ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

華夷闘諍

2010年10月05日 | 思想・学問

 菅総理が廊下でばったり行き会って、偶然、温家宝首相と25分会談したことがニュースになっていますね。
 出来すぎた偶然ですが、互いの面子を保つために接触するには、偶然を装うしかなかったということでしょうか。

 近頃の中国の振る舞いは我がまま勝手で、中華思想というのは随分気ままなようです。
 
 わが国において、かつては京を中心とする関西が、言わば日本の中華でした。
 「太平記」において鎌倉の武家と京都の後醍醐天皇との争いを、華夷闘諍(華=朝廷・夷=鎌倉幕府)と表現しているのは、当時の感覚から言えば当然だったのでしょう。
 鎌倉は、つまり野蛮な田舎だったわけです。

 鎌倉幕府は京都にも匹敵する一大勢力を関東に築こうとするもので、朝廷は大いに危機感を抱いたことでしょう。
 鎌倉幕府成立からわずか約30年後に、後鳥羽上皇は関西の武士を集めて幕府を倒そうと承久の乱を起こしましたが、わずか二カ月で敗れ、隠岐に流されてしまいます。
 このことは、例え天皇だろうと上皇だろうと、強い者に刃向かえばただではすまないこと、もはや京都は日本の中華ではなくなったこと、を意味していると思います。

 後鳥羽上皇の歌を時系列で並べてみると、その心情の変化がわかります。

 奥山の おどろか下もふみ分けて 道ある世ぞと 人に知らせむ

 
後鳥羽院29歳の作です。道ある世、つまり朝廷を頂点とする道理によって治められる世を切望しているようです。

 人もをし 人もうらめしあぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は

 これは4年後の歌。あぢきなく、は武家が支配する世の中をさしているのでしょうか。人がいとしくもうらめしくも感じられる、とはなんとなく厭世的です。百人一首に入っている有名な歌です。

 我こそは 新島守よ 隠岐の海の あらき波風心して吹け

 9年後、戦に敗れて流された隠岐で詠んだ歌です。なんだかカラ元気のような。

 伝統の王権=皇室が、新しい支配者=鎌倉幕府に敗れたこの事件は、一人後鳥羽院という天皇経験者が島流しにあった、という以上の意味があるでしょう。
 しかし、歴史的事実にあまり興味がない私にとって、崩御するまでの隠岐での19年間の院の生活と心情が、想像力をくすぐるのです。

後鳥羽院御集 (和歌文学大系)
久保田 淳
明治書院
歌帝 後鳥羽院
松本 章男
平凡社

  
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2010年10月05日 | 文学

 保険証が更新されて、新たに臓器提供をするかどうかを記載する欄が設けられ、私は提供しない、と意思表示しました。

 わが国では亡くなることを息を引き取るとも言い、文字どおり呼吸が停止して、通夜をやって告別式をやって、なお蘇らなければ火葬して、それでも四十九日を迎えるまでは、この世とあの世の中間である中有の闇を彷徨って、やっと死の儀礼を終え、死んだことになるのでした。
 死ぬのではなく、死に行くものでした。
 ある瞬間を境に生が突然死に替わるのではなく、少しずつ衰弱し、息が弱くなり、息を引き取るのです。

 「いくら息をしようと思ってもできなくなってしまう。どうしたらいいでしょう。ほら、いくらしようと思っても・・・」
 そういううちにも幾度も息がとまりかける、一所懸命力をいれて吸いこもうとするのだが。 

 「誰か教えてくださらないかしらん。どうしても息ができなくなってしまう」
 しまいにはうかされたように、
 「誰か息をこしらえてちょうだい」
 といった。

 
これは、中勘助の「妹の死」にみられる、23歳で世を去った妹の死を見取る場面です。
 凄絶な臨終の場面です。  

 息は、生き物のいきであり、生きるのいきであり、命はの内でした。
 粋、意気、勢い、すべて息から派生していると考えられます。

 いのちある人あつまりて 我が母の いのち死に行くを見たり 死に行くを

 
斎藤茂吉が母親の死を詠んだ歌です。 
 ここでも、死は死ぬのではなく、死に行くと表現されています。

 私が脳死による臓器移植に強い拒絶感を感じるのは、生命倫理などのような難しい考えからではありません。
 死という事態が不明である以上、それは一般庶民にも明白な可視的なものでなければ、納得が難しいと感じるからです。
 臓器移植によって命が助かる人がいるというのは承知していますが、そのような効率的で冷静な考えに、どうしても拒否感を感じます。

 できることなら、チューブで繋がれて、脳がいけなくなったからと言って、臓器を取られるようなことなく、静かに死に行きたいものです。
 また医学の進歩によって、臓器移植以上に良い治療法が確立されることを望みます。

ちくま日本文学全集 (029)
中 勘助
筑摩書房
赤光 (岩波文庫)
斎藤 茂吉
岩波書店
斎藤茂吉歌集 (岩波文庫)
山口 茂吉,佐藤 佐太郎,柴生田 稔
岩波書店

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