昔、森元総理大臣が在任中、「日本は神の国」と発言して大問題になりましたね。
多分先の大戦末期、神風と称して自爆攻撃を行ったり、神国日本は負けるはずがない、と宣伝したため、「神の国」という言い方に拒絶反応を示すようになったのだと思います。
「古事記」や「日本書紀」には、イザナギ・イザナミによって日本列島が形成され、その日本を支配していた大国主命が天照大神に国譲りをして、日本は天つ神の子孫である天皇が支配する国になった、と語られています。
天照大神をはじめとして、八百万の神々がこの国におはしまし、日本人は神々を崇敬しているから「日本は神の国」である、という言い分に、何の不思議もありません。
フィンランドを森と湖の国といったり、タイを微笑みの国といったり、ハワイを地上の楽園といったりするのと同じようなものです。
また、明治維新後、日本は世界の諸先輩方の真似をして帝国主義国家としてのし上がりましたが、その時に日本の支配下に置かれた人々と自国民を差別化する意味も「神国」に込めたため、神の国、という言いようは戦後禁忌となったと思われます。
しかし平安時代には、「神の国」というのは自己卑下する意味もある言葉でした。
「今昔物語集」などの仏教説話にそういった言説が見られます。
つまり仏法が行き届かず、土着の神々を崇拝している野蛮な国で、仏法による教化が必要だ、という意味です。
日本の神々は、キリスト教やイスラム教などの一神教の神とはまったく異なる概念だということは、日本人なら知らぬ者はいないでしょう。
日本の神々は飲んだり踊ったり、恋したり闘ったりが大好きなご性分。
ギリシャ神話やケルト神話などに出てくる、ほぼ人間と同じような性質を持った神々と同種のもので、原始的な自然崇拝という側面を色濃く残しています。
仏教でいう経典やキリスト教でいう聖書、イスラム教のコーランに対応するような聖典がなく、これと言って教義らしいものすらありません。
神主が唱える祝詞は、神主の作文だということはあまり知られていませんね。
約束事はありますが、祭祀を行う前にその意義を説明するもので、言ってみれば宴会で部長だか社長だかが挨拶するのと変わりません。
伊勢の皇學館大学や渋谷の國學院大學の神道科では、祝詞作文の講義と演習が行われています。
大きな山や、大木、波間に浮かぶ巨岩、白馬、なんにでも注連縄を張って神様にして拝むのが古来からのわがくにびとの習いです。
そんな風に神々は日本人にとって身近なもの。
森元総理がどういう意図で発言したのかは不明ですが、日本が神の国だなんて、当たり前すぎてわざわざ口に出すほどのことではありません。
ただ、神、という言葉はどうしても一神教のGODやらアッラーやらを思い浮かべてしまい、現代人の言語感覚にうまくなじまないかもしれませんね。
それなら、神々の国、という言い方では如何でしょうか。
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