園の特集番組で、彼女が使っていた絵の具が紹介されていました。
強烈な赤の絵の具を見て、ふいに、ある歌を思い出しました。
ちょうど、プルーストが紅茶にひたしたマドレーヌを食べて、はるか昔の記憶を鮮烈に呼び起されて、「失われた時を求めて」を書き始めたように。
草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり
北原白秋の歌です。
私はこれに13歳のときに初めて接し、自分は決して歌を詠むまい、と決めたのでした。
この歌に感銘を受けながら、同時にこのようなレベルの歌を詠む才は自分にはないことを、思い知らされたのです。
同じように、17歳の時に村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読んで、自分が小説を書く意味はないな、と思いました。
こんな小説を書く人がいるのに、自分がくだらぬものを書いても仕方ない、と思いました。
しかし13歳の時との違いは、書くまい、と決めはしなかったことです。
それでくだらぬものを書いては出版社に送るということをして、二冊、世に問いましたが、ほぼ黙殺されました。
17歳のときの直感は当たっていたことになります。
残念です。
今、躁状態が起こる危険性があるからと、小説の執筆は主治医に止められています。
代替行為のようにこのブログをほぼ毎日更新していますが、決定的に物足りない、というのが率直な気持ちです。
もうあらゆることを諦めるしかないのかな、と思っています。
病を抱えている以上、それも仕方ありますまい。
何もしなくてもいいから毎日職場に通うことだけを、当面の目標にしています。
味気なくはありますが、生活というものは、本来そうしたものなのでしょうね。
ないものねだりはやめにして、三食の飯と、住まいを失わないように努めましょう。
三食食えて布団で眠れて、たまには酒だって飲める。これを幸せと言うのでしょうから。
北原白秋歌集 (岩波文庫) | |
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