ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

神々の国

2010年10月20日 | 思想・学問

 昔、森元総理大臣が在任中、「日本は神の国」と発言して大問題になりましたね。
 多分先の大戦末期、神風と称して自爆攻撃を行ったり、神国日本は負けるはずがない、と宣伝したため、「神の国」という言い方に拒絶反応を示すようになったのだと思います。
 
  「古事記」「日本書紀」には、イザナギ・イザナミによって日本列島が形成され、その日本を支配していた大国主命が天照大神に国譲りをして、日本は天つ神の子孫である天皇が支配する国になった、と語られています。
 天照大神をはじめとして、八百万の神々がこの国におはしまし、日本人は神々を崇敬しているから「日本は神の国」である、という言い分に、何の不思議もありません。
 フィンランドを森と湖の国といったり、タイを微笑みの国といったり、ハワイを地上の楽園といったりするのと同じようなものです。

 また、明治維新後、日本は世界の諸先輩方の真似をして帝国主義国家としてのし上がりましたが、その時に日本の支配下に置かれた人々と自国民を差別化する意味も「神国」に込めたため、神の国、という言いようは戦後禁忌となったと思われます。

 しかし平安時代には、「神の国」というのは自己卑下する意味もある言葉でした。
 「今昔物語集」などの仏教説話にそういった言説が見られます。
 つまり仏法が行き届かず、土着の神々を崇拝している野蛮な国で、仏法による教化が必要だ、という意味です。

 日本の神々は、キリスト教やイスラム教などの一神教の神とはまったく異なる概念だということは、日本人なら知らぬ者はいないでしょう。
 日本の神々は飲んだり踊ったり、恋したり闘ったりが大好きなご性分。
 ギリシャ神話やケルト神話などに出てくる、ほぼ人間と同じような性質を持った神々と同種のもので、原始的な自然崇拝という側面を色濃く残しています。
 仏教でいう経典やキリスト教でいう聖書、イスラム教のコーランに対応するような聖典がなく、これと言って教義らしいものすらありません。
 神主が唱える祝詞は、神主の作文だということはあまり知られていませんね。
 約束事はありますが、祭祀を行う前にその意義を説明するもので、言ってみれば宴会で部長だか社長だかが挨拶するのと変わりません。
 伊勢の皇學館大学や渋谷の國學院大學の神道科では、祝詞作文の講義と演習が行われています。

  大きな山や、大木、波間に浮かぶ巨岩、白馬、なんにでも注連縄を張って神様にして拝むのが古来からのわがくにびとの習いです。
 そんな風に神々は日本人にとって身近なもの。

 森元総理がどういう意図で発言したのかは不明ですが、日本が神の国だなんて、当たり前すぎてわざわざ口に出すほどのことではありません。

 ただ、、という言葉はどうしても一神教のGODやらアッラーやらを思い浮かべてしまい、現代人の言語感覚にうまくなじまないかもしれませんね。
 それなら、神々の国、という言い方では如何でしょうか。
 
 

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日本書紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
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日本書紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
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平城京遷都と畳

2010年10月20日 | 思想・学問

 近頃平城京遷都1300年とやらで、奈良のあたりがかまびすしいですね。
 気持ちが悪い、と悪評さんざんだったせんと君も、インパクトがあって良い、と高評価。
 たしかに一度見たら忘れられない面構えではあります。

 先日、大仏造営の頃を舞台にしたドラマを観ました。
 吉岡秀隆が吉備真備役をやっていて、およそ古代の大政治家には見えない大根ぶりを発揮していました。明らかなミスキャストですね。
 そのドラマを見ていて思ったのですが、床が石なのですね。
 そして家の中でも木靴を履いています。
 衣装もまるっきり中国風です。
 わが国が大陸から受けた影響の大きさを感じさせられます。

 また一方、遣唐使の廃止が契機になったと言われる国風文化の発展が、どれほど大きな意味があったかを思い知らされます。
 赤くない文化大革命だったのではないでしょうか。

 「源氏物語絵巻」には、板張りに畳が数枚敷いてある絵が散見されます。
 古くは畳は敷布団だったとか。
 冬は寒くてしかたありますまい。
 「源氏物語」でも、むやみにそこいらにごろんと横になって寝ています。
 立って半畳寝て一畳と言いますから、畳が寝具だったことがうかがえます。

 鎌倉時代以降、今日見られるような、部屋中に畳を敷き詰める風習が見られるようになったようです。
 いわば寝具からカーペットになったのですね。
 
 江戸の長屋は畳敷きのイメージですが、当時は店子が畳を持ちこんだとか。
 カーペットだと思えば頷けます。
 だからムシロを持ちこんでも、板張りのまま、今風に言うとフローリングでも良かったわけです。

 我が家はいわゆる4LDKのマンションですが、畳の部屋は6畳が一室あるだけです。
 その6畳間を応接間として正しく使ったのは、購入してちょうど10年目ですが、わずかに3回だけです。
 そんなに客が来るわけもないので、今では洗濯物の部屋干しに使っています。
 
 しかしそれでも、夏場の風呂上りなど、畳の感触が恋しくて、半裸でその部屋に横になったりします。
 その時、日本の長い歴史が作り上げ、今も継続して使用されているこの畳に、直に肌を接しているのだな、と、しばしうっとりするのです。
 他の国に例を見ない畳が、わが国においても減少しているのは寂しいかぎりです。
 そのうち着物みたいに、日常空間では使用しない、特別な儀礼や祭祀でのみ使う古い遺物になってしまうかもしれません。

 まずは率先して、10年そのままの畳を張り替えて、畳の繁栄に貢献してみましょうか。

畳のはなし (物語ものの建築史)
佐藤 理
鹿島出版会

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30デイズ・ナイト

2010年10月20日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 昨夜、「30デイズ・ナイト」を観ました。
 これは映画館で観ようと思っていたのですが、見逃してしまい、今回DVDで観た次第です。

 アラスカ州最北の村。ここは冬になると極夜と呼ばれる、30日間太陽が昇らない長い夜が訪れます。
 村の住人はわずかに百数十名。
 吹雪によって、閉じ込められます。
 そんな中、突然の停電。電話もつながりません。そして悲鳴。
 太陽を嫌うヴァンパイア一族が、30日間の狩り場を求めてやってきたのです。
 あらかじめ電話や電力を切断して、村を陸の孤島に変えて。
 圧倒的な体力差、そして残酷な吸血。
 村人は、屋根裏などに隠れ、生き延びようとしますが、一人、また一人と餌食になっていきます。
 そして明日、夜が明ける、と言う日、追い詰められた保安官は絶望的な決断をし、家族を救おうとします。

 ちょっと古いですが「ノスフェラトゥ」という貴族の吸血鬼を上品に描いた映画を思い起こさせます。これはもはや吸血鬼映画の古典にして最高峰です。怖くて、美的で、悲劇的です。

 「30デイズ・ナイト」に登場するヴァンパイアの親分は中世の貴族のような装いですが、やっていることに品がなく、「ノスフェラトゥ」のような耽美的な映像を好まれる方にはお勧めできません。
 
 極寒の地で、外部との連絡が取れずに閉じ込められ、ヴァンパイアの恐怖に怯える。舞台装置としてはこれ以上ないほど完璧です。
 映画としての完成度はもう一つですが、今までにない斬新な吸血鬼映画という意味では、高く評価されて然るべきでしょう。

30デイズ・ナイト プレミアム・エディション [DVD]
ジョシュ・ハートネット,メリッサ・ジョージ,ダニー・ヒューストン,マーク・ブーン・Jr.,ベン・フォスター
ポニーキャニオン
ノスフェラトゥ [DVD]
ヴェルナー・ヘルツォーク
東北新社

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